「親子」に関連する故事・ことわざ・慣用句 — 111 件
「親子」に関連する故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。全111件を五十音順に掲載しています。
ことわざ一覧(五十音順)
家貧しくして孝子顕る(いえまずしくしてこうしあらわる)
裕福な家なら子は親に養われていればすむが、暮らしが苦しければ子も家計を担わねばならない。その働きぶりが人の目にとまり、孝行者として名が立つということ。 「世乱れて忠臣を識る」と対にしていい、人の値打ちは苦しい場に置かれて初めて見えてくるという含みを持つ。
石に布団は着せられず(いしにふとんはきせられず)
親が生きているうちに孝行すべきで、死後に悔やんでも遅いということ。 墓石に布団を着せて温めても無意味であることから。 「石」は「墓」ともいう。
いつまでもあると思うな親と金(いつまでもあるとおもうなおやとかね)
独立と倹約を心がけよという戒めのことば。 親はいつまでも面倒見てくれるわけでもなく、金も使えばなくなることから。
倚門の望(いもんのぼう)
母親が子どもの帰りを待ちわびること。また、そういう母親の愛情のこと。中国の春秋時代、王孫賈(おうそんか)の母親が門に倚(よ)りかかって、我が子の帰りを待ちわびたという故事から。
打たれても親の杖(うたれてもおやのつえ)
親が子を杖で打つ叱り方も、慈愛がこもっているので子は感謝すべきだということ。
打つも撫でるも親の恩(うつもなでるもおやのおん)
子を叱ってぶつのも、ほめて撫でるのも、すべて親の愛情のあらわれだということ。
生みの親より育ての親(うみのおやよりそだてのおや)
生んでくれた親より、育ててくれた親に愛情も恩義も感じるということ。
瓜の蔓に茄子は生らぬ(うりのつるになすびはならぬ)
一つの原因からは、それ相応の結果しか生まれないということ。また、平凡な親からは、非凡な子どもは生まれないということのたとえ。
生んだ子より抱いた子(うんだこよりだいたこ)
生んだだけで育てていない実の子より、小さい時から育てた他人の子のほうがかわいいということ。
老いては子に従え(おいてはこにしたがえ)
年をとったら出しゃばらずに、何事も子どもに任せて従っていくほうがいいということ。
大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然(おおやといえばおやもどうぜん、たなこといえばこもどうぜん)
家を貸す側と借りる側は、ただの貸し借りの間柄ではなく親子も同然の付き合いをするものだということ。 「店子」は借家を借りて住む人。江戸の裏長屋では、大家が店子の身元を引き受け、諍いの仲裁から縁組の世話まで引き受けた。その結びつきの深さを言ったもの。
親思う心にまさる親心(おやおもうこころにまさるおやごころ)
子どもが親を思う気持ちよりも、親の子どもに対する愛情のほうがより深いというたとえ。「親思う心にまさる親心けふの音づれ何ときくらん」という吉田松陰の辞世の歌から。
親が親なら子も子(おやがおやならこもこ)
親と子はよく似るものだということ。親がだめだと子どももだめだというように、悪いところが似た場合に多く使われる。
親苦、子楽、孫乞食(おやく、こらく、まごこじき)
一代目が苦労して蓄えた身代は、二代目が安楽に使い減らし、三代目には何も残らないということ。 築いた者の辛苦を知らない代が続くうちに、家産は細っていくという見方。
親子の仲でも金銭は他人(おやこのなかでもきんせんはたにん)
金銭に関しては、親子の間でも他人と同じようにけじめをつけるべきだということ。
親子は一世(おやこはいっせ)
親子の関係は現世だけのものであるということ。 「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世」と続けてもいう。
