「あ」から始まる故事・ことわざ・慣用句一覧
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ことわざ一覧
ああ言えばこう言う(ああいえばこういう)
人の意見や忠告などに対して、素直に従わずあれこれと理屈をこねること。
Rの字のない月に牡蠣を食べるな(あーるのじのないつきにかきをたべるな)
英語の月名でRの文字が入っていない月(5月~8月)の牡蠣は食べるべきではないということ。 この時期は牡蠣の産卵期にあたることから。 May(5月)、June(6月)、July(7月)、August(8月)このように5月~8月はRの文字が入っていない。
Rのない月の牡蠣はよくない(あーるのないつきのかきはよくない)
英語の月名でRの文字が入っていない月(5月~8月)の牡蠣は食べるべきではないということ。 この時期は牡蠣の産卵期にあたることから。 May(5月)、June(6月)、July(7月)、August(8月)このように5月~8月はRの文字が入っていない。
愛出ずる者は愛返り、福往く者は福来る(あいいずるものはあいかえり、ふくゆくものはふくきたる)
他人に愛情を注ぐ者には、その愛が巡り巡って自分に返り、他人に幸福を与える者には、やがて自らも幸福が訪れるということ。
愛多ければ憎しみ至る(あいおおければにくしみいたる)
特別に可愛がられることが多ければ、それを妬み憎む者が必ずいるということ。
愛嬌を振りまく(あいきょうをふりまく)
周囲の人々を喜ばせるように、明るくにこやかな態度で振る舞う。 「愛想を振りまく」は誤用。 「愛嬌」は「愛敬」とも書く。
愛敬を振りまく(あいきょうをふりまく)
周囲の人々を喜ばせるように、明るくにこやかな態度で振る舞う。 「愛想を振りまく」は誤用。 「愛嬌」は「愛敬」とも書く。
匕首に鍔(あいくちにつば)
釣りあわない物、ふさわしくない物のたとえ。「匕首」は鍔のない短刀のこと。「鍔」は刀の柄と刀身の間にあり拳を防御する金具。匕首に鍔をつけても不似合いなことから。
合言葉にする(あいことばにする)
仲間うちで、自分たちの目標や主張を表した言葉を決めて掲げる。 「大会優勝を合言葉にして練習に取り組む」
挨拶は時の氏神(あいさつはときのうじがみ)
争いごとの仲裁をしてくれる人は氏神様のようにありがたいものなので、その仲裁に従うのがよいということ。 「挨拶」は仲裁の意味。 「仲裁は時の氏神」ともいう。
挨拶より円札(あいさつよりえんさつ)
お礼の言葉より、金銭をもらうほうがありがたいということ。「拶」と「札」を語呂合わせにしたことば。
相性が悪い(あいしょうがわるい)
相手との性格や考え方、調子などが上手く合わない。 「相性」は「合性」とも書く。
合性が悪い(あいしょうがわるい)
相手との性格や考え方、調子などが上手く合わない。 「相性」は「合性」とも書く。
愛想が尽きる(あいそうがつきる)
相手の言動や態度にあきれ果て、嫌になってしまう。また、信頼できなくなる。 「愛想」は「あいそう」とも読む。
愛想が尽きる(あいそがつきる)
相手の言動や態度にあきれ果て、嫌になってしまう。また、信頼できなくなる。 「愛想」は「あいそう」とも読む。
愛想づかしも金から起きる(あいそづかしもかねからおきる)
女が男につれなくなり愛想をつかすようになるのは、金銭上の問題からだということ。
愛想も小想も尽き果てる(あいそもこそもつきはてる)
愛情や好意がすっかりなくなり、いやになってしまうこと。
愛想を尽かす(あいそをつかす)
相手の態度や言動にあきれて、見限る。
相対のことはこちゃ知らぬ(あいたいのことはこちゃしらぬ)
当人同士が決めたことは自分には無関係だということ。鮎(あゆ)、鯛(たい)、鯒(こち)の魚の名を語呂合わせにしたことば。
開いた口が塞がらない(あいたくちがふさがらない)
相手の言葉や行動にあきれてものも言えない様子。
開いた口に戸は立てられぬ(あいたくちにはとはたてられぬ)
世間の噂話は止めることができないということ。 「立てる」は閉めることで、「閉てる」とも書く。 「開いた口に戸は立てられぬ」「世間の口に戸は立てられぬ」ともいう。
開いた口へ牡丹餅(あいたくちへぼたもち)
努力もなしに思いがけない幸運がやってくること。
開いた口へ餅(あいたくちへもち)
努力もなしに思いがけない幸運がやってくること。
愛立てないは祖母育ち(あいだてないはばばそだち)
祖母に甘やかされて育った子供は、無遠慮でわがままになりやすい。特に、祖母が孫を過剰に可愛がると、礼儀や節度を身につける機会を失うことを戒める言葉。 「愛立てない」は、「愛立ちなし」が転じたもので、無作法や自分勝手の意。
間に立つ(あいだにたつ)
当事者同士の間に入り、交渉や話し合いを仲介して、調整やとりまとめを行うこと。 「間に入る」ともいう。
間に入る(あいだにはいる)
当事者同士の間に入り、交渉や話し合いを仲介して、調整やとりまとめを行うこと。 「間に入る」ともいう。
相槌を打つ(あいづちをうつ)
相手の話に調子を合わせて頷くこと。「相槌」は鍛冶仕事で鉄を鍛える時、相方と向かい合い交互に槌を打ち合わせること。
相手変われど手前変わらず(あいてかわれどてまえかわらず)
相手になる人は次々と変わっているのに、こちらは変わらず同じことを繰り返し続けること。 進歩や変化のみられない様子をいう言葉。 「相手変われど手前変わらず」ともいう。
相手変われど主変わらず(あいてかわれどぬしかわらず)
相手になる人は次々と変わっているのに、こちらは変わらず同じことを繰り返し続けること。 進歩や変化のみられない様子をいう言葉。 「相手変われど手前変わらず」ともいう。
相手にとって不足はない(あいてにとってふそくはない)
相手が相当な実力者で、自分と競い合うのに十分である。
相手のさする功名(あいてのさするこうみょう)
相手の力が弱かったり、やり方が劣っていたために、思わぬ手柄を立てることのたとえ。「さする」は「してくれる」の意。
相手のない喧嘩はできぬ(あいてのないけんかはできぬ)
受けて立つ者がいなければ喧嘩は成り立たないから、喧嘩を売られても相手にするなというおしえ。
相手見てからの喧嘩声(あいてみてからのけんかごえ)
相手が自分より弱そうだと判断すると、いきなり喧嘩を売る大声を出して威張り出すこと。
合いの手を入れる(あいのてをいれる)
会話や動作の間に、それに弾みがつくような言葉や動作を差し挟む。 「合いの手を打つ」は誤用。
愛の鞭(あいのむち)
相手のことを思い、厳しく接したり罰を与えたりすること。
愛は惜しみなく与う(あいはおしみなくあたう)
誰かを愛する時は、自分の持つすべてを与えても惜しくないということ。
愛は惜しみなく奪う(あいはおしみなくうばう)
誰かを愛する時は、その相手の持つすべてを自分のものにしようと求めるということ。
愛は小出しにせよ(あいはこだしにせよ)
人を愛する時は、少しずつ長く続けるのがよいということ。
愛は憎悪の始め(あいはぞうおのはじめ)
愛と憎しみは紙一重であり、一歩間違えると愛情は憎悪に変わることがある。愛情を抱く際には、節度やバランスを保つことが大切だということ。 「愛は憎しみの始めなり」ともいう。
愛は憎しみの始めなり(あいはにくしみのはじめなり)
愛と憎しみは紙一重であり、一歩間違えると愛情は憎悪に変わることがある。愛情を抱く際には、節度やバランスを保つことが大切だということ。 「愛は憎しみの始めなり」ともいう。
相惚れ自惚れ片惚れ岡惚れ(あいぼれうぬぼれかたぼれおかぼれ)
両思いの相惚れ、ひとりよがりの自惚れ、片思いの片惚れ、ひそかに恋い慕う岡惚れ、と恋愛の言葉を並べたもの。
合間を縫う(あいまをぬう)
仕事のあいまなど、物事が途切れた短い時間をうまく活用して、他の事を行う。
相も変わらず(あいもかわらず)
いつもと変わらず。「相変わらず」を強調した言い方。
逢い戻りは鴨の味(あいもどりはかものあじ)
一度別れた男女の仲が元に戻ると、その仲は前にもましてむつまじくなるということ。
会うは別れの始め(あうはわかれのはじめ)
人と人が出会えばいつか必ず別れが訪れる。出会いは別れの始まりでもあるということ。 「会う」は「逢う」とも書く。
逢うは別れの始め(あうはわかれのはじめ)
人と人が出会えばいつか必ず別れが訪れる。出会いは別れの始まりでもあるということ。 「会う」は「逢う」とも書く。
合うも不思議合わぬも不思議(あうもふしぎあわぬもふしぎ)
夢はそもそも不思議なものだから、現実が夢のとおりになっても不思議ではないということ。
阿吽の呼吸(あうんのこきゅう)
互いの絶妙な気持ちや調子のこと。また、それがぴったり合うこと。「阿」は吐く息、「吽」は吸う息のことで呼吸の調子が合う意から。
阿呍の呼吸(あうんのこきゅう)
互いの絶妙な気持ちや調子のこと。また、それがぴったり合うこと。「阿」は吐く息、「吽」は吸う息のことで呼吸の調子が合う意から。
敢えて主とならず客となる(あえてしゅとならずきゃくとなる)
自分が中心にならずに受身でいるほうが無難だということ。
敢えて主とならずして客となる(あえてしゅとならずしてきゃくとなる)
自分が中心にならずに受身でいるほうが無難だということ。
敢えて天下の先とならず(あえててんかのさきとならず)
積極的に人の先頭に立つことを避け、控えめな姿勢を保つことで、波風を立てずに安泰な生活を送ることができるという考え方。 先頭に立つと競争や妬みなど人間関係のトラブルに巻き込まれるリスクが高まるため、あえて目立たない立場に身を置くことが賢明だとされる。 出典では「故(ゆえ)に能(よ)く器長(きちょう)を成(な)す」と続き、控えめな態度を保つことで、かえって周囲の人々を上手に導く優れた指導者になれると述べられている。
逢えば五厘の損がいく(あえばごりんのそんがいく)
人との交際は何かと出費があり損をするということ。知人に会うと、それだけで五厘(一銭の半分)の損をするとの意から。
会えば五厘の損がゆく(あえばごりんのそんがゆく)
人との交際は何かと出費があり損をするということ。知人に会うと、それだけで五厘(一銭の半分)の損をするとの意から。
仰いで唾を吐く(あおいでつばをはく)
他人に害を与えようとして、逆に自分がひどい目に遭うことのたとえ。 上を向いて唾をはくと、自分の顔に落ちてくることから。 「天を仰いで唾す」「天を仰いで唾する」「仰いで唾を吐く」などともいう。
仰いで天に愧じず(あおいでてんにはじず)
天を仰ぎ見ても恥ずかしくないほど、心も行いも何らやましいことがないこと。
青い鳥(あおいとり)
身近にあって気づかない幸福のたとえ。チルチルとミチルの兄妹が、幸せを招くという青い鳥を探して旅に出るが、実は青い鳥は自分の家の鳥かごにいたというメーテルリンク作の童話劇「青い鳥」から。
青柿が熟柿弔う(あおがきがじゅくしとむらう)
人間はいつか必ず死ぬのだから、弔う者も弔われる者も大差ないというたとえ。まだ青い柿が、熟して地面に落ちた柿を弔うが、青柿もやがては熟柿になることから。
青くなる(あおくなる)
恐れや焦り、不安などのため、血の気がなくなり顔が青白くなる。
青写真を描く(あおじゃしんをえがく)
将来の計画を具体的に考える。未来の姿を想像する。 「青写真」は、設計図の複写に用いられたことから、設計図のこと。
青筋を立てる(あおすじをたてる)
激しく怒ること。 こめかみに青く血管を浮き上がらせるほど怒ったり興奮することから。
青田買い(あおたがい)
企業が才能のある人材を得るために、卒業までにまだ間がある学生に対して早々に採用の内定を出すこと。
青菜に塩(あおなにしお)
元気をなくしてうなだれている様子のたとえ。青菜に塩をかけると水分がなくなって萎れるということから。
青菜は男に見せな(あおなはおとこにみせな)
青菜は、茹でたり炒めたりすると量が大幅に減るが、料理を知らない男性にとっては、その変化が理解しにくい。 調理後の量を見て「あんなにたくさんあったのに、どこへ行ったのだ」と不審に思われることがある。 転じて、無用な誤解や疑惑を避けるために、疑われる可能性のある行動は最初から控えるべきだということ。
青菜は男に見せるな(あおなはおとこにみせるな)
