「お」から始まる故事・ことわざ・慣用句一覧
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ことわざ一覧
お愛想を言う(おあいそうをいう)
相手の機嫌をとるために、お世辞を言うこと。 「お愛想」は「おあいそう」ともいう。
お愛想を言う(おあいそをいう)
相手の機嫌をとるために、お世辞を言うこと。 「お愛想」は「おあいそう」ともいう。
お預けを食う(おあずけをくう)
決定しかけていた事や約束していた事の実現が、何かの事情で延期になること。
お誂え向き(おあつらえむき)
希望や要求通りであること。
追い打ちを掛ける(おいうちをかける)
弱っているものをさらに攻撃し、打ちのめすこと。
追い討ちを掛ける(おいうちをかける)
弱っているものをさらに攻撃し、打ちのめすこと。
お家がらがら(おいえがらがら)
家柄のよさを自慢する者を嘲笑する言葉。 「がらがら」は中身のないことの形容で、家柄の柄(がら)とかけたもの。
お家芸(おいえげい)
最も得意とする技術や方法。 代々その家に伝わる独特の芸の意から。
お家の一大事(おいえのいちだいじ)
他人の家に起こった出来事を冗談めかしたり、皮肉ったりして大げさにいう時に使う言葉。 主君の家に起こった重大な事件との意から。
老い木に花(おいきにはな)
老木に再び花が咲くように、一度衰えたものが再び盛んになることのたとえ。 「枯れ木に花咲く」ともいう。 また単に「老い木に花」や「枯れ木に花」ともいう。
老い木に花咲く(おいきにはなさく)
老木に再び花が咲くように、一度衰えたものが再び盛んになることのたとえ。 「枯れ木に花咲く」ともいう。 また単に「老い木に花」や「枯れ木に花」ともいう。
老い木は曲がらぬ(おいきはまがらぬ)
老人の頑固さのたとえ。 また、欠点は若いうちになおさないと年をとってからでは手遅れであるということ。 老木は弾力性に乏しく曲げようとしても曲がらないことから。
追い込みを掛ける(おいこみをかける)
物事の最後の段階でいっそう力を入れて努力すること。
お医者様でも有馬の湯でも惚れた病は治りゃせぬ(おいしゃさまでもありまのゆでもほれたやまいはなおりゃせぬ)
恋の病は、医者の出す薬や温泉でも治せないというたとえ。 「草津」は「有馬」ともいう。
お医者様でも草津の湯でも惚れた病は治りゃせぬ(おいしゃさまでもくさつのゆでもほれたやまいはなおりゃせぬ)
恋の病は、医者の出す薬や温泉でも治せないというたとえ。 「草津」は「有馬」ともいう。
老いたる馬は道を忘れず(おいたるうまはみちをわすれず)
経験を積んだ人は方針を誤らないというたとえ。 老馬はいろいろな道を知っており、迷うことがないということから。 中国、斉の桓公が山中で道に迷った時に、老馬の歩みに従って無事に帰り着いたという故事から。
老いたる馬は路を忘れず(おいたるうまはみちをわすれず)
経験を積んだ人は方針を誤らないというたとえ。 老馬はいろいろな道を知っており、迷うことがないということから。 中国、斉の桓公が山中で道に迷った時に、老馬の歩みに従って無事に帰り着いたという故事から。
追いつ追われつ(おいつおわれつ)
両者の実力が同じくらいで、追いかけたり追いかけられたりしている様子。
置いてきぼりを食う(おいてきぼりをくう)
他の者から置き去りにされる。置いて行かれる。
追風に帆を揚げる(おいてにほをあげる)
勢いに乗って物事が順調に進むたとえ。 追い風に帆を揚げれば船は早く進むことから。 「順風に帆を上げる」ともいう。
老いては子に従え(おいてはこにしたがえ)
年をとったら出しゃばらずに、何事も子どもに任せて従っていくほうがいいということ。
老いてはますます壮んなるべし(おいてはますますさかんなるべし)
年老いてもますます元気で意気盛んでなければならないということ。
老いの一徹(おいのいってつ)
自分の意見や意向を押し通そうとする、老人の頑固な気質のこと。「一徹」は頑固の意。
老いの繰言(おいのくりごと)
年寄りが過去の話や愚痴をくどくど繰り返し言うこと。「繰言」は同じ事を繰り返して言うこと。
老いらくの恋(おいらくのこい)
年老いてからの恋愛。「老いらく」は年をとること。
枉駕(おうが)
相手の来訪を敬って言う言葉。「枉」は曲げる、「駕」は乗り物の意で、乗り物の方向を変えてわざわざ訪ねてくれるという意味から。
お伺いを立てる(おうかがいをたてる)
目上の人の判断を仰いだり、意見や許可などを求める。また、神や仏からのお告げを願うこと。
王侯将相寧んぞ種あらんや(おうこうしょうしょういずくんぞしゅあらんや)
王や諸侯、将軍、大臣になるには家柄や血統など関係なく、必要なのはその人の才能や努力だということ。「種」は家柄、血統の意。
往時渺茫としてすべて夢に似たり(おうじびょうぼうとしてすべてゆめににたり)
過ぎ去った昔の事はもうはるかかなたの事で、とりとめがなく、まるで夢のように思えるということ。「往時」は過ぎ去った昔のこと。「渺茫」は遠くはるかで果てしないさま。
往生際が悪い(おうじょうぎわがわるい)
諦めなければならない状態なのに、未練がましく執着しているさま。 「往生際」は、死に際の意。
応接に暇あらず(おうせつにいとまあらず)
人の相手をするのに追われて休む暇もないようす。また、ものごとが次から次へと起こって多忙なようす。もとは、美しい自然の風景が次から次に展開し、ゆっくり味わう暇がない意から。
応接に暇が無い(おうせつにいとまがない)
人の相手をするのに追われて休む暇もないようす。また、ものごとが次から次へと起こって多忙なようす。もとは、美しい自然の風景が次から次に展開し、ゆっくり味わう暇がない意から。
負うた子に教えられて浅瀬を渡る(おうたこにおしえられてあさせをわたる)
人は時には自分より経験の浅い年下の者から物事を教わることもあるというたとえ。背中に負ぶった子に浅瀬を教えられて川を無事に渡るとの意から。
負うた子より抱いた子(おうたこよりだいたこ)
身近なことを優先したり、大事にするのが人情だというたとえ。背中に負ぶった子より前に抱いている子を先に面倒見てしまう意から。
負うた子を三年探す(おうたこをさんねんさがす)
手近にあることに気づかず、長い間あちこちを探し回るたとえ。 背中に負ぶった子どもをどこへ行ったと三年も探す意から。
負うた子を三年捜す(おうたこをさんねんさがす)
手近にあることに気づかず、長い間あちこちを探し回るたとえ。 背中に負ぶった子どもをどこへ行ったと三年も探す意から。
逢うた時に笠を脱げ(おうたときにかさをぬげ)
知り合いに会った時は、まず挨拶をしなさいということ。 礼儀の大切さを説いた教え。
会うた時に笠を脱げ(おうたときにかさをぬげ)
知り合いに会った時は、まず挨拶をしなさいということ。 礼儀の大切さを説いた教え。
王手を掛ける(おうてをかける)
成功や勝利まであと一歩の状態になる。 「王手」は、将棋で直接王将を攻める手のこと。
王は君臨すれども統治せず(おうはくんりんすれどもとうちせず)
国王は君主として国を治めているが政治には直接かかわらないこと。 18世紀イギリスの政治体制に由来する言葉。 「王は君臨すれども統治せず」ともいう。
お乳母日傘(おうばひがさ)
幼児に乳母をつけたり、日傘を差しかけて大事に育てること。「おんば日傘」はこれが転じたもの。
近江泥棒伊勢乞食(おうみどろぼういせこじき)
近江の人には商才があり、伊勢の人は倹約家であり、どちらも商人としての成功者が多いことを、江戸っ子がやっかみ半分に言った言葉。
鸚鵡返し(おうむがえし)
鸚鵡が人の言葉の真似をするように、人から言われたことと同じことをその人に言い返すこと。
大当たりを取る(おおあたりをとる)
商売や芝居などの興行が、大成功を収めること。
大嘘はつくとも小嘘はつくな(おおうそはつくともこうそはつくな)
誰も信用しなような大きな嘘はついても害が少ないが、小さな嘘は真偽がわかりにくく、人が信じ込む恐れがあるので、ついてはいけないということ。
大男総身に知恵が回りかね(おおおとこそうみにちえがまわりかね)
からだばかり大きくて愚かな男をあざけっていう言葉。
大男の殿(おおおとこのしんがり)
からだばかり大きいくせに、いつも人に後れを取る男をあざけっていう言葉。
大風が吹けば桶屋が儲かる(おおかぜがふけばおけやがもうかる)