親子は一世、夫婦は二世、主従は三世(おやこはいっせ、ふうふはにせ、しゅじゅうはさんせ)
親子の関係は現世だけのものであり、夫婦は前世と現世または現世と来世の二世に渡る。主従関係は、前世・現世・来世の三世にまたがるほど深いということ。
親と月夜はいつも良い(おやとつきよはいつもよい)
親がそばに居る時は何の不安もなく、明るい月の夜は安心して歩けるので、どちらもありがたいということ。
親に似ぬ子は鬼子(おやににぬこはおにご)
子どもは当然親に似るものであり、親に似ない子はいないということ。 親に似ない子は人間の子ではなく鬼の子であるとの意から。
親に目なし(おやにめなし)
親はわが子のことになると、かわいさのあまり正しい判断が出来なくなるということ。
親の甘茶が毒となる(おやのあまちゃがどくとなる)
親が子どもを甘やかして育てると、その子のためにならず、むしろ毒になるということ。
親の意見と茄子の花は千に一つも無駄はない(おやのいけんとなすびのはなはせんにひとつもむだはない)
咲いた花がひとつ残らず実を結ぶ作物と同じで、親が子に向ける言葉には外れがない。 空振りに終わる一言は出てこない。
親の意見と冷や酒は後で利く(おやのいけんとひやざけはあとできく)
言われたその場では耳を素通りしていくが、時を置いてから胸に落ちてくる。 冷や酒が遅れて回るのと同じ道筋をたどる。
親の因果が子に報う(おやのいんががこにむくう)
親の悪行の結果、罪のない子どもが災いを受けること。
親の打つ拳より他人の摩るが痛い(おやのうつこぶしよりたにんのさするがいたい)
手荒に扱われても、そこに親の情があるうちは身にこたえない。 よそから伸びてくる手がどれほど柔らかでも、裏が空であれば痛みだけが残る。
親の恩は子で送る(おやのおんはこでおくる)
わが子をりっぱに育てることで、親から受けた恩を返すということ。「送る」は恩に報いるという意。
親の心、子知らず(おやのこころ、こしらず)
子どもを思う親の深い愛情を知らず、子どもは勝手気ままなことをするということ。
親の十七、子は知らぬ(おやのじゅうしち、こはしらぬ)
親は自分が未熟だった若い頃の失敗談などをしないから、子どもにはわからない。完全なふりをして子どもに意見する親を皮肉っていう言葉。
親の脛を齧る(おやのすねをかじる)
子どもが独立した生活が出来ずに親に養われて生活すること。
親の光は七光り(おやのひかりはななひかり)
当人の力量とは関わりなく、親の名前のほうが先に通る。世間の扱いもそこに引きずられて、実際より厚くなる。
親の欲目(おやのよくめ)
わが子かわいさのあまり、親が自分の子を実際より高く評価しようとすること。
親は親、子は子(おやはおや、こはこ)
親子でもそれぞれが別の人間であり、性質や才能が同じとは限らないということ。
親はなくとも子は育つ(おやはなくともこはそだつ)
親がいなくても、子どもはなんとか成長していく。世の中は、そう心配することもないというたとえ。
親は木綿着る、子は錦着る(おやはもめんきる、こはにしききる)
親は一生懸命働き質素に暮らして財産を築き、子はその苦労を知らずにぜいたくをして、親の財産を浪費するというたとえ。
親馬鹿子馬鹿(おやばかこばか)
目が曇った親は子の至らなさを見落とし、子のほうもそれを当て込んで甘えたままでいる。 互いに引き下げ合ったまま、双方とも気づかない。
親を睨むと鮃になる(おやをにらむとひらめになる)
親に反抗したりおろそかに扱ったりしてはいけないという戒めの言葉。 親を睨んだりすると、ばちが当たって鮃(ひらめ)のように目がかたよってしまうとの意から。 「親を睨むと鰈(かれい)になる」ともいう。
蛙の子は蛙(かえるのこはかえる)
子どもは親に似るものであるということ。また、凡人の子はやはり凡人であるというたとえ。
貸し借りは他人(かしかりはたにん)
