「こ」から始まる故事・ことわざ・慣用句一覧
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ことわざ一覧
鯉口を切る(こいぐちをきる)
すぐに刀を抜けるように身構えること。または、刀を抜きかけること。
「鯉口」は、刀の鞘(さや)の口のこと。鯉の開けた口に似ていることから。御意見五両、堪忍十両(ごいけんごりょう、かんにんじゅうりょう)
他人の意見をよく聞いて何事にも耐えることが大事だというたとえ。 人の忠告は五両の値打ちがあり、辛いことや怒りを耐え忍ぶことは十両の値打ちがあるということ。
恋路の闇(こいじのやみ)
恋をしたことによって、まるで闇の中に迷いこんだかのように思慮分別がつかなくなることのたとえ。 「恋の闇路」「恋路の闇」ともいう。
恋いたほど飽いた(こいたほどあいた)
恋が激しければ激しいほど、早く飽きてしまうということ。 恋というものは熱しやすくさめやすいということ。
恋に師匠なし(こいにししょうなし)
恋というものは人から教えられなくても、年ごろになれば自然に覚えるものだということ。
恋に上下の隔てなし(こいにじょうげのへだてなし)
恋愛感情を抱くのに、身分や地位などの上下は関係ないということ。
恋の遺恨と食べ物の遺恨は恐ろしい(こいのいこんとたべもののいこんはおそろしい)
恋愛の恨みと食べ物の恨みは、根深く恐ろしいということ。
恋の鞘当て(こいのさやあて)
ある一人の女性を巡って、二人の男性があらそうこと。 「鞘当て」は、武士がすれ違うときに、お互いの刀の鞘尻が触れたことを咎めて争うこと。
鯉の滝登り(こいのたきのぼり)
立身出世のたとえ。中国の黄河上流にある竜門という急流を登りきった鯉は竜になるという故事から。
鯉の一跳ね(こいのひとはね)
諦めがいいこと。潔いこと。捕らえられた鯉は一度跳ねるだけで、あとはじたばたしないという意味から。
恋の道には女がさかしい(こいのみちにはおんながさかしい)
恋に関しては、女は男が足元にも及ばないほど知恵がはたらくということ。「さかしい」は賢い意。
恋の病に薬なし(こいのやまいにくすりなし)
恋わずらいは病気ではないから治す薬はないということ。
恋の山には孔子の倒れ(こいのやまにはくじのたおれ)
どんなにすぐれた人でも、色恋のこととなると思慮分別を失い、間違いを犯してしまうというたとえ。「孔子」は孔子(こうし)の呉音読み。
恋の闇(こいのやみ)
恋をしたことによって、まるで闇の中に迷いこんだかのように思慮分別がつかなくなることのたとえ。 「恋の闇路」「恋路の闇」ともいう。
恋の闇路(こいのやみじ)
恋をしたことによって、まるで闇の中に迷いこんだかのように思慮分別がつかなくなることのたとえ。 「恋の闇路」「恋路の闇」ともいう。
恋は曲者(こいはくせもの)
恋は理性を失わせるから、恋をした人は常識では考えられないような、とんでもないことをするおそれがあるということ。
恋は心の外(こいはこころのほか)
恋愛は理性を失わせため、常識や理屈で理解できるものではないということ。 「恋」は「色」、「思案」は「心」ともいう。
恋は思案の外(こいはしあんのほか)
恋愛は理性を失わせため、常識や理屈で理解できるものではないということ。 「恋」は「色」、「思案」は「心」ともいう。
恋は仕勝ち(こいはしがち)
恋は、周りの事情など考えずに、積極的に自分から仕掛けたほうがうまくいくということ。
恋は盲目(こいはもうもく)
恋をすると、人は理性を失い、他の事が見えなくなるということ。
好一対(こういっつい)
よく似合っている一組。好ましい組み合わせの一対。男女の間などについてよく用いられる。
紅一点(こういってん)
多数の男性の中に女性が一人混じっていることのたとえ。見渡す限りの緑の草木の中に、紅い花が一輪あでやかに咲いている意から。「[[万緑叢中紅一点*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/1213.php]]」の略。
光陰に関守なし(こういんにせきもりなし)
月日がとどまることなく、過ぎていくことのたとえ。 「光」は日、「陰」は月、「関守」は関所の番人。 月日の流れをとめる番人などいないということ。
光陰人を待たず(こういんひとをまたず)
時は人の都合などおかまいなしに刻々と過ぎ去っていくので、時間を無駄にせず大事に過ごすべきであるということ。 「光陰人を待たず」「時は人を待たず」ともいう。
光陰、矢の如し(こういん、やのごとし)
月日が経つのが早いことのたとえ。 「光」は日、「陰」は月のこと。 月日は、矢が飛ぶようにあっという間に過ぎ去るという意味から。
後悔、先に立たず(こうかい、さきにたたず)
事が済んでしまったあとで後悔しても取り返しがつかない。だから、物事を行う前に十分考えることが大切だということ。
後悔は知恵の緒(こうかいはちえのいとぐち)
後悔することによって、次から事に備えることができる。後悔は気付きのきっかけであるということ。
口角、泡を飛ばす(こうかく、あわをとばす)
口の端からつばきを飛ばすほど、激しい調子でしゃべったり、議論したりするようす。
高閣に束ねる(こうかくにつかねる)
書物などを高い棚の上に束ねて放置し、活用しないことのたとえ。「高閣」は高い棚のこと。
幸か不幸か(こうかふこうか)
結果として、幸運になるか不運になるかは分からないが。
好機逸すべからず(こうきいっすべからず)
絶好の機会は逃してはならないということ。
剛毅朴訥、仁に近し(ごうきぼくとつ、じんにちかし)
強固な意志を持ち、素朴で口数が少ない人物こそ、最高の徳である仁に最も近い人であるということ。
肯綮に当たる(こうけいにあたる)
要所・要点を逃さず押さえること。急所をぴたりと突くこと。「肯」は骨につく肉、「綮」は筋と肉を結ぶところで急所の意。「当たる」は「中る」とも書く。
攻撃は最大の防御(こうげきはさいだいのぼうぎょ)
守りにまわらず、積極的に攻めることが一番の防御の方法であるということ。
膏血を絞る(こうけつをしぼる)
人が苦労して得たものを取り上げること。重税を取り立てることのたとえ。「膏血」は人の油と血の意で、苦労して得た利益のたとえ。
巧言令色、鮮なし仁(こうげんれいしょく、すくなしじん)
口先だけで上手を言い、表情をとりつくろって人に気に入られようとする者には、最高の徳である仁の心が欠けているということ。 「巧言」は巧みな言葉遣い、「令色」は顔色をとりつくろうこと。 「鮮なし」は「少なし」と同じ意味。
黄口(こうこう)
孝行のしたい時分に親はなし(こうこうのしたいじぶんにおやはなし)
親が元気な時は、有難みや苦労がわからず、それに気がつく年になった時には、親はもうこの世にいないということ。親が元気なうちに孝行せよという戒め。
孝行も子による(こうこうもこによる)
親孝行は有難いが、どんな子でも、どんな手段でもいいというわけではない。悪いことをして孝行されるなら、してもらわないほうがいいということ。
鴻鵠の志(こうこくのこころざし)
大人物の志。「鴻」は大鳥、「鵠」は白鳥のことで、どちらも大きな鳥。転じて大人物のこと。
後顧の憂い(こうこのうれい)
あとあとの心配のこと。 「後顧」はあとあとの心配をすること。あとをふりかえること。
功罪相償う(こうざいあいつぐなう)
功績と罪過がともにあるために、お互いに打ち消されてしまうこと。 また、功績のおかげで罪過が大目に見られること。
功罪相半ばする(こうざいあいなかばする)
功績と罪過とが半々で、よいとも悪いともいえないということ。
光彩を放つ(こうさいをはなつ)
他よりも優れていて、ひときわ目立つさま。 「光彩」はうつくしい輝き。
巧詐は拙誠に如かず(こうさはせっせいにしかず)
巧みに偽りごまかすことは、たとえ拙くても誠意があるものには及ばないということ。
