「世」で終わる故事・ことわざ・慣用句 — 9 件
「世」で終わる漢字を含む故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。
故事・ことわざ・慣用句一覧
明日知らぬ世(あすしらぬよ)
今日は無事に過ごせたとしても、明日のことはわからない。永久不変のものなど無いという、この世の無常をいうことば。 「明日知らぬ身」ともいう。 似た言葉に「[[明日をも知れぬ身*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/8713.php]]」がある。
親子は一世(おやこはいっせ)
親子の関係は現世だけのものであるということ。 「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世」と続けてもいう。
親子は一世、夫婦は二世、主従は三世(おやこはいっせ、ふうふはにせ、しゅじゅうはさんせ)
親子の関係は現世だけのものであり、夫婦は前世と現世または現世と来世の二世に渡る。主従関係は、前世・現世・来世の三世にまたがるほど深いということ。
子は一世、夫婦は二世、主従は三世、他人は五世(こはいっせ、ふうふはにせ、しゅじゅうはさんぜ、たにんはごせ)
親子のつながりは、いま生きているこの世で終わる一世のもの、夫婦は死んだあとの世まで続く二世のもの、主人と家来は前の世・この世・のちの世の三世にわたるものだが、他人とのつながりはそれよりもさらに深く、五世にわたるということ。縁などなさそうな人とも実は深い縁があるので、他人を大事にしなさいと、仏教の考えから教えたもの。 「一世」「二世」などの「世」は、人が生まれ変わってすごすと考えられた一つ一つの世のこと。[[親子は一世、夫婦は二世、主従は三世*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/834.php]]の終わりに「他人は五世」を付け足した言い方で、[[親子は一世*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/6381.php]]・[[夫婦は二世*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/1347.php]]・[[主従は三世*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/3327.php]]のように、それぞれを一つの句として単独でも用いる。
師弟は三世(していはさんぜ)
師匠と弟子との結びつきは、今の人生だけで切れるような浅いものではない。生まれる前の世から、死んで次に生まれる世までずっと続くほど、深い縁をもつ間柄なのだという意味。 「三世」とは仏教でいう、前の世・今の世・次の世の三つのこと。親子の縁はこの世かぎり、夫婦の縁は二つの世、主人と家来の縁は三つの世に及ぶという古い考え方があり、師と弟子の縁も、主人と家来の縁と同じく三つの世に及ぶものとされた。 同じ考え方に立つ言葉として「[[主従は三世*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/3327.php]]」がある。
主従は三世(しゅじゅうはさんぜ)
主従の間柄は、前世・現世・来世の三世にもわたるほど深いということ。
錦着ての奉公より襤褸着ての我が世(にしききてのほうこうよりつづれきてのわがよ)
高価な着物を着られても、奉公人として人に頭を下げるより、たとえぼろ着でも自由な暮らしをしたいということ。
夫婦は二世(ふうふはにせ)
夫婦の関係は現世だけでなく、来世まで続く深い関係であるということ。
夢の世(ゆめのよ)
夢のようにもろくあっけない世の中。
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