「し」から始まる故事・ことわざ・慣用句一覧
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しく | しこ | しご | しさ | しし |
しじ | しず | しせ | しぜ | しぞ |
した | しだ | しち | しっ | しつ |
しと | しな | しに | しぬ | しね |
しの | しは | しば | しひ | しび |
しふ | しぶ | しま | しめ | しも |
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ことわざ一覧
仕上げが肝心(しあげがかんじん)
物事は途中よりも、最後の仕上げが大切であるということ。
思案投げ首(しあんなげくび)
よい案が浮かばずに悩み、首を傾けている様子。 「思案」はいろいろと考えること。 「投げ首」は首を傾げている様子。
思案に余る(しあんにあまる)
どれだけ考えてもよい案が浮かばないこと。
思案に暮れる(しあんにくれる)
どれだけ考えてもよい案が浮かばず思い悩むこと。
思案の案の字が百貫する(しあんのあんのじがひゃっかんする)
何事もよく考えてから行うことが大切であるというたとえ。 「百貫」は銭一貫の百倍。非常に価値があるもののたとえ。
塩辛を食おうとて水を飲む(しおからをくおうとてみずをのむ)
手回しがよすぎるとかえって間が抜けていたりすることのたとえ。または、物事の順序が前後することのたとえ。 塩辛を食べると喉が渇くであろうと考えて、前もって水を飲んでおくとの意から。
潮時を見る(しおどきをみる)
物事を行うのによい時期を見計らうこと。
塩にて淵を埋む如し(しおにてふちをうずむごとし)
やっても無駄なことや不可能なことをすること。 塩で深い水たまりを埋めようとするとの意から。
塩を売っても手を嘗めろ(しおをうってもてをなめろ)
塩を売る商人が、手に付いた塩も無駄にせず嘗めるように、細かな事にも注意して、無駄のないように気をつけよという戒めの言葉。
塩を売れば手が鹹くなる(しおをうればてがからくなる)
仕事の癖や習慣は、いつの間にか身について、生まれつきのようになっているというたとえ。毎日塩を売っていれば、自然と手が鹹くなっているということから。
死灰復燃ゆ(しかいまたもゆ)
一度燃え尽きた灰がもう一度燃え上がること。 転じて、失った勢いを取り戻すこと。 または、解決したはずの物事が再び問題になること。
四角な座敷を丸く掃く(しかくなざしきをまるくはく)
仕事の手を抜いたり、いいかげんなことをするたとえ。四角い座敷を隅を残して真ん中だけ丸く掃くことから。
死活に関わる(しかつにかかわる)
生きるか死ぬかというほどに重大であること。
鹿の角を蜂が刺す(しかのつのをはちがさす)
なんとも感じないことのたとえ。鹿の角を蜂が刺しても、まったく痛くもかゆくもないことから。
屍に鞭打つ(しかばねにむちうつ)
死者を非難したり責め立てたりすることのたとえ。 「死屍に鞭打つ」ともいう。
鹿を逐う(しかをおう)
地位や権力を得ようとして争うこと。 「鹿」は帝位の意。転じて、地位や権力のこと。 帝位を得ようとして争うとの意から。 「逐鹿」や「中原に鹿を逐う」ともいう。
鹿を逐う者は山を見ず(しかをおうものはやまをみず)
利益を得ることに夢中になっている者は、周囲の事を考える余裕がなくなり道理を忘れてしまうというたとえ。鹿を追う者は狩りに夢中になり山の様子が目に入らないという意から。
鹿を指して馬となす(しかをさしてうまとなす)
権力を利用して、間違いや無理を押し通すことのたとえ。秦の始皇帝の死後、宰相となった趙高が、自分の権勢を試すため幼少の皇帝に鹿を馬と偽って献上し、「これは鹿ではないのか?」と幼帝が尋ねたが、趙高の権勢を恐れた側近たちも「馬です」と答えたという故事による。「馬を鹿」ともいう。
志学(しがく)
学問に志すこと。十五歳の異称。
四月の中の十日に心なしに雇われるな(しがつのなかのとおかにこころなしにやとわれるな)
四月の中旬頃は日が長いので、思いやりのない人に雇われるといつまでも働かされるので気をつけよということ。また、その頃の日中の時間が長いことをいう。
歯牙にもかけない(しがにもかけない)
まったく問題にしないで無視するようす。「歯牙」は歯と牙(きば)。転じて言葉・議論の意で、わざわざ取り上げて議論の対象にしないことをいう。
敷居が高い(しきいがたかい)
不義理などがあって相手の家に行きにくくなることのたとえ。
敷居を跨ぐ(しきいをまたぐ)
家の中に入ること。または、家に出入りすること。
敷居を跨げば七人の敵あり(しきいをまたげばしちにんのてきあり)
男が社会に出て活動するようになると、多くの競争相手や敵に出会うということのたとえ。男が敷居を跨いで外に出れば七人の敵がすでに待ち構えているという意から。「男は敷居を跨げば七人の敵あり」「男子家を出ずれば七人の敵あり」ともいう。
色即是空、空即是色(しきそくぜくう、くうそくぜしき)
この世の形あるすべてのものは、空しい仮の存在であり永遠に存在するものはないということ。同時に、すべてのものの本質は実体のない空なものであるが、それがこの世を形作っているということ。「色」は形あるすべてのもの、「即」はそのままの意。
しくじるは稽古のため(しくじるはけいこのため)
失敗は後に成功するための練習をしているようなものという意味。
指呼の間(しこのかん)
指さして呼べる、または呼べば答えるほどの近い距離のこと。
仕事幽霊飯弁慶、その癖夏痩せ寒細り、たまたま肥ゆれば腫れ病(しごとゆうれいめしべんけい、そのくせなつやせかんぼそり、たまたまこゆればはれやまい)
仕事は出来ないのに飯は山のように食べ、夏も冬のように痩せていて、たまに太ったかと思えば病気にかかっている。怠け者の大食漢の多病をあざけった言葉。
子細に及ばず(しさいにおよばず)
細かいことを言う必要はないということ。
獅子、身中の虫(しし、しんちゅうのむし)
組織などの内部にいながら害を与える者や、恩を仇で返す者のたとえ。獅子の体内に寄生して、恩恵を受けていながらついには獅子に害を加えて死に至らせる虫の意から。
獅子吼(ししく)
雄弁をふるうこと。真理や正義を説くこと。「吼」は、ほえるという意。獅子がほえて百獣をみな恐れさせるように、仏の説法で、悪魔や外道を恐れ従わせるという意から。
志士苦心多し(ししくしんおおし)
死しての千年より生きての一日(ししてのせんねんよりいきてのいちにち)
死んでからの千年より、この世での一日のほうが大事だということ。
死して後、已む(ししてのち、やむ)
死ぬまで精一杯努力し続けるということ。死んではじめて已めるという意から。
死屍に鞭打つ(ししにむちうつ)
死者を非難したり責めたてたりするたとえ。 中国春秋時代に楚の伍子胥が、父と兄を殺した平王の墓を掘り起こし、死体を鞭打って恨みを晴らしたという故事から。 「屍に鞭打つ」ともいう。
獅子の子落とし(ししのこおとし)
我が子に苦しい経験をさせて、厳しく鍛えて育てることのたとえ。獅子は、生まれた子を深い谷に投げ落とし、這い上がってきた強い子だけを育てるという言い伝えから。
獅子の歯嚙み(ししのはがみ)
激しく怒り狂う様子。獅子が恐ろしい表情で歯を食い縛るということから。
獅子の分け前(ししのわけまえ)
強いものが弱いものを働かせて利益を独占することのたとえ。獅子が弱い動物を従えて、得た獲物を独占したというイソップ寓話から。
獅子は兎を撃つに全力を用う(ししはうさぎをうつにぜんりょくをもちう)
実力のあるものは、小さなことにも手を抜かず何事にも全力で向かうということ。
死者に鞭打つ(ししゃにむちうつ)
死んだ人の死ぬ前に行った言動について悪口を言うこと。
私淑(ししゅく)
直接教えは受けないが、密かにその人を師と仰いで尊敬し手本として学ぶこと。「私」は密かに、「淑」はよいと思って慕うという意。
支証の出し遅れ(ししょうのだしおくれ)
時機を逃したために、役に立たないことのたとえ。証拠を出すべき時機を失するという意から。「証文の出し遅れ」ともいう。
師匠のはな負け(ししょうのはなまけ)
最初は師匠が弟子に負けることもあるが、回を重ねると弟子が負け、やはり師匠の実力にはかなわないということ。勝負事で初めに負けたものが負け惜しみにいう言葉。
四十肩に五十腕(しじゅうかたにごじゅううで)