恒産なき者は恒心なし(こうさんなきものはこうしんなし)
一定の財産や職業がなければ、正しく落ち着いた心を持つことができないということ。「恒産」は一定の財産や安定した職業、「恒心」は正常な心という意。
高山の巓には美木なし(こうざんのいただきにはびぼくなし)
地位の高い人は、人からねたまれたり批判されたりすることが多く、その名声を保つのが難しいというたとえ。 高山の頂上は雨風の激しい過酷な環境なので、そこに立つ木は美しい姿を保つことができないとの意から。
膠漆の交わり(こうしつのまじわり)
きわめて親しく堅い交わりのたとえ。 「膠漆」は、にかわとうるし。 にかわとうるしで塗り固めて離れられないような交わりとの意から。
口耳の学(こうじのがく)
聞いたことをそのまま人に話すだけの自分の身につかない学問のこと。受け売りの学問のこと。 「口耳」は、耳から口までのわずかな距離のことで、耳から入ってすぐ口から出るとの意から。
好事、魔多し(こうじ、まおおし)
よいことが実現しそうな時には往々にして邪魔が入りやすいということ。
孔子も時に遇わず(こうしもときにあわず)
どんなに優れた人でも機会に恵まれなければ才能を発揮できずに終わることもあることのたとえ。 立派な才能を持っていた孔子も、時勢に乗れず生涯不遇であったとの意から。
好事門を出でず、悪事千里を行く(こうじもんをいでず、あくじせんりをいく)
善い行いは、なかなか世間に知られず、悪い行いは、すぐに世間に知れ渡るということ。
後車の戒め(こうしゃのいましめ)
先人の失敗は後人の戒めになるというたとえ。 前の車が覆るのを見て、後の車は戒めにするとの意から。 単に「後車の戒め」ともいう。
巧者貧乏人宝(こうしゃびんぼうひとだから)
器用な人は人の役に立って重宝がられるが、その人自身は大成せずに貧乏しているということ。 「細工貧乏人宝」「職人貧乏人宝」「巧者貧乏人宝」などともいう。
攻守所を変える(こうしゅところをかえる)
攻め手と守り手の立場が逆転すること。互いの立場が逆転すること。
攻守所を異にする(こうしゅところをことにする)
攻め手と守り手の立場が逆転すること。互いの立場が逆転すること。
後塵を拝する(こうじんをはいする)
地位や権力のある人を羨ましく思うこと、または優れた人物のあとにつき従うこと、または人に先んじられることのたとえ。 「後塵」は車馬が通り過ぎたあとの土ぼこりのことで、それを浴びて見送るとの意から。
後生、畏るべし(こうせい、おそるべし)
若い人はいろいろな可能性を持っていて、将来どんな力量を現すかわからないので恐れなければならないということ。「後生」は、あとから生まれる人、後輩の意。
孔席暖まらず、墨突黔まず(こうせきあたたまらず、ぼくとつくろまず)
道を説くために各地を飛びまわることのたとえ。孔子と墨子はあちこち遊説して回って家に落ち着くことがなく、孔子の席は暖まることがなく、墨子の家の煙突は黒くすすけることはなかったということから。
浩然の気(こうぜんのき)
黄泉の客(こうせんのきゃく)
死者のこと。「黄泉」は地下の泉の意。転じて、死者の行くとされる所。
浩然の気を養う(こうぜんのきをやしなう)
物事にとらわれない、のびのびとした気持ちをつちかうこと。「浩然の気」は、天地にみなぎっている正しくておおらかな気のこと。
公然の秘密(こうぜんのひみつ)
表向きは秘密とされているが、実際には広く世間に知れ渡っていること。 「公然」は誰もが知っているということ。
碁打ち親の死に目に会わぬ(ごうちおやのしにめにあわぬ)
碁打ちに時なし(ごうちにときなし)
碁を打つ者は勝負に夢中になって、時を忘れてしまうということ。
巧遅は拙速に如かず(こうちはせっそくにしかず)
仕事の出来がよくて遅いよりは、下手でも速いほうがいいということ。
口中の虱(こうちゅうのしらみ)
逃げ場がなくて、非常に危険なことのたとえ。 口の中のしらみは、逃げ場がないため簡単に噛み殺されることから。
荒唐の言(こうとうのげん)
根拠のないでたらめの話のこと。「荒唐」は、言うことにとりとめがないこと。
紅灯の巷(こうとうのちまた)
花柳界、歓楽街のこと。「紅灯」は華やかな紅い灯火の意。
口頭の交わり(こうとうのまじわり)
口先だけの交際。うわべだけの付き合い。
狡兎死して走狗烹らる(こうとししてそうくにらる)
重宝されていたものも必要なくなれば捨てられることのたとえ。また、敵が滅びると有能な家臣も不要になり殺されてしまうことのたとえ。 「狡兎」はすばしこいうさぎ、「走狗」は猟犬のこと。 獲物である兎が死んでしまえば、猟犬は不要になり煮て食べられるとの意から。
功成り名遂げて身退くは天の道なり(こうなりなとげてみしりぞくはてんのみちなり)
りっぱな仕事を成し遂げて名声を得たら、その地位にとどまらず退くのが、自然の摂理にかなった身の処し方であるということ。
功成り名を遂げる(こうなりなをとげる)
名声を獲得すること。
郷に入っては郷に従え(ごうにいってはごうにしたがえ)
場所によって風俗や習慣が違うので、住む土地の習慣や慣習に従うのがよいということ。「郷」は地方・田舎の意。
効能書きの読めぬ所に効能あり(こうのうがきのよめぬところにこうのうあり)
薬の効能書きは難解だが、それがかえって効きそうな気にさせる。わかりにくいものほど、有難みがあるということのたとえ。また、効能書きの難解さへの皮肉にいう。
甲の薬は乙の毒(こうのくすりはおつのどく)
ある人にはためになることが、他のひとには毒になることもあるということ。物事の価値は人によって違うというたとえ。
黄白(こうはく)
金と銀。または、金銭。
孝は百行の本(こうはひゃっこうのもと)
孝行は、すべての善行の基本となるものであるということ。「百行」は、すべての善いおこないの意。
甲張り強くして家押し倒す(こうばりつよくしていえおしたおす)
必要以上の助けは、かえって悪い結果を招いてしまうということ。 「甲張り」は家などが倒れないようにあてがう材木のこと。 家が倒れないようにあてがう材木が強すぎて、逆に家を押し倒してしまうとの意から。 「甲張り」は「勾張り」とも書く。
勾張り強くして家押し倒す(こうばりつよくしていえおしたおす)
必要以上の助けは、かえって悪い結果を招いてしまうということ。 「甲張り」は家などが倒れないようにあてがう材木のこと。 家が倒れないようにあてがう材木が強すぎて、逆に家を押し倒してしまうとの意から。 「甲張り」は「勾張り」とも書く。
好物に祟りなし(こうぶつにたたりなし)
好きな食べ物は、少しくらい食べ過ぎてもからだに害はないということ。 「好きな物に祟りなし」ともいう。
弘法にも筆の誤り(こうぼうにもふでのあやまり)
いかにすぐれた人物でも、時には失敗することがあるというたとえ。弘法大師のような書の名人でも、時には書き損じることもあるということから。
弘法筆を択ばず(こうぼうふでをえらばず)
名人・達人と呼ばれる人は、どんな道具を使っても良い成果をあげるというたとえ。書の名人の弘法大師は、筆のよしあしを選ばず常にりっぱな字を書いたことから。
高木は風に折らる(こうぼくはかぜにおらる)
優れた人や高い地位の人ほど、人からねたまれて身を滅ぼしやすいことのたとえ。 高い木ほど強い風を受けて折れやすいことから。 「高木は風に折らる」「喬木は風に折らる」ともいう。
小馬の朝勇み(こうまのあさいさみ)
はじめに元気を出し過ぎて、最後まで続かないことのたとえ。 「駒」は、馬のこと。 馬は出発した朝は元気よく走るが、やがて疲れてしまう元気がなくなることから。 「駒の朝勇み」「小馬の朝駆け(朝勇み)」ともいう。
小馬の朝駆け(こうまのあさがけ)
はじめに元気を出し過ぎて、最後まで続かないことのたとえ。 「駒」は、馬のこと。 馬は出発した朝は元気よく走るが、やがて疲れてしまう元気がなくなることから。 「駒の朝勇み」「小馬の朝駆け(朝勇み)」ともいう。
