「ほ」から始まる故事・ことわざ・慣用句一覧
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ことわざ一覧
法あっての寺寺あっての法(ほうあってのてらてらあってのほう)
仏法があってこそ寺があり、寺があってこそ仏法も保たれるということ。持ちつ持たれつの関係にあることのたとえ。
方位家の家潰し(ほういかのいえつぶし)
方角の吉凶を気にしすぎると身動きがとれなくなり、ついには家をつぶす結果になるということ。
砲火を交える(ほうかをまじえる)
戦闘を始めること。
箒を逆さに立てる(ほうきをさかさにたてる)
長居する客を早く帰らせるためのおまじない。また、地域によっては安産のおまじないともされる。
忘形の交わり(ぼうけいのまじわり)
容貌や地位などにとらわれない親しい交わり。
方言は国の手形(ほうげんはくにのてがた)
言葉のなまりは通行手形のように、その人の生まれ育った場所を示すということ。 「訛りは国の手形」「方言は国の手形」ともいう。
暴虎馮河の勇(ぼうこひょうがのゆう)
血気にはやり無鉄砲なことをすることのたとえ。「暴虎」は素手で虎を打つこと、「馮河」は大きな河を徒歩で渡ることで、そのような無謀な勇気の意から。
法三章(ほうさんしょう)
簡単な法律のこと。また、法律を簡略化すること。漢の高祖が厳しい法律を廃止し、殺人・傷害・窃盗だけを処罰するとした三章からなる簡略な法律を定めたという故事から。
法師の戦話(ほうしのいくさばなし)
不似合いなことのたとえ。
褒姒の一笑国を傾く(ほうじのいっしょうくにをかたむく)
美女のために国が滅びること。 「褒姒」とは中国、周の幽王の后。 めったに笑わない褒姒が、手違いで上がったのろしによって諸侯が参集するのを見て笑ったため、幽王が平時にたびたびのろしを上げさせたので、本当の戦乱の時には諸侯が集まらず国が滅びたという故事から。
望蜀(ぼうしょく)
一つの望みを遂げて、さらに次を望むこと。人間の欲望には、限りがないということのたとえ。後漢書の「既に隴(ろう)を得て、また蜀を望む」から。
坊主捨て置け医者大事(ぼうずすておけいしゃだいじ)
急病の時は、急いで医者を呼ぶのが大事だということ。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い(ぼうずにくけりゃけさまでにくい)
その人が憎いと、それに関係するすべてのものが憎くなるということ。 僧侶が憎いと、着ている袈裟まで憎らしく思えてくるとの意から。
坊主の鉢巻き(ぼうずのはちまき)
坊主の鉢巻きはすべり落ちて、耳で受け止めることから、話を聞いて(耳で受け止めて)知っているということのしゃれ。 または、締まりがないこと、できないことをいうしゃれ。
坊主の花簪(ぼうずのはなかんざし)
持っていても何の役に立たない物のたとえ。「花簪」は造花などで飾ったかんざしのことで、坊主には役に立たないことから。
坊主の不信心(ぼうずのふしんじん)
他人には立派なことを言いながら、その人自身は実行が伴わないことのたとえ。 人に信仰を説く坊主が信仰心がないとの意から。
坊主丸儲け(ぼうずまるもうけ)
元手なしで、思いがけずに儲かった時に言う言葉。僧侶は資本や経費が不要でお布施などの利益を得られるということから。
忙中閑あり(ぼうちゅうかんあり)
どんなに忙しい最中でも、わずかな暇はあるものだということ。
棒に振る(ぼうにふる)
それまでの苦労や努力を無駄にしてしまうたとえ。
忘年の交わり(ぼうねんのまじわり)
年齢差に関係なく、親しく交際すること。
