いとこ同士は鴨の味について

言葉 | いとこ同士は鴨の味 |
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読み方 | いとこどうしはかものあじ |
意味 | いとこ同士の夫婦は、とても仲がよいということのたとえ。味がいい鴨肉のように、仲がいいという意から。 |
出典 | - |
使用されている漢字
「同」を含むことわざ
畦から行くも田から行くも同じ(あぜからいくもたからいくもおなじ)
手段や方法が違っても、同じ結果になることのたとえ。畦道から行っても田から行っても、結局行き着く所は同じということから。
大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然(おおやといえばおやもどうぜん、たなこといえばこもどうぜん)
借家人にとって家主は親と同様の存在であり、家主にとって借家人は我が子同様の存在だということ。「店子」は、借家人の意。昔の大家と店子の関係をいった言葉。
落ちれば同じ谷川の水(おちればおなじたにがわのみず)
出発点は違っていても、行き着く先は同じだということ。また、人間も身分や貧富の差があっても、死ねば同じ土になるというたとえ。 雨・霰(あられ)・雪など形はさまざまであるが、地上に落ちてくれば同じ谷川を流れる水になるという意から。 「雨霰雪や氷と隔つらん落つれば同じ谷川の水」という和歌より。
同い年夫婦は火吹く力もない(おないどしみょうとはひふくちからもない)
同い年の夫婦は仲が良く、いつも笑ってばかりいるので、火吹き竹を吹いて火をおこすためのふくれっ面もできないということ。
同じ穴の貉(おなじあなのむじな)
一見無関係のように見えて、実は同類・仲間であることのたとえ。多くは悪事をもくろむ者のことをいう。「同じ穴の狐」「一つ穴の貉」「一つ穴の狐」ともいう。
同じ釜の飯を食う(おなじかまのめしをくう)
かつて同じ職場で働いたり、生活を共にした親しい仲間のこと。
「士」を含むことわざ
一合取っても武士は武士(いちごうとってもぶしはぶし)
たとえ貧しくても男には男の誇りと本分があるということ。禄高がたとえ一合でも武士にかわりはないということから。
一富士、二鷹、三茄子(いちふじ、にたか、さんなすび)
初夢に見ると縁起がいいとされるものを順に並べたことば。
来て見ればさほどでもなし富士の山(きてみればさほどでもなしふじのやま)
実際に見ると、想像とは違い大したことがないということが多いというたとえ。富士山はすばらしいと言われているけれども、来てみればそれほどの山ではなかったという意から。
策士、策に溺れる(さくし、さくにおぼれる)
策略に秀でた人は策を練りすぎて、逆に失敗するということ。
志士苦心多し(ししくしんおおし)
士族の商法(しぞくのしょうほう)
急に不慣れなことを始めて失敗することのたとえ。明治初期、士族が生計を立てるため慣れない商売に手を出して失敗したことから。
「鴨」を含むことわざ
逢い戻りは鴨の味(あいもどりはかものあじ)
一度別れた男女の仲が元に戻ると、その仲は前にもましてむつまじくなるということ。
家鴨も鴨の気位(あひるもかものきぐらい)
それほどでもない者が、高い気位を持っていることのたとえ。姿がよくない家鴨が、鴨の気位を持つという意から。
いい鴨(いいかも)
こちらの思い通りに利用できそうな人のたとえ。 猟場で格好の獲物として狙われる鴨の意から。
鴨が葱を背負って来る(かもがねぎをしょってくる)
好都合が重なって、ますます都合の良い状況になることのたとえ。 鴨鍋に必要な鴨が、葱を背負ってやってくるという意から。 多く、お人好しが人に利益を与える材料を持ってやってくることをいう。 略して「鴨葱」とも。
鴨の水搔き(かものみずかき)
気楽そうに見えても、人知れぬ苦労があることのたとえ。のんびりと浮かんでいるように見える鴨も、水の中では絶えず足で水を掻いていることから。
献上の鴨(けんじょうのかも)
着物は汚くみすぼらしいが、足袋や履物だけは綺麗にしている者をののしって言うことば。 江戸時代、将軍へ鴨を献上する際に、鴨の足を白紙で包んだことから。