「せ」から始まる故事・ことわざ・慣用句一覧
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ことわざ一覧
井蛙(せいあ)
他に広い世界があることを知らずに、自分の周りの狭い見識や知識にとらわれてこと。 小さな井戸に住んでいる蛙は、井戸の外の世界に大きな海があることなど知らないとの意から。 「坎井の蛙」「井底の蛙」「井蛙」などともいう。
性相近し、習い相遠し(せいあいちかし、ならいあいとおし)
人が生まれながらに持っている性質にはあまり差はないが、その後の教育や環境で大きな差が出てくるということ。
生ある者は必ず死あり(せいあるものはかならずしあり)
生きているものは必ず死ぬときがくるということ。
青雲の志(せいうんのこころざし)
立身出世して高い地位を得ようとする志。「青雲」は高位、高官の意。
臍下丹田に力を入れる(せいかたんでんにちからをいれる)
「臍下丹田」は臍(へそ)のやや下の腹部のことで、そこに力を入れると健康が得られ勇気がわくととされる。転じて、度胸を据えてどっしり落ち着くことをいう。
青眼(せいがん)
親しい人の訪問を歓迎する時の目つき。 中国の晋の阮籍は、歓迎する時は晴眼で出迎え、そうでない時は白眼で出迎えたという故事から。
成蹊(せいけい)
徳のある人のもとへは、自然に人々が集まることのたとえ。 桃や李(すもも)は何も言わないがその花や実に惹かれて人が集まり、木の下には自然に小道ができるとの意から。 「蹊」は小道のこと。 「成蹊」ともいう。
正鵠(せいこく)
物事の最も重要な部分。要所。急所。
正鵠(せいこく)
弓を射る的の中心の黒い部分。
正鵠を射る(せいこくをいる)
物事の要点・急所をつくこと。「正鵠」は「せいこう」とも読み、要点・急所の意。
精魂を傾ける(せいこんをかたむける)
一つの物事に全力で取り組むこと。
精彩を放つ(せいさいをはなつ)
他と比べて、良さが際立っていること。
枘鑿相容れず(ぜいさくあいいれず)
物事が食い違ってかみ合わないこと。 「枘」は、ほぞ。木材と繋ぎ合わせるときの差し込み。 「鑿」は、ほぞを入れるための穴。 差し込みと穴の形が違っていて、うまく納まらないことから。
西施の顰みに倣う(せいしのひそみにならう)
事の良し悪しを考えず、むやみに人の真似をするたとえ。また、人に倣って物事をすることを謙遜していう言葉。 「顰」は、眉をひそめること。 中国の越の西施(せいし)という美女が胸の病気の痛みで顔をしかめたところ、それを見た醜女が自分も顔をしかめれば美しく見えるかと思い、真似をして眉をひそめたという故事から。 「西施の顰みに倣う」「顰みを学ぶ」ともいう。
精神一到、何事か成らざらん(せいしんいっとう、なにごとかならざらん)
精神を集中して取り組めば、どんな難しいことでもできないことはないということ。
聖人に夢なし(せいじんにゆめなし)
聖人は邪念にとらわれることもないので、夢を見る事もなく心安らかに安眠できるということ。
清水に魚棲まず(せいすいにうおすまず)
あまりにも心が清らかで欲のない人は、かえって人に親しまれないということ。水が清らかすぎると、魚も隠れる所がないので棲みつかない意から。
清濁併せ呑む(せいだくあわせのむ)
清流も濁流ものみこむ大海のように、善も悪もすべて受け入れる度量の大きさのこと。
成竹(せいちく)
事前に心の中で考えている計画。竹の絵を描く時は竹の姿を思い浮かべてから描くという意味から。
井底の蛙(せいていのあ)
他に広い世界があることを知らずに、自分の周りの狭い見識や知識にとらわれてこと。 小さな井戸に住んでいる蛙は、井戸の外の世界に大きな海があることなど知らないとの意から。 「坎井の蛙」「井底の蛙」「井蛙」などともいう。
急いては事を仕損じる(せいてはことをしそんじる)
あせって事を急ぐと失敗しやすく、急いだことが無駄になるということ。
青天の霹靂(せいてんのへきれき)
思いもよらない大事件や変動が突然起こること。
盛年重ねて来らず(せいねんかさねてきたらず)
若いときは二度とやって来ないので、その時を無駄に過ごしてはいけないということ。
