「一」を含む故事・ことわざ・慣用句
「一」を含む故事・ことわざ・慣用句の一覧です(五十音順)。
悪は一旦の事なり(あくはいったんのことなり)
一時的にうまくいっても悪は長続きせず、結局は正義に勝てないということ。
朝顔の花一時(あさがおのはないっとき)
物事の盛りが短く、はかないことのたとえ。朝咲いた朝顔の花が昼を待たずにしぼんでしまうことから。
朝の一時は晩の二時に当たる(あさのひとときはばんのふたときにあたる)
朝は仕事がはかどるので、なるべく早く起きて働けということ。「一時」は昔の時刻の数え方で、約二時間。「二時」はその倍の約四時間で、朝の仕事は夜の仕事の二倍に相当するという意から。
薊の花も一盛り(あざみのはなもひとさかり)
誰でも年ごろになると、それなりの魅力が出てくるということ。あまり好まれない薊の花も、美しい時期があるという意から。
あの世の千日、この世の一日(あのよのせんにち、このよのいちにち)
あの世の極楽で千日暮らすより、この世で一日でも楽しむほうがよいということ。
危ない橋も一度は渡れ(あぶないはしもいちどはわたれ)
安全な方策ばかりとっていたのでは、成功することはできない。時には危険を冒してやってみるのも必要だということ。
粟一粒は汗一粒(あわひとつぶはあせひとつぶ)
粟一粒の収穫には、農民の汗一粒が流されているという農家の苦労をいう言葉。
板子一枚下は地獄(いたごいちまいしたはじごく)
船乗りという仕事の危険なことのたとえ。「板子」は和船の底に敷く板。その板の下は、落ちれば死につながる恐ろしい海だということから。
一瓜実に二丸顔(いちうりざねににまるがお)
女性の顔立ちで、一番良いのはやや細長く白い瓜実顔、二番目は愛嬌のある丸顔だということ。その後に「三平顔に四長顔、五まで下がった馬面顔」と続く。
一応も二応も(いちおうもにおうも)
一度だけでなく二度も。繰り返し念入りに。
一押し、二金、三男(いちおし、にかね、さんおとこ)
女性をくどくには、第一が押しの強さ、二番目が金の力、男ぶりのよさは三番目だということ。
一か八か(いちかばちか)
運を天に任せて思い切ってやってみること。
一髪、二化粧、三衣装(いちかみ、にけしょう、さんいしょう)
女性を美しく見せるのは、第一は髪かたちの美しさ、二番目は化粧、三番目が衣装だということ。
一から十まで(いちからじゅうまで)
最初から最後まで。何から何まで。すべて。
一議に及ばず(いちぎにおよばず)
わざわざ議論する必要もない。
一工面、二働き(いちくめん、にはたらき)
世渡り上手は金の工面をする才覚が第一で、勤勉に働くのはその次だということ。
一芸は道に通ずる(いちげいはみちにつうずる)
一芸を極めた人は、他のどんな分野においても人にぬきんでることができるということ。
一合取っても武士は武士(いちごうとってもぶしはぶし)
たとえ貧しくても男には男の誇りと本分があるということ。禄高がたとえ一合でも武士にかわりはないということから。
一言もない(いちごんもない)
ひと言も弁解や反論出来ない。
一事が万事(いちじがばんじ)
一つの事を見るだけで他のすべての事を推察できるということ。
一日千秋の思い(いちじつせんしゅうのおもい)
待ち焦がれて、一日が千年もの長さに感じられること。
一日の計は朝にあり(いちじつのけいはあしたにあり)
一日の計画は朝のうちに立てるべきであるということ。何事も最初が肝心であるというたとえ。
一日の計は晨にあり(いちじつのけいはあしたにあり)
一日の計画は朝のうちに立てるべきであるということ。何事も最初が肝心であるというたとえ。
一日の計は朝にあり、一年の計は元旦にあり(いちじつのけいはあしたにあり、いちねんのけいはがんたんにあり)
一日の計画は朝のうちに立て、一年の計画は元旦に立てよということ。
一日の長(いちじつのちょう)
経験・知識が他の人より少しだけ優れていること。その人より一日分年長であるという意から。
一日再び晨なり難し(いちじつふたたびあしたなりがたし)
一日に二度朝が来ることがない。だから時間を大切にして勉学に励めという戒めのことば。「晨」は朝の意。
一字の師(いちじのし)
詩文などの適切でない点を訂正してくれた師のこと。中国唐の時代、斉己の「数枝開く」という詩句を「一枝開く」と一字改めた鄭谷を「一字の師」と呼んだという故事から。
一樹の陰一河の流れも他生の縁(いちじゅのかげいちがのながれもたしょうのえん)
この世で起こるすべての出来事は、みな前世からの因縁によるということ。一本の木の陰でともに雨宿りし、同じ流れの水を飲むのも、すべてめぐり合わせによるということから。「一河の流れを汲むも他生の縁」ともいう。
一場の春夢(いちじょうのしゅんむ)
人生の栄光や繁栄は、きわめて儚いということ。 「一場」は、ほんの短い間。 春の夜にみる夢のように、すぐに消えてしまうということから。
一段落つく(いちだんらくつく)
物事がひと区切りつく。ひとまず片付く。
一度あることは二度ある(いちどあることはにどある)
一度起きたことは、後でまた同じようなことが起こりやすいので注意せよということ。この後に続けて「二度あることは三度ある」ともいう。
一堂に会する(いちどうにかいする)
一つの場所に集まること。
一度死ねば二度死なぬ(いちどしねばにどしなぬ)
人間死ぬのは一度きりと、事に当たる時決死の覚悟を決めて自分自身に言い聞かせることば。
一度はままよ二度はよし(いちどはままよにどはよし)
悪事を行うとき、最初は良心がとがめながら、なるようになれという気で行うが、二度目からはなんとも思わなくなり平気でのめりこんでいくということ。
一度焼けた山は二度は焼けぬ(いちどやけたやまはにどはやけぬ)
一度災いに遭うと二度と同じ災いに遭うことはないと、災難に遭った人を慰めて言うことば。
一難去ってまた一難(いちなんさってまたいちなん)
災難が次々と襲ってくるたとえ。
一に看病、二に薬(いちにかんびょう、ににくすり)
病気を治すためには、まず第一に行き届いた看病が重要で、薬はその次であるということ。
一日暖めて十日冷やす(いちにちあたためてとおかひやす)
一日だけ努力してあとの十日は怠ける、努力するよりも怠けることのほうが多いことのたとえ。 植物を育てる時に、一日日光にさらして暖めたかと思うと、十日は暖めずに冷やしてしまうという意から。
一日一字を学べば三百六十字(いちにちいちじをまなべばさんびゃくろくじゅうじ)
毎日少しずつでも怠らずに勉強を続ければ、積もり積もって大きな成果が得られるというたとえ。
一日の計は朝にあり(いちにちのけいはあさにあり)
一日の計画は朝のうちに立てるべきであるということ。何事も最初が肝心であるというたとえ。
一日の計は朝にあり一年の計は元旦にあり(いちにちのけいはあさにありいちねんのけいはがんたんにあり)
一日の計画は朝のうちに立て、一年の計画は元旦に立てよということ。
一日の計は晨にあり一年の計は元旦にあり(いちにちのけいはあしたにありいちねんのけいはがんたんにあり)
一日の計画は朝のうちに立て、一年の計画は元旦に立てよということ。
一に褒められ二に憎まれ三に惚れられ四に風邪ひく(いちにほめられにににくまれさんにほれられしにかぜひく)
くしゃみについてのことわざ。一回なら誰かに褒められているし、二回は憎まれていて、三回は惚れられているが、四回は風邪をひく前兆である。
一にも二にも(いちにもににも)
他の何よりも、そのことに専念すること。何はさておき。
一二を争う(いちにをあらそう)
一番になるか二番になるかを競い合う。首位をあらそう。
一人虚を伝うれば万人実を伝う(いちにんきょをつたうればばんにんじつをつたう)
一人がでたらめを伝えれば、大勢の人が次々にそれを言いふらして事実にしてしまうということ。
一念、天に通ず(いちねん、てんにつうず)
成し遂げようとする強い信念があれば、その意志は天に通じ必ず成就するということ。
一年の計は元旦にあり(いちねんのけいはがんたんにあり)
一年の計画は元旦に立てるべきであるということ。何事も最初が肝心であるというたとえ。
一の裏は六(いちのうらはろく)
悪いことの後には必ずいいことがあるというたとえ。さいころの一の裏は六であることから。
一番風呂は馬鹿が入る(いちばんぶろはばかがはいる)
沸かしたてのお湯はきめが粗くて刺激が強く体によくないということ。
一引き、二才、三学問(いちひき、にさい、さんがくもん)
出世の条件は、第一に上のひとの引き立て、二番目は才能、三番目が学問であるということ。
一姫二太郎(いちひめにたろう)
最初の子は女の子の方が育てやすく、二番目は男の子がいいということ。
一富士、二鷹、三茄子(いちふじ、にたか、さんなすび)
初夢に見ると縁起がいいとされるものを順に並べたことば。
一木大廈の崩るるを支うる能わず(いちぼくたいかのくずるるをささうるあたわず)
