「親族」に関連する故事・ことわざ・慣用句 — 152 件
「親族」に関連する故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。全152件を五十音順に掲載しています。
ことわざ一覧(五十音順)
秋風と夫婦喧嘩は日が入りゃ止む(あきかぜとふうふげんかはひがいりゃやむ)
日暮れとともに秋の風が凪ぐのと同じで、夫婦の言い争いも夜が来ればおのずと鎮まるものだということ。
秋茄子は嫁に食わすな(あきなすはよめにくわすな)
秋に収穫する茄子を嫁に食べさせてはいけないということ。 「おいしいのでもったいないという姑の嫁いびり」「種が少ないので子宝に恵まれない」「体が冷えてよくない」などの解釈がある。 「おいしいのでもったいないという姑の嫁いびり」の解釈が一般的。
悪妻は六十年の不作(あくさいはろくじゅうねんのふさく)
連れ合いを選び違えると、その痛手は死ぬまで、ときには次の代まで尾を引く。 一度きりの選び方が、その後のすべてに影を落とす。 「悪妻は百年の不作」ともいう。
欠伸を一緒にすれば三日従兄弟(あくびをいっしょにすればみっかいとこ)
つられて一緒にあくびをした者同士は、何かしらの縁があるということ。 「三日従兄弟」は血のつながりの薄い親類で、縁を軽い血縁関係にたとえた言い方。
姉女房は身代の薬(あねにょうぼうはしんだいのくすり)
夫より年上の妻は家計のやりくりもうまく、夫に尽くすので、家庭が円満であるということ。
姉は菅笠、妹は日傘(あねはすげがさ、いもとはひがさ)
女性は嫁ぎ先しだいで、境遇に大きな差が出てくるということ。「菅笠」は農作業でかぶる笠。「日傘」は盛装などの時にさす日除けの傘。同じ家で育った姉妹でも、嫁ぎ先によって、菅笠をかぶってあくせく働いたり、日傘をさして優雅に出掛けたりと、違う境遇になるということから。
家貧しくして孝子顕る(いえまずしくしてこうしあらわる)
裕福な家なら子は親に養われていればすむが、暮らしが苦しければ子も家計を担わねばならない。その働きぶりが人の目にとまり、孝行者として名が立つということ。 「世乱れて忠臣を識る」と対にしていい、人の値打ちは苦しい場に置かれて初めて見えてくるという含みを持つ。
諍いをしいしい腹を大きくし(いさかいをしいしいはらをおおきくし)
口喧嘩の絶えない夫婦でも、子だけは次々と授かる。
石に布団は着せられず(いしにふとんはきせられず)
親が生きているうちに孝行すべきで、死後に悔やんでも遅いということ。 墓石に布団を着せて温めても無意味であることから。 「石」は「墓」ともいう。
いつまでもあると思うな親と金(いつまでもあるとおもうなおやとかね)
独立と倹約を心がけよという戒めのことば。 親はいつまでも面倒見てくれるわけでもなく、金も使えばなくなることから。
いとこ同士は鴨の味(いとこどうしはかものあじ)
血の近い者どうしが連れ添うと、格別に睦まじくなる。 ごちそうの旨さを持ち出すほど、その間柄は濃いと見られてきた。
倚門の望(いもんのぼう)
母親が子どもの帰りを待ちわびること。また、そういう母親の愛情のこと。中国の春秋時代、王孫賈(おうそんか)の母親が門に倚(よ)りかかって、我が子の帰りを待ちわびたという故事から。
打たれても親の杖(うたれてもおやのつえ)
親が子を杖で打つ叱り方も、慈愛がこもっているので子は感謝すべきだということ。
打つも撫でるも親の恩(うつもなでるもおやのおん)
子を叱ってぶつのも、ほめて撫でるのも、すべて親の愛情のあらわれだということ。
生みの親より育ての親(うみのおやよりそだてのおや)
生んでくれた親より、育ててくれた親に愛情も恩義も感じるということ。
瓜の蔓に茄子は生らぬ(うりのつるになすびはならぬ)
一つの原因からは、それ相応の結果しか生まれないということ。また、平凡な親からは、非凡な子どもは生まれないということのたとえ。
