「ら」を含む故事・ことわざ・慣用句
「ら」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 1236 件
桜折る馬鹿、柿折らぬ馬鹿(さくらおるばか、かきおらぬばか)
桜は枝を折ると枯れてしまうことがある。一方、刃物を嫌う柿は枝を折るほうが新しい枝が茂って多くの実をつけるということ。
桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿(さくらきるばか、うめきらぬばか)
樹木の剪定(せんてい)方法をいったことば。桜は枝を切ると枯れることがあるのでそのままがいいし、梅は無駄な枝が伸びないように切ったほうがよいということ。
桜は花に顕われる(さくらははなにあらわれる)
ふだんは平凡な人々に紛れていた人間が、何らかの機会に優れた才能を発揮するたとえ。他の雑木に交って目立たなかった桜の木も、花が咲いて初めて桜の木だと気づかれるということから。
酒買って尻切られる(さけかってしりきられる)
好意でしたことを仇で返されるたとえ。酒を奢った相手に尻を切られるような目に遭わされるということから。
酒極って乱となる(さけきわまってらんとなる)
酒席も酒がすすむにつれて酔いがまわり、しまいには喧嘩などで乱れてしまうということ。
酒なくて何の己が桜かな(さけなくてなんのおのれがさくらかな)
花見に酒はつきもので、酒を飲まない花見はおもしろくないということ。
酒は飲むべし飲むべからず(さけはのむべしのむべからず)
酒は適量を飲むのはよいが、それは実際には難しいから、まずは飲まないほうがいいという戒めの言葉。
酒は本心を現す(さけはほんしんをあらわす)
酒に酔うと、ふだんは隠している気持ちを表にさらけ出してしまうということ。
札片を切る(さつびらをきる)
金を持っていることを自慢げに見せるように気前よく大金を使うこと。
然もあらばあれ(さもあらばあれ)
なるようにまかせるしかないこと。どうにでもなれ。ままよ。 「遮莫」とも書く。
晒し者になる(さらしものになる)
人々の前で恥をかかされること。
皿嘗めた猫が科を負う(さらなめたねこがとがをおう)
悪事をはたらいた主犯が罰せられず、少しだけ関与した小者が罰せられるたとえ。 皿の上の魚を食べた猫はとっくに逃げてしまい、あとからやって来て皿をなめただけの猫が罪を着せられるとの意から。
猿の尻笑い(さるのしりわらい)
自分の欠点に気づかず、他人の欠点を嘲笑することのたとえ。 猿が自分の尻が赤いことに気付かずに、他の猿の尻を見て笑うことから。
猿は人間に毛が三筋足らぬ(さるはにんげんにけがみすじたらぬ)
猿は利口で人間にきわめて近い動物だが、人間に知恵が及ばないのは毛が三本足りないからだということ。 また、「毛が三本」ではなく、「見分け(判断・配慮する力)」「情け(思いやる心)」「やりとげ(物事をやり遂げる力)」の三つ、または「色気」「情け」「洒落っ気」」の三つが足りないとする説もある。 「三筋」ではなく「三本」ともいう。
猿も木から落ちる(さるもきからおちる)
その道の達人でも、たまには失敗することもあるということ。 木登りが得意な猿でも、ときには誤って落ちることもあるとの意から。
触らぬ神に祟りなし(さわらぬかみにたたりなし)
何事も関係をもたなければ、災いを招くことはないということ。 神様と関わりをもたなければ、神様の祟りを受けることはないとの意から。
山雨来らんとして風楼に満つ(さんうきたらんとしてかぜろうにみつ)
何事か変事が起こる前に、なんとなく不穏な気配がただよう様子。 「楼」は、高殿のこと。 山の雨が降り出す前には、前ぶれの風が高殿へ吹きつけることから。 「山雨来らんと欲して風楼に満つ」ともいう。
三軍も帥を奪うべきなり、匹夫も志を奪うべからず(さんぐんもすいをうばうべきなり、ひっぷもこころざしをうばうべからず)