青菜は、茹でたり炒めたりすると量が大幅に減るが、料理を知らない男性にとっては、その変化が理解しにくい。 調理後の量を見て「あんなにたくさんあったのに、どこへ行ったのだ」と不審に思われることがある。 転じて、無用な誤解や疑惑を避けるために、疑われる可能性のある行動は最初から控えるべきだということ。
青二才(あおにさい)
若く、未熟な男子。また、そのような人を罵って言ったり、自身を謙遜して言う言葉。「青」は未熟の意、「二才」は出世魚のボラの稚魚のことで、まだ若いボラということから。
青は藍より出でて藍より青し(あおはあいよりいでてあいよりあおし)
弟子が師より優れていることのたとえ。 藍草から作られた染料の青色が、元となる藍草よりも青く美しいことから。 「出藍の誉れ」ともいう。
青葉は目の薬(あおばはめのくすり)
青葉のみずみずしい緑色を見ると目の疲れが癒されるということ。
青表紙を叩いた者にはかなわぬ(あおびょうしをたたいたものにはかなわぬ)
きちんと学問に励んだ者にはかなわないというたとえ。「青表紙」は青い表紙を多く用いた四書五経などの経書のこと。
煽りを食う(あおりをくう)
周囲の状況の急激な変化により、思いがけない影響や災難を受ける。
赤いは酒の咎(あかいはさけのとが)
赤い顔は酒のせいで飲んだ私が悪いのではありません、という酒飲みの言い訳。
垢が抜ける(あかがぬける)
容姿や服装、身のこなしなどが洗練されて、野暮ったい感じがなくなること。都会風になること。
足掻きが取れない(あがきがとれない)
悪い状態から抜け出そうともがいても、どうしようもないようす。対処する方法がないこと。
「足搔き」は自由になろうとしてもがくこと。赤くなる(あかくなる)
恥ずかしさなどのために、顔に血が上る。赤面する。
赤子のうちは七国七里の者に似る(あかごのうちはななくにななさとのものににる)
赤ん坊ははっきりした特長がないので、似てると思って見ればあちこちの誰にでも似て見えるということ。「七国七里」は諸所方々のこと。
赤子の腕を捩じる(あかごのうでをねじる)
抵抗する力のないものを打ち負かす。また、容易に行えることのたとえ。
赤子の手をねじる(あかごのてをねじる)
抵抗する力のないものを打ち負かす。また、容易に行えることのたとえ。
赤子の手を捩じるよう(あかごのてをねじるよう)
抵抗する力のないものを打ち負かす。また、容易に行えることのたとえ。
赤子の手を捻る(あかごのてをひねる)
抵抗する力のないものを打ち負かす。また、容易に行えることのたとえ。
赤子の手を捻るよう(あかごのてをひねるよう)
抵抗する力のないものを打ち負かす。また、容易に行えることのたとえ。
赤子は泣き泣き育つ(あかごはなきなきそだつ)
赤ちゃんが泣くのは健康な証拠で、赤ちゃんは泣きながら成長していくということ。
赤子を裸にしたよう(あかごをはだかにしたよう)
無力で弱い者をさらに頼りなくしたようす。
証が立つ(あかしがたつ)
自分が潔白であったり、確かであることを証明する。疑いを晴らす。
証を立てる(あかしをたてる)
自分が潔白であったり、確かであることを証明する。疑いを晴らす。
赤信号が付く(あかしんごうがつく)
事態が差し迫り、緊急に対策を立てる必要がある状態になる。
赤信号が点く(あかしんごうがつく)
事態が差し迫り、緊急に対策を立てる必要がある状態になる。
赤恥をかく(あかっぱじをかく)
人前でひどく恥ずかしい思いをする。 「赤恥」は、「恥」を強めた言い方。
垢で死んだ者はない(あかでしんだものはない)
風呂に入らなければ垢がたまって不潔だがそれが原因で死んだ人はいない。風呂嫌いの言い訳、または風呂嫌いに対する皮肉の言葉として使われる。
垢抜ける(あかぬける)
容姿や服装、身のこなしなどが洗練されて、野暮ったい感じがなくなること。都会風になること。
赤の他人(あかのたにん)
全く無関係の他人。「赤」は名詞の上に付くことでそれを強調し、「全くの」「明らかな」「はっきりした」の意を表す。
垢は擦るほど出る、あらは探すほど出る(あかはこするほどでる、あらはさがすほどでる)
垢は擦れば擦るほど出る。欠点も探せばきりがないほど出てくるということ。
赤恥をかく(あかはじをかく)
人前でひどく恥ずかしい思いをする。 「赤恥」は、「恥」を強めた言い方。
赤恥を搔く(あかはじをかく)
人前でひどく恥ずかしい思いをする。 「赤恥」は、「恥」を強めた言い方。
垢も身のうち(あかもみのうち)
垢も身体の一部であるから、長湯して丹念に身体を洗うのもほどほどにせよという、風呂好きの人をからかって言うことば。「腹も身の内」をもじったことば。
明るけりゃ月夜だと思う(あかるけりゃつきよだとおもう)
考え方が単純で現実を知らないことのたとえ。外が明るいとすべて月夜だと思う意から。
明るみに出る(あかるみにでる)
隠されていたり知られていなかった物事が、多くの人々に知られる。世間に知られる。
おもに、知られると悪い物事について用いる。赤を入れる(あかをいれる)
文章の添削や校正をする。 赤い鉛筆やペンで書き込むことが多いことから。
秋荒れ半作(あきあれはんさく)
秋に天候が荒れると、作物の収穫は半減するということ。
飽きが来る(あきがくる)
飽きる。嫌になる。 気に入っていたり満足していた物事が、長く続いていくうちに段々と嫌になってくる。
秋風が立つ(あきかぜがたつ)
男女の間の愛情がなくなること。「秋」を「飽き」に掛けた言葉。「秋風が吹く」とも。
秋風と夫婦喧嘩は日が入りゃ止む(あきかぜとふうふげんかはひがいりゃやむ)
秋風が日暮れになると静まるように、夫婦喧嘩も夜になるとおさまるということ。
秋高く馬肥ゆ(あきたかくうまこゆ)
さわやかな秋を言い表す言葉。 秋の空は高く澄み渡り、馬もよく食べて太るという意味から。 「天高く馬肥ゆる秋」「秋高く馬肥ゆ」ともいう。
空樽は音が高い(あきだるはおとがたかい)
中身のない人間ほど得意そうにしゃべりたてるというたとえ。空の樽は叩くと高い音が出ることから。
商い三年(あきないさんねん)
商いは始めてから三年くらいたたないと、利益を得るようにはならない。三年は辛抱せよというおしえ。
商い上手の仕入れ下手(あきないじょうずのしいれべた)
客に物を売るのはうまいが、仕入れがへたで儲からないということ。
商いは牛の涎(あきないはうしのよだれ)
商売のこつは牛のよだれのように細く長く切れ目なく、気長に辛抱して続けることだということ。
商いは数でこなせ(あきないはかずでこなせ)
商売のこつは薄利多売だということ。
商いは門門(あきないはかどかど)
商売のこつは客を観察してその客に合った物を売ることだということ。
商いは門々(あきないはかどかど)
商売のこつは客を観察してその客に合った物を売ることだということ。
商いは草の種(あきないはくさのたね)
商売や職業などの暮らしを立てる方法は、草の種のように種類が多いということ。 「商売は草の種」「世渡りは草の種」「世渡りは草の種」「身過ぎは草の種」ともいう。
商いは本にあり(あきないはもとにあり)
商売の成功・失敗は、元手に左右されるということ。
秋茄子は嫁に食わすな(あきなすはよめにくわすな)
秋に収穫する茄子を嫁に食べさせてはいけないということ。 「おいしいのでもったいないという姑の嫁いびり」「種が少ないので子宝に恵まれない」「体が冷えてよくない」などの解釈がある。 「おいしいのでもったいないという姑の嫁いびり」の解釈が一般的。
秋の雨が降れば猫の顔が三尺になる(あきのあめがふればねこのかおがさんじゃくになる)
秋は晴れた日より雨の日の方が暖かいので、猫も顔を長くし喜ぶということ。
秋の入り日と年寄りはだんだん落ち目が早くなる(あきのいりひととしよりはだんだんおちめがはやくなる)
年々衰える年寄りの健康状態を、急速に暮れていく秋の夕日にたとえたことば。
秋の扇(あきのおうぎ)
男性の愛を失った女性のたとえ。夏に重宝された扇も秋には必要なくなることから。 中国漢の成帝の寵愛を失った班倢伃(はんしょうよ)という女性が自身を秋の扇に例えた詩「怨歌行」を詠んだという故事から。
秋の鹿は笛に寄る(あきのしかはふえによる)
恋のために身を滅ぼすことのたとえ。また、弱みにつけこまれて危険な目に遭うことのたとえ。秋の発情期、雌鹿の鳴き声に似た笛に雄鹿がおびき寄せられて、人間に捕らえられることから。
秋の日と娘の子はくれぬようでくれる(あきのひとむすめのこはくれぬようでくれる)
秋の日は暮れないようでいて急に暮れるように、大事にされてきた娘も、嫁にくれないように見えて案外簡単にくれるものだということ。
秋の日は釣瓶落とし(あきのひはつるべおとし)
秋の日が急速に暮れていくようす。秋の日が、井戸の中へ釣瓶が垂直に速く落ちるように暮れていく意から。
秋葉山から火事(あきばさんからかじ)
人を戒める指導的立場の者が、自ら過ちを犯してしまうたとえ。「秋葉山」は火災除けの神を祭る静岡県の秋葉神社のこと。
秋日和半作(あきびよりはんさく)
秋の天候の善し悪しで、作物の収穫は半ば決まってしまうということ。
空き家で声嗄らす(あきやでこえからす)
努力しても報われないことのたとえ。空き家で大声で案内を求めても返事がないことから。
空き家の雪隠(あきやのせっちん)
返事がない、応答がないことのたとえ。「雪隠」は便所のことで、空き家では使う人がないから「肥えなし」でそれを「声なし」にかけたしゃれ。
諦めは心の養生(あきらめはこころのようじょう)
失敗や不運をくよくよ考えるより、きっぱり諦めたほうが精神的に良いということ。
呆れがお礼(あきれがおれい)
ひどく呆れることを誇張していうことば。 「呆れがお礼」ともいう。
呆れが礼に来る(あきれがれいにくる)
ひどく呆れることを誇張していうことば。 「呆れがお礼」ともいう。
アキレス腱(あきれすけん)
ふくらはぎの筋肉を、かかとの骨に付着させる太い腱。転じて、唯一の弱点のたとえ。
呆れて物が言えない(あきれてものがいえない)
あまりのひどさにあっけに取られて、何も言えないようす。声もでないようす。
商人と屏風は直ぐには立たぬ(あきんどとびょうぶはすぐにはたたぬ)
屏風は折り曲げないと立たないのと同じように、商売も自分の感情や理屈を曲げて客の機嫌を損ねないようにしなければ繁盛しないということ。 「屏風と商人は直ぐには立たぬ」「商人と屏風は曲がらねば立たぬ」ともいう。
商人と屏風は曲がらねば立たぬ(あきんどとびょうぶはまがらねばたたぬ)
屏風は折り曲げないと立たないのと同じように、商売も自分の感情や理屈を曲げて客の機嫌を損ねないようにしなければ繁盛しないということ。 「屏風と商人は直ぐには立たぬ」「商人と屏風は曲がらねば立たぬ」ともいう。
商人に系図なし(あきんどにけいずなし)
商人には家柄など関係なく、商売の手腕や努力しだいで成功するということ。
商人の嘘は神もお許し(あきんどのうそはかみもおゆるし)
商人が商売上の駆け引きで嘘をつくのは、神様もやむを得ないとお許しになるということ。
商人の子は算盤の音で目を覚ます(あきんどのこはそろばんのおとでめをさます)
人の習性は、育つ環境の影響を大きく受けるということ。 商人の子どもは金勘定に敏感で、眠っていても算盤の音で起きるという意味から。
商人の空値(あきんどのそらね)
商人が駆け引きしてつける値段は、信用しがたいということ。
商人の元値(あきんどのもとね)
商人は計算高いので、商人の言う元値は本当かどうかわからないということ。
商人は損していつか倉が建つ(あきんどはそんしていつかくらがたつ)
商人は、損をしたなどと言いながら、いつの間にか倉が建つほどの金持ちになっていることが多いということ。
悪縁契り深し(あくえんちぎりふかし)
悪い縁ほど結びつきが強く断ち切りにくいということ。
灰汁が強い(あくがつよい)
人々に受け入れられにくいような、特有の強い個性があること。 人の性質や文章・作品などについて用いられる。
灰汁が抜ける(あくがぬける)
嫌みがなくなってすっきりとしたようす。
悪妻は百年の不作(あくさいはひゃくねんのふさく)
悪い妻は夫を一生不幸にするということ。 「悪妻は百年の不作」ともいう。
悪妻は六十年の不作(あくさいはろくじゅうねんのふさく)
悪い妻は夫を一生不幸にするということ。 「悪妻は百年の不作」ともいう。
悪事、千里を行く(あくじせんりをいく)
悪い行いは、たちまち世間に広まるというたとえ。 「悪事、千里を行く」ともいう。
悪事、千里を走る(あくじ、せんりをはしる)
悪い行いは、たちまち世間に広まるというたとえ。 「悪事、千里を行く」ともいう。