鴛鴦の契り(えんおうのちぎり)
夫婦仲の睦まじいことのたとえ。「鴛」はおしどりの雄、「鴦」はおしどりの雌で、雌雄がいつも寄り添っていることから。
縁の切れ目は子で繋ぐ(えんのきれめはこでつなぐ)
夫婦仲がうまくいかなくなっても、子どもがいれば縁をつなぎとめてくれるということ。
おじが甥の草を刈る(おじがおいのくさをかる)
本来なら下が受け持つはずの手間を、上に立つ者が代わりに引き受けている。 順番が引っくり返った状態をいう。
おじを見ると荷が重い(おじをみるとにがおもい)
助けてくれそうな人を見たとたん、力が抜けて依頼心をおこし意気地がなくなることのたとえ。自分で荷物を運んでいる時、伯父(叔父)を見たとたんに荷物が重く感じられるということから。
同い年夫婦は火吹く力もない(おないどしみょうとはひふくちからもない)
同い年の夫婦は仲が良く、いつも笑ってばかりいるので、火吹き竹を吹いて火をおこすためのふくれっ面もできないということ。
お前百までわしゃ九十九まで(おまえひゃくまでわしゃくじゅうくまで)
夫婦がともに元気で仲睦まじく長生きしたいと願う言葉。「お前」は夫、「わしゃ」は妻のことで、この後に「共に白髪の生えるまで」と続く。
思うようなら子と三人(おもうようならことさんにん)
人生が思い通りになるなら、夫婦と子ども一人の三人で暮らすのが一番いいということ。
親思う心にまさる親心(おやおもうこころにまさるおやごころ)
子どもが親を思う気持ちよりも、親の子どもに対する愛情のほうがより深いというたとえ。「親思う心にまさる親心けふの音づれ何ときくらん」という吉田松陰の辞世の歌から。
親苦、子楽、孫乞食(おやく、こらく、まごこじき)
一代目が苦労して蓄えた身代は、二代目が安楽に使い減らし、三代目には何も残らないということ。 築いた者の辛苦を知らない代が続くうちに、家産は細っていくという見方。
親子の仲でも金銭は他人(おやこのなかでもきんせんはたにん)
金銭に関しては、親子の間でも他人と同じようにけじめをつけるべきだということ。
親子は一世(おやこはいっせ)
親子の関係は現世だけのものであるということ。 「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世」と続けてもいう。
親子は一世、夫婦は二世、主従は三世(おやこはいっせ、ふうふはにせ、しゅじゅうはさんせ)
親子の関係は現世だけのものであり、夫婦は前世と現世または現世と来世の二世に渡る。主従関係は、前世・現世・来世の三世にまたがるほど深いということ。
親と月夜はいつも良い(おやとつきよはいつもよい)
親がそばに居る時は何の不安もなく、明るい月の夜は安心して歩けるので、どちらもありがたいということ。
親に似ぬ子は鬼子(おやににぬこはおにご)
子どもは当然親に似るものであり、親に似ない子はいないということ。 親に似ない子は人間の子ではなく鬼の子であるとの意から。
親に目なし(おやにめなし)
親はわが子のことになると、かわいさのあまり正しい判断が出来なくなるということ。
親の甘茶が毒となる(おやのあまちゃがどくとなる)
親が子どもを甘やかして育てると、その子のためにならず、むしろ毒になるということ。
親の意見と茄子の花は千に一つも無駄はない(おやのいけんとなすびのはなはせんにひとつもむだはない)
咲いた花がひとつ残らず実を結ぶ作物と同じで、親が子に向ける言葉には外れがない。 空振りに終わる一言は出てこない。
親の意見と冷や酒は後で利く(おやのいけんとひやざけはあとできく)
言われたその場では耳を素通りしていくが、時を置いてから胸に落ちてくる。 冷や酒が遅れて回るのと同じ道筋をたどる。
親の因果が子に報う(おやのいんががこにむくう)
親の悪行の結果、罪のない子どもが災いを受けること。
親の恩は子で送る(おやのおんはこでおくる)
