「勉強・勉学」に関連する故事・ことわざ・慣用句 — 82 件
「勉強・勉学」に関連する故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。全82件を五十音順に掲載しています。
ことわざ一覧(五十音順)
青表紙を叩いた者にはかなわぬ(あおびょうしをたたいたものにはかなわぬ)
きちんと学問に励んだ者にはかなわないというたとえ。「青表紙」は青い表紙を多く用いた四書五経などの経書のこと。
朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり(あしたにみちをきかばゆうべにしすともかなり)
朝に人の生きるべき道を悟ることができれば、その夕方に死んだとしてもかまわないということ。
謂う勿れ、今日学ばずして来日ありと(いうなかれ、こんにちまなばずしてらいじつありと)
明日があるからといって、今日学ぶべきことを後回しにしてはいけない。学びはその時その時で真剣に取り組むべきであるということ。 朱熹が若者に対して学問に励む心構えを説いたもの。 さらにこの後に「謂う勿れ、今年学ばずして来年ありと」と続く。 「謂う」は「言う」とも書く。
医者寒からず儒者寒し(いしゃさむからずじゅしゃさむし)
医者はおおむね裕福で、学者はたいてい貧乏だということ。「儒者」は学者、「寒し」は貧しい意。
一日再び晨なり難し(いちじつふたたびあしたなりがたし)
一日に二度朝が来ることがない。だから時間を大切にして勉学に励めという戒めのことば。「晨」は朝の意。
一日一字を学べば三百六十字(いちにちいちじをまなべばさんびゃくろくじゅうじ)
毎日少しずつでも怠らずに勉強を続ければ、積もり積もって大きな成果が得られるというたとえ。
一家を成す(いっかをなす)
家庭を持つ。また、学問や芸術の分野で新しい流派を立ち上げる。 「一家を立てる」ともいう。
乙夜の覧(いつやのらん)
天子が読書すること。 書物を読むことの大切さをいう言葉。 「乙夜」は午後十時ごろ。 「覧」は読書のこと。 天子はとても忙しいため、夜遅くになってはじめて読書する時間ができるとの意から。 「乙覧」と略して使うこともある。
田舎の学問より京の昼寝(いなかのがくもんよりきょうのひるね)
田舎で勉強するより、たとえ昼寝をしながらのんびり過ごしたとしても、都会に身を置いたほうがさまざまな人や物に接するため、多くのことを学ぶということ。
衣鉢を伝う(いはつをつたう)
学問・芸術などで、師が弟子に奥義を教え伝えること。 「衣鉢」は仏教語で僧侶が身にまとう袈裟と鉢のこと。転じて、その道の奥義の意。
韋編三度絶つ(いへんみたびたつ)
繰り返して書を読むこと。 「韋編」は、字を書いた木や竹の札を、なめし皮の紐(ひも)でとじた中国の昔の書物。 孔子は「易経」を愛読し繰り返し何度も読んだため、書物をとじている革紐が三度も切れたという故事から。 「韋編三絶」ともいう。
未だ学を好む者を知らざるなり(いまだがくをこのむものをしらざるなり)
これぞという学びの徒に、いまだ出会えずにいる。 弟子の中で誰が学を好むかと問われた孔子が、顔回を喪ったのちの空白を嘆いて答えた。 原文は「未聞好学者也」で、「未だ学を好む者を聞かざるなり」と読み下す形でも伝わる。
蘊蓄を傾ける(うんちくをかたむける)
自分の持っている知識・技能のすべてを発揮すること。「蘊」は、たくわえるという意。「蘊蓄」は十分勉強や研究をして蓄えた知識や技能のこと。
老いの学問(おいのがくもん)
年老いてから始める学問や学び。 「老いの手習い」ともいう。
教うるは学ぶの半ば(おしうるはまなぶのなかば)
人に教えるということは、自分の知識をより深めなければならないから、半分は自分の勉強になるということ。
歌人は居ながらにして名所を知る(かじんはいながらにしてめいしょをしる)
歌人は古歌や歌枕の研究によって、実際にその場所に行ったことはなくても、名所について詳しいということ。
下問を恥じず(かもんをはじず)
身分や年齢の低い者に物事を尋ねることを、恥ずかしいとか体裁が悪いと思わず、素直に聞くという姿勢が大切だということ。
学者と大木は俄にできぬ(がくしゃとたいぼくはにわかにできぬ)
学問を修めた人は、一朝で出来上がりはしない。 腰を据えて年を重ねた分だけが、そのまま器の大きさになる。
学者の取った天下なし(がくしゃのとったてんかなし)
机の上で筋の通った政治論を立てても、それで世が治まった例は無い。 理屈を組み立てる腕と、実際に人を動かす腕は別のところにある。
