過つは人の性、許すは神の心とは

言葉 | 過つは人の性、許すは神の心 |
---|---|
読み方 | あやまつはひとのさが、ゆるすはかみのこころ |
意味 | 人は誰でも過ちを犯すものなので、むやみに人を責めてはいけないということ。
「過ちは人の常、許すは神の業」ともいう。 |
出典 | 『批評論』 |
異形 | 過ちは人の常、許すは神の業(あやまちはひとのつね、ゆるすはかみのわざ) |
使用されている漢字
「過」を含むことわざ
過ちて改めざる是を過ちと謂う(あやまちてあらためざるこれをあやまちという)
人は過ちを犯したらすぐに反省して改めるべきであり、過ちを犯して改めようとしないことが本当の過ちであるということ。 「過ちを改めざる是を過ちと謂う」ともいう。
過ちては改むるに憚ること勿れ(あやまちてはあらたむるにはばかることなかれ)
過ちを犯したことに気がついたら、体面や体裁などにとらわれず、すぐに改めるべきだという戒め。
過ちは好む所にあり(あやまちはこのむところにあり)
過ちは、自分の好きな事や得意な事をしている時に、つい油断して起こるということ。
過ちを文る(あやまちをかざる)
過ちを取り繕うために、あれこれ言い訳をしてごまかそうとすること。「文る」は飾るで、取り繕うという意。
過ちを観て仁を知る(あやまちをみてじんをしる)
人の過ちの種類を観察することによって、その人の人柄がわかるということ。
命に過ぎたる宝なし(いのちにすぎたるたからなし)
命以上に大切なものはこの世にないということ。
「人」を含むことわざ
赤の他人(あかのたにん)
全く無関係の他人。「赤」は名詞の上に付くことでそれを強調し、「全くの」「明らかな」「はっきりした」の意を表す。
商人と屏風は直ぐには立たぬ(あきんどとびょうぶはすぐにはたたぬ)
屏風は折り曲げないと立たないのと同じように、商売も自分の感情や理屈を曲げて客の機嫌を損ねないようにしなければ繁盛しないということ。 「屏風と商人は直ぐには立たぬ」「商人と屏風は曲がらねば立たぬ」ともいう。
商人に系図なし(あきんどにけいずなし)
商人には家柄など関係なく、商売の手腕や努力しだいで成功するということ。
商人の嘘は神もお許し(あきんどのうそはかみもおゆるし)
商人が商売上の駆け引きで嘘をつくのは、神様もやむを得ないとお許しになるということ。
商人の子は算盤の音で目を覚ます(あきんどのこはそろばんのおとでめをさます)
人の習性は、育つ環境の影響を大きく受けるということ。 商人の子どもは金勘定に敏感で、眠っていても算盤の音で起きるという意味から。
商人の空値(あきんどのそらね)
商人が駆け引きしてつける値段は、信用しがたいということ。
商人の元値(あきんどのもとね)
商人は計算高いので、商人の言う元値は本当かどうかわからないということ。
「性」を含むことわざ
相性が悪い(あいしょうがわるい)
相手との性格や考え方、調子などが上手く合わない。 「相性」は「合性」とも書く。
甲斐性が無い(かいしょうがない)
積極的に物事をやり遂げようという気力がなく、頼りにならないことのたとえ。
後生願いの六性悪(ごしょうねがいのろくしょうあく)
来世の安楽を願っていながら、たちの悪いことをするたとえ。「後生願い」は、来世の極楽往生を願うこと。「六性悪」は、喜・怒・哀・楽・愛・悪の六つの感情の「六性」と「性悪」をかけていったもの。
酒飲み、本性違わず(さけのみ、ほんしょうたがわず)
酒に酔っても、その人の本来の性質は変わらないということ。 「酒飲み」は「生酔い」「上戸」ともいう。
習慣は第二の天性なり(しゅうかんはだいにのてんせいなり)
習慣はいつしか深く身について、まるで生まれつきの性質のように日常生活に影響を及ぼすということ。
性が合う(しょうがあう)
お互いの気持ちが通じ合うこと。
「許」を含むことわざ
商人の嘘は神もお許し(あきんどのうそはかみもおゆるし)
商人が商売上の駆け引きで嘘をつくのは、神様もやむを得ないとお許しになるということ。
気を許す(きをゆるす)
相手を信頼して、警戒心や緊張をなくすこと。
葷酒、山門に入るを許さず(くんしゅ、さんもんにいるをゆるさず)
葷酒は修行の妨げになるので、寺の中に持ち込むのを許さないということ。「葷酒」は、強い臭気のねぎやにらなどの野菜と酒。禅寺の山門の脇に立つ石碑に刻まれた言葉。
心の駒に手綱許すな(こころのこまにたづなゆるすな)
過ちを犯さないように、常に心を引き締めよということ。 「駒」は馬のこと。心を馬にたとえて、放っておくと悪い方へ走りがちなので、手綱を引き締めて制御せよとの意から。
心を許す(こころをゆるす)
相手を信頼して、警戒心や緊張をなくすこと。
