「ひ」から始まる故事・ことわざ・慣用句一覧
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ことわざ一覧
贔屓の引き倒し(ひいきのひきたおし)
贔屓をしすぎるあまりに、かえってその人に迷惑をかけてしまうこと。
贔屓目に見る(ひいきめにみる)
実際よりも好意的に判断すること。
火打ち石据え石にならず(ひうちいしすえいしにならず)
小さいものでは大きいものの代わりにはならないというたとえ。火打ち石は火をおこすときは役立つが、家の土台石にはならないということ。
日が浅い(ひがあさい)
その状態になったり、その物事を始めたりしてからそれほど日が経っていないこと。
日が当たらない(ひがあたらない)
地位や環境などに恵まれないこと。
火が消えたよう(ひがきえたよう)
急激に活気を失って、寂しい様子になること。
非学者、論に負けず(ひがくしゃ、ろんにまけず)
無学な者は道理を知らず、がむしゃらに自分の説を主張してなかなか議論に負けない。だから道理のわからない者を相手に議論しても意味がないということ。
日陰の梨(ひかげのなし)
形が整っていても内容が悪いもののたとえ。日が当たらない場所で実った梨は形はまあまあでも味がよくないことから。
日陰の豆も時が来ればはぜる(ひかげのまめもときがくればはぜる)
人より成長が遅れていても年ごろになれば一人前になるから心配は要らないというたとえ。日陰で育った豆でも時期が来れば自然とさやからはじけ出るとの意から。
東に近ければ西に遠い(ひがしにちかければにしにとおい)
一方に都合よければ、他方には都合が悪く、どちらにも偏らないようにするのは難しいということのたとえ。また、あたりまえであることのたとえ。
東は東、西は西(ひがしはひがし、にしはにし)
東洋と西洋の文化は本質的に異なるということ。イギリスの詩人キプリングの言葉から。
日方と手間取りは日のうち(ひかたとてまどりはひのうち)
日雇いの仕事が夕方には終わるように、南風も夕方にはやむということ。「日方」は日のある方から吹く風。南西風、南東風のこと。「手間取り」は日雇い仕事のこと。
干潟の鰯(ひがたのいわし)
自滅するのを待つしかないことのたとえ。 干潟に取り残された鰯は死ぬしかないとの意から。
日が西から出る(ひがにしからでる)
ありえないことのたとえ。
光を和らげ塵に同ず(ひかりをやわらげちりにどうず)
才能や学徳を隠して、俗世で目立たないように暮らすこと。また、仏や菩薩が衆生を救うために、本来の姿を隠して、塵のような俗世に現れること。 「[[和光同塵*https://yoji.jitenon.jp/yoji/236.html]]」ともいう。
光るほど鳴らぬ(ひかるほどならぬ)
口うるさい人は案外怖くないということ。また、口で偉そうに言うものにかぎって意外に弱いということ。稲光がすごいわりには雷鳴が小さいとの意から。
引かれ者の小唄(ひかれもののこうた)
どうにもならずに切羽詰まった者が、負け惜しみで強がりを言い、平気なふりをすることのたとえ。「引かれ者」は、刑場へ連れて行かれる罪人のこと。引かれ者が平静を装い、強がりを見せて小唄を口ずさんだことから。
彼岸過ぎての麦の肥、三十過ぎての男に意見(ひがんすぎてのむぎのこえ、さんじゅうすぎてのおとこにいけん)
引き合いに出す(ひきあいにだす)
比べたり、参考にしたり、証拠にしたりするために、例として持ち出すこと。
引き金になる(ひきがねになる)
ある物事が起こる直接の原因になること。 「引き金」は銃などで弾丸を発射するための金具。
蟇の息さえ天に昇る(ひきのいきさえてんにのぼる)
誰でも一心に事を行えば望みを遂げられるということ。 「蟇」は、ヒキガエルの別名。 一心に努力すればヒキガエルのような弱い生き物の吐息も、天まで届かせることができるとの意から。
引きも切らず(ひきもきらず)
途切れることなく続く様子。絶え間なく。
飛脚に三里の灸(ひきゃくにさんりのきゅう)
勢いのあるものにさらに勢いをつけるたとえ。「三里」は、膝頭の下の灸点で、ここに灸をすえると足を丈夫にするといわれている。足の速い飛脚が三里に灸をすえれば、さらに足が強くなることから。
低き所に水溜まる(ひくきところにみずたまる)
水が低い所に溜まるように、利益のある所に自然と人が集まるということ。
びくともしない(びくともしない)
その物に何をしても少しも動かないこと。 または、何があっても動揺したり、驚いたりしないこと。
比丘尼に笄(びくににこうがい)
不必要なこと。また、不似合いなことのたとえ。「比丘尼(びくに)」は仏門に入った女性、「笄」は髪飾りの一種。髪のない比丘尼に髪飾りは必要ないことから。
引くに引けない(ひくにひけない)
引き下がりたいと思っても、立場や状況などから簡単には引き下がれない状態にあること。
日暮れて途遠し(ひくれてみちとおし)
年老いてしまったのに、まだ目的を達するまでには程遠いことのたとえ。また、期限が迫っているのに、仕事が片付かないことのたとえ。
卑下も自慢のうち(ひげもじまんのうち)
表面では謙遜しているふりをしながら、内心では人をうらやましがらせることを意図して話す様子。過度の謙遜は自慢の一種であるということ。
引けを取る(ひけをとる)
相手に負けること。 または、相手よりも劣ること。
膝が抜ける(ひざがぬける)
着物やズボンなどの膝の部分が薄くなったり、穴が開いたりすること。 または、膝に力が入らなくなること。
膝が笑う(ひざがわらう)
歩き疲れたりして膝に力が入らなくなり、がくがくすること。
庇を貸して母屋を取られる(ひさしをかしておもやをとられる)
一部を貸したために、あとで全部を奪われてしまうことになるたとえ。また、恩を仇で返されることのたとえ。
膝っ子に目薬(ひざっこにめぐすり)
はなはだしい見当違いのたとえ。努力しても無駄なことのたとえ。 膝に目薬をさしても効果がないことから。 「尻に目薬」「目薬を尻へさす」「疝気さ目薬」ともいう。
膝とも談合(ひざともだんごう)
困ったときには相手を選ばずに相談したほうがよい、頼りにならないような相手でも何かしらの役には立つということ。 困り果てたときには、自分の膝でさえ相談相手になるとの意から。
膝を打つ(ひざをうつ)
何か思いついたり、感心したりした時に行う動作。
膝を折る(ひざをおる)
負けを認めて相手に従うこと。屈服すること。 膝を折り曲げて身を低くするということから。
膝を崩す(ひざをくずす)
正座をやめて、楽な座り方に変えること。
膝を屈する(ひざをくっする)
負けを認めて相手に従うこと。屈服すること。 膝を折り曲げて身を低くするということから。
膝を進める(ひざをすすめる)
座ったまま相手に近づくこと。身を乗り出すこと。 または、相手の提案などに強く興味を持って乗り気になること。
膝を正す(ひざをただす)
正しい姿勢で座ること。 または、改まった態度をとること。
膝を乗り出す(ひざをのりだす)
相手の提案などに興味をひかれて乗り気になること。
膝を交える(ひざをまじえる)
同じ席で親しく話すこと。親しく語り合うこと。
肘鉄砲を食う(ひじでっぽうをくう)
誘いや申し出を拒絶されること。 「肘鉄砲」は肘で突きのけること。転じて、誘いや申し込みをはねつけること。 「食う」は受けること。 「ひじでっぽう」は「ひじてっぽう」ともいう。 また、略して「肘鉄を食う」「肘を食う」ともいう。
肘鉄砲を食わす(ひじでっぽうをくわす)
