習うは一生について

言葉 | 習うは一生 |
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読み方 | ならうはいっしょう |
意味 | 人間には学ぶべきことがたくさんあるため、いくつになっても常に学び続ける必要があるという戒め。 |
出典 | - |
使用されている漢字
「習」を含むことわざ
一生添うとは男の習い(いっしょうそうとはおとこのならい)
一生君を愛して離さない、というのは男が女を口説くときの決まり文句であるということ。
有為転変は世の習い(ういてんぺんはよのならい)
この世の一切の事物は因縁によって生じ、常に変化し続けていくはかないものであるということ。
移れば変わる世の習い(うつればかわるよのならい)
時代が移り変われば世の中も変わっていくのが当然だということ。「移り変わるは浮き世の習い」ともいう。
習慣は第二の天性なり(しゅうかんはだいにのてんせいなり)
習慣はいつしか深く身について、まるで生まれつきの性質のように日常生活に影響を及ぼすということ。
性相近し、習い相遠し(せいあいちかし、ならいあいとおし)
人が生まれながらに持っている性質にはあまり差はないが、その後の教育や環境で大きな差が出てくるということ。
習い、性と成る(ならい、せいとなる)
習慣も続けていると、しまいにはその人の生まれつきの性質のようになるということ。
「一」を含むことわざ
悪は一旦の事なり(あくはいったんのことなり)
一時的にうまくいっても悪は長続きせず、結局は正義に勝てないということ。
朝顔の花一時(あさがおのはないっとき)
物事の盛りが短く、はかないことのたとえ。朝咲いた朝顔の花が昼を待たずにしぼんでしまうことから。
朝の一時は晩の二時に当たる(あさのひとときはばんのふたときにあたる)
朝は仕事がはかどるので、なるべく早く起きて働けということ。「一時」は昔の時刻の数え方で、約二時間。「二時」はその倍の約四時間で、朝の仕事は夜の仕事の二倍に相当するという意から。
薊の花も一盛り(あざみのはなもひとさかり)
誰でも年ごろになると、それなりの魅力が出てくるということ。あまり好まれない薊の花も、美しい時期があるという意から。
あの世の千日、この世の一日(あのよのせんにち、このよのいちにち)
あの世の極楽で千日暮らすより、この世で一日でも楽しむほうがよいということ。
危ない橋も一度は渡れ(あぶないはしもいちどはわたれ)
安全な方策ばかりとっていたのでは、成功することはできない。時には危険を冒してやってみるのも必要だということ。
「生」を含むことわざ
諦めは心の養生(あきらめはこころのようじょう)
失敗や不運をくよくよ考えるより、きっぱり諦めたほうが精神的に良いということ。
徒花に実は生らぬ(あだばなにみはならぬ)
どんなに見かけがよくても、実質が伴わなくてはよい成果を上げることはできないということ。「徒花」は、咲いても実を結ばずに散る花。どんなに美しい花を咲かせようとも、実のならない徒花では仕方がないという意から。
生き馬の目を抜く(いきうまのめをぬく)
生きている馬の目を抜き取るほどすばやいこと。また、ずるくて油断も隙もならないことのたとえ。
生き肝を抜く(いきぎもをぬく)
人をひどく驚かせる。 「生き胆」は生きている動物の肝。
生きた心地もしない(いきたここちもしない)
恐ろしさのあまり、生きているという感じがしないさま。
生きた空もない(いきたそらもない)
恐ろしさのあまり、生きているという感じがしないこと。