「ふ」から始まる故事・ことわざ・慣用句一覧
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ことわざ一覧
不意打ちを食う(ふいうちをくう)
いきなり襲われたり、予想外の災難にあったりすること。
布衣の交わり(ふいのまじわり)
身分・地位などにこだわらない親しい交際のこと。また、庶民同士の付き合いのこと。 「布衣」は昔、中国の庶民が着ていた服のことで、転じて一般庶民のこと。
風雲急を告げる(ふううんきゅうをつげる)
大事変が今にも起こりそうな、緊迫した情勢のたとえ。
富貴天に在り(ふうきてんにあり)
富や地位は天の与えるものであり、人の力ではどうすることもできないということ。
富貴には他人集まり、貧賤には親戚も離る(ふうきにはたにんあつまり、ひんせんにはしんせきもはなれる)
地位や財産のある者には赤の他人も寄ってくるが、貧乏な者には親戚さえも寄り付かないということ。
富貴は浮雲の如し(ふうきはふうんのごとし)
富や地位は、まるで空に浮かぶ雲のようにはかないものだということ。
風采が上がらない(ふうさいがあがらない)
容姿や服装などの見た目が質素で垢抜けていないこと。
風樹の歎(ふうじゅのたん)
親に孝行したいと思ったときにはすでに親は無く、どうすることもできないという嘆きのことば。 「風樹」とは、風に吹かれて揺れ動く木のこと。 『韓詩外伝』「樹静かならんと欲すれども風止まず。子養わんと欲すれども親待たず。(木は静かに静止していたいのに、風がやまなければどうすることもできない。子どもが孝行したいと思っても親は待ってくれない。)」に基づく。
風する馬牛も相及ばず(ふうするばぎゅうもあいおよばず)
たがいに遠く離れていることのたとえ。 「風」は盛りがつくこと。 盛りのついた馬や牛が、雌雄互いに求め合っても遠く隔たっていて会う事が出来ないとの意から。 転じて、自分とは無関係であること。また、そのような態度をとること。 「風する馬牛も相及ばず(ふうするばぎゅうもあいおよばず)」ともいう。
風雪に耐える(ふうせつにたえる)
困難なことや辛いことなどに耐えて、それを乗り越えること。
風前の灯火(ふうぜんのともしび)
危険が差し迫り、危ういことのたとえ。風の吹き付ける所にある灯の意から。
風前の灯(ふうぜんのともしび)
危険が差し迫り、危ういことのたとえ。風の吹き付ける所にある灯の意から。
風馬牛(ふうばぎゅう)
たがいに遠く離れていることのたとえ。 「風」は盛りがつくこと。 盛りのついた馬や牛が、雌雄互いに求め合っても遠く隔たっていて会う事が出来ないとの意から。 転じて、自分とは無関係であること。また、そのような態度をとること。 「風する馬牛も相及ばず(ふうするばぎゅうもあいおよばず)」ともいう。
夫婦喧嘩は犬も食わない(ふうふげんかはいぬもくわない)
夫婦喧嘩は長続きせずにすぐに仲直りするものなので、他人が仲裁に入るものではないということ。 何でも食べる犬ですら食べない(気に止めない)との意から。
夫婦喧嘩は寝て直る(ふうふげんかはねてなおる)
夫婦喧嘩は、一緒に寝ればすぐ仲直りするものであるということ。
夫婦喧嘩は貧乏の種蒔き(ふうふげんかはびんぼうのたねまき)
いつも夫婦喧嘩をしている家庭は、だんだん貧乏になっていうという戒めのことば。
夫婦喧嘩もないから起こる(ふうふげんかもないからおこる)
金がなくて生活が苦しいと、しなくてもよい夫婦喧嘩も起こるということ。
夫婦の契りを結ぶ(ふうふのちぎりをむすぶ)
夫婦として末永く(来世まで)連れ添うことを約束する。 「二世」は、現世と来世のこと。 「二世の契りを結ぶ」「夫婦の契りを結ぶ」ともいう。
夫婦は合わせ物離れ物(ふうふはあわせものはなれもの)
夫婦はもともと他人どうしがいっしょになったものだから、別れることがあっても仕方がないということ。