生は難く、死は易し(せいはかたく、しはやすし)
苦しみに耐えて生きるのは難しいが、苦しみに耐えられず死を選ぶのは容易であるということ。
生は寄なり死は帰なり(せいはきなりしはきなり)
人は仮にこの世に身を寄せて生きているのであり、死ねば本来いた所に帰るということ。
生は死の始め(せいはしのはじめ)
この世に生まれる時は、死に向かう道のりの始まりでもあるということ。
生命ある所希望あり(せいめいあるところきぼうあり)
人は希望と忍耐をもって生きるべきであるという戒め。 生きていれば希望は必ずあるということから。
声涙、倶に下る(せいるい、ともにくだる)
感情を抑えきれず、涙を流しながら語るさま。
精を出す(せいをだす)
仕事や学問などに懸命に取り組むこと。精一杯励むこと。
生を偸む(せいをぬすむ)
死ぬべき時に死なずに恥を忍んで生きながらえること。また、何もせず、ただいたずらに生きていること。「生」は生命・生活、「偸む」は貪るという意。
背負い投げを食う(せおいなげをくう)
大事な局面で信頼していた人に裏切られて酷い思いをすること。 「背負い投げ」は「せおいなげ」とも読む。
世界は張り物(せかいははりもの)
世の中には体裁よく見せかけているものが多くあるということ。また、世の中は見栄を張って渡るのが普通であるということ。 「張り物」は、木や竹の骨に紙などを張って岩などに見せかける道具のこと。 「世は張り物」「世界は張り物」ともいう。
世界半分自惚れしっかり(せかいはんぶんうぬぼれしっかり)
世の中のことは半分しかわかっていないのに、自惚れだけはしっかりあるということ。
せかせか貧乏、ゆっくり長者(せかせかびんぼう、ゆっくりちょうじゃ)
急かねば事が間に合わぬ(せかねばことがまにあわぬ)
事を急ぐと失敗しやすいとわかっているが、急がなければ間に合わず、役に立たないということ。
是が非でも(ぜがひでも)
善悪に関わらず。何が何でも。 ある物事の実現を強く望む言葉。 「理が非でも」ともいう。
積悪の家には必ず余殃あり(せきあくのいえにはかならずよおうあり)
悪行を重ねてきた家には、報いとして子孫にまで必ず災いがあるということ。 「余殃」は祖先の行った悪事の報いとして受ける災い。 「積悪の余殃」ともいう。
積悪の余殃(せきあくのよおう)
悪行を重ねてきた家には、報いとして子孫にまで必ず災いがあるということ。 「余殃」は祖先の行った悪事の報いとして受ける災い。 「積悪の余殃」ともいう。
席暖まるに暇あらず(せきあたたまるにいとまあらず)
極めて忙しいことのたとえ。ゆっくり座っている暇がないほど忙しく、席が暖まる暇がないということから。
関ヶ原(せきがはら)
勝敗や運命が決まる大事な戦いや場面のたとえ。岐阜県南西端の地名で、ここで慶長五年(1600年)に石田三成らの西軍と徳川家康の東軍が天下を争って戦ったことから。
赤縄を結ぶ(せきじょうをむすぶ)
夫婦の関係になることを約束すること。夫婦の縁を結ぶこと。
積善の家には必ず余慶あり(せきぜんのいえにはかならずよけいあり)
善行を積み重ねた家には、その報いとしての幸せが必ず子孫におとずれるということ。「余慶」は、祖先の善行のおかげで、子孫に及ぶ幸福のこと。
関の山(せきのやま)
物事がうまく進んだ場合でも、これ以上はできないという限度。せいぜい。
赤貧洗うが如し(せきひんあらうがごとし)
非常に貧しくて、まるで洗い流したように何もない様子。「赤」は、何もないという意。
赤面の至り(せきめんのいたり)
自分を情けなく感じて恥じ入る気持ちを表す言葉。 恥ずかしがって顔を赤くするということから。
席を改める(せきをあらためる)
会議や宴会などを、改めて別の場所で行うこと。または、別の日時に行うこと。
席を外す(せきをはずす)
一時的にその場を離れること。
急く事はゆるりとせよ(せくことはゆるりとせよ)
急がなければならない事は、ゆっくり落ち着いてするほうが、焦って失敗することもなく結果としては早いということ。
世間がうるさい(せけんがうるさい)
世間の人々が問題として取り上げ、内輪のことでは済まなくなるさま。
世間が狭い(せけんがせまい)