大軍に守られている総大将でも討ち取ることは出来るが、たとえどんなに身分の低い男でも、意思が堅ければ、その志を変えさせることは出来ないということ。人の志は尊重すべきだということ。「三軍」は大軍、「帥」は大将、「匹夫」は身分のいやしい男の意。
山椒は小粒でもぴりりと辛い(さんしょはこつぶでもぴりりとからい)
体は小さくても、激しい気性と優れた才能を持ち、侮り難い存在のたとえ。山椒の実は小粒ながら、激しい辛味を持つことから。「山椒」は、本来「さんしょう」という。
三度の飯も強し柔らかし(さんどのめしもこわしやわらかし)
世の中のことは、なかなか自分の思う通りにはならないというたとえ。 毎日炊いている飯でさえ、固すぎたり柔らかすぎたりして思うようにはいかないだから、世の中のことが思い通りにいかないのは当然だということから。
三人、虎を成す(さんにん、とらをなす)
事実ではないことでも、多くの人が同じことを言えば、やがては信じられるようになることのたとえ。 「市」は街、また市場のこと。 一人や二人では信じないが、三人もの人が市に虎がいると言えば、事実でなくても信じ込んでしまうとの意から。 「市に虎あり」「三人、虎を成す」「市に虎あり」「市虎三伝」「三人成虎」などともいう。
三人行えば必ずわが師あり(さんにんおこなえばかならずわがしあり)
三人で一緒に事を行えば、他の二人の中に良い所、悪い所が必ず見いだせる。どちらにしても自分の学ぶべき相手が必ずみつかるということ。
三人子持ちは笑うて暮らす(さんにんこもちはわろうてくらす)
子どもを持つなら三人くらいがちょうどよく、幸せな暮らしができるということ。
財は一代の宝(ざいはいちだいのたから)
財産はその人一代限りのものであり、その後はどうなるかわからないということ。
座が白ける(ざがしらける)
それまで盛り上がっていた楽しい雰囲気が壊れて面白味がなくなること。
坐しても食らえば山も空し(ざしてもくらえばやまもむなし)
働かずに暮らせば、山のような財産があってもやがては尽きてしまうということ。
座を見て皿をねぶれ(ざをみてさらをねぶれ)
その場の様子をみきわめてから、自分の出方を決めるのが利口だということ。 「ねぶる」は舐める意。 場所柄をよく考えて、ごちそうの皿を舐めるかどうか判断せよとの意から。
塩辛を食おうとて水を飲む(しおからをくおうとてみずをのむ)
手回しがよすぎるとかえって間が抜けていたりすることのたとえ。または、物事の順序が前後することのたとえ。 塩辛を食べると喉が渇くであろうと考えて、前もって水を飲んでおくとの意から。
塩を売れば手が鹹くなる(しおをうればてがからくなる)
仕事の癖や習慣は、いつの間にか身について、生まれつきのようになっているというたとえ。毎日塩を売っていれば、自然と手が鹹くなっているということから。
四十くらがり(しじゅうくらがり)
四十歳頃になると、視力も衰え始めるということ。
四十過ぎての道楽と七つ下がって降る雨は止みそうで止まぬ(しじゅうすぎてのどうらくとななつさがってふるあめはやみそうでやまぬ)
中年になってから始めた道楽と、七つ下がりに降り出した雨は、なかなかやまないということ。「七つ下がり」は午後四時過ぎのこと。
死せる孔明、生ける仲達を走らす(しせるこうめい、いけるちゅうたつをはしらす)
生前の威信が死後も保たれ、人々を恐れさせるたとえ。 中国、蜀の諸葛孔明が魏の司馬仲達と対陣中病死した。退却しようとした蜀軍を仲達はただちに追撃したが、蜀軍は孔明の遺命に基づいて反撃の姿勢を見せたため、仲達は孔明がまだ死んでおらず、何か策略があるのではないかと恐れ退却したという故事から。
舌足らず(したたらず)
言葉をうまく発音できないこと。また、その様子。
下腹に毛がない(したはらにけがない)
老獪な人物や腹黒い人物のたとえ。年老いた狼や狸の下腹には毛がないという言い伝えから。
