娑婆で見た弥次郎とは
娑婆で見た弥次郎
しゃばでみたやじろう
言葉 | 娑婆で見た弥次郎 |
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読み方 | しゃばでみたやじろう |
意味 | 知っている人間に、知らないふりをすることのたとえ。
ある僧侶が佐渡で土中入定(生きたまま土の中に入り仏になること)すると見せかけて、こっそりと抜け出して越後に渡ったところ、知り合いの彌次郎という男に声をかけられてしまった。初めのうちは知らん顔をしていたが、しらを切り通せなくなり「げにもげにもよく思い合はすれば娑婆で見た弥次郎か」と言ったという笑い話に基づくとされる。 「弥次郎」は、「弥三郎」「弥十郎」などともいう。 |
異形 | 娑婆で見た弥三郎(しゃばでみたやさぶろう) |
娑婆で見た弥十郎(しゃばでみたやじゅうろう) | |
場面用途 | 知らないふり |
使用語彙 | 娑婆 |
使用漢字 | 娑 / 婆 / 見 / 弥 / 次 / 郎 / 三 / 十 |
「娑」を含むことわざ
- 娑婆っ気が多い(しゃばっけがおおい)
- 娑婆で見た弥三郎(しゃばでみたやさぶろう)
- 娑婆で見た弥十郎(しゃばでみたやじゅうろう)
- 娑婆で見た弥次郎(しゃばでみたやじろう)
「婆」を含むことわざ
- 娑婆っ気が多い(しゃばっけがおおい)
- 娑婆で見た弥三郎(しゃばでみたやさぶろう)
- 娑婆で見た弥十郎(しゃばでみたやじゅうろう)
- 娑婆で見た弥次郎(しゃばでみたやじろう)
- 老婆心(ろうばしん)
「見」を含むことわざ
- 相手見てからの喧嘩声(あいてみてからのけんかごえ)
- 青菜は男に見せな(あおなはおとこにみせな)
- 青菜は男に見せるな(あおなはおとこにみせるな)
- 足下を見る(あしもとをみる)
- 足元を見る(あしもとをみる)
- 後先見ず(あとさきみず)
- 穴の開くほど見る(あなのあくほどみる)
- 甘く見る(あまくみる)
- いい目を見る(いいめをみる)
- 戦を見て矢を矧ぐ(いくさをみてやをはぐ)
「弥」を含むことわざ
- 阿弥陀の光も金次第(あみだのひかりもかねしだい)
- 阿弥陀の光も銭次第(あみだのひかりもぜにしだい)
- 阿弥陀も銭で光る(あみだもぜにでひかる)
- 金の光は阿弥陀ほど(かねのひかりはあみだほど)
- 下駄も阿弥陀も同じ木の切れ(げたもあみだもおなじきのきれ)
- 沙弥から長老(しゃみからちょうろう)
- 沙弥から長老にはなれぬ(しゃみからちょうろうにはなれぬ)
「次」を含むことわざ
- 阿弥陀の光も金次第(あみだのひかりもかねしだい)
- 阿弥陀の光も銭次第(あみだのひかりもぜにしだい)
- 勝つも負けるも運次第(かつもまけるもうんしだい)
- 蹴る馬も乗り手次第(けるうまものりてしだい)
- 事と次第によっては(こととしだいによっては)
- 地獄の沙汰も金次第(じごくのさたもかねしだい)
- 次郎にも太郎にも足りぬ(じろうにもたろうにもたりぬ)
- 成るも成らぬも金次第(なるもならぬもかねしだい)
- 二の次にする(にのつぎにする)
「郎」を含むことわざ
「三」を含むことわざ
- 商い三年(あきないさんねん)
- 秋の雨が降れば猫の顔が三尺になる(あきのあめがふればねこのかおがさんじゃくになる)
- 顎振り三年(あごふりさんねん)
- 朝起き三両始末五両(あさおきさんりょうしまつごりょう)
- 朝起きは三文の徳(あさおきはさんもんのとく)
- 阿呆の三杯汁(あほうのさんばいじる)
- 雨垂れは三途の川(あまだれはさんずのかわ)
- 家を道端に作れば三年成らず(いえをみちばたにつくればさんねんならず)
- 石の上にも三年(いしのうえにもさんねん)
- 伊勢へ七度、熊野へ三度(いせへななたび、くまのへみたび)