鼬の道切りについて

言葉 | 鼬の道切り |
---|---|
読み方 | いたちのみちきり |
意味 | 交際や音信が途絶えることのたとえ。鼬(イタチ)は一度通った道は二度と通らないといわれていることから。「鼬の道」ともいう。 |
出典 | - |
使用されている漢字
「鼬」を含むことわざ
鼬ごっこ(いたちごっこ)
両者が同じ事を繰り返して決着がつかないこと。「いたちごっこ、ねずみごっこ」と言いながら、相手の手の甲をつねって自分の手を重ね、それを繰り返す子どもの遊びから。
鼬なき間の貂誇り(いたちなきまのてんほこり)
自分よりすぐれたもの、強いものがいない間に大威張りすることのたとえ。天敵の鼬(イタチ)がいない時だけ、貂(テン)が威張るという意から。
鼬の最後っ屁(いたちのさいごっぺ)
困った時にとる非常手段のたとえ。鼬(イタチ)が追い詰められたとき、悪臭を放って敵をひるませることから。
鼬の道切り(いたちのみちきり)
「道」を含むことわざ
朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり(あしたにみちをきかばゆうべにしすともかなり)
朝に人の生きるべき道を悟ることができれば、その夕方に死んだとしてもかまわないということ。
家を道端に作れば三年成らず(いえをみちばたにつくればさんねんならず)
他人の助言をいちいち聞いていると、何事もやり遂げることが出来ないというたとえ。 道に面した場所に家を建てようとすると、口出しをする人が多くてなかなか出来上がらないという意から。
意志のある所には道がある(いしのあるところにはみちがある)
実現しようという意志があれば、できないことはないというたとえ。
一芸は道に通ずる(いちげいはみちにつうずる)
一芸を極めた人は、他のどんな分野においても人にぬきんでることができるということ。
茨の道(いばらのみち)
苦難の多い人生のたとえ。 茨の生えている道の意から。
老いたる馬は道を忘れず(おいたるうまはみちをわすれず)
経験を積んだ人は方針を誤らないというたとえ。 老馬はいろいろな道を知っており、迷うことがないということから。 中国、斉の桓公が山中で道に迷った時に、老馬の歩みに従って無事に帰り着いたという故事から。
「切」を含むことわざ
頭が切れる(あたまがきれる)
頭の回転が速く、物事に対して的確な対処ができるさま。
頭を切り替える(あたまをきりかえる)
それまでの考え方から離れて、別の考え方や手法に改める。
油が切れる(あぶらがきれる)
元気がなくなり、体力や気力が続かなくなる。 機械の油がなくなってきて、正常に動かなくなる意から。 「ガソリンが切れる」ともいう。
争い果てての棒乳切り(あらそいはててのぼうちぎり)
時機に遅れて、何の役にも立たないことのたとえ。 「棒乳切り」は棒の切れ端の意。喧嘩が終わってから棒切れを持ち出しても、役に立たないという意から。 「喧嘩過ぎての棒乳切り」「諍い果てての乳切り木」ともいう。
息が切れる(いきがきれる)
呼吸が苦しくなること。また、物事を長く続けられなくなること。
息切れがする(いきぎれがする)
呼吸が苦しくなること。また、物事を長く続けられなくなること。