「た」から始まる故事・ことわざ・慣用句 — 276 件
「た」から始まる故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。
故事・ことわざ・慣用句一覧
大隠は市に隠る(たいいんはいちにかくる)
悟りきった隠者は、深山や辺地に籠もったりせず、かえって町なかで世人に紛れて生きるという。 「大隠」は道を極めた隠者を指す。
大恩は報せず(たいおんはほうせず)
小さな恩義はすぐに気づいて報いることができるが、大きな恩義はその大きさゆえに気づきにくく、感謝や報恩ができないということ。
大海知らぬ井の蛙(たいかいしらぬいのかわず)
外の広い世界や多様な考えを知らず、狭い見識にとらわれていることのたとえ。 狭い井戸の底で暮らす蛙は、外にある広大な海の存在を知るよしもないという意から。 「井蛙大海を知らず」「大海知らぬ井の蛙」「埳(坎)井の蛙」「井底の蛙」「井蛙」などともいう。
大海の一滴(たいかいのいってき)
見渡す限りの海に対する、水のひとしずく。全体の前では有るか無きかの、ささやかな一部分のたとえ。
大海は芥を択ばず(たいかいはあくたをえらばず)
懐の深い人は、誰が相手でも門戸を閉ざさないというたとえ。 海は流れ込む塵芥さえ厭わないことから。 「芥」は塵やごみを指す。
大海を手で塞ぐ(たいかいをてでふさぐ)
どうやっても出来るはずのない不可能なことをしようとすることのたとえ。 大海の水を手で堰き止めようとするとの意から。
大海を耳搔きで測る(たいかいをみみかきではかる)
とても大きな問題に対して、自分の小さな力や考えで判断しようとするたとえ。広い海の水を耳搔きで汲んではかろうとすることから。
大廈の倒れんとするは一木の支うる所に非ず(たいかのたおれんとするはいちぼくのささうるところにあらず)
屋台骨ごと傾きはじめた組織は、誰か一人が踏ん張ったところで持ち直さない。 崩れは全体に回っており、そこへ差し出せる手は小さすぎる。 「大廈」は高く構えた建物をいう。 「倒れんとする」は「顚れんとする」とも書く。 「一木大廈の崩るるを支うる能わず」「一木いずくんぞ能く大廈を支えん」ともいう。
大家後なし(たいかのちなし)
一つの道を極めた人の跡から、同じ高さの者は出てこない。 持って生まれたものと、注いだ時間の量は、子に引き継げない。
大旱の雲霓を望む(たいかんのうんげいをのぞむ)
物事の到来を待ち望むことのたとえ。 「大旱」はひどい日照り、「雲霓」は雲と虹のこと。 ひどい日照りの時に、雨の前触れである雲や虹を待ち望むとの意から。
大姦は忠に似たり(たいかんはちゅうににたり)
大悪人は本性を隠して主君に仕えるので、あたかも忠臣のようにみえるということ。「大姦」は大悪人の意。
大概にする(たいがいにする)
ほどほどにする。ある程度でやめておく。「大概にしろ」の形で使われることが多い。
対岸の火事(たいがんのかじ)
自分にはまったく影響がなく、苦痛を感じないたとえ。 向こう岸の火事はこちらまで燃え移ってくる危険がないことから。 「川向こうの火事」ともいう。
大義、親を滅す(たいぎ、しんをめっす)
守らねばならぬ大きな筋道の前では、血のつながりさえ断ち切らねばならないことがあるということ。 「大義」は人として、また臣として踏み行うべき大きな道をいう。 君主を殺した一味にわが子が加わったとき、父みずからの手でこれを処断させたという故事から出た言葉。
大疑は大悟の基(たいぎはたいごのもとい)
深く行き詰まるところまで突き詰めた者ほど、抜けたときの見晴らしも大きいということ。 禅で「大疑の下に大悟あり」といい、迷いを恐れず疑い抜くことが、そのまま悟りへの道になるとする。
大魚は小池に棲まず(たいぎょはしょうちにすまず)
力のある者は、自分の丈に合わない小さな場所には長居をしない。 大きな魚が小さな池を棲みかにしないのと同じで、器に見合う場を求めて出ていく。
大魚を逸する(たいぎょをいっする)
あと一歩で掌に収まるはずだった大物を、するりと取り逃がす。 指先が触れていただけに、逃した痛手は大きい。
大軍に関所なし(たいぐんにせきしょなし)
勢いに乗った多数を相手にしては、どんな備えも歯止めにならないということ。 「関所」は街道の要所に置かれて人の出入りを検めた番所で、一人二人なら押しとどめられても、軍勢が繰り出せばそのまま押し通られてしまう。
大賢は愚なるが如し(たいけんはぐなるがごとし)
本当に賢い人は知識をひけらかさないから、一見愚か者のように見えるということ。
大行は細謹を顧みず(たいこうはさいきんをかえりみず)
大事業を成し遂げようとする者は、小さな事柄など気にかけないということ。「細謹」は細かいことに気を配る意。
大功は拙なるが如し(たいこうはせつなるがごとし)
本当に巧みな者は技をひけらかす作為を持たないため、うわべだけを見た者の目には、かえって不器用と映る。 「大直は屈するが若し」「大弁は訥なるが若し」と、極まったものはその逆のものに見える、という言い回しがいくつも並ぶ中の一句。
太公望(たいこうぼう)
釣り好きな人。呂尚が釣りをしていたときに、周の祖太公が待ち望んだ人材として見いだされたことから。
大功を成す者は衆に謀らず(たいこうをなすものはしゅうにはからず)
並外れた仕事をやってのける者は、あちこちに諮って意見をまとめようとはせず、自分の見立てひとつで踏み切るものだということ。 北方の遊牧の民にならって、裾の短い衣と馬上の弓とを軍に取り入れようとした王が、こぞって反対する家臣たちを退けたときに述べた言葉とされる。
大功を論ずる者は小過を録せず(たいこうをろんずるものはしょうかをろくせず)
手柄の大きさを量ろうという場では、そこにわずかな落ち度がまじっていても、いちいち数え上げて咎めはしないということ。 「録せず」は帳面に書きとめない意で、あえて記録に残さないことをいう。 命令を待たずに兵を動かした将軍が、異民族の王を討ち取りながら罪に問われかけたとき、その功を惜しんだ者が唱えた言葉と伝わる。
太鼓判を押す(たいこばんをおす)
絶対に間違いないと保証するたとえ。太鼓のように大きな判を押す意から。
太鼓も撥の当たりよう(たいこもばちのあたりよう)
こちらのやり方次第で相手の出方も違ってくるというたとえ。 太鼓はたたき方ひとつで、音の強弱がかわるとの意から。 「撥」は「桴」や「枹」とも書く。
太鼓を打てば鉦が外れる(たいこをうてばかねがはずれる)
一方に気を取られると、もう一方がおろそかになるというたとえ。 太鼓に気を取られると、鉦を打つ手がゆるみ、打ち損じることから。
太鼓を持つ(たいこをもつ)
他人に同調して機嫌をとること。太鼓を持つ。 「太鼓を持つ」ともいう。
泰山の霤は石を穿つ(たいざんのあまだれはいしをうがつ)
小さな努力も根気強く続けていけば、いつかは成功することのたとえ。 わずかな雨垂れでも長い年月、同じ所に落ち続ければ、石に穴をあけることができるとの意から。 「点滴石を穿つ」ともいう。
泰山の安きに置く(たいざんのやすきにおく)
泰山のように、揺るぎないものとしてどっしりと安定させること。 中国の名山である泰山は、古くから動じないものの象徴とされる。
