「有」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 49 件
「有」を含む漢字が使われている故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。
故事・ことわざ・慣用句一覧
足が有る(あしがある)
走るのが速い。
有って地獄、無くて極楽(あってじごく、なくてごくらく)
金や子どもは、持てば持ったで苦労や心配が増えるため、ないほうがかえって気楽であるということ。
有っても苦労、無くても苦労(あってもくろう、なくてもくろう)
金と子どもは、あればあったで苦労するし、なければないで苦労するということ。
有り金をはたく(ありがねをはたく)
持っている金を全部出すこと。
有りそうで無いのが金、無さそうで有るのが借金(ありそうでないのがかね、なさそうであるのがしゃっきん)
人の内情は外見からではわからない。ありそうに見えても、意外にないのが金だということ。
有り体に言う(ありていにいう)
ありのままを言うこと。うそ偽りなく述べること。
有るか無きか(あるかなきか)
有るのか無いのかわからないほど、ほんのわずかなさま。
有る手からこぼれる(あるてからこぼれる)
たくさん抱えている側からは、意図しなくても外へ落ちていく。施すつもりがなくとも、近くにいる者はその分け前にあずかる。
有る時は米の飯(あるときはこめのめし)
手元にあるうちは先を見ずに、あるだけ使い切ってしまう。無くなってからの困り方は承知のうえで、豊かなときは豊かなだけの食い方をする。
有る時払いの催促なし(あるときばらいのさいそくなし)
金の都合がついた時に返せばいい、催促は一切しないという寛大な借金の返済条件をいう言葉。
謂う勿れ、今日学ばずして来日有りと(いうなかれ、こんにちまなばずしてらいじつありと)
明日があるからといって、今日学ぶべきことを後回しにしてはいけない。学びはその時その時で真剣に取り組むべきであるということ。 朱熹が若者に対して学問に励む心構えを説いたもの。 さらにこの後に「謂う勿れ、今年学ばずして来年ありと」と続く。 「謂う」は「言う」とも書く。
謂われを聞けば有難や(いわれをきけばありがたや)
わけがわからず見てつまらないものも、その由来を聞くと急にありがたみが増すということ。
有為転変は世の習い(ういてんぺんはよのならい)
形あるものはひとところにとどまらず、移ろい続ける。それを嘆いてもはじまらず、世とはそういうものだということ。 「有為転変」は仏教語で、さまざまの条件が寄り合って生じたものは、その条件が移れば必ず姿を変えていくことをいう。
有卦に入る(うけにいる)
運が向いてきて、すべてがうまくいくこと。「有卦」は陰陽道でいう幸運が七年続くという年回りのこと。
有頂天(うちょうてん)
激しく喜んで大得意になること。 仏教で、三界の中で最も上位の世界の意から。
有無相通じる(うむあいつうじる)
互いに足りないものを交換し融通し合うこと。
有無を言わせず(うむをいわせず)
相手の承知不承知に関係なく。無理やりに。否応なしに。
烏有に帰す(うゆうにきす)
すっかりなくなってしまうこと。特に火事ですべてを無くしてしまうことをいう。「烏有」は漢文で「烏(いずくん)ぞ有らんや」と読み、全くないこと。
遠慮無ければ近憂有り(えんりょなければきんゆうあり)
先々まで見渡しておかないと、じきに足下で厄介が持ち上がる。 「遠慮」は行く末まで思いをめぐらせること、「近憂」はすぐそこに迫る面倒をいう。
お医者様でも有馬の湯でも惚れた病は治りゃせぬ(おいしゃさまでもありまのゆでもほれたやまいはなおりゃせぬ)
人を恋い慕う苦しみだけは、どのような手当てをもってしても取り除けないということ。 草津の湯は万病に効くと評判をとった名湯で、その湯でさえ及ばないという言い方で恋煩いの厄介さを言い立てている。「草津」を「有馬」と置き換えていうこともある。
気が有る(きがある)
①こちらにその心づもりがあること。話を持ちかけられれば乗る構えでいる状態をさす。 ②ある異性を思う心を内に抱えていること。口に出さずとも、その人にだけ心が向いている。
杞梓連抱にして数尺の朽有るも良工は棄てず(きしれんぽうにしてすうせきのくちあるもりょうこうはすてず)
杞や梓のような良材に、たとえ数尺の腐りが含まれていても、腕のよい職人は捨てずに用いる。 人材においても、短所があろうとも、その人の長所を見抜き、それを活かして用いることが、人を生かす道であるというたとえ。 「朽」は「きゅう」とも読む。
愚者も千慮に一得有り(ぐしゃもせんりょにいっとくあり)
知恵の足りない者の口からも、思案を重ねるうちに一つは使える案が出てくる。「智者も千慮に一失有り」と対にして用いる。 捕らえられた李左車が、韓信に策を問われ、愚か者の考えにも一つくらいは当たりがあるものだと前置きして献策した。
子は有るも嘆き、無きも嘆き(こはあるもなげき、なきもなげき)
子を授かれば授かったで案じごとが尽きず、授からなければ授からないでそのことを嘆く。 持つも持たぬも、親の胸から心配の種が絶えることはないものだ。
三人行えば必ず我が師有り(さんにんおこなえばかならずわがしあり)
誰と居合わせても、そこから得るものはある。 倣いたい振る舞いはそのまま取り入れ、そうなりたくない振る舞いは我が身を正す材料にすればよい。
死生命有り(しせいめいあり)
人の生死は天命によるもので、人の力ではどうすることもできないということ。「死生」は、死ぬことと生きること。
小人罪無し、玉を懐いて罪有り(しょうじんつみなし、たまをいだいてつみあり)
これといった落ち度のない者でも、暮らしぶりに釣り合わない値打ち物を抱え込めば、それだけで周りの欲を引き寄せてしまう。 持ち主に非があるのではなく、持ち物のほうが咎めを連れてくる。 「璧」は、平たく円く磨き上げた玉。
小人は始め有りて終わり無し(しょうじんははじめありておわりなし)
つまらない人間は、物事を開始することはできても、最後までやり遂げて成果を出すことができない。 また、つまらない人物の付き合いは、その情義や誠実さを最後まで保つことができないということ。
積悪の家には必ず余殃有り(せきあくのいえにはかならずよおうあり)
重ねた悪は当人一人の始末では収まらず、後の代の者が背負うことになる。 「余殃」は、悪の勘定が本人の代で片づかずに繰り越されたものをいう。 「積善の家には必ず余慶あり」と並べて説かれる。
積善の家には必ず余慶有り(せきぜんのいえにはかならずよけいあり)
よい行いは、それを積んだ当人の代で終わらない。家に残した分が、次の代、その次の代へと福の形で回っていく。 「余慶」は、積んだ善が使いきれずにあふれ出た分をいう。