思いもかけないところに影響が出るたとえ。また、あてにならない期待をするたとえ。 大風が吹けば土ぼこりが舞い上がって目に入り、目の不自由な人が増える。目の不自由な人は三味線で生計を立てようとするので、三味線に使う猫の皮がたくさん必要になる。猫が捕らえられて少なくなるとねずみが増える。ねずみは桶をかじるので桶屋が儲かるという話から。 「風」は「大風」、「儲かる」は「喜ぶ」ともいう。
大風が吹けば桶屋が喜ぶ(おおかぜがふけばおけやがよろこぶ)
思いもかけないところに影響が出るたとえ。また、あてにならない期待をするたとえ。 大風が吹けば土ぼこりが舞い上がって目に入り、目の不自由な人が増える。目の不自由な人は三味線で生計を立てようとするので、三味線に使う猫の皮がたくさん必要になる。猫が捕らえられて少なくなるとねずみが増える。ねずみは桶をかじるので桶屋が儲かるという話から。 「風」は「大風」、「儲かる」は「喜ぶ」ともいう。
狼が衣を着たよう(おおかみがころもをきたよう)
まるで僧衣をまとった狼のように、慈悲深い善人のようにみせかけて内面は恐ろしいことのたとえ。 「狼が衣を着たよう」ともいう。
狼に衣(おおかみにころも)
まるで僧衣をまとった狼のように、慈悲深い善人のようにみせかけて内面は恐ろしいことのたとえ。 「狼が衣を着たよう」ともいう。
多かれ少なかれ(おおかれすくなかれ)
数量や程度に多少の違いはあっても。
大河を手で堰く(おおかわをてでせく)
無謀で不可能なことをするたとえ。大きな川を手で堰き止めようとするということから。
大きい薬缶は沸きが遅い(おおきいやかんはわきがおそい)
大人物は大成するのに時間がかかるというたとえ。大きい薬缶は水がたくさん入るので沸騰するのに時間がかかるということから。
大きな家には大きな風(おおきないえにはおおきなかぜ)
人にはそれぞれの境遇に合った悩みがあるということ。 金持ちは何の心配もないように見えるが、家が大きければ、それなりに風当たりが強く、金持ちなりの悩みがあるとの意から。
大きなお世話(おおきなおせわ)
いらぬおせっかい。よけいな世話。 他人からの忠告や手助けを拒むときに使う言葉。
大きな顔(おおきなかお)
偉そうな顔つき。また、平然とした顔つき。
大きな顔をする(おおきなかおをする)
偉そうな顔つき。また、平然とした顔つき。
大きな口を利く(おおきなくちをきく)
実力もないのに偉そうなことを言うこと。
大木の下に小木育たず(おおきのしたにおぎそだたず)
大きな権力の庇護の下では立派な人間は育ちにくいということ。 大きな木の下は採光や風通しが悪く、小さな木が育たないとの意から。
大木の下に小木育つ(おおきのしたにおぎそだつ)
強大な権力を持つ人物のもとには、その庇護を受けている者がたくさんいることのたとえ。
大口を叩く(おおぐちをたたく)
大げさなことを言う。偉そうなことを言う。
大阪の食い倒れ(おおさかのくいだおれ)
大阪の人は飲食にお金をかけて、財産をつぶしてしまうということ。 「京の着倒れ」と対で使われることが多い。
多し少なし子三人(おおしすくなしこさんにん)
子どもは三人いると、多からず少なからずで理想的だということ。
大台に乗る(おおだいにのる)
金額や数量が目安となる大きな境目を超すこと。 もとは株式用語で、株式市場での百円を単位とする値段の区切りを「大台」、十円を単位とする区切りを「台」という。
大遣いより小遣い(おおづかいよりこづかい)
大きくまとまった一度の出費よりも、日常のこまごました出費のほうが、かえって大きい金額になりやすいというたとえ。
大摑みより小摑み(おおづかみよりこづかみ)
一度に大儲けしようとするより、少しずつ確実に儲けていくほうが、結果的には成功するということ。
大手を振って(おおでをふって)
何の遠慮も気兼ねもなく、堂々と。
大手を振る(おおでをふる)
何の遠慮も気兼ねもなく、堂々と。
大所の犬になるとも小所の犬になるな(おおどころのいぬになるともこどころのいぬになるな)
どうぜ人に仕えるなら、勢力・権力のある相手の下につけというたとえ。
大取りより小取り(おおどりよりこどり)
一度に大儲けしようとするより、少しずつ確実に儲けていくほうが堅実だということ。
大鉈を振るう(おおなたをふるう)
思い切って、予算を削減したり人員を整理したりすること。
大鍋の底は撫でても三杯(おおなべのそこはなでてもさんばい)
規模が大きいものは、何から何まで大きくてたいしたものだということ。 大きな鍋は底に残ったものを集めても碗に三杯分はあるという意味から。
大荷に小づけ(おおににこづけ)
重い負担がある上に、さらに負担が加わること。 「小づけ」は、大きな荷物の上に乗せる小さな荷物のこと。 「大荷に小づけ」ともいう。
大盤振る舞い(おおばんぶるまい)
盛大に、人にご馳走したり物を与えたりすること。
大船に乗った気持ち(おおぶねにのったきもち)
信頼できるものに任せすっかり安心しきったようす。難破する心配のない大きな船に乗ったようだということから。
大船に乗ったよう(おおぶねにのったよう)
信頼できるものに任せすっかり安心しきったようす。難破する心配のない大きな船に乗ったようだということから。
大船に乗る(おおぶねにのる)
信頼できるものに任せすっかり安心しきったようす。難破する心配のない大きな船に乗ったようだということから。
大風呂敷を広げる(おおぶろしきをひろげる)
大げさなことを言うこと。また、ほらを吹くこと。
大見得を切る(おおみえをきる)
大げさな言動をとって、自分の自信のほどを強調すること。「大見得」は歌舞伎役者が、芝居が最高潮に達した時に目立つ表情や演技をすることで、大げさな言動で自分を誇示するということから。
大水に飲み水なし(おおみずにのみみずなし)
大勢の人がいても、本当に役に立つ人は少ないということ。 洪水の水はたくさんあっても、飲み水としては使えないとの意から。 「火事場に煙草の火なく大水に飲み水なし」ともいう。
大向こうを唸らせる(おおむこうをうならせる)
役者が大向こうにいる観客の賞賛を受けること。また、一般大衆の人気を得ること。「大向こう」は、舞台の正面後方にある観客席のことで、転じて芝居好きの観客のこと。その芝居通を唸らせるような演技をするということから。
大目玉を食う(おおめだまをくう)
悪いことをして、ひどく叱られること。
大目に見る(おおめにみる)
少しくらいの欠点や過失を厳しくとがめず寛大に扱うこと。
大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然(おおやといえばおやもどうぜん、たなこといえばこもどうぜん)
借家人にとって家主は親と同様の存在であり、家主にとって借家人は我が子同様の存在だということ。「店子」は、借家人の意。昔の大家と店子の関係をいった言葉。
お門が違う(おかどがちがう)
目指すところが違っていること。見当違いであること。 訪問する家が間違っているとの意から。
お門違い(おかどちがい)
目指すところが違っていること。見当違いであること。 訪問する家が間違っているとの意から。
陸に上がった河童(おかにあがったかっぱ)
自分の能力やわざを発揮できる環境から離れて、力が出せず無力になるたとえ。水中では自由に活動できる河童も陸に上がれば無力であることから。
置かぬ棚を探す(おかぬたなをさがす)
体裁を取り繕うため、あるはずのない物を探すたとえ。
置かぬ棚をも探せ(おかぬたなをもさがせ)
念には念を入れて探せということ。 絶対に置いたはずのない棚でも念のために探してみるべきとの意から。
お株を奪う(おかぶをうばう)
人が得意とすることをまねて、その人以上にうまくやること。「お株」は得意とするわざの意。
陸へあがった河童(おかへあがったかっぱ)
環境が変わると、まったく能力が発揮出来ないことのたとえ。 水中では自由に活動できる河童も、陸上では無力であるという意味から。
お竈を起こす(おかまをおこす)
成功して財産を築き上げること。「お竈」は竈(かまど)のことで、家庭生活を営むための竈を築く意から。
御釜を起こす(おかまをおこす)
成功して財産を築き上げること。「お竈」は竈(かまど)のことで、家庭生活を営むための竈を築く意から。
お冠(おかんむり)
機嫌が悪い様子。 「冠を曲げる」に由来する。
置き酌失礼、持たぬが不調法(おきじゃくしつれい、もたぬがぶちょうほう)
お酌のとき、置いた杯に酒を注ぐのも失礼だが、杯を持とうとしない受け手も不調法である。酒の席での微妙なおもむきを言ったことば。
起きて働く果報者(おきてはたらくかほうもの)
