「た」で終わる故事・ことわざ・慣用句 — 57 件
「た」で終わる故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。
故事・ことわざ・慣用句一覧
商い上手の仕入れ下手(あきないじょうずのしいれべた)
客に物を売るのはうまいが、仕入れがへたで儲からないということ。
医者上手にかかり下手(いしゃじょうずにかかりべた)
物事はうまく行うためには相手を信用しなければならないというたとえ。 どんな名医でも、患者が信頼して従わなければ病気を治すことは出来ないとの意から。
いずれ菖蒲か杜若(いずれあやめかかきつばた)
二つ、またはいくつかのものがどれも同じくらい見事で、一つを選ぼうにも決めかねてしまうこと。 カキツバタとアヤメは、どちらも美しい花で見た目がそっくりなため、見分けにくいことから。 短く「何れ菖蒲」とも、また「菖蒲と杜若」と並べた形でも用いる。 源頼政が怪物を退治した手柄で、菖蒲前(あやめのまえ)と呼ばれる女性を褒美に授かることになったが、よく似た女性たちの中から本人を当てるように言われて迷い、そのとまどいを歌に詠んだ。『太平記』に見えるこの話がもとだとされる。
市が栄えた(いちがさかえた)
昔話やおとぎ話を語り終えたところで、しめくくりに添える決まった言い回し。「めでたし」を二つ重ねて話を閉じる言い方と同じく、物語がよい結末を迎えたことを表す。 「[[一期栄えた*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/8798.php]]」(一生のあいだ栄えた、ということ)から変化した言い方とされる。 「市が栄える」「一が栄える」ともいうが、「栄えた」と過去の形にして言う場合が多い。
一期栄えた(いちごさかえた)
昔話の終わりに付けて、物語をめでたく結ぶ決まり文句。お話の中の人たちが、その後一生のあいだ幸せに栄えたと告げる。 「一期」は、生まれてから命が尽きるまでの全体、つまり人の一生のこと。「めでたし」で話を終えるのと同じ役目をもつ。 この言い方が変化して[[市が栄えた*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/8794.php]]になったとされる。「一期栄える」ともいう。
言わずと知れた(いわずとしれた)
説明する必要もなく。言うまでもなく。わかりきっている。
因果は皿の端(いんがはさらのはた)
人の行いの報いは、間を置かずに本人の身へと戻る、というたとえ。 「因果」は、原因と、そこから生まれる結果のこと。小さな皿のふちは、ぐるりと回ってもすぐに元の所に戻る。それほど短いあいだで報いが巡るとしたもの。 「昔の因果は皿の端(はた)を回り今の因果は針の先を回る」という長い形もあり、こちらは今の世の報いはもっと速いと説く。似通った意味のことわざに[[因果の小車*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/773.php]]もある。
馬は馬方(うまはうまかた)
何ごとも、それを仕事として毎日手がけている人がいちばんよく心得ていて、上手にこなせるということ。慣れない者があれこれ手を出すより、扱いに通じた人に預けるほうが結果はよい、という含みでも用いる。 「馬方」は、馬を引いて人や荷物を運ぶのを仕事とした人。馬は扱いに慣れない者の言うことをなかなか聞かないが、馬方が引けばおとなしく従って歩くことから。 同じ心をいう言葉に、[[餅は餅屋*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/682.php]]・[[海の事は漁師に問え*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/2314.php]]・[[芸は道によって賢し*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/2987.php]]がある。
胡乱の沙汰(うろんのさた)
素性の知れない、うさんくさい取り沙汰のこと。 「胡乱」の「胡」は中国から見た北方の異民族を指す字で、その風習が不可解と映ったところから、あやしくて信の置けない意になったという。「沙汰」はここでは世間の評判をいう。
遠慮は無沙汰(えんりょはぶさた)
遠慮もほどほどにしないと、かえって失礼になるということ。 先方に遠慮して訪問や連絡を控えすぎると、長期間付き合いが途絶えることとなり、かえって礼を欠くことになるとの意から。 「遠慮が無沙汰」ともいう。