悪事、身にかえる(あくじ、みにかえる)
自分の犯した悪事は、めぐりめぐって戻ってきて自分を苦しめる結果になるということ。
悪獣もなおその類を思う(あくじゅうもなおそのるいをおもう)
猛獣でさえ仲間を思いやる気持ちを持っている。まして人間ならなおさらその気持ちがあるはず、という意。「悪獣」は猛獣のこと。
悪女の深情け(あくじょのふかなさけ)
器量の悪い女性ほど愛情や嫉妬心が強いということ。「悪女」は心の悪い女の意ではなく不器量な女のこと。 また、有り難迷惑のたとえ。
悪女は鏡を疎む(あくじょはかがみをうとむ)
器量の悪い女性が鏡に向かうのを嫌がるように、人間は自分の欠点に触れるのを嫌がるということ。「悪女」は不器量な女のこと。
アクセントを置く(あくせんとをおく)
全体の中で、特にその部分に重点をおく。目立たせる。強調する。
悪銭身に付かず(あくせんみにつかず)
不当な手段で得た金は大切にしないから、とかくつまらないことに使ってしまい残らないものだということ。
悪態をつく(あくたいをつく)
相手に面と向かって悪口を言う。口汚くののしる。
悪態を突く(あくたいをつく)
相手に面と向かって悪口を言う。口汚くののしる。
悪に強きは善にも強し(あくにつよきはぜんにもつよし)
大きな悪事を犯すような悪人ほど、いったん悔い改めれば非常な善人になるということ。
悪人あればこそ善人も顕る(あくにんあればこそぜんにんもあらわる)
悪人がいればこそ善人が目立つということ。
悪の裏は善(あくのうらはぜん)
悪いことのあとにはいいことが起きるということ。善と悪とは表と裏で、悪いことばかりも続かないし、いいことばかりも続かないということ。
悪の温床(あくのおんしょう)
悪事や、良くない思想が生まれやすい環境。
悪の報いは針の先(あくのむくいははりのさき)
悪事の報いは、針の先を回るほど早くやってくるということ。
悪は一旦の事なり(あくはいったんのことなり)
一時的にうまくいっても悪は長続きせず、結局は正義に勝てないということ。
悪は延べよ(あくはのべよ)
悪事をはたらかなければならないなら、できるだけ延期したほうがよい。その間に事情が変わって実行しないですむかもしれないということ。
欠伸を嚙み殺す(あくびをかみころす)
退屈なことを嫌々ながら続けること。我慢をすること。 出かかったあくびを、口を閉じて無理やり我慢することから。
悪法もまた法なり(あくほうもまたほうなり)
たとえ悪い法律であっても、廃止されるまではその法に従わなければならにということ。
胡坐をかく(あぐらをかく)
今の安定した地位や現状に満足し、努力をしないこと。また、ずうずうしく振る舞うこと。 胡坐を組んだ楽な状態でいることから。
胡座をかく(あぐらをかく)
今の安定した地位や現状に満足し、努力をしないこと。また、ずうずうしく振る舞うこと。 胡坐を組んだ楽な状態でいることから。
揚げ足を取る(あげあしをとる)
相手の言い間違いや言葉じりをとらえて、やり込めたり皮肉ったりすること。 相手のあげた足を取って倒すように、相手の失言や失敗につけ込むことから。
挙げ足を取る(あげあしをとる)
相手の言い間違いや言葉じりをとらえて、やり込めたり皮肉ったりすること。 相手のあげた足を取って倒すように、相手の失言や失敗につけ込むことから。
挙げ句の果て(あげくのはて)
物事が終わった最後の結果。「挙げ句」は連歌・俳諧の最後の句のこと。転じて、ものごとの終わりの意。
挙句の果て(あげくのはて)
物事が終わった最後の結果。「挙げ句」は連歌・俳諧の最後の句のこと。転じて、ものごとの終わりの意。
上げ潮に乗る(あげしおにのる)
機運が良く、物事が順調に進むこと。進展すること。
上げ膳据え膳(あげぜんすえぜん)
自分では何もしないで、すべて人にしてもらうことのたとえ。「上げ膳」は食事が済んで膳を下げること。「据え膳」は食膳を人の前に整えること。
上げ膳に据え膳(あげぜんにすえぜん)
自分では何もしないで、すべて人にしてもらうことのたとえ。「上げ膳」は食事が済んで膳を下げること。「据え膳」は食膳を人の前に整えること。
上げたり下げたり(あげたりさげたり)
褒めたり貶したりして、本音がわからないようす。
開けて悔しき玉手箱(あけてくやしきたまてばこ)
期待がはずれてがっかりすること。浦島太郎が竜宮城から持ち帰った玉手箱を開けたとたん、白い煙が出てあっという間に年をとってしまったという浦島太郎の伝説から。
明けても暮れても(あけてもくれても)
毎日毎日同じような状態が続いたり、同じことを続けて行ったりするようす。
朱に染まる(あけにそまる)
血まみれになる。
朱を奪う紫(あけをうばうむらさき)
邪道なものが正しいものに取って代わること、地位を奪うことのたとえ。 古代中国で中間色の紫色の服が流行り、正色とされていた朱色の服よりも好まれるようになったことを孔子が憎み嘆いたという故事から。 「朱を奪う紫」ともいう
顎が落ちそう(あごがおちそう)
食べ物が非常においしいことのたとえ。
顎が落ちる(あごがおちる)
食べ物が非常においしいことのたとえ。
顎が外れる(あごがはずれる)
あまりにおかしくて、口を大きく開けて大笑いすることのたとえ。
顎が干上がる(あごがひあがる)
収入がなくなり生活に困るようす。
顎から先に生まれる(あごからさきにうまれる)
口が達者でお喋りな人に対していう言葉。
阿漕が浦に引く網(あこぎがうらにひくあみ)
人に隠れて行う事も、度重なると人に知られてしまうということのたとえ。 「阿漕が浦」は三重県津市東部の海岸で、伊勢神宮に奉納する魚を捕るため一般人は禁猟区であったが、ある漁夫がたびたび密漁を行い捕らえられたということから。
顎で使う(あごでつかう)
高慢な態度で、命令して人に仕事をさせること。
顎で蠅を追う(あごではえをおう)
やせ衰えて元気がないようす。蠅を手で追い払う元気もなく顎を動かして追い払う意から。 「頤(おとがい)で蠅を追う」ともいう。 「頤」は顎のこと。
顎振り三年(あごふりさんねん)
技量を身に付けるまでには長い年月がかかるということ。尺八は、顎を振って微妙な音を出すこつを会得するまでに三年かかることから。
顎をしゃくる(あごをしゃくる)
人に対して指示を出すときに、横柄な態度で下あごをその方向を向けて示す。
顎を出す(あごをだす)
疲れ果てる。 歩き疲れて足が動かず、あごを前につき出したような恰好になることから。
顎を撫でる(あごをなでる)
物事が思い通りになって、得意げなようす。満足そうなようす。
朝雨馬に鞍置け(あさあめうまにくらおけ)
朝に降る雨はすぐに止むから、馬に鞍を置いて外出する用意をせよ、ということ。
朝雨と女の腕捲り(あさあめとおんなのうでまくり)
朝の雨はすぐにやむため、女が腕まくりをして強がるのと同様、恐れるに足りないということ。 「俄雨(にわかあめ)と女の腕捲り」ともいう。
朝雨に傘いらず(あさあめにかさいらず)
朝の雨はすぐにやむということ。
朝雨に傘要らず(あさあめにかさいらず)
朝の雨はすぐにやむということ。
浅い川も深く渡れ(あさいかわもふかくわたれ)
物事を行う時は、注意を怠らず決して油断してはいけないということ。 浅い川を渡る時も、深い川を渡る時と同じように注意して渡れとの意から。
朝起き三両始末五両(あさおきさんりょうしまつごりょう)
早起きと倹約はどちらも大きな利益になるというたとえ。 「朝起き三両始末五両」ともいう。
朝起き千両(あさおきせんりょう)
朝早く起きて仕事をするほうが、夜働くより能率が上がり得だということ。 「朝起き千両」ともいう。
朝起き千両、夜起き百両(あさおきせんりょう、よおきひゃくりょう)
朝早く起きて仕事をするほうが、夜働くより能率が上がり得だということ。 「朝起き千両」ともいう。
朝起きは三文の徳(あさおきはさんもんのとく)
朝早く起きるとなにかしらいい事があるということ。「徳」は「得」と同じ。
朝起きは七つの徳(あさおきはななつのとく)
朝早く起きるとなにかしらいい事があるということ。「徳」は「得」と同じ。
朝顔の花一時(あさがおのはないっとき)
物事の盛りが短く、はかないことのたとえ。朝咲いた朝顔の花が昼を待たずにしぼんでしまうことから。
朝駆けの駄賃(あさがけのだちん)
物事がとても簡単にできることのたとえ。 「駄賃」は駄馬で荷物を運ぶ料金のこと。 朝のうちは馬の元気がよく、少量の荷物はたやすく運べることから。
麻殻に目鼻をつけたよう(あさがらにめはなをつけたよう)
とても痩せた男性の形容。 長くて折れやすい麻殻に目鼻をつけたような男性のことから。
朝酒は門田を売っても飲め(あさざけはかどたをうってものめ)
朝酒は格別おいしいので、少々無理をしてでも飲むべきだということ。「門田」は家の門前にある田の意。
浅瀬に徒波(あさせにあだなみ)
思慮の浅い人間ほど、おしゃべりで些細なことで騒ぎ立てるということ。「徒波」は「仇波」とも書き、浅瀬が徒(いたずら)にさざ波を立てる意から。
浅瀬に仇波(あさせにあだなみ)
思慮の浅い人間ほど、おしゃべりで些細なことで騒ぎ立てるということ。「徒波」は「仇波」とも書き、浅瀬が徒(いたずら)にさざ波を立てる意から。
朝題目に夕念仏(あさだいもくにゆうねんぶつ)
しっかりとした考えをもたないことのたとえ。 朝は日蓮宗の南無妙法蓮華経の題目を唱え、夕方は浄土宗の南無阿弥陀仏の念仏を唱えることから。 「朝題目に夕念仏」ともいう。
朝題目に宵念仏(あさだいもくによいねんぶつ)
しっかりとした考えをもたないことのたとえ。 朝は日蓮宗の南無妙法蓮華経の題目を唱え、夕方は浄土宗の南無阿弥陀仏の念仏を唱えることから。 「朝題目に夕念仏」ともいう。
朝茶は七里帰っても飲め(あさちゃはしちりかえってものめ)
朝の茶は一日の災難よけなので、飲み忘れて旅立ちしたら、たとえ七里の道を戻ってでも飲むべきだということ。
明後日の方(あさってのほう)
見当違いの方向。
朝虹は雨夕虹は晴れ(あさにじはあめゆうにじははれ)
朝に虹が出るとその日は雨、夕方の虹は翌日が晴れになるということ。
麻に連るる蓬(あさにつるるよもぎ)
人はよい環境で育てば、自然と感化されて善人になるということ。 曲がりやすい蓬のつるも、麻の中で育てばまっすぐ伸びることから。 「麻の中の蓬」「麻中の蓬」ともいう。
朝寝八石の損(あさねはちこくのそん)
朝寝坊は万事につけて損が多いというたとえ。一石は百升で約百八十リットル。
朝寝坊の宵っ張り(あさねぼうのよいっぱり)
朝は遅くまで寝ている人は、夜遅くまで起きていてることが多いということ。また、それが習慣になっている人のこと。
朝の果物は金(あさのくだものはきん)
朝食べる果物は、胃腸の働きをよくし、体の目覚めを促すため、健康によいということ。
朝の来ない夜はない(あさのこないよるはない)
ものごとは必ずいつか、よい方へ変わるということ。 「夜の明けない朝はない」ともいう。
麻の中の蓬(あさのなかのよもぎ)
人はよい環境で育てば、自然と感化されて善人になるということ。 曲がりやすい蓬のつるも、麻の中で育てばまっすぐ伸びることから。 「麻の中の蓬」「麻中の蓬」ともいう。
朝のぴっかり姑の笑い(あさのぴっかりしゅうとめのわらい)
当てにならないことのたとえ。 朝さんさんと日がさすよい天気と姑の笑顔は、変わりやすく当てにはできないという意味から。
朝の一時は晩の二時に当たる(あさのひとときはばんのふたときにあたる)
朝は仕事がはかどるので、なるべく早く起きて働けということ。 「一時」は昔の時刻の数え方で、約二時間。「二時」はその倍の約四時間。 朝の仕事は夜の仕事の二倍に相当するという意味から。
朝日が西から出る(あさひがにしからでる)
絶対に起こるはずがないことのたとえ。
薊の花も一盛り(あざみのはなもひとさかり)
誰でも年ごろになると、それなりの魅力が出てくるということ。 あまり好まれない薊の花も、美しい時期があることから。
朝飯前(あさめしまえ)
ものごとが容易にできることのたとえ。 朝食を食べる前のわずかな時間でも簡単にできるほどであるとの意から。
朝飯前のお茶漬け(あさめしまえのおちゃづけ)
ものごとが容易にできることのたとえ。 朝飯前の空腹時に食べるお茶漬けは、さらさらと簡単に食べられるということから。
足がある(あしがある)
走るのが速い。
足が重い(あしがおもい)
