「行」を含む故事・ことわざ・慣用句
「行」を含む故事・ことわざ・慣用句の一覧です。五十音順に表示しています。
悪事、千里を行く(あくじせんりをいく)
悪い行いは、たちまち世間に広まるというたとえ。 「悪事、千里を行く」ともいう。
畦から行くも田から行くも同じ(あぜからいくもたからいくもおなじ)
手段や方法が違っても、同じ結果になることのたとえ。 畦道から行っても田から行っても、結局行き着く所は同じということから。 「田から行くも畦から行くも同じ事」「田を行くも畦を行くも同じ」「田歩くも畔歩くも同じ」などともいう。異形の多い語。
後へも先へも行かぬ(あとへもさきへもいかぬ)
引くことも進むことも出来ず、動きがとれないようす。
好い線を行く(いいせんをいく)
ある程度のレベルまで、技術や能力が達しているということ。
言うと行うとは別問題である(いうとおこなうとはべつもんだいである)
口で言うことと、それを実行することとは別で、言葉通りに実践するのは難しいということ。
言うは易く行うは難し(いうはやすくおこなうはかたし)
口で言うのは簡単だが、言ったことを実行するのは難しいということ。
行き当たりばったり(いきあたりばったり)
あらかじめ計画を立てずに、成り行きに任せること。無計画。
行き掛けの駄賃(いきがけのだちん)
あることをするついでに別のことをすること。また、それにより利益を得ること。 「駄賃」は、馬で荷物を運ぶときの運賃のこと。 馬子が問屋に荷物を受け取りに行く時、他の荷物を運んで運賃を得たことから。
行く行くの長居り(いくいくのながおり)
「もう帰る、もう帰る」と言いながら、なかなか帰らずいつまでも話し込んで長居をすること。
往に跡へ行くとも死に跡へ行くな(いにあとへゆくともしにあとへゆくな)
妻と離婚した男に嫁ぐのはいいが、妻と死別した男には嫁ぐものではないという戒め。 妻と死別した男の心には、亡き妻のよい思い出が残っていて、比較されることが多いことから。
裏の裏を行く(うらのうらをいく)
相手のやり方を見抜いて、相手の予想外の行動を取ること。
上手を行く(うわてをいく)
能力や才知などが他の人よりすぐれていること。 他の人より悪知恵が働くといった悪い意味にも使われる。
奥行きが無い(おくゆきがない)
知識や考えなどに深みがないこと。思慮深さがないこと。
火事と葬式に行けば勘当もゆりる(かじとそうしきにいけばかんどうもゆりる)
火事や葬式の時にわびに行って手伝えば、勘当された者も許されるということ。「ゆりる」は、許されるという意。
金は片行き(かねはかたいき)
金は、ある所にはたくさんあるのに、ない所にはさっぱりないということ。
烏の行水(からすのぎょうずい)
入浴時間が、きわめて短いことのたとえ。烏が短い時間で水浴びをする様子から。
合点が行く(がってんがいく)
理解・納得できる。 「がてん」は「がってん」とも読む。
合点が行く(がてんがいく)
理解・納得できる。 「がてん」は「がってん」とも読む。
行間を読む(ぎょうかんをよむ)
書物の表面上には表れていない、背後にある筆者の真意を読みとることのたとえ。
雲行きが怪しい(くもゆきがあやしい)
ものごとの成り行きや情勢が不穏で、これから波乱が起きそうな様子。 天候が崩れそうであるという意味から。
供養より施行(くようよりせぎょう)
死んだ人の供養より、生きている人に施しをするほうが大切だということ。
水母の行列(くらげのぎょうれつ)
水母が勝手きままに泳いでいるように、きちんと並んでいないことのたとえ。
愚者の百行より知者の居眠り(ぐしゃのひゃっこうよりちしゃのいねむり)
愚か者の数々の行いは、優れた人の居眠りにも及ばないということ。転じて、つまらないものが数多くあるより、よいものが少しあるほうがいいというたとえ。
孝行のしたい時分に親はなし(こうこうのしたいじぶんにおやはなし)
親が元気な時は、有難みや苦労がわからず、それに気がつく年になった時には、親はもうこの世にいないということ。親が元気なうちに孝行せよという戒め。
孝行も子による(こうこうもこによる)
親孝行は有難いが、どんな子でも、どんな手段でもいいというわけではない。悪いことをして孝行されるなら、してもらわないほうがいいということ。
好事門を出でず、悪事千里を行く(こうじもんをいでず、あくじせんりをいく)