夫婦はいとこほど似る(ふうふはいとこほどにる)
夫婦は一緒に暮らしていると、肉親のように似てくるということ。
夫婦は二世(ふうふはにせ)
夫婦の関係は現世だけでなく、来世まで続く深い関係であるということ。
風流は寒いもの(ふうりゅうはさむいもの)
雪見や梅見などは、風流を解さない者にとっては寒いだけでつまらないということ。
斧鉞を加える(ふえつをくわえる)
文章に手を加えて直すこと。添削すること。 「斧鉞」は斧(おの)と鉞(まさかり)のこと。 斧や鉞で削るとの意から。
フェニックス(ふぇにっくす)
永久不滅や蘇生の象徴とされるエジプト神話の霊鳥。または、ヤシ科の多年生観葉植物。
笛吹けども踊らず(ふえふけどもおどらず)
誘ったり勧めたりしても、相手がそれに応じて動かないことのたとえ。
分がある(ぶがある)
勝負などで勝つ見込みがあること。
深い川は静かに流れる(ふかいかわはしずかにながれる)
思慮深い人は決して騒ぎ立てず、冷静に行動するというたとえ。
不覚を取る(ふかくをとる)
油断が原因となって失敗すること。
不可能という言葉は我が辞書にはない(ふかのうということばはわがじしょにはない)
自分には不可能なことはないということ、世の中には出来ないことなどないということ。「余」は「予」とも書く。通説としてナポレオンの言葉といわれている。
分が悪い(ぶがわるい)
勝負などで勝つ見込みがないこと。
不帰の客となる(ふきのきゃくとなる)
死ぬこと。「不帰」は、再び帰ってこないこと。
俯仰、天地に愧じず(ふぎょう、てんちにはじず)
自分にやましいところや恥じるところは何一つないということ。 「俯」はうつむくこと、「仰」はあおぐこと。 うつむいて地に恥じるところがなく、あおいで天に恥じるところがないとの意から。
不興を買う(ふきょうをかう)
上の立場の人の機嫌を損ねること。
吹く風枝を鳴らさず(ふくかぜえだをならさず)
世の中がよく治まり平和なようすのたとえ。 吹く風が静かで枝は音も立てないとの意から。
河豚食う馬鹿、食わぬ馬鹿(ふぐくうばか、くわぬばか)
河豚(ふぐ)には毒があるのでむやみに食べるのも愚かだが、毒を恐れておいしい河豚を食べないのも愚かであるということ。 「河豚食う無分別河豚食わぬ無分別」ともいう。
河豚食う無分別、河豚食わぬ無分別(ふぐくうむふんべつ、ふぐくわぬむふんべつ)
河豚(ふぐ)には毒があるのでむやみに食べるのも愚かだが、毒を恐れておいしい河豚を食べないのも愚かであるということ。 「河豚食う無分別河豚食わぬ無分別」ともいう。
覆車の戒め(ふくしゃのいましめ)
先人の失敗が後人の戒めになることのたとえ。 「覆車」は車がひっくり返ること。 車が覆るのを見て、後の車は教訓とするとの意から。
覆水、盆に返らず(ふくすい、ぼんにかえらず)
離縁した夫婦の仲はもとどおりにならないことのたとえ。また、一度してしまったことは取り返しがつかないというたとえ。 中国の太公望が出世して斉に封ぜられた時、離縁した妻が復縁を求めてやってきた。太公望は盆の水をひっくり返し「こぼれた水を元に戻せたら希望通りにしよう」と言って復縁を断ったという故事から。
伏線を張る(ふくせんをはる)
これから起こるであろうことを予測して事前に準備しておくこと。 または、物語などで後で述べる事柄に関係があることをそれとなく示しておくこと。
覆轍を踏む(ふくてつをふむ)
前の人と同じような失敗を繰り返すことのたとえ。 「轍」は、車のわだちのこと。 転倒した前の車のわだちをたどり、同じように転倒するとの意から。 「前轍を踏む」「轍を踏む」「覆轍を踏む」ともいう。
河豚にも中れば鯛にも中る(ふぐにもあたればたいにもあたる)
運の悪い時には、安全であるはずのものでも害になることがあるというたとえ。毒のある河豚は中毒の危険があるが、毒のない鯛でも害になることもあるということ。