わが子をりっぱに育てることで、親から受けた恩を返すということ。「送る」は恩に報いるという意。
親の心、子知らず(おやのこころ、こしらず)
子どもを思う親の深い愛情を知らず、子どもは勝手気ままなことをするということ。
親の十七、子は知らぬ(おやのじゅうしち、こはしらぬ)
親は自分が未熟だった若い頃の失敗談などをしないから、子どもにはわからない。完全なふりをして子どもに意見する親を皮肉っていう言葉。
親の脛を齧る(おやのすねをかじる)
子どもが独立した生活が出来ずに親に養われて生活すること。
親の光は七光り(おやのひかりはななひかり)
当人の力量とは関わりなく、親の名前のほうが先に通る。世間の扱いもそこに引きずられて、実際より厚くなる。
親の欲目(おやのよくめ)
わが子かわいさのあまり、親が自分の子を実際より高く評価しようとすること。
親は親、子は子(おやはおや、こはこ)
親子でもそれぞれが別の人間であり、性質や才能が同じとは限らないということ。
親はなくとも子は育つ(おやはなくともこはそだつ)
親がいなくても、子どもはなんとか成長していく。世の中は、そう心配することもないというたとえ。
親は木綿着る、子は錦着る(おやはもめんきる、こはにしききる)
親は一生懸命働き質素に暮らして財産を築き、子はその苦労を知らずにぜいたくをして、親の財産を浪費するというたとえ。
親馬鹿子馬鹿(おやばかこばか)
目が曇った親は子の至らなさを見落とし、子のほうもそれを当て込んで甘えたままでいる。 互いに引き下げ合ったまま、双方とも気づかない。
親を睨むと鮃になる(おやをにらむとひらめになる)
親に反抗したりおろそかに扱ったりしてはいけないという戒めの言葉。 親を睨んだりすると、ばちが当たって鮃(ひらめ)のように目がかたよってしまうとの意から。 「親を睨むと鰈(かれい)になる」ともいう。
蛙の子は蛙(かえるのこはかえる)
子どもは親に似るものであるということ。また、凡人の子はやはり凡人であるというたとえ。
貸し借りは他人(かしかりはたにん)
金銭の貸し借りについては、親子の間でも他人と同じようにけじめをつけるべきだということ。
叶わぬ時には親を出せ(かなわぬときにはおやをだせ)
言い訳に困った時には、親を引き合いに出すことで口実を作れということ。
川の字に寝る(かわのじにねる)
漢字の「川」の字のように寝ること。 特に、夫婦が子どもを真ん中にして寝ること。
樹静かならんと欲すれども風止まず(きしずかならんとほっすれどもかぜやまず)
親に尽くそうと心を決めたときには、当の親の齢のほうが待ってくれない。風がやまないかぎり木は静まろうにも揺れつづけるほかないのと同じで、こちらの心づもりだけでは間に合わぬものがあるという嘆き。 すぐあとに「子養わんと欲すれども親待たず」と続けていう。
狐の子は面白(きつねのこはつらじろ)
子は親に似るというたとえ。「面白」は、顔が白いこと。
久離を切る(きゅうりをきる)
親族などの縁を永久に断つこと。勘当すること。江戸時代、不品行の者の親族が連帯責任を逃れるために、奉行所に願い出てその者と縁を切ったことから。「久離」は「旧離」とも書く。
兄弟は他人の始まり(きょうだいはたにんのはじまり)
兄弟姉妹も成長すれば利害関係や結婚などによって、お互いの愛情が薄れ、やがて他人のようになってしまうというたとえ。
琴瑟相和す(きんしつあいわす)
夫婦の仲が非常によいたとえ。「瑟」は、大琴。琴と大琴の合奏は音がよく調和することから。
金銭は他人(きんせんはたにん)
金銭に関しては、たとえ親子の間でも、他人と同じようにけじめをつけなければならないということ。
堯の子堯ならず(ぎょうのこぎょうならず)
頭抜けた父のもとに、同じ器量の子が並ぶわけではない。 古代の聖王は位を我が子に渡さず、人柄を見込んだ舜に譲ったという。