行かなければいけないと思いながらも、気がすすまずに行く気にならないようす。
足が地に着かない(あしがちにつかない)
興奮して気持ちや動作が落ち着かないようす。
足が地に付かない(あしがちにつかない)
興奮して気持ちや動作が落ち着かないようす。
足が付く(あしがつく)
逃亡者の足取りが分かる。また、犯人の手がかりがつかめる。
足が出る(あしがでる)
予算よりも支出が多くなる。赤字になる。
足が遠のく(あしがとおのく)
今までよく行っていた場所へ、訪れる機会が少なくなる。疎遠になる。
海驢の番(あしかのばん)
交代で寝て、不寝番を置くことのたとえ。海驢は用心深く、陸に上がって寝る時も必ず見張り役を置くことから。
足が早い(あしがはやい)
商品の売れ行きがよいこと。 また、食べ物が腐るのがはやく、長持ちしないこと。
足が速い(あしがはやい)
商品の売れ行きがよいこと。 また、食べ物が腐るのがはやく、長持ちしないこと。
足が棒になる(あしがぼうになる)
歩き過ぎや立ち続けで、足が棒にように固く強張るほど、ひどく疲れるようす。
足が向く(あしがむく)
無意識のうちに、自然とある方向へ行く。
足蹴にする(あしげにする)
人に対してぞんざいな扱いをしたり、ひどい仕打ちを与えたりする。
朝に紅顔ありて夕べに白骨となる(あしたにこうがんありてゆうべにはっこつとなる)
無常のこの世では、人の生死は予測できないということ。 朝血色のよい顔をしていた人が、夕方には死んで白骨となるという意味から。
朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり(あしたにみちをきかばゆうべにしすともかなり)
朝に人の生きるべき道を悟ることができれば、その夕方に死んだとしてもかまわないということ。
朝に夕べを謀らず(あしたにゆうべをはからず)
事態が切迫していて、余裕がないことのたとえ。 朝にその日の夕方のことを考えるゆとりがないという意味から。
明日は明日の風が吹く(あしたはあしたのかぜがふく)
先のことをいくら心配してもはじまらないので、なるがままに任せて生きるのがよいということ。 明日は明日で、今日とは違う風が吹くという意味から。
足駄を履いて首ったけ(あしだをはいてくびったけ)
異性に惚れ込み夢中になることのたとえ。 「足駄」は歯の高い下駄のこと。 足駄を履いていても首のあたりまで深みにはまるとの意から。
足で稼ぐ(あしでかせぐ)
自分で動き回ったり行動をしたりして、成果を得る。
足止めを食う(あしどめをくう)
何らかの事情でその場から先に進めなくなったり、外出を禁じられたりする。
足留めを食う(あしどめをくう)
何らかの事情でその場から先に進めなくなったり、外出を禁じられたりする。
足止めを食らう(あしどめをくらう)
何らかの事情でその場から先に進めなくなったり、外出を禁じられたりする。
味なことをやる(あじなことをやる)
気のきいたことをする。うまくやる。
足並みが揃う(あしなみがそろう)
多くの人の考え方や意見、方針が一致して、同じ行動をとる。
足並みを揃える(あしなみをそろえる)
多くの人の考え方や意見、方針が一致して、同じ行動をとる。
足に任せる(あしにまかせる)
特に目的を定めずに、気の向くままに歩くこと。また、足の力が続く限り歩くこと。
足の裏の米粒をこそげる(あしのうらのこめつぶをこそげる)
ひどくけちなことのたとえ。「こそげる」は削り取る意で、踏んで足の裏についた米粒を削り取って食べるということから。不意に足もとから鳥が飛び立ちびっくりさせられることから。
足の踏み場もない(あしのふみばもない)
足を置くわずかなすき間もないほど、部屋に物が散らかっているようす。
足場を失う(あしばをうしなう)
物事を行うときの拠り所がなくなってしまうこと。
足場を固める(あしばをかためる)
物事を行うときの、拠り所となる土台をしっかりとしたものにすること。
足踏みをする(あしぶみをする)
物事が進展せずに、同じ状態にとどまっているようす。
味も素っ気もない(あじもそっけもない)
何の面白みもないこと。味わいもない。つまらない。
足下から鳥が立つ(あしもとからとりがたつ)
身近なところで、突然思いもかけないことが起きることのたとえ。また、急に思い立って物事を始めるようす。
足元から鳥が立つ(あしもとからとりがたつ)
身近なところで、突然思いもかけないことが起きることのたとえ。また、急に思い立って物事を始めるようす。
足許から鳥が立つ(あしもとからとりがたつ)
身近なところで、突然思いもかけないことが起きることのたとえ。また、急に思い立って物事を始めるようす。
足元に付け込む(あしもとにつけこむ)
相手の弱点を見抜いてそれにつけ込むたとえ。 「足下につけ込む」とも書く。
足下につけ込む(あしもとにつけこむ)
相手の弱点を見抜いてそれにつけ込むたとえ。 「足下につけ込む」とも書く。
足下に火が付く(あしもとにひがつく)
危険が身辺に近づいているたとえ。
足元に火が付く(あしもとにひがつく)
危険が身辺に近づいているたとえ。
足下にも及ばない(あしもとにもおよばない)
相手の実力があまりにもすぐれていて、自分とは比べものにならないこと。
足元にも及ばない(あしもとにもおよばない)
相手の実力があまりにもすぐれていて、自分とは比べものにならないこと。
足下にも寄りつけない(あしもとにもよりつけない)
相手の実力があまりにもすぐれていて、自分とは比べものにならないこと。
足下の明るいうち(あしもとのあかるいうち)
自分が不利な状態にならないうちに、手遅れにならないうちに、ということ。
足元の明るいうち(あしもとのあかるいうち)
自分が不利な状態にならないうちに、手遅れにならないうちに、ということ。
足下へも寄り付けない(あしもとへもよりつけない)
相手の実力があまりにもすぐれていて、自分とは比べものにならないこと。
足元へも寄り付けない(あしもとへもよりつけない)
相手の実力があまりにもすぐれていて、自分とは比べものにならないこと。
足元を固める(あしもとをかためる)
自分の立場や状況を安定させること。
足下を固める(あしもとをかためる)
自分の立場や状況を安定させること。
足許を固める(あしもとをかためる)
自分の立場や状況を安定させること。
足元を見る(あしもとをみる)
相手の弱点を見抜いてそれに付け込むたとえ。 「足下を見る」とも書く。
足下を見る(あしもとをみる)
相手の弱点を見抜いてそれに付け込むたとえ。 「足下を見る」とも書く。
足を洗う(あしをあらう)
悪事をやめること。また、今までの仕事をやめること。
足を入れる(あしをいれる)
ある場所に入ること。また、新たな社会と関係するようになること。
足を奪われる(あしをうばわれる)
事故や災害などにより交通機関が利用できなくなり、身動きが取れなくなること。
足を限りに(あしをかぎりに)
歩ける限り。足の力が続く限り。
味を占める(あじをしめる)
一度上手くいったことや面白みが忘れられず、次も同じことを期待すること。
足を掬う(あしをすくう)
相手の隙につけこんで失敗させること。失脚させる。 「足元を掬う(あしもとをすくう)」は誤用とされている。
足を擂り粉木にする(あしをすりこぎにする)
長い間歩いたり立ち続けたりして、足が棒にように固く突っ張るほど、疲れ切ること。 「擂り粉木」は、すり鉢でものをすり潰すときに用いる棒。
足を出す(あしをだす)
予算以上使って赤字になること。
足を止める(あしをとめる)
進むのをやめて、その場に立ち止まること。
足を取られる(あしをとられる)
酒を飲み過ぎて酔ったり、足元に邪魔なものがあったりして、思うように歩けないこと。
足を抜く(あしをぬく)
好ましくない関係を断つこと。仲間から外れること。
足を延ばす(あしをのばす)
予定していた目的地から、さらに遠くまで行くこと。
足を運ぶ(あしをはこぶ)
何かの目的のために出掛けること。訪問すること。
足を引っ張る(あしをひっぱる)
他人の成功や昇進の邪魔をすること。また、物事の順調な進行を妨げること。
葦を啣む雁(あしをふくむかり)
物事を行うときの準備が完全なこと。 雁が海を渡って遠くへ飛ぶとき、海上で羽を休めるために枯れ葦を口にくわえて行くことから。
足を踏み入れる(あしをふみいれる)
ある場所に入ること。また、新たな社会と関係するようになること。
足を棒にする(あしをぼうにする)
長い間歩いたり立ち続けたりして、足が棒にように固く突っ張るほど、疲れ切ること。
足を向けて寝られない(あしをむけてねられない)
恩を受けた人に対する尊敬や感謝の気持ちを、強く忘れずにいることのたとえ。 恩人に対して足を向けることは、失礼に当たるということから。
味をやる(あじをやる)
気のきいたことをする。うまくやる。
明日ありと思う心の仇桜(あすありとおもうこころのあだざくら)
いつ何が起こるかわからない、人生や世の中の無常をいった言葉。 桜の花が、明日も咲いているだろうと安心していると、夜中の嵐で散ってしまうかもしれないとの意から。 「夜半に嵐の吹かぬものかは」という句がこれに続く。
飛鳥川の淵瀬(あすかがわのふちせ)
世の中は激しく移り変わり、定まりがたいことのたとえ。 奈良県を流れている飛鳥川は、氾濫しやすく淵と瀬が絶えず移り変わるとの意から。 「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」という歌から。
与って力がある(あずかってちからがある)
あることの進展や実現に、大きな役割を果たすこと。貢献をすること。
預かり半分(あずかりはんぶん)
人から預かった物は、半分は自分の物だと思ってもかまわないということ。 「預かり半分」「預かり半分の主」「預かり物は半分の主」「預かる物は半分の主」「拾い主は半分」「拾うた者は半分の主」などともいう。
預かり半分の主(あずかりはんぶんのぬし)
人から預かった物は、半分は自分の物だと思ってもかまわないということ。 「預かり半分」「預かり半分の主」「預かり物は半分の主」「預かる物は半分の主」「拾い主は半分」「拾うた者は半分の主」などともいう。
預かり物は半分の主(あずかりものははんぶんのぬし)
人から預かった物は、半分は自分の物だと思ってもかまわないということ。 「預かり半分」「預かり半分の主」「預かり物は半分の主」「預かる物は半分の主」「拾い主は半分」「拾うた者は半分の主」などともいう。
預かる物は半分の主(あずかるものははんぶんのぬし)
人から預かった物は、半分は自分の物だと思ってもかまわないということ。 「預かり半分」「預かり半分の主」「預かり物は半分の主」「預かる物は半分の主」「拾い主は半分」「拾うた者は半分の主」などともいう。
明日食う塩辛に今日から水を飲む(あすくうしおからにきょうからみずをのむ)
手回しがいいように見えて、実は無意味なことのたとえ。
梓に鏤める(あずさにちりばめる)
書物を出版すること。昔、木版印刷の版木に梓(あずさ)の木を使ったことから。
梓に上す(あずさにのぼす)
書物を出版すること。昔、木版印刷の版木に梓(あずさ)の木を使ったことから。 「梓」は「し」とも読む。
明日知らぬ世(あすしらぬよ)
今日は無事に過ごせたとしても、明日のことはわからない。永久不変のものなど無いという、この世の無常をいうことば。
明日の事は明日案じよ(あすのことはあすあんじよ)
明日の事は明日のこと。何が起こるかわからないから今日から心配しても仕方ないということ。
明日の事を言えば鬼が笑う(あすのことをいえばおにがわらう)
先のことはわからない。未来のことは予測できないというたとえ。
明日の百より今日の五十(あすのひゃくよりきょうのごじゅう)
不確かな期待よりも、たとえ量が少なくても、今日確実に手にできるもののほうがよいということ。
明日は我が身(あすはわがみ)
他人に降りかかった不幸や苦しむ姿をみて、明日は自分に起こりえることかもしれないから用心せよ、という教え。
東男に京女(あずまおとこにきょうおんな)
男はたくましくて粋な江戸の男、女はしとやかで優しい京の女がいいということ。
畦から行くも田から行くも同じ(あぜからいくもたからいくもおなじ)
手段や方法が違っても、同じ結果になることのたとえ。 畦道から行っても田から行っても、結局行き着く所は同じということから。 「田から行くも畦から行くも同じ事」「田を行くも畦を行くも同じ」「田歩くも畔歩くも同じ」などともいう。異形の多い語。