河豚は食いたし命は惜しし(ふぐはくいたしいのちはおしし)
おいしい河豚は食べたいが、毒にあたって命を落とすのが怖くて手が出せない。いい思いはしたいが、あとのたたりが怖くてためらうことのたとえ。
含む所がある(ふくむところがある)
恨みや怒りなどを心の中に隠し持っていること。
袋の中の鼠(ふくろのなかのねずみ)
どうやっても逃げることができない状態。 「袋の中の鼠」ともいう。
袋の鼠(ふくろのねずみ)
どうやっても逃げることができない状態。 「袋の中の鼠」ともいう。
袋の物を探るが如し(ふくろのものをさぐるがごとし)
袋の中の物を探すように、非常に簡単なことのたとえ。 「嚢中」は袋の中。 「袋の物を探るが如し」ともいう。
吹けば飛ぶよう(ふけばとぶよう)
取り上げるほどでもないこと。些細なこと。
不幸中の幸い(ふこうちゅうのさいわい)
不幸の中でも、いくらか救いがあること。
塞ぎの虫(ふさぎのむし)
気分が落ち込んでいてやる気が出ない状態。 気分が塞ぐ原因を体内の虫のせいにしていう言葉。
巫山の雨(ふざんのあめ)
男女が夢の中で情交を結ぶこと。また、男女の情愛が細やかなことのたとえ。 中国楚の懐王が、昼寝の夢の中で巫山という山の神女と契ったという故事から。 「巫山の雲雨」「巫山の雲」「巫山の雨」「巫山の春」「[[朝雲暮雨*https://yoji.jitenon.jp/yojig/3167.html]]」ともいう。
巫山の雲雨(ふざんのうんう)
男女が夢の中で情交を結ぶこと。また、男女の情愛が細やかなことのたとえ。 中国楚の懐王が、昼寝の夢の中で巫山という山の神女と契ったという故事から。 「巫山の雲雨」「巫山の雲」「巫山の雨」「巫山の春」「[[朝雲暮雨*https://yoji.jitenon.jp/yojig/3167.html]]」ともいう。
巫山の雲(ふざんのくも)
男女が夢の中で情交を結ぶこと。また、男女の情愛が細やかなことのたとえ。 中国楚の懐王が、昼寝の夢の中で巫山という山の神女と契ったという故事から。 「巫山の雲雨」「巫山の雲」「巫山の雨」「巫山の春」「[[朝雲暮雨*https://yoji.jitenon.jp/yojig/3167.html]]」ともいう。
巫山の春(ふざんのはる)
男女が夢の中で情交を結ぶこと。また、男女の情愛が細やかなことのたとえ。 中国楚の懐王が、昼寝の夢の中で巫山という山の神女と契ったという故事から。 「巫山の雲雨」「巫山の雲」「巫山の雨」「巫山の春」「[[朝雲暮雨*https://yoji.jitenon.jp/yojig/3167.html]]」ともいう。
巫山の夢(ふざんのゆめ)
男女が夢の中で情交を結ぶこと。また、男女の情愛が細やかなことのたとえ。 中国楚の懐王が、昼寝の夢の中で巫山という山の神女と契ったという故事から。 「巫山の雲雨」「巫山の雲」「巫山の雨」「巫山の春」「[[朝雲暮雨*https://yoji.jitenon.jp/yojig/3167.html]]」ともいう。
無事これ貴人(ぶじこれきじん)
武士に二言はない(ぶしににごんはない)
武士は信義を重んじるので、一度口にしたことは必ず守るということ。男が一度約束したことは必ず守るということのたとえ。
武士の情け(ぶしのなさけ)
武士が自分より弱い者に与える恩恵のこと。転じて、強い者が弱い者をあわれんで思いやる気持ちのたとえ。
武士は相身互い(ぶしはあいみたがい)
武士同士は同じ立場にあるのだから、互いに理解し合って助け合うべきだということ。転じて、同じ立場にある者は、思いやりをもって互いに助け合うべきだということ。
武士は食わねど高楊枝(ぶしはくわねどたかようじ)
武士は貧しくて食事ができなくても、食べたふりをして楊枝を使い、他人に空腹を見せないようにするということ。転じて、貧しくても誇りを持って生きるべきだということ。