四十歳、五十歳頃になると、身体のあちこちが痛んで動きが悪くなることをいう言葉。
四十がったり(しじゅうがったり)
四十歳になったとたんに体力が衰え始めるということ。
四十くらがり(しじゅうくらがり)
四十歳頃になると、視力も衰え始めるということ。
四十過ぎての道楽と七つ下がって降る雨は止みそうで止まぬ(しじゅうすぎてのどうらくとななつさがってふるあめはやみそうでやまぬ)
中年になってから始めた道楽と、七つ下がりに降り出した雨は、なかなかやまないということ。「七つ下がり」は午後四時過ぎのこと。
四十にして惑わず(しじゅうにしてまどわず)
四十歳にもなれば道理を理解して迷わなくなるということ。 「不惑」ともいう。
紙上を賑わす(しじょうをにぎわす)
沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり(しずむせあればうかぶせあり)
人生にはいい時も悪い時もある。悪いことばかりが続くわけでないから、くよくよするなということ。
死生、命あり(しせい、めいあり)
人の生死は天命によるもので、人の力ではどうすることもできないということ。「死生」は、死ぬことと生きること。
市井の徒(しせいのと)
姿勢を正す(しせいをただす)
今までの態度ややり方などを反省して改めること。また、体の構え方を整えること。
咫尺を弁せず(しせきをべんせず)
視界がきかず、ごく近くのものも見分けが付かないこと。「咫尺」は距離が非常に近いこと、「弁」は見分けるという意。
死せる孔明、生ける仲達を走らす(しせるこうめい、いけるちゅうたつをはしらす)
生前の威信が死後も保たれ、人々を恐れさせるたとえ。 中国、蜀の諸葛孔明が魏の司馬仲達と対陣中病死した。退却しようとした蜀軍を仲達はただちに追撃したが、蜀軍は孔明の遺命に基づいて反撃の姿勢を見せたため、仲達は孔明がまだ死んでおらず、何か策略があるのではないかと恐れ退却したという故事から。
視線を浴びる(しせんをあびる)
多くの人から一斉に見つめられること。
死線をさまよう(しせんをさまよう)
生きるか死ぬかの危険な状態が続くこと。
自然に帰れ(しぜんにかえれ)
社会の因襲による悪影響から逃れ、人間本来の自然の状態に帰れということ。フランスの啓蒙思想家・小説家ジャン・ジャック・ルソーの言葉。
士族の商法(しぞくのしょうほう)
急に不慣れなことを始めて失敗することのたとえ。明治初期、士族が生計を立てるため慣れない商売に手を出して失敗したことから。
舌が肥える(したがこえる)
味が良いものや質の高いものなどを食べ慣れていて、味の良し悪しに対する感覚が鋭くなること。 「口が肥える」ともいう。
舌が回る(したがまわる)
滞ることなく滑らかに喋ること。または、話が巧みであること。 「口が回る」ともいう。
舌三寸に胸三寸(したさんずんにむねさんずん)
ちょっと口から出た言葉や、ふと思いついたことが、重大な事を引き起こすことがあるので、むやみに言葉にしたり行動してはいけないということ「舌三寸」はちょっとしゃべること、「胸三寸」は心の中にある考えの意。
親しき仲に垣をせよ(したしきなかにかきをせよ)
親しい間柄でも遠慮がなくなると不仲のもとになるので、節度を守れという戒めの言葉。「思う仲には垣をせよ」「良い仲には垣をせよ」ともいう。
親しき仲にも礼儀あり(したしきなかにもれいぎあり)
親しい間柄でも遠慮がなくなると不仲のもとになるので、礼儀は大切だということ。
下地は好きなり御意はよし(したじはすきなりぎょいはよし)
もともと好きなところへ、相手から好意をもって勧められ、こんなに都合のいいことはないということ。
滴り積もりて淵となる(したたりつもりてふちとなる)
少しのものでも集まれば大きなものになることのたとえ。一滴のわずかな滴も溜まり続ければいつかは深い淵になるという意味から。
舌鼓を打つ(したつづみをうつ)
美味しい物を食べて満たされる様子。美味しい物を食べて舌の音を鳴らすという意味から。 「舌鼓」は「したつづみ」とも読む。
舌鼓を打つ(したづつみをうつ)
美味しい物を食べて満たされる様子。美味しい物を食べて舌の音を鳴らすという意味から。 「舌鼓」は「したつづみ」とも読む。
下手に出る(したてにでる)
謙った態度で相手に接すること。 「下に出る」ともいう。
下にも置かない(したにもおかない)
客などを非常に丁寧にもてなす様子。下座につかせないということから。 「下へも置かない」ともいう。
舌の剣は命を絶つ(したのつるぎはいのちをたつ)
軽率な発言は、命にかかわるような大事を引き起こすこともあるので、言葉は慎むべきであるというたとえ。
舌の根も乾かぬうち(したのねもかわかぬうち)
言葉を言い終わるか終わらないうちにということ。言い終わったそのすぐ後で、前言に反したことを言ったときに非難していう言葉。
下腹に毛がない(したはらにけがない)
老獪な人物や腹黒い人物のたとえ。年老いた狼や狸の下腹には毛がないという言い伝えから。
舌は禍の根(したはわざわいのね)
言葉はわざわいを招くもとであるから、言葉は慎むべきであるというたとえ。
舌を出す(したをだす)
その人がいない所で馬鹿にしたり、笑ったりすること。 または、恥ずかしさなどを誤魔化すためにする動作。
舌を鳴らす(したをならす)
舌を打ち付けて音を出すこと。舌打ちをすること。不満や軽蔑などを隠さずに表す様子。または、美味しい食べ物を食べて満たされる様子。
舌を巻く(したをまく)
すばらしさに驚いて、非常に感心するようす。
四大空に帰す(しだいくうにきす)
肉体が消滅すること。死ぬこと。肉体が四大に戻るという意味から。 「四大」は地・水・火・風のことで、仏教ではこれによって肉体が構成されているということから肉体という意味。
四知(しち)
悪事はいつか必ず露見するということ。誰も知るまいと思っても、天地の神々も、自分も、あなたも知っているという意から。「天知る地知る我知る人知る」ともいう。
七細工八貧乏(しちざいくはちびんぼう)
なんでもできるような器用な人は、一つの事に専念できずに、どれも中途半端になり、結局は貧乏するということ。「七細工」は器用のこと。「八貧乏」は「七細工」に調子を合わせて言った言葉。「八細工七貧乏」ともいう。
七尺去って師の影を踏まず(しちしゃくさってしのかげをふまず)
師につき従って行く時は、弟子は後ろから歩き、師の影を踏んではいけないということ。弟子が師を敬う心がけを説いた言葉。「三尺下がって師の影を踏まず」ともいう。
七十五日は金の手洗い(しちじゅうごにちはかねのてあらい)
嫁や婿、養子に行った時は、しばらくの間は大事にされるということ。「金の手洗い」は、金属製の洗面器で来客などに使われたもの。
七度探して人を疑え(しちどさがしてひとをうたがえ)
物がなくなった時には、自分で丹念に探してみるのが先決で、軽率に人を疑ってはいけないという戒めの言葉。七回探しても見つからない時に、はじめて人を疑えという意から。「七度尋ねて人を疑え」ともいう
死地に赴く(しちにおもむく)
命を捨てる覚悟で物事に取り組むこと。任務で生きて帰ることが困難な場所に行くという意味から。
七年の病に三年の艾を求む(しちねんのやまいにさんねんのもぐさをもとむ)
事態が差し迫って慌てても間に合わないので、日ごろの心がけが大事だということ。七年もの間病気に苦しんだあとで、三年乾かさないといけない上等の艾を求めるということから。
七歩の才(しちほのさい)
詩文を作る才能が非常にすぐれていること。また、詩作の早いこと。魏の曹植が、兄の文帝(曹丕)に七歩あゆむ間に詩を作れと命じられてただちに作ったという故事から。
死中に活を求める(しちゅうにかつをもとめる)
助かる望みがない絶望的な状態の中で、なおも必死に活路を探し求めること。「死中に生を求める」ともいう。
失笑を買う(しっしょうをかう)
愚かな言動をして他人から笑われること。 「失笑」は笑いを堪え切れずに吹き出してしまうこと。
失態を演じる(しったいをえんじる)
人前で笑われるような無様な失敗をすること。
知ったか振りの恥搔き(しったかぶりのはじかき)
本当は知らないのに、いかにも知っているようなそぶりをすると大恥を掻くということ。
知ったが病(しったがやまい)
知らずにいれば何もなくてすんだのに、知ってしまったために病みつきになり失敗してしまうということ。
しっちゃかめっちゃか(しっちゃかめっちゃか)