金銭の貸し借りについては、親子の間でも他人と同じようにけじめをつけるべきだということ。
火事と葬式に行けば勘当もゆりる(かじとそうしきにいけばかんどうもゆりる)
火事や葬式の時にわびに行って手伝えば、勘当された者も許されるということ。「ゆりる」は、許されるという意。
叶わぬ時には親を出せ(かなわぬときにはおやをだせ)
言い訳に困った時には、親を引き合いに出すことで口実を作れということ。
樹静かならんと欲すれども風止まず(きしずかならんとほっすれどもかぜやまず)
親に尽くそうと心を決めたときには、当の親の齢のほうが待ってくれない。風がやまないかぎり木は静まろうにも揺れつづけるほかないのと同じで、こちらの心づもりだけでは間に合わぬものがあるという嘆き。 すぐあとに「子養わんと欲すれども親待たず」と続けていう。
狐の子は面白(きつねのこはつらじろ)
子は親に似るというたとえ。「面白」は、顔が白いこと。
久離を切る(きゅうりをきる)
親族などの縁を永久に断つこと。勘当すること。江戸時代、不品行の者の親族が連帯責任を逃れるために、奉行所に願い出てその者と縁を切ったことから。「久離」は「旧離」とも書く。
金銭は他人(きんせんはたにん)
金銭に関しては、たとえ親子の間でも、他人と同じようにけじめをつけなければならないということ。
堯の子堯ならず(ぎょうのこぎょうならず)
頭抜けた父のもとに、同じ器量の子が並ぶわけではない。 古代の聖王は位を我が子に渡さず、人柄を見込んだ舜に譲ったという。
苦しい時には親を出せ(くるしいときにはおやをだせ)
言い訳に困った時には、親を口実に使うのがいいということ。
孝行のしたい時分に親はなし(こうこうのしたいじぶんにおやはなし)
親の値打ちは、こちらが同じ年恰好になってようやく腑に落ちる。腑に落ちたころには相手はもういない——その食い違いを嘆いた川柳が、そのままことわざになった。
声なきに聴き、形なきに視る(こえなきにきき、かたちなきにみる)
親が口に出さないうちにその心を汲み、姿が見えなくても何を望んでいるかを察して仕えるべきだということ。 子が親に尽くすときの心構えを説いたことば。
子宝、脛が細る(こだから、すねがほそる)
親にとって子どもは宝であるが、育てるためには脛が細くなるような苦労をするということ。
骨肉相食む(こつにくあいはむ)
肉親同士が激しく争うこと。「骨肉」は、親子・兄弟などの血のつながった者の意。
子で子にならぬ時鳥(こでこにならぬほととぎす)
手をかけて育てても、血の通っていない子はどこかで実の親のほうへ戻っていく。 鶯の巣で孵された雛も、やはり時鳥として巣立っていく。
子供の喧嘩に親が出る(こどものけんかにおやがでる)
子ども同士の喧嘩に親が口出しして、自分の子どもの味方をする愚かさを非難する言葉。また、大人気ないふるまいや余計な干渉をするたとえ。
子無しに子を呉れるな(こなしにこをくれるな)
わが子を育てたことのない相手に、子を養子として託してはいけないという戒め。 手をかけて育てた覚えがなければ、子に注ぐべき情の深さもわからないという見方から。
子にすることを親にせよ(こにすることをおやにせよ)
子をいたわるときの心を、そのまま親へも向けよ。人の情は下へばかり流れて、上へはなかなか返ってこない。 血のつながらない親との間柄でよく使う。
この親にしてこの子あり(このおやにしてこのこあり)
親の気質は、そのまま子の振る舞いに写って出る。 子を見て育てた側の人柄まで言い当てるときに使い、褒めるときにも呆れるときにも向けられる。
子の心、親知らず(このこころ、おやしらず)
親はとかく、子どもの本当の心や考えを察知することは出来ないということ。
子は産むも心は生まぬ(こはうむもこころはうまぬ)
腹を痛めて生み落とせるのはからだまでで、その子がどんな心根に育つかまでは産んだ者の手が届かない。 親と似ても似つかぬ性分の子を持った者が、ため息まじりに言う言葉。