汗の結晶(あせのけっしょう)
多くの苦労や、並々ならない努力によって得られた成果のこと。
汗水垂らす(あせみずたらす)
苦労をいとわず、一生懸命に働くさま。 水のように汗が垂れるほど働くことから。
汗水流す(あせみずながす)
一生懸命に働くさま。 水のように汗が流れるほど働くことから。
汗水を流す(あせみずをながす)
一生懸命に働くさま。 水のように汗が流れるほど働くことから。
汗をかく(あせをかく)
食べ物などが古くなり腐りかけて、表面がべとつくこと。また、表面に水滴がついたりにじみ出て濡れること。
汗を流す(あせをながす)
労働や運動に一生懸命に取り組むこと。全力で当たること。
遊びに師なし(あそびにしなし)
遊び事は、誰に教えられるでもなく自然に覚えてしまうものだということ。
値千金(あたいせんきん)
非常に高い価値のあること。
価千金(あたいせんきん)
非常に高い価値のあること。
値を二つにせず(あたいをふたつにせず)
相手によって、値段を上げたり下げたりするような悪賢い商売はしないということ。
与うるは受くるより幸いなり(あたうるはうくるよりさいわいなり)
人に対して恩恵を与えることが出来る立場や境遇にあることは、恩恵を受ける立場よりも幸福であるということ。
与えるは受けるより幸いなり(あたえるはうけるよりさいわいなり)
人に対して恩恵を与えることが出来る立場や境遇にあることは、恩恵を受ける立場よりも幸福であるということ。
徒疎か(あだおろそか)
いい加減に扱うさま。軽々しく考えるさま。 後に否定の語を伴って用いる。
恰も好し(あたかもよし)
ちょうどよいことには。ちょうどよい具合に。
あだし野の露、鳥辺野の煙(あだしののつゆ、とりべののけむり)
人生の無常、はかなさのたとえ。 「あだし野」は、京都の嵯峨野にあった墓地。 「鳥辺野」は、京都の東山にあった火葬場。 人生を、はかなく消える墓地の露と火葬場の煙にたとえた言葉。 「あだし野」は「仇野」「徒野」、「鳥辺野」は「鳥部野」とも書く。 「鳥辺野」は「鳥部山」ともいう。
仇野の露、鳥辺野の煙(あだしののつゆ、とりべののけむり)
人生の無常、はかなさのたとえ。 「あだし野」は、京都の嵯峨野にあった墓地。 「鳥辺野」は、京都の東山にあった火葬場。 人生を、はかなく消える墓地の露と火葬場の煙にたとえた言葉。 「あだし野」は「仇野」「徒野」、「鳥辺野」は「鳥部野」とも書く。 「鳥辺野」は「鳥部山」ともいう。
徒野の露、鳥辺野の煙(あだしののつゆ、とりべののけむり)
人生の無常、はかなさのたとえ。 「あだし野」は、京都の嵯峨野にあった墓地。 「鳥辺野」は、京都の東山にあった火葬場。 人生を、はかなく消える墓地の露と火葬場の煙にたとえた言葉。 「あだし野」は「仇野」「徒野」、「鳥辺野」は「鳥部野」とも書く。 「鳥辺野」は「鳥部山」ともいう。
仇野の露、鳥部野の煙(あだしののつゆ、とりべののけむり)
人生の無常、はかなさのたとえ。 「あだし野」は、京都の嵯峨野にあった墓地。 「鳥辺野」は、京都の東山にあった火葬場。 人生を、はかなく消える墓地の露と火葬場の煙にたとえた言葉。 「あだし野」は「仇野」「徒野」、「鳥辺野」は「鳥部野」とも書く。 「鳥辺野」は「鳥部山」ともいう。
徒野の露、鳥部野の煙(あだしののつゆ、とりべののけむり)
人生の無常、はかなさのたとえ。 「あだし野」は、京都の嵯峨野にあった墓地。 「鳥辺野」は、京都の東山にあった火葬場。 人生を、はかなく消える墓地の露と火葬場の煙にたとえた言葉。 「あだし野」は「仇野」「徒野」、「鳥辺野」は「鳥部野」とも書く。 「鳥辺野」は「鳥部山」ともいう。
当たった者のふの悪さ(あたったもののふのわるさ)
悪いことに、たまたま当たった者が不運だったということ。 「ふ」は運の意。 大勢が悪さをしているにもかかわらず、そのうちの一部の者だけが捕まるような場合をいう。
当たって砕けよ(あたってくだけよ)
うまくいくかどうかわからないが、思い切ってやってみよということ。
当たって砕けろ(あたってくだけろ)
うまくいくかどうかわからないが、思い切ってやってみよということ。
寇に兵を藉し、盗に糧を齎す(あだにへいをかし、とうにかてをもたらす)
敵に利益を与えるような行動、また自らの損失となるような行動をするたとえ。 「寇」は敵、「兵」は武器の意。 敵に武器を貸し与えたり、盗賊に食糧を与えたりすることから。
寇に兵を藉し、盗に糧を齎す(あだにへいをかし、とうにりょうをもたらす)
敵に利益を与えるような行動、また自らの損失となるような行動をするたとえ。 「寇」は敵、「兵」は武器の意。 敵に武器を貸し与えたり、盗賊に食糧を与えたりすることから。
徒の悋気(あだのりんき)
自分とは何のかかわりもない他人の恋を妬みやきもちを焼くこと。「徒」は無駄、「悋気」は嫉妬の意。
徒花に実は生らぬ(あだばなにみはならぬ)
どんなに見かけがよくても、実質が伴わなくてはよい成果を上げることはできないということ。 「徒花」は、咲いても実を結ばずに散る花。 どんなに美しい花を咲かせようとも、実のならない徒花では仕方がないとの意から。
頭打ちになる(あたまうちになる)
物事が限界に達して、それ以上には上がらない状態になること。
頭押さえりゃ尻上がる(あたまおさえりゃしりあがる)
両方うまくはいかないということ。頭を押さえれば尻が持ち上げるように、一方がうまくいけば、もう片方がうまくいかなくなるということから。
頭が上がらない(あたまがあがらない)
相手に対して負い目があったり、恩義があったりして、対等の立場で接することができないようす。
頭が痛い(あたまがいたい)
心配事や解決し難い問題などを抱えて、思い悩んでいるようす。
頭が動けば尾も動く(あたまがうごけばおもうごく)
上に立つ者が行動すれば、下の者は自然と従うということ。 動物の頭と尾は一体で、頭が動けば当然尾も動くという意味から。
頭が固い(あたまがかたい)
既存の観念にとらわれて、柔軟な考え方が出来ないこと。融通が利かないこと。
頭が堅い(あたまがかたい)
既存の観念にとらわれて、柔軟な考え方が出来ないこと。融通が利かないこと。
頭が切れる(あたまがきれる)
頭の回転が速く、物事に対して的確な対処ができるさま。
頭搔くか字を書くか(あたまかくかじをかくか)
文字を書くのが苦手な者が、字を書かなければならくなり、困り果てている様子をからかっていう言葉。「掻く」と「書く」は語呂をあわせ。
頭隠して尻隠さず(あたまかくしてしりかくさず)
悪事や欠点の一部を隠して、全部を隠したつもりでいる者をあざけっていう言葉。雉(きじ)が草むらに頭を突っ込み隠れたつもりでも、尾が見えていることから。
頭が下がる(あたまがさがる)
相手の人がらや行いが立派で、感心すること。心から敬服すること。
頭が低い(あたまがひくい)
人に対する態度が、謙虚で丁寧であるさま。
頭が古い(あたまがふるい)
物事に対する考え方や価値観が、古臭く時代遅れであること。
頭から(あたまから)
状況や事情などを考慮せず、一方的な態度をとるようす。
頭から水を浴びたよう(あたまからみずをあびたよう)
突然起こった恐ろしい出来事に、驚き恐れてぞっとすることのたとえ。
頭から水を掛けられたよう(あたまからみずをかけられたよう)
突然起こった恐ろしい出来事に、驚き恐れてぞっとすることのたとえ。
頭から湯気を立てる(あたまからゆげをたてる)
激怒するようす。かんかんになって怒るようす。
頭が割れるよう(あたまがわれるよう)
頭痛がひどいことのたとえ。
頭剃るより心を剃れ(あたまそるよりこころをそれ)
外見より精神が大事だということ。 頭を剃って姿だけ僧になるより、まず心を清浄せよということ。
頭でっかち尻すぼり(あたまでっかちしりすぼり)
最初は威勢よく、だんだん勢いがなくなり、最後はだらしなくなること。
頭でっかち尻つぼみ(あたまでっかちしりつぼみ)
最初は威勢よく、だんだん勢いがなくなり、最後はだらしなくなること。
頭に入れる(あたまにいれる)
しっかりと理解して、記憶にとどめること。
頭に来る(あたまにくる)
怒る。かっとなる。
頭に血が上る(あたまにちがのぼる)
感情がたかぶって冷静な判断ができなくなる。かっとなる。
頭に湯気を立てる(あたまにゆげをたてる)
激怒するようす。かんかんになって怒るようす。
頭の上の蠅も追えない(あたまのうえのはえもおえない)
自分自身のことさえ満足に出来ないことのたとえ。 自分の頭にたかる蠅さえ追い払えないという意味から。
頭の上の蠅も追われぬ(あたまのうえのはえもおわれぬ)
自分自身のことさえ満足に出来ないことのたとえ。 自分の頭にたかる蠅さえ追い払えないという意味から。
頭の上の蠅を追え(あたまのうえのはえをおえ)
他人のことをとやかく言ったり世話を焼いたりする前に、まずは自分自身のことを始末しなさい、という教え。
頭の黒い鼠(あたまのくろいねずみ)
物を盗む人のこと。家に住んでいて、物を盗む頭髪の黒い人間を、鼠になぞらえて言う言葉。
頭の天辺から足の爪先まで(あたまのてっぺんからあしのつまさきまで)
人の身体の上から下まで。全身のこと。転じて、何から何まで。全部。すべて。
頭の濡れぬ思案(あたまのぬれぬしあん)
先のことを考えるより、まずは自分の身に及んでいる問題を解決することが大事だということ。 いま降っている雨で頭を濡れないようにすることが先決だとの意から。
頭の蠅も追えない(あたまのはえもおえない)
自分自身のことさえ満足に出来ないことのたとえ。 自分の頭にたかる蠅さえ追い払えないという意味から。
頭禿げても浮気はやまぬ(あたまはげてもうわきはやまぬ)
年をとっても色気がなくならず、浮気心はおさまらないということ。
頭を痛める(あたまをいためる)
ある物事について、心配したり思い悩んだりする。
頭を抱える(あたまをかかえる)
心配事や悩み事について、良い解決策が見つからずに苦しむ。困り果てる。
頭を搔く(あたまをかく)
小さな失敗について気まずく感じたり、恥ずかしく照れたりしたときなどに行う、頭に手をやって軽くかくしぐさのこと。
頭を切り替える(あたまをきりかえる)
それまでの考え方から離れて、別の考え方や手法に改める。
頭を切り換える(あたまをきりかえる)
それまでの考え方から離れて、別の考え方や手法に改める。
頭を下げる(あたまをさげる)
謝ること。お辞儀をすること。また、感服すること。尊敬すること。
頭を絞る(あたまをしぼる)
よい方法や意見などが思いつくように、一生懸命考え抜くこと。
頭を搾る(あたまをしぼる)
よい方法や意見などが思いつくように、一生懸命考え抜くこと。
頭を突っ込む(あたまをつっこむ)
興味や関心のある物事に関わりを持つ。仲間になる。また、深入りする。
頭を悩ます(あたまをなやます)
どうしたらよいかと、あれこれ考えて苦しむさま。
頭を撥ねる(あたまをはねる)
他人の利益の一部をかすめとって、自分のものにする。
頭を捻る(あたまをひねる)
よいやり方を工夫したり、物事の対処のためにいろいろと考えたりすること。
頭を拈る(あたまをひねる)
よいやり方を工夫したり、物事の対処のためにいろいろと考えたりすること。
頭を冷やす(あたまをひやす)
興奮を静めて、冷静になる。
頭を丸める(あたまをまるめる)
髪の毛を剃って、丸坊主にする。転じて、出家すること。
頭を擡げる(あたまをもたげる)
今まで意識していなかった考えや思いが浮かんでくること。 また、少しずつ力をつけて、実力を示すようになること。台頭する。
仇も情けも我が身より出る(あだもなさけもわがみよりでる)
人から憎まれたり愛されたりするのは、自分の心がけや行いによるということ。
あだや疎か(あだやおろそか)
いい加減に扱うさま。軽々しく考えるさま。 後に否定の語を伴って用いる。
徒や疎か(あだやおろそか)
いい加減に扱うさま。軽々しく考えるさま。 後に否定の語を伴って用いる。
新しい酒は新しい革袋に盛れ(あたらしいさけはあたらしいかわぶくろにもれ)
新しい内容を表現するためには、新しい形式が必要であるということ。
新しい酒を古い革袋に盛る(あたらしいさけをふるいかわぶくろにもる)
新しい内容を古い形式にはめ込むこと。多く内容も形式とが、ともに生かされないことにいう。
新しき葡萄酒は新しき革袋に入れよ(あたらしきぶどうしゅはあたらしきかわぶくろにいれよ)
