商人の嘘は神もお許しについて

言葉 | 商人の嘘は神もお許し |
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読み方 | あきんどのうそはかみもおゆるし |
意味 | 商人が商売上の駆け引きで嘘をつくのは、神様もやむを得ないとお許しになるということ。 |
出典 | - |
使用されている漢字
「商」を含むことわざ
商い三年(あきないさんねん)
商いは始めてから三年くらいたたないと、利益を得るようにはならない。三年は辛抱せよというおしえ。
商い上手の仕入れ下手(あきないじょうずのしいれべた)
客に物を売るのはうまいが、仕入れがへたで儲からないということ。
商いは牛の涎(あきないはうしのよだれ)
商売のこつは牛のよだれのように細く長く切れ目なく、気長に辛抱して続けることだということ。
商いは数でこなせ(あきないはかずでこなせ)
商売のこつは薄利多売だということ。
商いは門門(あきないはかどかど)
商売のこつは客を観察してその客に合った物を売ることだということ。
商いは草の種(あきないはくさのたね)
商売は草の種のように種類が多いということ。 「商売は草の種」ともいう。
「人」を含むことわざ
赤の他人(あかのたにん)
全く無関係の他人。「赤」は名詞の上に付くことでそれを強調し、「全くの」「明らかな」「はっきりした」の意を表す。
商人と屏風は直ぐには立たぬ(あきんどとびょうぶはすぐにはたたぬ)
屏風は折り曲げないと立たないように、商売も自分の感情や理屈を曲げて、客の機嫌を損ねないようにしなければ繁盛しないということ。「屏風と商人は直ぐには立たぬ」ともいう。
商人と屏風は曲がらねば立たぬ(あきんどとびょうぶはまがらねばたたぬ)
屏風は折り曲げないと立たないように、商売も自分の感情や理屈を曲げて、客の機嫌を損ねないようにしなければ繁盛しないということ。 「商人と屏風は直ぐには立たぬ」ともいう。
商人に系図なし(あきんどにけいずなし)
商人には家柄など関係なく、商売の手腕や努力しだいで成功するということ。
商人の子は算盤の音で目を覚ます(あきんどのこはそろばんのおとでめをさます)
人の習性は、育つ環境の影響を大きく受けるということ。商人の子どもは金勘定に敏感で、眠っていても算盤の音で起きるという意から。
商人の空値(あきんどのそらね)
商人が駆け引きしてつける値段は、信用しがたいということ。
「嘘」を含むことわざ
嘘から出た実(うそからでたまこと)
嘘として言ったことが、偶然事実となること。
嘘つきは泥棒の始まり(うそつきはどろぼうのはじまり)
平気で嘘をつくようになると、泥棒をするのも平気になるということ。
嘘で固める(うそでかためる)
嘘ばかりで話をまとめる。嘘ばかりで繕う。
嘘にも種が要る(うそにもたねがいる)
嘘をつくのにも、何か材料が必要である。何事にもそれ相応の準備が必要で、物事はそう簡単にはいかないということ。
嘘八百(うそはっぴゃく)
やたらに嘘をつくこと。また、まったくのでたらめであること。「八百」は数が多いことの意。
嘘も方便(うそもほうべん)
嘘も時と場合によっては、よい結果を得る手段として必要であるということ。仏教で衆生を真の教えに導くために、仏も嘘を用いたということから。
「神」を含むことわざ
挨拶は時の氏神(あいさつはときのうじがみ)
争いごとの仲裁をしてくれる人は氏神様のようにありがたいものなので、その仲裁に従うのがよいということ。 「挨拶」は仲裁の意味。 「仲裁は時の氏神」ともいう。
過つは人の性、許すは神の心(あやまつはひとのさが、ゆるすはかみのこころ)
人は誰でも過ちを犯しやすく、その過ちを許すのは神であるということ。「過ちは人の常、許すは神の業」ともいう。
祈らずとても神や守らん(いのらずとてもかみやまもらん)
行いが正しく慎み深ければ、ことさら神に祈らなくても自然に神の加護があるものだということ。 菅原道真の作といわれる「心だに誠の道に叶いなば祈らずとても神や守らん」より出た言葉。
臆病の神降ろし(おくびょうのかみおろし)
臆病な者が神々に祈って加護を求めること。「神降ろし」は巫女などが神霊を呼び招く行為。
恐れ入谷の鬼子母神(おそれいりやのきしもじん)
「恐れ入りました」をしゃれていう言葉。「鬼子母神」は、出産・育児の神で、その鬼子母神を祭る東京都台東区入谷と「恐れ入りやした」の「入りや」をかけていったもの。
御神酒上がらぬ神はない(おみきあがらぬかみはない)
酒飲みが飲酒することの自己弁護に使う言葉。「御神酒」は、神前に供える酒のこと。神様でさえお酒を召し上がるのだから、人間が酒を飲むのは当たり前だという意から。
「許」を含むことわざ
過つは人の性、許すは神の心(あやまつはひとのさが、ゆるすはかみのこころ)
人は誰でも過ちを犯しやすく、その過ちを許すのは神であるということ。「過ちは人の常、許すは神の業」ともいう。
気を許す(きをゆるす)
相手を信頼して、警戒心や緊張をなくすこと。
葷酒、山門に入るを許さず(くんしゅ、さんもんにいるをゆるさず)
葷酒は修行の妨げになるので、寺の中に持ち込むのを許さないということ。「葷酒」は、強い臭気のねぎやにらなどの野菜と酒。禅寺の山門の脇に立つ石碑に刻まれた言葉。
心の駒に手綱許すな(こころのこまにたづなゆるすな)
過ちを犯さないように、常に心を引き締めよというたとえ。「駒」は馬のこと。心を馬にたとえて、放っておくと悪い方へ走りがちなので、手綱を引き締めて制御せよという意から。
心を許す(こころをゆるす)
相手を信頼して、警戒心や緊張をなくすこと。
自他共に許す(じたともにゆるす)
全ての人がそうであると認めること。