学者の不身持ち(がくしゃのふみもち)
筋道を説く側の暮らしぶりが、その説くところと食い違っている。 教える立場にありながら、身の慎みだけは人並みに届いていない。
学者むしゃくしゃ(がくしゃむしゃくしゃ)
学者は取っつきにくく、話も込み入っていて近寄りがたい。 末の「しゃ」の音をそろえた、口調本位の言い回し。
学は及ばざるが如くす(がくはおよばざるがごとくす)
学びに区切りをつけず、いつまでも手が届いていないつもりで向かえということ。 事足りたと思った時点で、そこから先はなくなる。
学若し成らずんば死すとも帰らず(がくもしならずんばしすともかえらず)
学びを志して郷里を離れた以上、成し遂げるまでは生きて土を踏まない。 幕末の僧が旅立ちの折に壁へ書きつけた詩の一句で、退路を断つ姿勢を示すのに使う。
学問に王道なし(がくもんにおうどうなし)
学びの道には、身分に応じて用意された抜け道が無い。 幾何学を手短に教えよと迫った王に、数学者が「幾何学に王道なし」と返した逸話から出た言葉。 「学問に近道なし」ともいう。
学を好むは、知に近し(がくをこのむは、ちにちかし)
まだ何かを修めたわけでなくとも、進んで書に向かう気があるだけで、賢さの側へ足を踏み入れている。 「力めて行なうは仁に近し」「恥を知るは勇に近し」と並べて挙げられた三句のうちの一つ。
眼光、紙背に徹す(がんこう、しはいにてっす)
書物の表面上の意味だけでなく、背後にある真意も読み取ること。読解力が鋭いことのたとえ。 紙の裏まで見通すとの意から。 「眼光紙背に徹る」ともいう。
紈袴は餓死せず、儒冠は多く身を誤る(がんこはがしせず、じゅかんはおおくみをあやまる)
よい家に生まれた者は食うに困らず、学問を積んだ者ほど世渡りでつまずく。 才も学識も、身の置きどころしだいで報われない。 「紈袴」は上等な絹の袴で富家の子弟を、「儒冠」は学者のかぶる冠で学者そのものを指す。
聞かぬ事は後学にならず(きかぬことはこうがくにならず)
どんなことでも聞いておかなければ将来のための教養にならないということ。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥(きくはいっときのはじ、きかぬはいっしょうのはじ)
知らないことを聞くのはほんの一時の恥で済むが、聞かずに知らないまま過ごすのは一生恥ずかしいということ。
笈を負う(きゅうをおう)
学ぶために生まれた土地を後にして、遠い師のもとへ身を移す。荷は書物だけという身の軽さで、そこまでして学びに行くことをいう。
蛍雪の功(けいせつのこう)
苦労を重ねて勉学に励んだ成果のこと。「蛍雪」は苦労して勉学に励むことで、中国晋の車胤と孫康はともに貧しく、車胤は蛍の光で、孫康は窓の外の雪明りで読書し勉学に励んだという故事から。
剣は一人の敵、学ぶに足らず(けんはいちにんのてき、まなぶにたらず)
剣は一人を倒すだけの技で、身につけるほどの値打ちはない。若い項羽が学問も剣も投げ出し、咎められて「万人を相手にする術こそ習いたい」と言い放ったという。
口耳の学(こうじのがく)
聞いたことをそのまま人に話すだけの自分の身につかない学問のこと。受け売りの学問のこと。 「口耳」は、耳から口までのわずかな距離のことで、耳から入ってすぐ口から出るとの意から。
古人の糟魄(こじんのそうはく)
いにしえの人の書き残しを読んでも、手に入るのは肝心の中身が抜けたあとの殻でしかない。 車輪を削る職人が、手の勘は言葉にして子にも渡せないと言い、書物に残っているのは道の抜け殻だと主君に説いた話から。 「糟魄」は、酒を醸したあとに残るもの。「糟粕」とも書く。
尽く書を信ずれば則ち書無きに如かず(ことごとくしょをしんずればすなわちしょなきにしかず)
紙に載っているというだけで真に受けていては、かえって遠回りになる。どの本にも書き手の偏りがあると見て、疑いながら読み進めたい。 「書」はもともと『書経』を指したが、今は書物一般に広げて使う。
子供の根問い(こどものねどい)
子どもが何にでも疑問を持って、根掘り葉掘り問いただすこと。
三日書を読まざれば語言味無し(さんじつしょをよまざればごげんあじなし)
本から離れた日が続くと、話す言葉から張りが失せる。 学びを絶やすまいと戒めるときに引く。
三人行えば必ずわが師あり(さんにんおこなえばかならずわがしあり)