舌を鳴らす(したをならす)
舌を打ち付けて音を出すこと。舌打ちをすること。不満や軽蔑などを隠さずに表す様子。または、美味しい食べ物を食べて満たされる様子。
七十五日は金の手洗い(しちじゅうごにちはかねのてあらい)
嫁や婿、養子に行った時は、しばらくの間は大事にされるということ。「金の手洗い」は、金属製の洗面器で来客などに使われたもの。
痺れを切らす(しびれをきらす)
長い時間待たされて我慢できなくなること。
下いびりの上へつらい(しもいびりのかみへつらい)
自分より下の者にいばる人間は、上の者には媚びへつらうものだということ。
杓子で腹を切る(しゃくしではらをきる)
不可能なことのたとえ。 杓子を刀のかわりにしても、腹を切ることはできないことから。
杓子は耳搔きにならず(しゃくしはみみかきにならず)
大きいものが、必ずしも小さいものの代わりのなるとはかぎらないことのたとえ。形が似ていても、杓子は大きすぎて耳かきには使えないということから。
沙弥から長老(しゃみからちょうろう)
一足飛びに出世することのたとえ。「沙弥」は仏門に入ったばかりの修行未熟な若い僧、「長老」は徳の高い僧。
沙弥から長老にはなれぬ(しゃみからちょうろうにはなれぬ)
物事には順序があり、一足飛びには上に進めないというたとえ。「沙弥」は仏門に入ったばかりの修行未熟な若い僧、「長老」は徳の高い僧。
宗旨の争い釈迦の恥(しゅうしのあらそいしゃかのはじ)
仏教の教えはすべて釈迦が発しているのだから、宗派間の争いは開祖である釈迦の恥になるということ。宗派間の争いの愚かさをあざけっていう言葉。
愁眉を開く(しゅうびをひらく)
心配事や悩み事がなくなって、安心することのたとえ。 「愁眉」は憂いを含んだ眉のこと。 心配してしかめていた眉を開くとの意から。
趣向を凝らす(しゅこうをこらす)
よりよくなるように工夫すること。
手段を選ばない(しゅだんをえらばない)
あらゆる方法を使って目的を果たそうとすること。
出家の念仏嫌い(しゅっけのねんぶつぎらい)
もっとも大切なことが嫌いだったり、出来なかったりすることのたとえ。 僧となって仏道を修行する者が念仏を唱えるのが嫌いとの意から。
出藍の誉れ(しゅつらんのほまれ)
弟子が師より優れていることのたとえ。 藍草から作られた染料の青色が、元となる藍草よりも青く美しいことから。 「出藍の誉れ」ともいう。
修羅場(しゅらじょう)
激しい争いや戦争などが行われている場所。もとは仏語で阿修羅(あしゅら)と帝釈天(たいしゃくてん)の闘いの場所。
正直は一生の宝(しょうじきはいっしょうのたから)
正直者は人から信頼され、それによって成功や幸福を手にすることができる。正直こそ一生を通じて大切に守るべき宝だというたとえ。
商売往来にない商売(しょうばいおうらいにないしょうばい)
泥棒など世間に認められない商売のこと。 「商売往来」は、商売に関係した事柄を書いた江戸時代の書物で、その書物に載っていない商売との意から。
初心忘るべからず(しょしんわするべからず)
ものごとを始めた時の謙虚で真剣な気持ちを忘れてはならないということ。
白髪は冥土の使い(しらがはめいどのつかい)
年をとって増えてくる白髪は、死が近づきつつある証拠であるということ。
知らざるを知らずと為せ、是れしるなり(しらざるをしらずとなせ、これしるなり)
知ったふりをしないで、知らない事は知らないと自覚すること、これが本当に知るということであるということ。
知らずば半分値(しらずばはんぶんね)
価値のわからないものは、予想する値の半分ぐらいの値をつければだいたい当たっているということ。
知らずば人に問え(しらずばひとにとえ)
知らない事は、知ったふりをしないで、人に聞いて教えてもらうのがよいということ。
知らずば人真似(しらずばひとまね)
分からないことをする時は、人の真似をするのが無難であるという教え。