高慢は出世の行き止まり(こうまんはしゅっせのいきどまり)
自分の出世を自慢ばかりするようになると、その人は向上しないということ。また、人から嫌われてそれ以上の出世もできなくなるということ。
功名を竹帛に垂る(こうみょうをちくはくにたる)
手柄を立てて、歴史に名を残すたとえ。「竹帛」は、竹の札と絹のこと。中国で、紙の発明以前に、これに文字を記したところから書物または歴史の意。「垂る」は、残すという意。
蝙蝠も鳥のうち(こうもりもとりのうち)
つまらない者が優れた者たちの中に交じっていることのたとえ。また、あまり力にならない者でも仲間には違いないというたとえ。 蝙蝠(こうもり)も空を飛ぶからには鳥の仲間であるとの意から。
紺屋の明後日(こうやのあさって)
約束の期限があてにならないことのたとえ。「紺屋」は染物屋のことで、もとは「こんや」ともいった。染物屋の仕事は天気に左右されるので、出来上がりが遅れがちでいつも「明後日」と言い訳していたことから。
紺屋の白袴(こうやのしろばかま)
他人の事に忙しくて、自分のことをする暇がないこと。 「紺屋」は染物屋の総称。もとは、藍染め屋のこと。 染物屋が、自分の袴は染めずにいつも白袴をはいていることから。 一説には、あえて白い袴を身につけることで、染料を扱う技術力の高さ、また少しも袴を汚さないという職人気質を表したともいわれる。 紺屋は「こんや」、白袴は「しらばかま」ともいう。
甲由田申は筆者の誤り、十点千字は継母の謀(こうゆでんしんはひっしゃのあやまり、じってんせんじはけいぼのはかりごと)
甲羅を経る(こうらをへる)
年功を積むこと。また、世間ずれして厚かましくなること。「甲羅」の「甲」は、功・劫に掛けて年の功の意。「ら」は、接尾語。
甲羅を干す(こうらをほす)
うつ伏せになり、日光を背中に浴びること。 背中を甲羅にたとえたことば。
黄粱一炊の夢(こうりょういっすいのゆめ)
人生の栄枯盛衰のはかなさのたとえ。 昔、中国の邯鄲(かんたん)で盧生という青年が、道士から枕を借りて眠った。夢の中で、出世して財力や権力を手に入れるという長い人生の経験をしたが、目覚めてみると炊きかけの粥がまだ煮えきらない短い時間であったという故事から。 「邯鄲の枕」「邯鄲の夢」「一炊の夢」「盧生の夢」「黄粱の夢」「黄粱の一炊」「黄粱一炊の夢」など多くの呼び方がある。
蛟竜、雲雨を得(こうりょう、うんうをう)
能力を発揮する機会の無かった英雄や豪傑が、機会を得て能力を発揮することのたとえ。 「蛟竜」は水中にすむとされる中国古代の想像上の動物。 水中にすむ蛟竜は雲や雨を得ればそれに乗って天に昇り竜になるといわれることから。
亢竜、悔いあり(こうりょう、くいあり)
富貴栄華を極めた者は必ず衰えるというたとえ。「亢竜」は、天高く昇りつめた竜。転じて、富貴栄華を極めた者の意。
黄粱の一炊(こうりょうのいっすい)
人生の栄枯盛衰のはかなさのたとえ。 昔、中国の邯鄲(かんたん)で盧生という青年が、道士から枕を借りて眠った。夢の中で、出世して財力や権力を手に入れるという長い人生の経験をしたが、目覚めてみると炊きかけの粥がまだ煮えきらない短い時間であったという故事から。 「邯鄲の枕」「邯鄲の夢」「一炊の夢」「盧生の夢」「黄粱の夢」「黄粱の一炊」「黄粱一炊の夢」など多くの呼び方がある。
黄粱の夢(こうりょうのゆめ)
人生の栄枯盛衰のはかなさのたとえ。 昔、中国の邯鄲(かんたん)で盧生という青年が、道士から枕を借りて眠った。夢の中で、出世して財力や権力を手に入れるという長い人生の経験をしたが、目覚めてみると炊きかけの粥がまだ煮えきらない短い時間であったという故事から。 「邯鄲の枕」「邯鄲の夢」「一炊の夢」「盧生の夢」「黄粱の夢」「黄粱の一炊」「黄粱一炊の夢」など多くの呼び方がある。
紅涙を絞る(こうるいをしぼる)
女性が涙をながすこと。 「紅涙」は女性のながす涙のこと。
剛戻自ら用う(ごうれいみずからもちう)
香炉峰の雪は簾をかかげて見る(こうろほうのゆきはすだれをかかげてみる)
白居易の詩の一節。「香炉峰」は中国江西省北端にある山。
稿を起こす(こうをおこす)
原稿などを書きはじめること。起稿すること。
業を煮やす(ごうをにやす)
物事が思うように運ばず、腹を立てていらいらするたとえ。
声が潤む(こえがうるむ)
悲しくて声が震えて、涙声になること。
声が掛かる(こえがかかる)
勧誘されたり招待されたりすること。 また、目上の人から推薦されること。
声が潰れる(こえがつぶれる)
大きな声を出すなどして、声がかすれたり出なくなったりすること。
声が弾む(こえがはずむ)
元気でうきうきした声になること。
声なきに聴き、形なきに視る(こえなきにきき、かたちなきにみる)
声なくして人を呼ぶ(こえなくしてひとをよぶ)
声を落とす(こえをおとす)
声を小さくして話すこと。
声を限りに(こえをかぎりに)
出せる限りの大声を出すこと。
声を掛ける(こえをかける)
呼びかけたり話しかけたりすること。 また、なにかを一緒にするように誘うこと。
声を嗄らす(こえをからす)
何度も繰り返し叫んだり大声を出したりして、かすれ声になること。
声を曇らす(こえをくもらす)
心配そうな、または悲しそうな声の調子になること。
声を殺す(こえをころす)
他人に聞かれないように、小さい声で話すこと。
声を絞る(こえをしぼる)
出せる限りの大声をだすこと。
声を揃える(こえをそろえる)
みなが同じ内容のことを言うこと。
声を大にする(こえをだいにする)
大きな声で言うこと。また、自分の考えや気持ちなどを強く主張すること。
声を立てる(こえをたてる)
声をだすこと。声を発すること。
声を作る(こえをつくる)
普段と違う声をわざと出すこと。
声を呑む(こえをのむ)
極度の驚き、緊張、感動などによって、声を出すことができなくなること。
声を潜める(こえをひそめる)
他人に聞こえないように、小さな声で話すこと。
声を振り絞る(こえをふりしぼる)
出せる限りの大声をだすこと。
小男の腕立て(こおとこのうでたて)
抵抗しようとしても、非力で問題にならないことのたとえ。「腕立て」は、自分の腕力をたのみとして人と争うこと。
小男の総身の知恵も知れたもの(こおとこのそうみのちえもしれたもの)
小男の全身が知恵だとしても、その量はたかが知れているということ。「大男総身に知恵が回りかね」に対して言い返す言葉。
氷に鏤め、脂に描く(こおりにちりばめあぶらにえがく)
努力や苦労が報われず、徒労に終わることのたとえ。 「鏤む」は彫刻すること。 脂に絵を描いても、氷に彫刻しても、残らず消えてしまうということから。 「氷に鏤め、脂に画く」「氷に鏤め、水に描く」ともいう。
氷に鏤め、水に描く(こおりにちりばめみずにえがく)
努力や苦労が報われず、徒労に終わることのたとえ。 「鏤む」は彫刻すること。 脂に絵を描いても、氷に彫刻しても、残らず消えてしまうということから。 「氷に鏤め、脂に画く」「氷に鏤め、水に描く」ともいう。
氷は水より出でて水よりも寒し(こおりはみずよりいでてみずよりもさむし)
弟子が師よりも優れたものになることのたとえ。 水からできた氷が、水よりも冷たくなるとの意から。
呉下の阿蒙(ごかのあもう)
いつまでたっても昔のままで、少しも進歩のない人のこと。「呉下」は中国の呉地方、「阿」は親しみを表して人名に付ける語。魯粛が呂蒙に再会して、学問の上達の早さに驚き、呉にいた時の阿蒙ではないと言ったという故事から。
古希(こき)
七十歳。また、その祝い。
杜甫の詩「人生七十古来稀なり」から。「古希」は、「古稀」とも書く。狐疑(こぎ)
物事を疑い、行うことをためらうこと。疑い深い。
御機嫌を伺う(ごきげんをうかがう)
相手の機嫌を損ねないように注意を払ったり、相手から気に入られるように気を遣ったりすること。
