「子ども」に関連する故事・ことわざ・慣用句 — 149 件
「子ども」に関連する故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。全149件を五十音順に掲載しています。
ことわざ一覧(五十音順)
赤子のうちは七国七里の者に似る(あかごのうちはななくにななさとのものににる)
赤ん坊ははっきりした特長がないので、似ていると思って見ればあちこちの誰にでも似て見えるということ。「七国七里」は諸所方々のこと。
赤子の手を捻る(あかごのてをひねる)
抵抗する力のないものを打ち負かす。また、容易に行えることのたとえ。 「赤子の腕を捩じる」ともいう。
赤子は泣き泣き育つ(あかごはなきなきそだつ)
赤ちゃんが泣くのは健康な証拠で、赤ちゃんは泣きながら成長していくということ。
赤子を裸にしたよう(あかごをはだかにしたよう)
無力で弱い者をさらに頼りなくしたようす。
秋の日と娘の子はくれぬようでくれる(あきのひとむすめのこはくれぬようでくれる)
秋の日は暮れないようでいて急に暮れるように、大事にされてきた娘も、嫁にくれないように見えて案外簡単にくれるものだということ。
商人の子は算盤の音で目を覚ます(あきんどのこはそろばんのおとでめをさます)
人の習性は、育つ環境の影響を大きく受けるということ。 商人の子どもは金勘定に敏感で、眠っていても算盤の音で起きるという意味から。
有って地獄、無くて極楽(あってじごく、なくてごくらく)
金や子どもは、持てば持ったで苦労や心配が増えるため、ないほうがかえって気楽であるということ。
あっても苦労、なくても苦労(あってもくろう、なくてもくろう)
金と子どもは、あればあったで苦労するし、なければないで苦労するということ。
後先息子に中娘(あとさきむすこになかむすめ)
子どもを持つなら三人で、最初と最後は男、真ん中は娘が理想だということ。
家貧しくして孝子顕る(いえまずしくしてこうしあらわる)
裕福な家なら子は親に養われていればすむが、暮らしが苦しければ子も家計を担わねばならない。その働きぶりが人の目にとまり、孝行者として名が立つということ。 「世乱れて忠臣を識る」と対にしていい、人の値打ちは苦しい場に置かれて初めて見えてくるという含みを持つ。
一姫二太郎(いちひめにたろう)
一番最初に女の子が生まれ、次に男の子が生まれるという子供の生まれる順番のこと。その順番が子育てに適しているという意味で用いられる言葉。「うちの子供は女がひとりと男がふたりの一姫二太郎です」と子供の数を表す使い方は誤用。
今泣いた烏がもう笑う(いまないたからすがもうわらう)
泣いていた人が、すぐに機嫌を直して笑うこと。主に子どもの、気持ちの移り変わりの早さについていう。
倚門の望(いもんのぼう)
母親が子どもの帰りを待ちわびること。また、そういう母親の愛情のこと。中国の春秋時代、王孫賈(おうそんか)の母親が門に倚(よ)りかかって、我が子の帰りを待ちわびたという故事から。
牛を食らうの気(うしをくらうのき)
年端もいかぬうちから、すでに人を圧するほどの気概と大きな志を宿していることのたとえ。 虎や豹(ひょう)の子は、まだ牛を仕留める力もないのに、牛を食おうとする気迫だけは持っているという。 「食牛の気」ともいう。
嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれる(うそをつくとえんまさまにしたをぬかれる)
嘘をつくと、死んでから地獄の閻魔大王に悪い舌を抜かれる。だから嘘をついてはいけないと、子どもを戒めたことば。
内で掃除せぬ馬は外で毛を振る(うちでそうじせぬうまはそとでけをふる)
家庭のしつけが悪い子どもは、外に出るとすぐにわかるということのたとえ。 飼い主の手入れの悪い馬は、外に出た時に毛を振って汚れを落とそうとするので、すぐにわかるとの意から。