付き合いのある範囲が狭いことや、世間に対する知識が少ないこと。 または、面目が立たず、人との付き合いを避けること。肩身が狭い。
世間が広い(せけんがひろい)
付き合いのある範囲が広いことや、世間に対する知識が深いこと。
世間知らずの高枕(せけんしらずのたかまくら)
厳しい現実も知らずに、のんびり平然と暮らしている人を皮肉っていう言葉。
世間の口に戸は立てられぬ(せけんのくちにとはたてられぬ)
世間の噂話は止めることができないということ。 「立てる」は閉めることで、「閉てる」とも書く。 「開いた口に戸は立てられぬ」「世間の口に戸は立てられぬ」ともいう。
世間は張り物(せけんははりもの)
世の中には体裁よく見せかけているものが多くあるということ。また、世の中は見栄を張って渡るのが普通であるということ。 「張り物」は、木や竹の骨に紙などを張って岩などに見せかける道具のこと。 「世は張り物」「世界は張り物」ともいう。
世間は広いようで狭い(せけんはひろいようでせまい)
世間は広いようで、案外狭いものであるということ。 思いがけない所で知人にばったり会った時などにいう言葉。 「世の中は広いようで狭い」ともいう。
世間を騒がせる(せけんをさわがせる)
事件や問題を起こし、広く人々の注目を集めて話題になること。
世間を狭くする(せけんをせまくする)
問題を起こして人付き合いの範囲を狭くすること。
世故に長ける(せこにたける)
世間の事情を知り尽くしていて、世渡りがうまい様子。「世故」は、世間の習慣やならわしのこと。
世事に疎い(せじにうとい)
世間での一般的なしきたりや慣習などの知識が少ないこと。
世上物騒我が身息災(せじょうぶっそうわがみそくさい)
世間にどんな事が起こっても、自分の身が安全ならかまわない。世の中に無関心で利己主義な人のことをいう。
背筋が寒くなる(せすじがさむくなる)
恐怖などで寒気を感じること。ぞっとする。
切匙で腹を切る(せっかいではらをきる)
不可能なことのたとえ。切匙を刀がわりにしても腹は切れないことから。「切匙」は、すり鉢の内側についたものをかき落とす時に使う木製の道具。
尺蠖の屈するは伸びんがため(せっかくのくっするはのびんがため)
将来の成功のためには、一時的に不遇に耐え忍ぶことも必要であるというたとえ。 「尺蠖」は、尺取り虫。 尺取り虫が体を屈めるのは、伸ばした時により前進するためであるとの意から。
折檻(せっかん)
厳しく意見すること。また、懲らしめのために体罰を加えること。 中国前漢の成帝が、臣下である朱雲による諫言に怒り、朝廷から引きずり出そうとしたとき、朱雲は欄檻にしがみついて抵抗したため、ついには欄檻が折れてしまった。 国のこと思い諫言を続けた朱雲の行動に、最後は成帝も怒りを収めたという故事から。
節季の風邪は買っても引け(せっきのかぜはかってもひけ)
節季のような忙しい時でも、病気ならば公然と休めるから、病気もときには重宝だということ。
絶景というは樽肴ありてこそ(ぜっけいというはたるさかなありてこそ)
すばらしい景色は、酒や肴があってこそ楽しく、酒抜きで景色を見てもつまらないということ。
舌耕(ぜっこう)
雪上に霜を加う(せつじょうにしもをくわう)
十分すぎるほどあるうえに、さらに同じようなものを加えること。 「雪に霜を加える」「雪の上に霜」ともいう。
節制は最良の薬なり(せっせいはさいりょうのくすりなり)
節制して質素な暮らしをすることが最も健康によいということ。 「Temperance is the best physic.」を訳した言葉。
雪駄の裏に灸(せったのうらにきゅう)
長居をする客を早く帰らせるためのおまじない。 「草履に灸」ともいう。
雪駄の土用干し(せったのどようぼし)
ふんぞり返って、偉そうに歩く者をあざけっていう言葉。雪駄を土用の頃日に干すと反り返るところから。
雪隠詰め(せっちんづめ)
将棋で王将を盤の隅に追い込んで詰めること。また、逃げ道のない所へ追い詰めること。
雪隠で饅頭(せっちんでまんじゅう)
空腹を満たすのに場所を選ばないことのたとえ。また、人に隠れて、自分だけこっそりいい思いをすることのたとえ。
切羽詰まる(せっぱつまる)