健康で働けることは、何よりも幸せだということ。「果報者」は幸運な人の意。
起きて半畳、寝て一畳(おきてはんじょう、ねていちじょう)
人間は必要以上の豊かさをもとめても仕方ないということ。どんなに大きな家に住んでいようと、人一人が必要とする広さは、起きている時は半畳、寝る時も一畳あればすむということから。
沖な物あて(おきなものあて)
まだ手に入らないものをあてにすること。「沖な物」は「沖にある物」でまだ捕っていない獲物の意。「あて」は当てにする意。
お灸を据える(おきゅうをすえる)
懲らしめるために、強く叱ったり罰を与えたりすること。
屋烏の愛(おくうのあい)
人を愛すると、その人に関する全てのものが愛しくなるということのたとえ。嫌いな烏でも、愛する人の家の屋根に止まっていれば愛らしく思えるとの意から。
屋下に屋を架す(おくかにおくをかす)
無駄なことをするたとえ。 屋根の下にさらに屋根を架けるとの意から。
屋上、屋を架す(おくじょう、おくをかす)
無駄なことをするたとえ。 屋根の上にさらに屋根を架けるとの意から。
奥の手を出す(おくのてをだす)
とっておきの方法や手段を用いること。
奥歯に衣着せる(おくばにきぬきせる)
思ったことをはっきりと口に出さず、曖昧な言い方をすること。
奥歯に物が挟まったよう(おくばにものがはさまったよう)
思ったことを率直に言わず、何か隠しているようですっきりしないようす。
奥歯に物が挟まる(おくばにものがはさまる)
思っていることを率直に言わず、曖昧な表現をすること。
おくびにも出さない(おくびにもださない)
考えていることを口に出して言わず素振りにも見せないようす。
噯気にも出さない(おくびにもださない)
考えていることを口に出して言わず素振りにも見せないようす。
臆病風に吹かれる(おくびょうかぜにふかれる)
臆病な気持ちになること。怖じ気づくこと。
臆病の神降ろし(おくびょうのかみおろし)
臆病な者が神々に祈って加護を求めること。「神降ろし」は巫女などが神霊を呼び招く行為。
臆面もなく(おくめんもなく)
遠慮したり気後れしたりすることなく。図々しく。厚かましくも。
奥行きが無い(おくゆきがない)
知識や考えなどに深みがないこと。思慮深さがないこと。
お蔵になる(おくらになる)
予定されていた作品や企画などの発表が取りやめになること。
送り狼(おくりおおかみ)
親切を装って女性を送るふりをして、途中で乱暴をはたらこうとする男のこと。夜中の山道などで人のあとをつけ、隙をみて襲おうとする狼(もしくは犬)に由来する。
後れを取る(おくれをとる)
相手に先をこされること。 また、相手よりも劣った状態になること。
屋漏に愧じず(おくろうにはじず)
たとえ人が見ていない場所でも、人に知られて恥じるような行いはしないということ。「屋漏」は家の一番奥まった所、または人目につかない所の意。
螻蛄になる(おけらになる)
金がまったくなくなること。無一文になること。 「螻蛄」は昆虫のケラのこと。 ケラが両前足を上げている格好が、お手上げをしている人の姿に似ていることから。
お声が掛かる(おこえがかかる)
目上の人から招待されたり特別な計らいを受けたりすること。
瘧が落ちる(おこりがおちる)
熱病にかかったかのように何かに夢中になっていた状態から、急激にさめて冷静になること。 「瘧」は、マラリア性の熱病のこと。
驕る平家は久しからず(おごるへいけはひさしからず)
驕り高ぶって滅亡した平家のように、贅沢を尽くし勝手気ままにふるまう者は、長く栄えることなく早く滅びてしまうというたとえ。
奢る者は心常に貧し(おごるものはこころつねにまずし)
贅沢な生活を好む者は、満足することを知らず、満たされずに常に不平不満の気持ちを持ち続け、その心は貧しいということ。
押さえが利く(おさえがきく)
相手を従わせたり、統率したりする力があること。
お先棒を担ぐ(おさきぼうをかつぐ)
人の手先になって軽々しく行動すること。 「お先棒」は二人で棒を使って荷物を担ぐ時、棒の前方を担ぐ人のこと。
お先真っ暗(おさきまっくら)
将来の見通しがまったく立たないこと。
お座敷が掛かる(おざしきがかかる)
芸者や芸人などが客に呼ばれること。 また、会合や宴席などに招待されること。
お里が知れる(おさとがしれる)
言葉遣いや立ち居振る舞いから、その人の生まれや育ちがわかるということ。 よくない意味で用いられる。
お寒い(おさむい)
頼りにならなく不安なこと。心細い。
教うるは学ぶの半ば(おしうるはまなぶのなかば)
人に教えるということは、自分の知識をより深めなければならないから、半分は自分の勉強になるということ。
おじが甥の草を刈る(おじがおいのくさをかる)
目上の者が目下の者のために奔走させられることのたとえ。また、物事の順序が逆なことのたとえ。
押しが利く(おしがきく)
相手を自分の思い通りに従わせる力があること。
押しが強い(おしがつよい)
強引に自分の意見や希望を押し通そうとすること。
押し出しがいい(おしだしがいい)
人前に出たときの態度や風采が立派であること。
押し出しがよい(おしだしがよい)
人前に出たときの態度や風采が立派であること。
押し付けがましい(おしつけがましい)
相手の気持ちや事情を考えもせず、自分の意向を強引に押し付けようとするさま。
推して知るべし(おしてしるべし)
考えてみれば容易にわかる。言うまでもない。簡単に推測できる。
押しの一手(おしのいって)
目的を達成するために、ただひたすらに突き進んでいくさま。
鴛鴦の衾(おしのふすま)
おしどりの模様がある夜具。 また、仲むつまじい男女の共寝のたとえ。 「鴛鴦(おし)」は、鳥のオシドリの古名。オシドリは雌雄がむつまじく一緒にいることから。
押しも押されもしない(おしもおされもしない)
実力が十分に備わり、その立場にふさわしい威厳があること。
お釈迦様でも気がつくまい(おしゃかさまでもきがつくまい)
誰も気がつかないだろう、誰も知らないだろうを強調していう言葉。 何でもお見通しのお釈迦様でも知らないだろうとの意から。 「お釈迦様でも御存知あるまい」ともいう。
お釈迦様でも御存知あるまい(おしゃかさまでもごぞんじあるまい)
誰も気がつかないだろう、誰も知らないだろうを強調していう言葉。 何でもお見通しのお釈迦様でも知らないだろうとの意から。 「お釈迦様でも御存知あるまい」ともいう。
お釈迦になる(おしゃかになる)
製造過程で失敗し、製品をつくり損ねてしまうことのたとえ。 また、壊れたり不具合が見つかったりして使い物にならなくなることのたとえ。
おじゃんになる(おじゃんになる)
予定していたことや進行中の物事がだめになる。 昔、鎮火の合図として半鐘を二回「ジャンジャン」と鳴らしたことからきた言葉とされる。
お上手を言う(おじょうずをいう)
相手の機嫌をとるために、心にもないことを言うこと。
お相伴にあずかる(おしょうばんにあずかる)
同伴者として、もてなしを受けること。 「相伴」は主客と一緒に行ってもてなしを受けること。
おじを見ると荷が重い(おじをみるとにがおもい)
助けてくれそうな人を見たとたん、力が抜けて依頼心をおこし意気地がなくなることのたとえ。自分で荷物を運んでいる時、伯父(叔父)を見たとたんに荷物が重く感じられるということから。
押すな押すな(おすなおすな)
大勢の人が詰めかけて混雑しているさま。人々が「押すな押すな」と叫ぶ様子からいう。
押せ押せになる(おせおせになる)
仕事や日程などが立て込んで、進行が遅れたり先延ばしになったりすること。
お世辞にも(おせじにも)
本心では無いにしても。仮にも。 あとに打ち消しの語を伴う。
お節介を焼く(おせっかいをやく)
余計な世話をすること。
お膳立てが揃う(おぜんだてがそろう)
すっかり準備が整えられる。 食膳がすべて並べられるという意味から。
遅い助けは助けにならぬ(おそいたすけはたすけにならぬ)
時機を逸しては、せっかくの助勢も役に立たないということ。
遅牛も淀、早牛も淀(おそうしもよど、はやうしもよど)
早い遅いの差はあっても、結果は同じだからあわてることはないということ。 「淀」は京都市伏見区にある地名で、集荷場として栄えた場所。 荷物を運ぶ牛の歩みに多少の差があっても、結局行き着く所は淀であるとの意から。 「早牛も淀、遅牛も淀」ともいう。
遅かりし由良之助(おそかりしゆらのすけ)