誘いや申し出を拒絶すること。 「肘鉄砲」は肘で突きのけること。転じて、誘いや申し込みをはねつけること。 「食わす」は、くらわすこと、与えること。 「ひじでっぽう」は「ひじてっぽう」ともいう。 また、「肘鉄砲を食わせる」「肘を食わせる」ともいう。
肘鉄砲を食わせる(ひじでっぽうをくわせる )
誘いや申し出を拒絶すること。 「肘鉄砲」は肘で突きのけること。転じて、誘いや申し込みをはねつけること。 「食わす」は、くらわすこと、与えること。 「ひじでっぽう」は「ひじてっぽう」ともいう。 また、「肘鉄砲を食わせる」「肘を食わせる」ともいう。
肘鉄を食う(ひじてつをくう)
誘いや申し出を拒絶されること。 「肘鉄砲」は肘で突きのけること。転じて、誘いや申し込みをはねつけること。 「食う」は受けること。 「ひじでっぽう」は「ひじてっぽう」ともいう。 また、略して「肘鉄を食う」「肘を食う」ともいう。
秘事は睫(ひじはまつげ)
目のすぐそばにある睫が見えないように、秘事・秘伝は案外身近にあるが、容易に気がつかないものだということ。
美女舌を破る(びじょしたをやぶる)
君主が美女に惑わされて、いさめる忠臣の言葉も聞き入れられないということ。
美女は悪女の敵(びじょはあくじょのかたき)
優れた者が劣った者から逆恨みされることのたとえ。「悪女」は、不美人の意。世の中に美人がいるから、醜い女性の肩身が狭くて、不幸な目に遭うと思い込んだ不美人が、美人を恨むということから。
肘を食う(ひじをくう)
誘いや申し出を拒絶されること。 「肘鉄砲」は肘で突きのけること。転じて、誘いや申し込みをはねつけること。 「食う」は受けること。 「ひじでっぽう」は「ひじてっぽう」ともいう。 また、略して「肘鉄を食う」「肘を食う」ともいう。
肘を食わせる(ひじをくわせる)
誘いや申し出を拒絶すること。 「肘鉄砲」は肘で突きのけること。転じて、誘いや申し込みをはねつけること。 「食わす」は、くらわすこと、与えること。 「ひじでっぽう」は「ひじてっぽう」ともいう。 また、「肘鉄砲を食わせる」「肘を食わせる」ともいう。
美人というも皮一重(びじんというもかわひとえ)
美人かどうかは体を包む皮一枚のことで、人間の本質には関係がない。人を外見だけで判断してはいけないということ。
美人に年なし(びじんにとしなし)
美しい女性は、まるで年をとらないかのように、何歳になっても若く美しく見えるということ。
美人の終わりは猿になる(びじんのおわりはさるになる)
美人は言わねど隠れなし(びじんはいわねどかくれなし)
美人の存在は、自分から吹聴しなくても自然と世間に知れ渡るということ。
日、西山に薄る(ひ、せいざんにせまる)
年老いて、死期が間近に迫っていることのたとえ。太陽が西の山に今にも沈もうとしている意から。
尾生の信(びせいのしん)
固く約束を守ることのたとえ。また、生真面目で融通がきかないことのたとえ。 中国の春秋時代、魯の尾生という男が、橋の下で女と会う約束をして待っているうちに大雨で増水したが、そのまま待ち続けて水死したという故事から。
鼻祖(びそ)
物事を最初に始めた人のこと。元祖。中国で、胎内ではまず鼻から形作られるとされていたことから。
ひそかに諌めて公に褒めよ(ひそかにいさめておおやけにほめよ)
人を叱ったり注意したりする時は、他の人の居ないところで行い、褒める時はみんなの前で行えということ。人の心を傷つけず、やる気にさせるには、それが良い方法だということ。
顰みに倣う(ひそみにならう)
事の良し悪しを考えず、むやみに人の真似をするたとえ。また、人に倣って物事をすることを謙遜していう言葉。 「顰」は、眉をひそめること。 中国の越の西施(せいし)という美女が胸の病気の痛みで顔をしかめたところ、それを見た醜女が自分も顔をしかめれば美しく見えるかと思い、真似をして眉をひそめたという故事から。 「西施の顰みに倣う」「顰みを学ぶ」ともいう。
顰みを学ぶ(ひそみをまなぶ)
事の良し悪しを考えず、むやみに人の真似をするたとえ。また、人に倣って物事をすることを謙遜していう言葉。 「顰」は、眉をひそめること。 中国の越の西施(せいし)という美女が胸の病気の痛みで顔をしかめたところ、それを見た醜女が自分も顔をしかめれば美しく見えるかと思い、真似をして眉をひそめたという故事から。 「西施の顰みに倣う」「顰みを学ぶ」ともいう。
鐚一文(びたいちもん)
ごくわずかな金のこと。「鐚」は、「鐚銭」の略で質の悪い銭の意。
額に汗する(ひたいにあせする)
頑張って仕事に取り組むこと。
額に皺を寄せる(ひたいにしわをよせる)
深く考え込む様子。
額に八の字を寄せる(ひたいにはちのじをよせる)
機嫌が悪かったり、悩んだりしている様子。 眉を八の字の形にすることから。 「八の字を寄せる」ともいう。
尾大掉わず(びだいふるわず)
上に立つ者より下の者の勢いが強く、制御しにくいことのたとえ。 尾があまりに大きいと、自由に動かせないとの意から。
額を集める(ひたいをあつめる)
関係者が集まって話し合いをすること。
左団扇(ひだりうちわ)
利き手ではない左手に団扇を持ってゆうゆうとあおぐことから、気楽でゆとりのある暮らしのたとえ。 一般的には利き手ではない左手に団扇を持つことで苦労がない様子を表した言葉。
左褄を取る(ひだりづまをとる)
芸者になること。芸者が左手で着物の褄(つま)を持って歩くところから。
左は勝手、右は得手(ひだりはかって、みぎはえて)
何でも巧みにやれることのたとえ。「勝手」は自由に使いこなせること、「得手」は得意とすること。左手も右手も自由自在に使えるということから。
左鮃右鰈(ひだりひらめみぎかれい)
鮃と鰈の見分け方をいったもの。目がからだの左側にあるのが鮃で、右側にあるのが鰈だということ。
左前(ひだりまえ)
商売などが不振で経済的に苦しくなること。また、左の衽(おくみ)を内側にして和服を着ること。
ひだるい時にまずい物なし(ひだるいときにまずいものなし)
空腹の時は、どんな食べ物でもおいしく感じるということ。 「ひもじい時にまずい物なし」「ひだるい時にまずい物なし」ともいう。
ひだるさ欠伸、寒さ小便(ひだるさあくび、さむさしょうべん)
寒い時にはやたらと小便がしたくなり、空腹の時にはしきりに欠伸が出るということ。 「ひだるい」は、空腹であること。 「ひだるさ欠伸、寒さ小便」ともいう。
引っ越し三両(ひっこしさんりょう)
引っ越しをすれば、いろいろと費用がかかるということ。
引っ越し貧乏(ひっこしびんぼう)
何度も引っ越しをして、その費用で貧しくなること。
羊をして狼に将たらしむ(ひつじをしておおかみにしょうたらしむ)
羊を以て牛に易う(ひつじをもってうしにかう)
小さな物を大きな物の代わりにするたとえ。また、本質に変わりがないが、工夫して少しでも良くしようとするたとえ。いけにえの牛をあわれんで羊を代用するということから。
筆舌に尽くし難い(ひつぜつにつくしがたい)
文章でも言葉でも十分に表現できないということ。「筆舌」は、文章と言葉の意。
ひっちゃかめっちゃか(ひっちゃかめっちゃか)
物事が酷く混乱している様子。めちゃくちゃ。
ピッチを上げる(ぴっちをあげる)
仕事や作業などの速度や能率をよりよくすること。
匹夫罪なし璧を懐いて罪あり(ひっぷつみなしたまをいだいてつみあり)
身分不相応なものを手にすると、災いを招いてしまうということ。 「小人」は凡人のこと。 凡人であることに罪はないが、凡人には不相応な宝玉を持ってしまうとその宝玉が災いを招く原因になるとの意から。 「小人」は「匹夫(ひっぷ)」とも、また単に「璧を懐いて罪あり」ともいう。