どうすることもできない状態に追い詰められること。 「切羽」は日本刀の鍔の前後の両面に添える金属のこと。 刀の構造上、切羽が詰まることは考えにくいことから、詰まる部分は鎺(はばき)と考えられ、これが詰まると鞘から刀が抜けなくなることから。 また、もとは違う言葉が「切羽」に置き換わったともいわれる。
節を折る(せつをおる)
信念や主義などを曲げて人に従うこと。 「節」は、節操のこと。 「節を屈する」「節を曲げる」ともいう。
節を屈する(せつをくっする)
信念や主義などを曲げて人に従うこと。 「節」は、節操のこと。 「節を屈する」「節を曲げる」ともいう。
節を曲げる(せつをまげる)
信念や主義などを曲げて人に従うこと。 「節」は、節操のこと。 「節を屈する」「節を曲げる」ともいう。
背中を向ける(せなかをむける)
物事に反対したり、無関心な態度を取ったりすること。 「背中を向ける」ともいう。
銭ある時は鬼をも使う(ぜにあるときはおにをもつかう)
金さえあれば、どんな人でも自分の思うままに使うことができるということ。 金があれば、怖い鬼であろうとも思い通りにすることができるとの意から。
銭あれば木物も面を返す(ぜにあればきぶつもつらをかえす)
どんなに冷淡な者でも、金の力にはなびくというたとえ。 金銭があれば、感情がない木仏さえも振り向くとの意から。
背にする(せにする)
そのものに背中を向けること。 または、背中に担ぐこと。背負う。
銭なしの市立ち(ぜになしのいちだち)
方法や手段もなく何かをしようとしても、どうにもならないことのたとえ。 銭を持たずに市場に行っても、何も買えずにただ立っているだけとの意から。
銭は足なくして走る(ぜにはあしなくしてはしる)
金には足などついていないのに、まるで足があるかのように、人から人へと渡って行くということ。
背に腹は代えられぬ(せにはらはかえられぬ)
大事のためには、犠牲を払うのもやむを得ないというたとえ。 腹には大切な臓器が詰まっており、その腹を守るためであれば背中が犠牲になってもやむを得ないとの意から。 「背より腹」ともいう。
是非に及ばず(ぜひにおよばず)
どうすることもできない。仕方がない。やむを得ない。そうするしかない。 その物事の善悪を議論する余裕がないということから。 本能寺の変で織田信長が言ったとされる言葉。
是非は道によって賢し(ぜひはみちによってかしこし)
物事のよしあしを判断するのは、その道の専門家に任せるのが確かだということ。
是非も無い(ぜひもない)
どうしようもない。仕方ない。 好ましくない結果を認めるしかない時に使う言葉。
狭き門(せまきもん)
入学や就職などで、競争相手が多く、合格するのがむずかしいことのたとえ。また、キリスト教で、天国に至る道が困難であることをたとえた語。
狭き門より入れ(せまきもんよりいれ)
楽な道を選ぶより、困難な道を選ぶほうが人間を高めるという教え。「狭き門」は、キリスト教の教えで、天国に至る道が困難であることをたとえた語。神の救いを得るためには、努力が必要であり、楽な道を選んではいけないということから。
責めを負う(せめをおう)
自身に責任があると認め、処罰や償いを一人で引き受けること。
背より腹(せよりはら)
大事のためには、犠牲を払うのもやむを得ないというたとえ。 腹には大切な臓器が詰まっており、その腹を守るためであれば背中が犠牲になってもやむを得ないとの意から。 「背より腹」ともいう。
世話がない(せわがない)
手間がかからない様子。 または、呆れ果ててどうすることもできない様子。
世話が焼ける(せわがやける)
手助けが必要で、手間がかかること。 「世話が焼ける」ともいう。
世話になる(せわになる)
援助を受けること。生活の面倒をみてもらうこと。
世話を焼かす(せわをやかす)
人に手間をかけさせること。人を煩わせること。
世話を焼かせる(せわをやかせる)
人に手間をかけさせること。人を煩わせること。
世話を焼く(せわをやく)
他人の手助けをすること。面倒を見ること。
瀬を踏んで淵を知る(せをふんでふちをしる)
前もって試して、どんな危険があるかを察知することのたとえ。まず浅瀬を渡ってみて、深い淵の位置を知るということから。
背を向ける(せをむける)
