悪事、千里を走るについて

言葉 | 悪事、千里を走る |
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読み方 | あくじ、せんりをはしる |
意味 | 悪い行いは、たちまち世間に広まるというたとえ。「悪事、千里を行く」ともいう。 |
出典 | 『北夢瑣言』 |
使用されている漢字
「悪」を含むことわざ
相性が悪い(あいしょうがわるい)
相手との性格や考え方、調子などが上手く合わない。 「相性」は「合性」とも書く。
愛は憎悪の始め(あいはぞうおのはじめ)
愛と憎しみは紙一重で、一歩間違えば愛情は憎悪に変わってしまう。愛情にも節度が必要だということ。
悪縁契り深し(あくえんちぎりふかし)
悪い縁ほど結びつきが強く断ち切りにくいということ。
悪妻は百年の不作(あくさいはひゃくねんのふさく)
悪い妻は夫を一生不幸にするということ。 「悪妻は六十年の不作」ともいう。
悪妻は六十年の不作(あくさいはろくじゅうねんのふさく)
悪い妻は夫を一生不幸にするということ。 「悪妻は百年の不作」ともいう。
悪事、身にかえる(あくじ、みにかえる)
自分の犯した悪事は、めぐりめぐって戻ってきて自分を苦しめる結果になるということ。
「事」を含むことわざ
秋葉山から火事(あきばさんからかじ)
人を戒める指導的立場の者が、自ら過ちを犯してしまうたとえ。「秋葉山」は火災除けの神を祭る静岡県の秋葉神社のこと。
悪事、身にかえる(あくじ、みにかえる)
自分の犯した悪事は、めぐりめぐって戻ってきて自分を苦しめる結果になるということ。
悪は一旦の事なり(あくはいったんのことなり)
一時的にうまくいっても悪は長続きせず、結局は正義に勝てないということ。
明日の事は明日案じよ(あすのことはあすあんじよ)
明日の事は明日のこと。何が起こるかわからないから今日から心配しても仕方ないということ。
明日の事を言えば鬼が笑う(あすのことをいえばおにがわらう)
先のことはわからない。未来のことは予測できないというたとえ。
当て事と越中褌は向こうから外れる(あてごととえっちゅうふんどしはむこうからはずれる)
当てにしていた事は、相手の都合などで外れることが多いというたとえ。 「当て事」は当てにしている事。「向こう」は身体の前、また、相手のこと。 当てにしていた事は、越中褌と同じように、向こうから外れるという意から。
「千」を含むことわざ
朝起き千両、夜起き百両(あさおきせんりょう、よおきひゃくりょう)
朝早く起きて仕事をするほうが、夜働くより能率が上がり得だということ。 「朝起き千両」とも。
値千金(あたいせんきん)
非常に高い価値のあること。
あの世の千日、この世の一日(あのよのせんにち、このよのいちにち)
あの世の極楽で千日暮らすより、この世で一日でも楽しむほうがよいということ。
一日千秋の思い(いちじつせんしゅうのおもい)
待ち焦がれて、一日が千年もの長さに感じられること。
一髪、千鈞を引く(いっぱつ、せんきんをひく)
非常に危険なことをするたとえ。一本の髪の毛で千鈞の重いものを引っ張るという意から。千鈞は約6.7kgで非常に重いことのたとえ。
一匹の馬が狂えば千匹の馬も狂う(いっぴきのうまがくるえばせんびきのうまもくるう)
一人の行いが、他の人をも駆り立ててしまうたとえ。群集が付和雷同しやすいことのたとえ。群れの中の一匹の馬が異常な行動をして騒ぎ出せば、群れ全体が巻き込まれて騒ぎ出すという意から。
「里」を含むことわざ
赤子のうちは七国七里の者に似る(あかごのうちはななくにななさとのものににる)
赤ん坊ははっきりした特長がないので、似てると思って見ればあちこちの誰にでも似て見えるということ。「七国七里」は諸所方々のこと。
朝茶は七里帰っても飲め(あさちゃはしちりかえってものめ)
朝の茶は一日の災難よけなので、飲み忘れて旅立ちしたら、たとえ七里の道を戻ってでも飲むべきだということ。
牛も千里馬も千里(うしもせんりうまもせんり)
早い遅い、上手い下手の違いがあっても結局は同じところに到達するというたとえ。牛がゆっくりと歩いても馬が早く走っても千里の道のりはやはり千里で、同じ目的地に着くことから。
縁あれば千里(えんあればせんり)
縁があれば千里も離れた所の人と会うこともあるし、結ばれることもあるということ。「縁あれば千里を隔てても会い易し、縁なければ面を対しても見え難し」を略した言葉。
お里が知れる(おさとがしれる)
言葉遣いや立ち居振る舞いから、その人の生まれや育ちがわかるということ。 よくない意味で用いられる。
門松は冥土の旅の一里塚(かどまつはめいどのたびのいちりづか)
門松はめでたいものだが、飾るたびに年を重ね死に近づくので、いわばあの世に向かう一里塚のようなものだということ。 「冥土」は、あの世のこと。 「一里塚」は、街道に一里ごとに築かれ、旅人のための里程標となった塚のこと。 この歌は一休作という説があり、このあとに「めでたくもありめでたくもなし」と続けてもいわれる。
「走」を含むことわざ
韋駄天走り(いだてんばしり)
非常に速く走ること。「韋駄天」は、非常に足が速いとされる仏法の守護神で、その韋駄天のような速さで走るという意から。
狡兎死して走狗烹らる(こうとししてそうくにらる)
重宝されていたものも必要なくなれば捨てられることのたとえ。また、敵が滅びると有能な家臣も不要になり殺されてしまうことのたとえ。 「狡兎」はすばしこいうさぎ、「走狗」は猟犬のこと。 獲物である兎が死んでしまえば、猟犬は不要になり煮て食べられるという意から。
駒の朝走り(こまのあさばしり)
はじめに元気がよすぎると、最後まで続かないことのたとえ。「駒」は、馬のこと。馬は出発した朝は元気よく走るが、やがて疲れてしまう元気がなくなることから。「子馬の朝駆け」ともいう。
才に走る(さいにはしる)
能力や才能を過信して地道な努力や注意を怠ること。
鞘走りより口走り(さやばしりよりくちばしり)
失言は鞘走りよりも危険であるということ。 「鞘走り」は刀の鞘が緩いために刀が抜け出ること。
死せる孔明、生ける仲達を走らす(しせるこうめい、いけるちゅうたつをはしらす)
生前の威信が死後も保たれ、人々を恐れさせるたとえ。 中国、蜀の諸葛孔明が魏の司馬仲達と対陣中病死した。退却しようとした蜀軍を仲達はただちに追撃したが、蜀軍は孔明の遺命に基づいて反撃の姿勢を見せたため、仲達は孔明がまだ死んでおらず、何か策略があるのではないかと恐れ退却したという故事から。