お医者様でも草津の湯でも惚れた病は治りゃせぬについて

言葉 | お医者様でも草津の湯でも惚れた病は治りゃせぬ |
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読み方 | おいしゃさまでもくさつのゆでもほれたやまいはなおりゃせぬ |
意味 | 恋の病は、医者の出す薬や温泉でも治せないというたとえ。
「草津」は「有馬」ともいう。 |
出典 | - |
別表記 | お医者様でも有馬の湯でも惚れた病は治りゃせぬ(おいしゃさまでもありまのゆでもほれたやまいはなおりゃせぬ) |
類句 | 恋の病に薬なし(こいのやまいにくすりなし) |
惚れた病に薬なし(ほれたやまいにくすりなし) |
使用されている漢字
「医」を含むことわざ
医者が取るか坊主が取るか(いしゃがとるかぼうずがとるか)
生死の境にいるような重病人のこと。生きているうちは医者が金を取り、死んでしまえば僧侶が金を取るということから。また、所詮あの世に金は持っていけないと守銭奴を皮肉ることば。
医者寒からず儒者寒し(いしゃさむからずじゅしゃさむし)
医者はおおむね裕福で、学者はたいてい貧乏だということ。「儒者」は学者、「寒し」は貧しい意。
医者上手にかかり下手(いしゃじょうずにかかりべた)
物事はうまく行うためには相手を信用しなければならないというたとえ。どんな名医でも、患者が信頼して従わなければ病気を治すことは出来ないという意から。
医者と味噌は古いほどよい(いしゃとみそはふるいほどよい)
医者は経験を積んだ年寄りのほうが信頼できるし、味噌は年月が経ったもののほうがおいしいということ。
医者の薬も匙加減(いしゃのくすりもさじかげん)
何事も加減が大事だというたとえ。医者がどんなに良い薬を使っても、分量が適切でなければ効き目がないという意から。
医者の自脈効き目なし(いしゃのじみゃくききめなし)
人は専門のことでも、自分のことになると確実な処理ができないというたとえ。医者は他人の病気は治せても、自分の病気は適切な処置ができないという意から。
「者」を含むことわざ
青表紙を叩いた者にはかなわぬ(あおびょうしをたたいたものにはかなわぬ)
きちんと学問に励んだ者にはかなわないというたとえ。「青表紙」は青い表紙を多く用いた四書五経などの経書のこと。
赤子のうちは七国七里の者に似る(あかごのうちはななくにななさとのものににる)
赤ん坊ははっきりした特長がないので、似てると思って見ればあちこちの誰にでも似て見えるということ。「七国七里」は諸所方々のこと。
垢で死んだ者はない(あかでしんだものはない)
風呂に入らなければ垢がたまって不潔だがそれが原因で死んだ人はいない。風呂嫌いの言い訳、または風呂嫌いに対する皮肉の言葉として使われる。
当たった者のふの悪さ(あたったもののふのわるさ)
悪いことに、たまたま当たった者が不運だったということ。「ふ」は運の意。大勢が罪を犯したのに、そのうちの誰かが見つかったような場合にいう。
新たに沐する者は必ず冠を弾く(あらたにもくするものはかならずかんむりをはじく)
潔白な人ほど自分の身を汚すおそれのあるものを避けるということ。 「沐」は髪を洗うこと。 髪を洗ったばかりの人は、必ず冠のちりを払ってから頭にのせるという意から。
医者が取るか坊主が取るか(いしゃがとるかぼうずがとるか)
生死の境にいるような重病人のこと。生きているうちは医者が金を取り、死んでしまえば僧侶が金を取るということから。また、所詮あの世に金は持っていけないと守銭奴を皮肉ることば。
「様」を含むことわざ
嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれる(うそをつくとえんまさまにしたをぬかれる)
嘘をつくと、死んでから地獄の閻魔大王に悪い舌を抜かれる。だから嘘をついてはいけないと、子どもを戒めたことば。
売家と唐様で書く三代目(うりいえとからようでかくさんだいめ)
初代が苦労して残した財産も、三代目にもなると没落し、家を売りに出すような羽目になるが、その「売家」と書いた札の文字は唐様(中国風)でしゃれている。仕事をしないで道楽三昧をする人を皮肉ったもの。
お釈迦様でも気がつくまい(おしゃかさまでもきがつくまい)
誰も気がつかないだろうということを強調していう言葉。何でもお見通しのお釈迦様でも知らないという意から。「お釈迦様でも御存知あるまい」ともいう。
陰では王様の事も言う(かげではおうさまのこともいう)
誰であろうと陰口を言われない者はいないということ。陰では王様でさえ悪口を言われるという意から。「陰では殿の事も言う」ともいう。
神様にも祝詞(かみさまにものりと)
わかりきったことでも、黙っていては相手に通じないので、口に出して言うほうがよいというたとえ。 いくら神様でも、お祈りの言葉を聞かなければその人の願いは分からないとの意から。
米の飯と天道様はどこへ行っても付いて回る(こめのめしとてんとうさまはどこへいってもついてまわる)
どんな所でも太陽が当たるように、どこへ行っても食べることは何とでもなるということ。
「草」を含むことわざ
商いは草の種(あきないはくさのたね)
商売は草の種のように種類が多いということ。 「商売は草の種」ともいう。
おじが甥の草を刈る(おじがおいのくさをかる)