待ちかねた時、機を逸した時にしゃれていう言葉。歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」で、大星由良之助が主君の切腹の場に駆けつけるのが遅れた場面のせりふから。
遅かれ早かれ(おそかれはやかれ)
遅いか早いかの違いはあっても、いつかはそのようになることをいう言葉。いずれそのうちに。いつかは必ず。
遅きに失する(おそきにしっする)
遅すぎて何の役にも立たない。手遅れである。
遅くとも、しないよりはまし(おそくとも、しないよりはまし)
たとえ遅くなっても、何もしないよりはしたほうがましだということ。
怖気を震う(おぞけをふるう)
恐怖におそわれて身震いすること。
恐れ入谷の鬼子母神(おそれいりやのきしもじん)
「恐れ入りました」をしゃれていう言葉。「鬼子母神」は、出産・育児の神で、その鬼子母神を祭る東京都台東区入谷と「恐れ入りやした」の「入りや」をかけていったもの。
恐れをなす(おそれをなす)
相手に圧倒されて、怖気づくこと。 また、ひどい経験をするのではないかと怖がること。
お題目を唱える(おだいもくをとなえる)
口先だけで、もっともらしいことを言うこと。
お高くとまる(おたかくとまる)
気位が高く、人を見下した態度をとること。
お高く止まる(おたかくとまる)
気位が高く、人を見下した態度をとること。
お高く留まる(おたかくとまる)
気位が高く、人を見下した態度をとること。
煽てと畚には乗りたくない(おだてともっこにはのりたくない)
おだてには乗りたくない、ということを強調した言葉。「畚」は、棒で担いで土や石を運ぶ道具。江戸時代、畚は死刑囚を運ぶのにも使われたことから、他人の煽てにも畚にも乗りたくないといったもの。
おだてに乗る(おだてにのる)
人からおだてられていい気になり、軽率な行動をとること。
お陀仏になる(おだぶつになる)
死ぬこと。また、物事が途中でだめになること。 阿弥陀仏を唱えて往生するとの意から。
お為ごかし(おためごかし)
表面は相手のためにするように見せかけて、実は自分の利益を図ること。「お為」は、人のために利益を図ること。「ごかし」は、ある事にかこつけて自分の利益を図るという意の接尾語。
小田原評定(おだわらひょうじょう)
長引いてなかなか結論が出ない話し合いのこと。豊臣秀吉に攻められた北条氏は、小田原城の城内で戦うか降伏するかの相談をしたが結論が出るまで時間がかかったということから。
おだをあげる(おだをあげる)
勝手なことを言って気炎を上げること。
落ち武者は薄の穂にも怖ず(おちむしゃはすすきのほにもおず)
怖いと思えば、なんでもないものまで怖く感じることのたとえ。戦に負けて逃げる落ち武者は、揺れるすすきの穂まで怖がるということから。
お茶の子さいさい(おちゃのこさいさい)
物事をたやすく行うことができる様子。
お茶を濁す(おちゃをにごす)
いいかげんな処置によって、その場をごまかすこと。 茶の湯の作法を知らない者が、抹茶を適当にかきまぜて濁らせ、それらしく見せたことから。
お茶を挽く(おちゃをひく)
暇を持て余すこと。特に、芸者などが客がつかずに暇でいること。 茶臼で葉茶をひくのは、暇な遊女の仕事とされていたことから。
お猪口になる(おちょこになる)
傘が風にあおられて、開きがさかさまになること。
落ちれば同じ谷川の水(おちればおなじたにがわのみず)
出発点は違っていても、行き着く先は同じだということ。また、人間も身分や貧富の差があっても、死ねばみな同じであるということ。 雨・霰(あられ)・雪・氷など形はさまざまでも、地上に落ちてしまえば同じ谷川を流れる水になるとの意から。 「雨霰雪や氷と隔(へだ)つらん落つれば同じ谷川の水」との和歌より。
落ちをつける(おちをつける)
物語や笑い話などの結末を効果的に終わらせること。
おっと合点承知之助(おっとがってんしょうちのすけ)
納得・承諾したことを人名になぞらえ調子よくいった言葉。 単に「合点承知之助」「合点承知」ともいう。
押っ取り刀で駆けつける(おっとりがたなでかけつける)
大急ぎで駆けつけること。 緊急のときには、刀を腰に差す余裕もなく手に持って駆けつけるとの意から。
乙に絡む(おつにからむ)
いつもと違い、変に嫌味なことを言う。しつこく言ってからむ。 「乙」は、普段とは違って変なさま。
乙に搦む(おつにからむ)
いつもと違い、変に嫌味なことを言う。しつこく言ってからむ。 「乙」は、普段とは違って変なさま。
乙に澄ます(おつにすます)
妙に気取った態度をとる。 「乙」は、普段とは違って変なさま。
お釣りが来る(おつりがくる)
十分に足りていて、余りが出ること。
落つれば同じ谷川の水(おつればおなじたにがわのみず)
出発点は違っていても、行き着く先は同じだということ。また、人間も身分や貧富の差があっても、死ねばみな同じであるということ。 雨・霰(あられ)・雪・氷など形はさまざまでも、地上に落ちてしまえば同じ谷川を流れる水になるとの意から。 「雨霰雪や氷と隔(へだ)つらん落つれば同じ谷川の水」との和歌より。
お手上げ(おてあげ)
解決する方法がなく、どうにもならないさま。 両手をあげて降参の意思を示すとの意から。
お手の物(おてのもの)
たやすく出来るもの。得意とするもの。 自分の手中にした物との意から。
頤で蠅を追う(おとがいではえをおう)
やせ衰えて元気がないようす。蠅を手で追い払う元気もなく顎を動かして追い払う意から。 「頤(おとがい)で蠅を追う」ともいう。 「頤」は顎のこと。
頤を解く(おとがいをとく)
あごが外れるほど大口を開けて笑うこと。 「頤」はあご、「解く」は外すこと。 「頤を外す」「頤を放つ」ともいう。
頤を外す(おとがいをはずす)
あごが外れるほど大口を開けて笑うこと。 「頤」はあご、「解く」は外すこと。 「頤を外す」「頤を放つ」ともいう。
頤を放つ(おとがいをはなつ)
あごが外れるほど大口を開けて笑うこと。 「頤」はあご、「解く」は外すこと。 「頤を外す」「頤を放つ」ともいう。
男が廃る(おとこがすたる)
男としての名誉や面目が失われること。
男が立つ(おとこがたつ)
男としての名誉や面目が維持できること。
男心と秋の空(おとこごころとあきのそら)
男の愛情は、秋の空模様のように変わりやすいということ。 「男心と秋の空は一夜に七度変わる」ともいう。
男心と秋の空は一夜に七度変わる(おとこごころとあきのそらはいちやにななたびかわる)
男の愛情は、秋の空模様のように変わりやすいということ。 「男心と秋の空は一夜に七度変わる」ともいう。
男になる(おとこになる)
一人前の男に成長すること。 また、立派な行いをして世間に認められること。 古く、元服するとの意で言われた言葉。
男猫が子を生む(おとこねこがこをうむ)
ありえないことのたとえ。
男の目には糸を引け、女の目には鈴を張れ(おとこのめにはいとをひけ、おんなのめにはすずをはれ)
男の目は糸を引いたように細くて真っ直ぐなのがよく、女の目は鈴のようにぱっちりと大きいのがよいということ。
男は敷居を跨げば七人の敵あり(おとこはしきいをまたげばしちにんのてきあり)
男が世の中に出て活動するようになると、多くの競争相手や敵に出会うということのたとえ。 男が敷居を跨いで外に出れば七人の敵がすでに待ち構えているとの意から。 「敷居を跨げば七人の敵あり」「男子家を出ずれば七人の敵あり」ともいう。
男は辞儀に余れ(おとこはじぎにあまれ)
男は謙遜しすぎるくらいでちょうどよいということ。 「女は会釈に余れ」と続けても言う。 「辞儀」は遠慮の意。
男は度胸、女は愛嬌(おとこはどきょう、おんなはあいきょう)
男にとって大切なものは、物事に動じない強い度胸で、女にとって大切なものは、にこやかでかわいらしい魅力だということ。「度胸」と「愛嬌」の「きょう」の語呂を合わせていった言葉。
男は二十五の暁まで育つ(おとこはにじゅうごのあかつきまでそだつ)
男は二十五歳くらいまでは成長するということ。
男は裸百貫(おとこははだかひゃっかん)
男は無一文でも、働いて財産や地位を築くことができるので、裸でも百貫の値打ちがあるということ。
男は松、女は藤(おとこはまつ、おんなはふじ)
男は大地にしっかりと根を張る松のようなもので、女はその松にからむ藤のように男を頼りにするものだということのたとえ。
男は妻から(おとこはめから)
男の出世や幸福は妻しだいだということ。
男勝り(おとこまさり)
女性の気持ちや性質が男性よりもしっかりとしていること。また、そのような女性。