大きな組織などが傾きかけている時は、一人の力では支えることが出来ないというたとえ。 「大廈」は、大きな建物のこと。 大きな建物が倒れるのを、一本の木だけで支えることは出来ないという意から。
一枚噛む(いちまいかむ)
ある事柄に関係し、何らかの役割を果たす。
一枚嚙む(いちまいかむ)
ある事柄に関係し、何らかの役割を果たす。
一枚の紙にも裏表(いちまいのかみにもうらおもて)
紙にも裏表があるように何事にも裏表があるということ。
一抹の不安(いちまつのふあん)
ほんの少し、気がかりなことがある。 「一抹」は、絵筆のひとはけの意。
一脈相通ずる(いちみゃくあいつうずる)
ちょっと見ただけではかけ離れているように見えるものの間にも、何かしら共通点があるということ。
一脈通ずる(いちみゃくつうずる)
ちょっと見ただけではかけ離れているように見えるものの間にも、何かしら共通点があるということ。
一命を取り止める(いちめいをとりとめる)
あやうく死にそうなところで、かろうじて生き延びられる。
一目置く(いちもくおく)
相手が自分よりすぐれていると認めて、敬意を払い一歩譲るたとえ。
一も取らず二も取らず(いちもとらずにもとらず)
二つのものを同時に得ようとすると、結局どちらも手に入らなくなることのたとえ。
一も二もない(いちもにもない)
あれこれ言うまでもなく、すぐさま。
一も二もなく(いちもにもなく)
あれこれ言うまでもなく、すぐさま。
一文惜しみの百知らず(いちもんおしみのひゃくしらず)
目先の損得にとらわれて、あとで大損することに気づかない愚かさを嘲笑するたとえ。たった一文惜しんだために、あとで百文もの損失を招く意から。
一文にもならない(いちもんにもならない)
苦労をしても、何の得にもならない。 「一文」は、江戸時代の少額の貨幣単位でわずかな金のこと。 「一文の得にもならない」とも。
一葉落ちて天下の秋を知る(いちようおちててんかのあきをしる)
わずかな前兆を見て、その後の大事を予知するたとえ。
一翼を担う(いちよくをになう)
全体の中で、一つの大事な役割を受け持つ。
一輪咲いても花は花(いちりんさいてもはなははな)
たとえ小さく目立たない存在でも、その存在自身には何ら変わりはないということ。
一を聞いて十を知る(いちをきいてじゅうをしる)
わずかなことを聞いただけで全体を知得すること。頭の回転が速く理解力があるたとえ。
一を識りて二を知らず(いちをしりてにをしらず)
知識が浅く応用力がないこと。一つのことだけ知って、それ以外のことには知識がない意から。
一家言(いっかげん)
その人だけが持つ主張や論説。
一家の言を成す(いっかのげんをなす)
その人独特の主張や学説を打ち立てること。「一家言を成す」ともいう。「一家言」は、独自の意見や主張のこと。
一家を機杼す(いっかをきちょす)
機(はた)を織っていろいろな模様を織り出すように、独自の言論や文章を作り出して一派を立てること。 「機杼」は、機織りの時、横糸を通す道具。
一家を成す(いっかをなす)
家庭を持つ。また、学問や芸術の分野で権威となる。
一巻の終わり(いっかんのおわり)
続いてきた物事がすべて終わり、手遅れであること。また、死ぬこと。 一巻の物語が終了するという意から。
一掬の涙(いっきくのなみだ)
両手ですくうほどの涙。 または、ほんのわずかな涙の意でも用いる。
一簣の功(いっきのこう)
仕事を完遂する間際の、最後のひと踏ん張りのこと。 または、仕事を完成させるために積み重ねる一つ一つの努力と、その大切さのこと。 「簣」は、土を入れて運ぶ道具。もっこ。 「一簣」は、もっこ一杯の土のこと。 「九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に虧(か)く」による。 九仞の高さの山を作るにも、最後のもっこ一杯の土を盛らずに止めてしまえば山は完成しないとの意から。
一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)
わずかな労力のこと。また、細かい一つ一つの動作や行動のこと。一度手を挙げ、一度足を動かすという意から。
一計を案じる(いっけいをあんじる)
目的を達成するため、計略を思いめぐらすこと。
一見、旧の如し(いっけん、きゅうのごとし)
一度会っただけで、古くからの友達のように親しくなること。「一見」は一度会う、「旧」は以前からの知り合いの意。
一犬影に吠ゆれば百犬声に吠ゆ(いっけんかげにほゆればひゃっけんこえにほゆ)
一人がいいかげんなこと言い出すと、世間の多くの人がそれを真実として広めてしまうことのたとえ。 一匹の犬が何かの影を見て吠え出すと、辺りの百匹の犬がそれにつられて吠え出すという意から。 「影に」は「形に」「虚を」、「百犬」は「千犬」「万犬」、「声に吠ゆ」は「実を伝う」「虚を伝う」「実に吠ゆる」などと多くの表現がある。
一考を要する(いっこうをようする)
慎重に考えてみる必要がある。
一国一城の主(いっこくいちじょうのあるじ)
他からの援助や指図を受けず、独立している人のたとえ。 一つの国、一つの城を領有している人の意から。
一刻を争う(いっこくをあらそう)
わずかな時間も無駄にできないほど、差し迫った状態にある。急を要する。
一顧だにしない(いっこだにしない)
まったく気にとめない。少しも考えようとしない。 「一顧」は、ちょっと振り返ってみること。
一札入れる(いっさついれる)
約束や謝罪などの文書を相手に差し出すこと。
一札を入れる(いっさつをいれる)
約束や謝罪などの文書を相手に差し出すこと。
一粲を博す(いっさんをはくす)
お笑いぐさになるという意で、自分の詩や文章が人に読まれることを謙遜していう言葉。「粲」は、白い歯を出して笑うこと。「一粲」は、ひと笑いのこと。
一糸纏わず(いっしまとわず)
衣類を何も身に付けていない。素っ裸である。
一糸乱れず(いっしみだれず)
整然としていて、少しの乱れもない。
一糸も纏わない(いっしもまとわない)
衣類を何も身に付けていない。素っ裸である。
一糸も乱れない(いっしもみだれない)
整然としていて、少しの乱れもない。
一将功成りて万骨枯る(いっしょうこうなりてばんこつかる)
輝かしい功績をあげた人の陰には、多くの人の努力や苦労があるというたとえ。指導者だけが功名を得るのを嘆く言葉。 一人の将軍が輝かしい功名をあげた陰には、犠牲となった一万人もの兵士の骨が戦場にさらされているという意から。
一生添うとは男の習い(いっしょうそうとはおとこのならい)
一生君を愛して離さない、というのは男が女を口説くときの決まり文句であるということ。
一升徳利こけても三分(いっしょうどっくりこけてもさんぶ)
元手が多ければ、多少損をしても平気だというたとえ。一升徳利が倒れて中身がこぼれても、三分(三合)くらいは残っているという意から。
一升徳利に二升は入らぬ(いっしょうどっくりににしょうははいらぬ)
ものには限界があり、それ以上を望んでも無理だということ。一升入りの徳利に二升は入らないという意から。
一笑に付す(いっしょうにふす)
ただ笑って、まったく問題にしない。
一笑に付する(いっしょうにふする)
ただ笑って、まったく問題にしない。
一生の不作(いっしょうのふさく)
生涯にかかわるような失敗。取り返しがつかないほどの失敗。
一升の餅に五升の取り粉(いっしょうのもちにごしょうのとりこ)
主なものより、それに付随するもののほうが多くなるということのたとえ。「取り粉」は、つきたての餅に付ける粉。一升の餅をつくためには五升の取り粉が必要になるという意から。
一升入る壺(いっしょうはいるつぼ)
一升入りの容器には、どうやっても一升しか入らないということ。物にはそれそれの限度があることのたとえ。
一升入る壺は一升(いっしょうはいるつぼはいっしょう)
一升入りの容器には、どうやっても一升しか入らないということ。物にはそれそれの限度があることのたとえ。
一笑を買う(いっしょうをかう)
周囲の人から笑いものにされること。
一指を染める(いっしをそめる)
ある物事に、ほんの少し関わる。
一矢を報いる(いっしをむくいる)
相手の攻撃に対して反撃すること。「一矢」は、一本の矢。自分への攻撃に対して一本の矢を射返して報復するということから。
一心岩を通す(いっしんいわをとおす)
不可能と思われることでも、心を集中させて専念すれば成し遂げられるというたとえ。
一心岩をも通す(いっしんいわをもとおす)
不可能と思われることでも、心を集中させて専念すれば成し遂げられるというたとえ。
一炊の夢(いっすいのゆめ)
人生の栄枯盛衰のはかなさのたとえ。 昔、中国の邯鄲(かんたん)で盧生という青年が、道士から枕を借りて眠った。夢の中で、出世して財力や権力を手に入れるという長い人生の経験をしたが、目覚めてみると炊きかけの粥がまだ煮えきらない短い時間であったという故事から。 「邯鄲の枕」「邯鄲の夢」「一炊の夢」「盧生の夢」「黄粱の夢」「黄粱の一炊」「黄粱一炊の夢」など多くの呼び方がある。