瓜の蔓に茄子は生らぬ(うりのつるになすびはならぬ)
一つの原因からは、それ相応の結果しか生まれないということ。また、平凡な親からは、非凡な子どもは生まれないということのたとえ。
縁の切れ目は子で繋ぐ(えんのきれめはこでつなぐ)
夫婦仲がうまくいかなくなっても、子どもがいれば縁をつなぎとめてくれるということ。
老いては子に従え(おいてはこにしたがえ)
年をとったら出しゃばらずに、何事も子どもに任せて従っていくほうがいいということ。
負うた子に教えられて浅瀬を渡る(おうたこにおしえられてあさせをわたる)
人は時には自分より経験の浅い年下の者から物事を教わることもあるというたとえ。背中に負ぶった子に浅瀬を教えられて川を無事に渡るとの意から。
負うた子より抱いた子(おうたこよりだいたこ)
身近なことを優先したり、大事にするのが人情だというたとえ。背中に負ぶった子より前に抱いている子を先に面倒見てしまう意から。
負うた子を三年探す(おうたこをさんねんさがす)
手近にあることに気づかず、長い間あちこちを探し回るたとえ。 背中に負ぶった子どもをどこへ行ったと三年も探す意から。
お乳母日傘(おうばひがさ)
乳母をつけ、日ざしには傘を差しかけるようにして、子を何不自由なく育てること。 裕福な家の、手をかけすぎるほどの育て方をいう。「乳母日傘(おんばひがさ)」はこれが転じたもの。
多し少なし子三人(おおしすくなしこさんにん)
子どもは三人いると、多からず少なからずで理想的だということ。
思うようなら子と三人(おもうようならことさんにん)
人生が思い通りになるなら、夫婦と子ども一人の三人で暮らすのが一番いいということ。
親思う心にまさる親心(おやおもうこころにまさるおやごころ)
子どもが親を思う気持ちよりも、親の子どもに対する愛情のほうがより深いというたとえ。「親思う心にまさる親心けふの音づれ何ときくらん」という吉田松陰の辞世の歌から。
親が親なら子も子(おやがおやならこもこ)
親と子はよく似るものだということ。親がだめだと子どももだめだというように、悪いところが似た場合に多く使われる。
親ずれより友ずれ(おやずれよりともずれ)
家の中で受ける躾よりも、外で付き合う相手のほうが人となりを作っていく。 「擦れる」は、揉まれて世慣れること。
親に似ぬ子は鬼子(おやににぬこはおにご)
子どもは当然親に似るものであり、親に似ない子はいないということ。 親に似ない子は人間の子ではなく鬼の子であるとの意から。
親の甘茶が毒となる(おやのあまちゃがどくとなる)
親が子どもを甘やかして育てると、その子のためにならず、むしろ毒になるということ。
親の意見と茄子の花は千に一つも無駄はない(おやのいけんとなすびのはなはせんにひとつもむだはない)
咲いた花がひとつ残らず実を結ぶ作物と同じで、親が子に向ける言葉には外れがない。 空振りに終わる一言は出てこない。
親の因果が子に報う(おやのいんががこにむくう)
親の悪行の結果、罪のない子どもが災いを受けること。
親の顔が見たい(おやのかおがみたい)
よその子の行動や態度の悪さに、驚きあきれて発する言葉。
親の心、子知らず(おやのこころ、こしらず)
子どもを思う親の深い愛情を知らず、子どもは勝手気ままなことをするということ。
親の十七、子は知らぬ(おやのじゅうしち、こはしらぬ)
親は自分が未熟だった若い頃の失敗談などをしないから、子どもにはわからない。完全なふりをして子どもに意見する親を皮肉っていう言葉。
親の脛を齧る(おやのすねをかじる)
子どもが独立した生活が出来ずに親に養われて生活すること。
親の光は七光り(おやのひかりはななひかり)
当人の力量とは関わりなく、親の名前のほうが先に通る。世間の扱いもそこに引きずられて、実際より厚くなる。
親はなくとも子は育つ(おやはなくともこはそだつ)
