「道」を含む故事・ことわざ・慣用句
「道」を含む故事・ことわざ・慣用句の一覧です(五十音順)。
朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり(あしたにみちをきかばゆうべにしすともかなり)
朝に人の生きるべき道を悟ることができれば、その夕方に死んだとしてもかまわないということ。
家を道端に作れば三年成らず(いえをみちばたにつくればさんねんならず)
他人の助言をいちいち聞いていると、何事もやり遂げることが出来ないというたとえ。 道に面した場所に家を建てようとすると、口出しをする人が多くてなかなか出来上がらないという意から。
意志のある所には道がある(いしのあるところにはみちがある)
実現しようという意志があれば、できないことはないというたとえ。
鼬の道切り(いたちのみちきり)
交際や音信が途絶えることのたとえ。鼬(イタチ)は一度通った道は二度と通らないといわれていることから。「鼬の道」ともいう。
一芸は道に通ずる(いちげいはみちにつうずる)
一芸を極めた人は、他のどんな分野においても人にぬきんでることができるということ。
茨の道(いばらのみち)
苦難の多い人生のたとえ。 茨の生えている道の意から。
老いたる馬は道を忘れず(おいたるうまはみちをわすれず)
経験を積んだ人は方針を誤らないというたとえ。 老馬はいろいろな道を知っており、迷うことがないということから。 中国、斉の桓公が山中で道に迷った時に、老馬の歩みに従って無事に帰り着いたという故事から。
学問に王道なし(がくもんにおうどうなし)
学問というものは、積み重ねて学んでいかなければならないもので、簡単に身につける安易な方法はないということ。 「王道」は、王様のための特別、転じて近道や安易な道の意。 エジプト王がユークリッドに、幾何学を簡単に学ぶ方法を尋ねた時、「幾何学に王道なし」と答えたという故事から。 「幾何学に王道なし」ともいう。
幾何学に王道なし(きかがくにおうどうなし)
学問というものは、積み重ねて学んでいかなければならないもので、簡単に身につける安易な方法はないということ。 「王道」は、王様のための特別、転じて近道や安易な道の意。 エジプト王がユークリッドに、幾何学を簡単に学ぶ方法を尋ねた時、「幾何学に王道なし」と答えたという故事から。 「学問に王道なし」ともいう。
軌道に乗る(きどうにのる)
物事が事前に計画したとおりに、順調に進行すること。
荊棘の道(けいきょくのみち)
困難で苦しい人生のたとえ。「荊」「棘」とも茨の意で、困難や障害がある道ということ。
芸は道によって賢し(げいはみちによってかしこし)
一芸に通じた人は、その道に関しては何でもよく知っているということ。専門家は専門とする分野については精通しているということ。
恋の道には女がさかしい(こいのみちにはおんながさかしい)
恋に関しては、女は男が足元にも及ばないほど知恵がはたらくということ。「さかしい」は賢い意。
功成り名遂げて身退くは天の道なり(こうなりなとげてみしりぞくはてんのみちなり)
りっぱな仕事を成し遂げて名声を得たら、その地位にとどまらず退くのが、自然の摂理にかなった身の処し方であるということ。
子供叱るな来た道だもの年寄り笑うな行く道だもの(こどもしかるなきたみちだものとしよりわらうなゆくみちだもの)
子どものいたずらなどは誰しも身に覚えがあるので叱るべきではないし、自分もいずれ年をとるので老人を笑いものにすべきではないということ。
米の飯と天道様はどこへ行っても付いて回る(こめのめしとてんとうさまはどこへいってもついてまわる)
どんな所でも太陽が当たるように、どこへ行っても食べることは何とでもなるということ。
酒と朝寝は貧乏の近道(さけとあさねはびんぼうのちかみち)
酒を飲み過ぎ、朝寝をして怠けていれば、たちまち貧乏になってしまうということ。
四十過ぎての道楽と七つ下がって降る雨は止みそうで止まぬ(しじゅうすぎてのどうらくとななつさがってふるあめはやみそうでやまぬ)
中年になってから始めた道楽と、七つ下がりに降り出した雨は、なかなかやまないということ。「七つ下がり」は午後四時過ぎのこと。
釈迦に説法孔子に悟道(しゃかにせっぽうこうしにごどう)
その道を知り尽くしている人に、ものを教える愚かさのたとえ。または、必要のないことを長々しく繰り返し言うこと。仏教の開祖である釈迦に仏の教えを説いたり、儒教の開祖である孔子に人の道を説いたりするという意味から。 「釈迦に説法」ともいう。
商売は道によって賢し(しょうばいはみちによってかしこし)
商人は、商売に関しては何でもよく知っているということ。専門家は、専門とする分野についてよく知っているというたとえ。
蛇の道は蛇(じゃのみちはへび)