物事が酷く混乱している様子。めちゃくちゃ。
知って知らざれ(しってしらざれ)
よく知っていてもむやみに自慢しないほうが奥ゆかしいということ。「知りて知らざれ」ともいう。
知って問うは礼なり(しってとうはれいなり)
たとえ知っていることでも、専門家に意見を聞くのが礼儀だということ。
失敗は成功のもと(しっぱいはせいこうのもと)
失敗しても、その原因を反省し改めていくことによって、成功につながるということ。「失敗は成功の母」ともいう。
疾風に勁草を知る(しっぷうにけいそうをしる)
困難にあった時、はじめてその人の真価がわかるというたとえ。「疾風」は速く吹く風、「勁草」は強い草の意。速く激しい風が吹いて、はじめて強い草が見分けられるという意から。
尻尾を出す(しっぽをだす)
隠し事がばれること。
尻尾を摑む(しっぽをつかむ)
相手の隠していることや悪事や不正の証拠を押さえること。 化けている狐や狸の尻尾を捕まえて正体を暴くということから。 「尻尾を摑まえる」ともいう。
尻尾を振る(しっぽをふる)
相手に気に入られようとして世辞を言ったり、機嫌を取ったりすること。 犬が餌をくれる人に対して尻尾を振るということから。 「尾を振る」ともいう。
尻尾を巻く(しっぽをまく)
勝ち目がないとみて、戦わずに負けを認めること。降参すること。喧嘩に負けた犬が後ろ脚の間に尻尾を巻き込んで逃げるということから。
しつこい坊主に檀那がない(しつこいぼうずにだんながない)
しつこいものは人に嫌われるというたとえ。「檀那」は、檀家のこと。財物の寄進をしつこく言う僧侶は嫌われるということから。
舐犢の愛(しとくのあい)
親が子どもを可愛がりすぎることのたとえ。「舐犢」は親牛が子牛を舐めることで、舐めるように可愛がるという意から。
死なぬ子三人、皆孝行(しなぬこさんにん、みなこうこう)
三人の子どもが親より先に死なずに成人してくれたら、これ以上の孝行はないということ。
死なば諸共(しなばもろとも)
死ぬまで運命を共にするという覚悟を表す言葉。または、道連れにして死んでやるという脅しの言葉。死ぬときは一緒に死ぬという意味から。
科を作る(しなをつくる)
女性が男性の気を引く艶めかしい仕草や態度を見せること。
至難の業(しなんのわざ)
実現できるとは思えないほどに難しいこと。
死に馬に鍼刺す(しにうまにはりさす)
何の効果もないことのたとえ。また、絶望的な状況の中で万が一の望みを託して最後の手段をとることのたとえ。死んだ馬に鍼治療を施しても生き返ることはないという意から。
死に金を使う(しにがねをつかう)
使っても無駄になる金銭の使い方をすること。
死にたいと麦飯食いたいほど大きな嘘はない(しにたいとむぎめしくいたいほどおおきなうそはない)
人間は時には心にもないことを言うということ。死にたいと言っても本当に死ぬ気のある者はいないし、麦飯を食べたいと言っても本当は粗食を好むわけではないということ。
梓に上す(しにのぼす)
書物を出版すること。昔、木版印刷の版木に梓(あずさ)の木を使ったことから。 「梓」は「し」とも読む。
死に花を咲かせる(しにばなをさかせる)
死に際が立派で、名誉を死後に残すこと。
死に水を取る(しにみずをとる)
死ぬまで世話をすること。死ぬ間際の人の唇を水で濡らすということから。
死に別れより生き別れ(しにわかれよりいきわかれ)
死別よりも生き別れのほうがつらいということ。
死人に口なし(しにんにくちなし)
死人に無実の罪を着せること。また、死人を証人に立てることは出来ないということ。
死ぬ死ぬと言う者に死んだ例なし(しぬしぬというものにしんだためしなし)
死ぬ死ぬと言う者にかぎって、本当に自殺する者はいないということ。
死ぬ者貧乏(しぬものびんぼう)
生きてさえいれば、どんな幸運にめぐり合うかもしれないのに、死んでしまってはどうにもならない。死んだ者が一番損だということ。
死ぬる子は眉目よし(しぬるこはみめよし)
早死にする子にかぎって器量がよく、ふびんで惜しまれるということ。
死ぬるばかりは真(しぬるばかりはまこと)
この世は嘘だらけだが、死だけは厳粛な事実だということ。
死ねば死に損、生くれば生き得(しねばしにぞん、いくればいきどく)
生きていればいつか幸運にめぐり合うかもしれないから生き得と言えるが、死ねばそれで終りだから死に損である。人は生きていなければどうにもならにということ。
鎬を削る(しのぎをけずる)
激しく戦うことのたとえ。「鎬」は二本刀の刃と峰との間の盛り上がっている部分。その鎬が削り取れるほど激しく斬り合う意から。
駟の隙を過ぐるが若し(しのげきをすぐるがごとし)
月日が経つのが非常に早いことのたとえ。「駟」は四頭立ての馬車。時の流れは、四頭立ての速い馬車が走って行くのを、戸の隙間からのぞき見るのと同じようにあっという間に過ぎ去っていくという意から。
四の五の言う(しのごのいう)
あれやこれやと不平や不満などの文句を言うこと。
死の商人(しのしょうにん)
兵器などの製造や売買を行う商人や業者を罵って呼ぶ言葉。
篠を突く(しのをつく)
雨が強く降る様子。篠を束ねた物で突き立てるという意味から。 「篠」は細い竹、篠竹のこと。 「篠突く」ともいう。
死は或は泰山より重く、或は鴻毛より軽し(しはあるいはたいざんよりおもく、あるいはこうもうよりかろし)
命は、惜しむべき場合と、潔く捨てるべき場合があるということ。 「泰山」は中国山東省にある名山、「鴻毛」はおおとりの羽毛。 命は、高い山よりも重く見なければならない場合と、おおとりの羽毛よりも軽く見なければならない場合があるということ。
士は己を知る者の為に死す(しはおのれをしるもののためにしす)
男子は自分の真価を認めてくれる者のためには、命さえ惜しまずに尽くすということ。「士は己を知る者の為に死し、女は己を説ぶ者の為に容づくる」と続く。
芝居は一日の早学問(しばいはいちにちのはやがくもん)
芝居は歴史上の事柄やものの道理をおしえてくれるので、読み書きのできない人間にとっては、てっとり早い学問の場であるということ「芝居は無学の早学問」ともいう。
芝居は無筆の早学問(しばいはむひつのはやがくもん)
芝居は読み書きができない人でも手っ取り早く知識を得ることができるということ。芝居には様々な考えや歴史上の出来事などが含まれているということから。
芝居を打つ(しばいをうつ)
作り事を言ったり、見せたりして人を騙そうとすること。
死馬の骨を買う(しばのほねをかう)
すぐれた人材を集めるために、つまらないものでも優遇することのたとえ。 昔、名馬を買うために出かけた使者が大金を払って死んだ名馬の骨を買って帰った。その行動に王は怒ったが、使者は「死んだ馬の骨に大金を投じれば、必ず生きた名馬を売りに来る者が現れるでしょう」と言った。その言葉通り、一年も経たないうちに王のもとに三頭の名馬が集まってきたという故事に基づく。
駟馬も追う能ず(しばもおうあたわず)
一度口に出した言葉は取り返しがつかないから、言葉には十分気をつけよということ。「駟馬」は四頭立ての馬車。一度口にした言葉は、四頭立ての速い馬車で追っても追いつけないという意から。「駟も舌に及ばず」ともいう。
四百四病の外(しひゃくしびょうのほか)
恋わずらいのこと。「四百四病」は人間のかかるあらゆる病気のことで、それ以外の病という意から。
四百四病より貧の苦しみ(しひゃくしびょうよりひんのくるしみ)
人間のかかるあらゆる病気より貧乏のほうがつらいということ。
痺れを切らす(しびれをきらす)
長い時間待たされて我慢できなくなること。
雌伏(しふく)
将来活躍することを期待して、現在の境遇を我慢すること。また、そうしながら実力を蓄えること。雌鳥が雄鳥の逆らわずに従うということから。
私腹を肥やす(しふくをこやす)
公的な地位や立場を利用して不正に個人の利益を得ること。
渋皮が剝ける(しぶかわがむける)
外見に野暮ったさがなくなって洗練されること。または、物事に慣れて巧みになること。
渋柿の長持ち(しぶがきのながもち)
何の取り柄もない人や悪人が長生きすることのたとえ。そのまま食べられない渋柿は人に採られることなく長く木に残っているということから。
始末に負えない(しまつにおえない)
どうすることもできないこと。手に負えない。 「始末が悪い」ともいう。
始末を付ける(しまつをつける)
最後までしっかりと終わらせること。
死命を制する(しめいをせいする)