苦しい時には親を出せ(くるしいときにはおやをだせ)
言い訳に困った時には、親を口実に使うのがいいということ。
君子の三楽(くんしのさんらく)
徳のそなわった人が心から楽しむ三つのもの。父母と同胞がそろって息災であること、おのれの行いに一点の疚しさもないこと、すぐれた素質の若者を導き育てること。
形影相伴う(けいえいあいともなう)
夫婦などがいつも一緒で、仲むつまじい様子。 「形影」は形と影。 「相伴う」は常に一緒にいること。
兄弟牆に鬩げども外その務りを禦ぐ(けいていかきにせめげどもそとそのあなどりをふせぐ)
垣根の内側では言い争いの絶えない同士でも、外から手を出されれば背中を合わせて立つ。 身内の不和と、外に向かうときの結束とは、まるきり別の話だ。
孝行のしたい時分に親はなし(こうこうのしたいじぶんにおやはなし)
親の値打ちは、こちらが同じ年恰好になってようやく腑に落ちる。腑に落ちたころには相手はもういない——その食い違いを嘆いた川柳が、そのままことわざになった。
小姑一人は鬼千匹にむかう(こじゅうとひとりはおにせんびきにむかう)
嫁にとって、小姑一人は鬼千匹にも匹敵するほどやっかいで、扱いにくい存在であるということ。「むかう」は、匹敵するという意。
子宝、脛が細る(こだから、すねがほそる)
親にとって子どもは宝であるが、育てるためには脛が細くなるような苦労をするということ。
骨肉相食む(こつにくあいはむ)
肉親同士が激しく争うこと。「骨肉」は、親子・兄弟などの血のつながった者の意。
子供の喧嘩に親が出る(こどものけんかにおやがでる)
子ども同士の喧嘩に親が口出しして、自分の子どもの味方をする愚かさを非難する言葉。また、大人気ないふるまいや余計な干渉をするたとえ。
この親にしてこの子あり(このおやにしてこのこあり)
親の気質は、そのまま子の振る舞いに写って出る。 子を見て育てた側の人柄まで言い当てるときに使い、褒めるときにも呆れるときにも向けられる。
子の心、親知らず(このこころ、おやしらず)
親はとかく、子どもの本当の心や考えを察知することは出来ないということ。
子は産むも心は生まぬ(こはうむもこころはうまぬ)
腹を痛めて生み落とせるのはからだまでで、その子がどんな心根に育つかまでは産んだ者の手が届かない。 親と似ても似つかぬ性分の子を持った者が、ため息まじりに言う言葉。
子は鎹(こはかすがい)
子どもは夫婦の縁をつなぎとめる鎹のような存在で、我が子への愛情から夫婦の仲がなごやかに保たれるということ。「鎹」は、材木をつなぎ止めるためのコの字型の鉄製の釘のこと。
子は三界の首枷(こはさんがいのくびかせ)
親は子どものことにとらわれて、終生自由を束縛されてしまうということ。「三界」は、過去・現在・未来の三世のこと。「首枷」は、罪人の首にはめて自由を束縛する刑具。子どもは三界にわたって親の自由を拘束する首枷のようなものだということ。
子ほど喜ばせにくいものはなく親ほど喜ばせやすいものはない(こほどよろこばせにくいものはなくおやほどよろこばせやすいものはない)
親の愛情を当然と思っている子どもを喜ばせるのは難しいが、親は子どものわずかな孝養でも大喜びするということ。
子養わんと欲すれども親待たず(こやしなわんとほっすれどもおやまたず)
子に親を養う力がついた頃には、その親はすでに亡い。孝行が間に合わなかった嘆きをいう。
子故の闇(こゆえのやみ)
わが子を思う情に引かれて、親が分別を失うこと。「人の親の心は闇にあらねども」と詠まれた歌から出た言い方。
子を知ること父に若くはなし(こをしることちちにしくはなし)
父親は子どもの長所や短所を誰よりもいちばんよく知っているということ。「若くはなし」は、及ぶものはないという意。
子を見ること親に如かず(こをみることおやにしかず)
子どもの長所や短所をいちばんよく知っているのは親であり、親に及ぶものはないということ。