匹夫の勇(ひっぷのゆう)
物事を深く考えていない、一時の感情に任せた軽率な勇気のこと。 「匹夫」は身分の低い人や教養のない人。転じて軽率な人のこと。 「小人の勇」ともいう。
匹夫も志を奪うべからず(ひっぷもこころざしをうばうべからず)
どんなに身分の低い者でも、意思が堅ければ、誰もその志を変えさせることは出来ないということ。人の志は尊重すべきだということ。「匹夫」は、身分の低い男の意。
必要の前に法律なし(ひつようのまえにほうりつなし)
必要に迫られた緊急事態の時は、法律など気にしていられないということ。
必要は発明の母(ひつようははつめいのはは)
発明は必要に迫られるからこそ生まれるということ。
旱に雨(ひでりにあめ)
待ち望んでいたことが、やっと実現することのたとえ。 日照り続きの時に降る待望の雨との意から。
人当たりがいい(ひとあたりがいい)
人と接する態度がよく、相手にいい印象をあたえること。
人ある中に人なし(ひとあるなかにひとなし)
世の中に人間はたくさんいるが、役に立つ立派な人間はなかなかいないということ。
一泡吹かせる(ひとあわふかせる)
不意をついて、相手を驚き慌てさせること。
一息入れる(ひといきいれる)
物事の途中で少し休むこと。
人一寸(ひといっすん)
身長差は、少しの違いでもかなり違っているように見えるということ。
人衆ければ則ち狼を食らう(ひとおおければすなわちおおかみをくらう)
多数の力が強大であることのたとえ。 人数が多ければ、一人では到底勝てない狼をも倒して食ってしまうとの意から。
人衆ければ天に勝つ(ひとおおければてんにかつ)
人の勢力が強い時は、道理に背いても、一時的には天の理に勝つこともあるということ。
人が変わる(ひとがかわる)
それまでと別の人であるかのように、性格や顔つき、人柄などが変わること。
人噛み馬にも合い口(ひとかみうまにもあいくち)
乱暴者にも頭の上がらない相手や気の合った者がいるように、どんな人間にもその人に合った相手がいることのたとえ。 人に噛み付く癖のある馬でも、相性のいい乗り手に対してはおとなしいことから。 「人噛み馬にも合い口」「人食らい馬にも合い口」ともいう。
人が悪い(ひとがわるい)
人が困ることをして喜ぶような性格。意地の悪い性格。
人聞きが悪い(ひとぎきがわるい)
よその人に聞かれた誤解を招く恐れがあるさま。
人食い馬にも合い口(ひとくいうまにもあいくち)
乱暴者にも頭の上がらない相手や気の合った者がいるように、どんな人間にもその人に合った相手がいることのたとえ。 人に噛み付く癖のある馬でも、相性のいい乗り手に対してはおとなしいことから。 「人噛み馬にも合い口」「人食らい馬にも合い口」ともいう。
人屑と縄屑は余らぬ(ひとくずとなわくずはあまらぬ)
縄の切れ端でも何かの役に立つように、つまらない人間のようでも、その能力に応じて使い道があるということ。
一癖も二癖もある(ひとくせもふたくせもある)
性格などが普通とは違っていて、油断ならない雰囲気を感じさせる様子。
一口に言う(ひとくちにいう)
短い言葉で伝えること。手短に言うこと。
一口乗る(ひとくちのる)
複数の人で行う儲け話などに加わること。
一口物に頬焼く(ひとくちものにほおやく)
ちょっとしたことに手を出して、意外な失敗をすることのたとえ。 一口で食べられるような食べ物で、口の中をやけどすることから。
人食らい馬にも合い口(ひとくらいうまにもあいくち)
乱暴者にも頭の上がらない相手や気の合った者がいるように、どんな人間にもその人に合った相手がいることのたとえ。 人に噛み付く癖のある馬でも、相性のいい乗り手に対してはおとなしいことから。 「人噛み馬にも合い口」「人食らい馬にも合い口」ともいう。
人肥えたるが故に貴からず(ひとこえたるがゆえにたっとからず)
人間の価値は、外見ではなく内面で決まるということ。見かけより実質が重要であるということのたとえ。
人こそ人の鏡(ひとこそひとのかがみ)
他人は自分の姿を映す鏡のようなものであるから、他人の言動を見て自分の行いを正す手本にせよということ。
人事言えば影が差す(ひとごといえばかげがさす)
噂をしていると、不思議と噂の当人がその場に現れるということ。 略して「噂をすれば影」とも、「人事言えば影が差す」いう。
人事言わば筵敷け(ひとごといわばむしろしけ)
噂をすれば、その当人が現れることがよくあるから、その人の席を用意しておいたほうがいいということ。軽々しく噂話をするものではないという戒めの言葉。
一言多い(ひとことおおい)
言う必要のない余計な事を言うこと。
人盛んにして神祟らず(ひとさかんにしてかみたたらず)
人の運勢が盛んな時は、神仏でもこれをとどめることが出来ないということ。
人酒を飲む、酒酒を飲む、酒人を飲む(ひとさけをのむ、さけさけをのむ、さけひとをのむ)
酒の飲み始めは人に自制する心があるが、そのうちに惰性で酒を飲むようになり、やがては酒に飲まれて乱れてしまうということ。酒はほどほどに飲めという戒めの言葉。
一芝居打つ(ひとしばいうつ)
作り事を言ったり、見せたりして人を騙そうとすること。
一筋縄では行かない(ひとすじなわではいかない)
普通のやり方では思うようにいかない、うまく対処できないこと。 「一筋縄」は一本の縄のことで、普通のやり方のたとえ。 一本の縄だけでは対処できず、二本、三本と使うような状態との意から。
一筋の矢は折るべし十筋の矢は折り難し(ひとすじのやはおるべしとすじのやはおりがたし)
一人の力は弱くても、大勢が力を合わせれば強大な力を発揮できるということ。 一本の矢は簡単に折ることができるが、十本では折るのは難しいとの意から。
一つ穴の狐(ひとつあなのきつね)
一見無関係のように見えて、実は同類・仲間であることのたとえ。 多くは悪事をはたらく仲間のことをいう。 「同じ穴」は「一つ穴」とも、「貉」は「狸」「狐」ともいう。
一つ穴の狸(ひとつあなのたぬき)
一見無関係のように見えて、実は同類・仲間であることのたとえ。 多くは悪事をはたらく仲間のことをいう。 「同じ穴」は「一つ穴」とも、「貉」は「狸」「狐」ともいう。
一つ穴の貉(ひとつあなのむじな)
一見無関係のように見えて、実は同類・仲間であることのたとえ。 多くは悪事をはたらく仲間のことをいう。 「同じ穴」は「一つ穴」とも、「貉」は「狸」「狐」ともいう。
一つ余って大津へ戻る(ひとつあまっておおつへもどる)
一つ鏡に二つ顔(ひとつかがみにふたつかお)
一つ釜の飯を食う(ひとつかまのめしをくう)
同じ職場で働いたり苦楽を共にしたりすること。また、そのように過ごす親しい仲間のこと。 「一つ釜の飯を食う」ともいう。
一つ事は同じ事(ひとつことはおなじこと)
言い方を変えてみても、結局言っていることは同じ事だということ。わかりきっている、という気持ちを表す言葉としても使う。
一粒の麦(ひとつぶのむぎ)
人々を幸福にするために、自ら進んで犠牲になる人のたとえ。また、その行為のこと。一粒の麦が地に落ちることによって多くの実を結び、永遠の命を得ると説いたキリストの言葉から。
一つ間違えば(ひとつまちがえば)
一つでも悪いことがあれば最悪の事態になる可能性があることを表す言葉。
一つ屋根の下に住む(ひとつやねのしたにすむ)
同じ家で共に暮らすこと。
一つよければまた二つ(ひとつよければまたふたつ)
人間の欲望には限りがないということ。 一つ願いが叶えば、もう一つ、さらにもう一つと欲が出て満足することがないとの意から。
人と入れ物は有り合わせ(ひとといれものはありあわせ)