他人の生死に大事な所を押さえて、自分の思うままに操ること。
しめこの兎(しめこのうさぎ)
物事がうまくいったということをしゃれて言うことば。
示しが付かない(しめしがつかない)
教える側の立場としてよい例にならないこと。手本にならない。
下いびりの上へつらい(しもいびりのかみへつらい)
自分より下の者にいばる人間は、上の者には媚びへつらうものだということ。
駟も舌に及ばず(しもしたにおよばず)
失言は取り返しがつかないから、言葉には十分気をつけよということ。「駟」は四頭立ての馬車。一度口にした言葉は、四頭立ての速い馬車で追っても追いつけないという意から。「駟馬も追う能ず」ともいう。
霜を置く(しもをおく)
頭髪が白髪になること。白髪が目立つこと。 白髪を霜にたとえた言葉。 「頭に霜を置く」ともいう。
霜を履んで堅氷至る(しもをふんでけんぴょういたる)
災いの小さな兆しが現れれば、やがては大きな災いに見舞われるというたとえ。また、災いの前兆が見えたら用意や用心を怠るなということ。霜を踏んで歩くようになると、やがて堅い氷の張る季節が来るという意から。
社会の木鐸(しゃかいのぼくたく)
世間の人々を教え導く人。または、世論を喚起して導く存在としてのジャーナリズムの重要性を表した言葉。 「木鐸」は古代中国で人々に法令を知らせるために鳴らした木製の鈴。転じて、世間の人々を教え導く人のこという。
釈迦に宗旨なし(しゃかにしゅうしなし)
仏教の開祖である釈迦には、何宗何派という宗派があったわけではない。仏教の教えはすべて釈迦が発しているのだから、宗派の争いは無意味であるということ。
釈迦に説法(しゃかにせっぽう)
その道を知り尽くしている人に、ものを教える愚かさのたとえ。仏教の開祖である釈迦に、仏法を説くということから。
釈迦に説法孔子に悟道(しゃかにせっぽうこうしにごどう)
その道を知り尽くしている人に、ものを教える愚かさのたとえ。または、必要のないことを長々しく繰り返し言うこと。仏教の開祖である釈迦に仏の教えを説いたり、儒教の開祖である孔子に人の道を説いたりするという意味から。 「釈迦に説法」ともいう。
杓子で腹を切る(しゃくしではらをきる)
不可能なことのたとえ。 杓子を刀のかわりにしても、腹を切ることはできないことから。
杓子は耳搔きにならず(しゃくしはみみかきにならず)
大きいものが、必ずしも小さいものの代わりのなるとはかぎらないことのたとえ。形が似ていても、杓子は大きすぎて耳かきには使えないということから。
癪に障る(しゃくにさわる)
ある物事が気に入らなくて不愉快な気分になること。
癪の種(しゃくのたね)
怒りの原因となるもの。腹が立つ元。
尺も短き所あり、寸も長き所あり(しゃくもみじかきところあり、すんもながきところあり)
場合によっては賢い者も劣ることがあり、愚かな者が勝る場合もあるというたとえ。尺でも短くて足りないこともあり、寸でも長すぎることがあるということから。
尺を枉げて尋を直くす(しゃくをまげてじんをなおくす)
大事のためには、小事を犠牲にすることのたとえ。「尋」は、八尺。尺を曲げてでも尋をまっすぐに伸ばすという意から。
奢侈に流れる(しゃしにながれる)
収入や立場を超えた贅沢な生活をすること。
社稷の臣(しゃしょくのしん)
国家の命運を一身に引き受けて、事に当たる重臣。「社稷」は、土地の神と五穀の神。これを国の尊崇する神として祭ったことから転じて、国家の意。
車軸を流す(しゃじくをながす)
激しく雨が降るようす。「車軸」は車の心棒のこと。その車軸のような太い雨が降るという意から。「車軸を下す」ともいう。
尺蠖の屈するは伸びんがため(しゃっかくのくっするはのびんがため)
将来の成功のために、一時的に不遇に耐え忍ぶことのたとえ。「尺蠖」は、尺取り虫。尺取り虫が体を屈めるのは、伸ばす時により長く伸びて前進しようとするためであるという意から。
シャッポを脱ぐ(しゃっぽをぬぐ)
負けを認めること。降参すること。 「シャッポ」は帽子を指すフランス語。
射程距離に入る(しゃていきょりにはいる)
目標の達成や望んだものの獲得が可能な状態になること。弾丸が届く距離に対象が入るという意味から。 「射程」は弾丸が届く限界の距離。
娑婆っ気が多い(しゃばっけがおおい)
世間の名誉や物欲、金銭欲などが強い様子。
娑婆で見た弥三郎(しゃばでみたやさぶろう)
知っている人間に、知らないふりをすることのたとえ。 ある僧侶が佐渡で土中入定(生きたまま土の中に入り仏になること)すると見せかけておきながら、こっそりと抜け出して越後に渡ったところ、知り合いの彌次郎という男に声をかけられてしまった。初めのうちは知らん顔をしていたが、しらを切り通せなくなり「げにもげにもよく思い合はすれば娑婆で見た弥次郎か」と言った笑い話に基づくとされる。 「弥次郎」は、「弥三郎」「弥十郎」などともいう。
娑婆で見た弥十郎(しゃばでみたやじゅうろう)
知っている人間に、知らないふりをすることのたとえ。 ある僧侶が佐渡で土中入定(生きたまま土の中に入り仏になること)すると見せかけておきながら、こっそりと抜け出して越後に渡ったところ、知り合いの彌次郎という男に声をかけられてしまった。初めのうちは知らん顔をしていたが、しらを切り通せなくなり「げにもげにもよく思い合はすれば娑婆で見た弥次郎か」と言った笑い話に基づくとされる。 「弥次郎」は、「弥三郎」「弥十郎」などともいう。
娑婆で見た弥次郎(しゃばでみたやじろう)
知っている人間に、知らないふりをすることのたとえ。 ある僧侶が佐渡で土中入定(生きたまま土の中に入り仏になること)すると見せかけておきながら、こっそりと抜け出して越後に渡ったところ、知り合いの彌次郎という男に声をかけられてしまった。初めのうちは知らん顔をしていたが、しらを切り通せなくなり「げにもげにもよく思い合はすれば娑婆で見た弥次郎か」と言った笑い話に基づくとされる。 「弥次郎」は、「弥三郎」「弥十郎」などともいう。
沙弥から長老(しゃみからちょうろう)
一足飛びに出世することのたとえ。「沙弥」は仏門に入ったばかりの修行未熟な若い僧、「長老」は徳の高い僧。
沙弥から長老にはなれぬ(しゃみからちょうろうにはなれぬ)
物事には順序があり、一足飛びには上に進めないというたとえ。「沙弥」は仏門に入ったばかりの修行未熟な若い僧、「長老」は徳の高い僧。
三味線を弾く(しゃみせんをひく)
相手の話に適当に合わせること。または、適当な嘘で話を誤魔化すこと。歌い手に合わせて三味線を演奏するという意味から。
視野が広い(しやがひろい)
様々なものの見方や考え方などができ、全体を捉えた判断ができること。
衆寡敵せず(しゅうかてきせず)
多人数と少人数では相手にならず、少ない人数では勝ち目がないということ。「衆」は大人数、「寡」は少人数の意。「寡は衆に敵せず」ともいう。
習慣は第二の天性なり(しゅうかんはだいにのてんせいなり)
習慣はいつしか深く身について、まるで生まれつきの性質のように日常生活に影響を及ぼすということ。
衆口、金を鑠かす(しゅうこう、きんをとかす)
多くの人が言った言葉が恐ろしい結果を招くことのたとえ。中傷などの恐ろしさをいう言葉。「衆口」は、大勢の人の言うところ。大勢の言葉には、堅い金属を溶かしてしまうほどの力があるという意から。
秋毫(しゅうごう)
きわめて僅かなことのたとえ。秋に生え変わった獣のきわめて細い毛の意から。
宗旨の争い釈迦の恥(しゅうしのあらそいしゃかのはじ)
仏教の教えはすべて釈迦が発しているのだから、宗派間の争いは開祖である釈迦の恥になるということ。宗派間の争いの愚かさをあざけっていう言葉。
終止符を打つ(しゅうしふをうつ)
物事を終わりにすること。「終止符」は、欧文などで文の終わりに打つ符号。
宗旨を変える(しゅうしをかえる)
それまでの主義や主張、趣味、仕事などを別のものにすること。信仰する宗教や宗派を別のものにするということから。
修身斉家治国平天下(しゅうしんせいかちこくへいてんか)
天下を治めるには、まず自分の心と行いを正しくし、次に家庭を整え、次に国家を治めて天下を平和にすべきだということ。
醜態を演じる(しゅうたいをえんじる)
人前で恥となる行為や見苦しい行為をすること。
衆知を集める(しゅうちをあつめる)
大勢の知恵や知識をまとめること。または、大勢の意見を聞くこと。
舅の物で相婿もてなす(しゅうとのものであいむこもてなす)