小気味がいい(こきみがいい)
見たり聞いたりしているだけで、爽快な気分になる様子。痛快な様子。 「小気味」は「気味」を強めた表現。
呼吸が合う(こきゅうがあう)
双方の調子や気持ちがぴったりと合うこと。 「呼吸が合う」ともいう。
呉牛、月に喘ぐ(ごぎゅう、つきにあえぐ)
取り越し苦労をするたとえ。「呉牛」は、中国の呉地方にいる水牛のこと。呉牛は暑さが苦手で、月を太陽と見誤って喘いだということから。
故郷へ錦を飾る(こきょうへにしきをかざる)
立派な着物を着ること。転じて、成功して晴れがましい姿で故郷に帰ること。 単に「錦を飾る」、また「錦衣を着て故郷に帰る」ともいう。
故郷忘じ難し(こきょうぼうじがたし)
生まれ故郷はいつまでもなつかしく、忘れがたいものであるということ。
告朔の餼羊(こくさくのきよう)
古くからのしきたりは、むやみに廃止すべきではないということ。また、形式ばかりで実質がないしきたりのこと。 「告朔」は、古代中国で、諸侯が天子から受け取った新しい年の暦をいったん祖先の廟に納め、毎月一日に祭事を行い、その月の暦を国内に施行した儀式のこと。 「餼羊」は、その祭事に供えるいけにえの羊。 告朔の意義が廃れて羊を供える儀式だけが残った時、いけにえを廃止しようとしたが、孔子が告朔の儀式が全て廃れてしまうのを惜しんだという故事から。
刻舟(こくしゅう)
古いしきたりや習わしにとらわれて、状況の変化に応じることができない愚かさのたとえ。 中国の楚の人が舟で長江を渡る途中に乗っている舟から剣を落としたため、慌てて舟べりに印をつけて、舟が岸に着いた後に印をつけた場所の川底を捜したという故事から。 「舟に刻(こく)して剣を求む」「剣を落として舟を刻む」「刻舟」ともいう。
黒白を争う(こくびゃくをあらそう)
どちらが正しいかをはっきりさせること。「黒白」は、善悪・是非・正邪の意。
黒白を弁せず(こくびゃくをべんせず)
物事の善悪・是非・正邪がわからないこと。「黒白」は、善悪・是非・正邪の意。
小首を傾げる(こくびをかしげる)
首を軽く傾けて考えること。また、その動作。
極楽の入り口で念仏を売る(ごくらくのいりぐちでねんぶつをうる)
知り尽くしている人にものを教えるたとえ。
苔が生える(こけがはえる)
長い年月を経て古びる様子。役に立たなくなる様子。
こけた上を踏まれる(こけたうえをふまれる)
不幸に見舞われている時に、さらなる不幸に見舞われること。 不幸が重なることのたとえ。 「こける」は、転ぶこと。 転んで倒れた上を踏まれるとの意から。
虎穴に入らずんば虎子を得ず(こけつにいらずんばこじをえず)
危険なことも避けていては、大きな成功は得られないということ。 虎の住む穴に入らなければ、虎の子をつかまえることは出来ないとの意から。
虚仮にする(こけにする)
人を見下して馬鹿にした態度をとること。 「虚仮」は愚かなこと。また、そのような人のこと。
虚仮の一念(こけのいちねん)
愚かな者でも物事を一心に行えば、すぐれたことが出来るというたとえ。 「虚仮」は、愚か者のこと。 「虚仮の一念」ともいう。
虚仮の一心(こけのいっしん)
愚かな者でも物事を一心に行えば、すぐれたことが出来るというたとえ。 「虚仮」は、愚か者のこと。 「虚仮の一念」ともいう。
こけら落とし(こけらおとし)
劇場や映画館、競技場などの新築や改築を祝って行う最初の興行のこと。「こけら」は、材木の削りくずのことで、新築や改築の最後の仕上げに、それを払い落としたことから。
沽券に関わる(こけんにかかわる)
品位や体面にさしさわることをいう。「沽券」は、土地や家の売買契約の証文のこと。転じて、体面の意。
虎口(ここう)
この上なく危険な場所や状態。
股肱の臣(ここうのしん)
もっとも信頼できる部下のこと。「股」はもも、「肱」はひじのことで、どちらも人間のからだにとって重要な部分ということで、「股肱」はもっとも頼りになるものの意。
後光より台座が高くつく(ごこうよりだいざがたかくつく)
ものごとは、目立たない基礎の部分に案外お金がかかるということ。 仏像は人目につく光背より、目立たない台座のほうが費用がかかるとの意から。
糊口を凌ぐ(ここうをしのぐ)
どうにか暮らしを立てていくこと。 「糊」は、粥のこと。 粥をすするようにして、なんとか生きていくとの意から。
虎口を脱する(ここうをだっする)
危険な状態からやっとのことで逃れること。「虎口」は、虎の口のように危険な場所の意。
虎口を逃れて竜穴に入る(ここうをのがれてりゅうけつにいる)
次から次へと災難にあうことのたとえ。 虎に食われる危険から逃れたら、今度は竜の住む穴に入り込んでしまうことから。
小言八百愚痴千粒(こごとはっぴゃくぐちせんつぶ)
ささいな小言や愚痴など、言っても仕方がないことを延々と言う人のことを評した言葉。
呱呱の声を上げる(ここのこえをあげる)
赤ん坊が生まれること。 また、物事が新たに誕生すること。 「呱呱」は、赤ん坊の泣き声。
呱々の声を上げる(ここのこえをあげる)
赤ん坊が生まれること。 また、物事が新たに誕生すること。 「呱呱」は、赤ん坊の泣き声。
ここばかりに日は照らぬ(ここばかりにひはてらぬ)
太陽が照っているのはここだけではない。つまり、どこに行っても生活できる所はあるという意で、うまくいかなくなって出て行く時の捨て台詞。
心が洗われる(こころがあらわれる)
心の中の穢(けが)れがなくなり、爽やかで清々しい気分になること。
心が動かされる(こころがうごかされる)
考え方や気持ちなどが揺さぶられること。 「心が動かされる」ともいう。
心が動く(こころがうごく)
考え方や気持ちなどが揺さぶられること。 「心が動かされる」ともいう。
心が躍る(こころがおどる)
期待や喜び、楽しさなどで胸がわくわくすること。
心が重い(こころがおもい)
心に負担を感じて気持ちが沈むさま。
心が通う(こころがかよう)
お互いに気持ちを理解しあって、通じあうこと。 「心が通ずる」ともいう。
心がこもる(こころがこもる)
その人の誠意が十分に満ちていること。
心が騒ぐ(こころがさわぐ)
よくないことが起こりそうな予感がして、気持ちが落ち着かず不安になること。
心が通ずる(こころがつうずる)
お互いに気持ちを理解しあって、通じあうこと。 「心が通ずる」ともいう。
心が弾む(こころがはずむ)
楽しいことや嬉しいことがあって、気持ちがうきうきすること。 「気が弾む」ともいう。
心が乱れる(こころがみだれる)
あれこれと思い悩み、心の平静が失われること。
心ここに在らざれば視れども見えず(こころここにあらざればみれどもみえず)
心が他のことにとらわれて集中できなければ、視線を向けていても、何も見えないのと同じことであるということ。
志ある者は事竟に成る(こころざしあるものはことついになる)
確固たる志を持っている者は、どんな困難があっても最後には必ず成功するということ。
志は髪の筋(こころざしはかみのすじ)
どんなものでも真心をこめて贈れば、相手は誠意を汲みとってくれるものであるということ。
志は木の葉に包む(こころざしはこのはにつつむ)
たとえ木の葉に包むほどのささやかな物でも、真心がこもっていれば立派な贈り物だということ。
心に浮かぶ(こころにうかぶ)
ふと思いだしたり、思いついたりすること。
心に掛ける(こころにかける)
忘れないように、心にしっかりと覚えておくこと。
心に懸ける(こころにかける)
忘れないように、心にしっかりと覚えておくこと。
心に刻む(こころにきざむ)
忘れないように心の中に深く留めておくこと。
心につるる姿(こころにつるるすがた)
心のありさまは外見に現れるということ。 「つるる」は「連れる」、伴うという意味。 心が美しいと姿も美しくなり、心が醜いと姿も醜くなるとの意から。
心に留める(こころにとめる)
忘れないように、心にしっかりと覚えておくこと。