人と器物は多いほうが便利だが、たとえ少なくてもうまく使えばなんとかなるということ。 「人と入れ物は有り次第」ともいう。
人と入れ物は有り次第(ひとといれものはありしだい)
人と器物は多いほうが便利だが、たとえ少なくてもうまく使えばなんとかなるということ。 「人と入れ物は有り次第」ともいう。
人通りに草生えず(ひとどおりにくさはえず)
よく使っている道具はさびつかないというたとえ。 人の通りが多い道には雑草が生えないとの意から。 「繁盛の地に草生えず」ともいう。
一時違えば三里の遅れ(ひとときちがえばさんりのおくれ)
少しの間でもぐずぐずしていると、たちまち大きな差が開くということ。 「一時」は約二時間、「三里」は約十二キロメートル。 一時遅れると、旅程に三里の遅れが出るとの意から。 「ひととき」は「いっとき」ともいう。 また「一時三里」ともいう。
人と煙草の良し悪しは煙になって後の世に出る(ひととたばこのよしあしはけむりになってのちのよにでる)
人と屏風は直ぐには立たぬ(ひととびょうぶはすぐにはたたぬ)
屏風は折り曲げないと立たないように、人も真っ正直なだけでは世の中を渡っていくことはできないということ。
人に勝たんと欲する者は必ず先ず自ら勝つ(ひとにかたんとほっするものはかならずまずみずからかつ)
人に勝とうと思うなら、まず自分自身の色々な欲望に打ち勝つ必要があるということ。
人に七癖、我が身に八癖(ひとにななくせ、わがみにやくせ)
他人の癖は目につきやすが、自分の癖にはなかなか気がつかないから自戒せよということ。
人には飽かぬが病に飽く(ひとにはあかぬがやまいにあく)
長わずらいの病人が、看病する人や周囲の人から嫌がられることをいう言葉。病人に飽きたわけではないが、病気に飽き飽きしてしまったということ。
人には添うてみよ馬には乗ってみよ(ひとにはそうてみようまにはのってみよ)
何事も経験してみなければわからないということ。 いい馬かどうかはその馬に乗ってみないとわからないし、人間の善し悪しも付き合ってみなければわからないことから。 「人には添うてみよ馬には乗ってみよ」ともいう。
人に一癖(ひとにひとくせ)
どんな人間でも、必ず一つぐらいは癖があるということ。
人に施しては慎みて念うこと勿れ(ひとにほどこしてはつつしみておもうことなかれ)
他人に与えた恩恵のことは、恩着せがましくならないように、早くその事を忘れるように心がけよということ。
人の過ち我が幸せ(ひとのあやまちわがしあわせ)
口には出せないが、他人の失敗は、自分には幸せなのだということ。
人の意見は四十まで(ひとのいけんはしじゅうまで)
40歳を過ぎた人間に意見をしても効果がないということ。また、それくらいの年齢になると、本人の考えを尊重すべきであるということ。
人の痛いのは三年でも辛抱する(ひとのいたいのはさんねんでもしんぼうする)
他人の苦痛は自分とは無関係だから平気であるということ。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し(ひとのいっしょうはおもにをおうてとおきみちをゆくがごとし)
人生は長く苦しいものだから、辛抱強く努力を重ねて着実に進んでいかなければならないという教え。徳川家康の遺訓から。
人の一寸、我が一尺(ひとのいっすん、わがいっしゃく)
人の欠点は少しのことでも目につくが、自分の欠点はどんなに大きくても気がつかないというたとえ。
人の初事は咎めぬもの(ひとのういごとはとがめぬもの)
初恋に悩む人間の言葉は、たとえ誤りがあっても、咎めたりしないものだということ。「初言」は初めて言う言葉。転じて、初めて恋人に語りかける言葉。
人の噓は我が嘘(ひとのうそはわがうそ)
人の受け売りで話をすると、もしその話が嘘だった時は、自分が嘘をついたことになる。人の話を簡単に受け売りするなということ。
人の生まるるや憂いと倶に生まる(ひとのうまるるやうれいとともにうまる)
人間は生まれる時から心配ごとがつきまとい、一生心配事の連続であるということ。
人の噂は倍になる(ひとのうわさはばいになる)
噂話は、事実よりずっと大げさに伝わるということ。
人の噂も七十五日(ひとのうわさもしちじゅうごにち)
世間の噂は長く続かず、やがて忘れられるということ。 噂話も75日もすれば治まり、忘れられてしまうとの意から。
人の噂を言うは鴨の味(ひとのうわさをいうはかものあじ)
人の悪口を言ったり噂話をしたりする楽しさを、おいしい食べ物の代表とされる鴨の肉にたとえた言葉。 「鴨(かも)」は「雁(がん)」とも、また「人の噂を言うは鴨の味」ともいう。
人の踊る時は踊れ(ひとのおどるときはおどれ)
みんなが何かする時は自分も一緒にやるほうがよいということ。
人の口に戸は立てられぬ(ひとのくちにとはたてられぬ)
世間の噂話は止めることができないということ。 「立てる」は閉めることで、「閉てる」とも書く。 「開いた口に戸は立てられぬ」「世間の口に戸は立てられぬ」ともいう。
人の苦楽は壁一重(ひとのくらくはかべひとえ)
壁一つ隔てただけで隣の様子がわからないように、他人の苦しみや楽しみは他人事で自分とはなんの係わりもないということ。
人の心は面の如し(ひとのこころはおもてのごとし)
人の顔がひとりひとり違うように、人の心もそれぞれ異なるということ。 「人心の同じからざるは其の面の如し」ともいう。
人の心は九合十合(ひとのこころはくごうじゅうごう)
人間の考えることはどれも似たようなもので、大きな差はないということ。 「人の心は九合十合」「世の中の人の心は九合十合」ともいう。
人の心は九分十分(ひとのこころはくぶじゅうぶ)
人間の考えることはどれも似たようなもので、大きな差はないということ。 「人の心は九合十合」「世の中の人の心は九合十合」ともいう。
人の事は我の事(ひとのことはわれのこと)
人ごとと思っている他人の不幸も、いつか自分の身におこらないとも限らないということ。
人の事より我が事(ひとのことよりわがこと)
人の世話を焼くより、まず自分の事をしっかりせよということ。
人の子の死んだより我が子の転けた(ひとのこのしんだよりわがこのこけた)
他人の子どもが死んだことよりも、自分の子が転んだことのほうが重要だということ。我が子の大事さのたとえ。また、自分の利益が一番大事ということのたとえ。
人の牛蒡で法事する(ひとのごぼうでほうじする)
人の物を利用して自分の義理を果たすことのたとえ。 他人が持ってきた牛蒡を使って精進料理を作り、法事のもてなしをすることから。
人の七難は見ゆれど我が十難は見えず(ひとのしちなんはみゆれどわがじゅうなんはみえず)
人の欠点は少しのことでも気がつくが、自分の欠点はなかなか気がつかないということ。 「難」は欠点のこと。 「人の七難より我が八難」「人の七難は見ゆれど我が十難は見えず」ともいう。
人の七難より我が十難(ひとのしちなんよりわがじゅうなん)
人の欠点は少しのことでも気がつくが、自分の欠点はなかなか気がつかないということ。 「難」は欠点のこと。 「人の七難より我が八難」「人の七難は見ゆれど我が十難は見えず」ともいう。
人の七難より我が八難(ひとのしちなんよりわがじゅうなん)
人の欠点は少しのことでも気がつくが、自分の欠点はなかなか気がつかないということ。 「難」は欠点のこと。 「人の七難より我が八難」「人の七難は見ゆれど我が十難は見えず」ともいう。
人の十難より我が一難(ひとのじゅうなんよりわがいちなん)
人の身に起こった多くの災難より、自分の身に起きた小さな災難のほうが大ごとだということ。
