徒花に実は生らぬについて

言葉 | 徒花に実は生らぬ |
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読み方 | あだばなにみはならぬ |
意味 | どんなに見かけがよくても、実質が伴わなくてはよい成果を上げることはできないということ。「徒花」は、咲いても実を結ばずに散る花。どんなに美しい花を咲かせようとも、実のならない徒花では仕方がないという意から。 |
出典 | - |
使用されている漢字
「徒」を含むことわざ
浅瀬に徒波(あさせにあだなみ)
思慮の浅い人間ほど、おしゃべりで些細なことで騒ぎ立てるということ。「徒波」は「仇波」とも書き、浅瀬が徒(いたずら)にさざ波を立てる意から。
徒の悋気(あだのりんき)
自分とは何のかかわりもない他人の恋を妬みやきもちを焼くこと。「徒」は無駄、「悋気」は嫉妬の意。
徒花に実は生らぬ(あだばなにみはならぬ)
市井の徒(しせいのと)
徒党を組む(ととうをくむ)
悪事を働くために仲間が集まること。
船盗人を徒歩で追う(ふなぬすびとをかちでおう)
無駄な骨折りのたとえ。また、やり方が適切でないたとえ。船を盗んで漕いで逃げる相手を、陸路を歩いて追いかけるという意から。
「花」を含むことわざ
朝顔の花一時(あさがおのはないっとき)
物事の盛りが短く、はかないことのたとえ。朝咲いた朝顔の花が昼を待たずにしぼんでしまうことから。
薊の花も一盛り(あざみのはなもひとさかり)
誰でも年ごろになると、それなりの魅力が出てくるということ。あまり好まれない薊の花も、美しい時期があるという意から。
雨は花の父母(あめははなのふぼ)
花にとって雨は、養い育ててくれる父母のようなものだということ。
石に花咲く(いしにはなさく)
現実には起こるはずのないことのたとえ。
一輪咲いても花は花(いちりんさいてもはなははな)
たとえ小さく目立たない存在でも、その存在自身には何ら変わりはないということ。
炒り豆に花が咲く(いりまめにはながさく)
衰えていたものが、再び栄えることのたとえ。また、ありえないことが実現することのたとえ。炒った豆に芽が出て花が咲くということから。「炒り豆に花」ともいう。
「実」を含むことわざ
一瓜実に二丸顔(いちうりざねににまるがお)
女性の顔立ちで、一番良いのはやや細長く白い瓜実顔、二番目は愛嬌のある丸顔だということ。その後に「三平顔に四長顔、五まで下がった馬面顔」と続く。
一人虚を伝うれば万人実を伝う(いちにんきょをつたうればばんにんじつをつたう)
一人がでたらめを伝えれば、大勢の人が次々にそれを言いふらして事実にしてしまうということ。
嘘から出た実(うそからでたまこと)
嘘として言ったことが、偶然事実となること。
榎の実は生らば生れ木は椋の木(えのみはならばなれきはむくのき)
道理が通らなくても自説を曲げずに主張するたとえ。榎の木を椋の木と言った者が、榎の実が生った後も椋の木だと言い続けるという意から。「椋の木の下にて榎の実を拾う」「椋は生っても木は榎」ともいう。
華を去り実に就く(かをさりじつにつく)
見かけを華やかに飾ることよりも、手堅く確実な態度を選ぶこと。
禁断の木の実(きんだんのこのみ)
禁じられているが、魅惑的な快楽のたとえ。「禁断」は、かたく禁じること。エデンの園の神から食べることを禁じられていた知恵の木の実を、蛇にそそのかされて食べてしまったアダムとイブが楽園から追放されたという話から。
「生」を含むことわざ
諦めは心の養生(あきらめはこころのようじょう)
失敗や不運をくよくよ考えるより、きっぱり諦めたほうが精神的に良いということ。
生き馬の目を抜く(いきうまのめをぬく)
生きている馬の目を抜き取るほどすばやいこと。また、ずるくて油断も隙もならないことのたとえ。
生き肝を抜く(いきぎもをぬく)
人をひどく驚かせる。 「生き胆」は生きている動物の肝。
生きた心地もしない(いきたここちもしない)
恐ろしさのあまり、生きているという感じがしないさま。
生きた空もない(いきたそらもない)
恐ろしさのあまり、生きているという感じがしないこと。
生き血を吸う(いきちをすう)
情け容赦なく、他人のものを取り上げること。 「生き血をすする」とも。