新しい内容を表現するためには、新しい形式が必要であるということ。
当たらず触らず(あたらずさわらず)
どちらとも衝突を起こさないように、どっちつかずの曖昧な態度を取って済ませるようす。
当たらず障らず(あたらずさわらず)
どちらとも衝突を起こさないように、どっちつかずの曖昧な態度を取って済ませるようす。
中らずと雖も遠からず(あたらずといえどもとおからず)
ぴったり当たっていないが、ほぼ的中と言えるということ。 「中らず」は「当たらず」とも書く。
当たらずと雖も遠からず(あたらずといえどもとおからず)
ぴったり当たっていないが、ほぼ的中と言えるということ。 「中らず」は「当たらず」とも書く。
当たりがいい(あたりがいい)
人と接する態度がよく、相手にいい印象をあたえること。
辺り構わず(あたりかまわず)
周囲の状況や他人の迷惑などを気にしないで、自分の好きなように振る舞うようす。
当たりを付ける(あたりをつける)
おおよその結果・程度について予測をすること。
当たりを取る(あたりをとる)
興行や商売などが成功する。好評を博する。
辺りを払う(あたりをはらう)
周囲の人が近寄りがたいほど、堂々としていて威厳があるさま。
当たるも八卦、当たらぬも八卦(あたるもはっけ、あたらぬもはっけ)
占いは当たることもあれば、当たらない場合もある。占いの結果をあまり気にするなということ。「八卦」は易占いのこと。
当たるを幸い(あたるをさいわい)
手当たり次第に。片っ端から。何でもかんでも。
仇を恩で報ずる(あだをおんでほうずる)
憎むべき相手を憎まずに、かえってその人に情けをかけること。
仇を恩で報いる(あだをおんでむくいる)
憎むべき相手を憎まずに、かえってその人に情けをかけること。
あちら立てればこちらが立たぬ(あちらたてればこちらがたたぬ)
一方に良いようにすれば、他方には悪く、どちらにも都合の良いようにするのは難しいということ。
彼方立てれば此方が立たぬ(あちらたてればこちらがたたぬ)
一方に良いようにすれば、他方には悪く、どちらにも都合の良いようにするのは難しいということ。
悪貨は良貨を駆逐する(あっかはりょうかをくちくする)
質の異なる貨幣が同一の価値を持って流通している場合、良質の貨幣は貯蔵・溶解などで市場から姿を消し、悪貨のみが流通するようになるという「グレシャムの法則」のこと。グレシャムは16世紀のイギリスの財政家。
圧巻(あっかん)
全体の中できわだってすぐれた部分。「巻」は昔の中国の官吏登用試験の答案。最もすぐれた答案が一番上に載せられ、他を圧したという故事から。
熱くなる(あつくなる)
一つのことに熱中して、他のことを忘れる。特に、異性に夢中になることについていう。 また、熱中するあまり、感情が高ぶって腹を立てる。かっとなる。
呆気に取られる(あっけにとられる)
思いがけないことに出くわして、驚きあきれる。
暑さ寒さも彼岸まで(あつささむさもひがんまで)
夏の残暑も秋の彼岸頃には衰えて涼しくなり、余寒も春の彼岸頃にはやわらいで暖かくなるという言い伝え。
暑さ忘れて陰忘る(あつさわすれてかげわする)
苦しい時が過ぎると、助けてくれた人の恩をとかく忘れがちになるということ。 暑さが過ぎると、涼しい物陰のありがたみを忘れてしまうとの意から。
暑さ忘れれば陰忘れる(あつさわすれればかげわすれる)
苦しい時が過ぎると、助けてくれた人の恩をとかく忘れがちになるということ。 暑さが過ぎると、涼しい物陰のありがたみを忘れてしまうとの意から。
会った時は笠を脱げ(あったときはかさをぬげ)
知り合いに会った時は、まず挨拶をしなさいということ。 礼儀の大切さを説いた教え。
あったら口に風邪ひかす(あったらくちにかぜひかす)
親切な気持ちで言ったことが無駄になるたとえ。「あったら」は「あたら」が転じた言葉で、残念なことにの意。
あったら口に風邪をひかす(あったらくちにかぜをひかす)
親切な気持ちで言ったことが無駄になるたとえ。「あったら」は「あたら」が転じた言葉で、残念なことにの意。
可惜口に風ひかす(あったらくちにかぜをひかす)
親切な気持ちで言ったことが無駄になるたとえ。「あったら」は「あたら」が転じた言葉で、残念なことにの意。
あって地獄、なくて極楽(あってじごく、なくてごくらく)
金と子どもは、あれば苦労が絶えないので、むしろないほうが気が楽だということ。
あっても苦労、なくても苦労(あってもくろう、なくてもくろう)
金と子どもは、あればあったで苦労するし、なければないで苦労するということ。
有っても苦労、無くても苦労(あってもくろう、なくてもくろう)
金と子どもは、あればあったで苦労するし、なければないで苦労するということ。
あっという間(あっというま)
「あっ」と驚いている間ほどの、ほんの短い時間のこと。
あっと言う間(あっというま)
「あっ」と驚いている間ほどの、ほんの短い時間のこと。
あっと言わせる(あっといわせる)
想像もしていないような意外なことをして、周囲の人を驚かせたり、感心させたりする。
熱火子にかく(あつびこにかく)
緊急事態には、利己心が醜く現れるというたとえ。 炎が自分に迫ってきた時は、炎を我が子の方へ払いのけてでも助かろうとするとの意から。 「熱火子にかく」ともいう。
熱火子に払う(あつびこにはらう)
緊急事態には、利己心が醜く現れるというたとえ。 炎が自分に迫ってきた時は、炎を我が子の方へ払いのけてでも助かろうとするとの意から。 「熱火子にかく」ともいう。
羹に懲りて膾を吹く(あつものにこりてなますをふく)
失敗に懲りて、必要以上に用心深くなることのたとえ。 「羹」は熱い吸い物のこと。 熱い吸い物を飲んでやけどをしたことに懲りて、冷たい膾まで吹いて冷ますことから。
圧力を掛ける(あつりょくをかける)
権力や財力などで威圧して、相手を自分の意のままに従わせようとする。
当てが外れる(あてがはずれる)
期待や予想とは異なった結果になること。
当て事と越中褌は向こうから外れる(あてごととえっちゅうふんどしはむこうからはずれる)
当てにしていた事は相手の都合で外れることが多いことのたとえ。 「当て事」は当てにしている事。 「向こう」は身体の前、また、相手のこと。 越中褌が身体の前から外れやすいのと同じように、当てにしていた事は向こうから外れることが多いということ。 「当て事は向こうから外れる」「当て事と畚褌は先から外れる」ともいう。
当て事と畚褌は先から外れる(あてことともっこふんどしはさきからはずれる)
当てにしていた事は相手の都合で外れることが多いことのたとえ。 「当て事」は当てにしている事。 「向こう」は身体の前、また、相手のこと。 越中褌が身体の前から外れやすいのと同じように、当てにしていた事は向こうから外れることが多いということ。 「当て事は向こうから外れる」「当て事と畚褌は先から外れる」ともいう。
当て事は向こうから外れる(あてごとはむこうからはずれる)
当てにしていた事は相手の都合で外れることが多いことのたとえ。 「当て事」は当てにしている事。 「向こう」は身体の前、また、相手のこと。 越中褌が身体の前から外れやすいのと同じように、当てにしていた事は向こうから外れることが多いということ。 「当て事は向こうから外れる」「当て事と畚褌は先から外れる」ともいう。
後味が悪い(あとあじがわるい)
物事が済んだ後に、後悔や不快感が残るさま。 飲食の後に口の中にいやな味が残ることから。
後足で砂をかける(あとあしですなをかける)
去り際に迷惑をかけたり、裏切ったりすることのたとえ。 犬などが糞をしたあとに、後ろ足で砂を蹴散らすようすから。
後押しをする(あとおしをする)
物事が順調に進むように、わきから援助すること。
後がない(あとがない)
逃げ場や退く余裕がなく、限界まで追い詰められている状況のこと。
後釜に据える(あとがまにすえる)
前任者がその地位や職務を退いて、誰かに受け継がせること。 「後釜」は、かまどの残り火が消えないうちにかける、次の釜のこと。
後釜に座る(あとがまにすわる)
前任者が地位や職務を退いた後、それを受け継ぐこと。 「後釜」は、かまどの残り火が消えないうちにかける、次の釜のこと。
後釜に据わる(あとがまにすわる)
前任者が地位や職務を退いた後、それを受け継ぐこと。 「後釜」は、かまどの残り火が消えないうちにかける、次の釜のこと。
後から剝げる正月言葉(あとからはげるしょうがつことば)
上品ぶった言葉や、うわべだけ飾った体裁だけのお世辞は、すぐに化けの皮がはがれるということ。「正月言葉」は正月に使う体裁ぶった言葉の意で、上品ぶった使いなれない言葉のこと。
後口が悪い(あとくちがわるい)
物事が済んだ後に、後悔や不快感が残るさま。 飲食の後に口の中にいやな味が残ることから。
後先になる(あとさきになる)
後のものが先になり、先のものが後になること。物事の順序が逆になること。
後先見ず(あとさきみず)
後のことをよく考えずに行動するようす。
後先息子に中娘(あとさきむすこになかむすめ)
子どもを持つなら三人で、最初と最後は男、真ん中は娘が理想だということ。
後に引けない(あとにひけない)
自分の立場や面目を保つため、相手に譲歩したり引き下がれないこと。引っ込みがつかない。
後にも先にも(あとにもさきにも)
今までも、これから先もということ。これ一回きりであるということ。
後の雁が先になる(あとのかりがさきになる)
後から来た者が、先の者を追い抜いてしまうこと。また、年上の者より年下の者が先に死んだ時にも使う。列をなして飛ぶ雁行のようすから。「雁」は「がん」とも読む。
後の雁が先になる(あとのがんがさきになる)
後から来た者が、先の者を追い抜いてしまうこと。また、年上の者より年下の者が先に死んだ時にも使う。列をなして飛ぶ雁行のようすから。「雁」は「がん」とも読む。
後の喧嘩、先でする(あとのけんか、さきでする)
あとからもめ事が起こらないように、事前によく話し合いをしておくべきだということ。 あとで喧嘩をすることがないように、先に喧嘩しておけとの意から。
後の祭り(あとのまつり)
手遅れ。時機を逃したため、何の役にも立たないことのたとえ。
後は野となれ山となれ(あとはのとなれやまとなれ)
目前の問題さえ片付けば、あとはどうなってもよいということ。
後腹が病める(あとばらがやめる)
物事が終わったあとにも、出費がかさんだり、障害が生じたりして苦しむこと。 「後腹」は産後の腹痛のこと。 物事が落ち着いた後の出費や障害を、産後の腹痛にたとえた言葉。
アドバルーンを揚げる(あどばるーんをあげる)
意図的に情報の一部を流して、世間の反響や相手の出方を見ること。
アドバルーンを上げる(あどばるーんをあげる)
意図的に情報の一部を流して、世間の反響や相手の出方を見ること。
阿堵物(あとぶつ)
金銭のこと。「阿堵」は「この」の意。中国、晋の王衍が金銭を忌んで「この物」と呼んだという故事から。
後へ引かない(あとへひかない)
自分の意見をあくまでも主張して、譲歩しようとしないこと。
後へも先へも行かぬ(あとへもさきへもいかぬ)
引くことも進むことも出来ず、動きがとれないようす。
後棒を担ぐ(あとぼうをかつぐ)
首謀者の手先として、悪事に加担すること。 「後棒」は、駕籠(かご)などの棒の後ろの方を担ぐ人。
跡を追う(あとをおう)
追い掛ける。また、亡くなった人への思慕から自ら命を絶つこと。
跡を晦ます(あとをくらます)
行き先を告げず、姿を隠すこと。
跡を絶たない(あとをたたない)
同じことが繰り返されて、絶えることがないということ。
跡を濁す(あとをにごす)
後始末をしないでその場を去ること。
後を引く(あとをひく)
物事の影響が、いつまでも残ること。とくに、悪い物事についていう。 また、飲食物などを引き続き欲してやめられなくなること。
穴が開く(あながあく)
商売で損失が生じること。また、必要な人員が欠けたり予定がなくなったりすること。
穴が空く(あながあく)
商売で損失が生じること。また、必要な人員が欠けたり予定がなくなったりすること。
穴があったら入りたい(あながあったらはいりたい)
穴があれば隠れてしまいたいほど、非常に恥ずかしくて、身の置き所がないようす。
あなた任せ(あなたまかせ)