自分のふところは痛めずに、人の物を相手にふるまう、ちゃっかりとした行いのたとえ。「相婿」は姉妹の夫どうしのこと。舅のふるまいで出された料理や酒を、相婿が勧め合う意から。「舅の酒で相婿もてなす」
姑に似た嫁(しゅうとめににたよめ)
嫁は姑に仕込まれているうちに、だんだん姑に似てくるということ。
姑の十七、見た者ない(しゅうとめのじゅうしち、みたものない)
姑は自分の若い頃のことを引き合いに出して嫁に小言を言うが、誰も姑の若い時を知らないので当てにはならないということ。
秋波を送る(しゅうはをおくる)
女性が相手の気を引こうとして色目を使うこと。「秋波」は美人の涼やかな目もと。また、女性の媚びを含んだ目つきのこと。
愁眉を開く(しゅうびをひらく)
心配事や悩み事がなくなって、安心することのたとえ。「愁眉」は憂いを含んだ眉のことで、心配してしかめていた眉を開くという意から。
衆望を担う(しゅうぼうをになう)
多くの人からの期待や信頼が集まること。
衆目の一致する所(しゅうもくのいっちするところ)
大勢の見方や評価などが同じであること。
衆を頼む(しゅうをたのむ)
人数が多いことを利用して強引に行うこと。
珠玉の瓦礫に在るが如し(しゅぎょくのがれきにあるがごとし)
菽水の歓(しゅくすいのかん)
祝杯を上げる(しゅくはいをあげる)
願いが叶ったり、勝負に勝ったりして喜ぶこと。祝いの席で酒を酌み交わしながら喜ぶという意味から。
菽麦を弁せず(しゅくばくをべんせず)
愚かで物の区別もつかないことのたとえ。「菽」は豆、「弁ずる」は区別する意。豆と麦の区別も出来ないという意から。
祝融の災い(しゅくゆうのわざわい)
火事の災難のこと。「祝融」は、火をつかさどる神から転じて火事の意。
趣向を凝らす(しゅこうをこらす)
よりよくなるように工夫すること。
守株(しゅしゅ)
古い習慣や過去の偶然の成功にこだわり、進歩や向上がないことのたとえ。 中国・宋の農民が農作業をしていると、兎が木の切り株にぶつかって死んだ。農民は労せず兎を手に入れることができたその経験以来、農作業をせずに毎日切り株を見張っていたという故事から。 「株を守りて兎を待つ」ともいう。
主従は三世(しゅじゅうはさんぜ)
主従の間柄は、前世・現世・来世の三世にもわたるほど深いということ。
手足となる(しゅそくとなる)
ある人の命令や指示を忠実に守って動くこと。 その人の手や足の代わりになるという意味から。 「手足」は「しゅそく」とも読む。
手足を措く所なし(しゅそくをおくところなし)
安心して身を置く所がないということ。また、不安でたまらないこと。
手段を選ばない(しゅだんをえらばない)
あらゆる方法を使って目的を果たそうとすること。
手中に収める(しゅちゅうにおさめる)
望んでいたものを自分のものにすること。 「掌中に収める」ともいう。
出家の念仏嫌い(しゅっけのねんぶつぎらい)
もっとも大切なことが嫌いだったり、出来なかったりすることのたとえ。僧となって仏道を修行する者が念仏を唱えるのが嫌いという意から。
出藍の誉れ(しゅつらんのほまれ)
弟子が師より優れているのたとえ。藍草から作った青色がもとの藍よりも青く美しいという意から。「青は藍より出でて藍より青し」ともいう。
手套を脱す(しゅとうをだっす)
秘めていた本来の力を発揮するたとえ。「手套」は、手袋のことで、それを脱ぐということから。
朱に交われば赤くなる(しゅにまじわればあかくなる)
人は交際する人間しだいで善くも悪くもなるというたとえ。
朱筆を入れる(しゅひつをいれる)
文章などに書き加えたり、訂正したりすること。添削すること。 「朱筆」は赤い色の墨を含ませた筆のこと。 「朱を入れる」ともいう。
手腕を振るう(しゅわんをふるう)
物事の解決や処理のためにすぐれた能力や技術を発揮すること。
朱を入れる(しゅをいれる)
文章などに書き加えたり、訂正したりすること。添削すること。 「朱」は赤い色の墨のこと。 「朱筆を入れる」ともいう。
朱を注ぐ(しゅをそそぐ)
恥ずかしさや怒りなどで顔が赤くなる様子。 「満面朱を注ぐ」ともいう。
春宵一刻値千金(しゅんしょういっこくあたいせんきん)
おぼろ月夜に花の香りが漂う春の宵のひとときは、千金にも値するほどすばらしいということ。「一刻」はわずかな時間、「千金」は千両・大金の意。
春秋高し(しゅんじゅうたかし)
高齢であることのたとえ。「春秋」は、年月・年齢の意。
春秋に富む(しゅんじゅうにとむ)
年が若く、長い将来があること。「春秋」は、年月・年齢の意。
春秋の筆法(しゅんじゅうのひっぽう)
物事を厳格に批判する態度。また、間接の原因を直接の原因のように言う表現方法。「春秋」は、中国の歴史書で孔子が加筆し、その書き方が厳正だったことから。
春眠、暁を覚えず(しゅんみん、あかつきをおぼえず)
春の夜は寝心地がいいので、夜が明けたのにも気付かず、なかなか目が覚めないということ。
舜も人なり吾もまた人なり(しゅんもひとなりわれもまたひとなり)
人は誰でも努力や心がけ次第で立派な人間になれるということ。「舜」は、中国太古の伝説上の聖天子で五帝の一人。舜も自分も人間であることに変わりはないから、舜に出来たことは自分にも出来るという意から。
雌雄を決する(しゆうをけっする)
戦って勝敗を決めること。決着をつけること。「雌雄」は、優劣・勝ち負けの意。
背負い投げを食う(しょいなげをくう)
大事な局面で信頼していた人に裏切られて酷い思いをすること。 「背負い投げ」は「せおいなげ」とも読む。
小異を捨てて大同につく(しょういをすててだいどうにつく)
多少の意見の違いがあっても、多数が支持する意見に従うということ。「大同」は、多くの者が一つにまとまること。
小寒の氷大寒に解く(しょうかんのこおりだいかんにとく)
物事が必ず順に従って進むわけではないということのたとえ。 最も寒いはずの大寒が小寒よりも温かいとの意から。
性が合う(しょうがあう)
お互いの気持ちが通じ合うこと。
将棋倒し(しょうぎだおし)
将棋の駒を間隔をあけて立てて並べ、その中の一つを倒して他の駒に当て、次から次へと連鎖的に駒を倒していく遊び。 転じて、一部が壊れると全体に影響が出ること。
猖獗を極める(しょうけつをきわめる)
病気などのよくないものが猛威をふるうこと。
しょう事なしに米の飯(しょうことなしにこめのめし)
貧しさのため、かえって不経済な生活をしなければならないことのたとえ。また、一つしか取り柄がないので、やむなくその事を自慢するたとえ。「しょう事なし」は、どうしたらいいのか、適当な方法がみつからないこと。麦飯のほうが安上がりだが、新たに麦を買う金がないので、仕方なく持っている米の飯を食べるということから。
性懲りもなく(しょうこりもなく)
懲りずに同じ過ちを繰り返す様子。懲りもしないで。
尚歯(しょうし)
老人を敬うこと。「尚」は尊ぶこと。「歯」は年齢の意。
従心(しょうしん)
七十歳のこと。「七十にして心の欲するところに従えども矩をこえず」から。
正直の頭に神宿る(しょうじきのこうべにかみやどる)
正直な人には必ず神の助けがあるということ。
正直は阿呆の異名(しょうじきはあほうのいみょう)
融通のきかない正直は、世渡りがへたな愚か者のすることであるということ。
正直は一生の宝(しょうじきはいっしょうのたから)
正直者は人から信頼され、それによって成功や幸福を手にすることができる。正直こそ一生を通じて大切に守るべき宝だというたとえ。
正直は最善の策(しょうじきはさいぜんのさく)
正直であることが目的を果たすためには最も良い策であるという教え。
正直貧乏、横着栄耀(しょうじきびんぼう、おうちゃくえよう)
正直者はその正直さゆえに貧乏な生活に甘んじているのに対し、押しが強くずる賢い者は成功して栄えるというたとえ。
正直者が馬鹿を見る(しょうじきものがばかをみる)
ずる賢く立ち回る者が得をして、正直に規則や秩序を守る者が損をするというたとえ。
障子に目(しょうじにめ)
どこで誰が見たり聞いたりしているかわからないので、話す内容には十分気をつけなくてはいけないといういましめ。 密かに話しているつもりでも、壁に耳を当てて聞いたり、障子に穴をあけてのぞいている者がいるかもしれないという意から。 「壁に耳障子に目」「壁に耳」「障子に目」ともいう。
小事は大事(しょうじはだいじ)
些細なことから大事が起こる。小事だからといって物事をあなどってはいけないということ。