善い行いは、なかなか世間に知られず、悪い行いは、すぐに世間に知れ渡るということ。
孝は百行の本(こうはひゃっこうのもと)
孝行は、すべての善行の基本となるものであるということ。「百行」は、すべての善いおこないの意。
高慢は出世の行き止まり(こうまんはしゅっせのいきどまり)
自分の出世を自慢ばかりするようになると、その人は向上しないということ。また、人から嫌われてそれ以上の出世もできなくなるということ。
子供叱るな来た道だもの年寄り笑うな行く道だもの(こどもしかるなきたみちだものとしよりわらうなゆくみちだもの)
子どものいたずらなどは誰しも身に覚えがあるので叱るべきではないし、自分もいずれ年をとるので老人を笑いものにすべきではないということ。
小糠三合あったら婿に行くな(こぬかさんごうあったらむこにいくな)
男はわずかでも財産があるなら、気苦労の多い婿養子にはならずに独立して生計を立てよということ。 「小糠三合」は、わずかな財産のたとえ。 「婿に行くな」は「入り婿すな」「養子に行くな」などともいう。 「小糠」は「粉糠」とも書く。
小糠三合あったら養子に行くな(こぬかさんごうあったらようしいにいくな)
男はわずかでも財産があるなら、気苦労の多い婿養子にはならずに独立して生計を立てよということ。 「小糠三合」は、わずかな財産のたとえ。 「婿に行くな」は「入り婿すな」「養子に行くな」などともいう。 「小糠」は「粉糠」とも書く。
米の飯と天道様はどこへ行っても付いて回る(こめのめしとてんとうさまはどこへいってもついてまわる)
どんな所でも太陽が当たるように、どこへ行っても食べることは何とでもなるということ。
今度と化け物には行き会った事がない(こんどとばけものにはいきあったことがない)
「今度はきっと」などという約束があてにならないことを皮肉った言葉。
去り跡へ行くとも死に跡へ行くな(さりあとへゆくともしにあとへゆくな)
妻と離婚した男に嫁ぐのはいいが、妻と死別した男には嫁ぐものではないという戒め。 妻と死別した男の心には、亡き妻のよい思い出が残っていて、比較されることが多いことから。
三人行えば必ずわが師あり(さんにんおこなえばかならずわがしあり)
三人で一緒に事を行えば、他の二人の中に良い所、悪い所が必ず見いだせる。どちらにしても自分の学ぶべき相手が必ずみつかるということ。
死なぬ子三人、皆孝行(しなぬこさんにん、みなこうこう)
三人の子どもが親より先に死なずに成人してくれたら、これ以上の孝行はないということ。
尻の持って行き場がない(しりのもっていきばがない)
不平や不満、苦情などを訴える所がないこと。
地で行く(じでいく)
飾り立てたりせずに、ありのまま振る舞うこと。または、物語や小説の中だけでしか行われないようなことを実際に行うこと。
自慢は知恵の行き止まり(じまんはちえのいきどまり)
自慢をするようになると、進歩はもう望めないということ。
人生行路難し(じんせいこうろかたし)
人の一生には多くの困難があるため、生きていくのは簡単ではないということ。
千里の行も足下より始まる(せんりのこうもそっかよりはじまる)
大きな目標・目的を達成するためには、身近なことからこつこつと努力を積み重ねていくことが大切であるということ。 千里の道のりも踏み出した一歩から始まるとの意から。 「千里の行も足下より始まる」ともいう。
そこへ行くと(そこへいくと)
前に述べた事柄と後に続く事柄が対照的であることを表す言葉。その点に関しては。
大行は細謹を顧みず(たいこうはさいきんをかえりみず)
大事業を成し遂げようとする者は、小さな事柄など気にかけないということ。「細謹」は細かいことに気を配る意。
田から行くも畦から行くも同じ事(たからいくもあぜからいくもおなじこと)
手段や方法が違っても、同じ結果になることのたとえ。 畦道から行っても田から行っても、結局行き着く所は同じということから。 「田から行くも畦から行くも同じ事」「田を行くも畦を行くも同じ」「田歩くも畔歩くも同じ」などともいう。異形の多い語。
田を行くも畦を行くも同じ(たをいくもあぜをいくもおなじ)
手段や方法が違っても、同じ結果になることのたとえ。 畦道から行っても田から行っても、結局行き着く所は同じということから。 「田から行くも畦から行くも同じ事」「田を行くも畦を行くも同じ」「田歩くも畔歩くも同じ」などともいう。異形の多い語。
