「積み重ね」に関連する故事・ことわざ・慣用句 — 75 件
「積み重ね」に関連する故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。全75件を五十音順に掲載しています。
ことわざ一覧(五十音順)
商い三年(あきないさんねん)
商いは始めてから三年くらいたたないと、利益を得るようにはならない。三年は辛抱せよというおしえ。
顎振り三年(あごふりさんねん)
技量を身に付けるまでには長い年月がかかるということ。尺八は、顎を振って微妙な音を出すこつを会得するまでに三年かかることから。
雨垂れ石を穿つ(あまだれいしをうがつ)
小さな努力も根気強く続けていけば、いつかは成功することのたとえ。 わずかな雨垂れでも長い年月、同じ所に落ち続ければ、石に穴をあけることができるとの意から。 「点滴石を穿つ」ともいう。
息が続く(いきがつづく)
一つの事を長期間続けること。また、同じ状態を長く保つこと。
息が長い(いきがながい)
物事が衰えることなく、長い期間続いているさま。
意見と餅はつくほど練れる(いけんともちはつくほどねれる)
餅は、つけばつくほど練れて粘りのあるおいしい餅になる。他人の意見も、つき従うようにすればするほど、よい結果が得られるということ。
砂長じて巌となる(いさごちょうじていわおとなる)
命や家運がいつまでも絶えぬようにと願って唱えることば。 一粒の砂も気の遠くなる年月のうちには巌に育つ、という古い時代の見方から。 転じて、時をかけて育つものを侮るなという意にも使う。
石の上にも三年(いしのうえにもさんねん)
辛抱すればいつか必ず成功することのたとえ。 冷たい石の上でも、三年座り続ければ暖まるとの意から。
急ぐな休むな(いそぐなやすむな)
早く仕事の成果をあげようと焦ると、落ち度があったり疲れすぎたりするし、休んでばかりでは仕事がはかどらない。大きな仕事を成し遂げるためには、あわてずに、また休み過ぎずにするのがよいということ。
一日一字を学べば三百六十字(いちにちいちじをまなべばさんびゃくろくじゅうじ)
毎日少しずつでも怠らずに勉強を続ければ、積もり積もって大きな成果が得られるというたとえ。
一簣の功(いっきのこう)
仕事を完遂する間際の、最後のひと踏ん張りのこと。 または、仕事を完成させるために積み重ねる一つ一つの努力と、その大切さのこと。 「簣」は、土を入れて運ぶ道具。もっこ。 「一簣」は、もっこ一杯の土のこと。 「九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に虧(か)く」による。 九仞の高さの山を作るにも、最後のもっこ一杯の土を盛らずに止めてしまえば山は完成しないとの意から。
倦まず撓まず(うまずたゆまず)
飽きたり怠けたりせず、根気よく努力を続けること。
馬に乗るまでは牛に乗れ(うまにのるまではうしにのれ)
高い地位につくためには、まず低い地位で力をつけよということ。また、最善の策がとれない時は、次善の策をとれということ。 馬は牛よりも速いが乗るのが難しいので、ひとまず牛に乗って練習せよとの意から。
生まれながらの長老なし(うまれながらのちょうろうなし)
生まれながらにすぐれた人間などいるはずもなく、みんな長い間の修養や経験をつんで立派な人間になるということ。
運根鈍(うんこんどん)
人生で成功するためには、運がよいこと、根気があること、物事にこだわらないことの三つが必要だということ。「事を成すは運根鈍」「運鈍根」ともいう。
大遣いより小遣い(おおづかいよりこづかい)
大きくまとまった一度の出費よりも、日常のこまごました出費のほうが、かえって大きい金額になりやすいというたとえ。
大摑みより小摑み(おおづかみよりこづかみ)
ひとつかみで大きく取ろうとせず、小さく確かに取り続けるほうがよいということ。 一度に多くを望めば手からこぼれるが、少量ずつなら取りこぼしがない。商いや蓄えの心得としていう。
大取りより小取り(おおどりよりこどり)
一度に大儲けしようとするより、少しずつ確実に儲けていくほうが堅実だということ。
お百度を踏む(おひゃくどをふむ)
願い事が叶うように神前や仏前まで百回往復して祈願すること。また、頼みごとを聞き入れてもらうために、相手のところを何度も繰り返し訪ねること。