親がいなくても、子どもはなんとか成長していく。世の中は、そう心配することもないというたとえ。
負わず借らずに子三人(おわずからずにこさんにん)
人の世話にならず、借金もなく、子どもが三人ぐらいいる家庭が理想的で幸福だということ。
女三人あれば身代が潰れる(おんなさんにんあればしんだいがつぶれる)
娘を三人も持てば、その婚礼にかかる入り用で家の身代は傾いてしまうということ。 嫁がせる側が衣類や道具をひととおり持たせる習わしだったころの、親の負担の重さを言った言葉。
おんぶに抱っこ(おんぶにだっこ)
おんぶすると次は抱っこをしてほしいと甘える子どものように、何もかも他人に頼りきりになること。
蛙の子は蛙(かえるのこはかえる)
子どもは親に似るものであるということ。また、凡人の子はやはり凡人であるというたとえ。
かわいい子には旅をさせよ(かわいいこにはたびをさせよ)
子どもがかわいいなら、甘やかして育てるより、世の中に出してつらさや苦しさを経験させたほうがいいということ。 「いとしい子には旅をさせよ」ともいう。
川の字に寝る(かわのじにねる)
漢字の「川」の字のように寝ること。 特に、夫婦が子どもを真ん中にして寝ること。
嚙んで含める(かんでふくめる)
理解できるように、細かく丁寧にわかりやすく言い聞かせること。 親が、食物を嚙み砕いて食べやすいようにしてから、子どもの口に含ませてやるとの意から。 「嚙」は「噛」とも書く。
疳の虫が起こる(かんのむしがおこる)
小児が、急に夜泣きをしたり癇癪や引き付けなどを起こすこと。 「疳」は小児の神経の病気であり、「疳の虫」はその病気の原因と考えられた虫のこと。 小児のからだの中に癇癪を起す虫がいると考えられていたことから。
餓鬼も人数(がきもにんずう)
取るに足りない者でも、そこにいるだけで足しにはなる。 ひとりでは頼りない相手も、頭数がそろえば押し返せない力になる。
黄色い声(きいろいこえ)
女性や子どもの甲高い声のこと。
堯の子堯ならず(ぎょうのこぎょうならず)
頭抜けた父のもとに、同じ器量の子が並ぶわけではない。 古代の聖王は位を我が子に渡さず、人柄を見込んだ舜に譲ったという。
孝行も子による(こうこうもこによる)
親孝行は有難いが、どんな子でも、どんな手段でもいいというわけではない。悪いことをして孝行されるなら、してもらわないほうがいいということ。
此処までお出で、甘酒進じょ(ここまでおいで、あまざけしんじょ)
歩き始めたばかりの子を前へ誘い出そうと、少し離れて手招きしながら唱える文句。 転じて、相手が近づけないのを見越して「来られるものなら来てみろ」とあおる言い回しにもなる。 「進じょ」は「差し上げよう」にあたる古い言い方。
子三人、子宝(こさんにん、こだから)
子どもは三人ぐらいが理想的で、子宝というのにふさわしいということ。
子宝、脛が細る(こだから、すねがほそる)
親にとって子どもは宝であるが、育てるためには脛が細くなるような苦労をするということ。
子供川端、火の用心(こどもかわばた、ひのようじん)
子どもが川に落ちないように注意することと、火の用心をすることが大事だということ。
子供叱るな来た道だもの年寄り笑うな行く道だもの(こどもしかるなきたみちだものとしよりわらうなゆくみちだもの)
子どものいたずらなどは誰しも身に覚えがあるので叱るべきではないし、自分もいずれ年をとるので老人を笑いものにすべきではないということ。
子供好きに子なし(こどもずきにこなし)
子どもが好きな人には、子どもがない場合が多いということ。
子供の喧嘩に親が出る(こどものけんかにおやがでる)
子ども同士の喧嘩に親が口出しして、自分の子どもの味方をする愚かさを非難する言葉。また、大人気ないふるまいや余計な干渉をするたとえ。
子供の根問い(こどものねどい)
子どもが何にでも疑問を持って、根掘り葉掘り問いただすこと。