子を持って知る親の恩(こをもってしるおやのおん)
わが子を育てる側に回ってはじめて、かつて自分が受けていたものの重さに気づくということ。 手のかかりようも掛かりの重さも、その立場に立たなければ見えてこない。
三度の火事より一度の後家(さんどのかじよりいちどのごけ)
三度火事に遭うより、一度だけでも夫に先立たれるほうが精神的打撃が大きくて立ち直りにくいというたとえ。
死なぬ子三人、皆孝行(しなぬこさんにん、みなこうこう)
三人の子どもが親より先に死なずに成人してくれたら、これ以上の孝行はないということ。
舅の物で相婿もてなす(しゅうとのものであいむこもてなす)
自分のふところは痛めずに、人の物を相手にふるまう、ちゃっかりとした行いのたとえ。「相婿」は姉妹の夫どうしのこと。舅のふるまいで出された料理や酒を、相婿が勧め合う意から。「舅の酒で相婿もてなす」ともいう。
親戚の泣き寄り(しんせきのなきより)
親戚は普段はあまり関わりがなくても、不幸があると集まって一緒に悲しむということ。
親は泣き寄り、他人は食い寄り(しんはなきより、たにんはくいより)
同じ座に顔をそろえていても、来ている理由はまるで違う。 血のつながった側は胸を痛めて、そうでない側は座敷の支度のほうを見ている。 また、いざというとき本気で動くのは身内のほうで、他人の情けは表面で止まる。 単に「他人は食い寄り」ともいう。
赤縄を結ぶ(せきじょうをむすぶ)
夫婦になろうと言い交わすこと。その縁組は天であらかじめ決まっていたのだ、という含みを伴う。「赤縄の契り」の形でも用いる。
大義、親を滅す(たいぎ、しんをめっす)
守らねばならぬ大きな筋道の前では、血のつながりさえ断ち切らねばならないことがあるということ。 「大義」は人として、また臣として踏み行うべき大きな道をいう。 君主を殺した一味にわが子が加わったとき、父みずからの手でこれを処断させたという故事から出た言葉。
竹の子の親勝り(たけのこのおやまさり)
(たけのこはすぐに親竹と同じ、または親竹以上の高さになることから)子どもの成長が早く、すぐに親を凌ぐようになることのたとえ。または、子どもが親よりもすぐれていることのたとえ。 「竹の子」は「筍」とも書く。
他人の別れ棒の端(たにんのわかれぼうのはし)
夫婦が離婚すると、赤の他人よりも疎遠になってしまい、お互いに棒切れほどにしか思わなくなるということ。
溜め息をすれば親の寿命が縮む(ためいきをすればおやのじゅみょうがちぢむ)
子どもがため息をつけば、親は寿命が縮むほど心配するから、親にそんな態度を見せてはいけないということ。
血が繋がる(ちがつながる)
血縁関係にある。
契りを交わす(ちぎりをかわす)
固い約束をする。特に夫婦になる約束をする。
契りを結ぶ(ちぎりをむすぶ)
かたい約束をする。夫婦関係や義兄弟の関係を結ぶ。
父父たらずと雖も子は子たらざるべからず(ちちちちたらずといえどもこはこたらざるべからず)
父親が父親の役目を果たさなくても、子どもは子どもとしての役目を果たさなければならないということ。
父の恩は山よりも高く、母の恩は海よりも深し(ちちのおんはやまよりもたかく、ははのおんはうみよりもふかし)
父母から受けた恩は広大で深いということ。 両親の愛情をたとえたもの。 「父母の恩は山よりも高く海よりも深し」ともいう。
血で血を洗う(ちでちをあらう)
血縁関係にある者同士が血を流し合うような争いをすること。 また、暴力に対して暴力、悪事に対して悪事で争うことのたとえ。 「血を以て血を洗う」ともいう。
血は争えない(ちはあらそえない)
血統によって受け継がれる性質は明らかであり、否定のしようがないということ。 子の性格や特徴などが、親や先祖などに似ていることをいう。 「血筋は争えない」ともいう。
血は水よりも濃い(ちはみずよりもこい)