男冥利に尽きる(おとこみょうりにつきる)
男としてこれ以上の幸福はないということ。「男冥利」は男に生まれた幸せ、「尽きる」はこれ以上はないという意。
男鰥に蛆が湧き、女寡に花が咲く(おとこやもめにうじがわき、おんなやもめにはながさく)
妻のいない男は身の回りの世話をしてくれる人がいなくなり不潔な生活になりがちなのに対し、未亡人は、夫にわずらわされることがなくなり、自分の身を美しく清潔に出来るので、世間の男にもてはやされ華やかだということ。
男を上げる(おとこをあげる)
立派な行いをして世間に認められ、男としての面目を高めること。
男を売る(おとこをうる)
男気のある行動によって世間で評判になること。
男を下げる(おとこをさげる)
不名誉なことをして、男としての面目を失うこと。
男を磨く(おとこをみがく)
男としての面目を保てる人間になるために努力すること。 特に、義侠心を養う意味で使われる。
音沙汰が無い(おとざたがない)
何の便りもない。消息が不明である。
落とした物は拾い徳(おとしたものはひろいどく)
落し物は不注意な落とし主の責任だから、拾った人の物にしてもかまわないということ。
落とし前をつける(おとしまえをつける)
失敗や無礼などによるもめごとの後始末をすること。 「落とし前」は、もとは店と客が交渉して、折り合いがつくところまで商品の値段を下げること。
一昨日来い(おとといこい)
二度と来るな。 相手をののしって追い払うときの言葉。
音に聞く(おとにきく)
世間の評判が高い。噂に聞く。
驚き、桃の木、山椒の木(おどろき、もものき、さんしょのき)
たいそう驚いたということを「き」の語呂合わせでいった言葉。
同い年夫婦は火吹く力もない(おないどしみょうとはひふくちからもない)
同い年の夫婦は仲が良く、いつも笑ってばかりいるので、火吹き竹を吹いて火をおこすためのふくれっ面もできないということ。
同じ穴の狸(おなじあなのたぬき)
一見無関係のように見えて、実は同類・仲間であることのたとえ。 多くは悪事をはたらく仲間のことをいう。 「同じ穴」は「一つ穴」とも、「貉」は「狸」「狐」ともいう。
同じ穴の貉(おなじあなのむじな)
一見無関係のように見えて、実は同類・仲間であることのたとえ。 多くは悪事をはたらく仲間のことをいう。 「同じ穴」は「一つ穴」とも、「貉」は「狸」「狐」ともいう。
同じ穴の狐(おなじあなのむじな)
一見無関係のように見えて、実は同類・仲間であることのたとえ。 多くは悪事をはたらく仲間のことをいう。 「同じ穴」は「一つ穴」とも、「貉」は「狸」「狐」ともいう。
同じ釜の飯を食う(おなじかまのめしをくう)
同じ職場で働いたり苦楽を共にしたりすること。また、そのように過ごす親しい仲間のこと。 「一つ釜の飯を食う」ともいう。
同じ羽の鳥は集まるものだ(おなじはねのとりはあつまるものだ)
同じような趣味や考え方の人間は、自然と集まって仲間になるということ。
お縄に掛かる(おなわにかかる)
犯人がつかまること。 昔、捕らえた罪人を縄でしばったことから。
お縄になる(おなわになる)
犯人がつかまること。 昔、捕らえた罪人を縄でしばったことから。
尾に尾を付ける(おにおをつける)
あることないことを付け足して物事を大げさに言うこと。 本体に余計な尾や鰭を付け足すことから。 「尾に尾を付ける」ともいう。
鬼が住むか蛇が住むか(おにがすむかじゃがすむか)
世の中にはどんな恐ろしいものが住んでいるかわからないということ。 また、人の心の中にはどんな考えが潜んでいるかわからないということ。
鬼が出るか蛇が出るか(おにがでるかじゃがでるか)
どんな恐ろしいことになるか予測できないことのたとえ。 からくり人形師が観客の興味をあおるためにいった言葉。 「鬼が出るか仏が出るか」ともいう。
鬼が出るか仏が出るか(おにがでるかほとけがでるか)
どんな恐ろしいことになるか予測できないことのたとえ。 からくり人形師が観客の興味をあおるためにいった言葉。 「鬼が出るか仏が出るか」ともいう。
鬼が笑う(おにがわらう)
現実味のないことを言ったり、予測のつかないことを言ったりする相手を、からかって言う言葉。
鬼瓦にも化粧(おにがわらにもけしょう)
鬼瓦のように器量のよくない女性も、化粧ひとつでそれなりにきれいに見えるというたとえ。
鬼に金棒(おににかなぼう)
もともと強いものがさらに強くなることのたとえ。もともと強い鬼に鉄の棒を持たせる意から。「金棒」は「鉄棒」とも書く。江戸いろはがるたの一つ。
鬼に瘤を取られる(おににこぶをとられる)
一見損害を受けたようで、実際は利益になることのたとえ。「こぶとりじいさん」の昔話にもとづくもの。
鬼に衣(おににころも)
不必要なこと。また、不釣り合いなことのたとえ。 鬼はもともと裸で衣服を必要としないことから。 また、慈悲深い善人のようにみせかけて内面は恐ろしいこと。狼に衣。
鬼にもなれば仏にもなる(おににもなればほとけにもなる)
相手次第、出方次第で、鬼のようにこわい存在にもなれば、仏のようにやさしい存在にもなるということ。
鬼の居ぬ間に洗濯(おにのいぬまにせんたく)
怖い人や気兼ねする人がいない間にのびのびと寛ぐこと。「洗濯」は命の洗濯の意で気晴らしのこと。
鬼の霍乱(おにのかくらん)
ふだん非常に丈夫な人が珍しく病気にかかることのたとえ。 「霍乱」は日射病のこと。 鬼が日射病にかかることから。
鬼の首を取ったよう(おにのくびをとったよう)
まるで鬼を退治して首を取るという大手柄を立てたかのように得意になるようす。
鬼の念仏(おにのねんぶつ)
鬼のように冷酷な心を持った者が、うわべだけ情け深い様子を見せること。
鬼の目にも涙(おにのめにもなみだ)
鬼のように無慈悲な者でも、時には情け深い心を起こし、目に涙をうかべることがあるというたとえ。
鬼の目にも見残し(おにのめにもみのこし)
鬼のようにくまなく目を光らせている人でも、時には見落としや不注意があるというたとえ。
尾に鰭付ける(おにひれつける)
あることないことを付け足して物事を大げさに言うこと。 本体に余計な尾や鰭を付け足すことから。 「尾に尾を付ける」ともいう。
鬼も十八(おにもじゅうはち)
器量が悪くても、年ごろになれば誰でも娘らしい魅力が出てくるということ。 鬼の娘でも十八という年ごろになれば娘らしくなるし、安い番茶も入れたては香りがよくおいしいとの意から。 単に「鬼も十八」また「番茶も出花」ともいう。
鬼も十八、番茶も出花(おにもじゅうはち、ばんちゃもでばな)
器量が悪くても、年ごろになれば誰でも娘らしい魅力が出てくるということ。 鬼の娘でも十八という年ごろになれば娘らしくなるし、安い番茶も入れたては香りがよくおいしいとの意から。 単に「鬼も十八」また「番茶も出花」ともいう。
鬼も頼めば人食わず(おにもたのめばひとくわず)
相手の好きな事であっても、こちらから頼むともったいぶってしてくれないことのたとえ。 鬼に食べてくれとこちらから頼めば、かえってたべないとの意から。 「頼めば鬼も人食わず」ともいう。
鬼も角折る(おにもつのおる)
悪人がふとしたきっかけで、善いことをしたり真人間になったりすることのたとえ。 鬼が邪悪のシンボルである角を折ることから。
己に克ち、礼に復る(おのれにかち、れいにかえる)
理性と意思の力で欲望に打ち勝って、人として守るべき礼に従って行動すること。 「[[克己復礼*https://yoji.jitenon.jp/yojic/1487.html]]」ともいう。
己に如かざる者を友とするなかれ(おのれにしかざるものをともとするなかれ)
自分をより向上させるためには、自分より劣った者を友として交際すべきではないという教え
己の頭の蠅を追え(おのれのあたまのはえをおえ)
他人のことをあれこれ言う前に、まずは自分の問題を始末せよということ。 他人にたかる蠅を追い払うより、まずは自分にたかる蠅を追い払えとの意から。 単に「己の頭の蠅を追え」とも、「我が頭の蠅を追え」ともいう。
己の欲する所を人に施せ(おのれのほっするところをひとにほどこせ)
自分が他人にしてもらいたいことは、人にもしてやりなさいということ。
己の欲せざる所は人に施すこと勿れ(おのれのほっせざるところはひとにほどこすことなかれ)
自分が他人からされたくないと思うことは、決して他人にしてはならないということ。
己の欲せざる所は人に施す勿れ(おのれのほっせざるところはひとにほどこすなかれ)
自分が他人からされたくないと思うことは、決して他人にしてはならないということ。
