子供は風の子、大人は火の子について

言葉 | 子供は風の子、大人は火の子 |
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読み方 | こどもはかぜのこ、おとなはひのこ |
意味 | 子どもは寒い風が吹く中でも元気に外で遊びまわり、大人は寒がって火のそばを離れないということ。 |
出典 | - |
使用されている漢字
「子」を含むことわざ
赤子のうちは七国七里の者に似る(あかごのうちはななくにななさとのものににる)
赤ん坊ははっきりした特長がないので、似てると思って見ればあちこちの誰にでも似て見えるということ。「七国七里」は諸所方々のこと。
赤子の腕を捩じる(あかごのうでをねじる)
抵抗する力のないものを打ち負かす。また、容易に行えることのたとえ。
赤子の手を捻る(あかごのてをひねる)
抵抗する力のないものを打ち負かす。また、容易に行えることのたとえ。
赤子は泣き泣き育つ(あかごはなきなきそだつ)
赤ちゃんが泣くのは健康な証拠で、赤ちゃんは泣きながら成長していくということ。
赤子を裸にしたよう(あかごをはだかにしたよう)
無力で弱い者をさらに頼りなくしたようす。
秋茄子は嫁に食わすな(あきなすはよめにくわすな)
秋に収穫する茄子を嫁に食べさせてはいけないということ。 「おいしいのでもったいないという姑の嫁いびり」「種が少ないので子宝に恵まれない」「体が冷えてよくない」などの解釈がある。 「おいしいのでもったいないという姑の嫁いびり」の解釈が一般的。
「供」を含むことわざ
供養より施行(くようよりせぎょう)
死んだ人の供養より、生きている人に施しをするほうが大切だということ。
子供川端、火の用心(こどもかわばた、ひのようじん)
子どもが川に落ちないように注意することと、火の用心をすることが大事だということ。
子供叱るな来た道だもの年寄り笑うな行く道だもの(こどもしかるなきたみちだものとしよりわらうなゆくみちだもの)
子どものいたずらなどは誰しも身に覚えがあるので叱るべきではないし、自分もいずれ年をとるので老人を笑いものにすべきではないということ。
子供好きに子なし(こどもずきにこなし)
子どもが好きな人には、子どもがない場合が多いということ。
子供の喧嘩に親が出る(こどものけんかにおやがでる)
子ども同士の喧嘩に親が口出しして、自分の子どもの味方する愚かさを非難する言葉。また、大人気ないふるまいや余計な干渉をするたとえ。
子供の使い(こどものつかい)
要領を得ず、役に立たない使いのたとえ。
「風」を含むことわざ
秋風が立つ(あきかぜがたつ)
男女間の愛情がさめるたとえ。「秋」と「飽き」をかけたことば。
秋風と夫婦喧嘩は日が入りゃ止む(あきかぜとふうふげんかはひがいりゃやむ)
秋風が日暮れになると静まるように、夫婦喧嘩も夜になるとおさまるということ。
商人と屏風は直ぐには立たぬ(あきんどとびょうぶはすぐにはたたぬ)
屏風は折り曲げないと立たないように、商売も自分の感情や理屈を曲げて、客の機嫌を損ねないようにしなければ繁盛しないということ。「屏風と商人は直ぐには立たぬ」ともいう。
商人と屏風は曲がらねば立たぬ(あきんどとびょうぶはまがらねばたたぬ)
屏風は折り曲げないと立たないように、商売も自分の感情や理屈を曲げて、客の機嫌を損ねないようにしなければ繁盛しないということ。 「商人と屏風は直ぐには立たぬ」ともいう。
明日は明日の風が吹く(あしたはあしたのかぜがふく)
先のことをいくら心配してもはじまらないので、なるがままに任せて生きるのがよいということ。明日は明日で、今日の風と違う風が吹くという意から。
あったら口に風邪をひかす(あったらくちにかぜをひかす)
親切な気持ちで言ったことが無駄になるたとえ。「あったら」は「あたら」が転じた言葉で、残念なことにの意。