生者必滅、会者定離(しょうじゃひつめつ、えしゃじょうり)
命ある者はいつか必ず死に、出会った者はいずれ別れるのがこの世の定めであるということ。
掌上に運らす(しょうじょうにめぐらす)
小人閑居して不善をなす(しょうじんかんきょしてふぜんをなす)
小人物は暇を持て余すと、とかくろくでもないことをするということ。「小人」は君子に対する言葉で、人徳や教養のない卑しい者の意。「閑居」は本来「間居」と書き、暇でのんびり暮らすこと。
小人罪なし璧を懐いて罪あり(しょうじんつみなしたまをいだいてつみあり)
身分不相応なものを持ったために災いを招いてしまうというたとえ。「小人」は身分の低い凡人のこと。凡人が、持ちなれない財宝を持ったために罪を犯してしまうという意から。「匹夫罪なし璧を懐いて罪あり」ともいう。
小人の過つや必ず文る(しょうじんのあやまつやかならずかざる)
小人の勇(しょうじんのゆう)
一時の感情に任せた、軽率な勇気のこと。 「匹夫の勇」ともいう。
少壮幾時ぞ(しょうそういくときぞ)
消息を絶つ(しょうそくをたつ)
連絡が取れなくなり、どこにいるのかわからなくなること。行方不明になる。
掌中に収める(しょうちゅうにおさめる)
望んでいたものを自分のものにすること。 「手中に収める」ともいう。
掌中の珠(しょうちゅうのたま)
もっとも大切にしているもの。特に最愛の子ども。「珠」は尊いものの意で、いつも自分の手の中にある大切なものということから。
焦点を合わせる(しょうてんをあわせる)
人々の関心や注意が向けられている、ある物事だけに狙いを定めて取り組むこと。
焦点を絞る(しょうてんをしぼる)
複数の問題点などの中から特に重要なものだけに限定すること。
性に合う(しょうにあう)
そのものが性格や好みに合うこと。
衝に当たる(しょうにあたる)
そのものにとって重要な地点であること。または、重要な役目を担っていること。
性に合わない(しょうにあわない)
そのものが性格や好みに合わないこと。
性根を据えて掛かる(しょうねをすえてかかる)
どんな苦労も耐えるという覚悟をもって取り組むこと。
少年老い易く学成り難し(しょうねんおいやすくがくなりがたし)
年月は油断しているうちに、たちどころに過ぎ、すぐに年をとってしまう。学問を修めるのは難しいので、若いうちから時間を無駄にせず勉学に励めというおしえ。
少年よ、大志を抱け(しょうねんよ、たいしをいだけ)
「若者たちよ、大きな志を持って世の中に飛躍せよ」と、前途洋々たる若者たちを励ます言葉。 札幌農学校教頭だったアメリカ人クラーク博士が帰国の際、学生たちに残した言葉「Boys, be ambitious」から。
小の虫を殺して大の虫を助ける(しょうのむしをころしてだいのむしをたすける)
小さなものを犠牲にして大きなものを守ること。また、全体を生かすために一部分を犠牲にすることのたとえ。
賞は厚くし罰は薄くすべし(しょうはあつくしばつはうすくすべし)
善行は小さなことでもおおいに褒めたたえ、悪行はできるだけ軽い罰にするのがよいということ。
松柏の操(しょうはくのみさお)
逆境で苦しい状況でも、信念や志を貫くことのたとえ。 松や柏などの常緑樹は寒い季節でも緑の葉をつけていることから。 「歳寒の松柏」ともいう。
商売往来にない商売(しょうばいおうらいにないしょうばい)
泥棒など世間に認められない商売のこと。「商売往来」は、商売に関係した事柄を書いた江戸時代の書。この書物に載っていない商売という意から。
商売は草の種(しょうばいはくさのたね)
商売は草の種のように種類が多いということ。 「商いは草の種」ともいう。
商売は道によって賢し(しょうばいはみちによってかしこし)
商人は、商売に関しては何でもよく知っているということ。専門家は、専門とする分野についてよく知っているというたとえ。
焦眉の急(しょうびのきゅう)
危険が差し迫っていること。また、事態が切迫していること。眉毛を焦がすほどに、火が迫っているという意から。
正札付き(しょうふだつき)
正味の価格の札が付いていること。転じて、嘘偽りがないこと。また、そのような定評があること。 「札付き」ともいう。
勝負は時の運(しょうぶはときのうん)
勝負はその時々の運によるもので、必ずしも実力通りに決まるものではないということ。
正法に奇特無し(しょうぼうにきどくなし)
正しい宗教には不思議な利益は存在せずに、それがあるのは邪教であるということ。 「正法」は「しょうほう」とも読む。 「正法に不思議なし」ともいう。
しょうもない(しょうもない)
つまらないやばかばかしいなどの意味を表す言葉。 「仕様もない」が変化してできた言葉。
証文が物を言う(しょうもんがものをいう)
いざという時には証文が効果を発揮するということ。
証文の出し遅れ(しょうもんのだしおくれ)
時機を逃して、役に立たないことのたとえ。証文を出すべき時機を失するという意から。「支証の出し遅れ」ともいう。
醬油で煮しめたよう(しょうゆでにしめたよう)
布巾や肌着などが、まるで醬油で煮染めたかのように汚れて茶色くなること。
将を射んとせば先ず馬を射よ(しょうをいんとせばまずうまをいよ)
目的のものを手に入れるためには、まず目標の周辺のものを手中におさめるのが有効だというたとえ。 敵将を射ようと思うなら、まず敵将の乗っている馬を射止めよという意から。 「将を射んとせば先ず馬を射よ」ともいう。
将を射んと欲すれば先ず馬を射よ(しょうをいんとほっすればまずうまをいよ)
目的のものを手に入れるためには、まず目標の周辺のものを手中におさめるのが有効だというたとえ。 敵将を射ようと思うなら、まず敵将の乗っている馬を射止めよという意から。 「将を射んとせば先ず馬を射よ」ともいう。
小を捨てて大に就く(しょうをすててだいにつく)
小さなものを犠牲にして重要なものを守ること。
升を以て石を量る(しょうをもってこくをはかる)
小人物は、大人物を理解できないということのたとえ。また、小さな基準で大きな物は、はかれないということのたとえ。一升ますで、一石の量を量るという意から。
食が進む(しょくがすすむ)
食欲が増して、たくさん食べられる。
食が細い(しょくがほそい)
多くの量を食べることができないこと。小食であること。
食牛の気(しょくぎゅうのき)
幼い頃から大きな目標を抱いていることのたとえ。虎や豹は、子どもの時から自分より大きな牛を食おうとするほどの激しい気性を持っているという意から。「牛を食らうの気」ともいう。
食言(しょくげん)
前に言ったことと違うことを言ったり、したりすること。嘘をつくこと。 口から出した言葉をもう一度口に入れるという意味から。
食後の一睡、万病円(しょくごのいっすい、まんびょうえん)
食後のひと眠りはからだによいというたとえ。「万病円」は、万病に効果があるといわれる丸薬。
食後の一睡、万病丹(しょくごのいっすい、まんびょうたん)
食後のひと眠りはからだによいというたとえ。「万病丹」は、万病に効果があるといわれる丸薬。
食指が動く(しょくしがうごく)
食欲が起こること。また、何かが欲しいと思ったり、何かをしたい気持ちになること。「食指」は人差し指のことで、中国鄭の子公が自分の人指し指が動くのを見て、ごちそうにありつける前兆であると言ったという故事から。
触手を伸ばす(しょくしゅをのばす)
望むものを手に入れるために働きかけること。
食膳に供する(しょくぜんにきょうする)
料理をして食事として出すこと。
食膳に上る(しょくぜんにのぼる)
食事として出ること。
職人貧乏人宝(しょくにんびんぼうひとだから)
職人は、人の役に立って重宝がられるが、自分は大成せずに貧乏しているということ。
食を願わば器物(しょくをねがわばうつわもの)
物事を行うためには準備の必要があるということ。 食べ物を求めるには入れるための器が必要ということから。
曙光を見出す(しょこうをみいだす)
苦しい状況の中でわずかな希望を見つけること。 「曙光」は夜明けの日の光。
諸式が上がる(しょしきがあがる)
様々なものの値段が上がること。 「諸式」は様々な品物の値段のこと。
初心に返る(しょしんにかえる)
物事を始めようとした時の気持ちを思い出し、その気持ちをもって物事に取り組むこと。
初心忘るべからず(しょしんわするべからず)
ものごとを始めた時の謙虚で真剣な気持ちを忘れてはならないということ。