同類のことは、同類がいちばんよくわかるというたとえ。蛇の通る道は、仲間の蛇がよく知っているという意から。
水道の水で産湯を使う(すいどうのみずでうぶゆをつかう)
江戸っ子が江戸生まれであることを自慢していうことば。江戸には金と労力をかけて作った神田上水と玉川上水があり、この水道水の産湯を使ったということから。
すべての道はローマに通ず(すべてのみちはろーまにつうず)
どんな方法をとっても同じ目的に達するというたとえ。また、すべてのことは一つの真理から発しているというたとえ。 ローマ帝国の全盛時代、世界各地からの道がローマに通じていたことから。 17世紀のフランスの詩人ラ・フォンテーヌが「寓話」の中で用いた言葉。
滑り道とお経は早い方がよい(すべりみちとおきょうははやいほうがよい)
ぬかるんで滑りやすい道は人より早く先を歩く方が歩きやすく、退屈なお経は早く終わる方がありがたいということ。「滑り道と観音経は早い方が良い」ともいう。
千里の道も一歩から(せんりのみちもいっぽから)
どんな遠大な計画も、はじめは身近なことから始まるというたとえ。千里の道のりも踏み出した第一歩からから始まるという意から。「千里の行も足下より始まる」ともいう。
是非は道によって賢し(ぜひはみちによってかしこし)
物事のよしあしを判断するのは、その道の専門家に任せるのが確かだということ。
善を責むるは朋友の道なり(ぜんをせむるはほうゆうのみちなり)
善い行いをするように勧めるのが、友としての大切な務めだということ。「責むる」は、当然なすべき事を勧めるという意。
田作る道は農に問え(たつくるみちはのうにとえ)
農業のことは農民に聞くのが一番いいように、何事もその専門家に聞くのが一番いい方法だということ。
旅は道連れ、世は情け(たびはみちづれ、よはなさけ)
旅をする時は同行者がいれば心強く、同様に世の中を渡るにはお互い助け合っていくのが大切だということ。
鱈汁と雪道は後が良い(たらじるとゆきみちはあとがよい)
鱈汁は煮込むほどだしが出ておいしくなるので、あとから食べるほうがいいし、雪道は人が歩いたあとを行くと歩きやすいということ。
大道廃れて仁義あり(だいどうすたれてじんぎあり)
世の中の秩序が乱れて、人が守るべき正しい道理が失われると、仁義という道徳心を唱える必要が生じるということ。
近道は遠道(ちかみちはとおみち)
近道は危険だったり悪路だったりして結局時間がかかることがある。物事も一見回り道のように見えても安全で確実な道を選ぶほうがいいということ。
血道を上げる(ちみちをあげる)
恋愛や道楽に夢中になって、分別を失う。
釣りは道楽の行き止まり(つりはどうらくのいきどまり)
魚釣りは最高の道楽だということ。
天道様と米の飯はどこへも付いて回る(てんとうさまとこめのめしはどこへもついてまわる)
どんな所にも太陽が当たるように、どこへ行っても暮らしていけるということ。
天道様はお見通し(てんとうさまはおみとおし)
お天道様は、人のすることをすべて見抜いているから、悪事は隠し通せるものではないということ。
天道、是か非か(てんどう、ぜかひか)
天は善人には幸福を、悪人には懲罰をもたらすというが、現実には善人が不幸で、悪人が繁栄していることが多い。果たして天は正しいのかどうが疑わしいということ。
天道、人を殺さず(てんどう、ひとをころさず)
天は人を見捨てるような無慈悲なことはしないということ。
東道(とうどう)
主人となって客をもてなしたり、案内をしたりする人。 または、道案内をする人のたとえ。 中国の春秋時代、鄭の国が晋と秦の軍に包囲された時、鄭の国の燭之武は秦の王に「鄭の国を滅ぼすよりも、東方へ行く際の案内役にしたほうが得になる」と説いたという故事から。
東道の主(とうどうのしゅ)
主人となって客をもてなしたり、案内をしたりする人。 または、道案内をする人のたとえ。 中国の春秋時代、鄭の国が晋と秦の軍に包囲された時、鄭の国の燭之武は秦の王に「鄭の国を滅ぼすよりも、東方へ行く際の案内役にしたほうが得になる」と説いたという故事から。
遠道は近道(とおみちはちかみち)
危険な近道を行くより、一見遠回りのようでも安全で確実な道を行くほうが早く着く。物事も焦らずじっくり行うほうが早く目的を遂げられるというたとえ。
とめてとまらぬ恋の道(とめてとまらぬこいのみち)
人の忠告や理性などで止められないのが恋というものだ、ということ。
道理に向かう刃なし(どうりにむかうやいばなし)
どんな無法者でも道理に勝てないということ。
道理百遍、義理一遍(どうりひゃっぺん、ぎりいっぺん)
ものの道理を百回聞かせるよりも、たった一度、義理を尽くした行いを見せるほうが、人の心を動かすことができるということ。
道理を破る法はあれども法を破る道理なし(どうりをやぶるほうはあれどもほうをやぶるどうりなし)
いかに正しい道理であっても法には勝てないということ。