一寸先は闇(いっすんさきはやみ)
一寸先が真っ暗で何も見えないように、少し先の未来にすらどんな運命が待ち受けているのか、まったく予測ができないことのたとえ。
一寸の光陰軽んずべからず(いっすんのこういんかろんずべからず)
ほんのわずかな時間でも無駄にしてはいけないということ。「光陰」は月日、時間の意。
一寸延びれば尋延びる(いっすんのびればひろのびる)
当座の困難を切り抜ければ、先々楽になるということのたとえ。「一寸」は約3センチ、「一尋」は約180センチ。今、一寸延ばすことが出来れば、先々一尋延びるのと同じ結果になるという意から。「一寸延びれば尋」「一寸延びれば尺」ともいう。
一寸の虫にも五分の魂(いっすんのむしにもごぶのたましい)
どんなに小さくて弱いものにも、それ相応の意地や考えがあるので侮ってはいけないということのたとえ。わずか一寸の虫でもからだ半分の五分の魂があるという意から。
一世を風靡する(いっせいをふうびする)
その時代の人々を、一つの傾向に従わせること。また、その時代に大きな影響を与えること。
一隻眼(いっせきがん)
ものの本質を見抜く優れた眼識。
一席打つ(いっせきぶつ)
大勢の前で威勢よく演説をする。得意げに話をする。
一席設ける(いっせきもうける)
宴席を用意して人をもてなすこと。
一石を投じる(いっせきをとうじる)
平穏なところに反響を呼ぶような問題を投げかけること。静かな水面に石を一つ投げると波紋が生じるところから。
一戦に及ぶ(いっせんにおよぶ)
決着をつけるために、ひと勝負する。
一線を画す(いっせんをかくす)
はっきり区別し、けじめをつけること。
一線を画する(いっせんをかくする)
はっきり区別し、けじめをつけること。
一戦を交える(いっせんをまじえる)
ひと勝負する。一度たたかう。
一銭を笑う者は一銭に泣く(いっせんをわらうものはいっせんになく)
わずかな金銭を粗末に扱うものは、いつかそのわずかな金銭に泣くはめになる。たとえわずかな金額でも大事にしなければならないという戒めのことば。
一旦緩急あれば(いったんかんきゅうあれば)
ひとたび大事が起きた時には、という意味。「一旦」はひとたび、「緩急」は差し迫った場合という意。
一箪の食、一瓢の飲(いったんのし、いっぴょうのいん)
わずかな飲食物のこと。また、清貧に甘んじるくらしのたとえ。「箪」は竹製の食器、「瓢」は飲み物を入れるひさご。食器一杯の食べ物と、ひさご一杯の飲み物という意から。
一籌を輸する(いっちゅうをしゅする)
わずかに負ける。ちょっと劣る。 「籌」は、勝負の点数を数える竹の棒。 「輸する」は、負けるの意。 勝負で相手に籌一本分負けるということから。
一籌を輸す(いっちゅうをゆす)
わずかに負ける。ちょっと劣る。 「籌」は、勝負の点数を数える竹の棒。 「輸する」は、負けるの意。 勝負で相手に籌一本分負けるということから。
一籌を輸する(いっちゅうをゆする)
わずかに負ける。ちょっと劣る。 「籌」は、勝負の点数を数える竹の棒。 「輸する」は、負けるの意。 勝負で相手に籌一本分負けるということから。
一朝の怒りに一生を過つ(いっちょうのいかりにいっしょうをあやまつ)
一時的な怒りのために我を忘れて行動すること。 また、そのような行動は身を滅ぼすことになるという戒め。 「一朝の怒りに一生を過つ」とも。
一朝の怒りにその身を忘る(いっちょうのいかりにそのみをわする)
一時的な怒りのために我を忘れて行動すること。 また、そのような行動は身を滅ぼすことになるという戒め。 「一朝の怒りに一生を過つ」とも。
一張羅(いっちょうら)
持っている衣服のなかで、一枚しかない上等のもの。また、着替えのないたった一枚きりの衣服のこと。「張」は数え方の語で「羅」は薄絹のことで、たった一枚の薄絹という意から。
一丁字を知らず(いっていじをしらず)
無学でまったく字が読めないこと。「一丁字」は一個の文字のことで、文字を一字も知らないという意から。丁は个(か)の誤り。个は個・箇の意。
一丁字を識らず(いっていじをしらず)
無学でまったく字が読めないこと。「一丁字」は一個の文字のことで、文字を一字も知らないという意から。丁は个(か)の誤り。个は個・箇の意。
一擲乾坤を賭す(いってきけんこんをとす)
運命を賭けて大勝負に出ること。「乾」は天、「坤」は地、「一擲」はさいころを投げること。さいころを投げて天が出るか地が出るかの勝負をするという意から。「乾坤一擲」ともいう。
一点張り(いってんばり)
一つのことだけを押し通すこと。 博打で、一か所だけに金を賭け続けるとの意から。
一天万乗の君(いってんばんじょうのきみ)
天下を治める天子のこと。 「一天」は天下、「万乗」は兵車一万台。 中国の周代、天子は戦時に兵車一万台を徴発できる制度だったことから。 「万乗の君」ともいう。
一頭地を抜く(いっとうちをぬく)
他の人より一段と優れていること。「一頭地」の「一頭」は頭一つ分の意で、「地」は助辞で意味はない。人より頭一つ分抜きん出ているという意から。
一時違えば三里の遅れ(いっときちがえばさんりのおくれ)
少しの間でもぐずぐずしていると、たちまち大きな差が開くということ。 「一時」は約二時間、「三里」は約十二キロメートル。 一時遅れると、旅程に三里の遅れが出るという意から。 「一時三里」ともいう。
一途を辿る(いっとをたどる)
ひたすらその方向へ向かって進み続ける。 「一途」は、ひと筋の道。
一敗、地に塗る(いっぱい、ちにまみる)
二度と立ち上がることができないほど大敗してしまうこと。 「地に塗れる」とは、地面に散らばった戦死者の内臓が泥まみれになるという意から。 「一敗、地に塗る(いっぱい、ちにまみる)」とも。
一敗、地に塗れる(いっぱい、ちにまみれる)
二度と立ち上がることができないほど大敗してしまうこと。 「地に塗れる」とは、地面に散らばった戦死者の内臓が泥まみれになるという意から。 「一敗、地に塗る(いっぱい、ちにまみる)」とも。
一杯食う(いっぱいくう)
すっかりだまされる。たくらみに引っかかる。
一杯食らう(いっぱいくらう)
すっかりだまされる。たくらみに引っかかる。
一杯食わされる(いっぱいくわされる)
すっかりだまされる。たくらみに引っかかる。
一杯食わす(いっぱいくわす)
まんまと人をだます。うまくだます。
一杯は人酒を飲む、二杯は酒酒を飲む、三杯は酒人を飲む(いっぱいはひとさけをのむ、にはいはさけさけをのむ、さんばいはさけひとをのむ)
多量に酒を飲むことを戒めた言葉。 酒も少量のうちはよいが、多量になると自制心をなくし、しまいには人が酒に飲まれ乱れてしまうということ。
一髪、千鈞を引く(いっぱつ、せんきんをひく)
非常に危険なことをするたとえ。一本の髪の毛で千鈞の重いものを引っ張るという意から。千鈞は約6.7kgで非常に重いことのたとえ。
一発嚙ます(いっぱつかます)
相手の気勢をそぐために、あらかじめ威嚇する。
一波纔かに動いて万波随う(いっぱわずかにうごいてまんぱしたがう)
一つの小さな事件の影響が、いろいろな方面に及ぶことのたとえ。 波が一つ起きると、そこからたくさんの波が続いて起きるということから。
一斑を見て全豹を卜す(いっぱんをみてぜんぴょうをぼくす)
物事の一部分だけを見て、全体を推し量ることのたとえ。「斑」はまだら模様、「卜」は占う意。皮にある一つの斑模様を見て、豹の皮だと知るという意から。
一匹の馬が狂えば千匹の馬も狂う(いっぴきのうまがくるえばせんびきのうまもくるう)
一人の行いが、他の人をも駆り立ててしまうたとえ。群集が付和雷同しやすいことのたとえ。群れの中の一匹の馬が異常な行動をして騒ぎ出せば、群れ全体が巻き込まれて騒ぎ出すという意から。
一筆入れる(いっぴついれる)
後の証拠となるように、文書を作成する。
一臂の力を仮す(いっぴのちからをかす)
わずかな力を貸すこと。「一臂」は片方の肘のこと。転じて、わずかな力の意。「仮す」は貸す意。
一夫関に当たれば万夫も開くなし(いっぷかんにあたればばんぷもひらくなし)
地形がきわめて険しく、守備が固い場所のこと。 たった一人が関所を守っていれば、万人の兵が攻めても突破できないという意から。
一服の清涼剤(いっぷくのせいりょうざい)
さわやかな気分にさせる事柄。
一服盛る(いっぷくもる)
人を殺すために、ひそかに毒薬を飲ませる。 「一服」は、粉薬一回分。
一辺倒(いっぺんとう)
あるひとつのものだけに偏ること。毛沢東の論文で使われ日本でも流行した語。
一歩譲る(いっぽゆずる)
能力などが、相手より一段階劣ること。 また、自分の主張を少し抑えて、相手の意見を聞き入れること。
一歩を踏み出す(いっぽをふみだす)