人の疝気を頭痛に病む(ひとのせんきをずつうにやむ)
自分には関係のない物事で、いらぬ心配をすることのたとえ。 「疝気」は漢方で腰・下腹部の病気のこと。 他人の疝気を心配して自分が頭痛になることから。 「人の疝気を頭痛に病む」「隣の疝気を頭痛に病む」ともいう。
人の空言は我が空言(ひとのそらごとはわがそらごと)
他人の話を受け売りすると、もしその話が嘘だった時は、自分が嘘をついたのと同じことになる。人の話を簡単に受け売りするなという戒めの言葉。「空言」は何の根拠もない噂のこと。
人の宝を数える(ひとのたからをかぞえる)
自分には何の得にもならないことのたとえ。 「他人の宝を数える」「隣の宝を数える」「隣の家の宝を数える」ともいう。
人の棚卸しをする(ひとのたなおろしをする)
人の欠点などを一つ一つ数え上げて批判すること。 「棚卸し」は、決算などのため、商品や原材料などの数量を確かめて評価すること。
人の頼まぬ経を読む(ひとのたのまぬきょうをよむ)
頼まれもしないのによけいな手出しをするたとえ。ひとの迷惑も考えずにでしゃばるたとえ。
人の情けは世にある時(ひとのなさけはよにあるとき)
世間の人が好意を示してくれるのは、こちらの羽振りがよく栄えている間だけで、落ち目になると誰も見向きもしないということ。
人の女房と枯れ木の枝ぶり(ひとのにょうぼうとかれきのえだぶり)
どうでもいいことのたとえ。また、良し悪しをとやかく言うべきでないことのたとえ。人の妻のことや枯れ木の枝ぶりは、あれこれ言ってもしようがないことから。
人の蠅を追うより己の蠅を追え(ひとのはえをおうよりおのれのはえをおえ)
他人のことをあれこれ言う前に、まずは自分の問題を始末せよということ。 他人にたかる蠅を追い払うより、まずは自分にたかる蠅を追い払えとの意から。 単に「己の頭の蠅を追え」とも、「我が頭の蠅を追え」ともいう。
人の花は赤い(ひとのはなはあかい)
他人の物はなんでもよく見えるというたとえ。 人の家に咲いている花は、自分の家の花より赤く見えるとの意から。
人のふり見て我がふり直せ(ひとのふりみてわがふりなおせ)
人の行いの善し悪しを見て、自分の行いを反省して改めよということ。「ふり」は、形(なり)振り・振る舞いの意。
人の褌で相撲を取る(ひとのふんどしですもうをとる)
人の物を利用して自分の利益を図ることのたとえ。 自分の褌を使わず、人の褌を借りて相撲をとることから。
人の将に死なんとするその言や善し(ひとのまさにしなんとするそのげんやよし)
人が死に際に語る言葉は真実で純粋なものであるということ。
人の物より自分の物(ひとのものよりじぶんのもの)
どんなに良くても他人の物よりは、多少劣っていても自分の物のほうがよいということ。
人は石垣人は城(ひとはいしがきひとはしろ)
人は一代、名は末代(ひとはいちだい、なはまつだい)
人のからだは死ねば滅びてしまうが、その人の名は後世にまで残るので、死後に名前を残すような立派なことをせよということ。
人は落ち目が大事(ひとはおちめがだいじ)
人が落ちぶれた時こそ、見捨てずに援助や励ましを与えべきだということ。また、落ち目になった時こそ大事な時であるから、言動に注意すべきだということ。
人は陰が大事(ひとはかげがだいじ)
人間は人目に付く所の行動だけでなく、他人の見ていない所での行動が大事だということ。
人は堯舜にあらず、何ぞ事事によく善を尽くさん(ひとはぎょうしゅんにあらず、なんぞことごとによくぜんをつくさん)
人はしれぬもの(ひとはしれぬもの)
人は善悪の友による(ひとはぜんあくのともによる)
人はつきあう友人次第で、善くも悪くもなるということ。 「人は善悪の友による」ともいう。
一旗揚げる(ひとはたあげる)
新たに事業などを起こすたとえ。
一肌脱ぐ(ひとはだぬぐ)
相手を助けるために本気で力を貸すことのたとえ。 仕事をするときの姿、衣服の袖から腕を抜いて上半身の肌をあらわにする「肌脱ぎ」になることから力を尽くすことを意味する。
人は足るを知らざるを苦しむ(ひとはたるをしらざるをくるしむ)
人間の欲望には際限がなく、そのために苦しむということ。
人はパンのみにて生くるにあらず(ひとはぱんのみにていくるにあらず)
人間は物質的満足だけを目的として生きるものではないということ。
人は万物の尺度なり(ひとはばんぶつのしゃくどなり)
この世のすべての物事は、個々の人間の感覚を基準として測られるものであるということ。 ギリシャの哲学者プロタゴラスの言葉から。 「人は万物の尺度なり」ともいう。
人は見かけによらぬもの(ひとはみかけによらぬもの)
人の性質や能力は外見だけでは判断しにくく、外見と中身は往々にして異なることが多いので、外見だけで軽々しく判断してはいけないということ。
人は見目よりただ心(ひとはみめよりただこころ)
人は外見の美しさよりも、心の美しいことのほうが大切だということ。 「見目」は見た様子、顔立ちのこと。 単に「見目より心」ともいう。
人は病の器(ひとはやまいのうつわ)
人はいろいろな病気にかかりやすく、まるで病の入れ物みたいであるということ。
人は悪かれ我善かれ(ひとはわるかれわれよかれ)
他人がどんなひどい目に遭っても、自分さえよければいいということ。人間は利己的なものだということ。また、そういう人間をあざけっても使う。
人一盛り(ひとひとさかり)
人の盛んな時は、ほんの一時にすぎないということ。
人、木石に非ず(ひと、ぼくせきにあらず)
感情を持たない木や石とは違い、人は喜怒哀楽をさまざまな形で表す感情豊かな動物であるということ。 「人は岩木に非ず」ともいう。
瞳を凝らす(ひとみをこらす)
瞬きせずに一つの所を集中して見ること。
人目に余る(ひとめにあまる)
言動や服装などが目立ちすぎること。または、そのために周りを不快な気持ちにさせること。
人目に立つ(ひとめにたつ)
他のものとはっきりとした違いがあって際立ってみえること。目立つこと。
人目を忍ぶ(ひとめをしのぶ)
他人に見つからないように密かに行動すること。
人目を盗む(ひとめをぬすむ)
他人に見つからないようにこっそりと行うこと。
人目を憚る(ひとめをはばかる)
人に知られると困る事情があるために人に見られることを避けること。
人目を引く(ひとめをひく)
服装や態度などが目立っていて注目を集めること。
一役買う(ひとやくかう)
ある役目を自ら引き受けること。
一山当てる(ひとやまあてる)
投機などで大きな利益を得ること。
一人口は食えぬが二人口は食える(ひとりぐちはくえぬがふたりぐちはくえる)
結婚して二人で暮らせば節約できることが多くなり、無駄が多くなりがちな一人暮らしよりも経済的であるということ。 「二人口は過ごせるが一人口は過ごせぬ」ともいう。
独り自慢の褒め手なし(ひとりじまんのほめてなし)
ほめてくれる人がいないので、ただ独り自分で自慢をするということ。
一人相撲を取る(ひとりずもうをとる)
相手や周囲のことを考えずに自分独りで気負いこんで事を行うこと。また、それが徒労に終わるたとえ。
一人の文殊より三人のたくらだ(ひとりのもんじゅよりさんにんのたくらだ)
優れた人物が一人で考えるより、愚か者でも何人かで考えたほうが良い考えが浮かぶことのたとえ。 「文殊」は知恵をつかさどる菩薩のこと。 「たくらだ」はじゃこう鹿に似た獣。じゃこう鹿を狩る時に、猟師が飛び出してきたたくらだを誤って狩ったことから、自分に無関係なことで死んだり傷ついたりする者のこと。転じて、愚か者・まぬけのことをいう。