自分ですべきことを他人に頼って、その人の言った通りにすること。 「あなた」は「阿弥陀如来」のこと。 もとは「阿弥陀如来の力に任せる」との意味であったが、「他人任せにする」「他人の言う通りにする」という否定的な意味でも使われるようになった。
穴の開くほど(あなのあくほど)
何かをじっと見つめるさま。
穴の開くほど見る(あなのあくほどみる)
何かをじっと見つめるさま。
穴の貉を値段する(あなのむじなをねだんする)
あてにならない事をあてにする愚かさをいうことば。 捕まえる前から穴の中の貉の値段を考えることから。
穴をあける(あなをあける)
金を使い込んだり、損失を生じさせたりすること。 また、物事が予定通り進まず空白の状態にしてしまうこと。
穴を埋める(あなをうめる)
欠損を補う。特に、金銭や人員を補充すること。
穴を掘って言い入れる(あなをほっていいいれる)
人に言えない悲しいこと悔しいことを、穴を掘って思いっきり言えば、気持ちが楽になるということ。
豈図らんや(あにはからんや)
どうしてそんなことが予想できただろうか。 意外なことに出会ったときに言う言葉。
姉女房は身代の薬(あねにょうぼうはしんだいのくすり)
夫より年上の妻は家計のやりくりもうまく、夫に尽くすので、家庭が円満であるということ。
姉は菅笠、妹とは日傘(あねはすげがさ、いもとはひがさ)
女性は嫁ぎ先しだいで、境遇に大きな差が出てくるということ。「菅笠」は農作業でかぶる笠。「日傘」は盛装などの時にさす日除けの傘。同じ家で育った姉妹でも、嫁ぎ先によって、菅笠をかぶってあくせく働いたり、日傘をさして優雅に出掛けたりと、違う境遇になるということから。
あの声で蜥蜴食らうか時鳥(あのこえでとかげくらうかほととぎす)
人や物事は、見かけでは判断できないということ。美しい声で鳴く時鳥が蜥蜴を食べることに驚いた、という意味で、江戸時代の俳人、宝井其角の句から。
あの手この手(あのてこのて)
いろいろな手段や方法を使うこと。
あの世の千日、この世の一日(あのよのせんにち、このよのいちにち)
あの世の極楽で千日暮らすより、この世で一日でも楽しむほうがよいということ。
痘痕も靨(あばたもえくぼ)
ひいき目で見ると、相手の欠点も長所に見えるということのたとえ。恋する者にとっては、相手のあばたも、かわいいえくぼに見えるというということから。
家鴨も鴨の気位(あひるもかものきぐらい)
それほどでもない者が、高い気位を持っていることのたとえ。 姿のよくない家鴨が、鴨の気位を持つことから。
危ないことは怪我のうち(あぶないことはけがのうち)
危ないことには、はじめから近寄るなという教え。 危険なことはもう怪我の圏内に入るとの意から。
危ない橋も一度は渡れ(あぶないはしもいちどはわたれ)
安全な方策ばかりとっていたのでは、成功することはできない。時には危険を冒してやってみるのも必要だということ。
危ない橋を渡る(あぶないはしをわたる)
危険な手段をとることのたとえ。 いまにも落ちそうな危険な橋を渡ることから。
虻蜂取らず(あぶはちとらず)
二つのものを同時に得ようとして、結局はどちらも取り逃がしてしまうことのたとえ。欲張りすぎて失敗することのたとえ。 虻と蜂を両方捕ろうとして、結局どちらにも逃げられてしまうことから。
虻蜂捕らず(あぶはちとらず)
二つのものを同時に得ようとして、結局はどちらも取り逃がしてしまうことのたとえ。欲張りすぎて失敗することのたとえ。 虻と蜂を両方捕ろうとして、結局どちらにも逃げられてしまうことから。
油が切れる(あぶらがきれる)
元気がなくなり、体力や気力が続かなくなること。 機械の油がなくなってきて、正常に動かなくなるとの意から。 「ガソリンが切れる」ともいう。
脂が乗る(あぶらがのる)
魚などに脂肪がついておいしくなること。また、仕事などがおもしろくなり、調子が出ること。
油紙に火が付いたよう(あぶらがみにひがついたよう)
べらべらとよくしゃべる様子。油の付いた紙は、めらめらとよく燃えることから。
油紙に火の付いたよう(あぶらがみにひのついたよう)
べらべらとよくしゃべる様子。油の付いた紙は、めらめらとよく燃えることから。
油紙へ火の付いたよう(あぶらがみへひのついたよう)
べらべらとよくしゃべる様子。油の付いた紙は、めらめらとよく燃えることから。
脂に画き、氷に鏤む(あぶらにえがき、こおりにちりばむ)
努力や苦労が報われず、徒労に終わることのたとえ。 「鏤む」は彫刻すること。 脂に絵を描いても、氷に彫刻しても、残らず消えてしまうということから。 「氷に鏤め、脂に画く」「氷に鏤め、水に描く」ともいう。
油を売る(あぶらをうる)
無駄話などをして仕事を怠けること。江戸時代の髪油売りが、客相手に世間話をしながら商売をすることが多かったことから。
油を絞る(あぶらをしぼる)
過ちや失敗を厳しく責め立てること。昔、材料を搾木にかけて油を絞り取っていたことから。
油を注ぐ(あぶらをそそぐ)
勢いのあるものにさらに勢いを加えるたとえ。
油を以って油煙を落とす(あぶらをもってゆえんをおとす)
油を使って油煙を落とすように、同種のものをうまく利用して効果を上げることのたとえ。
阿呆の三杯汁(あほうのさんばいじる)
何杯も汁のおかわりをする作法知らずをあざけっていう言葉。また、愚か者にかぎって大食をすることのたとえ。 「阿呆の三杯汁」ともいう。
阿保の大食い(あほのおおぐい)
愚か者にかぎって大食をするということ。また、食事の作法をわきまえないことの非難していう言葉。 「阿保の大食い」ともいう。
甘い汁を吸う(あまいしるをすう)
自分は苦労しないで、他人の働きによる利益を自分のものにすること。
甘い物に蟻がつく(あまいものにありがつく)
甘い物に蟻が集まるように、利益にありつけそうなところには人が人が群がるということ。
甘く見る(あまくみる)
たいしたことはないと軽く見て、あなどる。
余す所なく(あますところなく)
残らず。全て。全部。ことごとく。
雨垂れ石を穿つ(あまだれいしをうがつ)
小さな努力も根気強く続けていけば、いつかは成功することのたとえ。 わずかな雨垂れでも長い年月、同じ所に落ち続ければ、石に穴をあけることができるとの意から。 「点滴石を穿つ」ともいう。
雨垂れは三途の川(あまだれはさんずのかわ)
家から一歩出れば、どんな災難や危険が待ちかまえているかわからないということ。 軒下から落ちる雨だれを、あの世とこの世の堺である三途の川に見立てて、家から一歩出たら十分に注意せよとの戒めのことば。
天の邪鬼(あまのじゃく)
他人の意見などにわざと逆らう性質。また、そのような人。
雨夜の月(あまよのつき)
想像するだけで、現実には見ることのできないもののたとえ。雨夜にも月はあるはずだが、目には見えないことから。
余り茶に福あり(あまりちゃにふくあり)
余っている物の中にも、思いがけずよいものがあるということ。
あまり円きはまろびやすし(あまりまろきはまろびやすし)
人柄があまり温和すぎるのもよしあしで、少しくらい角がないと人につけ込まれやすいということ。「まろぶ」は転ぶの意。「円くとも一角あれや人心」に続けて言われる。
余り物には福がある(あまりものにはふくがある)
最後まで残っている物の中には、思いがけずよいものがあるということ。
網心あれば魚心(あみごころあればうおごごろ)
相手が好意を示せば、こちらもまた好意を持つ。 先方の出方次第で、こちらの態度が決まるということ。 もとは「魚、心あれば、水、心あり」で魚と心、水と心が一語化したものといわれる。 魚が水に好意を示せば、水もその魚に好意を持つであろうという意味から。 「水心あれば魚心」「網心あれば魚心」ともいう。
阿弥陀の光も金次第(あみだのひかりもかねしだい)
金の力は絶大だというたとえ。阿弥陀仏の御利益も供える金の多少に影響されるということから。
阿弥陀の光も銭次第(あみだのひかりもぜにしだい)
金の力は絶大だというたとえ。阿弥陀仏の御利益も供える金の多少に影響されるということから。
阿弥陀も銭で光る(あみだもぜにでひかる)
金の力は絶大だというたとえ。阿弥陀仏の御利益も供える金の多少に影響されるということから。
網、呑舟の魚を漏らす(あみ、どんしゅうのうおをもらす)
法の規制が及ばず、大悪人を取り逃がしてしまうことのたとえ。 網の目が粗いために、舟を呑み込むほどの大魚を逃がしてしまうことから。
網なくて淵を覗くな(あみなくてふちをのぞくな)
十分な用意なしでは物事はうまくいかないというたとえ。また、努力もしないで人を妬んではいけないということ。網を持たずに淵を覗き込んでも、魚は捕れるわけがないという意味から。
網にかかった魚(あみにかかったうお)
逃げようとしても逃げ出せないことのたとえ。
網に掛かった魚(あみにかかったうお)
逃げようとしても逃げ出せないことのたとえ。
網にかかるは雑魚ばかり(あみにかかるはざこばかり)
悪事をはたらいても捕まるのは小物ばかりで、大物は巧みに逃げてなかなか捕まらないということ。
網の目に風たまらず(あみのめにかぜたまらず)
無駄なこと、何の効果もないことのたとえ。網で風を防ごうとしても、風は網の目を通り過ぎていくことから。
網の目に風たまる(あみのめにかぜたまる)
ありえないことのたとえ。 網の目を通り抜けるはずの風が網にたまるとの意から。
網の目を潜る(あみのめをくぐる)
捜査網や監視から巧みに逃れる。 また、法律や規則の盲点を突いて悪事をはたらく。
網を張る(あみをはる)
犯人や目当てのものをとらえるために、準備して待ち構えること。
雨が降ろうが槍が降ろうが(あめがふろうがやりがふろうが)
何が何でも決行するという気持ちを表すことば。
雨、車軸の如し(あめ、しゃじくのごとし)
大粒の雨がはげしく降るさま。雨脚を車軸に見立てていうことから。
雨塊を破らず、風枝を鳴らさず(あめつちくれをやぶらず、かぜえだをならさず)
世の中が大平であることのたとえ。周公が中国を統治していた頃は天下泰平で、雨は静かに降って土のかたまりを壊さず、風は木の枝も動かないように静かに吹いたという故事から。
飴と鞭(あめとむち)
支配または指導の方法で、飴を譲歩、鞭を厳しい弾圧になぞらえて使い分けることのたとえ。 ドイツのビスマルクの社会主義運動に対する政策を評したことばから。
雨の降る日は天気が悪い(あめのふるひはてんきがわるい)
あたりまえのこと、わかりきったことのたとえ。
雨は花の父母(あめははなのふぼ)
花にとって雨は、養い育ててくれる父母のようなものだということ。
雨晴れて笠を忘る(あめはれてかさをわする)
苦しみが過ぎれば、すぐに受けた恩を忘れてしまうことのたとえ。雨がやむと、役に立った笠のことを忘れることから。
雨晴れて笠を忘れる(あめはれてかさをわすれる)
苦しみが過ぎれば、すぐに受けた恩を忘れてしまうことのたとえ。雨がやむと、役に立った笠のことを忘れることから。
雨降って地固まる(あめふってじかたまる)
もめごとが解決したあとに、物事が前の状態より良くなること。
飴をしゃぶらせる(あめをしゃぶらせる)
うまいことを言って、相手を喜ばせ乗り気にさせること。また、大きく儲けるために、相手に少し儲けさせること。
危うきこと虎の尾を踏むが如し(あやうきこととらのおをふむがごとし)
非常に危険なことをすることのたとえ。
危うきこと累卵の如し(あやうきことるいらんのごとし)
きわめて不安定で危険な状態のたとえ。 「累卵」は積み重ねた卵のことで、いつ崩れるかわからないことから。
過ちて改めざる是を過ちと謂う(あやまちてあらためざるこれをあやまちという)
人は過ちを犯したらすぐに反省して改めるべきであり、過ちを犯して改めようとしないことが本当の過ちであるということ。 「過ちを改めざる是を過ちと謂う」ともいう。
過ちては改むるに憚ること勿れ(あやまちてはあらたむるにはばかることなかれ)
過ちを犯したことに気がついたら、体面や体裁などにとらわれず、すぐに改めるべきだという戒め。
過ちては則ち改むるに憚ること勿れ(あやまちてはすなわちあらたむるにはばかることなかれ)
過ちを犯したことに気がついたら、体面や体裁などにとらわれず、すぐに改めるべきだという戒め。
過ちの功名(あやまちのこうみょう)
過ちや災難と思われていたことが、偶然にもよい結果になることのたとえ。 「怪我」は、ここでは過ちや災難のこと。 過ちや災難が生んだ手柄との意から。 「過ちの功名」ともいう。
過ちは好む所にあり(あやまちはこのむところにあり)