(目的や目標に向けて)新しいことを始める。着手する。
一歩を譲る(いっぽをゆずる)
能力などが、相手より一段階劣ること。 また、自分の主張を少し抑えて、相手の意見を聞き入れること。
一本取られる(いっぽんとられる)
相手にやり込められる。議論で、言い負かされる。 「一本」は、柔道や剣道などで一つ技が決まること。 「一本参る」とも。
一本取る(いっぽんとる)
剣道や柔道などで技が決まる。 議論などで言い負かす。相手をやり込める。
一本参る(いっぽんまいる)
相手にやり込められる。議論で、言い負かされる。 「一本」は、柔道や剣道などで一つ技が決まること。
一本槍(いっぽんやり)
一つの方法や姿勢を終始押し通すこと。 また、一本の槍だけで勝負を決めること。
犬一代に狸一匹(いぬいちだいにたぬきいっぴき)
めったにない大きなチャンスのたとえ。犬が狸のような大物を捕らえるのは一生に一度あるかどうかということから。
いの一番(いのいちばん)
真っ先。一番目。 「い」は「いろは」の一番目の文字であることから。
牛の一散(うしのいっさん)
日頃は決断の遅い人が、深く考えもせずむやみに行動することのたとえ。 歩みののろい牛が、何かのはずみで一目散に走り出すことから。
後ろ千両前一文(うしろせんりょうまえいちもん)
後ろ姿はとても美しいのに、前から見ると全然美しくないこと。
打って一丸となる(うっていちがんとなる)
すべての関係者が心を一つにして事に当たる。一致団結する。
産屋の風邪は一生つく(うぶやのかぜはいっしょうつく)
梅一輪一輪ずつの暖かさ(うめいちりんいちりんずつのあたたかさ)
運用の妙は一心に存す(うんようのみょうはいっしんにそんす)
何事もその機能をうまく活用するためには、それを用いる人の心ひとつにかかるということ。
お家の一大事(おいえのいちだいじ)
他人の家に起こった出来事を冗談めかしたり、皮肉ったりして大げさにいう時に使う言葉。 主君の家に起こった重大な事件との意から。
老いの一徹(おいのいってつ)
自分の意見や意向を押し通そうとする、老人の頑固な気質のこと。「一徹」は頑固の意。
起きて半畳、寝て一畳(おきてはんじょう、ねていちじょう)
人間は必要以上の豊かさをもとめても仕方ないということ。どんなに大きな家に住んでいようと、人一人が必要とする広さは、起きている時は半畳、寝る時も一畳あればすむということから。
押しの一手(おしのいって)
目的を達成するために、ただひたすらに突き進んでいくさま。
一昨日来い(おとといこい)
二度と来るな。 相手をののしって追い払うときの言葉。
思う事一つ叶えばまた一つ(おもうことひとつかなえばまたひとつ)
欲望には限りがないということ。一つ望みが叶うと、すぐにまた次を望む意から。
親子は一世(おやこはいっせ)
親子の関係は現世だけのものであるということ。 「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世」と続けても言う。
親子は一世、夫婦は二世、主従は三世(おやこはいっせ、ふうふはにせ、しゅじゅうはさんせ)
親子の関係は現世だけのものであり、夫婦は前世と現世または現世と来世の二世に渡る。主従関係は、前世・現世・来世の三世にまたがるほど深いということ。
親の意見と茄子の花は千に一つも無駄はない(おやのいけんとなすびのはなはせんにひとつもむだはない)
茄子の花に無駄花がないように、親が子どもにいう意見も一つも無駄がなく、すべて子どもの役に立つことばかりであるということ。
お山の大将俺一人(おやまのたいしょうおれひとり)
小さな集団や狭い世界の中で、自分が一番偉いと得意になって威張っている人のこと。
女の一念、岩をも徹す(おんなのいちねん、いわをもとおす)
女が執念深いことのたとえ。
女の一念、岩をも通す(おんなのいちねん、いわをもとおす)
女が執念深いことのたとえ。
餓えて死ぬは一人、飲んで死ぬは千人(かつえてしぬはひとり、のんでしぬはせんにん)
餓えて死ぬ人間は少ないが、酒の飲みすぎが原因で死ぬ人間は非常に多いということ。
門松は冥土の旅の一里塚(かどまつはめいどのたびのいちりづか)
門松はめでたいものだが、飾るたびに年を重ね死に近づくので、いわばあの世に向かう一里塚のようなものだということ。 「冥土」は、あの世のこと。 「一里塚」は、街道に一里ごとに築かれ、旅人のための里程標となった塚のこと。 この歌は一休作という説があり、このあとに「めでたくもありめでたくもなし」と続けてもいわれる。
門松は冥途の旅の一里塚(かどまつはめいどのたびのいちりづか)
門松はめでたいものだが、飾るたびに年を重ね死に近づくので、いわばあの世に向かう一里塚のようなものだということ。 「冥土」は、あの世のこと。 「一里塚」は、街道に一里ごとに築かれ、旅人のための里程標となった塚のこと。 この歌は一休作という説があり、このあとに「めでたくもありめでたくもなし」と続けてもいわれる。
悲しい時は身一つ(かなしいときはみひとつ)
困ったり落ちぶれたりすると、他人は当てにならず、頼りになるのは自分だけだということ。「身一つ」は財産もなく自分の体だけという意。
紙一重(かみひとえ)
差が極めてわずかなこと。単に「紙一重」ともいう。
紙一重の差(かみひとえのさ)
差が極めてわずかなこと。単に「紙一重」ともいう。
借りる八合、済す一升(かりるはちごう、なすいっしょう)
人から物やお金を借りたら、少し多めに返すか、お礼を添えて返すのが常識であるというたとえ。「済す」は、返済すること。八合借りたら、一升にして返せという意から。
彼も一時、此れも一時(かれもいちじ、これもいちじ)
時とともに、世の中のことは移り変わっていくものである。だから、あの時はあの時、今は今で、あの時と今とを単純に比べることはできないということ。また、栄枯盛衰も一時限りであるということ。「彼」は、あの時の意。
皮切りの一灸(かわきりのひとひ)
なんでも最初は苦しいものだというたとえ。一番初めにすえる灸が、ひどく熱いと感じられることから。
間一髪(かんいっぱつ)
事態が非常に差し迫っていることのたとえ。髪の毛一本が入るほどの隙間という意から。
堪忍は一生の宝(かんにんはいっしょうのたから)
堪忍は、一生を通して推し量ることができない利益をもたらすということ。また、忍耐の精神は一生の宝として大切にすべきだということ。「堪忍は身の宝」ともいう。
聞いた百文より見た一文(きいたひゃくもんよりみたいちもん)
人から百文の値打ちと聞かされるよりも、自分の目で見たほうが値打ちがあるということ。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥(きくはいっときのはじ、きかぬはいっしょうのはじ)
知らないことを聞くのはほんの一時の恥で済むが、聞かずに知らないまま過ごすのは一生恥ずかしいということ。
客人一杯手八杯(きゃくじんいっぱいてはちはい)
客に酒を一杯すすめる間に、主人が手酌で酒を八杯飲むということ。酒好きの人が客にかこつけて酒を飲むことにもいう。
九牛の一毛(きゅうぎゅうのいちもう)
多数の中のわずかな一部分のたとえ。取るに足りないことのたとえ。「九牛」は、多くの牛の意。多くの牛の中の一本の毛という意から。
九死に一生を得る(きゅうしにいっしょうをえる)
とうてい助からないだろうと思われた危険な状態に陥りながら、かろうじて助かることのたとえ。助かる見込みが十分の一という命をかろうじて得るという意から。「九死一生」「万死に一生を得る」「万死の中に一生を得」「万死を出でて一生に遇う」ともいう。
九仞の功を一簣に虧く(きゅうじんのこうをいっきにかく)
長い間の努力も最後のわずかなところでやめてしまえば無駄になることのたとえ。 「九仞」は非常に高い、「一簣」は一杯のもっこの意。 高い山を築くのに、最後のもっこ一杯の土を虧く(欠く)と完成しないとの意から。
窮余の一策(きゅうよのいっさく)
追いつめられて困ったあげく、苦しまぎれに思いついた一つの方法のこと。「窮余」は、行き詰まった末という意。
今日の一針、明日の十針(きょうのひとはり、あすのとはり)
すぐにしなければならないことを先延ばしすると、余計に手間がかかるということのたとえ。今日なら一針縫えば済むのに、明日に延ばせばほころびが広がり、十針も縫わなければならなくなるという意から。
桐一葉(きりひとは)
桐の葉が一枚落ちるのを見て、秋の訪れを知ること。転じて、小さなできごとから衰亡の兆しを感じ取ることのたとえ。
軌を一にす(きをいつにす)
やり方や立場が同じであること。「軌」は、車輪の跡のこと。車の通った跡が同じという意から。
槿花一日の栄(きんかいちじつのえい)
栄華が長続きしないことのたとえ。「槿花」は、むくげの花。朝咲き夕方にはしぼむむくげの花のようにはかない栄華という意から。「槿花一朝の夢」ともいう。