一人娘と春の日はくれそうでくれぬ(ひとりむすめとはるのひはくれそうでくれぬ)
一人娘は親が惜しがり、なかなか嫁に出さないというたとえ。春の日は暮れそうで暮れないことから「暮れる」と嫁に「くれる」をかけたもの。
人を射んとせば先ず馬を射よ(ひとをいんとせばまずうまをいよ)
何かを達成したり手に入れたりしようとするときには、まずは周囲にあるものから狙うのがよいというたとえ。 敵将を射ようとするのであれば、まず敵将の乗っている馬を射止めるのがよいとの意から。 「将を射んとせば先ず馬を射よ」「人を射んとせば先ず馬を射よ」ともいう。
人を怨むより身を怨め(ひとをうらむよりみをうらめ)
人の仕打ちをうらむ前に、自分の至らなさを反省せよという戒めの言葉。
人を思うは身を思う、人を憎むは身を憎む(ひとをおもうはみをおもう、ひとをにくむはみをにくむ)
人に情けをかけることは自分のためになることであり、人を苦しめることはやがて自分の苦しみになるということ。
人を食う(ひとをくう)
相手を見下した態度や言動を取ること。
人を知る者は智なり、自ら知る者は明なり(ひとをしるものはちなり、みずからしるものはめいなり)
人を謗るは鴨の味(ひとをそしるはかものあじ)
人の悪口を言ったり噂話をしたりする楽しさを、おいしい食べ物の代表とされる鴨の肉にたとえた言葉。 「鴨(かも)」は「雁(がん)」とも、また「人の噂を言うは鴨の味」ともいう。
人を謗るは雁の味(ひとをそしるはがんのあじ)
人の悪口を言ったり噂話をしたりする楽しさを、おいしい食べ物の代表とされる鴨の肉にたとえた言葉。 「鴨(かも)」は「雁(がん)」とも、また「人の噂を言うは鴨の味」ともいう。
人を叩いた夜は寝られぬ(ひとをたたいたよはねられぬ)
人に害を加えられた者より、害を加えた者のほうが苦しいというたとえ。人を叩いた夜は、気がとがめて寝ていられないということ。
人を恃むは自ら恃むに如かず(ひとをたのむはみずからたのむにしかず)
他人は当てにならないから、人に頼るよりも自分自身を頼りにするのが確かだということ。「恃む」は、頼るという意。
人を使うは苦を使う(ひとをつかうはくをつかう)
人を使うにはさまざまな気苦労があり、結局人に使われるのと同じようなものだということ。 「人を使うは使わるる」「人を使うは苦を使う」ともいう。
人を使うは使わるる(ひとをつかうはつかわるる)
人を使うにはさまざまな気苦労があり、結局人に使われるのと同じようなものだということ。 「人を使うは使わるる」「人を使うは苦を使う」ともいう。
人を呪わば穴二つ(ひとをのろわばあなふたつ)
人に悪いことをすれば、いつか自分の身にもはね返ってくるというたとえ。 「穴」は、墓穴のこと。 人を呪い殺そうとすれば、いつか自分もその報いで殺されることになるので、二つの墓穴が必要になるとの意から。
人を見たら泥棒と思え(ひとをみたらどろぼうとおもえ)
他人は信用できないので、泥棒と疑ってかかるくらい用心したほうがよいということ。
人を見て法を説け(ひとをみてほうをとけ)
相手をよく見きわめて、それにふさわしい方法を取れということ。 相手の人柄や能力を見て、その人に適した仏法を説けとの意から。 「人」は「にん」ともいう。
人を以て鑑と為す(ひとをもってかがみとなす)
他人の言葉や行動を手本にして、自分を正せということ。「鑑」は手本・模範の意。
人を以て言を廃せず(ひとをもってげんをはいせず)
どんな人の意見でも、聞くべきところがあればその意見を無視することはないということ。
火に油を注ぐ(ひにあぶらをそそぐ)
燃えさかっている火に油をかけるように、勢いのあるものにさらに勢いを加えるたとえ。
微に入り細を穿つ(びにいりさいをうがつ)
非常に細かいところまで気を配る様子。
髀肉の嘆(ひにくのたん)
功名を立てたり実力を発揮する機会がないのを嘆くこと。 「髀肉」は、股(もも)の肉のこと。中国蜀の劉備(りゅうび)が、平和な日々が長く続き、馬に乗って戦場に行くことがなかったため、内ももの肉が付きすぎたことを嘆いたという故事から。
日に就り、月に将む(ひになり、つきにすすむ)
学業や事業などが着実に進むことのたとえ。 「就り」は成り、「将む」は進むこと。 事が日ごとに成り、月ごとに進むとの意から。
火の消えたよう(ひのきえたよう)
周囲を明るく照らしていた火が消えたように、急に活気がなくなってものさびしい様子。
火の車(ひのくるま)
経済状態が非常に苦しいことのたとえ。悪事を犯した亡者を地獄に送り込むという、火の燃えている車から。
火の手が上がる(ひのてがあがる)
講義や闘争などが勢いよく始まること。または、火事になること。
陽の照っているうちに干し草を作れ(ひのてっているうちにほしくさをつくれ)
好機は逃さずに役に立てよということ。 「太陽の照っているうちに干し草を作れ」ともいう。
日の出の勢い(ひのでのいきおい)
朝日が昇るように勢いが盛んな様子。
火のない所に煙は立たぬ(ひのないところにけむりはたたぬ)
火の気がない所に煙が立たないように、根拠がまったくないところに噂は立たない。噂が立つのは、なんらかの根拠があるはずだということ。
日の目を見る(ひのめをみる)
それまで人々に知られていなかったものが知られるようになること。 または、それまで不遇だった人が認められるようになること。
日の下に新しきものなし(ひのもとにあたらしきものなし)
新発見とか新発明といわれているものでも、この世にあるすべてのものは本当に新しいものはなく、これまでにあったものに多少の手を加えて新しい形に変化させたにすぎないということ。
日の本は女ならでは夜が明けぬ(ひのもとはおんなならではよがあけぬ)
女がいなければ何事もうまくいかないということ。 天照大神が天岩戸に隠れて世の中が暗くなった時、天鈿女命の舞踊で岩戸を開けることができたという故事から。 「日の本は女ならでは夜が明けぬ」ともいう。
火花を散らす(ひばなをちらす)
激しく争い合うこと。 互いの刀を打ち合わせて火花が出るということから。
火は火で治まる(ひはひでおさまる)
野火が燃え広がるのを防ぐためには、周囲を火で焼き払うのが効果的であるように、悪を防ぐためには悪を用いるとうまくいくというたとえ。
火は火で消えぬ(ひはひできえぬ)
火を消そうとして火を使っても消せないように、力に力で対抗してもうまくいかないということ。
火は火元から騒ぎ出す(ひはひもとからさわぎだす)
最初に騒ぎ出した者が、事件の張本人であることが多いということ。火事の時、まず火元の家人が騒ぎ立てることから。
雲雀の口に鳴子(ひばりのくちになるこ)
ひっきりなしに続くおしゃべりのたとえ。「鳴子」は、田畑で作物を荒らす鳥を追い払うために使う道具。よくさえずる雲雀の口に鳴子をつけたようにやかましいことから。
蚍蜉大樹を撼かす(ひふたいじゅをうごかす)
自分の実力や身分をわきまえずに大それたことをするたとえ。身の程を知らないことのたとえ。 「蚍蜉」は、大きな蟻(あり)。 蟻が大木を動かそうとすることから。
火蓋を切る(ひぶたをきる)
戦闘・試合などを開始するたとえ。「火蓋」は火縄銃の火皿を覆う蓋のことで、これを開けて点火することから。
暇に飽かす(ひまにあかす)
たっぷりある暇な時間を利用して、じっくりと物事に取り組むこと。
暇ほど毒なものはない(ひまほどどくなものはない)
暇があって時間を持て余すと、つまらない事を考えたり、しでかしたりする。暇になるとろくなことはないということ。
暇を出す(ひまをだす)
使用人に休みを与えること。 または、解雇すること。 また、離縁すること。