法は人でない人は法でない(ほうはひとでないひとはほうでない)
棒ほど願って針ほど叶う(ぼうほどねがってはりほどかなう)
大きな望みがあっても、叶うのはごくわずかだということ。
法網を潜る(ほうもうをくぐる)
法律や規則などに引っ掛からないように悪事を働くこと。
忘憂の物(ぼうゆうのもの)
酒のこと。憂いを忘れさせてくれる物との意から。
朋友は六親に叶う(ほうゆうはりくしんにかなう)
親友は肉親に匹敵するほど大切だということ。「六親」は父・母・兄・弟・妻・子または父・子・兄・弟・夫・妻の称。
亡羊の嘆(ぼうようのたん)
学問の道があまりにも幅広いため、真理をとらえることの難しさを嘆くこと。また、どうしてよいかわからず、途方に暮れて嘆くことのたとえ。 逃げた羊を追いかけたが、道がいくつも分かれていたため途方に暮れたという故事から。
暴を以て暴に易う(ぼうをもってぼうにかう)
暴力を取り除くために別の暴力を用いること。また、暴力に暴力で立ち向かうこと。
吠え面をかく(ほえづらをかく)
泣き顔をすること。泣きっ面をすること。
吠える犬はめったに噛みつかない(ほえるいぬはめったにかみつかない)
虚勢を張って強そうなことを言う者にかぎって実力がないというたとえ。
頬は面(ほおはつら)
呼び方は違っても、実質的には同じものであるということ。 「頬は面(つら)」ともいう。
ホーマーにさえ眠いところがある(ほーまーにさえねむいところがある)
どんなにすぐれた人でも、時には失敗することがあるというたとえ。 ホメロスのような大詩人でさえ、時には眠くなるような凡作を作ることがあるとの意から。 「ホーマー」はホメロスの英語名。
頬を顔(ほおをかお)
呼び方は違っても、実質的には同じものであるということ。 「頬は面(つら)」ともいう。
帆掛け船に艪を押す(ほかけぶねにろをおす)
勢いのあるものに、さらに力を加えることのたとえ。 帆に風を受けて走る舟に、さらに艪を使うとの意から。
他ならない(ほかならない)
絶対にそれ以外のものではない。間違いなくそうだ。
「合格したのは努力した結果に―」他ならない(ほかならない)
特別な関係にある人のこと。
「―あなたからの依頼では断れない」墨守(ぼくしゅ)
自説を守って譲らないこと。中国の思想家の墨子が、楚の国の攻撃を九度にわたって退け、城を守ったという故事から。
木鐸(ぼくたく)
世の中の人を教え導く人。古代中国で、法令などを人民に示す時に用いた、木の舌のついている大鈴の意から。
朴念仁(ぼくねんじん)
無口で愛想のない人。また、道理のわからない人のこと。
墓穴を掘る(ぼけつをほる)
身を滅ぼしてしまうような原因を自ら作ることのたとえ。 「墓穴」は棺や骨壷を埋葬するための穴。 自分を葬るための墓穴を自ら掘るとの意から。
矛先が鈍る(ほこさきがにぶる)
追及や非難などをする言葉に鋭さがなくなること。
矛先を転じる(ほこさきをてんじる)
議論などで、追及したり非難したりする対象を変えること。
矛を交える(ほこをまじえる)
戦うこと。
星が割れる(ほしがわれる)
犯人が分かること。 「星」は犯人や容疑者の別称。
輔車相依る(ほしゃあいよる)
互いに助け合うことで成り立っていることのたとえ。 「輔車」は頬骨と下顎の骨のこと。転じて、互いに支え合うことで存在できるもののたとえ。
星を挙げる(ほしをあげる)
犯人や容疑者を逮捕すること。 「星」は犯人や容疑者の別称。
星を戴いて出で、星を戴いて帰る(ほしをいただいていで、ほしをいただいてかえる)
朝早くから夜遅くまで仕事に励むことのたとえ。まだ星の見える早朝に家を出て、夜空に星がきらめく頃に帰るということから。