白豆腐の拍子木(しらどうふのひょうしぎ)
見かけは立派でも、実際は役に立たないもののたとえ。豆腐で作った拍子木が使えるはずがないことから。
白波(しらなみ)
他人のものを盗む人。また、その集団。盗賊。中国の後漢末、黄巾の賊の残党が白波谷(はくはこく)に籠もって白波賊(はくはぞく)と呼ばれ、日本でそれを訓読したもの。
知らぬ顔の半兵衛(しらぬかおのはんべえ)
知っているのに知らない振りをすることを「半兵衛」という人名を使って言った言葉。
知らぬ神より馴染みの鬼(しらぬかみよりなじみのおに)
親しくない善良な人よりも、欠点やくせがあったとしても身近な人のほうが頼りになるというたとえ。 知らない神様より、よく知っている鬼のほうがいいとの意から。 「知らぬ仏より馴染みの鬼」ともいう。
知らぬが仏(しらぬがほとけ)
知れば腹も立つが、知らないばかりに仏のように穏やかでいられるということ。また、実態を知らずに平然としている人をあざけっていう言葉。
知らぬ京物語(しらぬきょうものがたり)
実際には知らないことをいかにも知っているかのように話すこと。また、その話。 実際には行ったことがない京について、いかにも見てきたかのように話すとの意から。 「知らぬ京物語」「似ぬ京物語」ともいう。
知らぬ存ぜぬ(しらぬぞんぜぬ)
自分は何一つ知らないということを主張する言葉。
知らぬは亭主ばかりなり(しらぬはていしゅばかりなり)
女房の浮気を周囲の者は知っていて、亭主だけが知らないこと。また、周りの者が皆知っていて、当人だけが知らずに平気でいることのたとえ。
白羽の矢が立つ(しらはのやがたつ)
多くの人の中から特別に選び出されること。人身御供として選んだ少女の家の屋根に、神が人知れずしるしの白羽の矢を立てたという俗説から。
調べがつく(しらべがつく)
詳しく調べて全てわかること。
芝蘭の室に入るが如し(しらんのしつにいるがごとし)
立派な人と交際すると、自然とその人のよい影響を受けるというたとえ。 芝と蘭のある部屋に入ると、いつの間にかそのよい香りが身に染みつくとの意から。
尻から抜ける(しりからぬける)
見たり聞いたりしたことをすぐに忘れること。
知りて知らざれ(しりてしらざれ)
よく知っていてもむやみに自慢しないほうが奥ゆかしいということ。 「知って知らざれ」ともいう。
尻を絡げる(しりをからげる)
着物の後ろ側の裾をまくり上げ、裾の端の部分を帯に挟むこと。
知る者は言わず言う者は知らず(しるものはいわずいうものはしらず)
物事を本当に知っている人はむやみに口に出さないが、よく知らぬ者にかぎって軽々しくしゃべるということ。
信心過ぎて極楽を通り越す(しんじんすぎてごくらくをとおりこす)
信心も度を越すと迷信や邪道に陥ってかえって害になるということ。
信心も欲から(しんじんもよくから)
信心も、結局はよいご利益を欲するためということ。
心胆を寒からしめる(しんたんをさむからしめる)
心の底から恐れおののかせること。震え上がらせること。 「心胆」は、きもったまのこと。 「心肝を寒からしめる」ともいう。
死んだら褒められる(しんだらほめられる)
生前悪評のあった人でも、死んでしまうと懐かしがられ、褒められるようになるということ。
地獄から火を貰いに来たよう(じごくからひをもらいにきたよう)
やせ衰えてみすぼらしい姿のたとえ。
地獄極楽は心にあり(じごくごくらくはこころにあり)
地獄や極楽は、人の心の中に存在する。つまり、心の持ちようで、地獄にも極楽にもなるということ。
地獄極楽はこの世にあり(じごくごくらくはこのよにあり)
善悪の報いはあの世に行くまでもなく、この世ではっきりと現れるということ。
祖父は辛労、子は楽、孫は乞食(じじはしんろう、こはらく、まごはこじき)
金持ちも長続きはしないことのたとえ。 祖父が苦労して財産を築き、子が楽をして、孫は乞食になるほどに落ちぶれるということから。
