朝茶は七里帰っても飲めについて

言葉 | 朝茶は七里帰っても飲め |
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読み方 | あさちゃはしちりかえってものめ |
意味 | 朝の茶は一日の災難よけなので、飲み忘れて旅立ちしたら、たとえ七里の道を戻ってでも飲むべきだということ。 |
出典 | - |
類句 | 朝茶に別れるな |
朝茶はその日の祈祷 |
使用されている漢字
「朝」を含むことわざ
朝雨馬に鞍置け(あさあめうまにくらおけ)
朝に降る雨はすぐに止むから、馬に鞍を置いて外出する用意をせよ、ということ。
朝雨と女の腕捲り(あさあめとおんなのうでまくり)
朝の雨はすぐにやむから、女の腕まくりと同様恐れるに足りないということ。「俄雨(にわかあめ)と女の腕捲り」ともいう。
朝雨に傘いらず(あさあめにかさいらず)
朝の雨はすぐにやむということ。
朝起き千両、夜起き百両(あさおきせんりょう、よおきひゃくりょう)
朝早く起きて仕事をするほうが、夜働くより能率が上がり得だということ。 「朝起き千両」とも。
朝起きは三文の徳(あさおきはさんもんのとく)
朝早く起きるとなにかしらいい事があるということ。「徳」は「得」と同じ。
朝起きは七つの徳(あさおきはななつのとく)
朝早く起きるとなにかしらいい事があるということ。「徳」は「得」と同じ。
「茶」を含むことわざ
朝飯前のお茶漬け(あさめしまえのおちゃづけ)
ものごとが容易にできることのたとえ。 朝飯前の空腹時に食べるお茶漬けは、さらさらと簡単に食べられるということから。
余り茶に福あり(あまりちゃにふくあり)
余っている物の中にも、思いがけずよいものがあるということ。
お茶の子さいさい(おちゃのこさいさい)
物事をたやすく行うことができる様子。
お茶を濁す(おちゃをにごす)
いいかげんな処置によって、その場をごまかすこと。 茶の湯の作法を知らない者が、抹茶を適当にかきまぜて濁らせ、それらしく見せたことから。
お茶を挽く(おちゃをひく)
暇を持て余すこと。特に、芸者などが客がつかずに暇でいること。 茶臼で葉茶をひくのは、暇な遊女の仕事とされていたことから。
鬼も十八、番茶も出花(おにもじゅうはち、ばんちゃもでばな)
器量が悪くても、年ごろになれば誰でも娘らしい魅力が出てくるということ。鬼の娘でも十八という年ごろになれば娘らしくなるし、安い番茶も入れたては香りがよくおいしいという意から。
「七」を含むことわざ
赤子のうちは七国七里の者に似る(あかごのうちはななくにななさとのものににる)
赤ん坊ははっきりした特長がないので、似てると思って見ればあちこちの誰にでも似て見えるということ。「七国七里」は諸所方々のこと。
朝起きは七つの徳(あさおきはななつのとく)
朝早く起きるとなにかしらいい事があるということ。「徳」は「得」と同じ。
伊勢へ七度、熊野へ三度(いせへななたび、くまのへみたび)
信仰心が深いことのたとえ。伊勢神宮へ七度、熊野三山へ三度もお参りしたことがあるほど信仰深いという意から。このあと続けて「愛宕様へは月参り」ともいう。
色の白いは七難隠す(いろのしろいはしちなんかくす)
色が白ければ、顔かたちに多少の欠点があっても気にならないということ。
浮き沈み七度(うきしずみななたび)
長い人生には良いときもあれば悪いときもあり、それを何度も繰り返すということ。
浮世は衣装七分(うきよはいしょうしちぶ)
とかく世間では外見を重んじ、うわべで内容を判断しがちだということ。七分は十分の七のことで、衣装で七分がた評価が下される意から。
「里」を含むことわざ
赤子のうちは七国七里の者に似る(あかごのうちはななくにななさとのものににる)
赤ん坊ははっきりした特長がないので、似てると思って見ればあちこちの誰にでも似て見えるということ。「七国七里」は諸所方々のこと。
悪事、千里を走る(あくじ、せんりをはしる)
悪い行いは、たちまち世間に広まるというたとえ。「悪事、千里を行く」ともいう。
牛も千里馬も千里(うしもせんりうまもせんり)
早い遅い、上手い下手の違いがあっても結局は同じところに到達するというたとえ。牛がゆっくりと歩いても馬が早く走っても千里の道のりはやはり千里で、同じ目的地に着くことから。
縁あれば千里(えんあればせんり)
縁があれば千里も離れた所の人と会うこともあるし、結ばれることもあるということ。「縁あれば千里を隔てても会い易し、縁なければ面を対しても見え難し」を略した言葉。
お里が知れる(おさとがしれる)
言葉遣いや立ち居振る舞いから、その人の生まれや育ちがわかるということ。 よくない意味で用いられる。
門松は冥土の旅の一里塚(かどまつはめいどのたびのいちりづか)
門松はめでたいものだが、飾るたびに年を重ね死に近づくので、いわばあの世に向かう一里塚のようなものだということ。 「冥土」は、あの世のこと。 「一里塚」は、街道に一里ごとに築かれ、旅人のための里程標となった塚のこと。 この歌は一休作という説があり、このあとに「めでたくもありめでたくもなし」と続けてもいわれる。
「帰」を含むことわざ
市に帰するが如し(いちにきするがごとし)
多くの人が市場に集まるように、人徳のある人のところへ人々が慕って集まるということ。
烏有に帰す(うゆうにきす)
すっかりなくなってしまうこと。特に火事ですべてを無くしてしまうことをいう。「烏有」は漢文で「烏(いずくん)ぞ有らんや」と読み、全くないこと。
灰燼に帰す(かいじんにきす)
跡形もなく燃え尽きてしまうこと。「灰燼」は灰と燃えかすの意。
帰らぬ人となる(かえらぬひととなる)
死ぬこと。亡くなること。
帰りなんいざ(かえりなんいざ)
画餅に帰す(がべいにきす)
計画したことが失敗に終わることのたとえ。「画餅」は絵に書いた餅のことで、実際には食べられないという意から。
「飲」を含むことわざ
朝酒は門田を売っても飲め(あさざけはかどたをうってものめ)
朝酒は格別おいしいので、少々無理をしてでも飲むべきだということ。「門田」は家の門前にある田の意。
明日食う塩辛に今日から水を飲む(あすくうしおからにきょうからみずをのむ)
手回しがいいように見えて、実は無意味なことのたとえ。
一箪の食、一瓢の飲(いったんのし、いっぴょうのいん)
わずかな飲食物のこと。また、清貧に甘んじるくらしのたとえ。「箪」は竹製の食器、「瓢」は飲み物を入れるひさご。食器一杯の食べ物と、ひさご一杯の飲み物という意から。
一杯は人酒を飲む、二杯は酒酒を飲む、三杯は酒人を飲む(いっぱいはひとさけをのむ、にはいはさけさけをのむ、さんばいはさけひとをのむ)
多量に酒を飲むことを戒めた言葉。 酒も少量のうちはよいが、多量になると自制心をなくし、しまいには人が酒に飲まれ乱れてしまうということ。
馬を水辺につれていけても水を飲ませることはできない(うまをみずべにつれていけてもみずをのませることはできない)
その気のない人間は、周囲がいくら心配したり気をもんだりしても無駄であるというたとえ。
恨みを飲む(うらみをのむ)
恨みを胸の内にしまい込み、じっと我慢すること。