血縁のある間柄は、他人よりも繋がりが強いことのたとえ。
蝶よ花よ(ちょうよはなよ)
親が自分の娘をかわいがり大事にするたとえ。「蝶よ花よと育てられる」の形で使われることが多い。
血を引く(ちをひく)
祖先や親の気質や体質、身体的特徴などを受け継ぐこと。 「血を受ける」ともいう。
血を分ける(ちをわける)
親や兄弟などのように、血のつながった関係にあること。
妻の言うに向こう山も動く(つまのいうにむこうやまもうごく)
妻の言葉は夫に対して大きな力を持っていることのたとえ。 動くはずのない向こうの山でさえも、妻が言えば動いてしまうとの意から。
亭主関白の位(ていしゅかんぱくのくらい)
家庭の中で夫が非常にいばっていること、また絶大な権威をもっていることのたとえ。 一家の主人が関白と同じ位にあるかのような権威をもっているとの意から。 「関白」は、昔、天皇を補佐した重職のこと。 「亭主関白」ともいう。
亭主の好きな赤烏帽子(ていしゅのすきなあかえぼし)
どのようなことでも、一家の主人が言うからには従わなければいけないということ。 黒塗りが普通である烏帽子も、主人が赤い烏帽子を好めば家族は同調すべきであるとの意から。
亭主を尻に敷く(ていしゅをしりにしく)
妻が夫を立てず、家のことを自分の一存で決めてしまう。
貞女は両夫に見えず(ていじょはりょうふにまみえず)
連れ合いを失ったのちも、その人ひとりを心に置きつづけ、ほかの男に添うことをしない女性のありよう。「忠臣は二君に事えず」と並べて使われる。 斉の王蠋が、攻め入った燕からの招きに、忠臣は二人の君に仕えず貞女は二人の夫にまみえぬと答えて拒み、みずから命を絶った。
手鍋提げても(てなべさげても)
好きな男と夫婦になれるなら、どんな苦労もいとわないということ。
天にあらば比翼の鳥地にあらば連理の枝(てんにあらばひよくのとりちにあらばれんりのえだ)
生まれ変わってもひとつの体でいたい、根のところで繋がっていたいと誓い合う。 添い遂げたいという願いを、天と地の二つになぞらえて並べた言い方。 「比翼の鳥」は目も翼も片方ずつしかなく、二羽並んで初めて飛べるという想像上の鳥。 「連理の枝」は別々の木の枝が途中でつながり、一本になったもの。 略して「比翼連理」ともいう。
遠くの親類より近くの他人(とおくのしんるいよりちかくのたにん)
いざという時には、遠方に住んでいる親戚より近所に住んでいる他人の方が頼りになるということ。
鳶が鷹を生む(とびがたかをうむ)
平凡な親から優れた子どもが生まれることのたとえ。 「とび」は「とんび」とも読む。 「鳶が孔雀を生む」ともいう。
虎は千里行って千里帰る(とらはせんりいってせんりかえる)
勢いが盛んで力強い行動力のたとえ。また、子を思う親の愛情深い行動力のたとえ。虎は一日に千里の道を進み、その後、再び同じ距離を戻ってくると言われることから。
内助の功(ないじょのこう)
夫が外で十分働けるように、妻が家庭で陰ながら夫を助ける功績のこと。
生さぬ仲(なさぬなか)
血の繋がっていない親子の間柄。 「生す」は産むという意味。
茄子の花と親の意見は千に一つも無駄はない(なすびのはなとおやのいけんはせんにひとつもむだはない)
茄子は咲いた分だけ実がつく。 親が口にする戒めもそれと同じで、聞き流してよいものは一つも混じっていない。
七光り(ななひかり)
君主や親の権威のおかげで得をすること。
西風と夫婦喧嘩は夕限り(にしかぜとふうふげんかはゆうかぎり)
西風と夫婦喧嘩は夜になるとおさまるということ。
二世の契り(にせのちぎり)
現世だけでなく来世まで夫婦として連れ添おうという約束。 「二世」は、現世と来世のこと。
二世を契る(にせをちぎる)
夫婦として末永く(来世まで)連れ添うことを約束する。 「二世」は、現世と来世のこと。 「二世の契りを結ぶ」「夫婦の契りを結ぶ」ともいう。
