親に似ぬ子は鬼子について

言葉 | 親に似ぬ子は鬼子 |
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読み方 | おやににぬこはおにご |
意味 | 子どもは当然親に似るものであり、親に似ない子はいないということ。親に似ない子は人間の子ではなく鬼の子であるという意から。 |
出典 | - |
別表記 | 親に似ぬ子は鬼っ子(おやににぬこはおにっこ) |
使用されている漢字
「親」を含むことわざ
いつまでもあると思うな親と金(いつまでもあるとおもうなおやとかね)
独立と倹約を心がけよという戒めのことば。親はいつまでも面倒見てくれるわけでもなく、金も使えばなくるという意から。
命の親(いのちのおや)
命を救ってくれた恩人。
打たれても親の杖(うたれてもおやのつえ)
親が子を杖で打つ叱り方も、慈愛がこもっているので子は感謝すべきだということ。
打つも撫でるも親の恩(うつもなでるもおやのおん)
子を叱ってぶつのも、ほめて撫でるのも、すべて親の愛情のあらわれだということ。
生みの親より育ての親(うみのおやよりそだてのおや)
生んでくれた親より、育ててくれた親に愛情も恩義も感じるということ。
大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然(おおやといえばおやもどうぜん、たなこといえばこもどうぜん)
借家人にとって家主は親と同様の存在であり、家主にとって借家人は我が子同様の存在だということ。「店子」は、借家人の意。昔の大家と店子の関係をいった言葉。
「似」を含むことわざ
赤子のうちは七国七里の者に似る(あかごのうちはななくにななさとのものににる)
赤ん坊ははっきりした特長がないので、似てると思って見ればあちこちの誰にでも似て見えるということ。「七国七里」は諸所方々のこと。
鵜の真似をする烏(うのまねをするからす)
自分の能力をわきまえず、人の真似をして失敗することのたとえ。鵜は水に潜って巧みに魚を捕るが、烏が真似をして魚を捕ろうと水に潜っても溺れるばかりであるということから。「鵜の真似をする烏水に溺れる」「鵜の真似をする烏水を呑む」ともいう。
往時渺茫としてすべて夢に似たり(おうじびょうぼうとしてすべてゆめににたり)
過ぎ去った昔の事はもうはるかかなたの事で、とりとめがなく、まるで夢のように思えるということ。「往時」は過ぎ去った昔のこと。「渺茫」は遠くはるかで果てしないさま。
蟹は甲羅に似せて穴を掘る(かにはこうらににせてあなをほる)
人はそれぞれ自分の身分や力量に応じた考え方や行動をするというたとえ。蟹は自分の大きさに合わせて穴を掘るということから。
外面似菩薩、内心如夜叉(げめんじぼさつ、ないしんにょやしゃ)
外面は菩薩のようにやさしく美しいが、内面は夜叉のように邪悪で恐ろしい人のこと。 仏教で、女性が修行の妨げになることを戒めていった言葉。 「外面如菩薩内心如夜叉」ともいう。
猿の人真似(さるのひとまね)
猿のようによく考えもしないで、人の真似をすることをあざけっていう言葉。
「子」を含むことわざ
赤子のうちは七国七里の者に似る(あかごのうちはななくにななさとのものににる)
赤ん坊ははっきりした特長がないので、似てると思って見ればあちこちの誰にでも似て見えるということ。「七国七里」は諸所方々のこと。
赤子の腕を捩じる(あかごのうでをねじる)
抵抗する力のないものを打ち負かす。また、容易に行えることのたとえ。
赤子の手を捻る(あかごのてをひねる)
抵抗する力のないものを打ち負かす。また、容易に行えることのたとえ。
赤子は泣き泣き育つ(あかごはなきなきそだつ)
赤ちゃんが泣くのは健康な証拠で、赤ちゃんは泣きながら成長していくということ。
赤子を裸にしたよう(あかごをはだかにしたよう)
無力で弱い者をさらに頼りなくしたようす。
秋茄子は嫁に食わすな(あきなすはよめにくわすな)
秋に収穫する茄子を嫁に食べさせてはいけないということ。 「おいしいのでもったいないという姑の嫁いびり」「種が少ないので子宝に恵まれない」「体が冷えてよくない」などの解釈がある。 「おいしいのでもったいないという姑の嫁いびり」の解釈が一般的。
「鬼」を含むことわざ
明日の事を言えば鬼が笑う(あすのことをいえばおにがわらう)
先のことはわからない。未来のことは予測できないというたとえ。
天の邪鬼(あまのじゃく)
人の意見にわざと逆らうひねくれ者。民話に登場する悪い鬼。
異域の鬼となる(いいきのおにとなる)
外国で死ぬこと。「異域」は外国、「鬼」はは死者の意。
恐れ入谷の鬼子母神(おそれいりやのきしもじん)
「恐れ入りました」をしゃれていう言葉。「鬼子母神」は、出産・育児の神で、その鬼子母神を祭る東京都台東区入谷と「恐れ入りやした」の「入りや」をかけていったもの。
鬼が住むか蛇が住むか(おにがすむかじゃがすむか)
世の中にはどんな恐ろしいものが住んでいるかわからないということ。 また、人の心の中にはどんな考えが潜んでいるかわからないということ。
鬼が出るか蛇が出るか(おにがでるかじゃがでるか)
どんな恐ろしいことになるか予測できないことのたとえ。「鬼が出るか仏が出るか」ともいう。からくり人形師の口上から出た言葉。