所帯を畳む(しょたいをたたむ)
一家を構えて生計を立てていた暮らしを止めること。
所帯を持つ(しょたいをもつ)
独立した生計を立てて一家を構えること。 または、結婚して親元を離れて暮らすこと。
蜀犬、日に吠ゆ(しょっけん、ひにほゆ)
無知なために、当たり前のことに疑いを抱いて騒ぎ立てるたとえ。また、見識が狭い人が他人のすぐれた言動を疑って非難するたとえ。 「蜀犬」は、中国の蜀地方の犬のこと。 蜀地方は、山地で雨の降ることが多く、天気の良い日が少ないため、太陽が出ると犬が怪しんで吠えるということから。
背負って立つ(しょってたつ)
組織や団体などの主要な立場になり、全ての責任を負うこと。
初日が出る(しょにちがでる)
相撲で、その場所で負け続けていた力士が初めて勝つこと。
緒に就く(しょにつく)
物事を実際に始めること。または、その物事が順調に進行するようになること。 「諸」は「しょ」とも読む。
枝葉に走る(しようにはしる)
重要でない部分に注力して、本質を見失うこと。
白髪は冥土の使い(しらがはめいどのつかい)
年をとって増えてくる白髪は、死が近づきつつある証拠であるということ。
知らざるを知らずと為せ、是れしるなり(しらざるをしらずとなせ、これしるなり)
知ったふりをしないで、知らない事は知らないと自覚すること、これが本当に知るということであるということ。
知らずば半分値(しらずばはんぶんね)
価値のわからないものは、予想する値の半分ぐらいの値をつければだいたい当たっているということ。
知らずば人に問え(しらずばひとにとえ)
知らない事は、知ったふりをしないで、人に聞いて教えてもらうのがよいということ。
知らずば人真似(しらずばひとまね)
分からないことをする時は、人の真似をするのが無難であるという教え。
白豆腐の拍子木(しらどうふのひょうしぎ)
見かけは立派でも、実際は役に立たないもののたとえ。豆腐で作った拍子木が使えるはずがないことから。
白波(しらなみ)
泥棒・盗賊のこと。中国の後漢末、黄巾の賊の残党が白波谷(はくはこく)に籠もって白波賊(はくはぞく)と呼ばれ、日本でそれを訓読したもの。
知らぬ顔の半兵衛(しらぬかおのはんべえ)
知っているのに知らない振りをすることを「半兵衛」という人名を使って言った言葉。
知らぬ神より馴染みの鬼(しらぬかみよりなじみのおに)
どんな人間でも、よく知らない人より身近な人のほうが頼りになるというたとえ。知らない神様より、よく知っている鬼のほうがいいという意から。「知らぬ仏より馴染みの鬼」ともいう。
知らぬが仏(しらぬがほとけ)
知れば腹も立つが、知らないばかりに仏のように穏やかでいられるということ。また、実態を知らずに平然としている人をあざけっていう言葉。
知らぬ京物語(しらぬきょうものがたり)
実際には見たこともない事を、さも見てきたように話すことのたとえ。また、その話のこと。「見ぬ京の物語」「似ぬ京物語」ともいう。
知らぬ存ぜぬ(しらぬぞんぜぬ)
自分は何一つ知らないということを主張する言葉。
知らぬは亭主ばかりなり(しらぬはていしゅばかりなり)
女房の浮気を周囲の者は知っていて、亭主だけが知らないこと。また、周りの者が皆知っていて、当人だけが知らずに平気でいることのたとえ。
知らぬ仏より馴染みの鬼(しらぬほとけよりなじみのおに)
どんなに善い人でもよく知らない人より身近な人、懇意にしている人のほうが頼りになるというたとえ。知らない仏様より、よく知っている鬼のほうがいいという意から。「知らぬ神より馴染みの鬼」ともいう。
白羽の矢が立つ(しらはのやがたつ)
多くの人の中から特別に選び出されること。人身御供として選んだ少女の家の屋根に、神が人知れずしるしの白羽の矢を立てたという俗説から。
調べがつく(しらべがつく)
詳しく調べて全てわかること。
芝蘭の室に入るが如し(しらんのしつにいるがごとし)
立派な人と交際すると、自然とその人のよい影響を受けるというたとえ。芝と蘭のある部屋に入ると、いつの間にかそのよい香りが身に染みつくという意から。
後足を踏む(しりあしをふむ)
迷って行動できないこと。後退りすること。躊躇う。
尻馬に乗る(しりうまにのる)
深く考えずに、他人の言動に同調して行動することのたとえ。他人の乗っている馬に同乗するという意から。
尻押しをする(しりおしをする)
後ろから手助けすること。または、ある行動をするように仕向けること。けしかけること。 「尻押しをする」ともいう。
尻から抜ける(しりからぬける)
見たり聞いたりしたことをすぐに忘れること。
尻が青い(しりがあおい)
経験が乏しく、一人前ではないこと。未熟であること。 幼児の尻に青い痣があることから。
尻が暖まる(しりがあたたまる)
長い期間同じ場所にいて慣れること。 または、同じ所に長く勤めて落ち着くこと。
尻が重い(しりがおもい)
面倒に思って行動に移せないこと。または、動作が鈍いこと。 「腰が重い」ともいう。
尻が軽い(しりがかるい)
慎重さが足りない行動をする様子。軽率な様子。または、女性が浮気なこと。
尻が来る(しりがくる)
他人のしたことの後始末や苦情が持ち込まれることのたとえ。
尻が長い(しりがながい)
他人の家を訪れて話し込んでなかなか帰らないこと。 「長尻」や「長っ尻」ともいう。
尻が割れる(しりがわれる)
隠し事が露見するたとえ。
尻毛を抜く(しりげをぬく)
油断している時に、不意に物事を行って驚かせること。
知りて知らざれ(しりてしらざれ)
よく知っていても、それを自慢しないほうが奥ゆかしいということ。「知って知らざれ」ともいう。
尻拭いをする(しりぬぐいをする)
他人の失敗や不始末などの後始末をすること。 「尻を拭う」ともいう。
尻の穴が小さい(しりのあながちいさい)
心が狭いこと。度量が狭いこと。 「尻」は「けつ」とも読む。
尻の毛まで抜かれる(しりのけまでぬかれる)
利用されて全て騙し取られること。
尻の持って行き場がない(しりのもっていきばがない)
不平や不満、苦情などを訴える所がないこと。
尻目に掛ける(しりめにかける)
他人を見下す態度を取ること。 「尻目」は目だけを動かして少し見ること。 「尻目」は「後目」とも書く。
後目に掛ける(しりめにかける)
他人を見下す態度を取ること。 「尻目」は目だけを動かして少し見ること。 「尻目」は「後目」とも書く。
尻餅をつく(しりもちをつく)
後向きに倒れて地面に尻を打つこと。
尻も結ばぬ糸(しりもむすばぬいと)
物事の終わりがしっかりしていないこと。 玉留めがされていない縫い糸という意味から。
尻を上げる(しりをあげる)
座っている所から立ち上がること。 または、訪ねている所から帰ろうとすること。
尻を押す(しりをおす)
後ろから手助けすること。または、ある行動をするように仕向けること。けしかけること。 「尻押しをする」ともいう。
尻を落ち着ける(しりをおちつける)
訪問先などに長く留まること。 または、転職や転居などを繰り返していた人が一つの所に長く留まること。 「腰を落ち着ける」ともいう。
尻を絡げる(しりをからげる)
着物の後ろ側の裾をまくり上げ、裾の端の部分を帯に挟むこと。
尻を据える(しりをすえる)
その場所に留まって落ち着いて物事を行うこと。 「腰を据える」ともいう。
尻を叩く(しりをたたく)
物事を行うように励ましたり、促したりすること。
尻を拭う(しりをぬぐう)
他人の失敗や不始末などの後始末をすること。 「尻拭いをする」ともいう。
尻をはしょる(しりをはしょる)
話や文章などの終わりの部分を簡単にすること。
尻を捲る(しりをまくる)
穏やかな態度から急に喧嘩腰な態度を取ること。居直ること。 素行の悪い人が着物の裾をまくって座り込む様子から。 「尻」は「けつ」とも読む。
尻を持ち込む(しりをもちこむ)
面倒な物事の後始末や責任を取るように要求すること。
知る人ぞ知る(しるひとぞしる)
みんなが知っているわけではないが、一部の人にはその存在がよく知られているということ。
知る者は言わず言う者は知らず(しるものはいわずいうものはしらず)
物事を本当に知っている人はむやみに口に出さないが、よく知らぬ者にかぎって軽々しくしゃべるということ。
知る由もない(しるよしもない)
その物事を知るための手がかりや方法が一つもないこと。
汁を吸うても同罪(しるをすうてもどうざい)
悪事に少しでも関わったら同罪だということ。汁を少し吸っても、中身を食べたのと同じだという意から。