心に残る(こころにのこる)
強い感動や印象を受け、そのことをいつまでも忘れることができない。
心の鬼が身を責める(こころのおにがみをせめる)
良心に責められることのたとえ。「心の鬼」は、良心の呵責の意。
心の駒に手綱許すな(こころのこまにたづなゆるすな)
過ちを犯さないように、常に心を引き締めよということ。 「駒」は馬のこと。心を馬にたとえて、放っておくと悪い方へ走りがちなので、手綱を引き締めて制御せよとの意から。
心の師とはなれ心を師とせざれ(こころのしとはなれこころをしとせざれ)
自分の心は自ら律するべきであり、心のままに感情に流されてはいけないということ。
心の欲する所に従えども矩を踰えず(こころのほっするところにしたがえどものりをこえず)
自分の心の思うままに行動しても、決して道徳から外れないということ。
心は二つ身は一つ(こころはふたつみはひとつ)
あれもこれもと心は二つのことを望むが、自分のからだは一つしかなく、思い通りにならないということ。
心ほどの世を経る(こころほどのよをへる)
人はその人の心がけ次第で、それにふさわしい人生を送るようになるということ。
心安いは不和の基(こころやすいはふわのもと)
あまりに親しくなり過ぎると遠慮がなくなり、かえって仲違いしやすいということ。
心を合わせる(こころをあわせる)
こころを一つにすること。
心を致す(こころをいたす)
心を込めて、物事にあたること。
心を痛める(こころをいためる)
あれこれ思い悩んだり、心配したりすること。
心を入れ替える(こころをいれかえる)
今までの悪い態度や考えを改めること。
心を動かす(こころをうごかす)
興味関心を誘われて、その気になること。 または、感動して心を打たれること。 また、動揺して心が乱れること。
心を打つ(こころをうつ)
見聞きした人に強い影響や感銘をあたえること。
心を移す(こころをうつす)
これまでとは別の対象に気持ちや愛情、関心などを向けること。
心を躍らせる(こころをおどらせる)
期待や喜び、楽しさなどで胸がわくわくすること。
心を鬼にする(こころをおににする)
相手のためにわざと厳しい態度をとること。
心を傾ける(こころをかたむける)
一つのことに集中すること。
心を砕く(こころをくだく)
あれこれと考えたり気を遣ったりして、非常に苦心することのたとえ。
心を配る(こころをくばる)
細かいところまで配慮したり、注意を払ったりすること。
心を汲む(こころをくむ)
相手の思っていることを推察すること。
心を引かれる(こころをひかれる)
あることに関心をもち、思いを寄せること。
心を乱す(こころをみだす)
あれこれと思い悩み、心の平静が失われること。
心を許す(こころをゆるす)
相手を信頼して、警戒心や緊張をなくすこと。
心を寄せる(こころをよせる)
ある人に好意をよせること。慕わしく思うこと。
子三人、子宝(こさんにん、こだから)
子どもは三人ぐらいが理想的で、子宝というのにふさわしいということ。
腰が重い(こしがおもい)
面倒に思って行動に移せないこと。または、動作が鈍いこと。 「腰が重い」ともいう。
腰が砕ける(こしがくだける)
物事をやり遂げようとする気力が途中でなくなること。 また、腰の力が抜けて体が安定しないこと。
腰が据わる(こしがすわる)
その場所に留まって落ち着いて物事を行うこと。 また、安定した職業や地位についていること。 しっかりと腰が安定しているとの意から。
腰が強い(こしがつよい)
簡単に人に屈したりせず、気が強いことのたとえ。 また、うどんや餅などの粘り気が強いことのたとえ。
腰が抜ける(こしがぬける)
驚きや恐怖で、腰の力がぬけて立ち上がれなくなること。 また、気力が抜けて茫然(ぼうぜん)とすること。
腰が低い(こしがひくい)
他人に対する態度が控えめで丁寧であることのたとえ。
腰が弱い(こしがよわい)
気が弱く、すぐ人に屈してしまうことのたとえ。 また、うどんや餅などの粘り気が弱いことのたとえ。
甑に坐するが如し(こしきにざするがごとし)
乞食にも門出(こじきにもかどで)
どのような者であっても門出の時には幸運を祈ってお祝いをするということ。また、何事にもそれ相応の儀式や方法があるということ。 乞食でも門出の時にはお祝いをするとの意から。
乞食にも三つの理屈(こじきにもみっつのりくつ)
どんな人でも、その人なりの言い分や理屈があるということ。
乞食の朝謡(こじきのあさうたい)
乞食は暇なので朝からのんびり謡をうたい、普通の人より気楽な生活をしているということ。
乞食の系図話(こじきのけいずばなし)
言ってもどうにもならない愚痴をこぼしたり、見栄を張ったりすること。 「系図」は、代々の家系の系統を書き表したもの。 乞食が落ちぶれる前の系図の自慢話をするとの意から。
乞食の子も三年経てば三つになる(こじきのこもさんねんたてばみっつになる)
生まれた子も三年経てばちゃんと三歳になるように、どんな物事も時が経てば変化し成長するということ。 「乞食の子も三年経てば三つになる」ともいう。
乞食の断食(こじきのだんじき)
やむを得ずしていることを、自ら行ったようにみせかけることのたとえ。 食べ物がない乞食が、断食をしていると言って平気を装うとの意から。
乞食も場所(こじきもばしょ)
何事をするにも、場所を選ぶことが大事だというたとえ。 乞食も座る場所によって稼ぎが違うとの意から。
乞食を三日すればやめられぬ(こじきをみっかすればやめられぬ)
悪い習慣が身についてしまうと、なかなか抜けられないというたとえ。 気楽な乞食の暮らしを三日も経験したならばやめることはできないとの意から。 「乞食を三日すれば忘れられぬ」ともいう。
乞食を三日すれば忘れられぬ(こじきをみっかすればわすれられぬ)
悪い習慣が身についてしまうと、なかなか抜けられないというたとえ。 気楽な乞食の暮らしを三日も経験したならばやめることはできないとの意から。 「乞食を三日すれば忘れられぬ」ともいう。
五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)
多少の違いはあっても、本質的には違いがないということ。戦場で五十歩逃げた兵士が、百歩逃げた兵士を臆病だと笑ったが、逃げたことには変わりはないという故事から。
五指に余る(ごしにあまる)
めぼしいものや優れたものなどが五つ以上あることのたとえ。
五指に入る(ごしにはいる)
優れていることのたとえ。良いほうから数えて五番以内に入ることのたとえ。
五指のこもごも弾くは捲手の一挃に若かず(ごしのこもごもはじくはけんしゅのいっちつにしかず)
ばらばらな個々の力は、団結した力には及ばないことのたとえ。 五本の指をばらばらにはじく力は、握りこぶしで叩いた一撃には及ばないとの意から。
小姑一人は鬼千匹にむかう(こじゅうとひとりはおにせんびきにむかう)
嫁にとって、小姑一人は鬼千匹にも匹敵するほどやっかいで、扱いにくい存在であるということ。「むかう」は、匹敵するという意。
五十にして天命を知る(ごじゅうにしててんめいをしる)
五重の塔も下から組む(ごじゅうのとうもしたからくむ)
物事はすべて順序よく進めていってこそ、成功するというたとえ。
後生が大事(ごしょうがだいじ)
来世の安楽を願って信心することが大切だということ。
後生大事や金欲しや死んでも命のあるように(ごしょうだいじやかねほしやしんでもいのちのあるように)
来世の安楽を願いながら、現世の金も欲しいと、あれもこれも願う人間の強欲さのたとえ。
孤掌鳴らし難し(こしょうならしがたし)
人間は一人きりでは生きられないこと、一人では物事を成し遂げることはできないことのたとえ。 「孤掌」は、片方の手のひら。 片方の手のひらだけでは、手を打ち鳴らすことは出来ないことから。
後生願いの六性悪(ごしょうねがいのろくしょうあく)