星を稼ぐ(ほしをかせぐ)
成績をよくすること。点数を稼ぐこと。
星を数うる如し(ほしをかぞうるごとし)
限りのないこと、できるはずのないことのたとえ。
星を分ける(ほしをわける)
勝負などで勝ちと負けの数が同じになること。
細くても針は呑めぬ(ほそくてもはりはのめぬ)
どんなに細くても針を呑み込むことは出来ないように、たとえ小さくても決して見くびってはいけないということ。 「針は呑まれず」ともいう。
細く長く(ほそくながく)
目立ちはしないものの、地道に長く続く様子。 また、力強くはないものの、細々と長く続く様子。
細くも長けれ(ほそくもながけれ)
たとえ細々とでも長生きするのが大事だということ。
臍を固める(ほぞをかためる)
固く決心して覚悟を決めること。「臍」はへその意。人が決心する時、腹に力を入れ臍を固くするということから。
臍を噛む(ほぞをかむ)
悔やんでも返らないことを悔やむたとえ。「臍」はへその意。自分の臍をかもうとしても及ばず、いらいらする意から。
菩提を弔う(ぼだいをとむらう)
死者の冥福を祈ること。また、そのための仏事などを行うこと。
牡丹に唐獅子、竹に虎(ぼたんにからじし、たけにとら)
絵になる取り合わせのよいもののたとえ。
ボタンを掛け違える(ぼたんをかけちがえる)
食い違いや矛盾などがあったことに後になってから気づくこと。 衣服のボタンを掛けるときに一つ間違えるとその後が全てずれるということから。
歩調を合わせる(ほちょうをあわせる)
複数の人たちで一つの物事に取り組む時に、進行する速度を合わせること。
発句苦になる馬鹿になる(ほっくくになるばかになる)
北国の雷(ほっこくのかみなり)
着の身着のままの状態をしゃれていう言葉。「北国に鳴る雷」の「北鳴り」と「着たなり」を掛けたもの。
ぽつぽつ三年、波八年(ぽつぽつさんねん、なみはちねん)
何事も一人前になるには、それなりの年月が必要だということ。 日本画の修行では、ぽつぽつと点で苔を描けるようになるのに三年、波を描けるようになるのに八年かかるとの意から。
程がある(ほどがある)
適切とされる程度を超えていることに対して非難したり、呆れたりする時に用いる言葉。
仏千人、神千人(ほとけせんにん、かみせんにん)
世の中には悪い人間もいるが、仏や神のようなよい人間もたくさんいるということ。
仏造って魂入れず(ほとけつくってたましいいれず)
ほとんど仕上がっているのに、肝心な部分が抜け落ちていること。 仏像を作っても、魂を入れ忘れるとの意から。
仏造って眼入れず(ほとけつくってまなこいれず)
ほとんど仕上がっているのに、肝心な部分が抜け落ちていること。 仏像を作っても、魂を入れ忘れるとの意から。
仏の顔も三度(ほとけのかおもさんど)
どんなに温和な人でも、繰り返しひどい仕打ちをされると腹を立てるというたとえ。 慈悲深い仏でも、顔を三度もなでられると腹を立てるとの意から。 「地蔵の顔も三度」ともいう。
仏の沙汰も銭(ほとけのさたもぜに)
この世は金次第でどうにでもなるということのたとえ。 仏がその人を救うかどうかさえも寄付した金銭の多さで変わるということから。
仏の光より金の光(ほとけのひかりよりかねのひかり)
人の心は、仏のありがたさよりも金の力にひかれやすいというたとえ。
仏は見通し(ほとけはみとおし)
神様は人々のどんなに小さい行為でも見抜いているので誤魔化すことはできないということ。 「神様はお見通し」「天道様はお見通し」「天は見通し」「神仏は見通し」「仏は見通し」などともいう。
仏ほっとけ神構うな(ほとけほっとけかみかまうな)