子供は教え殺せ、馬は飼い殺せ(こどもはおしえころせ、うまはかいころせ)
子どもは徹底的に教育し、馬の調教も手加減するなということ。 「馬は飼い殺せ、子供は教え殺せ」ともいう。
子供は風の子(こどもはかぜのこ)
子どもは寒さをものともせず、冬でも風の中を元気に駆けまわる。「子供は風の子、大人は火の子」と続けて、火のそばを離れない大人と対にしていう。
子に過ぎたる宝なし(こにすぎたるたからなし)
これに勝るものは無いと言い切れる持ち物は、親にとっては我が子しかない。ほかに何を積んでも、その位置は動かない。
この親にしてこの子あり(このおやにしてこのこあり)
親の気質は、そのまま子の振る舞いに写って出る。 子を見て育てた側の人柄まで言い当てるときに使い、褒めるときにも呆れるときにも向けられる。
子の心、親知らず(このこころ、おやしらず)
親はとかく、子どもの本当の心や考えを察知することは出来ないということ。
子はあるも嘆き、なきも嘆き(こはあるもなげき、なきもなげき)
子を授かれば授かったで案じごとが尽きず、授からなければ授からないでそのことを嘆く。 持つも持たぬも、親の胸から心配の種が絶えることはないものだ。
子は産むも心は生まぬ(こはうむもこころはうまぬ)
腹を痛めて生み落とせるのはからだまでで、その子がどんな心根に育つかまでは産んだ者の手が届かない。 親と似ても似つかぬ性分の子を持った者が、ため息まじりに言う言葉。
子は鎹(こはかすがい)
子どもは夫婦の縁をつなぎとめる鎹のような存在で、我が子への愛情から夫婦の仲がなごやかに保たれるということ。「鎹」は、材木をつなぎ止めるためのコの字型の鉄製の釘のこと。
子は三界の首枷(こはさんがいのくびかせ)
親は子どものことにとらわれて、終生自由を束縛されてしまうということ。「三界」は、過去・現在・未来の三世のこと。「首枷」は、罪人の首にはめて自由を束縛する刑具。子どもは三界にわたって親の自由を拘束する首枷のようなものだということ。
子ほど喜ばせにくいものはなく親ほど喜ばせやすいものはない(こほどよろこばせにくいものはなくおやほどよろこばせやすいものはない)
親の愛情を当然と思っている子どもを喜ばせるのは難しいが、親は子どものわずかな孝養でも大喜びするということ。
子故の闇(こゆえのやみ)
わが子を思う情に引かれて、親が分別を失うこと。「人の親の心は闇にあらねども」と詠まれた歌から出た言い方。
子を知ること父に若くはなし(こをしることちちにしくはなし)
父親は子どもの長所や短所を誰よりもいちばんよく知っているということ。「若くはなし」は、及ぶものはないという意。
子を棄つる藪はあれど身を棄つる藪はなし(こをすつるやぶはあれどみをすつるやぶはなし)
困窮すると最愛のわが子でも棄てることができるが、自分の身だけは棄てることができないということ。
子を見ること親に如かず(こをみることおやにしかず)
子どもの長所や短所をいちばんよく知っているのは親であり、親に及ぶものはないということ。
子を持って知る親の恩(こをもってしるおやのおん)
わが子を育てる側に回ってはじめて、かつて自分が受けていたものの重さに気づくということ。 手のかかりようも掛かりの重さも、その立場に立たなければ見えてこない。
酒と産には懲りた者がない(さけとさんにはこりたものがない)
酒の飲みすぎも出産も辛く苦しいものだが、もうやめたという者もない。酒を飲むこと、子どもを持つことはやはり楽しみがあるということ。
三歳の翁、百歳の童子(さんさいのおきな、ひゃくさいのどうじ)
子どもでも知恵も分別もある者もいれば、老人でも無知で愚かな者もいるということ。 人の賢さは年齢に左右されないということ。 「八歳の翁百歳の童」「十歳の翁百歳の童」「百歳の童、七歳の翁」などともいう。
三人子持ちは笑うて暮らす(さんにんこもちはわろうてくらす)
子どもを持つなら三人くらいがちょうどよく、幸せな暮らしができるということ。