誰と居合わせても、そこから得るものはある。 倣いたい振る舞いはそのまま取り入れ、そうなりたくない振る舞いは我が身を正す材料にすればよい。
三余(さんよ)
書を読むのに向いた三つの余った時。畑仕事の無い冬、日の暮れたあとの夜、外へ出られない雨降りをいう。 魏の董遇が、書を読む暇がないと言う者に、冬は年の余り、夜は日の余り、雨降りは時の余りだと説いた。
志学(しがく)
学問に志すこと。十五歳の異称。
芝居は無筆の早学問(しばいはむひつのはやがくもん)
書物に向かえない者でも、舞台を見ているあいだに世の移り変わりや人の道筋が呑み込めてくる。 芝居小屋が、そのまま教場の役をしていた。 「芝居は一日の早学問」ともいう。
少年老い易く学成り難し(しょうねんおいやすくがくなりがたし)
年月は油断しているうちに、たちどころに過ぎ、すぐに年をとってしまう。学問を修めるのは難しいので、若いうちから時間を無駄にせず勉学に励めというおしえ。
十読は一写に如かず(じゅうどくはいちしゃにしかず)
十回読むよりも一回書き写した方が内容をよく理解できるということ。 「十遍読むより一遍写せ」ともいう。
人生、字を識るは憂患の始め(じんせい、じをしるはゆうかんのはじめ)
人は字を覚え学問をするようになると、心を痛めることが多くなる。なまじ字を覚え学問を積むと、かえって心配したり悩んだりするようになるということ。
精を出す(せいをだす)
仕事や学問などに懸命に取り組むこと。精一杯励むこと。
千金を買う市あれど一文字を買う店なし(せんきんをかういちあれどいちもんじをかうみせなし)
文字を覚えるためには、自分で学ぶしかないというたとえ。 市場にはいろんな物が売っていて、高価な物も買うことができるが、文字だけは売っていないとの意から。
千日の勤学より一時の名匠(せんにちのきんがくよりいちじのめいしょう)
ひとりで長く机に向かい続けるより、優れた師のそばでひとときを過ごすほうが実りは大きい。道を知る者の手引きは、それだけ重いということ。
造詣が深い(ぞうけいがふかい)
学問や芸術などの深い知識や技能を持ち、すぐれた理解力があること。
象牙の塔(ぞうげのとう)
俗世との交わりを断ち、自分の学問や芸術の世界にこもりきる態度。また、その閉じた場としての研究室などをいう。 もとは、世の争いに身を投じようとせず一人静かに詩作へ引きこもる詩人の身の処し方を、同じ時代の批評家が言い表した言葉であった。
大食腹に満つれば学問腹に入らず(たいしょくはらにみつればがくもんはらにいらず)
食べ過ぎて満腹になると、頭の働きが鈍くなり、学問に集中できなくなるということ。
知識は力なり(ちしきはちからなり)
物事の道理を知り抜いた者だけが、自然を思うままに働かせ、事を成し遂げることができる。 先入観を捨てて事実を積み重ね、そこから理を導けと説いた近世の学問観から出た言葉。 「知は力なり」と訳されることもある。
月夜に夜仕事(つきよによしごと)
真面目に仕事や勉強に励むことのたとえ。 美しい月を楽しまずに仕事に励むとの意から。 「月夜に夜なべ」ともいう。
手習いは坂に車を押す如し(てならいはさかにくるまをおすごとし)
学びは手を休めたとたんに退いてしまうものだから、途切れさせずに続けよという教え。坂の途中で荷車を支える手を放せば、車はそのまま下へ滑り落ちることから。
灯火親しむべし(とうかしたしむべし)
気候のさわやかな秋の長い夜は、明かりの下で読書するのに適しているということ。
問うは一旦の恥、問わぬは末代の恥(とうはいったんのはじ、とわぬはまつだいのはじ)
知らないことを聞くのはほんの一時だけ恥ずかしい思いをするが、聞かずに知らないまま過ごすのは一生恥ずかしい思いをするということ。
堂に入る(どうにいる)
学問や技芸がすっかり身についているようす。
堂に升りて室に入らず(どうにのぼりてしつにいらず)
学問や芸がかなりの水準に達しているが、まだ奥義をきわめるまでには達していないということ。 「堂」は表座敷、「室」は奥の間のこと。 表座敷に上がった程度で、まだ奥の間には入っていないとの意から。
読書百遍、義、自ずから見る(どくしょひゃっぺん、ぎ、おのずからあらわる)
どんなに難しい本でも、繰り返し何度も読めば、自然に意味がわかってくるということ。 「読書百遍、意、自ずから通ず」ともいう。
習うは一生(ならうはいっしょう)
人間には学ぶべきことがたくさんあるため、いくつになっても常に学び続ける必要があるという戒め。
白面の書生(はくめんのしょせい)