不肖(ふしょう)
親や師に似ないで愚かなこと。また、自分をへりくだっていう言葉。
無精者の一時働き(ぶしょうもののいっときばたらき)
いつも怠けている者が、急に思い立って働いても、一時的だということ。また、そういう者をあざけっていう言葉。
無精者の隣働き(ぶしょうもののとなりばたらき)
自分の家の用は頼まれても何もしない無精な人間が、隣の家では余計な事まで手伝うということ。
浮生夢の如し(ふせいゆめのごとし)
人生はまるで夢のように短くはかないものだということ。
布施だけの経を読む(ふせだけのきょうをよむ)
報酬が少ない時には、仕事に熱が入らずにいい加減になるということ。 「布施」は、僧侶に読経などの謝礼として渡す金品のこと。 布施が少ない時、僧侶は袈裟をつけずに経を読むとの意から。 「布施ない経は読まぬ」「布施だけの経を読む」「布施見て経を読む」ともいう。
符節を合わすが如し(ふせつをあわすがごとし)
二つのものがぴったり合うことのたとえ。 「符節」は、後日の証拠とするために、木や竹の札に文字などを書き中央に割り印を押して二つに割り、二人が一片ずつ持つようにしたもの。 その符節を合わせたように一致するとの意から。 「符節を合わすが如し」ともいう。
符節を合するが如し(ふせつをがっするがごとし)
二つのものがぴったり合うことのたとえ。 「符節」は、後日の証拠とするために、木や竹の札に文字などを書き中央に割り印を押して二つに割り、二人が一片ずつ持つようにしたもの。 その符節を合わせたように一致するとの意から。 「符節を合わすが如し」ともいう。
布施ない経に袈裟を落とす(ふせないきょうにけさをおとす)
報酬が少ない時には、仕事に熱が入らずにいい加減になるということ。 「布施」は、僧侶に読経などの謝礼として渡す金品のこと。 布施が少ない時、僧侶は袈裟をつけずに経を読むとの意から。 「布施ない経は読まぬ」「布施だけの経を読む」「布施見て経を読む」ともいう。
布施ない経は読まぬ(ふせないきょうはよまぬ)
報酬が少ない時には、仕事に熱が入らずにいい加減になるということ。 「布施」は、僧侶に読経などの謝礼として渡す金品のこと。 布施が少ない時、僧侶は袈裟をつけずに経を読むとの意から。 「布施ない経は読まぬ」「布施だけの経を読む」「布施見て経を読む」ともいう。
布施見て経を読む(ふせみてきょうをよむ)
報酬が少ない時には、仕事に熱が入らずにいい加減になるということ。 「布施」は、僧侶に読経などの謝礼として渡す金品のこと。 布施が少ない時、僧侶は袈裟をつけずに経を読むとの意から。 「布施ない経は読まぬ」「布施だけの経を読む」「布施見て経を読む」ともいう。
不足奉公は双方の損(ふそくぼうこうはそうほうのそん)
仕事に不満を持ちながら働くのは奉公人にとって損であるし、主人側にとっても奉公人の仕事がはかどらないのは損だということ。 「不足奉公は両方の損」ともいう。
不足奉公は両方の損(ふそくぼうこうはりょうほうのそん)
仕事に不満を持ちながら働くのは奉公人にとって損であるし、主人側にとっても奉公人の仕事がはかどらないのは損だということ。 「不足奉公は両方の損」ともいう。
札付き(ふだつき)
悪い意味で定評があること。またそのような人や商品。
二つに一つ(ふたつにひとつ)
二つの内の一方。 または、二つのどちらかを選ばなければならない状態。
二つ返事で(ふたつへんじで)
間を置かずに快諾する様子。
二つよいことはない(ふたつよいことはない)
一方に都合のよいことは、もう一方には都合が悪く、どちらにもよいことはないということ。
豚に真珠(ぶたにしんじゅ)
どんなに立派で価値があっても、その価値がわからない者には無意味であることのたとえ。
豚に念仏、猫に経(ぶたにねんぶつ、ねこにきょう)