食い物と念仏は一口ずつ(くいものとねんぶつはひとくちずつ)
食べ物は一口ずつでもみんなで分け合って食べたほうがよいということ。また、念仏も一人が一口ずつ唱えてもご利益があるということ。「食べ物と念仏は一口ずつ」ともいう。
九尺二間に戸が一枚(くしゃくにけんにとがいちまい)
間口が九尺、奥行き二間、入り口の戸が一枚だけというような、きわめて狭く粗末な家のたとえ。
糞も味噌も一緒(くそもみそもいっしょ)
見た目が似ていれば、価値のある物もない物も、同じように扱うことのたとえ。「味噌も糞も一緒」ともいう。
首の皮一枚(くびのかわいちまい)
ほんの僅かではあるが、可能性がのこっている様子。 もとは、斬首刑で斬られた首と胴体が皮一枚でつながっている状態をいった言葉で、現在用いられる意味とは異なる。
愚者も一得(ぐしゃもいっとく)
愚か者でも、たまにはいい考え方をすることがあるということ。「愚者にも一得」「愚者の一得」ともいう。
鶏群の一鶴(けいぐんのいっかく)
平凡な人の中に、一人だけ際立ってすぐれた者がいることのたとえ。鶏の群の中に鶴が一羽混じっているということから。「群鶏の一鶴」ともいう。
褻にも晴れにも歌一首(けにもはれにもうたいっしゅ)
普段の時も晴れの席でも、同じ歌一首しか詠めないということ。無能無芸を嘲笑う言葉。「褻」は、普段。
下種の一寸、のろまの三寸、馬鹿の開けっ放し(げすのいっすん、のろまのさんずん、ばかのあけっぱなし)
戸を閉める時に、下種は一寸閉め残し、のろまな者は三寸閉め残し、愚か者は開けっ放しにしてしまう。戸の閉め方で、その人の品性・性格がわかるということ。
鯉の一跳ね(こいのひとはね)
諦めがいいこと。潔いこと。捕らえられた鯉は一度跳ねるだけで、あとはじたばたしないという意から。
好一対(こういっつい)
よく似合っている一組。
紅一点(こういってん)
多数の男性の中に女性が一人混じっていることのたとえ。見渡す限りの緑の草木の中に、紅い花が一輪あでやかに咲いている意から。「万緑叢中紅一点」の略。
黄粱一炊の夢(こうりょういっすいのゆめ)
人生の栄枯盛衰のはかなさのたとえ。 昔、中国の邯鄲(かんたん)で盧生という青年が、道士から枕を借りて眠った。夢の中で、出世して財力や権力を手に入れるという長い人生の経験をしたが、目覚めてみると炊きかけの粥がまだ煮えきらない短い時間であったという故事から。 「邯鄲の枕」「邯鄲の夢」「一炊の夢」「盧生の夢」「黄粱の夢」「黄粱の一炊」「黄粱一炊の夢」など多くの呼び方がある。
黄粱の一炊(こうりょうのいっすい)
人生の栄枯盛衰のはかなさのたとえ。 昔、中国の邯鄲(かんたん)で盧生という青年が、道士から枕を借りて眠った。夢の中で、出世して財力や権力を手に入れるという長い人生の経験をしたが、目覚めてみると炊きかけの粥がまだ煮えきらない短い時間であったという故事から。 「邯鄲の枕」「邯鄲の夢」「一炊の夢」「盧生の夢」「黄粱の夢」「黄粱の一炊」「黄粱一炊の夢」など多くの呼び方がある。
虚仮の一心(こけのいっしん)
愚かな者でも物事を一心に行えば、すぐれたことが出来るというたとえ。「虚仮」は、愚か者のこと。「虚仮の一念」ともいう。
心は二つ身は一つ(こころはふたつみはひとつ)
あれもこれもと心は二つのことを望むが、自分のからだは一つしかなく、思い通りにならないということ。
小姑一人は鬼千匹にむかう(こじゅうとひとりはおにせんびきにむかう)
嫁にとって、小姑一人は鬼千匹にも匹敵するほどやっかいで、扱いにくい存在であるということ。「むかう」は、匹敵するという意。
三国一(さんごくいち)
世界一のこと。「三国」は、インド・中国・日本の三つの国のことで、昔はこの三国を全世界としていたことから。
三度の火事より一度の後家(さんどのかじよりいちどのごけ)
三度火事に遭うより、一度だけでも夫に先立たれるほうが精神的打撃が大きくて立ち直りにくいというたとえ。
三人旅の一人乞食(さんにんたびのひとりこじき)
三人で旅をする時には、その中の一人が仲間はずれになりがちだということ。また、三人で事をすると、貧乏くじをひいて損をすることが多いということ。
財は一代の宝(ざいはいちだいのたから)
財産はその人一代限りのものであり、その後はどうなるかわからないということ。
死しての千年より生きての一日(ししてのせんねんよりいきてのいちにち)
死んでからの千年より、この世での一日のほうが大事だということ。
芝居は一日の早学問(しばいはいちにちのはやがくもん)
芝居は歴史上の事柄やものの道理をおしえてくれるので、読み書きのできない人間にとっては、てっとり早い学問の場であるということ「芝居は無学の早学問」ともいう。
衆目の一致する所(しゅうもくのいっちするところ)
大勢の見方や評価などが同じであること。
春宵一刻値千金(しゅんしょういっこくあたいせんきん)
おぼろ月夜に花の香りが漂う春の宵のひとときは、千金にも値するほどすばらしいということ。「一刻」はわずかな時間、「千金」は千両・大金の意。
正直は一生の宝(しょうじきはいっしょうのたから)
正直者は人から信頼され、それによって成功や幸福を手にすることができる。正直こそ一生を通じて大切に守るべき宝だというたとえ。
食後の一睡、万病円(しょくごのいっすい、まんびょうえん)
食後のひと眠りはからだによいというたとえ。「万病円」は、万病に効果があるといわれる丸薬。
食後の一睡、万病丹(しょくごのいっすい、まんびょうたん)
食後のひと眠りはからだによいというたとえ。「万病丹」は、万病に効果があるといわれる丸薬。
地獄の一丁目(じごくのいっちょうめ)
きわめて恐ろしい所のたとえ。また、悪の道や破滅に向かう始まりのたとえ。「一丁目」は入り口の意。
地獄の上の一足飛び(じごくのうえのいっそくとび)
きわめて危険な行為のたとえ。
地獄は壁一重(じごくはかべひとえ)
人間は一歩誤ると、罪を犯してしまいがちだということ。地獄は壁を一枚隔てたすぐ隣にあるという意から。
十把一絡げ(じっぱひとからげ)
いろいろな種類のものを、区別無くひとまとめにして取り扱うこと。また、一つ一つ取り上げるほどの価値がないものとして粗末に取り扱うこと。
十遍読むより一遍写せ(じっぺんよむよりいっぺんうつせ)
何度も読むより、一度書き写したほうが内容をよく理解できるということ。「十読は一写に如かず」ともいう。
十読は一写に如かず(じゅうどくはいちしゃにしかず)
何回も読むより、一回書き写したほうが内容をよく理解できるということ。「十遍読むより一遍写せ」ともいう。
十年一日の如し(じゅうねんいちじつのごとし)
長い年月、少しも変わらずずっと同じ状態である様子。十年が、まるで一日であるかのようだという意から。
雀の千声鶴の一声(すずめのせんこえつるのひとこえ)
つまらない者がいろいろ言うよりも、すぐれた者の一声のほうが勝っているというたとえ。「鶴の一声」だけでも使われる。
脛一本、腕一本(すねいっぽん、うでいっぽん)
地位も財産もなく、この世には自分のほかには頼るものがないことのたとえ。
駿河の富士と一里塚(するがのふじといちりづか)
かけ離れていて比較にならないことのたとえ。「一里塚」は、街道の一里ごと築かれた土を盛った塚で、この塚と富士山を比べるという意から。
精神一到、何事か成らざらん(せいしんいっとう、なにごとかならざらん)
精神を集中して取り組めば、どんな難しいことでもできないことはないということ。
千貫のかたに編笠一蓋(せんがんのかたにあみがさいっかい)
大きな元手のわりに利益が少なく、損益が釣り合わないことのたとえ。 「千貫」は銭の単位。一貫の千倍。転じて非常に高価なこと。 千貫の借金の担保が、編み笠一つということから。 「一蓋」は「ひとがい」とも読む。
千貫のかたに編笠一蓋(せんがんのかたにあみがさひとがい)
大きな元手のわりに利益が少なく、損益が釣り合わないことのたとえ。 「千貫」は銭の単位。一貫の千倍。転じて非常に高価なこと。 千貫の借金の担保が、編み笠一つということから。 「一蓋」は「ひとがい」とも読む。
千金の裘は一狐の腋に非ず(せんきんのきゅうはいっこのえきにあらず)
国を治めるには、多くの有能な人材が必要だというたとえ。「裘」は獣の毛皮で作った衣服、「腋」は脇の下。千金もする皮衣は一匹の狐のわき毛だけでは作れないという意から。
千金を買う市あれど一文字を買う店なし(せんきんをかういちあれどいちもんじをかうみせなし)
文字を覚えるためには、自分で学ぶしかないというたとえ。市場ではどんな高価なものも買うことが出来るが、一つの文字も買える店はないという意から。
千畳敷に寝ても畳一枚(せんじょうじきにねてもたたみいちまい)
人一人が必要とするものには限度があるから、いたずらに欲をかくべきではないということ。千畳もの広さがある部屋に寝ても、人が一人寝るのに必要なのは、せいぜい畳一枚であるという意から。