科に盈ちて後進む(かにみちてのちすすむ)
学びも仕事も、手をつけた一段をやり遂げてから次へ移る。それが本筋だということ。「科」はくぼみで、水は途中のくぼみを埋めきってはじめて先へ流れ、やがて海に至る。その運びを人の歩みになぞらえた孟子の言葉。
金の草鞋で捜す(かねのわらじでさがす)
根気強くあちこち探し回るたとえ。 いくら歩いても擦り減らない金の草鞋で探すという意味から。
学者と大木は俄にできぬ(がくしゃとたいぼくはにわかにできぬ)
学問を修めた人は、一朝で出来上がりはしない。 腰を据えて年を重ねた分だけが、そのまま器の大きさになる。
学問に王道なし(がくもんにおうどうなし)
学びの道には、身分に応じて用意された抜け道が無い。 幾何学を手短に教えよと迫った王に、数学者が「幾何学に王道なし」と返した逸話から出た言葉。 「学問に近道なし」ともいう。
九仞の功を一簣に虧く(きゅうじんのこうをいっきにかく)
長い間の努力も最後のわずかなところでやめてしまえば無駄になることのたとえ。 「九仞」は非常に高い、「一簣」は一杯のもっこの意。 高い山を築くのに、最後のもっこ一杯の土を虧く(欠く)と完成しないとの意から。
勤勉は成功の母(きんべんはせいこうのはは)
勤勉こそ成功を生み出す根本だということ。
楠の木分限、梅の木分限(くすのきぶげん、うめのきぶげん)
生長は遅いが、着実に根を張り大木となる楠の木のように堅実な金持ちと、生長が早い梅の木のようなにわか成金のたとえ。「分限」は、「ぶんげん」とも読み、金持ちのこと。
首振り三年、ころ八年(くびふりさんねん、ころはちねん)
尺八は、首を振りながら吹けるようになるのに三年かかり、ころころというよい音を出すのには八年かかるということ。何事を成すにも、それ相応の修練が要るというたとえにもいう。
愚公、山を移す(ぐこう、やまをうつす)
気の遠くなるような仕事でも、代を継いで手を止めずにいれば、いつかは果たせる。 年老いた愚公が、家の前を塞ぐ山を子や孫の代まで掛かって崩すと言い切り、その一途さに打たれた天の神が山ごと運び去ったという話に拠る。
群軽軸を折る(ぐんけいじくをおる)
軽い荷ばかりを重ねていくうちに、車の心棒が耐えかねて折れる。ひとりでは何ほどのこともない力も、束ねれば重い務めを動かすところまで届く。 「積羽舟を沈め、群軽軸を折る」と対にして並べられる。「叢軽軸を折る」は『漢書』に出る言い方。
蛍雪の功(けいせつのこう)
苦労を重ねて勉学に励んだ成果のこと。「蛍雪」は苦労して勉学に励むことで、中国晋の車胤と孫康はともに貧しく、車胤は蛍の光で、孫康は窓の外の雪明りで読書し勉学に励んだという故事から。
継続は力なり(けいぞくはちからなり)
小さなことでも続けていけば、いつか大きなことが成し遂げられるということ。
金輪際の玉も拾えば尽きる(こんりんざいのたまもひろえばつきる)
際限が無いように見える事柄も、手を付け続けさえすれば終わりが来る。 金輪際は仏教でいう大地の最も底の部分。そこに敷き詰められた玉さえ、一粒ずつ取り上げていけば残らなくなる。
五重の塔も下から組む(ごじゅうのとうもしたからくむ)
物事はすべて順序よく進めていってこそ、成功するというたとえ。
三代続けば末代続く(さんだいつづけばまつだいつづく)
家は三代続けて栄えれば、基礎も固まって長く続くということ。
三度目の正直(さんどめのしょうじき)
物事は一度目や二度目はだめでも、三度目はうまくいくということ。
三度目は定の目(さんどめはじょうのめ)
物事は一度目や二度目の結果は当てにならないが、三度目ともなれば確実だということ。「定の目」は、定まった賽の目のこと。
滴り積もりて淵となる(したたりつもりてふちとなる)
少しのものでも集まれば大きなものになることのたとえ。一滴のわずかな滴も溜まり続ければいつかは深い淵になるという意味から。
沙弥から長老にはなれぬ(しゃみからちょうろうにはなれぬ)
どんなことにも踏むべき段があり、それを飛ばして先へは行けないということ。 入門したばかりの沙弥が、いきなり寺を束ねる長老になれるわけがない、という言い方。一足飛びの出世をいう「沙弥から長老」を、そのまま打ち消した形である。
辛抱する木に金がなる(しんぼうするきにかねがなる)