物事に反対したり、無関心な態度を取ったりすること。 「背中を向ける」ともいう。
善悪の報いは影の形に随うが如し(ぜんあくのむくいはかげのかたちにしたがうがごとし)
影が形に付き随うように、善悪の行為に対する報いは必ずあるということ。
善悪は友による(ぜんあくはともによる)
人はつきあう友人次第で、善くも悪くもなるということ。 「人は善悪の友による」ともいう。
善悪は友を見よ(ぜんあくはともをみよ)
その人が善人か悪人かは、その人が交際している友人を見ればわかるということ。
先覚者(せんかくしゃ)
いち早く物事の道理や重要性に気付き、実践する人。草分け。
線が太い(せんがふとい)
強い精神を持っていること。 または、体格がしっかりとしていること。
線が細い(せんがほそい)
体格などが細く、弱々しい様子。 または、性格が繊細で頼りない様子。
千貫のかたに編笠一蓋(せんがんのかたにあみがさいっかい)
大きな元手のわりに利益が少なく、損益が釣り合わないことのたとえ。 「千貫」は銭の単位。一貫の千倍。転じて非常に高価なこと。 千貫の借金の担保が、編み笠一つということから。 「一蓋」は「ひとがい」とも読む。
千貫のかたに編笠一蓋(せんがんのかたにあみがさひとがい)
大きな元手のわりに利益が少なく、損益が釣り合わないことのたとえ。 「千貫」は銭の単位。一貫の千倍。転じて非常に高価なこと。 千貫の借金の担保が、編み笠一つということから。 「一蓋」は「ひとがい」とも読む。
疝気さ目薬(せんきさめぐすり)
はなはだしい見当違いのたとえ。努力しても無駄なことのたとえ。 膝に目薬をさしても効果がないことから。 「尻に目薬」「目薬を尻へさす」「疝気さ目薬」ともいう。
千鈞の重み(せんきんのおもみ)
非常に重いこと。または、非常に価値があること。 「鈞」は重さを表す単位。
千金の裘は一狐の腋に非ず(せんきんのきゅうはいっこのえきにあらず)
国を治めるには、多くの有能な人材が必要だというたとえ。 「裘」は獣の毛皮で作った衣服。皮衣。「腋」は脇の下。 千金もする皮衣は、一匹の狐のわきの毛だけでは作れないとの意から。
千金の子は市に死せず(せんきんのこはいちにしせず)
金持ちの子は、罪を犯しても金の力によって死罪を免れ、町中で処刑されるようなことにならない。また、金持ち子は、金の力で危険を防ぐことができるので、町中で悪者に殺されるようなことはないということ。金さえあれば身を守ることができるということを皮肉った言葉。「千金」は金持ち、「市」は町の意。
千金を買う市あれど一文字を買う店なし(せんきんをかういちあれどいちもんじをかうみせなし)
文字を覚えるためには、自分で学ぶしかないというたとえ。 市場にはいろんな物が売っていて、高価な物も買うことができるが、文字だけは売っていないとの意から。
千軒あれば共暮らし(せんけんあればともぐらし)
家が千軒もあれば、そこに住む人たちがそれぞれ商売をしたり互いに物の売り買いをしたりして、ともに生計を立てていくことができるということ。 「共過ぎ」は、人々が互いに助け合って生活していくこと。 「千軒あれば共暮らし」ともいう。
千軒あれば共過ぎ(せんげんあればともすぎ)
家が千軒もあれば、そこに住む人たちがそれぞれ商売をしたり互いに物の売り買いをしたりして、ともに生計を立てていくことができるということ。 「共過ぎ」は、人々が互いに助け合って生活していくこと。 「千軒あれば共暮らし」ともいう。
千石取れば万石羨む(せんごくとればまんごくうらやむ)
人間の欲望は次から次へと大きくなり、きりがないということ。千石取りになれば、次は万石取りを羨むということから。
千石万石も米五合(せんごくまんごくもこめごごう)
人には必要な物が必要な分だけあれば十分だということ。 千石、万石といった高い俸禄を得ている人でも、一日に食べる米の量は五合にすぎないとの意から。 「千石万石も飯一杯」ともいう。
千石万石も飯一杯(せんごくまんごくもめしいっぱい)
人には必要な物が必要な分だけあれば十分だということ。 千石、万石といった高い俸禄を得ている人でも、一日に食べる米の量は五合にすぎないとの意から。 「千石万石も飯一杯」ともいう。