過ちは、自分の好きな事や得意な事をしている時に、つい油断して起こるということ。
過ちは人の常、許すは神の業(あやまちはひとのつね、ゆるすはかみのわざ)
人は誰でも過ちを犯すものなので、むやみに人を責めてはいけないということ。 「過ちは人の常、許すは神の業」ともいう。
過ちを改めざる是を過ちと謂う(あやまちをあらためざるこれをあやまちという)
人は過ちを犯したらすぐに反省して改めるべきであり、過ちを犯して改めようとしないことが本当の過ちであるということ。 「過ちを改めざる是を過ちと謂う」ともいう。
過ちを文る(あやまちをかざる)
過ちを取り繕うために、あれこれ言い訳をしてごまかそうとすること。「文る」は飾るで、取り繕うという意。
過ちを観て斯に仁を知る(あやまちをみてここにじんをしる)
人の過ちの種類を観察することによって、その人の人柄がわかるということ。
過ちを観て仁を知る(あやまちをみてじんをしる)
人の過ちの種類を観察することによって、その人の人柄がわかるということ。
過つは人の性、許すは神の心(あやまつはひとのさが、ゆるすはかみのこころ)
人は誰でも過ちを犯すものなので、むやみに人を責めてはいけないということ。 「過ちは人の常、許すは神の業」ともいう。
洗い髪にはおじ坊主が惚れる(あらいがみにはおじぼうずがほれる)
女性の湯上り姿は艶やかで誰でも心ひかれるということ。 「おじ坊主」は、「伯父(叔父)や坊主も」という解釈と「おじの坊主」という解釈がある。 「湯上りは親でも惚れる」「洗い髪にはおじ坊主が惚れる」などともいう。
荒肝を抜く(あらぎもをぬく)
ひどく驚かすこと。また、恐れさせること。 「荒肝」は、荒々しいこころ。また、肝っ玉の意。
嵐の前の静けさ(あらしのまえのしずけさ)
台風が来る前に一時的に風が止むように、事件や変事が起こる前の不気味な静けさのこと。
争い果てての棒乳切り(あらそいはててのぼうちぎり)
時機に遅れて何の役にも立たないことのたとえ。 「棒乳切り」は棒の切れ端のこと。 喧嘩が終わってから、棒切れを持ち出しても役に立たないことから。 「争い果てて」は「諍い果てて」や「喧嘩過ぎて」、「棒乳切り」は「乳切り木(千切り木)」などともいう。
争えない(あらそえない)
事実がはっきりしていて、隠すことも否定もできないこと。 「争われない」ともいう。
争われない(あらそわれない)
事実がはっきりしていて、隠すことも否定もできないこと。 「争われない」ともいう。
新たに沐する者は必ず冠を弾く(あらたにもくするものはかならずかんむりをはじく)
潔白な人ほど自分の身を汚すおそれのあるものを避けるということ。 「沐」は髪を洗うこと。 髪を洗ったばかりの人は、必ず冠のちりを払ってから頭にのせるとの意から。
荒波に揉まれる(あらなみにもまれる)
世間の厳しい現実の中で、さまざまな苦労を重ねること。
有り金をはたく(ありがねをはたく)
持っている金を全部出すこと。
ありそうでないのが金(ありそうでないのがかね)
人の内情は外見からではわからない。ありそうに見えても、意外にないのが金だということ。
有り体に言う(ありていにいう)
ありのままを言うこと。うそ偽りなく述べること。
在りての厭い、亡くての偲び(ありてのいとい、なくてのしのび)
生きている間は悪いところばかり目について疎ましかった人が、いざ亡くなってみると今度は良いところばかり思い出されて、恋しくなるということ。
蟻の穴から堤も崩れる(ありのあなからつつみもくずれる)
ちょっとした油断・不注意から大事が起こることのたとえ。 蟻の穴を見過ごしたために堤防が崩れることもあるとの意から。
蟻の甘きにつくが如し(ありのあまきにつくがごとし)
蟻が甘いものに群がるように、利益のある所に人が群がることのたとえ。
蟻の思いも天に届く(ありのおもいもてんにとどく)
弱小な者でも懸命に努力すれば、希望を叶えることができるというたとえ。 蟻のように小さなものでも、一心に努力すれば願いは天に達するとの意から。 「蟻の思いも天に昇る」ともいう。
蟻の思いも天に昇る(ありのおもいもてんにのぼる)
弱小な者でも懸命に努力すれば、希望を叶えることができるというたとえ。 蟻のように小さなものでも、一心に努力すれば願いは天に達するとの意から。 「蟻の思いも天に昇る」ともいう。
蟻の熊野参り(ありのくまのまいり)
多くの人が、ひっきりなしにぞろぞろ列を作って行くこと。昔、紀伊国(和歌山県)の熊野に参詣する人々が、まるで蟻の行列のように長く続いていたことから。
蟻の這い出る隙もない(ありのはいでるすきもない)
蟻が這い出て逃げ出す隙間もないほど警戒が厳しいようす。
有るか無きか(あるかなきか)
有るのか無いのかわからないほど、ほんのわずかなさま。
歩く足には塵が付く(あるくあしにはちりがつく)
何か物事を行おうとすれば必ず煩わしいことが起きる。だから何もせずじっとしているのにかぎるということ。 「歩く足には泥が付く」ともいう。
歩く足には泥が付く(あるくあしにはどろがつく)
何か物事を行おうとすれば必ず煩わしいことが起きる。だから何もせずじっとしているのにかぎるということ。 「歩く足には泥が付く」ともいう。
ある手からこぼれる(あるてからこぼれる)
金持ちは金が有り余るほどあるから、自然にまわりに金がこぼれ落ちる。だから施す気持ちがなくても、まわりの人々に恩恵を施していることになるということ。
ある時は米の飯(あるときはこめのめし)
あとで困ると思いながらも、余裕のある時は贅沢や浪費をしてしまうということ。米の飯が貴重だった昔、特別な日に腹いっぱい米の飯を食べつくしてしまうことから。
ある時払いの催促なし(あるときばらいのさいそくなし)
金の都合がついた時に返せばいい、催促は一切しないという寛大な借金の返済条件をいう言葉。
あるところにはあるもの(あるところにはあるもの)
世間の多くの人は金で苦労するものだが、一方で金持ちは有り余るほどの金を持っているということ。
あるは厭なり思うは成らず(あるはいやなりおもうはならず)
ものごとが思うようにいかないこと。 自分を好きになってくれる相手は好きになれず、自分が思う相手はふりむいてくれないという意味から。
あるはないに勝る(あるはないにまさる)
何事であれ、まったく無いよりは少しでもあるほうがましということ。
アルファでありオメガである(あるふぁでありおめがである)
最初であると同時に最後でもあるということ。 すべて。ぜんぶ。 アルファはギリシャ語の最初の文字で、オメガは最後の文字。
合わす顔がない(あわすかおがない)
相手の期待や信頼を裏切るようなことをして、申し訳なくてその人に会いにくいというたとえ。 「あわせる」は「あわす」ともいう。 また「合」は「会」とも書く。
会わす顔がない(あわすかおがない)
相手の期待や信頼を裏切るようなことをして、申し訳なくてその人に会いにくいというたとえ。 「あわせる」は「あわす」ともいう。 また「合」は「会」とも書く。
合わせ物は離れ物(あわせものははなれもの)
合わせて作ったものは、いつか離れることがあるということ。夫婦の別れなどにいう。
合わせる顔がない(あわせるかおがない)
相手の期待や信頼を裏切るようなことをして、申し訳なくてその人に会いにくいというたとえ。 「あわせる」は「あわす」ともいう。 また「合」は「会」とも書く。
会わせる顔がない(あわせるかおがない)
相手の期待や信頼を裏切るようなことをして、申し訳なくてその人に会いにくいというたとえ。 「あわせる」は「あわす」ともいう。 また「合」は「会」とも書く。
慌てる蟹は穴の口で死ぬ(あわてるかにはあなのくちでしぬ)
何事も焦ったり慌てたりすると失敗するというたとえ。 「慌てる蟹は穴の口で死ぬ」ともいう。
慌てる蟹は穴へ入れぬ(あわてるかにはあなへはいれぬ)
何事も焦ったり慌てたりすると失敗するというたとえ。 「慌てる蟹は穴の口で死ぬ」ともいう。
慌てる乞食は貰いが少ない(あわてるこじきはもらいがすくない)
急ぎ過ぎると、かえって失敗したり損をすることのたとえ。 先を争って施し物を貰おうとすると反感を買ってしまい、貰える物が少なくなってしまうとの意から。
阿波に吹く風は讃岐にも吹く(あわにふくかぜはさぬきにもふく)
ある土地の風習は、他の土地にも移る。上の人の行いは、下の者も真似るようになるということ。また、どこの土地でも人情は変わらないということ。「阿波」は現在の徳島県、「讃岐」は香川県。
合わぬ蓋あれば合う蓋あり(あわぬふたあればあうふたあり)
どんな入れ物にも合う蓋と合わない蓋があるように、人にも物にもそれぞれふさわしい組み合わせがあるということ。
粟一粒は汗一粒(あわひとつぶはあせひとつぶ)
粟一粒の収穫には、農民の汗一粒が流されているという農家の苦労をいう言葉。
鮑の貝の片思い(あわびのかいのかたおもい)
自分が慕っているだけで、相手にはその気がないこと。 片思いをしゃれていう言葉。 鮑の貝殻が二枚貝の片側だけのように見えることから。 「磯の鮑の片思い」「鮑の貝の片思い」ともいう。
鮑の片思い(あわびのかたおもい)
自分が慕っているだけで、相手にはその気がないこと。 片思いをしゃれていう言葉。 鮑の貝殻が二枚貝の片側だけのように見えることから。 「磯の鮑の片思い」「鮑の貝の片思い」ともいう。
泡を食う(あわをくう)
思わぬ出来事に、ひどく驚きあわてることのたとえ。
泡を吹かせる(あわをふかせる)
驚き慌てさせる。度肝を抜く。
暗影を投じる(あんえいをとうじる)
これからの成り行きに対する不安を投げかけること。 「暗影」は暗い影。転じて不安や不吉の兆し。
暗影を投ずる(あんえいをとうずる)
これからの成り行きに対する不安を投げかけること。 「暗影」は暗い影。転じて不安や不吉の兆し。
鮟鱇の待ち食い(あんこうのまちぐい)
働かずにじっと機会を待って、利益を得ようとすることのたとえ。鮟鱇は大口を開けて、小魚が口に入ってくるのを待ち受けていることから。
案じてたもるより銭たもれ(あんじてたもるよりぜにたもれ)
心配して下さるより銭を下さいということ。口だけで心配してくれても、実質が伴わなければ役に立たない。心配するより銭をくれ、ということをおもしろい語呂合わせで言った言葉。「たもる」は「賜わる」が転じた言葉。
晏子の御(あんしのぎょ)
他人の威光によりかかって得意になること。中国斉の宰相晏嬰(あんえい)の御者が、自分が宰相の馬車の御者であることを得意がり、その妻がそれを恥じて離縁を求めた。御者は大いに恥じて精励し、晏嬰に認められて出世したという故事から。
暗礁に乗り上げる(あんしょうにのりあげる)
思わぬ障害によって、物事の進行が阻まれることのたとえ。 「暗礁」は水面下にあって見えない岩のこと。 船が海の中の見えない岩に乗り上げて、先に進めなくなるとの意から。
鞍上人なく、鞍下馬なし(あんじょうひとなく、あんかうまなし)
乗り手が巧みに馬を乗り回し、乗り手と馬が一体となって見えるさま。乗り手と馬の呼吸が合い、鞍の上の人と鞍の下の馬が渾然一体となっている意から。
案じるより団子汁(あんじるよりだんごじる)
あれこれ心配しても仕方ないから、団子汁でも食べて気を紛らわしたほうがよいという助言。 「案じる」は「餡汁」の語呂合わせ。 団子汁は餡汁に団子を入れたもの。ただの餡汁よりいいというしゃれでもある。
案ずるより産むが易し(あんずるよりうむがやすし)
あれこれ心配するより、物事は実際にやってみると意外とたやすく出来るということのたとえ。出産の前はいろいろ心配するものだが、終わってみると心配したほどではなかったということから。
アンテナを張る(あんてなをはる)
いろいろな手段や方法をとって、情報を集めること。
安に居て危を思う(あんにいてきをおもう)
平和の時でも、常に災難・危機に対する備えを忘れないようにすること。
案に相違する(あんにそういする)
前もって考えていたこととは違うということ。予想がはずれる。 「案に違う」ともいう。
案に違う(あんにたがう)
前もって考えていたこととは違うということ。予想がはずれる。 「案に違う」ともいう。
暗夜に灯火を失う(あんやにともしびをうしなう)
暗闇で明かりを失うように、頼りにしていたものを失って途方にくれることのたとえ。
暗夜の礫(あんやのつぶて)
暗い夜に飛んでくる小石のことから、不意に受ける防ぎようのない襲撃のこと。また、思ってもみないこと、あてずっぽうなことについてもいう。