断じて行えば鬼神も之を避く(だんじておこなえばきしんもこれをさく)
断固たる決意で物事を行えば、困難なことでも成し遂げることができるというたとえ。 断固とした態度で決行すれば、鬼神でさえその勢いに押されて避けていくとの意から。
釣りは道楽の行き止まり(つりはどうらくのいきどまり)
魚釣りは最高の道楽だということ。
天馬空を行く(てんばくうをゆく)
天馬が、天空を自由に駆け巡るように、着想や行動が自由奔放である様子。
遠きに行くは必ず近きよりす(とおきにゆくはかならずちかきよりす)
物事を行う場合は、順序を踏んで着実に進めなければならないということ。 遠くに行く時も近い場所から歩き始めることから。
得心が行く(とくしんがいく)
相手の言動に納得すること。
年が行く(としがいく)
ある程度の年齢になること。年を取ること。
年端も行かぬ(としはもいかぬ)
若いこと。幼い年頃であること。
虎は千里行って千里帰る(とらはせんりいってせんりかえる)
勢いが盛んで力強い行動力のたとえ。また、また、子を思う親の愛情深い行動力のたとえ。虎は一日に千里の道を進み、その後、再び同じ距離を戻ってくると言われることから。
夏は日向を行け、冬は日陰を行け(なつはひなたをいけ、ふゆはひかげをいけ)
夏にあえて暑い日向を、冬にあえて寒い日陰を行くように、進んでつらい道を求めて身体を鍛錬せよということ。
錦を衣て夜行くが如し(にしきをきてよるゆくがごとし)
暗い夜道を錦を着て歩いても誰にもわかってもらえないのと同じで、いくら出世しても故郷に帰らなければ人々に知ってもらうことはできないので、出世した甲斐がないということ。
二進も三進も行かない(にっちもさっちもいかない)
物事が行き詰まってどうにもならない様子。 「二進(にっち)」「三進(さっち)」は、そろばんの割り算から出た語で、計算のやりくりの意。
晩の虹は江戸へ行け、朝の虹は隣へ行くな(ばんのにじはえどへいけ、あさのにじはとなりへいくな)
一筋縄では行かない(ひとすじなわではいかない)
普通のやり方では思うようにいかない、うまく対処できないこと。 「一筋縄」は一本の縄のことで、普通のやり方のたとえ。 一本の縄だけでは対処できず、二本、三本と使うような状態との意から。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し(ひとのいっしょうはおもにをおうてとおきみちをゆくがごとし)
人生は長く苦しいものだから、辛抱強く努力を重ねて着実に進んでいかなければならないという教え。徳川家康の遺訓から。
百里を行く者は九十里を半ばとす(ひゃくりをいくものはくじゅうりをなかばとす)
何事も終わり近くになると困難が多くなるので、最後まで気を抜いてはいけないということ。 百里の道を行く者は、九十里来たところが半分だと思えとの意から。
三行半(みくだりはん)
夫が妻に書いた離縁状。転じて離縁することをいう。昔、離縁状は三行半に書く慣習があったことから。
味噌に入れた塩は他所へは行かぬ(みそにいれたしおはよそへはいかぬ)
他人に尽くすことは、一見無駄のように見えても、結局は自分のためになるということ。 味噌に入れた塩は、混じって見えなくなるが、味噌の味を調えるための役に立っているとの意から。
行き掛けの駄賃(ゆきがけのだちん)
あることをするついでに別のことをすること。また、それにより利益を得ること。 「駄賃」は、馬で荷物を運ぶときの運賃のこと。 馬子が問屋に荷物を受け取りに行く時、他の荷物を運んで運賃を得たことから。
行き大名の帰り乞食(ゆきだいみょうのかえりこじき)
はじめに無計画に金を使い、あとでどうにもならなくなること。 旅に出て、行きは大名のように贅沢に金を使い、帰りは旅費が足りなくなり乞食のようなみじめな思いをするとの意から。
行く馬に鞭(ゆくうまにむち)
勢いのあるものに、さらに勢いをつけることのたとえ。 走っている馬に、鞭を打ってさらに早く走らせる意から。 「駆ける馬にも鞭」「走る馬に鞭」「駆け馬に鞭」「行く馬に鞭」ともいう。
理屈上手の行い下手(りくつじょうずのおこないべた)
理屈を言うのは上手だが、いざ実践となるとさっぱりだめなこと。