己を責めて人を責めるな(おのれをせめてひとをせめるな)
自分の責任でさせたことを、人のせいにするなということ。徳川家康の遺訓から。
己を虚しゅうす(おのれをむなしゅうす)
自分の我をすてて、謙虚で素直な気持ちになること。
己を以て人を量る(おのれをもってひとをはかる)
人はとかく自分を基準にして、他人のことを判断しがちだということ。
斧を掲げて淵に入る(おのをかかげてふちにいる)
物の用途を誤ること。また、適時適所でないこと。 水中では役に立たない斧を振りかざして淵に入っていくことから。
尾羽打ち枯らす(おはうちからす)
落ちぶれて、みすぼらしい姿になることのたとえ。 鷹の尾と羽が傷ついてぼろぼろになるとの意から。
お鉢が回る(おはちがまわる)
順番がまわってくること。「お鉢」は飯びつのこと。人の多い食事の席で、自分の所に飯びつが回ってくる順番になることから。
お払い箱になる(おはらいばこになる)
使用人が辞めさせられること。 また、要らなくなったものが捨てられること。 伊勢神宮にある「お祓(はら)い箱」は、中の札が毎年取り換えられて古い札は捨てられることから。 「祓い」を「払い」に掛けて言ったもの。
お髭の塵を払う(おひげのちりをはらう)
身分の高い人や権力のある人にこびへつらうたとえ。 中国宋の丁謂が、宰相である寇準の髭が吸い物で汚れたのを見て拭いたという故事から。
帯に短し、襷に長し(おびにみじかし、たすきにながし)
中途半端で役に立たない物事のたとえ。 帯にするには短く、襷にするには長すぎて結局は使えないことから。
お百度を踏む(おひゃくどをふむ)
願い事が叶うように神前や仏前まで百回往復して祈願すること。また、頼みごとを聞き入れてもらうために、相手のところを何度も繰り返し訪ねること。
尾鰭が付く(おひれがつく)
話に誇張や嘘が付け加わって物事が大げさになることのたとえ。
尾鰭を付ける(おひれをつける)
事実ではないことも付け加えて、話を大げさにすることのたとえ。 魚の本体に尾や鰭を付け加えるとの意から。
負ぶえば抱かりょう(おぶえばだかりょう)
他人の力を当てにして、つけあがって甘えることのたとえ。 負んぶしてやると次には抱っことねだることから。 「負ぶえば抱かろう」「負んぶすれば抱っこ」「抱かさせば負ぶさる」ともいう。
負ぶえば抱かろう(おぶえばだかろう)
他人の力を当てにして、つけあがって甘えることのたとえ。 負んぶしてやると次には抱っことねだることから。 「負ぶえば抱かろう」「負んぶすれば抱っこ」「抱かさせば負ぶさる」ともいう。
オブラートに包む(おぶらーとにつつむ)
相手を刺激するような直接的な表現を避け、遠回しにやわらかく言うこと。 苦い薬をオブラートに包んで飲みやすくすることから。
おべっかを使う(おべっかをつかう)
自分の利益になる相手の機嫌をとり、こびへつらうこと。
覚えがめでたい(おぼえがめでたい)
目上の人から信頼され可愛がられること。
思し召しより米の飯(おぼしめしよりこめのめし)
思いやりのある言葉よりも実際に役に立つものをもらうほうが有り難いということ。 口先だけの好意より、腹の足しになる米の飯をもらうほうが有り難いとの意から。 「召し」と「飯」の語呂合わせの言葉。
溺れる者は藁をも摑む(おぼれるものはわらをもつかむ)
危険が差し迫っているときは、頼りにならないものにまで頼ろうとするということ。 溺れかけている者は、水に浮かぶ藁のような頼りないものにもすがりついて助かろうとするとの意から。
お前百までわしゃ九十九まで(おまえひゃくまでわしゃくじゅうくまで)
夫婦がともに元気で仲睦まじく長生きしたいと願う言葉。「お前」は夫、「わしゃ」は妻のことで、この後に「共に白髪の生えるまで」と続く。
御神酒上がらぬ神はない(おみきあがらぬかみはない)
神様でさえお酒を召し上がるのだから、人間が酒を飲むのは当たり前だということ。 酒飲みが飲酒することの自己弁護に使う言葉。 「御神酒」は、神前に供える酒のこと。
お迎えが来る(おむかえがくる)
死期が近づくこと。あの世へ行くこと。 仏が浄土から迎えに来るとの意から。
汚名を雪ぐ(おめいをすすぐ)
身に受けた恥や汚名を拭い去ること。 「すすぐ」は「そそぐ」ともいう。
汚名を雪ぐ(おめいをそそぐ)
身に受けた恥や汚名を拭い去ること。 「すすぐ」は「そそぐ」ともいう。
お眼鏡に適う(おめがねにかなう)
目上の人から高く評価されて気に入られること。
怖めず臆せず(おめずおくせず)
まったく気後れせずに堂々と振る舞うさま。
お目玉を食う(おめだまをくう)
失敗やいたずらをして叱られること。
お目に掛かる(おめにかかる)
お会いする。また、目上の人から認められる。
お目に掛ける(おめにかける)
目上の人にお見せする。ご覧に入れる。
思い内にあれば色外に現る(おもいうちにあればいろそとにあらわる)
心の中で思っていることは、自然と言動や態度にあらわれるということ。
思い面瘡、思われ面皰(おもいおもくさ、おもわれにきび)
人に恋したり、誰かに思いを寄せられたりすると、にきびができるということ。「面瘡」は、にきびの意。
思い立ったが吉日(おもいたったがきちじつ)
何かをしようと思ったら、その日が吉日としてすぐに始めるのがよいということ。「吉日」は暦で縁起がいい日。
思い立ったが吉日(おもいたったがきちにち)
何かをしようと思ったら、その日が吉日としてすぐに始めるのがよいということ。「吉日」は暦で縁起がいい日。
思い半ばに過ぎる(おもいなかばにすぎる)
考えてみると思いあたるふしが多く、十分に推し量ることができるということ。 思い当たるところが全体の半分以上あるとの意から。
思い半ばに過ぐ(おもいなかばにすぐ)
考えてみると思いあたるふしが多く、十分に推し量ることができるということ。 思い当たるところが全体の半分以上あるとの意から。
思いも寄らない(おもいもよらない)
まったく予測できないこと。思いつきもしないこと。
思い邪なし(おもいよこしまなし)
心が純粋で、邪念も偽りもまったくないということ。
思いを致す(おもいをいたす)
これまで意識しなかった物事に心を向け、じっくりと考えること。
思いを馳せる(おもいをはせる)
遠く離れているものに思いを巡らすこと。
思いを晴らす(おもいをはらす)
恨みや不満の原因を取り除いてすっきりすること。 また、望みを遂げて気分を良くすること。
思いを寄せる(おもいをよせる)
何かに心を惹かれること。 また、特定の人を恋い慕うこと。
思うこと言わねば腹ふくる(おもうこといわねばはらふくる)
思っていることを我慢して言わずにいると、腹の中の物がつかえているようですっきりしないということ。 「物言わねば腹ふくる」「言わねば腹ふくる」ともいう。
思う事一つ叶えばまた一つ(おもうことひとつかなえばまたひとつ)
欲望には限りがないということ。一つ望みが叶うと、すぐにまた次を望む意から。
思う壺(おもうつぼ)
期待通りの結果になる。狙い通りになる。 「壺」は、ここでは博打でさいころを入れて振る道具のこと。 さいころの目を思った通りに出すとの意から。
思う壺に嵌まる(おもうつぼにはまる)
期待通りの結果になる。狙い通りになる。 「壺」は、ここでは博打でさいころを入れて振る道具のこと。 さいころの目を思った通りに出すとの意から。
思う仲には垣をせよ(おもうなかにはかきをせよ)
親しい間柄でも遠慮がなくなると不仲のもとになるので、節度を守れという戒めの言葉。 「思う仲には垣をせよ」「良い仲には垣をせよ」「睦まじき仲に垣をせよ」ともいう。
思うに任せない(おもうにまかせない)
物事が思い通りに進まないこと。
思うに別れて思わぬに添う(おもうにわかれておもわぬにそう)
思い焦がれた相手とは結ばれず、好きではない相手と結婚すること。人の縁や運命は、思い通りにならないということ。
思う念力、岩をも徹す(おもうねんりき、いわをもとおす)
心を込めて一心に事を行えば、どんなことでも必ず成し遂げられるというたとえ。
思う念力、岩をも通す(おもうねんりき、いわをもとおす)
心を込めて一心に事を行えば、どんなことでも必ず成し遂げられるというたとえ。
思うようなら子と三人(おもうようならことさんにん)
人生が思い通りになるなら、夫婦と子ども一人の三人で暮らすのが一番いいということ。
思えば思わるる(おもえばおもわるる)
こちらが相手に好意を持てば、相手も好意を持ってくれるようになるということ。
