「常」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 16 件
「常」を含む漢字が使われている故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。
故事・ことわざ・慣用句一覧
過ちは人の常、許すは神の業(あやまちはひとのつね、ゆるすはかみのわざ)
人は誰でも過ちを犯すものなので、むやみに人を責めてはいけないということ。 「過ちは人の常、許すは神の業」ともいう。
言えば世の常(いえばよのつね)
言葉にして言ってしまうと、どこにでもある平凡なことのように響いてしまい、本当のありさまを表しきれない、ということ。 美しさや悲しさなどの度合いがあまりに大きく、とても言葉では言い表せないときに使う。 昔の物語や随筆に出てくる言い回し。「世の常」は、世の中によくある並みのことの意。「言うも世の常」ともいう。 [[筆舌に尽くし難い*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/4153.php]]や[[名状しがたい*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/8393.php]]も、これと通じる意味をもつ。
奢る者は心常に貧し(おごるものはこころつねにまずし)
贅沢な生活を好む者は、満足することを知らず、満たされずに常に不平不満の気持ちを持ち続け、その心は貧しいということ。
常軌を逸する(じょうきをいっする)
常識外れなことを行ったり言ったりすること。
常山の舌(じょうざんのした)
どれほどの責め苦を受けても言うべきことを言いやめない、その一途さ。顔杲卿は安禄山の軍に捕らえられ、面と向かって責め立てるのをやめなかったため舌を抜かれ、それでも声を出そうとして果てたという。
常山の蛇勢(じょうざんのだせい)
頭を打てば尾が、尾を打てば頭が返してくる蛇のように、どこを突かれても残りが手当てに回る備え。 軍の配りにもいい、書き出しから結びまで筋の通った文章にもいう。 常山にいたという卒然という名の双頭の蛇の話に基づく。
千里の馬は常にあれども伯楽は常にはあらず(せんりのうまはつねにあれどもはくらくはつねにはあらず)
有能な人材はいつの世にもいるが、その能力を見出して育てる優れた指導者は少ないということのたとえ。 「千里の馬」は、一日に千里も走れるほどの優れた馬。転じて、優れた才能の人物。 「伯楽」は牛馬の良し悪しを見分ける名人のこと。転じて、人物を見抜いて、その才能を引き出し育てる優れた指導者のこと。 いつの時代にも、一日に千里を走るほどの優れた馬はいるが、その名馬の能力を引き出す伯楽は、いつもいるわけではないということから。
常が大事(つねがだいじ)
人が見ているのはとっさのふるまいではなく、ふだんの身の処し方である。 日ごろの暮らしが整ってさえいれば、何かが起きたときにあらぬ言いがかりを受けずにすむ。
常常良しの晴れなし(つねづねよしのはれなし)
ふだんから上等なものばかり身につけていると、肝心の場に回す一着が残らない。 平生と晴れの日は分けておけという教え。
常に来る客は歓迎されず(つねにくるきゃくはかんげいされず)
たまに来る人は歓迎されるが、いつも来る人は客として喜ばれないという戒め。
日常茶飯事(にちじょうさはんじ)
ごくありふれたこと。日々の茶や飯のように、当たり前に繰り返される平凡な出来事。 「茶飯」は日常の食事のことから、毎日行うありふれた行為・出来事のたとえとして用いられる。 「日常茶飯」ともいう。
兵に常勢無し(へいにじょうせいなし)
いくさの構えに、あらかじめ決めておける型は無い。敵がどう動くかによって、こちらの形はそのつど組み替えるもの。
無常の風は時を選ばず(むじょうのかぜはときをえらばず)
人の命は、若い人であっても年老いた人であっても、いつ尽きるか分からないということ。 吹く風が、咲き始めたばかりの花も満開の花も区別せずに散らしてしまうのを、人の死にたとえた言葉。仏教でいう「無常」とは、この世に永遠に変わらないものはないという考え方。
世の中は年中三月常月夜、嬶十七俺二十、負わず借らずに子三人(よのなかはねんじゅうさんがつじょうつきよ、かかあじゅうしちおれはたち、おわずからずにこさんにん)
世の中は、いつも三月頃の温暖な気候で、夜は明るい月夜、妻は十七歳自分は二十歳、責任も借金もなく、子どもは三人持つ暮らしが望ましいということ。江戸時代の庶民のささやかな願望をいった言葉。
悋気嫉妬は女の常(りんきしっとはおんなのつね)
女はやきもちを焼くものだということ。「悋気」はやきもちの意で「悋気」と「嫉妬」を重ねておもしろく言ったもの。
我が子自慢は親の常(わがこじまんはおやのつね)
親というものは、だれもが自分の子どもを人に誇りたがるということ。
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