ありがたい教えも理解できないものにとっては、なんの効果もないことのたとえ。
豚もおだてりゃ木に登る(ぶたもおだてりゃきにのぼる)
おだてられて気をよくすると、能力以上のことでもできるというたとえ。
二人口は過ごせるが一人口は過ごせぬ(ふたりぐちはすごせるがひとりぐちはすごせぬ)
結婚して二人で暮らせば節約できることが多くなり、無駄が多くなりがちな一人暮らしよりも経済的であるということ。 「二人口は過ごせるが一人口は過ごせぬ」ともいう。
蓋を開ける(ふたをあける)
物事を始めること。 または、物事の状況や結果などを確認すること。
豚を盗んで骨を施す(ぶたをぬすんでほねをほどこす)
大きな悪事の償いとして、少しの善行をすることのたとえ。
釜中の魚(ふちゅうのうお)
危険が迫っていることも知らずにのんきにしていることのたとえ。また、死が迫っていることのたとえ。 やがて煮られることも知らずに魚が釜の中をのんびり泳いでいることから。 「釜中の魚」ともいう。
降って湧く(ふってわく)
物事が突然起こる。思いがけないときにあらわれる。
筆が立つ(ふでがたつ)
文章を書くのがうまいこと。
筆に任せる(ふでにまかせる)
形式などを考えず、思いついたままに文章を書くこと。
筆を入れる(ふでをいれる)
文章の足りない部分を書き足したり、不要な部分を取り除いたりすること。添削すること。
筆を擱く(ふでをおく)
文章を書くことを止めること。 または、最後まで書いてしまうこと。
筆を起こす(ふでをおこす)
文章を書き始めること。
筆を折る(ふでをおる)
文章や詩歌などを書くことをやめること。 文筆活動をやめること。
筆を加える(ふでをくわえる)
文章の足りない部分を書き足したり、不要な部分を取り除いたりすること。添削すること。
筆を染める(ふでをそめる)
文章などを書き始めること。 筆に墨などを含ませるという意味から。
筆を執る(ふでをとる)
文章や絵などを書くこと。
筆を揮う(ふでをふるう)
文字や絵などを書くこと。揮毫すること。
普天の下、率土の浜(ふてんのもと、そっとのひん)
全世界のこと。 「普天の下」は天の下、「率土の浜」は地の果てのこと。 「[[普天率土(ふてんそつど)*https://yoji.jitenon.jp/yojih/3845.html]]」ともいう。
太く短く(ふとくみじかく)
我慢して長く生きるよりも、やりたいことをやって楽しんで生きたほうがよいということ。 また、たとえ長生きできなくても楽しんで生きたいという態度のこと。
懐が暖かい(ふところがあたたかい)
手持ちの金銭が多くあること。
懐が寂しい(ふところがさびしい)
手持ちの金銭が少ないこと。 「懐が寂しい」ともいう。
懐が寒い(ふところがさむい)
手持ちの金銭が少ないこと。 「懐が寂しい」ともいう。
懐が深い(ふところがふかい)
度量が広いこと。包容力があること。 または、相撲で、胸が広くてまわしが掴みにくいこと。
懐を痛める(ふところをいためる)
必ずしも自分が支払う必要のない費用をあえて自分の金銭で支払うこと。
懐を肥やす(ふところをこやす)
不正をして個人的な利益を得ること。
船盗人を徒歩で追う(ふなぬすびとをかちでおう)
無駄な苦労のたとえ。また、適切ではない方法のたとえ。 船を盗んで海上を逃げる相手を、陸上から追いかけるとの意から。
鮒の仲間には鮒が王(ふなのなかまにはふながおう)
つまらない者の中では、やはりつまらない者が首領となることのたとえ。また、つまらない者たちの中にもそれにふさわしい首領がいるというたとえ。
腑に落ちない(ふにおちない)
納得できないこと。 「腑」は内臓のこと。転じて、心の意。 心に入ってこないという意味から。
舟に刻みて剣を求む(ふねにきざみてけんをもとむ)
