「こ」で終わる故事・ことわざ・慣用句
「こ」で終わる故事・ことわざ・慣用句 — 40 件
開けて悔しき玉手箱(あけてくやしきたまてばこ)
期待がはずれてがっかりすること。浦島太郎が竜宮城から持ち帰った玉手箱を開けたとたん、白い煙が出てあっという間に年をとってしまったという浦島太郎の伝説から。
鼬ごっこ(いたちごっこ)
互いに同じようなことを繰り返して終わりがこないこと。堂々巡り。
一押し、二金、三男(いちおし、にかね、さんおとこ)
女性をくどくには、第一が押しの強さ、二番目が金の力、男ぶりのよさは三番目だということ。
一升の餅に五升の取り粉(いっしょうのもちにごしょうのとりこ)
主となるものより、それに付随するもののほうが多く必要であることのたとえ。 「取り粉」は、つきたての餅がねばりつかないようにつける粉。 一升の餅をつくためには五升の取り粉が必要になることから。
雨後の筍(うごのたけのこ)
同じようなことが次々と起こることのたとえ。雨あがりに筍が次々に出てくることからいう。
鰻の寝床(うなぎのねどこ)
間口が狭く、奥行きの長い建物や場所のたとえ。
生んだ子より抱いた子(うんだこよりだいたこ)
生んだだけで育てていない実の子より、小さい時から育てた他人の子のほうがかわいいということ。
負うた子より抱いた子(おうたこよりだいたこ)
身近なことを優先したり、大事にするのが人情だというたとえ。背中に負ぶった子より前に抱いている子を先に面倒見てしまう意から。
親が親なら子も子(おやがおやならこもこ)
親と子はよく似るものだということ。親がだめだと子どももだめだというように、悪いところが似た場合に多く使われる。
親に似ぬ子は鬼っ子(おやににぬこはおにっこ)
子どもは当然親に似るものであり、親に似ない子はいないということ。 親に似ない子は人間の子ではなく鬼の子であるとの意から。
親は親、子は子(おやはおや、こはこ)
親子でもそれぞれが別の人間であり、性質や才能が同じとは限らないということ。
負んぶすれば抱っこ(おんぶすればだっこ)
他人の力を当てにして、つけあがって甘えることのたとえ。 負んぶしてやると次には抱っことねだることから。 「負ぶえば抱かろう」「負んぶすれば抱っこ」「抱かさせば負ぶさる」ともいう。
おんぶに抱っこ(おんぶにだっこ)
おんぶすると次は抱っこをしてほしいと甘える子どもように、何もかも他人に頼りきりになること。
屈み女に反り男(かがみおんなにそりおとこ)
女は少しうつむき加減にしている姿が良く、男は少し胸を張った反り加減の姿が良いということ。
河童の寒稽古(かっぱのかんげいこ)
他人が見れば大変そうに見えても、実際にはなんでもないことのたとえ。河童の寒中水泳はつらそうに見えるが、河童にとっては寒くもなんともないことから。
借りてきた猫(かりてきたねこ)
ふだんと違って非常におとなしいようす。ねずみを捕らせるために他人の家から借りた猫は、おとなしく小さくなっていることから。
寒に帷子、土用に布子(かんにかたびら、どようにぬのこ)
物事が逆さまであること。また、季節はずれで役に立たないことのたとえ。 「帷子」は裏地をつけない夏物の衣類、「布子」は木綿の綿入れのこと。 冬の寒い時に単衣の帷子を着て、夏の暑い時に綿入れを着るということから。 「土用布子(綿入れ)に寒帷子」「夏布子の寒帷子」ともいう。
金魚のうんこ(きんぎょのうんこ)
一人の人物の後ろを大勢の人がぞろぞろついて回るさま。また力のある人の周りを弱い人が付き従って離れないさま。 金魚の糞が切れずに長くつながっている様子から。 「金魚のうんこ」ともいう。
鞍掛け馬の稽古(くらかけうまのけいこ)
なんの役にも立たない無駄な練習のたとえ。「鞍掛け馬」は木馬のことで、木馬に乗って乗馬の練習をしても役に立たないことから。
子供は風の子、大人は火の子(こどもはかぜのこ、おとなはひのこ)
子どもは寒い風が吹く中でも元気に外で遊びまわり、大人は寒がって火のそばを離れないということ。
三顧(さんこ)