女房の妬くほど亭主もてもせず(にょうぼうのやくほどていしゅもてもせず)
妻が気をもむほど、夫はよその女性にもててはいないということ。
女房は灰小屋から貰え(にょうぼうははいごやからもらえ)
妻を迎えるなら、自分より格下の家からもらうのがよいということ。 身分の高い家から妻をもらうと、親戚付き合いに苦労したり夫の権威が下がったりする恐れがあるとの意から。 「女房は台所から貰え」「女房は掃き溜めから拾え」「女房は庭から取れ」などともいう。
盗みする子は憎からで縄掛くる人が恨めしい(ぬすみするこはにくからでなわかくるひとがうらめしい)
悪事を働いたのは我が子なのに、腹が立つのは取り押さえた側のほうへ向く。 情に引かれると、筋の通し方まで裏返る。
寝る子は賢い親助け(ねるこはかしこいおやだすけ)
泣かずによく眠る子どもは、手がかからないので親にとってありがたいということ。
のけば他人(のけばたにん)
夫婦はもともと他人同士だから、どんなに仲がよくても離婚するとまったくの赤の他人になるということ。
後の親が親(のちのおやがおや)
生んでくれた親より、育ててくれた親を敬い孝行せよという教え。
蚤の夫婦(のみのふうふ)
夫より妻が大きい夫婦のこと。
這えば立て、立てば歩めの親心(はえばたて、たてばあゆめのおやごころ)
子どものすこやかな成長を楽しみに待つ親の気持ちを言ったことば。
破鏡再び照らさず(はきょうふたたびてらさず)
離縁した夫婦の仲はもとどおりにならないことのたとえ。また、一度してしまったことは取り返しがつかないというたとえ。 「破鏡」は割れた鏡のこと。 割れた鏡は再び物を映さないとの意から。
鳩に三枝の礼あり、烏に反哺の孝あり(はとにさんしのれいあり、からすにはんぽのこうあり)
巣立つ前の鳥でさえ、育ててくれた相手への向き合い方を心得ている。 まして人が、親に対する筋目をないがしろにしてよいはずがない。
母方より食い方(ははかたよりくいかた)
親類のことを心配するよりも、自分自身の生計を立てることを考えるほうが大切であるということ。
腹が立つなら親を思い出せ(はらがたつならおやをおもいだせ)
腹が立って怒りそうになったときには親のことを思い浮かべると、問題を起こして心配をかけたくないという気持ちになって、怒りをしずめることができるということ。 「腹が立つなら親を思い出すが薬」ともいう。
腹は借り物(はらはかりもの)
母親の腹は一時的な借り物で、子の貴賤は父親次第であるということ。
馬鹿な子ほど可愛い(ばかなこほどかわいい)
親にとっては、賢い子より愚かな子のほうがふびんでかわいいということ。
馬鹿を見たくば親を見よ(ばかをみたくばおやをみよ)
馬鹿とは何か知りたければ、親を見よということ。 親馬鹿こそ馬鹿の見本のようなものであるとの意から。
一人娘と春の日はくれそうでくれぬ(ひとりむすめとはるのひはくれそうでくれぬ)
一人娘は親が惜しがり、なかなか嫁に出さないというたとえ。春の日は暮れそうで暮れないことから「暮れる」と嫁に「くれる」をかけたもの。
冷や酒と親の意見は後で利く(ひやざけとおやのいけんはあとできく)
若いうちに軽く受け流した言葉ほど、年を重ねてから重みを増してくる。 すぐには効かず、あとから効いてくるものの代表として冷や酒と並べた。
風樹の歎(ふうじゅのたん)
返せる立場になったころには、返す相手がもういない。 その行き違いを名づけた言い方。 「風樹」は風に揺すられる木。静まりたくても風がやまないように、子が仕えようとしても親のほうは間に合わない。諸国を巡り歩くうちに親を見送った皋魚が、道端で孔子にそう語り、泣き伏したまま息絶えたと伝える。
夫婦喧嘩は犬も食わない(ふうふげんかはいぬもくわない)
夫婦喧嘩は長続きせずにすぐに仲直りするものなので、他人が仲裁に入るものではないということ。 何でも食べる犬ですら食べない(気に止めない)との意から。