獅子の子落とし(ししのこおとし)
我が子に苦しい経験をさせて、厳しく鍛えて育てることのたとえ。獅子は、生まれた子を深い谷に投げ落とし、這い上がってきた強い子だけを育てるという言い伝えから。
舐犢の愛(しとくのあい)
わが子に目がなく、際限なく甘やかす態度。牛が生まれた仔を舌で撫でるさまに寄せた語で、自分の子煩悩を謙遜して口にする場合もある。 子の楊修を曹操に殺された楊彪が、痩せたわけを問われて、老いた牛が仔を舐めるような情がどうにも捨てられないのだと答えた。
死なぬ子三人、皆孝行(しなぬこさんにん、みなこうこう)
三人の子どもが親より先に死なずに成人してくれたら、これ以上の孝行はないということ。
死ぬる子は眉目よし(しぬるこはみめよし)
早死にする子にかぎって器量がよく、ふびんで惜しまれるということ。
掌中の珠(しょうちゅうのたま)
もっとも大切にしているもの。特に最愛の子ども。「珠」は尊いものの意で、いつも自分の手の中にある大切なものということから。
死んだ子の年を数える(しんだこのとしをかぞえる)
もう手の届かないことをいつまでも蒸し返して、詮ない繰り言を並べるたとえ。 亡くした子がいま幾つかと指を折る、その甲斐のない振る舞いになぞらえた言い方。
死んだ子は賢い(しんだこはかしこい)
死んでしまった子は良い所だけが思い出され、親の記憶の中ではいつまでも賢いということ。
蛇は寸にして人を呑む(じゃはすんにしてひとをのむ)
まだ手のひらに乗るほどの太さでも、身の丈を超える相手を丸ごと収める構えでいる。 のちに名を成す者は、小さいうちから並外れた押しの強さを見せるという。
雀百まで踊り忘れず(すずめひゃくまでおどりわすれず)
小さい頃に身についた習慣は、年をとっても改まりにくいというたとえ。 雀は死ぬまで、踊るように飛び跳ねて歩くとの意から。
捨て子は世に出る(すてごはよにでる)
捨て子は出世するということ。親に見捨てられるような人間は逆境にも負けず、たくましく育ち、かえって世に出るものであるということ。
栴檀は双葉より芳し(せんだんはふたばよりかんばし)
大成する人は幼少期から優れているというたとえ。 「栴檀」は、香木の名。白檀の異称。 白檀は発芽の頃から芳香を放つことから。
千の蔵より子は宝(せんのくらよりこはたから)
財をどれだけ積んでも、子ども一人の値打ちには届かない。あとに残って効いてくるのは、蓄えたものより育てた者のほうだ。
総領の十五は貧乏の世盛り(そうりょうのじゅうごはびんぼうのよざかり)
長男が一人前になる一歩手前の十五歳の頃が、家計がもっとも苦しい時期だというたとえ。
総領の甚六(そうりょうのじんろく)
長男は甘やかされて大事に育てられるので、おっとりとした世間知らずの者が多いということ。「甚六」は愚か者のこと。
袖の下に回る子は打たれぬ(そでのしたにまわるこはうたれぬ)
親が我が子を懲らしめようとしても、逃げずに袖にすがって寄ってくる子には手を上げられないものだということ。憎からず思う親心をいう。
その子を知らざればその友を視よ(そのこをしらざればそのともをみよ)
当人を測りかねたら、まわりに誰がいるかを見ればよい。 人は自分に似た者を選んで側に置く。
竹の子の親勝り(たけのこのおやまさり)
(たけのこはすぐに親竹と同じ、または親竹以上の高さになることから)子どもの成長が早く、すぐに親を凌ぐようになることのたとえ。または、子どもが親よりもすぐれていることのたとえ。 「竹の子」は「筍」とも書く。
溜め息をすれば親の寿命が縮む(ためいきをすればおやのじゅみょうがちぢむ)
子どもがため息をつけば、親は寿命が縮むほど心配するから、親にそんな態度を見せてはいけないということ。
足らず余らず子三人(たらずあまらずこさんにん)
子どもは三人いるのが、多過ぎず少な過ぎずでちょうどいいということ。