前後を忘れる(ぜんごをわすれる)
興奮したり動揺したりして、まともな判断ができなくなること。 または、酒に酔って意識がはっきりしなくなること。
前車の覆るは後車の戒め(ぜんしゃのくつがえるはこうしゃのいましめ)
先人の失敗は後人の戒めになるというたとえ。 前の車が覆るのを見て、後の車は戒めにするとの意から。 単に「後車の戒め」ともいう。
前車の轍を踏む(ぜんしゃのてつをふむ)
前の人と同じような失敗を繰り返すことのたとえ。 「轍」は、車のわだちのこと。 転倒した前の車のわだちをたどり、同じように転倒するとの意から。 「前轍を踏む」「轍を踏む」「覆轍を踏む」ともいう。
千畳敷に寝ても畳一枚(せんじょうじきにねてもたたみいちまい)
人一人が必要な物は限られているので、むやみに欲を出すべきではないということ。 千畳もの広さがある部屋に寝ても、人が一人寝るのに必要な畳はせいぜい一枚であるとの意から。
千丈の堤も螻蟻の穴を以て潰いゆ(せんじょうのつつみもろうぎのあなをもってついゆ)
わずかな油断・不注意から大事が起こることのたとえ。 千丈の堤防でも螻(けら)や蟻のあける穴から崩れることもあるとの意から。
千緒万端、遺漏あることなし(せんしょばんたん、いろうあることなし)
あらゆる点で、まったく手落ちがない様子。「千緒万端」は多くの事柄、「遺漏」は手落ち。
先陣を争う(せんじんをあらそう)
一番最初に成し遂げようとして、互いに競うこと。 最初に敵陣に攻め込もうとして争うということから。
先生と言われるほどの馬鹿でなし(せんせいといわれるほどのばかでなし)
先生という呼称は敬意を伴わない場合もある。先生と呼ばれて気分をよくするほど馬鹿ではないということ。また、先生と呼ばれていい気になっている者をあざけっていう言葉。
先祖に討ち死にさせて高枕(せんぞにうちじにさせてたかまくら)
先祖が戦いで手柄を立てて討ち死にし、財産を残してくれたおかげで、子孫が安楽に暮らしているということ。家代々の資産で安逸な生活をおくっている者をあざけっていう言葉。「高枕」は、安心しきっていることのたとえ。
然諾を重んずる(ぜんだくをおもんずる)
いったん引き受けた以上は、約束を守って必ず実行するということ。「然諾」は、よしと承諾すること。
栴檀は双葉より芳し(せんだんはふたばよりかんばし)
大成する人は幼少期から優れているというたとえ。 「栴檀」は、香木の名。白檀の異称。 白檀は発芽の頃から芳香を放つことから。
前轍を踏む(ぜんてつをふむ)
前の人と同じような失敗を繰り返すことのたとえ。 「轍」は、車のわだちのこと。 転倒した前の車のわだちをたどり、同じように転倒するとの意から。 「前轍を踏む」「轍を踏む」「覆轍を踏む」ともいう。
先手は万手(せんてはまんて)
機先を制することが、どんな手段より効果的だということ。
先手を打つ(せんてをうつ)
これから先に起こるであろうことを予測して対策をしておくこと。 または、相手より先に攻撃を加えること。 また、囲碁や将棋で先に打つこと。
船頭多くして、船、山へ登る(せんどうおおくして、ふね、やまへのぼる)
指図する人間が多すぎて統一が取れず、物事が順調に運ばなかったり、とんでもない方向へ進んでしまったりすることのたとえ。 「船頭」は船長のこと。 まるで船頭かのように指示を出す人間が多すぎると、船が山に登ってしまうような見当違いの方向に物事が進んでしまうとの意から。
船頭のそら急ぎ(せんどうのそらいそぎ)
本当は急いでいないのに、急いでいるふりをすることのたとえ。船頭が「船が出るぞ」と言って客を船に乗り込ませながら、なかなか船を出さないことから。
先頭を切る(せんとうをきる)
誰よりも先に始めること。
善に従うこと流るるが如し(ぜんにしたがうことながるるがごとし)
千日に刈った萱一日に亡ぼす(せんにちにかったかやいちにちにほろぼす)
長年苦労して築き上げたものを一瞬にして失うことのたとえ。 「萱」は、屋根をふくのに用いる植物の総称。 千日もかけて刈り集めた萱をたった一日で燃やしてしまうとの意から。
千日に刈った萱一時に亡ぼす(せんにちにかったかやいっときにほろぼす)