信心も信仰も度が過ぎないほうがいいということ。「仏」と「ほっとけ」、「神」と「かまうな」と語呂合わせして調子よくいった言葉。
仏もなき堂へ参る(ほとけもなきどうへまいる)
仏も昔は凡夫なり(ほとけもむかしはぼんぷなり)
どんな人間でも努力すれば、仏のように立派になれるということ。 釈迦も元は凡夫だったが、修行の末に悟りを開くことができたとの意から。 「仏も本は凡夫なり」ともいう。
仏も本は凡夫なり(ほとけももとはぼんぷなり)
どんな人間でも努力すれば、仏のように立派になれるということ。 釈迦も元は凡夫だったが、修行の末に悟りを開くことができたとの意から。 「仏も本は凡夫なり」ともいう。
ほとぼりが冷める(ほとぼりがさめる)
事件などに対する関心が薄れること。 「ほとぼり」は物が燃えた後の余熱のこと。 「熱が冷める」ともいう。
骨折り損のくたびれ儲け(ほねおりぞんのくたびれもうけ)
苦労するだけで、少しも成果が上がらないこと。江戸いろはがるたの一つ。
骨がある(ほねがある)
周りからの圧力に負けず、信念を貫き通す性質であること。
骨が折れる(ほねがおれる)
その物事を行うには、多くの手間が必要であること。
骨が舎利になっても(ほねがしゃりになっても)
たとえ死んでも。どんなに辛くても。 強い決意を表す言葉。 「舎利」は火葬した後の骨のこと。
骨に刻む(ほねにきざむ)
そのことを深く記憶して決して忘れないこと。
骨身を削る(ほねみをけずる)
身体が痩せ細るほどの努力や苦労をすること。
骨を埋める(ほねをうずめる)
その地で死ぬこと。 または、一つの物事に生涯を捧げること。
骨を惜しむ(ほねをおしむ)
苦労することを嫌がって、やるべきことをやらないこと。
骨を折る(ほねをおる)
物事を行うために苦労すること。
骨を拾う(ほねをひろう)
力尽きて倒れた人の後の面倒をみる。後始末をする。 遺骨を拾い収めるとの意から。
誉め手千人、悪口万人(ほめてせんにん、わるくちまんにん)
ほめる人が千人いれば、悪口を言う人は一万人いるということ。 世の中は褒める人よりもけなす人のほうが多いということ。 「誉め手」は「褒め手」とも書く。
褒め手千人、悪口万人(ほめてせんにん、わるくちまんにん)
ほめる人が千人いれば、悪口を言う人は一万人いるということ。 世の中は褒める人よりもけなす人のほうが多いということ。 「誉め手」は「褒め手」とも書く。
褒めらるる身の持ちにくさ(ほめらるるみのもちにくさ)
世間からほめられる立場になると、その評判に恥じないようにするのが難しく、常に注目されているので窮屈な思いをするということ。
褒める人には油断すな(ほめるひとにはゆだんすな)
言葉巧みに近づいてくる者は、下心があるから油断してはいけないということ。
褒める人は買わぬ(ほめるひとはかわぬ)
ホメロスすら時に失策を犯す(ほめろすすらときにしっさくをおかす)
どんなにすぐれた人でも、時には失敗することがあるというたとえ。 ホメロスのような大詩人でさえ、時には眠くなるような凡作を作ることがあるとの意から。 「ホーマー」はホメロスの英語名。
ホメロスにさえ眠いところがある(ほめろすにさえねむいところがある)
どんなにすぐれた人でも、時には失敗することがあるというたとえ。 ホメロスのような大詩人でさえ、時には眠くなるような凡作を作ることがあるとの意から。 「ホーマー」はホメロスの英語名。
洞ケ峠(ほらがとうげ)
有利なほうにつこうとして、なりゆきをうかがうこと。京都府と大阪府の境にあるこの峠で、筒井順慶が山崎の合戦の形勢を見て、優勢なほうに味方しようとしたという故事から。
洞が峠(ほらがとうげ)
有利なほうに付こうとして、なりゆきをうかがうこと。