自他共に許す(じたともにゆるす)
全ての人がそうであると認めること。
「神」を含むことわざ
挨拶は時の氏神(あいさつはときのうじがみ)
争いごとの仲裁をしてくれる人は氏神様のようにありがたいものなので、その仲裁に従うのがよいということ。 「挨拶」は仲裁の意味。 「仲裁は時の氏神」ともいう。
商人の嘘は神もお許し(あきんどのうそはかみもおゆるし)
商人が商売上の駆け引きで嘘をつくのは、神様もやむを得ないとお許しになるということ。
祈らずとても神や守らん(いのらずとてもかみやまもらん)
行いが正しく慎み深ければ、ことさら神に祈らなくても自然に神の加護があるものだということ。 菅原道真の作といわれる「心だに誠の道に叶いなば祈らずとても神や守らん」より出た言葉。
臆病の神降ろし(おくびょうのかみおろし)
臆病な者が神々に祈って加護を求めること。「神降ろし」は巫女などが神霊を呼び招く行為。
恐れ入谷の鬼子母神(おそれいりやのきしもじん)
「恐れ入りました」をしゃれていう言葉。「鬼子母神」は、出産・育児の神で、その鬼子母神を祭る東京都台東区入谷と「恐れ入りやした」の「入りや」をかけていったもの。
御神酒上がらぬ神はない(おみきあがらぬかみはない)
神様でさえお酒を召し上がるのだから、人間が酒を飲むのは当たり前だということ。 酒飲みが飲酒することの自己弁護に使う言葉。 「御神酒」は、神前に供える酒のこと。
「心」を含むことわざ
諦めは心の養生(あきらめはこころのようじょう)
失敗や不運をくよくよ考えるより、きっぱり諦めたほうが精神的に良いということ。
明日ありと思う心の仇桜(あすありとおもうこころのあだざくら)
いつ何が起こるかわからない、人生や世の中の無常をいった言葉。 桜の花が、明日も咲いているだろうと安心していると、夜中の嵐で散ってしまうかもしれないとの意から。 「夜半に嵐の吹かぬものかは」という句がこれに続く。
頭剃るより心を剃れ(あたまそるよりこころをそれ)
外見より精神が大事だということ。 頭を剃って姿だけ僧になるより、まず心を清浄せよということ。
怒り心頭に発する(いかりしんとうにはっする)
心の底から激しい怒りがわきあがること。 「心頭」は心の中の意。
生きた心地もしない(いきたここちもしない)
恐ろしさのあまり、生きているという感じがしないさま。
一心岩をも通す(いっしんいわをもとおす)
不可能と思われることでも、心を集中させて専念すれば成し遂げられるというたとえ。
「常」を含むことわざ
奢る者は心常に貧し(おごるものはこころつねにまずし)
贅沢な生活を好む者は、満足することを知らず、満たされずに常に不平不満の気持ちを持ち続け、その心は貧しいということ。
常軌を逸する(じょうきをいっする)
常識外れなことを行ったり言ったりすること。
千里の馬は常にあれども伯楽は常にはあらず(せんりのうまはつねにあれどもはくらくはつねにはあらず)
有能な人材はいつの世にもいるが、その能力を見出して育てる優れた指導者は少ないということのたとえ。 「千里の馬」は、一日に千里も走れるほどの優れた馬。転じて、優れた才能の人物。 「伯楽」は牛馬の良し悪しを見分ける名人のこと。転じて、人物を見抜いて、その才能を引き出し育てる優れた指導者のこと。 いつの時代にも、一日に千里を走るほどの優れた馬はいるが、その名馬の能力を引き出す伯楽は、いつもいるわけではないということから。
常が大事(つねがだいじ)
人はふだんの行いが大事だということ。
常に来る客は歓迎されず(つねにくるきゃくはかんげいされず)
たまに来る人は歓迎されるが、いつも来る人は客として喜ばれないという戒め。
無常の鬼が身を責むる(むじょうのおにがみをせむる)
無常の風は時を選ばず(むじょうのかぜはときをえらばず)
風が咲いている花を散らすのに時を選ばないように、人の命もいつ果てるのか、まったく予測はつかないということ。
「業」を含むことわざ
業を煮やす(ごうをにやす)
物事が思うように運ばず、腹を立てていらいらするたとえ。
至難の業(しなんのわざ)
実現できるとは思えないほどに難しいこと。
自転車操業(じてんしゃそうぎょう)
借金と返済を繰り返しながらどうにか仕事を続けること。また、そのような経営状態。 自転車は止まると倒れるということから。
創業は易く守成は難し(そうぎょうはやすくしゅせいはかたし)
事業を新しく起こすよりも、成果を守り続けていくほうが難しいということ。 「創業」は事業を新しく興すこと。 「守成」は成果を守るいう意味から。 唐の太宗が「創業と守成のどちらが難しいか」と尋ねたときに、魏徴が「守成」と答えたという故事から。
ことわざ検索ランキング01/27更新