目上の者が目下の者のために奔走させられることのたとえ。また、物事の順序が逆なことのたとえ。
駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人(かごにのるひとかつぐひと、そのまたわらじをつくるひと)
人の生き方は、貧富の差や境遇によってさまざまであるということ。また、そのさまざまな人のつながりで、世の中はうまく成り立っているということ。 世の中には駕籠に乗る身分の人もいれば、その駕籠を担ぐひともいる。また、駕籠を担ぐひとの履く草履を作る人もいる。 人の世は持ちつ持たれつであるとの意から。
金の草鞋で捜す(かねのわらじでさがす)
根気強くあちこち探し回るたとえ。いくら歩いても擦り減らない金の草鞋で探すという意から。
草木も靡く(くさきもなびく)
権力や勢力が盛んで、多くの人々が従う様子。
草木も眠る(くさきもねむる)
真夜中になり、辺りが静まり返っている様子。 「草木も眠る丑三つ時」の形で使われることが多い。
「津」を含むことわざ
お医者様でも草津の湯でも惚れた病は治りゃせぬ(おいしゃさまでもくさつのゆでもほれたやまいはなおりゃせぬ)
一つ余って大津へ戻る(ひとつあまっておおつへもどる)
「湯」を含むことわざ
頭から湯気を立てる(あたまからゆげをたてる)
激怒するようす。かんかんになって怒るようす。
白湯を飲むよう(さゆをのむよう)
味もそっけもない様子。
水道の水で産湯を使う(すいどうのみずでうぶゆをつかう)
江戸っ子が江戸生まれであることを自慢していうことば。江戸には金と労力をかけて作った神田上水と玉川上水があり、この水道水の産湯を使ったということから。
煮え湯を飲まされる(にえゆをのまされる)
信頼していた人に裏切られ、ひどい目にあわされることのたとえ。
ぬるま湯に浸かる(ぬるまゆにつかる)
緊張感や刺激の少ない環境に甘んじて、のんびりと気楽に暮らすこと。
湯上りにはおじ坊主が惚れる(ゆあがりにはおじぼうずがほれる)
女性の湯上り姿は艶やかで誰でも心ひかれるということ。「おじ坊主」は、伯父(叔父)や坊主もという意と、おじの坊主という解釈もある。「湯上りは親でも惚れる」「洗い髪にはおじ坊主が惚れる」などともいう。
「惚」を含むことわざ
相惚れ自惚れ片惚れ岡惚れ(あいぼれうぬぼれかたぼれおかぼれ)
両思いの相惚れ、ひとりよがりの自惚れ、片思いの片惚れ、ひそかに恋い慕う岡惚れ、と恋愛の言葉を並べたもの。
一に褒められ二に憎まれ三に惚れられ四に風邪ひく(いちにほめられにににくまれさんにほれられしにかぜひく)
くしゃみについてのことわざ。一回なら誰かに褒められているし、二回は憎まれていて、三回は惚れられているが、四回は風邪をひく前兆である。
自惚れと瘡気のない者はない(うぬぼれとかさけのないものはない)
世界半分自惚れしっかり(せかいはんぶんうぬぼれしっかり)
世の中のことは半分しかわかっていないのに、自惚れだけはしっかりあるということ。
近惚れの早飽き(ちかぼれのはやあき)
夢中になるのが早い人は飽きるのも早いということ。「近惚れ」は惚れやすいということ。
女房に惚れてお家繁盛(にょうぼうにほれておいえはんじょう)
亭主が女房に惚れ込んでいると、外で浮気や道楽もせず家庭円満になるということ。
「病」を含むことわざ
後腹が病める(あとばらがやめる)
物事が終わったあとも、出費がかさんだり、障害が生じて苦しむというたとえ。「後腹」は産後の腹痛のこと。子どもを生んだあとも、しばしば腹が痛むという意から。
一に看病、二に薬(いちにかんびょう、ににくすり)
病気を治すためには、まず第一に行き届いた看病が重要で、薬はその次であるということ。
臆病風に吹かれる(おくびょうかぜにふかれる)
臆病な気持ちになること。怖じ気づくこと。
臆病の神降ろし(おくびょうのかみおろし)
臆病な者が神々に祈って加護を求めること。「神降ろし」は巫女などが神霊を呼び招く行為。
踵で頭痛を病む(かかとでずつうをやむ)
見当違いの心配をするたとえ。
風邪は百病のもと(かぜはひゃくびょうのもと)
風邪はあらゆる病気のもとであるから、用心が必要であるということ。「風邪は百病の長」「風邪は万病のもと」ともいう。
「治」を含むことわざ
王は君臨すれども統治せず(おうはくんりんすれどもとうちせず)
国王は君主として国を治めているが政治には直接かかわらないという原則のこと。「君臨すれども統治せず」ともいう。
君臨すれども統治せず(くんりんすれどもとうちせず)
国王は君主として君臨しているが政治には直接かかわらないという原則のこと。「王は君臨すれども統治せず」ともいう。
修身斉家治国平天下(しゅうしんせいかちこくへいてんか)
天下を治めるには、まず自分の心と行いを正しくし、次に家庭を整え、次に国家を治めて天下を平和にすべきだということ。
治に居て乱を忘れず(ちにいてらんをわすれず)
平和な時でも万一の事を考えて準備を怠るなということ。
馬鹿は死ななきゃ治らない(ばかはしななきゃなおらない)
愚か者の性質は治そうとしても治らない、手の施しようがないということ。
火は火で治まる(ひはひでおさまる)
野火が燃え広がるのを防ぐためには、周囲を火で焼き払うのが効果的であるように、悪を防ぐためには悪を用いるとうまくいくというたとえ。