長年苦労して築き上げたものを一瞬にして失うことのたとえ。 「萱」は、屋根をふくのに用いる植物の総称。 千日もかけて刈り集めた萱をたった一日で燃やしてしまうとの意から。
千日の萱(せんにちのかや)
長年苦労して築き上げたものを一瞬にして失うことのたとえ。 「萱」は、屋根をふくのに用いる植物の総称。 千日もかけて刈り集めた萱をたった一日で燃やしてしまうとの意から。
千日の萱を一日(せんにちのかやをいちにち)
長年苦労して築き上げたものを一瞬にして失うことのたとえ。 「萱」は、屋根をふくのに用いる植物の総称。 千日もかけて刈り集めた萱をたった一日で燃やしてしまうとの意から。
千日の萱を一日に焼く(せんにちのかやをいちにちにやく)
長年苦労して築き上げたものを一瞬にして失うことのたとえ。 「萱」は、屋根をふくのに用いる植物の総称。 千日もかけて刈り集めた萱をたった一日で燃やしてしまうとの意から。
千日の旱魃に一日の洪水(せんにちのかんばつにいちにちのこうずい)
千日も続く日照りと、たった一日ですべてを流してしまう洪水とは、同じくらいの被害をもたらすということ。水害の恐ろしさをいった言葉。
善には善の報い、悪には悪の報い(ぜんにはぜんのむくい、あくにはあくのむくい)
善行にはいずれ天の恵みがあり、悪行にはいずれ天罰が下るという報いがあるということ。
千に一つ(せんにひとつ)
非常に珍しいこと。 多くある中のたったひとつとの意から。
先入、主となる(せんにゅう、しゅとなる)
前から持っている固定的な観念が、新しい考えの妨げになってしまうこと。 前もって抱いている考えが主となり、後からの考えが従となるとの意から。 この語から「先入観」や「先入主」という語ができた。
善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや(ぜんにんなおもておうじょうをとぐ、いわんやあくにんをや)
仏の救いを頼みとしない善人でさえ極楽往生を遂げる。まして、仏の救いにすがるしかない悪人が往生できないわけがないということ。
仙人の千年、蜉蝣の一時(せんにんのせんねん、かげろうのいっとき)
長い短いの違いはあっても、どちらも一生であることに変わりないことのたとえ。また、同じ一生でも長短の差が大きいことのたとえ。
千人の諾諾は一士の諤諤に如かず(せんにんのだくだくはいっしのがくがくにしかず)
他人の言葉になんでも賛同して従う千人は、権勢に媚びずに正しいと思うことを主張する一人には及ばないということ。「諾諾」は、他人の言葉にさからわないで従うさま。「諤諤」は、正しいと思うことを恐れはばかることなく述べるさま。
善の裏は悪(ぜんのうらはあく)
いいことのあとには悪いことが起きるということ。善と悪とは表と裏で、いいことばかりも続かないし悪いことばかりも続かないということ。
千の蔵より子は宝(せんのくらよりこはたから)
たくさんの財産よりも子どもの方が大切だということ。
善は急げ(ぜんはいそげ)
良いことだと思ったら、ためらわずすぐに実行せよということ。
善は急げ悪は延べよ(ぜんはいそげあくはのべよ)
良いことだと思ったら、ただちにに実行せよ。悪いことをしようとする時は、なるべく実行を延ばせということ。
善美を尽くす(ぜんびをつくす)
これ以上ないというほど美しく立派にこしらえること。「善美」は、物事が立派で美しいこと。
膳部揃うて箸を取れ(ぜんぶそろうてはしをとれ)
食事をする時は、料理がすべて揃ってから箸を取るものだということ。あわただしく食事に取りかかることを戒める言葉。また、物事は用意がすっかり整ってから始めよということ。「膳部」は、膳にのせて出す料理のことで、「全部」とかけたもの。
先鞭を着ける(せんべんをつける)
他の人より先に着手すること。一番に馬に鞭を入れるということから。
千万人と雖も吾往かん(せんまんにんといえどもわれゆかん)
自分の信じた道は、たとえ千万人の敵がいても、恐れることなく立ち向かっていくということ。
千三つ(せんみつ)
土地や建物の売買や貸金の仲介などを行う人。 千の内、三つくらいしか成立しないとの意から。 または、嘘ばかりつく人。嘘つき。 千の内、三つくらいしか正しいことを言わないとの意から。