抱いた子の塵を食うを知らぬ(だいたこのちりをくうをしらぬ)
内輪のことには案外気が回らないというたとえ。 抱いている子どもが、ごみを口に入れても気がつかないことがあるとの意から。
駄駄を捏ねる(だだをこねる)
子どもが、甘えてわがままを通そうとすること。
小さく生んで大きく育てる(ちいさくうんでおおきくそだてる)
子どもは小さい子を楽に生んで大きく育てるのが賢明だということ。事業なども小規模で始めてだんだん大きくしていくのがよいやり方だということ。
竹馬の友(ちくばのとも)
子供のころからの親友や幼馴染のこと。 「竹馬」は一本の竹の棒を馬に見立てたもの。 幼いころから竹馬で駆け回って一緒に遊んだ友達という意味から。
父父たらずと雖も子は子たらざるべからず(ちちちちたらずといえどもこはこたらざるべからず)
父親が父親の役目を果たさなくても、子どもは子どもとしての役目を果たさなければならないということ。
手が離れる(てがはなれる)
子どもが成長して、世話の必要がなくなること。 または、仕事が一区切りついて、関わりがなくなること。
てらつつきの子は卵から頷く(てらつつきのこはたまごからうなずく)
殻を破る前から、木をつつく時と同じ首の使い方を見せるらしい。 後に何をする者かは、物心のつかぬうちの仕草にもう出ている。
十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人(とおでしんどう、じゅうごでさいし、はたちすぎればただのひと)
子どものころは並外れた秀才と思われていた人も、成長すれば平凡な人間になることが多いということ。
年寄りは二度目の子供(としよりはにどめのこども)
老いるとわがままになったり、甘えたりするようになって子どものようになるということ。 「Old men are twice children.」を訳した言葉。
年寄れば愚に帰る(としよればぐにかえる)
年を取れば、子どものように愚かになってしまうということ。
鳶が鷹を生む(とびがたかをうむ)
平凡な親から優れた子どもが生まれることのたとえ。 「とび」は「とんび」とも読む。 「鳶が孔雀を生む」ともいう。
豚児(とんじ)
自分のむすこを指して、へりくだるときの言い方。 魏の曹操が、対峙した孫権の陣立てを見て、子を持つなら孫仲謀のような子がよい、劉景升のむすこどもは豚か犬のようだと言ったという。
ない子では泣かれぬ(ないこではなかれぬ)
子育てには苦労があり時には泣かされることもあるが、たとえ苦労させられても子どもはいたほうがよいということ。 「ない子に泣かないが有る子に泣く」「ない子では泣かである子に泣く」などともいう。
泣いて育てて笑うてかかれ(ないてそだててわろうてかかれ)
子育ては苦労が伴うものだが、子どもを立派に育て上げれば、老後にはその子が世話をしてくれ、安らかな余生を送ることができるということ。 また、将来の安楽のために、今の苦労を惜しまずに子育てに励むべきだという教え。
泣く子に乳(なくこにちち)
効果がすぐに現れることのたとえ。泣いている赤ん坊に乳を与えれば、すぐに泣きやむことから。
泣く子は育つ(なくこはそだつ)
大きな声でよく泣く子どもは元気で、丈夫にたくましく育つということ。
泣く子も黙る(なくこもだまる)
泣きじゃくっている子どもが泣き止んでしまうほど、ひどく恐ろしい存在であることのたとえ。
泣く子も目を見る(なくこもめをみる)
無分別な者や一見何も考えていないように見える者であっても、多少は周囲の状況を考慮して振る舞うものであるというたとえ。 泣きわめいている子供でも、時折目を開けて周囲の状況や相手の態度をうかがっているとの意から。
茄子の花と親の意見は千に一つも無駄はない(なすびのはなとおやのいけんはせんにひとつもむだはない)
茄子は咲いた分だけ実がつく。 親が口にする戒めもそれと同じで、聞き流してよいものは一つも混じっていない。