思えば思われる(おもえばおもわれる)
こちらが相手に好意を持てば、相手も好意を持ってくれるようになるということ。
重きを置く(おもきをおく)
あるものを大切だと考え、そこに力を入れること。
重きを成す(おもきをなす)
価値あるものとして重んじられること。 また、重要な地位や役職を占めること。
玩具にする(おもちゃにする)
相手を見くびってもてあぞぶ。慰みものにする。
玩具箱を引っ繰り返したよう(おもちゃばこをひっくりかえしたよう)
部屋などがひどく散らかっていることのたとえ。
表看板にする(おもてかんばんにする)
世の中に何かを示すための表面上の名目にすること。 「表看板」は、劇場の正面に、上演内容や出演者などを記して掲げる看板のこと。
表に立つ(おもてにたつ)
世間にその存在を示して行動すること。
面も振らず(おもてもふらず)
他に心を向けず、その事だけに一生懸命に取り組んでいるさま。
表を繕う(おもてをつくろう)
内情を知られないように、見かけを立派に整えること。
重荷に小づけ(おもににこづけ)
重い負担がある上に、さらに負担が加わること。 「小づけ」は、大きな荷物の上に乗せる小さな荷物のこと。 「大荷に小づけ」ともいう。
重荷を下ろす(おもにをおろす)
義務や責任を果たし、負担から解放されて気が楽になること。 また、心配事などがなくなりほっとすること。
親思う心にまさる親心(おやおもうこころにまさるおやごころ)
子どもが親を思う気持ちよりも、親の子どもに対する愛情のほうがより深いというたとえ。「親思う心にまさる親心けふの音づれ何ときくらん」という吉田松陰の辞世の歌から。
親が親なら子も子(おやがおやならこもこ)
親と子はよく似るものだということ。親がだめだと子どももだめだというように、悪いところが似た場合に多く使われる。
親が死んでも食休み(おやがしんでもじきやすみ)
どんなに忙しくても食後の休憩は大切だということ。
親が死んでも食休み(おやがしんでもしょくやすみ)
どんなに忙しくても食後の休憩は大切だということ。
親方思いの主倒し(おやかたおもいのしゅたおし)
主人のためを思ってしたことが、逆に主人に不利益をもたらすこと。
親方日の丸(おやかたひのまる)
国家が後ろ盾になっている官庁や公営企業などは、倒産の心配もなく利益を図る必要もないだろうと、公務員の気楽さを皮肉っていうことば。
親苦、子楽、孫乞食(おやく、こらく、まごこじき)
親が苦労して築いた財産も、子が楽をして使い果たし、孫の代は乞食のような暮らしになりがちだというたとえ。
親子の仲でも金銭は他人(おやこのなかでもきんせんはたにん)
金銭に関しては、親子の間でも他人と同じようにけじめをつけるべきだということ。
親子は一世(おやこはいっせ)
親子の関係は現世だけのものであるということ。 「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世」と続けても言う。
親子は一世、夫婦は二世、主従は三世(おやこはいっせ、ふうふはにせ、しゅじゅうはさんせ)
親子の関係は現世だけのものであり、夫婦は前世と現世または現世と来世の二世に渡る。主従関係は、前世・現世・来世の三世にまたがるほど深いということ。
お安い御用(おやすいごよう)
簡単である。たやすいことである。 相手の依頼に対して、気軽に引き受けることができる、まったく苦ではない、といった意思を示すときに使う言葉。
お安くない(おやすくない)
男女が親密な間柄である様子。 または、それをからかったり冷やかしたりして言う言葉。
親ずれより友ずれ(おやずれよりともずれ)
子どもにとっては、親から受ける影響よりも友達から受ける影響のほうが大きいということ。
親と月夜はいつも良い(おやとつきよはいつもよい)
親がそばに居る時は何の不安もなく、明るい月の夜は安心して歩けるので、どちらもありがたいということ。
親に似ぬ子は鬼子(おやににぬこはおにご)
子どもは当然親に似るものであり、親に似ない子はいないということ。 親に似ない子は人間の子ではなく鬼の子であるとの意から。
親に似ぬ子は鬼っ子(おやににぬこはおにっこ)
子どもは当然親に似るものであり、親に似ない子はいないということ。 親に似ない子は人間の子ではなく鬼の子であるとの意から。
親に目なし(おやにめなし)
親はわが子のことになると、かわいさのあまり正しい判断が出来なくなるということ。
親の甘茶が毒となる(おやのあまちゃがどくとなる)
親が子どもを甘やかして育てると、その子のためにならず、むしろ毒になるいうこと。
親の意見と茄子の花は千に一つも無駄はない(おやのいけんとなすびのはなはせんにひとつもむだはない)
茄子の花に無駄花がないように、親が子どもにいう意見も一つも無駄がなく、すべて子どもの役に立つことばかりであるということ。
親の意見と冷や酒は後で利く(おやのいけんとひやざけはあとできく)
親の意見は聞き流してしまいがちだが、後になると納得できて、ありがたいと思うようになるということ。冷酒は飲みやすく、あとから酔いが回ってくる意から。
親の因果が子に報う(おやのいんががこにむくう)
親の悪行の結果、罪のない子どもが災いを受けること。
親の恩は子で送る(おやのおんはこでおくる)
わが子をりっぱに育てることで、親から受けた恩を返すということ。「送る」は恩に報いるという意。
親の恩より義理の恩(おやのおんよりぎりのおん)
親から受けた恩より、恩義を受けた人に報いるほうが先決だということ。
親の顔が見たい(おやのかおがみたい)
よその子の行動や態度の悪さに、驚きあきれて発する言葉。
親の心、子知らず(おやのこころ、こしらず)
子どもを思う親の深い愛情を知らず、子どもは勝手気ままなことをするということ。
親の十七、子は知らぬ(おやのじゅうしち、こはしらぬ)
親は自分が未熟だった若い頃の失敗談などをしないから、子どもにはわからない。完全なふりをして子どもに意見する親を皮肉っていう言葉。
親の脛を齧る(おやのすねをかじる)
子どもが独立した生活が出来ずに親に養われて生活すること。
親の光は七光り(おやのひかりはななひかり)
親の地位や名声のおかげで、子どもが恩恵を受け得をすること。
親の欲目(おやのよくめ)
わが子かわいさのあまり、親が自分の子を実際より高く評価しようとすること。
親は親、子は子(おやはおや、こはこ)
親子でもそれぞれが別の人間であり、性質や才能が同じとは限らないということ。
親馬鹿子馬鹿(おやばかこばか)
わが子かわいさのあまり、親は子の愚かさを見抜けず、子は親の愛情に甘えて愚かなまねをするということ。
親はなくとも子は育つ(おやはなくともこはそだつ)
親がいなくても、子どもはなんとか成長していく。世の中は、そう心配することもないというたとえ。
親は木綿着る、子は錦着る(おやはもめんきる、こはにしききる)
親は一生懸命働き質素に暮らして財産を築き、子はその苦労を知らずにぜいたくをして、親の財産を浪費するというたとえ。
親船に乗ったよう(おやぶねにのったよう)
信頼できるものに任せすっかり安心しきったようす。難破する心配のない大きな船に乗ったようだということから。
親船に乗る(おやぶねにのる)
信頼できるものに任せすっかり安心しきったようす。難破する心配のない大きな船に乗ったようだということから。
お山の大将(おやまのたいしょう)
小さな集団や狭い世界の中で、自分が一番偉いと得意になって威張っている人のこと。
お山の大将俺一人(おやまのたいしょうおれひとり)
小さな集団や狭い世界の中で、自分が一番偉いと得意になって威張っている人のこと。
親を睨むと鰈になる(おやをにらむとかれいになる)
親に反抗したりおろそかに扱ったりしてはいけないという戒めの言葉。 親を睨んだりすると、ばちが当たって鮃(ひらめ)のように目がかたよってしまうとの意から。 「親を睨むと鰈(かれい)になる」ともいう。
親を睨むと鮃になる(おやをにらむとひらめになる)
親に反抗したりおろそかに扱ったりしてはいけないという戒めの言葉。 親を睨んだりすると、ばちが当たって鮃(ひらめ)のように目がかたよってしまうとの意から。 「親を睨むと鰈(かれい)になる」ともいう。
泳ぎ上手は川で死ぬ(およぎじょうずはかわでしぬ)
自分の力を過信するあまり、得意なことで失敗してしまうことのたとえ。 泳ぎの上手な人が油断して、川で死んでしまうことがあるとの意から。
及ばぬ鯉の滝登り(およばぬこいのたきのぼり)