机に向かう時間ばかりで、世間の風に当たっていない若い書き手。 日に焼けていない顔つきが、そのまま場数の少なさを表している。
範を仰ぐ(はんをあおぐ)
見本として学ぶこと。
百様を知って一様を知らず(ひゃくようをしっていちようをしらず)
あれこれ手を広げた末に、どれ一つとして底まで究めていないこと。数の多さが中身の確かさにはつながらないという戒め。
故きを温ねて新しきを知る(ふるきをたずねてあたらしきをしる)
昔のことを研究し、そこから新しい知識や道理を発見すること。 「温故知新(おんこちしん)」ともいう。
亡羊の嘆(ぼうようのたん)
学問の道があまりにも幅広いため、真理をとらえることの難しさを嘆くこと。また、どうしてよいかわからず、途方に暮れて嘆くことのたとえ。 逃げた羊を追いかけたが、道がいくつも分かれていたため途方に暮れたという故事から。
学びて思わざれば則ち罔し(まなびておもわざればすなわちくらし)
いくら学んでも、自ら思索しなければ、真理に到達することはできないということ。
学びて時に之を習う亦説ばしからずや(まなびてときにこれをならうまたよろこばしからずや)
勉強したことを、折にふれて復習するということは、いっそう理解を深めることになる。なんと楽しいことではないかということ。
学ぶ門に書来る(まなぶかどにふみきたる)
打ち込んでいる者のところへは、要るものが呼ばれもせずに近づいてくる。 書を愛する家に書が積まれていくのと同じで、熱のあるところに材料は寄る。 「学の前に書来る」ともいう。
学ぶに暇あらずと謂う者は暇ありと雖も亦学ぶ能わず(まなぶにいとまあらずというものはいとまありといえどもまたまなぶあたわず)
勉強したくても時間がないなどという人は、もともと学ぶ意欲がないのだから、たとえ暇があったとしても勉強はしないということ。
学ぶのに年を取り過ぎたということはない(まなぶのにとしをとりすぎたということはない)
何かを学び始めるのに遅すぎるということはない。年を重ねてからでも、新しいことは十分に身につく。 今さら遅いと尻込みしている人に向けて言う。もとは英語で言い習わされていたことわざ。
水到りて渠成る(みずいたりてきょなる)
「渠」は水路のこと。水が集まって流れ出せば、通り道はおのずと掘れていく。 学問を積み重ねれば人としての中身はひとりでに育ち、機が熟せば物事はおのずと形になるということ。
身に付く(みにつく)
学んだ事柄が習い性となって、自分の一部になること。
昔は今の鏡(むかしはいまのかがみ)
昔のことは現代の手本になるので、歴史を学ぶことが将来に役立つということ。
麦を漂わす(むぎをただよわす)
書物にのめり込むあまり、身の回りのことが何ひとつ意識に上らなくなること。後漢の高鳳が、庭に広げた麦を大雨がさらっていくのもかまわず書を読みふけっていた、という一話に基づく。
胸を借りる(むねをかりる)
自分よりも実力が上の者に練習相手になってもらうこと。 相撲で、下位の力士が上位の力士に稽古の相手になってもらうとの意から。
目に一丁字なし(めにいっていじなし)
紙に並んだ文字が、その人の目には模様としてしか映らないこと。 読み書きを教わる機会のないまま育った人を指す。 「一丁字」は文字ひとつの意。「丁」は「个」の書き誤りとされる。 「一丁字を知(識)らず」ともいう。
股を刺して書を読む(ももをさしてしょをよむ)
眠気に負けまいと自らを傷つけてまで、書物に向かうこと。
門を叩く(もんをたたく)
自分から弟子入りを志願して、入門すること。
よく学べよく遊べ(よくまなべよくあそべ)
立派な人間になるためには、勉強するときはしっかり勉強し、遊ぶときは思いきり遊ぶべきだということ。
読み書き算用は世渡りの三芸(よみかきさんようはよわたりのさんげい)
字が読めること、字が書けること、そろばんができること。 この三つは世間を渡っていくのに欠かせない心得だということ。 「算用」は計算のこと。
臨池(りんち)
筆の稽古を積むこと。転じて、書の道そのものをいう。 後漢の名手が水辺に座って書き続け、洗った筆から出る墨でその一帯が黒く濁ったという話が残る。
六十の手習い(ろくじゅうのてならい)
年をとってから学問や稽古事を始めること。 「八十の手習い」ともいう。
論語読みの論語知らず(ろんごよみのろんごしらず)
知識は持っているが、実行が伴わない人をあざけっていう言葉。 書物を読んでも知識として理解するだけで、それを生かして実行できていなかったり真の意義を理解できていなかったりすること。