子は三界の首枷(こはさんがいのくびかせ)
親は子どものことにとらわれて、終生自由を束縛されてしまうということ。「三界」は、過去・現在・未来の三世のこと。「首枷」は、罪人の首にはめて自由を束縛する刑具。子どもは三界にわたって親の自由を拘束する首枷のようなものだということ。
子ほど喜ばせにくいものはなく親ほど喜ばせやすいものはない(こほどよろこばせにくいものはなくおやほどよろこばせやすいものはない)
親の愛情を当然と思っている子どもを喜ばせるのは難しいが、親は子どものわずかな孝養でも大喜びするということ。
子養わんと欲すれども親待たず(こやしなわんとほっすれどもおやまたず)
子に親を養う力がついた頃には、その親はすでに亡い。孝行が間に合わなかった嘆きをいう。
子故の闇(こゆえのやみ)
わが子を思う情に引かれて、親が分別を失うこと。「人の親の心は闇にあらねども」と詠まれた歌から出た言い方。
子を知ること父に若くはなし(こをしることちちにしくはなし)
父親は子どもの長所や短所を誰よりもいちばんよく知っているということ。「若くはなし」は、及ぶものはないという意。
子を棄つる藪はあれど身を棄つる藪はなし(こをすつるやぶはあれどみをすつるやぶはなし)
困窮すると最愛のわが子でも棄てることができるが、自分の身だけは棄てることができないということ。
子を見ること親に如かず(こをみることおやにしかず)
子どもの長所や短所をいちばんよく知っているのは親であり、親に及ぶものはないということ。
子を持って知る親の恩(こをもってしるおやのおん)
わが子を育てる側に回ってはじめて、かつて自分が受けていたものの重さに気づくということ。 手のかかりようも掛かりの重さも、その立場に立たなければ見えてこない。
舐犢の愛(しとくのあい)
わが子に目がなく、際限なく甘やかす態度。牛が生まれた仔を舌で撫でるさまに寄せた語で、自分の子煩悩を謙遜して口にする場合もある。 子の楊修を曹操に殺された楊彪が、痩せたわけを問われて、老いた牛が仔を舐めるような情がどうにも捨てられないのだと答えた。
死なぬ子三人、皆孝行(しなぬこさんにん、みなこうこう)
三人の子どもが親より先に死なずに成人してくれたら、これ以上の孝行はないということ。
掌中の珠(しょうちゅうのたま)
もっとも大切にしているもの。特に最愛の子ども。「珠」は尊いものの意で、いつも自分の手の中にある大切なものということから。
地震、雷、火事、親父(じしん、かみなり、かじ、おやじ)
世の中で恐ろしいとされているものを、こわいもの順に並べた言葉。
児孫自ずから児孫の計あり(じそんおのずからじそんのけいあり)
あとに続く世代には、その世代なりの暮らしの立て方があるということ。 行く末まで敷いてやろうとするのは余計な世話だという戒め。
自分の子には目口が明かぬ(じぶんのこにはめくちがあかぬ)
親は子の落ち度になかなか気づかず、気づいても責める気になれないということ。目も口もふさがってしまう意から。
析薪を負う(せきしんをおう)
親が斧を入れて割った木を、子が肩に載せて運び出す。先の代が興した仕事を、次の代が重みごと引き取り、絶やさずにおく。 もとは「其の父薪を析き、其の子負荷する克わず」と、担えぬ子のほうを嘆いた句で、この言い方はそれを裏返した形にあたる。
大義、親を滅す(たいぎ、しんをめっす)
守らねばならぬ大きな筋道の前では、血のつながりさえ断ち切らねばならないことがあるということ。 「大義」は人として、また臣として踏み行うべき大きな道をいう。 君主を殺した一味にわが子が加わったとき、父みずからの手でこれを処断させたという故事から出た言葉。
竹の子の親勝り(たけのこのおやまさり)
