千里の道も一歩からについて

言葉 | 千里の道も一歩から |
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読み方 | せんりのみちもいっぽから |
意味 | どんな遠大な計画も、はじめは身近なことから始まるというたとえ。千里の道のりも踏み出した第一歩からから始まるという意から。「千里の行も足下より始まる」ともいう。 |
出典 | - |
類句 | 遠きに行くは必ず近きよりす(とおきにゆくはかならずちかきよりす) |
高きに登るには低きよりす(たかきにのぼるにはひくきよりす) |
「千」を含むことわざ
悪事、千里を走る(あくじ、せんりをはしる)
悪い行いは、たちまち世間に広まるというたとえ。「悪事、千里を行く」ともいう。
朝起き千両、夜起き百両(あさおきせんりょう、よおきひゃくりょう)
朝早く起きて仕事をするほうが、夜働くより能率が上がり得だということ。 「朝起き千両」とも。
値千金(あたいせんきん)
非常に高い価値のあること。
あの世の千日、この世の一日(あのよのせんにち、このよのいちにち)
あの世の極楽で千日暮らすより、この世で一日でも楽しむほうがよいということ。
一日千秋の思い(いちじつせんしゅうのおもい)
待ち焦がれて、一日が千年もの長さに感じられること。
一髪、千鈞を引く(いっぱつ、せんきんをひく)
非常に危険なことをするたとえ。一本の髪の毛で千鈞の重いものを引っ張るという意から。千鈞は約6.7kgで非常に重いことのたとえ。
「里」を含むことわざ
赤子のうちは七国七里の者に似る(あかごのうちはななくにななさとのものににる)
赤ん坊ははっきりした特長がないので、似てると思って見ればあちこちの誰にでも似て見えるということ。「七国七里」は諸所方々のこと。
悪事、千里を走る(あくじ、せんりをはしる)
悪い行いは、たちまち世間に広まるというたとえ。「悪事、千里を行く」ともいう。
朝茶は七里帰っても飲め(あさちゃはしちりかえってものめ)
朝の茶は一日の災難よけなので、飲み忘れて旅立ちしたら、たとえ七里の道を戻ってでも飲むべきだということ。
牛も千里馬も千里(うしもせんりうまもせんり)
早い遅い、上手い下手の違いがあっても結局は同じところに到達するというたとえ。牛がゆっくりと歩いても馬が早く走っても千里の道のりはやはり千里で、同じ目的地に着くことから。
縁あれば千里(えんあればせんり)
縁があれば千里も離れた所の人と会うこともあるし、結ばれることもあるということ。「縁あれば千里を隔てても会い易し、縁なければ面を対しても見え難し」を略した言葉。
お里が知れる(おさとがしれる)
言葉遣いや立ち居振る舞いから、その人の生まれや育ちがわかるということ。 よくない意味で用いられる。
「道」を含むことわざ
朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり(あしたにみちをきかばゆうべにしすともかなり)
朝に人の生きるべき道を悟ることができれば、その夕方に死んだとしてもかまわないということ。
家を道端に作れば三年成らず(いえをみちばたにつくればさんねんならず)
他人の助言をいちいち聞いていると、何事もやり遂げることが出来ないというたとえ。 道に面した場所に家を建てようとすると、口出しをする人が多くてなかなか出来上がらないという意から。
意志のある所には道がある(いしのあるところにはみちがある)
実現しようという意志があれば、できないことはないというたとえ。
鼬の道切り(いたちのみちきり)
交際や音信が途絶えることのたとえ。鼬(イタチ)は一度通った道は二度と通らないといわれていることから。「鼬の道」ともいう。
一芸は道に通ずる(いちげいはみちにつうずる)
一芸を極めた人は、他のどんな分野においても人にぬきんでることができるということ。
茨の道(いばらのみち)
苦難の多い人生のたとえ。 茨の生えている道の意から。
「一」を含むことわざ
悪は一旦の事なり(あくはいったんのことなり)
一時的にうまくいっても悪は長続きせず、結局は正義に勝てないということ。
朝顔の花一時(あさがおのはないっとき)
物事の盛りが短く、はかないことのたとえ。朝咲いた朝顔の花が昼を待たずにしぼんでしまうことから。
朝の一時は晩の二時に当たる(あさのひとときはばんのふたときにあたる)
朝は仕事がはかどるので、なるべく早く起きて働けということ。「一時」は昔の時刻の数え方で、約二時間。「二時」はその倍の約四時間で、朝の仕事は夜の仕事の二倍に相当するという意から。
薊の花も一盛り(あざみのはなもひとさかり)
誰でも年ごろになると、それなりの魅力が出てくるということ。あまり好まれない薊の花も、美しい時期があるという意から。
あの世の千日、この世の一日(あのよのせんにち、このよのいちにち)
あの世の極楽で千日暮らすより、この世で一日でも楽しむほうがよいということ。
危ない橋も一度は渡れ(あぶないはしもいちどはわたれ)
安全な方策ばかりとっていたのでは、成功することはできない。時には危険を冒してやってみるのも必要だということ。
「歩」を含むことわざ
歩く足には塵が付く(あるくあしにはちりがつく)
どんなことでも何かをすれば必ず煩わしいことが起きる。だから何もせずにじっとしているのにかぎるということ。「歩くあしには泥が付く」ともいう。
一歩譲る(いっぽゆずる)
能力などが、相手より一段階劣ること。 また、自分の主張を少し抑えて、相手の意見を聞き入れること。
犬も歩けば棒に当たる(いぬもあるけばぼうにあたる)
何かしようとすれば、災難に遭いやすいというたとえ。また、何かをやっているうちに思わぬ幸運にめぐりあうことのたとえ。犬もあちこち歩きまわるから、人間の振り回す棒に当たる羽目になるという意から。本来は出しゃばると思わぬ災難に遭う意だったが、現在は幸運にめぐりあうという意で使われることが多い。江戸いろはがるたの一つ。
牛の歩み(うしのあゆみ)
ゆっくりと歩く牛のように、ものごとの進み方が遅いことのたとえ。
蟹を縦に歩かせることはできない(かにをたてにあるかせることはできない)
横に歩く蟹を縦に歩かせるのは無理なように、生まれつきの性格は変えられないということ。
邯鄲の歩み(かんたんのあゆみ)
むやみに人の真似をしていると、自分本来のものも忘れて、どちらも失うことのたとえ。 中国燕の青年が、趙の都邯鄲で都会風の歩き方を習おうとしたが、習得できないばかりか故国の歩き方まで忘れてしまい、這って故郷へ帰ったという故事から。