筒井順慶が[1]の峠から山崎の合戦の形勢ををうかがい、優勢なほうに付こうとしたと伝えられたことから。史実に反しており、実際には撤兵して中立を保ったといわれている。洞が峠を決め込む(ほらがとうげをきめこむ)
有利なほうに付こうとして、形勢をうかがうこと。 「洞が峠」は、京都府と大阪府の境にある峠の名。 筒井順慶が洞が峠から山崎の合戦の形勢ををうかがい、優勢なほうに加勢しようとしたと伝えられたことから。史実に反しており、実際には撤兵して中立を保ったといわれている。
法螺と喇叭は大きく吹け(ほらとらっぱはおおきくふけ)
嘘をつくなら人が信じないような大ぼらを吹け。そういう嘘なら人も傷つけず、嘘だとわかっても腹も立たないということ。 「法螺」は、山伏が吹く法螺貝のことで、ここではでたらめの意。吹き鳴らす法螺貝と喇叭を調子よく並べた言葉。
法螺を吹く(ほらをふく)
実際よりも大袈裟に言うこと。または、でたらめをいうこと。 「法螺」は法螺貝のことで、吹くと大きな音が出ることから。
彫りが深い(ほりがふかい)
顔の凹凸の差が大きいこと。
蒲柳の質(ほりゅうのしつ)
からだが弱く、病気になりやすい体質のこと。「蒲柳」は、川柳の異名。細く弱そうで、秋になると他の木々より早く散ることから。
惚れたが因果(ほれたがいんが)
惚れてしまった以上、苦労するのもやむを得ないということ。
惚れた腫れたは当座のうち(ほれたはれたはとうざのうち)
惚れたのなんのといって夢中になるのは初めのことだけで、すぐに生活に追われて所帯じみてしまうということ。
惚れた病に薬なし(ほれたやまいにくすりなし)
恋わずらいは、治す薬もなく、どうすることもできないということ。
惚れた欲目(ほれたよくめ)
惚れてしまうと、相手の欠点は目につかず、実際以上によく見えてしまうということ。
惚れて通えば千里も一里(ほれてかよえばせんりもいちり)
惚れた相手に会いに行く時は、どんな遠い道のりも近く思えて苦にはならないということ。この後に「逢わずに戻ればまた千里」と続く俗謡から。
襤褸を着ても心は錦(ぼろをきてもこころはにしき)
たとえぼろぼろの衣服を着ていても心の中は錦を着ているように美しい。外見よりも内面が大事だということ。
襤褸を出す(ぼろをだす)
隠していた欠点や失敗などを見せてしまうこと。
歩を進める(ほをすすめる)
物事を次の段階に進めること。
歩を運ぶ(ほをはこぶ)
その場所に歩いて行くこと。
本卦還り(ほんけがえり)
数え年六十一歳のこと。六十年で再び生まれた年の干支に還ることから。 「本卦還り」ともいう。
本卦還りの三つ子(ほんけがえりのみつご)
年をとって、まるで幼児のように無邪気なってしまうこと。「本卦還り」は、還暦のこと。
本腰を入れる(ほんごしをいれる)
全力で取り組むこと。真剣に取り組むこと。
盆と正月が一緒に来たよう(ぼんとしょうがつがいっしょにきたよう)
うれしいことが重なることのたとえ。また、非常に忙しいことのたとえ。
本音を吐く(ほんねをはく)
隠していた本当の気持ちを言葉に出すこと。
煩悩の犬は追えども去らず(ぼんのうのいぬはおえどもさらず)
いくら追い払っても離れない犬のように、煩悩というものは、人の心から離れないということ。
凡夫の身(ぼんぷのみ)
全知全能の神ではない我が身。人間の能力には限界があるということ。
本丸から火を出す(ほんまるからひをだす)
内部から崩れて自滅することのたとえ。「本丸」は、城の中心部で、そこから火事を出すということから。
本来無一物(ほんらいむいちもつ)
万物は実体のない仮のものだから、執着すべきものは何もないということ。