暇を潰す(ひまをつぶす)
空いている時間を、何か別のことをして過ごすこと。
暇を取る(ひまをとる)
使用人などが主人に申し出て休暇を取る、 または、仕事を辞めること。 また、離縁すること。
暇を盗む(ひまをぬすむ)
忙しい最中のわずかな時間を利用すること。
美味も喉三寸(びみものどさんずん)
どんなにおいしいものでも、おいしいと感じるのは喉までの三寸ほどを通るの間のことで、腹に入ってしまえばまずいものと変わらないということ。また、どんなにうれしい事もほんのひとときにすぎないというたとえ。
悲鳴を上げる(ひめいをあげる)
仕事が忙しすぎたり、物事がうまくいかずに困り果てたりして、泣き言を言うこと。
ひもじい時にまずい物なし(ひもじいときにまずいものなし)
空腹の時は、どんな食べ物でもおいしく感じるということ。 「ひもじい時にまずい物なし」「ひだるい時にまずい物なし」ともいう。
火元は七代祟る(ひもとはしちだいたたる)
火事の火元は、周囲に迷惑をかけて長い間うらまれるということ。
冷や汗をかく(ひやあせをかく)
恥ずかしさや恐怖などによって緊張すること。
百害あって一利なし(ひゃくがいあっていちりなし)
弊害ばかりで利点は一つもないということ。
百菊作るに因って花変ず(ひゃくぎくつくるによってはなへんず)
百芸は一芸の精しきに如かず(ひゃくげいはいちげいのくわしきにしかず)
何でも出来る人より、一つの事に精通している人のほうが役に立つということ。
百歳の後(ひゃくさいののち)
人の死んだ後。人の死後。 百歳を越えることは稀との意から。
百歳の童、七歳の翁(ひゃくさいのわらべ、しちさいのおきな)
子どもでも知恵も分別もある者もいれば、老人でも無知で愚かな者もいるということ。 人の賢さは年齢に左右されないということ。 「八歳の翁百歳の童」「十歳の翁百歳の童」「百歳の童、七歳の翁」などともいう。
百歳の童(ひゃくさいのわらんべ)
年を取ってもなお、子どもにも劣る愚かな老人。また、年老いて子ども返りした者。
百尺竿頭一歩を進む(ひゃくしゃくかんとういっぽをすすむ)
目標を達成しても、さらに向上しようと努力すること。また、十分に説明をした上に、さらに一歩進めて説明すること。 百尺の竿の先端に達しても、さらに一歩進もうとするとの意から。 「百尺」は「ひゃくせき」ともいう。
百丈の木に登って一丈の枝より落つる(ひゃくじょうのきにのぼっていちじょうのえだよりおつる)
気が緩んだ時に、危険が潜んでいるから気をつけよという戒めの言葉。高い木に登った時は用心しているので落ちることはないが、低い所まで降りると油断して落ちるということから。
百姓の泣き言と医者の手柄話(ひゃくしょうのなきごとといしゃのてがらばなし)
百姓百層倍(ひゃくしょうひゃくそうばい)
百姓の仕事では、少量の種をまけば百倍もの収穫をもたらすということ。少ない元手で利益が多いことを「百」の語呂合わせでいった言葉。
百尺竿頭一歩を進む(ひゃくせきかんとういっぽをすすむ)
目標を達成しても、さらに向上しようと努力すること。また、十分に説明をした上に、さらに一歩進めて説明すること。 百尺の竿の先端に達しても、さらに一歩進もうとするとの意から。 「百尺」は「ひゃくせき」ともいう。
百川、海に朝す(ひゃくせん、うみにちょうす)
利益のあるところには自然に多くの人が集まることのたとえ。「百川」はあらゆる川、「朝す」は集まるという意。
百戦百勝は善の善なる者に非ず(ひゃくせんひゃくしょうはぜんのぜんなるものにあらず)
百回戦って百勝しても、何らかの損害がでるので得策とはいえない。戦わずに勝つことが出来れば、それが一番いい方法だということ。
百日の説法、屁一つ(ひゃくにちのせっぽう、へひとつ)
長い間苦労してきたことが、わずかな失敗によって無駄になってしまうことのたとえ。 百日間も説いてきた説法も、お坊さんのおならを一つでありがたみがなくなってしまうとの意から。
百日の労、一日の楽(ひゃくにちのろう、いちにちのらく)
働くばかりではなく、たまには休むほうがよいということ。 百日も働いたら、一日くらいゆっくり休養したほうがよいとの意から。
百年河清を俟つ(ひゃくねんかせいをまつ)
いつまで待っても実現する見込みがないことのたとえ。また、どんなに待っても無駄なことのたとえ。 常に濁っている中国の黄河の水が澄むのを百年待ち続けることから。 単に「河清を俟つ」、また「百年黄河の澄むを俟つ」ともいう。
百年黄河の澄むを俟つ(ひゃくねんこうがのすむをまつ)
いつまで待っても実現する見込みがないことのたとえ。また、どんなに待っても無駄なことのたとえ。 常に濁っている中国の黄河の水が澄むのを百年待ち続けることから。 単に「河清を俟つ」、また「百年黄河の澄むを俟つ」ともいう。
百年の不作(ひゃくねんのふさく)
一生悔やまれる失敗。取り返しがつかないほどの失敗。特に結婚での失敗についていう言葉。
百年論定まる(ひゃくねんろんさだまる)
物の価値や人の功績などは長い年月が過ぎてから定まるということ。
百聞は一見に如かず(ひゃくぶんはいっけんにしかず)
人から繰り返し聞くよりも、一度でも自分の目で見たほうがよくわかるということ。 人の話を百回を聞いたところで、実際に一回見ることには及ばないとの意から。
百も承知(ひゃくもしょうち)
言われるまでもなく、十分に理解しているということ。 「合点」は、承知のこと。 単に「百も承知」ともいうが、「二百も合点」と続けて意味を強めた言葉。
百も承知、二百も合点(ひゃくもしょうち、にひゃくもがてん)
言われるまでもなく、十分に理解しているということ。 「合点」は、承知のこと。 単に「百も承知」ともいうが、「二百も合点」と続けて意味を強めた言葉。
百薬の長(ひゃくやくのちょう)
酒はほどよく飲めばどんな薬より効果があるということ。
百里来た道は百里帰る(ひゃくりきたみちはひゃくりかえる)
自分のしたことには、必ずそれなりの報いがあるということ。 百里歩いてきた道は、百里歩かなければもとの場所には戻れないとの意から。
百里を行く者は九十里を半ばとす(ひゃくりをいくものはくじゅうりをなかばとす)
何事も終わり近くになると困難が多くなるので、最後まで気を抜いてはいけないということ。 百里の道を行く者は、九十里来たところが半分だと思えとの意から。
冷や酒と親の意見は後で利く(ひやざけとおやのいけんはあとできく)
親の意見は聞き流してしまいがちだが、後になると納得できて、なるほどと思うようになるということ。冷酒は飲んですぐより、あとから酔いが回ってくる意から。
冷や水を浴びせる(ひやみずをあびせる)
意気込んでいる人に元気を無くすような言動をすること。
冷や飯を食う(ひやめしをくう)
冷たい扱いをされるたとえ。長男が家督を継ぐとされていた時代、次男以下の男子は冷遇され、家族の食事のあとに冷えた飯を食べていたことから。
氷山の一角(ひょうざんのいっかく)
表面に現れているのは全体のほんの一部で、大部分は隠れたままであることのたとえ。 海面上に見える氷山は、全体のうちの一部分にすぎないとの意から。
平仄が合わない(ひょうそくがあわない)
話のつじつまが合わないこと。 「平仄」は、漢詩を作る時の平声字と仄声字の配列の規則、転じて物事の道理。道筋。
氷炭相愛す(ひょうたんあいあいす)
性質が反対のもの同士が助け合うことのたとえ。 冷たい氷と熱い炭が愛し合うとの意から。
氷炭相容れず(ひょうたんあいいれず)