(たけのこはすぐに親竹と同じ、または親竹以上の高さになることから)子どもの成長が早く、すぐに親を凌ぐようになることのたとえ。または、子どもが親よりもすぐれていることのたとえ。 「竹の子」は「筍」とも書く。
立ってる者は親でも使え(たってるものはおやでもつかえ)
急ぎの時は、たとえ親でも、近くに立っている人を使えということ。座っている人間が、立っている人間にものを頼む時の言い訳にいう言葉。
溜め息をすれば親の寿命が縮む(ためいきをすればおやのじゅみょうがちぢむ)
子どもがため息をつけば、親は寿命が縮むほど心配するから、親にそんな態度を見せてはいけないということ。
断腸の思い(だんちょうのおもい)
非常に悲しくつらい思いのたとえ。 「断腸」は腸がちぎれるほどの悲しみ。 昔、中国の武将桓温(かんおん)の部下が猿の子を捕らえて船に乗せた。母猿は悲しみながら岸を百里あまり追いかけ、ついには船に飛び移ったがそのまま息絶えた。その腹を割いてみると、腸がずたずたに断ち切れていたという故事から。
父父たらずと雖も子は子たらざるべからず(ちちちちたらずといえどもこはこたらざるべからず)
父親が父親の役目を果たさなくても、子どもは子どもとしての役目を果たさなければならないということ。
父の恩は山よりも高く、母の恩は海よりも深し(ちちのおんはやまよりもたかく、ははのおんはうみよりもふかし)
父母から受けた恩は広大で深いということ。 両親の愛情をたとえたもの。 「父母の恩は山よりも高く海よりも深し」ともいう。
血は争えない(ちはあらそえない)
血統によって受け継がれる性質は明らかであり、否定のしようがないということ。 子の性格や特徴などが、親や先祖などに似ていることをいう。 「血筋は争えない」ともいう。
寵愛昂じて尼になす(ちょうあいこうじてあまになす)
かわいがるのも度が過ぎると、かえって本人のためにならないというたとえ。 親が娘をかわいがるあまり、いつまでも嫁にやらずついには尼にしてしまうことから。 「尼になす」は「尼にする」ともいう。
蝶よ花よ(ちょうよはなよ)
親が自分の娘をかわいがり大事にするたとえ。「蝶よ花よと育てられる」の形で使われることが多い。
血を引く(ちをひく)
祖先や親の気質や体質、身体的特徴などを受け継ぐこと。 「血を受ける」ともいう。
血を分ける(ちをわける)
親や兄弟などのように、血のつながった関係にあること。
鳶が鷹を生む(とびがたかをうむ)
平凡な親から優れた子どもが生まれることのたとえ。 「とび」は「とんび」とも読む。 「鳶が孔雀を生む」ともいう。
虎は千里行って千里帰る(とらはせんりいってせんりかえる)
勢いが盛んで力強い行動力のたとえ。また、子を思う親の愛情深い行動力のたとえ。虎は一日に千里の道を進み、その後、再び同じ距離を戻ってくると言われることから。
ない子では泣かれぬ(ないこではなかれぬ)
子育てには苦労があり時には泣かされることもあるが、たとえ苦労させられても子どもはいたほうがよいということ。 「ない子に泣かないが有る子に泣く」「ない子では泣かである子に泣く」などともいう。
生さぬ仲(なさぬなか)
血の繋がっていない親子の間柄。 「生す」は産むという意味。
茄子の花と親の意見は千に一つも無駄はない(なすびのはなとおやのいけんはせんにひとつもむだはない)
茄子は咲いた分だけ実がつく。 親が口にする戒めもそれと同じで、聞き流してよいものは一つも混じっていない。
七光り(ななひかり)
君主や親の権威のおかげで得をすること。
盗人を捕らえて見れば我が子なり(ぬすびとをとらえてみればわがこなり)
悪事の相手を突き止めたら身内だった、という行き詰まり。責める側に立てなくなり、近くにいる者ほど疑いの外に置けないと思い知らされる。
盗みする子は憎からで縄掛くる人が恨めしい(ぬすみするこはにくからでなわかくるひとがうらめしい)
悪事を働いたのは我が子なのに、腹が立つのは取り押さえた側のほうへ向く。 情に引かれると、筋の通し方まで裏返る。