辛抱強くこつこつ努めれば、いつか成功して財産もできるというたとえ。「木」は「気」にかけて言ったもの。
積羽舟を沈む(せきうふねをしずむ)
一枚では手に載せても分からぬほどの重さでも、舟底に積み上がればその舟を水の底へ沈める。ごく軽いものが数を得たとき、支えていたはずのものを壊す側に回る。 張儀が魏王を説くのに用いた言葉とされる。
積善の家には必ず余慶あり(せきぜんのいえにはかならずよけいあり)
よい行いは、それを積んだ当人の代で終わらない。家に残した分が、次の代、その次の代へと福の形で回っていく。 「余慶」は、積んだ善が使いきれずにあふれ出た分をいう。
積土山を成す(せきどやまをなす)
学びも人の徳も、一日で高くなることはない。日ごとの小さな盛り足しが、そのまま丈をつくる。 土を積んで山ができれば風雨が起こり、水が集まって淵になれば竜が棲みつくと説かれ、「積水淵を成す」を対の句とする。
千日に刈った萱一日に亡ぼす(せんにちにかったかやいちにちにほろぼす)
重ねるのに費やした年月と、失うのにかかる時間とは、まるで釣り合わない。何年もの手間が、たった一度の火で消えてしまう。
千里の道も一歩から(せんりのみちもいっぽから)
大きな目標・目的を達成するためには、身近なことからこつこつと努力を積み重ねていくことが大切であるということ。 千里の道のりも踏み出した一歩から始まるとの意から。 「千里の行も足下より始まる」ともいう。
泰山は土壌を譲らず(たいざんはどじょうをゆずらず)
人の上に立つ器の者は、取るに足りぬ声にも耳を貸し、そうして己の見方を広げていくというたとえ。 泰山があれほどの高さになったのは、わずかな土くれ一つもはねつけなかったからにほかならない。 「泰山」は山東省にある中国有数の名山。 「泰山」は「太山」とも書く。
高きに登るには低きよりす(たかきにのぼるにはひくきよりす)
いきなり上の段へ足を掛けようとしない。 いま立っているところの次を踏むほかに、上がる道は無い。
断機の戒め(だんきのいましめ)
物事は途中でやめるべきではないという教え。 孟子が修行の途中で家に帰った時、孟子の母は織りかけの機の糸を断ち切り、修行を中断するのはこのようなものだと戒めたという故事から。 「断機の教え」「孟母断機の戒め」「孟母断機の教え」「断錦」「孟母断機」ともいう。
小さく生んで大きく育てる(ちいさくうんでおおきくそだてる)
子どもは小さい子を楽に生んで大きく育てるのが賢明だということ。事業なども小規模で始めてだんだん大きくしていくのがよいやり方だということ。
血と汗の結晶(ちとあせのけっしょう)
たいへんな苦労や努力を重ねた末に得た成果。
塵も積もれば山となる(ちりもつもればやまとなる)
一粒ずつでは数にも入らないものが、こぼさず貯めていけば見上げる高さになる。 日々の小さな積み立てや、逆に小さな浪費についても言う。
使っている鍬は光る(つかっているくわはひかる)
いつも努力を忘れない人は、生き生きとして見えるというたとえ。いつも使っている鍬は錆びずに光っていることから。
常が大事(つねがだいじ)
人が見ているのはとっさのふるまいではなく、ふだんの身の処し方である。 日ごろの暮らしが整ってさえいれば、何かが起きたときにあらぬ言いがかりを受けずにすむ。
鉄杵を磨く(てっしょをみがく)
気の長い努力を絶やさずに続けて、初めの志を遂げること。 学問を投げ出しかけた李白が、鉄のきねをすり減らして針にするという老婆に出会い、思い直したという話による。
出遣いより小遣い(でづかいよりこづかい)
大きな買い物で多額に出費するよりも、日常のこまごました出費のほうが、積もり積もって大きい金額になるというたとえ。
塔は下から組め(とうはしたからくめ)
高い塔は下から組むように何事も基礎が大事だということ。
遠きに行くは必ず近きよりす(とおきにゆくはかならずちかきよりす)
どれほど先にある目標でも、始まりは必ず手の届く一歩にある。遠さばかりを見て身近な一歩を飛ばせば、そこから先へは進めない。
読書百遍、義、自ずから見る(どくしょひゃっぺん、ぎ、おのずからあらわる)
どんなに難しい本でも、繰り返し何度も読めば、自然に意味がわかってくるということ。 「読書百遍、意、自ずから通ず」ともいう。
習い、性と成る(ならい、せいとなる)
