畦から行くも田から行くも同じについて

言葉 | 畦から行くも田から行くも同じ |
---|---|
読み方 | あぜからいくもたからいくもおなじ |
意味 | 手段や方法が違っても、同じ結果になることのたとえ。畦道から行っても田から行っても、結局行き着く所は同じということから。 |
出典 | - |
類句 | 遅牛も淀早牛も淀(おそうしもよどはやうしもよど) |
早牛も淀遅牛も淀(はやうしもよどおそうしもよど) |
使用されている漢字
「畦」を含むことわざ
畦から行くも田から行くも同じ(あぜからいくもたからいくもおなじ)
田から行くも畦から行くも同じ事(たからいくもあぜからいくもおなじこと)
手段や方法が違っても、同じ結果になることのたとえ。田から行っても畦道から行っても、結局行き着く所は同じということから。「田を行くも畦を行くも同じ」「田歩くも畔歩くも同じ」ともいう。
田を行くも畦を行くも同じ(たをいくもあぜをいくもおなじ)
手段や方法は違っても、同じ結果になることのたとえ。田から行っても畦道から行っても、結局同じ所にたどり着くということから。「田から行くも畦から行くも同じ事」「田歩くも畔歩くも同じ」ともいう。
「行」を含むことわざ
後へも先へも行かぬ(あとへもさきへもいかぬ)
引くことも進むことも出来ず、動きがとれないようす。
好い線を行く(いいせんをいく)
ある程度のレベルまで、技術や能力が達しているということ。
言うと行うとは別問題である(いうとおこなうとはべつもんだいである)
口で言うことと、それを実行することとは別で、言葉通りに実践するのは難しいということ。
言うは易く行うは難し(いうはやすくおこなうはかたし)
口で言うのは簡単だが、言ったことを実行するのは難しいということ。
行き当たりばったり(いきあたりばったり)
あらかじめ計画を立てずに、成り行きに任せること。無計画。
行き掛けの駄賃(いきがけのだちん)
あることをするついでに別のことをすること。また、それにより利益を得ること。 「駄賃」は、馬で荷物を運ぶときの運賃のこと。 馬子が問屋に荷物を受け取りに行く時、他の荷物を運んで運賃を得たことから。
「田」を含むことわざ
青田買い(あおたがい)
企業が才能のある人を得るために、卒業まで間がある学生を早々と採用の内定すること。
朝酒は門田を売っても飲め(あさざけはかどたをうってものめ)
朝酒は格別おいしいので、少々無理をしてでも飲むべきだということ。「門田」は家の門前にある田の意。
田舎の学問より京の昼寝(いなかのがくもんよりきょうのひるね)
知的水準の高い都会にいれば、自然に知識が身につくというたとえ。田舎で勉強するより、たとえ昼寝をしていても都にいれば自然に知識が豊かになるという意から。
小田原評定(おだわらひょうじょう)
長引いてなかなか結論が出ない話し合いのこと。豊臣秀吉の小田原征伐の時、城を包囲された北条氏が、戦い続けるか降伏するかをなかなか決定しなかったことから。
瓜田に履を納れず(かでんにくつをいれず)
人から疑われるような行動は避けよという戒めの言葉。 瓜田で靴を履き直そうとすると瓜を盗もうとしていると間違われる恐れがあるから、すべきではないという意から。 この句に続けて「李下に冠を正さず」とつけていうこともある。
瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず(かでんにくつをいれず、りかにかんむりをたださず)
人から疑われるような行動は避けるべきであるという戒めの言葉。 瓜田で靴を履き直そうとすると瓜を盗もうとしていると間違われる恐れがあり、李(すもも)の木の下で冠をかぶり直せば李を盗もうとしていると疑われる恐れがあるから、どちらもすべきではないということ。
「同」を含むことわざ
いとこ同士は鴨の味(いとこどうしはかものあじ)
いとこ同士の夫婦は、とても仲がよいということのたとえ。味がいい鴨肉のように、仲がいいという意から。
大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然(おおやといえばおやもどうぜん、たなこといえばこもどうぜん)
借家人にとって家主は親と同様の存在であり、家主にとって借家人は我が子同様の存在だということ。「店子」は、借家人の意。昔の大家と店子の関係をいった言葉。
落ちれば同じ谷川の水(おちればおなじたにがわのみず)
出発点は違っていても、行き着く先は同じだということ。また、人間も身分や貧富の差があっても、死ねば同じ土になるというたとえ。 雨・霰(あられ)・雪など形はさまざまであるが、地上に落ちてくれば同じ谷川を流れる水になるという意から。 「雨霰雪や氷と隔つらん落つれば同じ谷川の水」という和歌より。
同い年夫婦は火吹く力もない(おないどしみょうとはひふくちからもない)
同い年の夫婦は仲が良く、いつも笑ってばかりいるので、火吹き竹を吹いて火をおこすためのふくれっ面もできないということ。
同じ穴の貉(おなじあなのむじな)
一見無関係のように見えて、実は同類・仲間であることのたとえ。多くは悪事をもくろむ者のことをいう。「同じ穴の狐」「一つ穴の貉」「一つ穴の狐」ともいう。
同じ釜の飯を食う(おなじかまのめしをくう)
かつて同じ職場で働いたり、生活を共にした親しい仲間のこと。