白い歯を見せる(しろいはをみせる)
笑った顔を見せること。笑顔を見せること。
白旗を掲げる(しろはたをかかげる)
負けであることを認めること。降参すること。
白星を拾う(しろぼしをひろう)
勝てそうになかった勝負などで、運よく勝利を得ること。
師走女房難つけな(しわすにょうぼうなんつけな)
年の瀬は忙しく、女たちは身なりに構う暇などないので、文句を言ったりするなということ。
吝ん坊と灰吹きは溜まるほど汚い(しわんぼうとはいふきはたまるほどきたない)
けちん坊は、金を貯めれば貯めるほど遣うのが惜しくなり、よけい物惜しみして意地汚くなるということ。「吝ん坊」は、けちん坊。「灰吹き」は煙草の吸殻入れ。
吝ん坊の柿の種(しわんぼうのかきのたね)
けちな人は、どんなつまらない物でも惜しがって手離さないというたとえ。「吝ん坊」は、けちん坊。けちん坊は何の値打ちも無い柿の種さえ惜しがるという意から。
詩を作るより田を作れ(しをつくるよりたをつくれ)
現実の生活に役に立たない風流なことをするより、実益となる仕事をせよというたとえ。腹の足しにもならない詩を作るより、実益のある田んぼを作れということから。
死を視ること帰するが如し(しをみることきするがごとし)
心肝に徹する(しんかんにてっする)
ある出来事や言動などから、強い衝撃を受けて心に刻み込まれること。 「心肝」は心臓と肝臓のことで、転じて、心の奥底という意味。
心肝を砕く(しんかんをくだく)
ある物事について思い悩むこと。あれこれ考えて悩むこと。
心肝を寒からしめる(しんかんをさむからしめる)
心の底から震えるほどに恐れさせること。 「心胆を寒からしめる」ともいう。
新規蒔き直し(しんきまきなおし)
初めからやり直すこと。
心気を燃やす(しんきをもやす)
あれこれと良くないことばかりを想定して心配すること。 「心気を燃やす」とも。
神経が高ぶる(しんけいがたかぶる)
ある物事から刺激を受けて興奮状態になること。
神経が太い(しんけいがふとい)
並大抵のことでは、びくともしない様子。
神経に触る(しんけいにさわる)
不愉快な気持ちを刺激していらだたせること。
神経を使う(しんけいをつかう)
問題が発生しないように細かいところまで気を配ること。
心血を注ぐ(しんけつをそそぐ)
全力で取り組むこと。
辛酸を嘗める(しんさんをなめる)
辛く苦しい目に遭うこと。「辛酸」は、辛い目や苦しい思いのこと。
親炙(しんしゃ)
身首処を異にす(しんしゅところをことにす)
首と体が離れること。首を切られること。 「処」は「所」とも書く。
身首所を異にす(しんしゅところをことにす)
首と体が離れること。首を切られること。 「処」は「所」とも書く。
心証を害する(しんしょうをがいする)
言動が相手に悪い印象を与えること。
身上を潰す(しんしょうをつぶす)
持っている財産の全てを使い果たすこと。
寝食を忘れる(しんしょくをわすれる)
寝ることや食べることを忘れるほどに熱心に取り組むこと。
心中より饅頭(しんじゅうよりまんじゅう)
見栄や体裁よりも、実際の利益を重んじるべきだということ。義理立てして心中するより、饅頭で腹を満たしたほうがいいということから。
信心過ぎて極楽を通り越す(しんじんすぎてごくらくをとおりこす)
信心も度を越すと迷信や邪道に陥ってかえって害になるということ。
信心は徳の余り(しんじんはとくのあまり)
信心は生活にゆとりがあって初めてできるものだということ。
信心も欲から(しんじんもよくから)
信心も、結局はよいご利益を欲するためということ。
薪水の労(しんすいのろう)
炊事などの労働。転じて、人のために骨身を惜しまず働くこと。薪を採り水を汲む苦労の意から。
親戚の泣き寄り(しんせきのなきより)
親戚は普段はあまり関わりがなくても、不幸があると集まって一緒に悲しむということ。 「親は泣き寄り、他人は食い寄り」ともいう。
深窓に育つ(しんそうにそだつ)
良家の女性などが、世間のけがれを知らずに、大切に育てられること。 「深窓」は建物の奥にある部屋。
心臓が強い(しんぞうがつよい)
厚かましいこと。図々しいこと。 または、勇気があること。恐れないこと。
心臓に毛が生えている(しんぞうにけがはえている)
普通では考えられないほどに厚かましく恥知らずな様子。
進退これ谷る(しんたいこれきわまる)
進むことも退くこともできない窮地に追い込まれること。「谷まる」は「窮まる」の意。「進退谷まる」ともいう。
身体髪膚、これを父母に受く(しんたいはっぷ、これをふぼにうく)
人の身体はすべて父母から受けたものであるから、大切にしなければならないということ。後に「敢えて毀傷せざるは孝の始めなり」と続く。
心胆を寒からしめる(しんたんをさむからしめる)
心の底から恐れおののかせること。震え上がらせること。「心胆」は、きもったまの意。 「心肝を寒からしめる」ともいう。
死んだ子の年を数える(しんだこのとしをかぞえる)
言ってもしようのない過去のことを愚痴ったり後悔することのたとえ。死んだ子が、いま生きていると何歳になるだろうと数えるという意から。「死児の齢を数える」ともいう。
死んだ子は賢い(しんだこはかしこい)
死んだしまった子は良い所だけが思い出され、親の記憶の中ではいつまでも賢いということ。
死んだら褒められる(しんだらほめられる)
生前悪評のあった人でも、死んでしまうと懐かしがられ、褒められるようになるということ。
死んでの長者より生きての貧乏(しんでのちょうじゃよりいきてのびんぼう)
死後に金持ちになるより、貧乏でも生きているほうがよいということ。
死んで花実が咲くものか(しんではなみがさくものか)
人間死んでしまえば万事おしまいである。どんな状況にあっても、生きていればこそいいこともあるということ。死んだ木に花が咲いたり実がなったりしないことから。
心頭滅却すれば火もまた涼し(しんとうめっきゃくすればひもまたすずし)
どんな困難でも、精神の持ち方次第で乗り越えられるということ。 「心頭」は、心の中。 心の中から、雑念を消し去り無念無想の境地に至れば、火さえも涼しく感じられるという意から。 武田信玄に仕えた禅僧快川が、甲斐の恵林寺で織田信長の軍勢に攻められ、火中に端座して焼死した時に言ったとされる言葉。
神に入る(しんにいる)
技術などが人間のものとは思えないほどの境地に達すること。
真に迫る(しんにせまる)
表現されたものが現実にあるかのように見えること。または、本物と同じように見えること。
之繞を掛ける(しんにゅうをかける)
程度を甚だしくすること。大袈裟にすること。 「之繞」は漢字の部首の一つ。 「輪を掛ける」ともいう。
真の闇より無闇が怖い(しんのやみよりむやみがこわい)
真っ暗な闇はもちろん怖いが、それよりも無闇やたらに何をしでかすかわからない人間の方がもっと怖いということ。
信は荘厳より起こる(しんはしょうごんよりおこる)
信仰にも見た目や形式が大切であるということ。 または、形式から内容は導き出されるということ。 寺院や神社の美しく飾られた見た目に感動して信仰心は生まれるということから。
親は泣き寄り、他人は食い寄り(しんはなきより、たにんはくいより)
不幸があった時、身内は心から悲しんで集まるが、他人は葬儀のご馳走を目当てに集まるということ。
神仏は見通し(しんぶつはみとおし)
神様は人々のどんなに小さい行為でも見抜いているので誤魔化すことはできないということ。 「神は見通し」ともいう。
心腹に落つ(しんぷくにおつ)
理解・納得できる。 「がてん」は「がってん」とも読む。
心腹の友(しんぷくのとも)
心の内を許し合った最も親しい友人のこと。「心腹」は、胸と腹。転じて、心から頼りにすること。
心腹の病(しんぷくのやまい)
やっかいな敵のこと。「心腹」は胸と腹のことで、胸と腹の病は治しにくいことから。
辛抱する木に金がなる(しんぼうするきにかねがなる)
辛抱強くこつこつ努めれば、いつか成功して財産もできるというたとえ。「木」は「気」にかけて言ったもの。
親身になる(しんみになる)
相手の立場になってものごとを考えること。 また、知識などが身について、その人のためになること。身体のためになること。
信を置く(しんをおく)
信じること。信用すること。
信を問う(しんをとう)
相手に自分のことを信用しているか尋ねること。
シーザーの物はシーザーに(しーざーのものはしーざーに)