千日の萱を一日(せんにちのかやをいちにち)
長年苦労して築き上げたものを、一瞬にして失うことのたとえ。千日もかけて刈り集めた萱をたった一日で燃やしてしまうという意から。
千日の萱を一日に焼く(せんにちのかやをいちにちにやく)
長年苦労して築いたものを、一瞬にしてなくしてしまうことのたとえ。千日もかかって刈り集めた萱をたった一日で燃やしてしまうという意から。
千日の旱魃に一日の洪水(せんにちのかんばつにいちにちのこうずい)
千日も続く日照りと、たった一日ですべてを流してしまう洪水とは、同じくらいの被害をもたらすということ。水害の恐ろしさをいった言葉。
千に一つ(せんにひとつ)
非常に珍しいこと。 多くある中のたったひとつとの意から。
仙人の千年、蜉蝣の一時(せんにんのせんねん、かげろうのいっとき)
長い短いの違いはあっても、どちらも一生であることに変わりないことのたとえ。また、同じ一生でも長短の差が大きいことのたとえ。
千人の諾諾は一士の諤諤に如かず(せんにんのだくだくはいっしのがくがくにしかず)
他人の言葉になんでも賛同して従う千人は、権勢に媚びずに正しいと思うことを主張する一人には及ばないということ。「諾諾」は、他人の言葉にさからわないで従うさま。「諤諤」は、正しいと思うことを恐れはばかることなく述べるさま。
千里の道も一歩から(せんりのみちもいっぽから)
どんな遠大な計画も、はじめは身近なことから始まるというたとえ。千里の道のりも踏み出した第一歩からから始まるという意から。「千里の行も足下より始まる」ともいう。
千里一跳ね(せんりひとはね)
大きな鳥があっという間に千里も飛んでしまうように、物事を一気に行って大成功することのたとえ。
千慮の一失(せんりょのいっしつ)
どんな知恵者でも、多くの考えの中には失敗もあるということ。また、十分に注意しても思わぬ失敗が起こることのたとえ。「千慮」は、いろいろと考えを巡らすこと。。
千慮の一得(せんりょのいっとく)
愚かな者でも、たまには一つぐらいよい考えを出すこともあるということ。
滄海の一粟(そうかいのいちぞく)
広大なものの中のきわめて小さいもののたとえ。 また、宇宙における人間の存在のはかなさのたとえ。 「滄海」は青い大海、「一粟」は一粒の粟のこと。 大海に浮かぶ一粒の粟という意味。
即時一杯の酒(そくじいっぱいのさけ)
死んでから受ける名誉より、今すぐ飲める一杯の酒のほうがありがたいということ。
粗相も時の一興(そそうもときのいっきょう)
失敗も、時によってはその場を和ませるような笑いを誘う一つの面白みであるということ。
備わらんことを一人に求むるなかれ(そなわらんことをいちにんにもとむるなかれ)
万能な人間などいないのだから、一人の人間に完全無欠を要求してはいけないということ。
その一を識りてその二を知らず(そのいちをしりてそのにをしらず)
知識が浅く応用力がないこと。一つのことだけ知って、それ以外のことには知識がない意から。
蕎麦の花も一盛り(そばのはなもひとさかり)
娘はみな年頃になると、女らしい魅力が出て美しく見えるということ。地味で目立たない蕎麦の花も、時期が来れば力一杯咲いて、それなりに美しく見えることから。
大海の一滴(たいかいのいってき)
大きな海の中の一滴の水のように、広大なところにきわめて小さなものがあることのたとえ。
大廈の倒れんとするは一木の支うる所に非ず(たいかのたおれんとするはいちぼくのささうるところにあらず)
大勢がすでに傾きかけているときに、一人の力で支えるのはとうてい無理だというたとえ。「大廈」は、大きな建物のことで、それが倒れかけているのを、一本の木で支えることはできないという意から。
大山鳴動して鼠一匹(たいざんめいどうしてねずみいっぴき)
前触ればかりが大きくて、実際の結果は意外に小さいことのたとえ。大きな山が音を立てて動くので、何事かと見ていると、鼠がたった一匹出てきただけだったという意から。「大山」は、「泰山」とも書く。
鯛も一人では旨からず(たいもひとりではうまからず)
どんなにおいしいものでも、一人で食べるのではおいしくない。大勢で食べる食事のほうがおいしいということ。
誰でも自分の荷が一番重いと思う(だれでもじぶんのにがいちばんおもいとおもう)
自分のしていることが一番大変だと思いがちで、他人のしていることは楽に見えるが、実際にやってみると簡単ではないということ。
男子の一言、金鉄の如し(だんしのいちごん、きんてつのごとし)
男が一度口にした言葉は、金や鉄のように堅くゆるぎないもので、決して破ってはならないということ。
茶腹も一時(ちゃばらもいっとき)
わずかなことでも一時しのぎにはなることのたとえ。空腹の時もお茶でしばらくはしのげるということから。
中流に船を失えば一瓢も千金(ちゅうりゅうにふねをうしなえばいっぴょうもせんきん)
つまらないものでも、場合によってはとても価値があるというたとえ。流れの真ん中で船を失ったときには、ひょうたん一個でも浮き袋の代わりになるという意から。
長者の万灯より貧者の一灯(ちょうじゃのまんとうよりひんじゃのいっとう)
見栄を張った多くの贈り物より、たとえわずかでも真心のこもった贈り物のほうが尊いということ。 金持ちが一万もの灯明をともすよりも、たとえ一灯でも貧しい人の心のこもった灯明のほうが値打ちがあるという意から。 阿闍世王が釈迦を招いた時、帰り道にたくさんの灯火をともした。それを見て感激した貧しい老婆が、やりくりして一本の灯火をともした。すると、王の灯明が消えたあとも老婆の灯火は朝まで光り続けたという故事から。 「貧者の一灯」ともいう。
頂門の一針(ちょうもんのいっしん)
人の急所を突く厳しい教訓のたとえ。「頂門」は頭の上のことで、そこに針を突き刺すという意から。
月雪花は一度に眺められぬ(つきゆきはなはいちどにながめられぬ)
よいことが全部一度にそろうことは、あり得ないというたとえ。月の出る晩に雪は降らないし、雪が降ると花は隠れて見えないし、花の咲く昼間に月は出ないということから。
土一升金一升(つちいっしょうかねいっしょう)
土地の値段が非常に高いことのたとえ。 土一升が金一升に相当するとの意から。
土一升に金一升(つちいっしょうにかねいっしょう)
土地の値段が非常に高いことのたとえ。 土一升が金一升に相当するとの意から。
鶴の一声(つるのひとこえ)
権威者・有力者の一言が多くの人の議論や意見をおさえつけること。
亭主三杯客一杯(ていしゅさんばいきゃくいっぱい)
客をもてなすために、主人が客よりたくさん酒をのむこと。また、客をだしにして主人がふだんより多く酒を飲むことにもいう。
適時の一針は九針の手間を省く(てきじのいっしんはきゅうしんのてまをはぶく)
その場で始末を付けておけば、あとで大掛かりな手間をかけずにすむということのたとえ。その時に一針縫っておけば、あとで九針縫う手間を省くことになるという意から。「時を得た一針は九針の手間を省く」ともいう。
手酌五合、髱一升(てじゃくごごう、たぼいっしょう)
手酌では五合しか飲めないが、若い女性の酌では一升でも飲んでしまうということ。「髱」は日本髪の後ろに張り出している部分で、転じて、若い女性の意。
手は一生の宝(てはいっしょうのたから)
文字を巧みに書くことは、一生の宝だということ。
天才とは一パーセントの霊感と九十九パーセントの汗である(てんさいとはいちぱーせんとのれいかんときゅうじゅうきゅうぱーせんとのあせである)
問うは一旦の恥、問わぬは末代の恥(とうはいったんのはじ、とわぬはまつだいのはじ)
知らないことを聞くのはほんの一時だけ恥ずかしい思いをするが、聞かずに知らないまま過ごすのは一生恥ずかしい思いをするということ。
時を得た一針は九針の手間を省く(ときをえたいっしんはきゅうしんのてまをはぶく)
適時に始末を付けておけば、あとで大掛かりな手間をかけずにすむということのたとえ。その時に一針縫っておけば、あとで九針縫う手間を省くことになるという意から。「適時の一針は九針の手間を省く」ともいう。
隣は火事でも先ず一服(となりはかじでもまずいっぷく)
どんなに慌ただしい時でも休息は必要だというたとえ。忙しい時に休息しようとする場合に使う言葉。
富は一生の宝、知は万代の宝(とみはいっしょうのたから、ちはばんだいのたから)
財産は一代限りの宝であるが、すぐれた知恵は後世の人にも役立つ宝であるということ。
道理百遍、義理一遍(どうりひゃっぺん、ぎりいっぺん)
ものの道理を百回聞かせるよりも、たった一度、義理を尽くした行いを見せるほうが、人の心を動かすことができるということ。
どこで暮らすも一生(どこでくらすもいっしょう)
どんな所で暮らしても人の一生に変わりがないから、どうせなら楽しく暮らせる所に住みたいということ。
泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生(ないてくらすもいっしょう、わらってくらすもいっしょう)