どんなに頑張ってもとうてい不可能なことのたとえ。また、いくら望んでも見込みのない恋のたとえ。「及ばぬ恋」と「鯉の滝登り」をかけていった言葉。
及び腰になる(およびごしになる)
形勢が不利であったり、自信がなかったりして消極的な態度をとること。
お呼びでない(およびでない)
必要としていない。用がない。
及びも付かない(およびもつかない)
差がありすぎて、到底かなわない。
折り合いが付く(おりあいがつく)
互いに譲り合って、納得できる妥協点を見つけること。
折り紙付き(おりがみつき)
絶対に間違いないと保証できること。「折り紙」は、鑑定書のことで、書画や骨董品などに折り紙がついて品質が保証されていたことから。
折り紙を付ける(おりがみをつける)
人物や品物が、確かなものであることを保証すること。 「折り紙」は、書画や刀剣などの鑑定書。
折に触れて(おりにふれて)
機会があるたびに。事あるごとに。
折り目正しい(おりめただしい)
礼儀正しい。行儀作法がきちんとしている。
折も折(おりもおり)
ちょうどその時。この大事な時にあたって。
折も折とて(おりもおりとて)
ちょうどその時。この大事な時にあたって。
お留守になる(おるすになる)
他の事が気になって、すべき事に集中できないこと。
俺は言わぬがわれ言うな(おれはいわぬがわれいうな)
相手に口止めしながら、自分が人に秘密を漏らす人間に対していう言葉。「われ」は、お前のこと。俺は人には言わないが、おまえこそ人に秘密をしゃべらないように気をつけろという戒めの言葉。
愚か者に福あり(おろかものにふくあり)
愚か者は欲も野心もないので、人に恨まれたり憎まれたりすることもなく、平穏無事で幸福な人生を送ることができるということ。
負わず借らずに子三人(おわずからずにこさんにん)
人の世話にならず、借金もなく、子どもが三人ぐらいいる家庭が理想的で幸福だということ。
終わりよければすべてよし(おわりよければすべてよし)
物事は結果さえよければ、動機や途中経過など問題にならないということ。
終わりを全うする(おわりをまっとうする)
物事を最後まできちんとやり遂げること。 また、すべきことを成し遂げて恥ずかしくない一生を終えること。
お椀を持たぬ乞食はない(おわんをもたぬこじきはない)
仕事に必要な道具はちゃんと揃えておけということ。 乞食でも、貰い物を入れるお椀はどんな時も持っているとの意から。
尾を引く(おをひく)
物事が一段落しても、その影響がいつまでも残ること。
尾を振る(おをふる)
相手に気に入られるために、世辞を言うなどして機嫌を取ること。 犬が餌をくれる人に対して尻尾を振ることから。 「尻尾を振る」ともいう。
尾を振る犬は叩かれず(おをふるいぬはたたかれず)
従順な人は誰からも害を加えられることはないというたとえ。尾を振ってなついてくる犬は人から叩かれないということから。
音頭を取る(おんどをとる)
大勢で何かを行うとき、先頭に立って取りまとめをすること。
女氏無くして玉の輿に乗る(おんなうじなくしてたまのこしにのる)
女は低い家柄の生まれでも、容姿や運しだいで、金持ちや高貴な人と結婚できるということ。
女心と秋の空(おんなごころとあきのそら)
秋の空模様のように、女性の心の変わりやすいということ。
女賢しくて牛売り損なう(おんなさかしくてうしうりそこなう)
女は利口そうに見えても、目先の利にとらわれて大局を見通せずに失敗するというたとえ。 女がでしゃばりすぎて売り物の牛について余計なことを言い、売り損なってしまったという話から。
女賢しゅうして牛売り損なう(おんなさかしゅうしてうしうりそこなう)
女は利口そうに見えても、目先の利にとらわれて大局を見通せずに失敗するというたとえ。 女がでしゃばりすぎて売り物の牛について余計なことを言い、売り損なってしまったという話から。
女三人あれば身代が潰れる(おんなさんにんあればしんだいがつぶれる)
娘が三人いると、嫁入り支度で財産がなくなってしまうということ。
女三人寄れば姦しい(おんなさんにんよればかしましい)
女はおしゃべりで、三人も集まれば大変にやかましいということ。「女」の字を三つ合わせて「姦」という字になるところから。
女ならでは夜は明けぬ(おんなならではよはあけぬ)
女がいなければ何事もうまくいかないということ。 天照大神が天岩戸に隠れて世の中が暗くなった時、天鈿女命の舞踊で岩戸を開けることができたという故事から。 「日の本は女ならでは夜が明けぬ」ともいう。
女の一念、岩をも徹す(おんなのいちねん、いわをもとおす)
女が執念深いことのたとえ。
女の一念、岩をも通す(おんなのいちねん、いわをもとおす)
女が執念深いことのたとえ。
女の髪の毛には大象も繋がる(おんなのかみのけにはたいぞうもつながる)
女の魅力には、男の心を引きつける強い力があるというたとえ。女の髪の毛で足を繋がれて動けなくなった大きな象を、煩悩にとらわれて悟れない人にたとえた仏教の経典から。
女の心は猫の目(おんなのこころはねこのめ)
女の心は気まぐれで変わりやすいことのたとえ。 女心は、猫の目が光によって形が変化するように変わりやすいとの意から。
女の知恵は鼻の先(おんなのちえははなのさき)
女は目先のことにとらわれ、遠い先のことを見通す思慮に欠けているというたとえ。
女は衣装髪かたち(おんなはいしょうかみかたち)
女は着る物と髪かたちによって見違えるほど美しくなれる。女にとって着る物と髪かたちはとても大切なものだということ。
女は氏無うて玉の輿に乗る(おんなはうじのうてたまのこしにのる)
女は低い家柄の生まれでも、容姿や運しだいで、金持ちや高貴な人と結婚できるということ。
女は己を説ぶ者のために容づくる(おんなはおのれをよろこぶもののためにかたちづくる)
女は自分を愛してくれる男のために、よりいっそう念入りに化粧をし着飾ったりするということ。
女は三界に家なし(おんなはさんがいにいえなし)
女はこの広い世界のどこにも安住できる所がないということ。 「三界」は仏教語で欲界・色界・無色界のことから全世界の意味。 女は子どものころは父に従い、結婚してからは夫に従い、老いてからは子に従うのもので、世界のどこにも安住できる所がないとの意から。 「三界に家なし」ともいう。
女冥利に尽きる(おんなみょうりにつきる)
女に生まれてこれ以上の幸せはないということ。
女寡に花が咲く(おんなやもめにはながさく)
未亡人は、夫にわずらわされることがなくなり、自分の身を美しく清潔に出来るので、世間の男の目を引き華やかだということ。
恩に着せる(おんにきせる)
恩を与えたことをことさらに言い立て、相手にありがたと思わせること。
恩に着る(おんにきる)
人から受けた恩恵をありがたく思うこと。
御の字(おんのじ)
十分満足である。非常に結構である。 「御」の字を付けたいほど有り難いもの、との意から。 江戸時代に遊里で使われはじめた言葉。
恩の腹は切らねど情けの腹は切る(おんのはらはきらねどなさけのはらはきる)
受けた恩に報いるために死ぬ人はいないが、義理人情のためなら死ぬ人はいるということ。
負んぶすれば抱っこ(おんぶすればだっこ)
他人の力を当てにして、つけあがって甘えることのたとえ。 負んぶしてやると次には抱っことねだることから。 「負ぶえば抱かろう」「負んぶすれば抱っこ」「抱かさせば負ぶさる」ともいう。
おんぶに抱っこ(おんぶにだっこ)
おんぶすると次は抱っこをしてほしいと甘える子どもように、何もかも他人に頼りきりになること。
隠密の沙汰は高く言え(おんみつのさたはたかくいえ)
秘密の話はこそこそ言わずに大きな声で話せということ。 ひそひそ話は人の好奇心をかきたて注意をひきやすいので、普通に話しているほうが目立たず秘密が守れるとの意から。
陰陽師、身の上知らず(おんようじ、みのうえしらず)
他人のことについてはいろいろと言えても、自分のことはよくわからないことのたとえ。 他人の運命を占う陰陽師も、自分の身の上についてはわからないとの意から。
恩を仇(おんをあだ)
恩を受けた相手に、感謝するどころか害を与えるようなことをすること。 単に「恩を仇」ともいう。
恩を仇で返す(おんをあだでかえす)
恩を受けた相手に、感謝するどころか害を与えるようなことをすること。 単に「恩を仇」ともいう。
恩を売る(おんをうる)
見返りを期待して、相手に恩を与えること。
恩を以て怨みに報ず(おんをもってうらみにほうず)
恨みのある者に対して、復讐するのではなく、逆に恩徳を施すような広い心で接すること。