来世の安楽を願っていながら、たちの悪いことをするたとえ。「後生願い」は、来世の極楽往生を願うこと。「六性悪」は、喜・怒・哀・楽・愛・悪の六つの感情の「六性」と「性悪」をかけていったもの。
胡椒の丸呑み(こしょうのまるのみ)
表面だけを見て、物事の本質を理解しないことのたとえ。 胡椒をかみ砕かずに丸呑みしても、味は分からないことから。
後生は徳の余り(ごしょうはとくのあまり)
一生懸命に徳を積めば、おのずと来世の安楽もかなえられるということ。また、現世の暮らしに余裕があってこそ、来世の安楽を祈ることができるということ。
腰を上げる(こしをあげる)
立ち上がること。または、行動を起こすこと。
腰を浮かす(こしをうかす)
立ちあがろうとして、少し腰をあげること。
腰を落ち着ける(こしをおちつける)
転職や転居などをくり返していた人が一つの所に長く留まること。 また、ものごとにじっくりと取り組むこと。
腰を折る(こしをおる)
腰をまげたり屈めたりすること。 また、物事の途中で邪魔を入れること。
腰を据える(こしをすえる)
一つの場所に落ち着くこと。 また、落ち着いて物事を行うこと。
腰を抜かす(こしをぬかす)
動けなくなるほど、ひどく驚くさま。
古人の糟魄(こじんのそうはく)
物事の真髄は、言葉や文字で伝えることはできないということ。 「古人」は昔の賢人のこと。 「糟魄」は酒かすのこと。 言葉や文字で伝えることのできる知恵は、酒かすのように残りかすでしかないという意味から。 書物や学問を軽視した言葉。 「糟魄」は「糟粕」とも書く。
古人の糟粕(こじんのそうはく)
物事の真髄は、言葉や文字で伝えることはできないということ。 「古人」は昔の賢人のこと。 「糟魄」は酒かすのこと。 言葉や文字で伝えることのできる知恵は、酒かすのように残りかすでしかないという意味から。 書物や学問を軽視した言葉。 「糟魄」は「糟粕」とも書く。
五臓六腑に沁みわたる(ごぞうろっぷにしみわたる)
体のすみずみまで沁みとおること。 「五臓」は心臓・肝臓・肺臓・脾臓・腎臓のこと。 「六腑」は胃・胆・大腸・小腸・膀胱・三焦のこと。 五つの内臓と六つのはらわたのことで、転じて、腹の中や体全体のこと。
子宝、脛が細る(こだから、すねがほそる)
親にとって子どもは宝であるが、育てるためのは脛が細くなるような苦労をするということ。
御託を並べる(ごたくをならべる)
自分勝手なことをもったいぶって、あれこれ言い立てること。「御託」は「御託宣」の略で、神のお告げ。転じて、偉そうにもったいぶって言うこと。
炬燵で河豚汁(こたつでふぐじる)
大事をとりながら危険なことをするという矛盾した行為のたとえ。炬燵でゆっくり休養しながら、危険な河豚汁を食べることから。
御多分に漏れず(ごたぶんにもれず)
他のものと同じであること。例外ではなく。
壺中の天地(こちゅうのてんち)
俗世間から離れた別世界のたとえ。また、酒を飲んで俗世間のことを忘れる楽しみのたとえ。 中国後漢の費長房が、薬売りの老人が商売が終わると壺の中に入るのを見て一緒に入れてもらったところ、そこにはりっぱな建物があり、美酒や旨い肴が並んでいたので、ともに酒を飲んで外に出てきたという故事から。
胡蝶の夢(こちょうのゆめ)
夢と現実の世界との区別がつかなくなるたとえ。また、人生が夢のようにはかないことのたとえ。 「胡蝶」は蝶の美称。 昔、荘子が蝶になった夢を見たが、目が覚めるともとのままの自分で、自分が夢の中で蝶になったのか、それとも夢の中の蝶が自分になったのか、わからなくなったという故事から。
凝っては思案に余る(こってはしあんにあまる)
物事に熱中しすぎると、よい考えも浮かばなくなり、冷静な判断が出来なくなるということ。
骨肉相食む(こつにくあいはむ)
肉親同士が激しく争うこと。「骨肉」は、親子・兄弟などの血のつながった者の意。
木っ端を拾うて材木を流す(こっぱをひろうてざいもくをながす)
小事にかまけて大事に失敗するたとえ。木のきれはしを集めて材木を流してしまうということから。
コップの中の嵐(こっぷのなかのあらし)
狭い範囲内で起こった、大局には何の影響もない騒ぎのたとえ。
小爪を拾う(こづめをひろう)
ことば尻を捕えて非難したり口答えをしたりすること。
子で子にならぬ時鳥(こでこにならぬほととぎす)
後手に回る(ごてにまわる)
相手に先を越され、受け身の立場になったり対応が遅れたりすること。
碁で負けたら将棋で勝て(ごでまけたらしょうぎでかて)
あることで失敗してもくよくよせず、別の事で取り返せということ。
後手を引く(ごてをひく)
相手に先を越され、受け身の立場になったり対応が遅れたりすること。
事ある時は仏の足を戴く(ことあるときはほとけのあしをいただく)
普段は不信心な人でも、困ったときには仏の足元にひれ伏して救いを求めるというたとえ。
事がな笛吹かん(ことがなふえふかん)
何か事件が起こればそれに乗じようと、機会を狙って待ち構えること。 何か事が起こったら笛を吹いてはやしたてようとの意から。
事が延びれば尾鰭が付く(ことがのびればおひれがつく)
物事は長引くと余計な問題が起こって面倒になるので、なるべく早く処理せよということ。
事が運ぶ(ことがはこぶ)
ものごとが予定通りに進展すること。
事ここに至る(ことここにいたる)
事態が切迫し、手の打ちようのない状態になること。
尽く書を信ずれば書なきに如かず(ことごとくしょをしんずればしょなきにしかず)
批判できる力を持たずに書物読んで、その全てを信じてしまうくらいなら、書物など読まないほうがよいということ。 どんな書物も完ぺきではないので、盲信してはいけないとの意から。
尽く書を信ずれば則ち書無きに如かず(ことごとくしょをしんずればすなわちしょなきにしかず)
批判できる力を持たずに書物読んで、その全てを信じてしまうくらいなら、書物など読まないほうがよいということ。 どんな書物も完ぺきではないので、盲信してはいけないとの意から。
琴柱に膠す(ことじににかわす)
規則にこだわって融通がきかないことのたとえ。「琴柱」は、琴の胴の上に立てて弦を支える道具で、この位置を動かして音の高低を調節するもの。その琴柱を膠で固定すると音調を変えることが出来ないことから。
言伝は荷にならぬ(ことづてはににならぬ)
人から頼まれた伝言は、荷物にもならないたやすい事だということ。
事と次第によっては(こととしだいによっては)
事の成り行きによっては。もしかすると。
事とせず(こととせず)
まったく気にしない。問題にもしない。
事ともしない(ことともしない)
まったく気にしない。問題にもしない。
事ともせず(ことともせず)
まったく気にしない。問題にもしない。
事に当たる(ことにあたる)
ある事柄に携わったり従事したりすること。 または、物事に取り組むこと。
事に触れて(ことにふれて)
何かあるごとに。なにかにつけて。
事によると(ことによると)
事の成り行きによっては。もしかすると。
言葉多きは品少なし(ことばおおきはしなすくなし)
口数の多い人は軽薄で品位に欠けるという、おしゃべりを戒める言葉。
言葉が過ぎる(ことばがすぎる)
相手に対して、言わなくてもいいことや失礼なことを言うことのたとえ。
言葉尻を捕らえる(ことばじりをとらえる)
相手の言い間違いをとらえて、攻撃したり皮肉ったりすること。
言葉に甘える(ことばにあまえる)
相手からの親切や好意を受けいれること。 多く、「お言葉に甘えて」の形で使われる。
言葉に余る(ことばにあまる)
ことばだけで表現したり言い尽くしたりすることができない。
言葉の綾(ことばのあや)
言葉を飾って、じょうずに言い表すこと。 解釈の仕方によって、いろいろな意味に受け取れる微妙な表現。 「綾」は美しい織物の模様。 発言が誤解を招いた際の弁明として用いられることが多い。
言葉は国の手形(ことばはくにのてがた)