古いしきたりや習わしにとらわれて、状況の変化に応じることができない愚かさのたとえ。 中国の楚の人が舟で長江を渡る途中に乗っている舟から剣を落としたため、慌てて舟べりに印をつけて、舟が岸に着いた後に印をつけた場所の川底を捜したという故事から。 「舟に刻(こく)して剣を求む」「剣を落として舟を刻む」「刻舟」ともいう。
舟に刻して剣を求む(ふねにこくしてけんをもとむ)
古いしきたりや習わしにとらわれて、状況の変化に応じることができない愚かさのたとえ。 中国の楚の人が舟で長江を渡る途中に乗っている舟から剣を落としたため、慌てて舟べりに印をつけて、舟が岸に着いた後に印をつけた場所の川底を捜したという故事から。 「舟に刻(こく)して剣を求む」「剣を落として舟を刻む」「刻舟」ともいう。
舟は船頭に任せよ(ふねはせんどうにまかせよ)
何事もその道の専門家に任せたほうがうまくいくというたとえ。 船に乗った時は、口出しせずに船頭に任せるのが一番よいとの意から。
船は帆でもつ、帆は船でもつ(ふねはほでもつ、ほはふねでもつ)
世の中は互いに助け合って成り立っているということ。 帆掛け船は帆がなければ進まず、帆は船があってこそのものとの意から。
舟は帆任せ、帆は風任せ(ふねはほまかせ、ほはかぜまかせ)
すべてを成り行きにまかせるしかない状態、また成り行きに任せたほうがうまくいくというたとえ。 帆掛け船は帆任せ、帆は風任せで進むとの意から。
不発に終わる(ふはつにおわる)
弾丸や爆弾などが発射されなかったり、爆発しなかったりすること。 または、予定していたものが行われないこと。
不評を買う(ふひょうをかう)
悪い評価を受けること。
不平を鳴らす(ふへいをならす)
不平を強く言い立てること。
父母の恩は山よりも高く海よりも深し(ふぼのおんはやまよりもたかくうみよりもふかし)
父母から受けた恩は広大で深いということ。 両親の愛情をたとえたもの。 「父母の恩は山よりも高く海よりも深し」ともいう。
踏み台にする(ふみだいにする)
目的のために一時的に利用すること。
文は遣りたし書く手は持たず(ふみはやりたしかくてはもたず)
恋文を書いて送りたいが文字が書けない、また代筆を頼むのも恥ずかしいと思い悩む心情をいう言葉。 「文は遣りたし書く手は持たぬ」ともいう。
文は遣りたし書く手は持たぬ(ふみはやりたしかくてはもたぬ)
恋文を書いて送りたいが文字が書けない、また代筆を頼むのも恥ずかしいと思い悩む心情をいう言葉。 「文は遣りたし書く手は持たぬ」ともいう。
冬編笠に夏頭巾(ふゆあみがさになつずきん)
物事が逆さまであることのたとえ。 冬に夏用の編み笠をかぶり、夏に冬用の頭巾をかぶるとの意から。
蜉蝣の一期(ふゆうのいちご)
人の一生がはかないことのたとえ。「蜉蝣」はカゲロウのことで、朝生まれて夕べには死ぬということから。
冬来りなば春遠からじ(ふゆきたりなばはるとおからじ)
つらく厳しい時期を耐え抜けば、その先には幸せが待っているというたとえ。 寒い冬が来たということは、遠くないうちに暖かい春もやってくるということから。 イギリスの詩人シェリーの「西風に寄せる歌」の一節から。
冬の雪売り(ふゆのゆきうり)
いくらでもあるものを売っても、買い手などいないというたとえ。
不用の用(ふようのよう)
役に立たないと思われているものが、実は重要な役割を果たしていたり、かえって役に立ったりすること。 「不用の用」ともいう。
降らぬ先の傘(ふらぬさきのかさ)
失敗しないように前もって準備することのたとえ。 雨が降る前から傘を用意するとの意から。 「降らぬ先の傘」ともいう。
振られて帰る果報者(ふられてかえるかほうもの)
降りかかる火の粉は払わねばならぬ(ふりかかるひのこははらわねばならぬ)
自分の身に危険が迫れば、積極的にその危険を退けなければならないというたとえ。自分の体に降りかかってくる火の粉は、払わなければ火傷してしまうということから。