習慣も続けていると、しまいにはその人の生まれつきの性質のようになるということ。
習い性となる(ならいせいとなる)
何度も同じことを繰り返すことで、それが習慣となり、しまいにはその人の生まれつきの性質のようになるということ。
日計足らずして歳計余り有り(にっけいたらずしてさいけいあまりあり)
一見、利益が上がっていないように思えるが、長い目で見ると確実に利益があるということ。 日々の計算では儲けがないように見えるが、一年を通じるとちゃんと利益があるとの意から。
二度目の見直し三度目の正直(にどめのみなおしさんどめのしょうじき)
物事は一度目はあてにならず、二度目も見直すことがあり、三度目なら確実だということ。
根浅ければ則ち末短く、本傷るれば則ち枝枯る(ねあさければすなわちすえみじかく、もとやぶるればすなわちえだかる)
基礎がしっかりしていない物事は発展せず、いずれ衰えるということのたとえ。 「末」は枝や葉、「本」は幹のこと。 根が十分張っていなければ枝葉も成長しない、幹がいためばいずれ枝も枯れることから。
鼠が塩を引く(ねずみがしおをひく)
小事が積み重なって大事になることのたとえ。また、ものが少しずつ減っていき、最後にはなくなってしまうことのたとえ。 鼠が盗んでいく塩は少量ずつだが、何度も盗まれているといつの間にか大量の塩が無くなってしまうことから。 「鼠が塩を嘗める」ともいう。
上り一日、下り一時(のぼりいちにち、くだりいっとき)
物事を作り上げるのには多くの時間と労力を要するが、壊すのはたやすいことのたとえ。 上るときには一日かかる道も、下るときにはわずかな時間しかかからないとの意から。
飲むに減らで吸うに減る(のむにへらですうにへる)
小さな出費が積み重なって財産が減っていくことのたとえ。 たまに使う酒代では財産はそれほど減らないが、毎日のように使うたばこ代では確実に減っていくとの意から。
馬鹿にならない(ばかにならない)
わずかなことでも、数が増えたり重なったりすることで、無視できないほど大きなものになる。 また、実力や価値が相当なものであり、決して軽んじたり侮ったりすることができない。 「馬鹿にできない」ともいう。
人跡繁ければ山も窪む(ひとあとしげければやまもくぼむ)
わずかな力でも、繰り返し加われば侮れない働きをするということ。 踏み固める足が絶えなければ、山の形すら変わるという意から。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し(ひとのいっしょうはおもにをおうてとおきみちをゆくがごとし)
人生は長く苦しいものだから、辛抱強く努力を重ねて着実に進んでいかなければならないという教え。徳川家康の遺訓から。
日に就り、月に将む(ひになり、つきにすすむ)
学業や事業などが着実に進むことのたとえ。 「就り」は成り、「将む」は進むこと。 事が日ごとに成り、月ごとに進むとの意から。
細く長く(ほそくながく)
目立ちはしないものの、地道に長く続く様子。 また、力強くはないものの、細々と長く続く様子。
ぽつぽつ三年、波八年(ぽつぽつさんねん、なみはちねん)
何事も一人前になるには、それなりの年月が必要だということ。 日本画の修行では、ぽつぽつと点で苔を描けるようになるのに三年、波を描けるようになるのに八年かかるとの意から。
学びて時に之を習う亦説ばしからずや(まなびてときにこれをならうまたよろこばしからずや)
勉強したことを、折にふれて復習するということは、いっそう理解を深めることになる。なんと楽しいことではないかということ。
実を結ぶ(みをむすぶ)
努力や苦労したことが、良い結果として現れること。 植物の実がなるとの意から。
桃栗三年柿八年(ももくりさんねんかきはちねん)
芽が出てから実が成るまでに、桃と栗は三年、柿は八年かかるということ。また、何事も相応の年数がかかることのたとえ。このあとに「枇杷(びわ)は九年でなりかねる」「柚は九年になりかかる」「梅は酸いとて十三年」などと続けてもいう。
ローマは一日にしてならず(ろーまはいちにちにしてならず)
仕上がった姿だけを見て同じものを一息に建てようとしても、土台のほうが追いつかない。大きなものほど、目に見えない年数を下に抱えている。 もとは英語の Rome was not built in a day.