「大」を含むことわざ
諍いをしいしい腹を大きくし(いさかいをしいしいはらをおおきくし)
喧嘩ばかりしている夫婦なのに、子どもだけはよくできるということ。
一木大廈の崩るるを支うる能わず(いちぼくたいかのくずるるをささうるあたわず)
大きな組織などが傾きかけている時は、一人の力では支えることが出来ないというたとえ。 「大廈」は、大きな建物のこと。 大きな建物が倒れるのを、一本の木だけで支えることは出来ないという意から。
井の中の蛙大海を知らず(いのなかのかわずたいかいをしらず)
他に広い世界があることを知らずに、自分の周りの狭い見識や知識にとらわれている人を嘲笑する言葉。小さな井戸にすむ蛙は、大きな海があることを知らないという意から。
上を下への大騒ぎ(うえをしたへのおおさわぎ)
上にあるべきものが下へ、下にあるべきものが上へというような、ごった返した大騒動のこと。
独活の大木(うどのたいぼく)
身体ばかり大きくて何の役にも立たない人のたとえ。独活は丈は大きくなるが、茎が柔らかいため材木にならないという意から。「独活の大木柱にならぬ」ともいう。
瓜の皮は大名に剝かせよ、柿の皮は乞食に剝かせよ(うりのかわはだいみょうにむかせよ、かきのかわはこじきにむかせよ)
瓜の皮は厚くむき、柿の皮は薄くむいたほうがおいしいということ。大名はおう揚なので、瓜の皮を厚くむかせる時に適し、貧乏な乞食は柿の皮を薄くむかせる時に適しているという意から。
「人」を含むことわざ
赤の他人(あかのたにん)
全く無関係の他人。「赤」は名詞の上に付くことでそれを強調し、「全くの」「明らかな」「はっきりした」の意を表す。
商人と屏風は直ぐには立たぬ(あきんどとびょうぶはすぐにはたたぬ)
屏風は折り曲げないと立たないように、商売も自分の感情や理屈を曲げて、客の機嫌を損ねないようにしなければ繁盛しないということ。「屏風と商人は直ぐには立たぬ」ともいう。
商人と屏風は曲がらねば立たぬ(あきんどとびょうぶはまがらねばたたぬ)
屏風は折り曲げないと立たないように、商売も自分の感情や理屈を曲げて、客の機嫌を損ねないようにしなければ繁盛しないということ。 「商人と屏風は直ぐには立たぬ」ともいう。
商人に系図なし(あきんどにけいずなし)
商人には家柄など関係なく、商売の手腕や努力しだいで成功するということ。
商人の嘘は神もお許し(あきんどのうそはかみもおゆるし)
商人が商売上の駆け引きで嘘をつくのは、神様もやむを得ないとお許しになるということ。
商人の子は算盤の音で目を覚ます(あきんどのこはそろばんのおとでめをさます)
人の習性は、育つ環境の影響を大きく受けるということ。商人の子どもは金勘定に敏感で、眠っていても算盤の音で起きるという意から。
「火」を含むことわざ
秋葉山から火事(あきばさんからかじ)
人を戒める指導的立場の者が、自ら過ちを犯してしまうたとえ。「秋葉山」は火災除けの神を祭る静岡県の秋葉神社のこと。
足下に火が付く(あしもとにひがつく)
危険が身辺に近づいているたとえ。
熱火子に払う(あつびこにはらう)
緊急事態には、利己心が醜く現れることのたとえ。 炎が自分に迫ってきた時は、大事な我が子の方へでも炎を払いのけて助かろうとする意から。 「熱火、子にかく」とも。
油紙に火の付いたよう(あぶらがみにひのついたよう)
べらべらとよくしゃべる様子。油の付いた紙は、めらめらとよく燃えることから。
暗夜に灯火を失う(あんやにともしびをうしなう)
暗闇で明かりを失うように、頼りにしていたものを失って途方にくれることのたとえ。
家に女房なきは火のない炉のごとし(いえににょうぼうなきはひのないろのごとし)
家に主婦がいないのは、炉の中に火がないのと同じで、大事なものが欠けていて寂しいということ。