泥棒にも三分の道理(どろぼうにもさんぶのどうり)
どんなことにでも、こじつければ理屈はつけられるというたとえ。泥棒にもそれを正当化する三分ほどの理屈があるという意から。「盗人にも三分の理」」ともいう。
七つ下がりの雨と四十過ぎての道楽はやまぬ(ななつさがりのあめとしじゅうすぎてのどうらくはやまぬ)
七つ下がりから降り出した雨と、中年になってから覚えた道楽はなかなかやまないということ。「七つ下がり」は午後四時過ぎのこと。
七つ道具(ななつどうぐ)
常に携行する道具のこと。
入木道(にゅうぼくどう)
書道のこと。中国晋の書家王羲之(おうぎし)が書いた文字は筆勢が強く、書かれた板の三分の深さにまで墨が入り込んでいたという故事から。「じゅぼくどう」ともいう。
任重くして道遠し(にんおもくしてみちとおし)
任務はきわめて重大で、遂行する道程は遠く、容易ではないということ。
抜き足すれば道付く(ぬきあしすればみちつく)
人に知られないようにすると、かえって目立つことになるというたとえ。音を立てないように抜き足差し足で歩くと、かえってその跡が付くという意から。
裸で道中はならぬ(はだかでどうちゅうはならぬ)
何事にも、それなりの準備が必要だというたとえ。無一文では旅は出来ないという意から。
花道を飾る(はなみちをかざる)
最後に立派な功績を残して惜しまれながら引退すること。 「花道」は歌舞伎の劇場に設けられた、客席を貫く通路のこと。俳優の登退場に用いられる。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し(ひとのいっしょうはおもにをおうてとおきみちをゆくがごとし)
人生は長く苦しいものだから、辛抱強く努力を重ねて着実に進んでいかなければならないという教え。徳川家康の遺訓から。
百里来た道は百里帰る(ひゃくりきたみちはひゃくりかえる)
自分のしたことには、必ずそれなりの報いがあるということ。百里歩いてきた道は、百里歩かなければもとに戻れないという意から。
貧は諸道の妨げ(ひんはしょどうのさまたげ)
金がなければ何もできず、貧乏は何をするにも妨げになるということ。
兵は詭道(へいはきどう)
戦争に勝つためには、正当な方法だけでなく、人を欺く方法も用いなければならないということ。「詭道」は正しくない方法のこと。
下手の道具調べ(へたのどうぐしらべ)
下手な者にかぎって、道具にこだわり注文をつけるということ。
誠は天の道なり、之を誠にするは人の道なり(まことはてんのみちなり、これをまことにするはひとのみちなり)
道が開く(みちがあく)
問題を解決する方法がみつかること。 また、進むべき方向がわかって、希望が持てるようになること。
道が開ける(みちがひらける)
問題を解決する方法がみつかること。 また、進むべき方向がわかって、希望が持てるようになること。
道草を食う(みちくさをくう)
目的地にそのまま向かわず、途中で寄り道をしたり他のことに時間を費やしたりすること。 馬が道端の雑草を食べて、歩みが止まってしまうことから。
道に遺を拾わず(みちにいをひろわず)
世の中が太平で人々が満ち足りた暮らしをしていることのたとえ。「遺」は落ちている物のことで、人々が落ちている物を拾おうとしないほど太平であるという意から。「道に遺ちたるを拾わず」ともいう。
道は邇きに在りて遠きに求む(みちはちかきにありてとおきにもとむ)
無駄に高遠なものや難しい理論を求めて、近くの真理を見落としてしまうたとえ。「邇き」は近きの意。真理は近いところにあるのに、わざわざ遠いところにそれを求めるという意から。
道を付ける(みちをつける)
あとに続く人のために、先立って糸口をつくること。
無理が通れば道理引っ込む(むりがとおればどうりひっこむ)
理に合わないことが通用するような世の中では、道理にかなったことは行われなくなるということ。
無理も通れば道理になる(むりもとおればどうりになる)
理屈に合わないことでも強引に押し通してしまえば、それが正しいことのように通用してしまうということ。
冥土の道には王なし(めいどのみちにはおうなし)
現世での身分の上下、貧富の差は、死ねばいっさい無くなるということ。また、死は誰にも等しく訪れるということ。「冥土」は「冥途」とも書き、死者の霊魂が行くという世界のこと。
欲と道連れ(よくとみちづれ)
欲につられて行動すること。「欲と二人連れ」ともいう。
夜道に日は暮れぬ(よみちにひはくれぬ)
夜の帰り道には日が暮れる心配はないから、あわてずにのんびりやろうということ。
悋気は女の七つ道具(りんきはおんなのななつどうぐ)
やきもちは女の強力な武器だということ。「七つ道具」は武士が用いた七つの武具のこと。
脇道に逸れる(わきみちにそれる)
話題などが本筋から外れた方向へ進んで行くこと。