立場が上の人が礼を尽くして、すぐれた才能を持つ人を招くこと。 または、立場が上の人が立場が下の人に礼を尽くして、仕事を依頼すること。 「三顧」は三回訪問すること。 古代中国の三国時代、蜀の皇帝劉備が諸葛亮を迎え入れるために住居を三回訪問したという故事から。 単に「三顧」ともいう。
三伝の市虎(さんでんのしこ)
事実ではないことでも、多くの人が同じことを言えば、やがては信じられるようになることのたとえ。 「市」は街、また市場のこと。 一人や二人では信じないが、三人もの人が市に虎がいると言えば、事実でなくても信じ込んでしまうとの意から。 「市に虎あり」「三人、虎を成す」「市に虎あり」「市虎三伝」「三人成虎」などともいう。
住めば都(すめばみやこ)
どんな所でも住み慣れると、住みよく思われてくるというたとえ。
操觚(そうこ)
文筆に携わること。「觚」は古代中国で文字を記した木の札のことで、それを手に取り文字を書く意から。
だんだん良くなる法華の太鼓(だんだんよくなるほっけのたいこ)
物事が徐々によい方に向かっていくことと、太鼓がよく鳴るということを掛けた言葉遊び。「法華の太鼓」とは、日蓮宗の信者が題目を唱えながら打つ団扇太鼓のこと。
天に眼(てんにまなこ)
天の神には人の行いをすべて見通す眼があり、そのよしあしに応じた賞罰を与えるので、悪いことはできないということ。
虎の子(とらのこ)
非常に大切にして手放さないもの。虎が子を大事にするということから。
土用の筍(どようのたけのこ)
役に立たず、無駄なことのたとえ。土用に出た筍は竹にはならないことから。
奈落の底(ならくのそこ)
底の知れない深い所。また、脱け出すことのできない不幸な境遇のたとえ。「奈落」は、仏教で地獄の意。
伯楽の一顧(はくらくのいっこ)
不遇だった者が有力者に見いだされて世に出ること。 「伯楽」は、中国春秋時代の名馬を見抜く名人。 馬が売れずに困っていた者が伯楽に頼み、伯楽が一度通り過ぎた後に馬を振り返って見たことで、その馬の価値が一気に跳ね上がったという故事から。
雲雀の口に鳴子(ひばりのくちになるこ)
ひっきりなしに続くおしゃべりのたとえ。「鳴子」は、田畑で作物を荒らす鳥を追い払うために使う道具。よくさえずる雲雀の口に鳴子をつけたようにやかましいことから。
醜い家鴨の子(みにくいあひるのこ)
みんなから容姿が悪いとか、愚かだとか言われていても、大人になってきれいになったり、偉くなったりする子どものこと。アンデルセンの童話から。
目から鱗(めからうろこ)
何かのきっかけで急に物事の実態がはっきりわかるようになるたとえ。 『新約聖書−』使徒行伝・九章の「直ちに彼の目より鱗のごときもの落ちて見ることを得」による。
目病み女に風邪引き男(めやみおんなにかぜひきおとこ)
眼病で目がうるんだ女と、風邪をひいている男は色っぽく見えるということ。
持つべきものは子(もつべきものはこ)
他人ではあてにできない事も、わが子ならばしてくれる。子は持つべきもので、わが子ほどありがたいものはないということ。
薬缶で茹でた蛸(やかんでゆでたたこ)
物事に行き詰まり、どうしようもない様子。また、内に閉じこもり動けない様子。 薬缶で蛸を茹でると、蛸が硬くなり、手も足も出せない状態になることから。
竜と心得た蛙子(りゅうとこころえたかえるこ)
子どもに対する親の見込み違いのたとえ。 将来は竜になると期待していたわが子も、やはり蛙の子にすぎなかったとの意から。
遼東の豕(りょうとうのいのこ)
世間知らずが、つまらない事を自慢して得意になることのたとえ。遼東では珍しいとされた白頭の豚が、河東ではありふれたもので、君子に白頭の豚を献上しようとした男が、その事を恥じて遼東に帰ったという故事から。
論より証拠(ろんよりしょうこ)
議論するより証拠を示すほうが物事は明らかになるということ。
藁で束ねても男は男(わらでたばねてもおとこはおとこ)
藁で髪を束ねるような貧しい暮らしをしていても、男にはそれなりの値打ちがあるということ。
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