振り出しに戻る(ふりだしにもどる)
始めの状態に戻ること。
古い友達と古い葡萄酒に勝るものなし(ふるいともだちとふるいぶどうしゅにまさるものなし)
古い葡萄酒はこくがあって美味しいように、古い友達も気心が知れ、信頼できてよいものだということ。
篩に掛ける(ふるいにかける)
多くのものをより分けて、よいものを選別する。
ブルータス、お前もか(ぶるーたす、おまえもか)
最も信頼していた相手に裏切られた時の嘆きの言葉。古代ローマの英雄カエサルが暗殺される時、相手の中にかわいがり心を許していたブルータスがいるのを見て発したとされる言葉。
古川に水絶えず(ふるかわにみずたえず)
栄えた旧家は、衰退してしまってもたやすく潰れることはないというたとえ。また、基礎のしっかりしたものは簡単には壊れないというたとえ。 水が枯れてしまったように見える古い川でも、川底では細々と流れが続いているとの意から。
古傷は痛み易い(ふるきずはいたみやすい)
古傷が季節の変わり目などによく痛むように、過去の悪事や過失も何かにつけて思い出され、心が痛むということ。
古木に手を掛くるな、若木に腰掛くるな(ふるきにてをかくるな、わかぎにこしかくるな)
将来性のないものにかかわりあうべきではなく、また将来性のあるものをあなどったり無理をさせたりしてはいけないというたとえ。 古い木は折れやすいので手をかけてはいけない、若い木は成長の妨げになるので腰掛けてはいけないとの意から。
故きを温ねて新しきを知る(ふるきをたずねてあたらしきをしる)
昔のことを研究し、そこから新しい知識や道理を発見すること。 「[[温故知新(おんこちしん)*https://yoji.jitenon.jp/yojic/1122.html]]」ともいう。
降れば必ず土砂降り(ふればかならずどしゃぶり)
不運が続くことのたとえ。 雨が降れば必ず土砂降りになるとの意から。
風呂敷を広げる(ふろしきをひろげる)
物事を実際よりも大げさに言う。
風呂と客は立ったが良い(ふろときゃくはたったがよい)
客は長居をせずに、早く帰るほうがよいということ。客が「立つ」と風呂が「たつ」を掛けていった言葉。
噴火山の上で踊る(ふんかざんのうえでおどる)
極めて危険な状態におかれていることに気がつかず、好き勝手なことをしていることのたとえ。 ナポレオン没落後のフランスで、貴族たちが毎夜のように舞踏会を開き、民衆の不満がつのり政情が悪かった時に、サルバンディ伯が言ったと伝えられる「我々は噴火山の上で踊っているのだ」という言葉から。
糞が出たが別が出ない(ふんがでたがべつがでない)
よい考えが浮かばない時におどけていう言葉。便所で考えるとよい考えが浮かぶといわれることから、「分別(ふんべつ)」の「分」と「糞」を掛けていった言葉。
刎頚の交わり(ふんけいのまじわり)
きわめて親しい交際のたとえ。 「刎頸」は首をはねること。 相手のためなら、たとえ首をはねられても後悔しないほどの交わりとの意から。 また、この交わりで結ばれた親友を「刎頸の友」という。
分相応に風が吹く(ぶんそうおうにかぜがふく)
人にはそれぞれの身分や地位に応じた生き方があるということ。
踏んだり蹴ったり(ふんだりけったり)
悪いことが続けて起こる様子。
褌一貫(ふんどしいっかん)
自分の体のほかには、資本となるものを持っていないこと。 「貫」は昔の貨幣の単位。銭一千文。 裸の身だけが唯一の資本との意から。 「腕一本」「褌一貫」ともいう。
文は人なり(ぶんはひとなり)
文章には、筆者の人柄がそのまま表れ、読めば筆者の人となりが推察出来るということ。
分別過ぐれば愚に返る(ふんべつすぐればぐにかえる)
あまり深く考え過ぎると、かえって失敗するということ。「分別」は思慮の意。
分別の上の分別(ふんべつのうえのふんべつ)
思慮の上に思慮を重ねるのがよいということ。「分別」は思慮の意。