七つ七里憎まれる(ななつななさとにくまれる)
七歳頃の男の子はいたずら盛りで、近くの村々の憎まれっ子になるということ。「七里」は、多くの村々の意。
二度教えて一度叱れ(にどおしえていちどしかれ)
子どもをしつける時の心得を示した言葉。子どもの過ちや失敗は頭ごなしに怒らず、繰り返してよく教え諭し、それでも聞かない時にたまに叱るくらいがよいということ。
寝る子は賢い親助け(ねるこはかしこいおやだすけ)
泣かずによく眠る子どもは、手がかからないので親にとってありがたいということ。
寝る子は育つ(ねるこはそだつ)
よく眠る子は元気で丈夫に育つということ。
這えば立て、立てば歩めの親心(はえばたて、たてばあゆめのおやごころ)
子どものすこやかな成長を楽しみに待つ親の気持ちを言ったことば。
腹を痛める(はらをいためる)
子どもを産むこと。出産の痛みを経験するとの意から。 または、自分の金銭を使うこと。
馬鹿と子供には勝てぬ(ばかとこどもにはかてぬ)
理屈が通じない愚か者と子どもには、とうていかなわないということ。
祖母育ちは三百安い(ばばそだちはさんびゃくやすい)
年寄りの手にかかった子は、叱られる機会が少ないぶん、値踏みされると分が悪い。 「三百」は三百文で、値の付き方をそのまま銭で言った。 「祖母育ちは銭が安い」ともいう。
人の子の死んだより我が子の転けた(ひとのこのしんだよりわがこのこけた)
他人の子どもが死んだことよりも、自分の子が転んだことのほうが重要だということ。我が子の大事さのたとえ。また、自分の利益が一番大事ということのたとえ。
貧乏柿の核沢山(びんぼうがきのさねだくさん)
暮らし向きの苦しい家ほど、かえって子だくさんだということ。 「貧乏柿」は小ぶりの渋柿。実が小さいわりに種ばかり詰まっているさまに、「核(さね)」と「子」を掛けて言ったもの。
貧乏人の子沢山(びんぼうにんのこだくさん)
金のない家に限って子どもの数が多いものだということ。 灯火の油代を惜しんで日暮れとともに床につくからだ、という説き方もある。
風樹の歎(ふうじゅのたん)
返せる立場になったころには、返す相手がもういない。 その行き違いを名づけた言い方。 「風樹」は風に揺すられる木。静まりたくても風がやまないように、子が仕えようとしても親のほうは間に合わない。諸国を巡り歩くうちに親を見送った皋魚が、道端で孔子にそう語り、泣き伏したまま息絶えたと伝える。
減らぬものなら金百両、死なぬものなら子は一人(へらぬものならかねひゃくりょう、しなぬものならこはひとり)
必要な物が必要な分だけあれば十分だということ。 もしも使っても減らないのであれば金は百両、死なないのであれば子どもは一人いればよいとの意から。 「死なぬものなら子は一人、減らぬものなら金百両」ともいう。
本卦還りの三つ子(ほんけがえりのみつご)
年をとって、まるで幼児のように無邪気になってしまうこと。「本卦還り」は、還暦のこと。
孫は子より可愛い(まごはこよりかわいい)
孫は子ども以上にかわいいということ。祖父母が孫をかわいがることの甚だしさをいう。
三つ叱って五つほめ、七つ教えて子は育つ(みっつしかっていつつほめ、ななつおしえてこはそだつ)
子どもは少し叱って多くほめ、たくさん教えて育てるのがいいということ。
三つ子に剃刀(みつごにかみそり)
非常に危険なことのたとえ。 「三つ子」は、三歳児のこと。 三歳児ほどの幼い子に剃刀を持たせるとの意から。
三つ子に花(みつごにはな)
そぐわない人に大事なものを預けて安心できないことのたとえ。また、ものの値打ちがわからない者に優れた物を与えても何の役にも立たないことのたとえ。 幼い子に花を持たせてもすぐにめちゃくちゃにしてしまうとの意から。
三つ子の魂百まで(みつごのたましいひゃくまで)
幼い時の性格は、年をとっても変わらないということ。