寝る子は賢い親助け(ねるこはかしこいおやだすけ)
泣かずによく眠る子どもは、手がかからないので親にとってありがたいということ。
後の親が親(のちのおやがおや)
生んでくれた親より、育ててくれた親を敬い孝行せよという教え。
這えば立て、立てば歩めの親心(はえばたて、たてばあゆめのおやごころ)
子どものすこやかな成長を楽しみに待つ親の気持ちを言ったことば。
鳩に三枝の礼あり、烏に反哺の孝あり(はとにさんしのれいあり、からすにはんぽのこうあり)
巣立つ前の鳥でさえ、育ててくれた相手への向き合い方を心得ている。 まして人が、親に対する筋目をないがしろにしてよいはずがない。
母の折檻より隣の人の扱いが痛い(はははのせっかんよりとなりのひとのあつかいがいたい)
きつく当たられても身内の手なら平気だが、間に割って入ってきた近所の人のほうがよほど怖い。 止めに立つ側には、身内が持つほどの情は無いからだ。
腹が立つなら親を思い出せ(はらがたつならおやをおもいだせ)
腹が立って怒りそうになったときには親のことを思い浮かべると、問題を起こして心配をかけたくないという気持ちになって、怒りをしずめることができるということ。 「腹が立つなら親を思い出すが薬」ともいう。
腹は借り物(はらはかりもの)
母親の腹は一時的な借り物で、子の貴賤は父親次第であるということ。
馬鹿な子ほど可愛い(ばかなこほどかわいい)
親にとっては、賢い子より愚かな子のほうがふびんでかわいいということ。
馬鹿を見たくば親を見よ(ばかをみたくばおやをみよ)
馬鹿とは何か知りたければ、親を見よということ。 親馬鹿こそ馬鹿の見本のようなものであるとの意から。
一人娘と春の日はくれそうでくれぬ(ひとりむすめとはるのひはくれそうでくれぬ)
一人娘は親が惜しがり、なかなか嫁に出さないというたとえ。春の日は暮れそうで暮れないことから「暮れる」と嫁に「くれる」をかけたもの。
冷や酒と親の意見は後で利く(ひやざけとおやのいけんはあとできく)
若いうちに軽く受け流した言葉ほど、年を重ねてから重みを増してくる。 すぐには効かず、あとから効いてくるものの代表として冷や酒と並べた。
風樹の歎(ふうじゅのたん)
返せる立場になったころには、返す相手がもういない。 その行き違いを名づけた言い方。 「風樹」は風に揺すられる木。静まりたくても風がやまないように、子が仕えようとしても親のほうは間に合わない。諸国を巡り歩くうちに親を見送った皋魚が、道端で孔子にそう語り、泣き伏したまま息絶えたと伝える。
不肖(ふしょう)
親や師に似ないで愚かなこと。また、自分をへりくだっていう言葉。
持つべきものは子(もつべきものはこ)
他人ではあてにできない事も、わが子ならばしてくれる。子は持つべきもので、わが子ほどありがたいものはないということ。
焼け野の雉、夜の鶴(やけののきぎす、よるのつる)
子を思う親の情愛が深いことのたとえ。 「雉」はきじのこと。 雉は野を焼かれたら危険を顧みずに巣にいる子どもを助けに戻り、鶴は霜の降りる寒い夜には自分の羽を広げて子を暖めるとの意から。 単に「焼け野の雉」「夜の鶴」、また「夜鶴子を思う」「子を思う夜の鶴」ともいう。 「焼け野の雉」は、身を隠すところのない雉のことから、危険にさらされることのたとえとしてもいわれる。
竜と心得た蛙子(りゅうとこころえたかえるこ)
子どもに対する親の見込み違いのたとえ。 将来は竜になると期待していたわが子も、やはり蛙の子にすぎなかったとの意から。
我が子自慢は親の常(わがこじまんはおやのつね)
親は誰でも我が子を自慢したがるということ。
我が子の悪事は見えぬ(わがこのあくじはみえぬ)
親は自分の子をひいきしがちで、欠点や過ちに気づかないものだということ。
悪い親も良い子を望む(わるいおやもよいこをのぞむ)
どんな悪人でも、我が子は良い人間であってほしいと望むということ。