言葉のなまりは通行手形のように、その人の生まれ育った場所を示すということ。 「訛りは国の手形」「方言は国の手形」ともいう。
言葉は心の使い(ことばはこころのつかい)
心に思っていることは、自然に言葉に表れるということ。
言葉を返す(ことばをかえす)
相手の言ったことに対して答えること。 また、相手に反論したり口答えをしたりすること。 多くは、「お言葉を返す」との形で使われる。
言葉を飾る(ことばをかざる)
美しいことばで巧みに言い表すこと。また、きれいごとを言うこと。
言葉を尽くす(ことばをつくす)
聞く人が理解できるように、思いつくかぎりの言葉を使って詳しく話すこと。
言葉を濁す(ことばをにごす)
はっきりとは明言せず、曖昧な表現で済ますこと。 「口を濁す」ともいう。
五斗米のために腰を折る(ごとべいのためにこしをおる)
わずかな俸禄を得るために、人の機嫌をとってぺこぺこ頭を下げること。 中国唐の詩人陶淵明が、上役が視察に来るので礼服を着るよう求められた時、五斗米のために腰を折ってへつらうのは嫌だと言って断ったという故事から。 「五斗米」は五斗の米、転じてわずかな給料のこと。
事もあろうに(こともあろうに)
もっと他に適したやり方があるだろうに。よりによって。
子供川端、火の用心(こどもかわばた、ひのようじん)
子どもが川に落ちないように注意することと、火の用心をすることが大事だということ。
子供叱るな来た道だもの年寄り笑うな行く道だもの(こどもしかるなきたみちだものとしよりわらうなゆくみちだもの)
子どものいたずらなどは誰しも身に覚えがあるので叱るべきではないし、自分もいずれ年をとるので老人を笑いものにすべきではないということ。
子供好きに子なし(こどもずきにこなし)
子どもが好きな人には、子どもがない場合が多いということ。
事も無げ(こともなげ)
特に問題がないかのように普段と変わらないように物事を行う様子。平気な様子。
子供の喧嘩に親が出る(こどものけんかにおやがでる)
子ども同士の喧嘩に親が口出しして、自分の子どもの味方する愚かさを非難する言葉。また、大人気ないふるまいや余計な干渉をするたとえ。
子供の使い(こどものつかい)
要領を得ず、役に立たない使いのたとえ。
子供の根問い(こどものねどい)
子どもが何にでも疑問を持って、根掘り葉掘り問いただすこと。
子供は教え殺せ、馬は飼い殺せ(こどもはおしえころせ、うまはかいころせ)
子どもは徹底的に教育し、馬の調教も手加減するなということ。 「馬は飼い殺せ、子供は教え殺せ」ともいう。
子供は風の子、大人は火の子(こどもはかぜのこ、おとなはひのこ)
子どもは寒い風が吹く中でも元気に外で遊びまわり、大人は寒がって火のそばを離れないということ。
事を起こす(ことをおこす)
新たに活動や事業を始めたりすること。 また、不祥事を起こすこと。
事を欠く(ことをかく)
必要なものが不足して、不自由な状態であること。 また、他にもっと適した方法がありそうなのになぜそのようにするのか、と相手を非難する気持ちを込めていう言葉。
事を構える(ことをかまえる)
ささいな出来事を大げさにして、争いを起こそうとすること。
事を好む(ことをこのむ)
ふつうではない変わった物事を好むこと。 特に、事件などが起こるのを期待すること。
事を成すは運根鈍(ことをなすはうんこんどん)
人生で成功するためには、運がよいこと、根気があること、物事にこだわらないことの三つが必要だということ。「事を成すは運根鈍」「運鈍根」ともいう。
事を運ぶ(ことをはこぶ)
ものごとを進行すること。
事を分ける(ことをわける)
聞く人が理解できるように、筋道をたてて丁寧に説明すること。
事を割る(ことをわる)
聞く人が理解できるように、筋道をたてて丁寧に説明すること。
小鍋はじきに熱くなる(こなべはじきにあつくなる)
子に過ぎたる宝なし(こにすぎたるたからなし)
子どもは最上の宝であるということ。 「子に勝る宝なし」ともいう。
子に引かるる親心(こにひかるるおやごころ)
子に勝る宝なし(こにまさるたからなし)
子どもは最上の宝であるということ。 「子に勝る宝なし」ともいう。
小糠三合あったら入り婿すな(こぬかさんごうあったらいりむこすな)
男はわずかでも財産があるなら、気苦労の多い婿養子にはならずに独立して生計を立てよということ。 「小糠三合」は、わずかな財産のたとえ。 「婿に行くな」は「入り婿すな」「養子に行くな」などともいう。 「小糠」は「粉糠」とも書く。
小糠三合あったら婿に行くな(こぬかさんごうあったらむこにいくな)
男はわずかでも財産があるなら、気苦労の多い婿養子にはならずに独立して生計を立てよということ。 「小糠三合」は、わずかな財産のたとえ。 「婿に行くな」は「入り婿すな」「養子に行くな」などともいう。 「小糠」は「粉糠」とも書く。
小糠三合あったら養子に行くな(こぬかさんごうあったらようしいにいくな)
男はわずかでも財産があるなら、気苦労の多い婿養子にはならずに独立して生計を立てよということ。 「小糠三合」は、わずかな財産のたとえ。 「婿に行くな」は「入り婿すな」「養子に行くな」などともいう。 「小糠」は「粉糠」とも書く。
この親にしてこの子あり(このおやにしてこのこあり)
親が立派だからこそ、子どもも優秀であるということ。悪い親だから、子どもも悪くなるという意味で使われることも多い。
子の心、親知らず(このこころ、おやしらず)
親はとかく、子どもの本当の心や考えを察知することは出来ないということ。
この父あって、ここにこの子あり(このちちあって、ここにこのこあり)
子はあるも嘆き、なきも嘆き(こはあるもなげき、なきもなげき)
子どもはあればあるで心配事が多く、なければないで嘆きの種になるということ。
子は産むも心は生まぬ(こはうむもこころはうまぬ)
親は子どもは生んでも、その子の心まで産むわけではないから、心が親に似ていなくても当然だということ。
子は鎹(こはかすがい)
子どもは夫婦の縁をつなぎとめる鎹のような存在で、我が子への愛情から夫婦の仲がなごやかに保たれるということ。「鎹」は、材木をつなぎ止めるためのコの字型の鉄製の釘のこと。
子は三界の首枷(こはさんがいのくびかせ)
親は子どものことにとらわれて、終生自由を束縛されてしまうということ。「三界」は、過去・現在・未来の三世のこと。「首枷」は、罪人の首にはめて自由を束縛する刑具。子どもは三界にわたって親の自由を拘束する首枷のようなものだということ。
胡馬、北風に嘶く(こば、ほくふうにいななく)
故郷の忘れがたいことのたとえ。 中国南方の越の国から北国へ渡った鳥は樹木の南側の枝に巣をかけ、北方の胡の国から来た馬は北風が吹きよせると故郷を想って嘶(いなな)くとの意から。 『文選』の古詩「胡馬は北風に依り、越鳥は南枝に巣くう」による。 単に「越鳥南枝に巣くう」や「胡馬北風に嘶く」ともいう。
小船の宵拵え(こぶねのよいごしらえ)
準備が早すぎること、おおげさすぎることのたとえ。 小船を出そうとして、前の晩から船出の準備をすることから。
御幣担ぎ(ごへいかつぎ)
縁起をひどく気にしたり、迷信を信じたりすること。「御幣」は、神事に使う幣束の敬称。その御幣を担いで不吉なことを払おうとする意から。
牛蒡抜き(ごぼうぬき)
多くの中から一人ずつ次々に抜き出すこと。
牛蒡抜き(ごぼうぬき)
競走などで複数の人を一気に追い抜くこと。
子ほど喜ばせにくいものはなく親ほど喜ばせやすいものはない(こほどよろこばせにくいものはなくおやほどよろこばせやすいものはない)
親の愛情を当然と思っている子どもを喜ばせるのは難しいが、親は子どものわずかな孝養でも大喜びするということ。
五本の指に入る(ごほんのゆびにはいる)
優れていることのたとえ。良いほうから数えて五番以内に入ることのたとえ。
小股が切れ上がる(こまたがきれあがる)
きりっと引き締まって小粋な姿をしている女性を表す言葉。