夫婦喧嘩は寝て直る(ふうふげんかはねてなおる)
夫婦喧嘩は、一緒に寝ればすぐ仲直りするものであるということ。
夫婦喧嘩は貧乏の種蒔き(ふうふげんかはびんぼうのたねまき)
いつも夫婦喧嘩をしている家庭は、だんだん貧乏になっていくという戒めのことば。
夫婦喧嘩もないから起こる(ふうふげんかもないからおこる)
金がなくて生活が苦しいと、しなくてもよい夫婦喧嘩も起こるということ。
夫婦は合わせ物離れ物(ふうふはあわせものはなれもの)
夫婦の縁は、もとは別々だった二人をあとから結び合わせたもの。 はじめから一つであった間柄ではない以上、その結び目がほどけて離れる日が来てもふしぎはないということ。
夫婦はいとこほど似る(ふうふはいとこほどにる)
年を重ねるほど、顔つきも物言いも近くなっていく。 もとは縁もゆかりもない二人が、身内と見まがうところまで寄っていく。
夫婦は二世(ふうふはにせ)
夫婦の関係は現世だけでなく、来世まで続く深い関係であるということ。
覆水、盆に返らず(ふくすい、ぼんにかえらず)
別れた夫婦がよりを戻すのは、もはやかなわない。また、済んでしまった事は元へは返らないというたとえ。 読書にふけって暮らしを顧みない夫に愛想を尽かし、妻は家を出た。のちに太公望が斉に封ぜられたと聞いて復縁を願い出たが、太公望は盆の水を地にあけ、これをもとどおりに汲めたならばと答えた。
朋友は六親に叶う(ほうゆうはりくしんにかなう)
親友は肉親に匹敵するほど大切だということ。「六親」は父・母・兄・弟・妻・子または父・子・兄・弟・夫・妻の称。
豆を煮るに萁を燃く(まめをにるにまめがらをたく)
兄弟や仲間どうしが傷つけあったり争ったりすることのたとえ。 豆を煮るために豆がらを燃やすとの意から。 魏の曹植は、兄の文帝から詩の才能を憎まれ、七歩歩く間に詩を作らなければ処罰すると言われて作ったとされる兄弟の不和を嘆く詩による。
三行半(みくだりはん)
夫の側から妻に渡した離縁状のこと。転じて、夫婦の縁を切ることをいう。 江戸のころは、離縁状の本文を三行と半分に書きおさめるのがならわしだった。「三下り半」とも書く。
雌鶏勧めて雄鶏時を作る(めんどりすすめておんどりときをつくる)
亭主が妻の言うままに動く。家の中の上下がすっかり入れ替わっている世帯をさす。 時を告げるのは雄鶏の役目なのに、雌鶏に促されてようやく鳴くことから。
焼け野の雉、夜の鶴(やけののきぎす、よるのつる)
子を思う親の情愛が深いことのたとえ。 「雉」はきじのこと。 雉は野を焼かれたら危険を顧みずに巣にいる子どもを助けに戻り、鶴は霜の降りる寒い夜には自分の羽を広げて子を暖めるとの意から。 単に「焼け野の雉」「夜の鶴」、また「夜鶴子を思う」「子を思う夜の鶴」ともいう。 「焼け野の雉」は、身を隠すところのない雉のことから、危険にさらされることのたとえとしてもいわれる。
宿六(やどろく)
妻が自分の夫を呼ぶ言葉。けなす調子で使うこともあれば、身内ゆえの気安さから使うこともある。 「宿」は住まい、「ろく」は「ろくでなし」を縮めた言い方で、家にいるろくでなし、というほどの意。
律義者の子沢山(りちぎもののこだくさん)
律義者は、品行方正で家庭円満なので、夫婦仲もよく子どもが多く生まれるということ。
竜と心得た蛙子(りゅうとこころえたかえるこ)
子どもに対する親の見込み違いのたとえ。 将来は竜になると期待していたわが子も、やはり蛙の子にすぎなかったとの意から。
連枝(れんし)
同じ根から分かれ出た枝どうしのように、生まれを同じくする者。身分の高い家の兄弟をさしていう。
連理の枝(れんりのえだ)
根を別にして生えた木が、途中から一体になって育つ。もとは他人だった二人が、もう切り分けようのない仲に至った姿をいう。
我が子自慢は親の常(わがこじまんはおやのつね)
親は誰でも我が子を自慢したがるということ。