鐘鋳るまでの土鋳型(かねいるまでのつちいがた)
鐘を造るときの土の型は、鐘が仕上がるまでは欠かせないが、できあがれば用ずみになる。これと同じで、ねらいを遂げるまでの間だけ手立てとして使うものをさす。 また、望みがかなうまでは、ありあわせの安っぽい物でしのいで辛抱するというたとえ。 「鋳る」は、とかした金属を型に流しこんで品物を作ること。「鐘鋳るまでの泥鋳型(どろいがた)」ともいう。
感心上手の行い下手(かんしんじょうずのおこないべた)
人の話には大いに膝を打つのに、いざ自分がとなると何ひとつ手をつけない。また、そういう性分の人。
気が利いた(きがきいた)
細かなところまで注意が行き届いていて、臨機応変な対応ができること。
聞き上手の話し下手(ききじょうずのはなしべた)
人の話を上手に聞く人は、自分が人に話すのは下手だということ。
切った張った(きったはった)
切りつけたり叩いたりすること。転じて、暴力を振るうこと。 「張る」は平手で叩くこと。
昨日の敵は今日の味方(きのうのてきはきょうのみかた)
争っていた相手と、いつのまにか手を結んでいるという転変をいう。 利害や情勢が動けば、敵と味方の立場は容易に入れ替わる。
臭い物に蓋(くさいものにふた)
表に出れば具合の悪いことを、始末をつけないまま覆い隠して当座をやり過ごす。中身は残ったままなので、いずれまた漂い出す。
口自慢の仕事下手(くちじまんのしごとべた)
口は達者だが、仕事はさっぱりできないこと。
毛色の変わった(けいろのかわった)
同じようなものの中で、様子や性質などが他とは異なっていること。
毛の生えた(けのはえた)
比べるもとになるものより、ほんのわずかに上回るだけで、中身は大して違わないこと。 「Aに毛の生えた」の形で、Aと比べても大きな差はなく、自慢できるような代物ではないと伝えるのに用いる。自分の持ち物や腕前について、控えめに話す場面でも多く見られる。 ほかに、少しばかり経験を積んだだけの段階を指して、この言葉を使う例もある。
恋いたほど飽いた(こいたほどあいた)
夢中で恋い焦がれた分だけ、心離れも足早にやって来るということ。 深く燃えた恋ほど、覚めてみればあっけないという見方。
紅灯の巷(こうとうのちまた)
酒や色を売る店が軒を連ねる一帯をいう。 「紅灯」は客を招くために店先へ掲げた赤い灯で、その明かりが夜どおし絶えないところからいう。
声の下(こえのした)
何かを言ったその直後に。発した言葉の響きが消えきらない、ほんのひとときを指す。 「声の下」は、声を出したすぐあとのわずかな時間のこと。この「下」の字は「もと」でなく「した」と読む。 言ったばかりのことと食い違う行いを、すぐにしてしまう場面でよく使われる。 意味の変わらない言い方に「言葉の下から」がある。「声の下より」と言うこともあるが、こちらには小声で弱々しく話す様子をいう用法も含まれる。 言ったことにすぐ背くのを責める気持ちが強いときは、[[舌の根の乾かぬうち*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/3261.php]]とほぼ同じ働きをする。
心につるる姿(こころにつるるすがた)
心のありさまは外見に現れるということ。 「つるる」は「連れる」、伴うという意味。 心が美しいと姿も美しくなり、心が醜いと姿も醜くなるとの意から。
言葉は国の手形(ことばはくにのてがた)
言葉のなまりは通行手形のように、その人の生まれ育った場所を示すということ。 「訛りは国の手形」「方言は国の手形」ともいう。
賽は投げられた(さいはなげられた)
もう手は放たれ、目は転がりだしている。あとは出た目のままに運ぶしかなく、途中で拾い上げる術は残っていない。
四角張った(しかくばった)
打ち解けたところがなく、堅苦しいさま。改まりすぎて窮屈な物腰や言葉づかいについていう。
常山の舌(じょうざんのした)
どれほどの責め苦を受けても言うべきことを言いやめない、その一途さ。顔杲卿は安禄山の軍に捕らえられ、面と向かって責め立てるのをやめなかったため舌を抜かれ、それでも声を出そうとして果てたという。
情張りは棒の下(じょうはりはぼうのした)
素直でいるほうが得であるということ。 強情を張る人は恨みを買って棒で打たれるということから。
好いたほど飽いた(すいたほどあいた)
初めはとても好きでたまらなかったが、その分だけ早く飽いて嫌になるということ。