泣いて暮らすのも笑って暮らすのも、同じ一生に変わりがないのなら、なるべく楽しく暮らすほうがよいということ。
茄子の花と親の意見は千に一つも無駄はない(なすびのはなとおやのいけんはせんにひとつもむだはない)
茄子の花に無駄花がないように、親が子どもにいう意見もすべて子どもの役に立つことばかりで、一つとして無駄がないということ。
習うは一生(ならうはいっしょう)
人間には学ぶべきことがたくさんあるため、いくつになっても常に学び続ける必要があるという戒め。
逃ぐるが一の手(にぐるがいちのて)
困難に直面したら、とりあえず逃げて身の安全をはかるのが上策だということ。また、面倒なことは避けるのが一番いい方法だということ。
二兎を追う者は一兎をも得ず(にとをおうものはいっとをもえず)
一度に二つのものを手に入れようと欲張ると、結局どちらも手に入れられなくなることのたとえ。一度に二匹のうさぎを捕えようとすると、結局一匹も捕らえられなくなるなるという意から。
二度教えて一度叱れ(にどおしえていちどしかれ)
子どもをしつける時の心得を示した言葉。子どもの過ちや失敗は頭ごなしに怒らず、繰り返してよく教え諭し、それでも聞かない時にたまに叱るくらいがよいということ。
二度聞いて一度物言え(にどきいていちどものいえ)
人の言うことは何度聞き直してでもよく聞き、自分は口数を少なく余計なことを言わないほうがよいということ。
二人口は過ごせるが一人口は過ごせぬ(ににんぐちはすごせるがひとりぐちはすごせぬ)
結婚して二人で暮らせば節約できることが多くなり、無駄が多くて不経済な一人暮らしより得策だということ。「一人口は食えぬが二人口は食える」ともいう。
人間一生二万日(にんげんいっしょうにまんにち)
人間の平均寿命はかつては五十年とされ、日数にすると約二万日ということになり、一生は長いようにも短いようにも思われるということ。
忍の一字は衆妙の門(にんのいちじはしゅうみょうのもん)
忍耐を身につければ、どんなことでも出来るというたとえ。「衆妙の門」は、万物の深遠な道理の入り口のこと。
猫の子一匹いない(ねこのこいっぴきいない)
まったく人がいないようす。
上り一日、下り一時(のぼりいちにち、くだりいっとき)
物事を作り上げるのには多くの時間と労力を要するが、壊すのはたやすいというたとえ。上るのは一日かかる道も下る時はわずかな時間しかかからないという意から。
伯楽の一顧(はくらくのいっこ)
不遇だった者が有力な者に見込まれて世に出ること。「伯楽」は中国、春秋時代の名馬を見分ける名人のことで、市で馬が売れずに困っていた者が、伯楽に頼んで通り過ぎたあとに振り返って馬を見てもらうと、そのとたんに馬に十倍の値がついたという故事から。
裸一貫(はだかいっかん)
自分の体のほかには、資本となるものを持っていないこと。「貫」は昔の貨幣の単位で、一貫は一文銭千枚のこと。一貫の価値の裸身以外に何の資本もないという意から。
花一時、人一盛り(はないっとき、ひとひとさかり)
花が咲き誇るのもほんの一時であるように、人も盛んな時はごく短い一時期に過ぎないということ。
花の下の半日の客、月の前の一夜の友(はなのもとのはんじつのかく、つきのまえのいちやのとも)
母在りて一子寒く、母去りて三子寒し(ははありていっしさむく、ははさりてさんしさむし)
早いのが一の芸(はやいのがいちのげい)
物事を手早く処理するのも芸のうちということ。また、仕事は手早いことが大切で、技巧は二の次ということ。
腹に一物(はらにいちもつ)
心に何かたくらみを抱いていること。「胸に一物」ともいう。
馬鹿の一念(ばかのいちねん)
愚か者も一心に事をおこなえば、すばらしい大事業を成し遂げられるということ。
馬鹿の一つ覚え(ばかのひとつおぼえ)
愚か者が、たった一つ覚えていることを得意げに振りかざすことをあざけっていう言葉。
万死一生を顧みず(ばんしいっしょうをかえりみず)
万に一つも生き延びる希望を持たないこと。
万卒は得易く、一将は得難し(ばんそつはえやすく、いっしょうはえがたし)
平凡な人間はいくらでもいるが、優秀な人物に巡り会うのは難しいというたとえ。多くの兵士を集めるのはたやすいが、一人の名将を得ることは難しいという意から。
万緑叢中紅一点(ばんりょくそうちゅうこういってん)
多数の男性の中に、女性が一人華やかに混じっていることのたとえ。また、多くのものの中で、ただ一つ際立っているもののたとえ。 「万緑」は見渡す限り一面の緑、「叢中」はくさむらの中のこと。 見渡す限りの緑の草木の中に、紅い花が一輪あでやかに咲いている意から。 略して「紅一点」ともいう。
一泡吹かせる(ひとあわふかせる)
不意をついて、相手を驚き慌てさせること。 「泡を吹かせる」とも。
一息入れる(ひといきいれる)
物事の途中で少し休むこと。
人一寸(ひといっすん)
身長差は、少しの違いでもかなり違っているように見えるということ。
一癖も二癖もある(ひとくせもふたくせもある)
性格などが普通とは違っていて、油断ならない雰囲気を感じさせる様子。
一口に言う(ひとくちにいう)
短い言葉で伝えること。手短に言うこと。
一口乗る(ひとくちのる)
複数の人で行う儲け話などに加わること。
一口物に頬焼く(ひとくちものにほおやく)
ちょっとしたことに手を出して、意外な失敗をすることのたとえ。一口で食べられるようなわずかな物を食べて、口の中をやけどするという意から。
一言多い(ひとことおおい)
言う必要のない余計な事を言うこと。
一芝居打つ(ひとしばいうつ)
作り事を言ったり、見せたりして人を騙そうとすること。
一筋縄では行かない(ひとすじなわではいかない)
普通のやり方では思うようにいかないということ。「一筋縄」は一本の縄のこと。縄一本では押さえられないという意から。
一筋の矢は折るべし十筋の矢は折り難し(ひとすじのやはおるべしとすじのやはおりがたし)
一人の力は弱くても、大勢が力を合わせれば強い力を発揮することが出来るというたとえ。一本の矢は簡単に折ることが出来るが、十本では折るのは難しいという意から。
一つ穴の貉(ひとつあなのむじな)
一見無関係のように見えて、実は同類・仲間であることのたとえ。多くはよくないことをする仲間のことをいう。「同じ穴の貉」ともいう。
一つ余って大津へ戻る(ひとつあまっておおつへもどる)
一つ鏡に二つ顔(ひとつかがみにふたつかお)
一つ釜の飯を食う(ひとつかまのめしをくう)
かつて同じ職場で働いたり、寝食を共にした親しい仲間のこと。「同じ釜の飯を食う」ともいう。
一つ事は同じ事(ひとつことはおなじこと)
言い方を変えてみても、結局言っていることは同じ事だということ。わかりきっている、という気持ちを表す言葉としても使う。
一粒の麦(ひとつぶのむぎ)
人々を幸福にするために、自ら進んで犠牲になる人のたとえ。また、その行為のこと。一粒の麦が地に落ちることによって多くの実を結び、永遠の命を得ると説いたキリストの言葉から。
一つ間違えば(ひとつまちがえば)
一つでも悪いことがあれば最悪の事態になる可能性があることを表す言葉。
一つ屋根の下に住む(ひとつやねのしたにすむ)
同じ家で共に暮らすこと。
一つよければまた二つ(ひとつよければまたふたつ)
人間の欲望には限りがないということ。一つ願いが叶えば、もう一つ、さらにもう一つと欲が出て満足することがないという意から。
一時違えば三里の遅れ(ひとときちがえばさんりのおくれ)
少しの間でもぐずぐずしていると、たちまち大きな差が開くということ。 「一時」は約二時間、「三里」は約十二キロメートル。 一時遅れると、旅程に三里の遅れが出るという意から。 「一時三里」ともいう。
人に一癖(ひとにひとくせ)
どんな人間でも、必ず一つぐらいは癖があるということ。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し(ひとのいっしょうはおもにをおうてとおきみちをゆくがごとし)
人生は長く苦しいものだから、辛抱強く努力を重ねて着実に進んでいかなければならないという教え。徳川家康の遺訓から。
人の一寸、我が一尺(ひとのいっすん、わがいっしゃく)
人の欠点は少しのことでも目につくが、自分の欠点はどんなに大きくても気がつかないというたとえ。
人の苦楽は壁一重(ひとのくらくはかべひとえ)
壁一つ隔てただけで隣の様子がわからないように、他人の苦しみや楽しみは他人事で自分とはなんの係わりもないということ。
人の十難より我が一難(ひとのじゅうなんよりわがいちなん)
人の身に起こった多くの災難より、自分の身に起きた小さな災難のほうが大ごとだということ。
人は一代、名は末代(ひとはいちだい、なはまつだい)
人のからだは死ねば滅びてしまうが、その人の名は後世にまで残るので、死後に名前を残すような立派なことをせよということ。