性質がまったく反対で合わないことのたとえ。 「氷炭」は、氷と炭のこと。 冷たい氷と熱い炭は、互いに相手を受け入れないとの意から。
瓢箪から駒が出る(ひょうたんからこまがでる)
思いがけない場所や状況から意外な出来事や物が現れることのたとえ。 または、冗談で言ったことが本当になることのたとえ。 「駒」は馬を意味し、普通なら瓢箪(ひょうたん)から出てくるはずのない馬が出てくるという意味から。
瓢箪で鯰を押さえる(ひょうたんでなまずをおさえる)
とらえどころがなく、いっこうに要領を得ないこと。 つるつるした瓢箪で、ぬるぬるした鯰を押さえようとする意から。 略して「瓢箪鯰」ともいう。
瓢箪鯰(ひょうたんなまず)
とらえどころがなく、いっこうに要領を得ないこと。 つるつるした瓢箪で、ぬるぬるした鯰を押さえようとする意から。 略して「瓢箪鯰」ともいう。
瓢箪に釣り鐘(ひょうたんにつりがね)
差がありすぎて比べものにならないことのたとえ。また、釣り合いがとれないことのたとえ。瓢箪も釣り鐘もつり下げることは出来るが、重さも大きさも比較にならないことから。
瓢箪の川流れ(ひょうたんのかわながれ)
瓢箪が川面をぷかぷかと流れていくように、浮かれて落ち着きのない様子のたとえ。
豹は死して皮を留め、人は死して名を留む(ひょうはししてかわをとどめ、ひとはししてなをとどむ)
虎は死後立派な皮を残して珍重され、人は死後その功績により名声が語り継がれるということ。 「虎」は「豹」、「留め・留む」は「残し・残す」ともいう。
屏風と商人は直ぐには立たぬ(びょうぶとあきんどはすぐにはたたぬ)
屏風は折り曲げないと立たないのと同じように、商売も自分の感情や理屈を曲げて客の機嫌を損ねないようにしなければ繁盛しないということ。 「屏風と商人は直ぐには立たぬ」「商人と屏風は曲がらねば立たぬ」ともいう。
豹変(ひょうへん)
態度や意見ががらりと変わること。 豹の毛が生え変わって斑紋が鮮やかになるように、君子は過ちに気付いたらすぐにそれを改めて新しくするという意味の「君子は豹変す(くんしはひょうへんす)」に由来する。 本来は良い方向へ変わる意味で用いたが、現在では悪い方向へ変わる意味で用いることが多い。
秒読みに入る(びょうよみにはいる)
物事が起こる時間が間近に迫っていること。 「秒読み」は開始や終了までの時間を秒単位で読み上げること。
平たく言えば(ひらたくいえば)
分かりやすく言うと。 簡単な言葉に置き換える時に使う言葉。
ピリオドを打つ(ぴりおどをうつ)
物事を終わりにすること。
非力十倍、欲力五倍(ひりきじゅうばい、よくりきごばい)
たとえ力の弱い者でも、一大事の時には思わぬ力を発揮し、欲のためにも人はいつもの何倍もの力を出すということ。
放り出しの嗅ぎ出し(ひりだしのかぎだし)
最初に臭いと騒ぎ出すがおならをした当人であるということ。
広い世間を狭くする(ひろいせけんをせまくする)
恥ずかしい行いなどのために、肩身を狭くしてしまうということ。
拾い主は半分(ひろいぬしははんぶん)
人から預かった物は、半分は自分の物だと思ってもかまわないということ。 「預かり半分」「預かり半分の主」「預かり物は半分の主」「預かる物は半分の主」「拾い主は半分」「拾うた者は半分の主」などともいう。
拾うた者は半分の主(ひろうたものははんぶんのぬし)
人から預かった物は、半分は自分の物だと思ってもかまわないということ。 「預かり半分」「預かり半分の主」「預かり物は半分の主」「預かる物は半分の主」「拾い主は半分」「拾うた者は半分の主」などともいう。
火を避けて水に陥る(ひをさけてみずにおちいる)
一つの災難を避けて、すぐまた別の災難に遭うことのたとえ。 火に焼かれることを避けられたと思ったら、水に落ちて溺れることから。
火を付ける(ひをつける)
物に点火すること。または、事件や議論などの原因を作ること。
火を通す(ひをとおす)
食べ物を加熱すること。
火を見たら火事と思え(ひをみたらかじとおもえ)
何事も用心を重ね、警戒を怠りなくせよという教え。 少しの火でも火事だと思って用心せよということ。
火を見るより明らか(ひをみるよりあきらか)
きわめて明らかで疑う余地がまるでないようす。 火を見れば火だとわかるが、それよりもっと明らかとの意から。
火を以て火を救う(ひをもってひをすくう)
弊害を除こうとして、かえってその弊害を大きくしてしまうことのたとえ。火は水で消すべきなのに、火を火で消そうとする意から。
ピンからキリまで(ぴんからきりまで)
最初から最後まで。また、最上から最低まで。「ピン」はさいころ等の1のこと。転じて、はじめの意。「キリ」は10のこと。転じて終わりの意。
牝鶏晨す(ひんけいあしたす)
女性が権勢を振るうことのたとえ。 「牝鶏」はめんどり、「晨す」は夜明けを告げること。 雄が知らせるべき夜明けをめんどりが鳴いて知らせるとの意から。 昔は国や家庭を滅ぼす前兆とされていた。 「雌鶏の晨する」ともいう。
貧者の一灯(ひんじゃのいっとう)
見栄を張った多くの贈り物より、たとえわずかでも真心のこもった贈り物のほうが尊いということ。 金持ちが一万もの灯明をともすよりも、たとえ一灯でも貧しい人の心のこもった灯明のほうが値打ちがあるとの意から。 阿闍世王が釈迦を招いた時、帰り道にたくさんの灯火をともした。それを見て感激した貧しい老婆が、やりくりして一本の灯火をともした。すると、王の灯明が消えたあとも老婆の灯火は朝まで光り続けたという故事から。 「貧者の一灯」ともいう。
顰蹙を買う(ひんしゅくをかう)
良識に反する言動をして、他人に軽蔑され嫌われるたとえ。「顰蹙」は、不快に感じて眉をひそめたり顔をしかめたりすること。
貧すれば鈍する(ひんすればどんする)
貧乏すると生活苦のために、頭の働きも愚鈍になる。また、貧乏になるとどんな人でも心がさもしくなる。
貧にして楽しむ(ひんにしてたのしむ)
貧しくても、それなりに楽しみを持って生活していくということ。
貧の盗みに恋の歌(ひんのぬすみにこいのうた)
人は必要に迫られれば、なんでもするというたとえ。 貧乏すれば盗みも働くし、恋をすれば歌を詠むとの意から。
貧の楽は寝楽(ひんのらくはねらく)
貧しい人の楽しみは寝ることであるということ。 または、貧しい人は盗まれるものがないので安心して寝られるということ。
貧は諸道の妨げ(ひんはしょどうのさまたげ)
金がなければ何もできず、貧乏は何をするにも妨げになるということ。
貧乏柿の核沢山(びんぼうがきのさねだくさん)
貧乏人に子どもが多いことのたとえ。「貧乏柿」は小さい渋柿、「核」は種のことで、渋柿は実が小さいのに種が多い意から。
貧乏籤を引く(びんぼうくじをひく)
損な役割をさせられること。
貧乏怖いものなし(びんぼうこわいものなし)
失う物を持たない人に、怖いものは何もないということ。
貧乏難儀は時の回り(びんぼうなんぎはときのまわり)
貧乏したり苦労したりするのは、時のめぐりあわせにすぎないから悲観することはないということ。
貧乏人の子沢山(びんぼうにんのこだくさん)
貧乏な人にかぎって子どもが多いということ。
貧乏は達者の基(びんぼうはたっしゃのもと)
貧乏な人は、身体を動かして一生懸命働くので丈夫で健康だということ。
貧乏花好き(びんぼうはなずき)
見分不相応なことのたとえ。 貧乏人が花作りを好むとの意から。
貧乏暇なし(びんぼうひまなし)
貧乏すると、生活に追われて少しも時間の余裕がないということ。
貧ほど辛いものはなし(ひんほどつらいものはなし)
悲しいことやつらいことがたくさんある世の中で、貧乏ほどつらいことはないということ。