小股を掬う(こまたをすくう)
相手の隙をねらって自分の利益をはかること。 相手の股の内側を手で掬(すく)ってたおす相撲の技から。 「小股を取る」ともいう。
小股を取る(こまたをとる)
相手の隙をねらって自分の利益をはかること。 相手の股の内側を手で掬(すく)ってたおす相撲の技から。 「小股を取る」ともいう。
独楽鼠のよう(こまねずみのよう)
あちこち忙しく動き回る様子。
駒の朝勇み(こまのあさいさみ)
はじめに元気を出し過ぎて、最後まで続かないことのたとえ。 「駒」は、馬のこと。 馬は出発した朝は元気よく走るが、やがて疲れてしまう元気がなくなることから。 「駒の朝勇み」「小馬の朝駆け(朝勇み)」ともいう。
駒の朝走り(こまのあさばしり)
はじめに元気を出し過ぎて、最後まで続かないことのたとえ。 「駒」は、馬のこと。 馬は出発した朝は元気よく走るが、やがて疲れてしまう元気がなくなることから。 「駒の朝勇み」「小馬の朝駆け(朝勇み)」ともいう。
独楽の舞い倒れ(こまのまいだおれ)
自分ひとりで張り切ってやったあげく、結局は力が尽きて無駄なことに終わってしまうたとえ。くるくると回っていた独楽が、最後はごろんと倒れてしまうことから。
ごまめでも尾頭つき(ごまめでもおかしらつき)
小さいながらも立派に形が整っていることのたとえ。「ごまめ」は片口鰯を干したもので、小さくても頭から尾までそろっていることから。
ごまめの歯軋り(ごまめのはぎしり)
実力のない者がいたずらにくやしがったり、いきりたったりすることのたとえ。また、実力のない者が、いくら悔しがっても無駄というたとえ。 「ごまめ」は片口鰯を干したもので、小さなごまめが歯軋りして憤慨しても、あまりに微力であることから。
胡麻を擂る(ごまをする)
お世辞を言ったり気に入られるように振舞ったりすること。
小耳に挟む(こみみにはさむ)
うわさなどをたまたま聞くこと。 「小」は「ちょっと」の意。
虚無僧に尺八(こむそうにしゃくはち)
必ず付いているもののたとえ。
米食った犬が叩かれずに糠食った犬が叩かれる(こめくったいぬがたたかれずにぬかくったいぬがたたかれる)
大きな悪事をはたらいた者が罪を逃れ、小さな悪事を犯した者が罰せられるたとえ。
米の飯と女は白いほどよい(こめのめしとおんなはしろいほどよい)
白い米の飯がうまいように、女も色が白いほうがきれいに見えるということ。
米の飯と天道様はどこへ行っても付いて回る(こめのめしとてんとうさまはどこへいってもついてまわる)
どんな所でも太陽が当たるように、どこへ行っても食べることは何とでもなるということ。
米の飯より思し召し(こめのめしよりおぼしめし)
ごちそうしてくれるのもうれしいが、その気持ちのほうがずっとうれしいということ。「飯」と「召し」をかけて調子よく言った言葉。
米を数えて炊ぐ(こめをかぞえてかしぐ)
つまらないことをいちいち気にしたり、ひどく物惜しみをするたとえ。 米を一粒ずつ数えて飯を炊くとの意から。
子ゆえの闇に迷う(こゆえのやみにまよう)
子どもを思うあまり、親が暗闇に迷いこんだように思慮分別がつかなくなるたとえ。
小楊枝で重箱の隅をほじくる(こようじでじゅうばこのすみをほじくる)
どうでもいいようなつまらない所まで取り上げて、口うるさく言うことのたとえ。 「楊枝で重箱の隅をほじくる」「楊枝で重箱の隅をつつく」「小楊枝で重箱の隅をほじくる」「重箱の隅を突っつく」などともいう。
五両で帯買うて三両で絎ける(ごりょうでおびこうてさんりょうでくける)
肝心なものより、付随するものに予想以上にお金がかかるということ。「絎ける」は、表から縫い目が見えないように縫うこと。五両で買った帯をさらに三両かけて絎けるということから。
ゴルディオンの結び目(ごるでぃおんのむすびめ)
難問・難題のこと。ゴルディオンの町の神殿に結ばれた複雑な縄の結び目を解いた者はアジアを支配するという伝説があり、アレクサンドロス大王が一刀両断で切り落とし、アジアを征服したという故事から。
これはしたり(これはしたり)
自分の失敗に気づいたり、驚いたりしたときなどに発する言葉。
転がる石には苔が生えぬ(ころがるいしにはこけがはえぬ)
活発に行動をしている人は常に健康で生き生きしていられることのたとえ。また、転職や転居を繰り返す人は地位も得られず金も貯まらないことのたとえ。 「転石苔を生せず」「転石苔むさず」ともいう。
転ばぬ先の杖(ころばぬさきのつえ)
失敗しないように、前もって準備しておくことのたとえ。 転ぶ前に、あらかじめ杖を用意しておくべきとの意から。
衣ばかりで和尚はできぬ(ころもばかりでおしょうはできぬ)
形だけ整っていても役に立たないということ。また、人は見かけだけでは判断できないということ。 僧衣をまとっただけでは僧侶にはなれないとの意から。
転んでもただでは起きない(ころんでもただではおきない)
たとえ失敗しても、そこから何か利益を得ようとする欲深くて抜け目のないことのたとえ。
コロンブスの卵(ころんぶすのたまご)
簡単なことでも、それを最初に思いついて行うことはむずかしいということ。アメリカ大陸発見にけちをつけられたコロンブスが、テーブルに卵を立てることを試みさせ、誰もできなかった後に卵の尻を軽くつぶして立てて見せたという逸話から。
怖い物見たさ(こわいものみたさ)
怖いものは、かえって好奇心を抑えられずに見たくなるということ。
子を思う夜の鶴(こをおもうよるのつる)
子を思う親の情愛が深いことのたとえ。 「雉」はきじのこと。 雉は野を焼かれたら危険を顧みずに巣にいる子どもを助けに戻り、鶴は霜の降りる寒い夜には自分の羽を広げて子を暖めるとの意から。 単に「焼け野の雉」「夜の鶴」、また「夜鶴子を思う」「子を思う夜の鶴」ともいう。 「焼け野の雉」は、身を隠すところのない雉のことから、危険にさらされることのたとえとしてもいわれる。
子を知ること父に若くはなし(こをしることちちにしくはなし)
父親は子どもの長所や短所を誰よりもいちばんよく知っているということ。「若くはなし」は、及ぶものはないという意。
子を棄つる藪はあれど身を棄つる藪はなし(こをすつるやぶはあれどみをすつるやぶはなし)
困窮すると最愛のわが子でも棄てることができるが、自分の身だけは棄てることができないということ。
子を見ること親に如かず(こをみることおやにしかず)
子どもの長所や短所をいちばんよく知っているのは親であり、親に及ぶものはないということ。
子を持って知る親の恩(こをもってしるおやのおん)
自分が子どもを持ち育ててみて、初めて親のありがたさがわかり恩を感じるということ。
今昔の感(こんじゃくのかん)
今と昔を比較して、その変化の大きさをしみじみと感じる気持ちのこと。
今度と化け物には行き会った事がない(こんどとばけものにはいきあったことがない)
「今度はきっと」などという約束があてにならないことを皮肉った言葉。
蒟蒻で石垣を築く(こんにゃくでいしがきをきずく)
とうてい出来るはずがないことのたとえ。
権兵衛が種蒔きゃ烏がほじくる(ごんべえがたねまきゃからすがほじくる)
人が苦労してやったことを、あとからぶちこわすたとえ。また、無駄な骨折りのたとえ。「権兵衛が種蒔きゃ烏がほじくる、三度に一度は追わずばなるまい」という俗歌の歌詞から。
コンマ以下(こんまいか)
その人の能力や価値が標準以下であることのたとえ。
紺屋の明後日(こんやのあさって)
約束の期限があてにならないことのたとえ。「紺屋」は染物屋のことで、もとは「こんや」ともいった。染物屋の仕事は天気に左右されるので、出来上がりが遅れがちでいつも「明後日」と言い訳していたことから。
金輪際(こんりんざい)
物事の底の底、極限のところ。転じて、絶対に、断じてということ。もとは仏教用語で、大地の最下低の所。
根を詰める(こんをつめる)
寝る間も惜しんで、ある物事に没頭すること。