一旗揚げる(ひとはたあげる)
新たに事業などを起こすたとえ。
一肌脱ぐ(ひとはだぬぐ)
相手を助けるために本気で力を貸すたとえ。物事を行う時に肌脱ぎになってするという意から。
人一盛り(ひとひとさかり)
人の盛んな時は、ほんの一時にすぎないということ。
一役買う(ひとやくかう)
ある役目を自ら引き受けること。
一山当てる(ひとやまあてる)
投機などで大きな利益を得ること。
一人口は食えぬが二人口は食える(ひとりぐちはくえぬがふたりぐちはくえる)
一人暮らしは無駄が多くて生計を立てにくいが、結婚して二人で暮らせば節約できることが多くなり、なんとか暮らしていけるということ。「二人口は過ごせるが一人口は過ごせぬ」ともいう。
一人相撲を取る(ひとりずもうをとる)
相手や周囲のことを考えずに自分独りで気負いこんで事を行うこと。また、それが徒労に終わるたとえ。
一人の文殊より三人のたくらだ(ひとりのもんじゅよりさんにんのたくらだ)
優れた人物が一人で考えるより、愚か者でも何人かで考えたほうが良い考えが浮かぶことのたとえ。 「文殊」は知恵をつかさどる菩薩のこと。 「たくらだ」はじゃこう鹿に似た獣。じゃこう鹿を狩る時に、猟師が飛び出してきたたくらだを誤って狩ったことから、自分に無関係なことで死んだり傷ついたりする者のこと。転じて、愚か者・まぬけのことをいう。
一人娘と春の日はくれそうでくれぬ(ひとりむすめとはるのひはくれそうでくれぬ)
一人娘は親が惜しがり、なかなか嫁に出さないというたとえ。春の日は暮れそうで暮れないことから「暮れる」と嫁に「くれる」をかけたもの。
百害あって一利なし(ひゃくがいあっていちりなし)
弊害ばかりで利点は一つもないということ。
百芸は一芸の精しきに如かず(ひゃくげいはいちげいのくわしきにしかず)
何でも出来る人より、一つの事に精通している人のほうが役に立つということ。
百尺竿頭一歩を進む(ひゃくしゃくかんとういっぽをすすむ)
すでに目標に到達して、さらに向上しようと努力するたとえ。また、十分に説明したうえに、さらに一歩進めて説明するたとえ。百尺の竿の先端に達したのに、さらに一歩進もうとするという意から。「百尺」は「ひゃくせき」ともいう。
百丈の木に登って一丈の枝より落つる(ひゃくじょうのきにのぼっていちじょうのえだよりおつる)
気が緩んだ時に、危険が潜んでいるから気をつけよという戒めの言葉。高い木に登った時は用心しているので落ちることはないが、低い所まで降りると油断して落ちるということから。
百日の説法、屁一つ(ひゃくにちのせっぽう、へひとつ)
長い間苦労してきたことが、わずかな失敗のためにまったく無駄になってしまうことのたとえ。百日にも及ぶ説法を続けてきたお坊さんが、おならを一つしたために厳粛な雰囲気がこわれ、説法のありがたみがなくなるという意から。
百日の労、一日の楽(ひゃくにちのろう、いちにちのらく)
働くばかりではなく、たまには休むほうがよいということ。百日も働いたら、一日ゆっくり休養するのがよいという意から。
百聞は一見に如かず(ひゃくぶんはいっけんにしかず)
何度も人の話を聞くよりも、一度自分の目で見るほうが確実だということ。百回人の話を聞くことは、実際に一回見ることに及ばないという意から。
氷山の一角(ひょうざんのいっかく)
表面に現れているのは全体のほんの一部で、大部分は隠されたままであることのたとえ。海面上に見える氷山は、全体のわずかな部分にすぎないという意から。
貧者の一灯(ひんじゃのいっとう)
見栄を張った多くの贈り物より、たとえわずかでも真心のこもった贈り物のほうが尊いということ。 金持ちが一万もの灯明をともすよりも、たとえ一灯でも貧しい人の心のこもった灯明のほうが値打ちがあるという意から。 阿闍世王が釈迦を招いた時、帰り道にたくさんの灯火をともした。それを見て感激した貧しい老婆が、やりくりして一本の灯火をともした。すると、王の灯明が消えたあとも老婆の灯火は朝まで光り続けたという故事から。 「長者の万灯より貧者の一灯」ともいう。
美人というも皮一重(びじんというもかわひとえ)
美人かどうかは体を包む皮一枚のことで、人間の本質には関係がない。人を外見だけで判断してはいけないということ。
鐚一文(びたいちもん)
ごくわずかな金のこと。「鐚」は、「鐚銭」の略で質の悪い銭の意。
二つに一つ(ふたつにひとつ)
二つの内の一方。 または、二つのどちらかを選ばなければならない状態。
二人口は過ごせるが一人口は過ごせぬ(ふたりぐちはすごせるがひとりぐちはすごせぬ)
結婚して二人で暮らせば節約できることが多くなり、無駄が多くて不経済な一人暮らしより得策だということ。「一人口は食えぬが二人口は食える」ともいう。
蜉蝣の一期(ふゆうのいちご)
人の一生がはかないことのたとえ。「蜉蝣」はカゲロウのことで、朝生まれて夕べには死ぬということから。
無精者の一時働き(ぶしょうもののいっときばたらき)
いつも怠けている者が、急に思い立って働いても、一時的だということ。また、そういう者をあざけっていう言葉。
減らぬものなら金百両、死なぬものなら子は一人(へらぬものならかねひゃくりょう、しなぬものならこはひとり)
ものは必要なだけあれば十分だということ。もし使っても減らなければ金は百両、死ななければ子どもは一人いればよいという意から。「死なぬものなら子は一人、減らぬものなら金百両」ともいう。
褒姒の一笑国を傾く(ほうじのいっしょうくにをかたむく)
美女のために国が滅びること。 「褒姒」とは中国、周の幽王の后。 めったに笑わない褒姒が、手違いで上がったのろしによって諸侯が参集するのを見て笑ったため、幽王が平時にたびたびのろしを上げさせたので、本当の戦乱の時には諸侯が集まらず国が滅びたという故事から。
惚れて通えば千里も一里(ほれてかよえばせんりもいちり)
惚れた相手に会いに行く時は、どんな遠い道のりも近く思えて苦にはならないということ。この後に「逢わずに戻ればまた千里」と続く俗謡から。
本来無一物(ほんらいむいちもつ)
万物は実体のない仮のものだから、執着すべきものは何もないということ。
盆と正月が一緒に来たよう(ぼんとしょうがつがいっしょにきたよう)
うれしいことが重なることのたとえ。また、非常に忙しいことのたとえ。
眉一つ動かさない(まゆひとつうごかさない)
少しも表情を変えないこと。動揺した素振りをみせないさま。
丸くとも一角あれや人心(まるくともひとかどあれやひとごころ)
性格が温厚で柔和なのはよいことだが、時には自分の意地を通すような強い一面もあったほうがよいということ。「一角」は、性格が少し角立っていること。「あまりまろきは転び易きぞ」と続けてもいう。
万に一つも(まんにひとつも)
(あとに打ち消しの語を伴って)可能性が低いことをあらわす言葉。
味噌も糞も一緒(みそもくそもいっしょ)
良いものも悪いものも、同じように扱うことのたとえ。
昔千里も今一里(むかしせんりもいまいちり)
すぐれた人も、年をとれば凡人に劣ってしまうということ。昔は千里を行くことができた駿馬も、今では一里しか行くことができないという意から。
娘一人に婿八人(むすめひとりにむこはちにん)
一つしかないものを多くの人が欲しがることのたとえ。「娘一人に婿三人」「娘一人に婿十人」ともいう。
胸が一杯になる(むねがいっぱいになる)
ある物事に感銘を受けたり悲しみを感じたりして、それ以外の事はなにも考えられなくなる様子。
胸に一物(むねにいちもつ)
心中、ひそかにたくらみを持つこと。「腹に一物」ともいう。「腹」は心の中・本心の意。
目に一丁字なし(めにいっていじなし)
まったく字が読めないこと。「一丁字」は一個の文字で、文字を一字も読めないという意から。丁は个(か)の誤り。个は個・箇の意。
面目を一新する(めんぼくをいっしんする)
今までの様子を改めること。
役者が一枚上(やくしゃがいちまいうえ)
能力や駆け引きなどが一段とすぐれていること。 芝居の番付や看板で、上位のものから順に名前が書かれていることから。
宿取らば一に方角、二に雪隠、三に戸締り、四には火の元(やどとらばいちにほうがく、ににせっちん、さんにとじまり、しにはひのもと)
昔、旅先で宿を取る時に、確認しておくべき事柄を順序だてて並べた言葉。「雪隠」は、便所のこと。
夜明け前が一番暗い(よあけまえがいちばんくらい)
どん底の後には必ずいいことがあるというたとえ。日が昇る直前に一番暗い時間があるということから。
竜は一寸にして昇天の気あり(りゅうはいっすんにしてしょうてんのきあり)
すぐれた人物は幼少期からすぐれたところがあることのたとえ。 竜は一寸の大きさの頃から天に昇ろうとする気迫に満ちているということから。
ローマは一日にしてならず(ろーまはいちにちにしてならず)
大事業は、長い年月の努力なしでは成し遂げられないというたとえ。