醜い家鴨の子(みにくいあひるのこ)
家鴨の群れの中で醜いと嫌われて育った雛が、大きくなってみれば白鳥だったという童話による言い方。 まわりから器量が悪いの出来が悪いのと言われて育ちながら、長じて美しくも立派にもなる子。
実の生る木は花から知れる(みのなるきははなからしれる)
実をたわわに付ける木は、花の付きようからしてすでに違う。 のちに大を成す者は、幼いうちからどこか常の子とは異なる何かを見せるということ。 「実を結ぶ木は花より知らるる」「生る木は花から違う」ともいう。
身二つになる(みふたつになる)
妊娠している人が出産すること。子どもを産むこと。
娘三人持てば身代潰す(むすめさんにんもてばしんだいつぶす)
娘を三人持てば、その嫁入り支度で財産がなくなるということ。
孟母三遷の教え(もうぼさんせんのおしえ)
子どもの教育には良い環境を選ぶことが大切だという教え。 孟子は幼い頃墓地の近くに住んでいたが、孟子が葬式の真似をして遊ぶので母は市場の近くに居を移した。すると孟子は売買の真似をはじめたので、今度は学校のそばに転居した。すると礼儀作法を真似るようになったので教育に最適な場所として安住したという故事から。 「三遷の教え」「孟母の三遷」「孟母の三居」「孟母三遷」などともいう。
持つべきものは子(もつべきものはこ)
他人ではあてにできない事も、わが子ならばしてくれる。子は持つべきもので、わが子ほどありがたいものはないということ。
門前の小僧、習わぬ経を読む(もんぜんのこぞう、ならわぬきょうをよむ)
毎日その中に置かれていれば、手ほどきを受ける機会が一度もなくても、いつのまにか同じ真似ができる。周りで繰り返されている事柄は、そうと意識しないうちに身の内へ移る。
焼け野の雉、夜の鶴(やけののきぎす、よるのつる)
子を思う親の情愛が深いことのたとえ。 「雉」はきじのこと。 雉は野を焼かれたら危険を顧みずに巣にいる子どもを助けに戻り、鶴は霜の降りる寒い夜には自分の羽を広げて子を暖めるとの意から。 単に「焼け野の雉」「夜の鶴」、また「夜鶴子を思う」「子を思う夜の鶴」ともいう。 「焼け野の雉」は、身を隠すところのない雉のことから、危険にさらされることのたとえとしてもいわれる。
藪の外でも若竹育つ(やぶのそとでもわかたけそだつ)
藪の外でも竹が育つように、たとえ保護するものがいなくても、子どもはなんとか成長するものだということ。
世の中は年中三月常月夜、嬶十七俺二十、負わず借らずに子三人(よのなかはねんじゅうさんがつじょうつきよ、かかあじゅうしちおれはたち、おわずからずにこさんにん)
世の中は、いつも三月頃の温暖な気候で、夜は明るい月夜、妻は十七歳自分は二十歳、責任も借金もなく、子どもは三人持つ暮らしが望ましいということ。江戸時代の庶民のささやかな願望をいった言葉。
竜と心得た蛙子(りゅうとこころえたかえるこ)
子どもに対する親の見込み違いのたとえ。 将来は竜になると期待していたわが子も、やはり蛙の子にすぎなかったとの意から。
梁上の君子(りょうじょうのくんし)
泥棒のこと。または鼠のこと。中国の後漢の陳寔が梁の上に潜む賊を指して、悪い習慣が身に付くと梁の上の君子のようになると子ども達を戒めたという故事による。
弄瓦(ろうが)
女の子が授かったことを言祝ぐ言い方。糸を撚る道具を枕辺に置いて、手先の利く子に育つよう祈った昔の習わしから出た。
弄璋(ろうしょう)
男の子が授かったことを言祝ぐ言い方。玉で作った器を握らせ、位を得る身に育つようにと親が念じたことに拠る。
呂律が回らない(ろれつがまわらない)
酒に酔った人や子どもなどが、舌が滑らかに動かず、言葉がはっきりしないようす。「呂律」は和音階を表す呂律(りょりつ)が転じて、言葉の調子の意。
悪い親も良い子を望む(わるいおやもよいこをのぞむ)
どんな悪人でも、我が子は良い人間であってほしいと望むということ。