前面に押し出す(ぜんめんにおしだす)
ある物事を目立つように示すこと。
前門に虎を防ぎ後門に狼を進む(ぜんもんにとらをふせぎこうもんにおおかみをすすむ)
一つの災いを逃れても、さらにまた別の災難に見舞われることのたとえ。 前門で虎の侵入を防いだと思ったら、すでに後門に狼が入っていたとの意から。 「前門に虎を防ぎ後門に狼を進む」ともいう。
前門の虎、後門の狼(ぜんもんのとら、こうもんのおおかみ)
一つの災いを逃れても、さらにまた別の災難に見舞われることのたとえ。 前門で虎の侵入を防いだと思ったら、すでに後門に狼が入っていたとの意から。 「前門に虎を防ぎ後門に狼を進む」ともいう。
千里眼(せんりがん)
遠くの出来事や将来のこと、人の心の中を見通す能力のこと。また、その能力を持つ人のこと。 中国後魏の楊逸は、情報網をめぐらして遠方の情報をつかんでいたので、人々が「千里の遠くまで見通す眼を持っている」と驚いたという故事から。
千里の馬は常にあれども伯楽は常にはあらず(せんりのうまはつねにあれどもはくらくはつねにはあらず)
有能な人材はいつの世にもいるが、その能力を見出して育てる優れた指導者は少ないということのたとえ。 「千里の馬」は、一日に千里も走れるほどの優れた馬。転じて、優れた才能の人物。 「伯楽」は牛馬の良し悪しを見分ける名人のこと。転じて、人物を見抜いて、その才能を引き出し育てる優れた指導者のこと。 いつの時代にも、一日に千里を走るほどの優れた馬はいるが、その名馬の能力を引き出す伯楽は、いつもいるわけではないということから。
千里の馬も蹴躓く(せんりのうまもけつまずく)
優れた才能の人物も時には失敗することもあるというたとえ。「千里の馬」は、一日に千里も走れるほどの優れた馬。転じて、優れた才能の人物。
千里の馬も伯楽に会わず(せんりのうまもはくらくにあわず)
有能な人も、その真価を見抜いて能力を引き出してくれる人とはなかなか出会えないということ。「千里の馬」は、一日に千里も走れるほどの名馬。転じて、優れた才能の人物。「伯楽」は牛馬の良し悪しを見分ける名人のこと。転じて、人物を見抜いて、その才能を引き出し育てる優れた指導者のこと。
千里の行も足下より始まる(せんりのこうもそっかよりはじまる)
大きな目標・目的を達成するためには、身近なことからこつこつと努力を積み重ねていくことが大切であるということ。 千里の道のりも踏み出した一歩から始まるとの意から。 「千里の行も足下より始まる」ともいう。
千里の堤も蟻の穴から(せんりのつつみもありのあなから)
わずかな油断や不注意が元で大事を引き起こすというたとえ。 千里の堤防も蟻の穴が原因で崩れることもあるとの意から。
千里の野に虎を放つ(せんりののにとらをはなつ)
災いのもとになりそうな危険なものを放っておくことのたとえ。 広い野原に虎を野放しにするとの意から。 「虎を野に放つ」ともいう。
千里の道も一歩から(せんりのみちもいっぽから)
大きな目標・目的を達成するためには、身近なことからこつこつと努力を積み重ねていくことが大切であるということ。 千里の道のりも踏み出した一歩から始まるとの意から。 「千里の行も足下より始まる」ともいう。
千里一跳ね(せんりひとはね)
大きな鳥があっという間に千里も飛んでしまうように、物事を一気に行って大成功することのたとえ。
千慮の一失(せんりょのいっしつ)
どんなに賢い人でも、多くの考えの中には一つくらい失敗もあるということ。また、十分に注意していても思わぬ失敗が起こるということ。 「千慮」は、いろいろと考えを巡らすこと。
千慮の一得(せんりょのいっとく)
愚かな者でも、たまには一つぐらいよい考えを出すこともあるということ。
洗礼を受ける(せんれいをうける)
今までにない経験をすること。 または、試練を与えられること。 元は、キリスト教の信者になる儀式をいう言葉。
善を責むるは朋友の道なり(ぜんをせむるはほうゆうのみちなり)
善い行いをするように勧めるのが、友としての大切な務めだということ。「責むる」は、当然なすべき事を勧めるという意。
線を引く(せんをひく)
はっきりとした境を決めて区別すること。