日計足らずして歳計余りありについて

言葉 | 日計足らずして歳計余りあり |
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読み方 | にっけいたらずしてさいけいあまりあり |
意味 | 一見、利益が上がっていないように思えるが、長い目で見ると確実に利益があるということ。日々の計算では儲けがないように見えるが、一年を通じるとちゃんと利益があるという意から。 |
出典 | - |
使用されている漢字
「日」を含むことわざ
秋風と夫婦喧嘩は日が入りゃ止む(あきかぜとふうふげんかはひがいりゃやむ)
秋風が日暮れになると静まるように、夫婦喧嘩も夜になるとおさまるということ。
秋の入り日と年寄りはだんだん落ち目が早くなる(あきのいりひととしよりはだんだんおちめがはやくなる)
年々衰える年寄りの健康状態を、急速に暮れていく秋の夕日にたとえたことば。
秋の日と娘の子はくれぬようでくれる(あきのひとむすめのこはくれぬようでくれる)
秋の日は暮れないようでいて急に暮れるように、大事にされてきた娘も、嫁にくれないように見えて案外簡単にくれるものだということ。
秋の日は釣瓶落とし(あきのひはつるべおとし)
秋の日が急速に暮れていくようす。秋の日が、井戸の中へ釣瓶が垂直に速く落ちるように暮れていく意から。
秋日和半作(あきびよりはんさく)
秋の天候の善し悪しで、作物の収穫は半ば決まってしまうということ。
明後日の方(あさってのほう)
見当違いの方向。
「計」を含むことわざ
一日の計は朝にあり(いちじつのけいはあしたにあり)
一日の計画は朝のうちに立てるべきであるということ。何事も最初が肝心であるというたとえ。
一日の計は朝にあり一年の計は元旦にあり(いちにちのけいはあさにありいちねんのけいはがんたんにあり)
一日の計画は朝のうちに立て、一年の計画は元旦に立てよということ。
一年の計は元旦にあり(いちねんのけいはがんたんにあり)
一年の計画は元旦に立てるべきであるということ。何事も最初が肝心であるというたとえ。
一計を案じる(いっけいをあんじる)
目的を達成するため、計略を思いめぐらすこと。
計算高い(けいさんだかい)
なにかを行う際に、損になるか得になるかを考えるさま。
三十六計逃げるに如かず(さんじゅうろっけいにげるにしかず)
計略も様々なものがあるが、困ったときは逃げるのが最良の策だということ。 「三十六計」は、古代中国の兵法で使われた三十六種類のはかりごと。その兵法のうち、逃げるという計略に及ぶものはないという意から。
「足」を含むことわざ
相手にとって不足はない(あいてにとってふそくはない)
相手が相当な実力者で、自分と競い合うのに十分である。
足掻きが取れない(あがきがとれない)
悪い状態から抜け出そうともがいても、どうしようもないようす。「足搔き」は自由になろうとしてもがくこと。
揚げ足を取る(あげあしをとる)
相手の言い間違いや言葉じりをとらえて、やり込めたり皮肉ったりすること。 相手のあげた足を取って倒すように、相手の失言や失敗につけ込むことから。
足がある(あしがある)
走るのが速い。
足が重い(あしがおもい)
行かなければいけないと思いながらも、気がすすまずに行く気にならないようす。
足が地に着かない(あしがちにつかない)
興奮して気持ちや動作が落ち着かないようす。
「歳」を含むことわざ
歳寒の松柏(さいかんのしょうはく)
逆境で苦しい状況でも、信念や志を貫くことのたとえ。 「歳寒」は季節の冬。または逆境や苦難という意味。 松や柏などの常緑樹は寒い季節でも緑の葉をつけていることから。 「松柏の操」ともいう。
歳月、人を待たず(さいげつ、ひとをまたず)
時は人の都合などおかまいなしに刻々と過ぎ去っていく。だから時間を無駄にせず大事にせよということ。 「時は人を待たず」ともいう。
三歳の翁、百歳の童子(さんさいのおきな、ひゃくさいのどうじ)
子どもでも知恵も分別もある者もいれば、老人でも無知で愚かな者もいるということ。人の賢さは年齢に左右されないということ。「十歳の翁百歳の童」「八歳の翁百歳の童」ともいう。
男女七歳にして席を同じゅうせず(だんじょしちさいにしてせきをおなじゅうせず)
人は七歳にもなれば、男女の別を明らかにしてみだりに慣れ親しんではならないということ。男女は七歳になったら同じ敷物に座るべきではないという儒教の道徳から。
歳寒くして松柏の凋むに後るるを知る(としさむくしてしょうはくのしぼむにおくるるをしる)
年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず(ねんねんさいさいはなあいにたり、さいさいねんねんひとおなじからず)
花は年ごとに変わることなく咲くが、人の境遇は年ごとに変化していく。 自然が変わらないのに対して、人の世ははかなく移りやすいことのたとえ。
「余」を含むことわざ
余す所なく(あますところなく)
残らず。全て。全部。ことごとく。
余り茶に福あり(あまりちゃにふくあり)
余っている物の中にも、思いがけずよいものがあるということ。
余り物には福がある(あまりものにはふくがある)
最後まで残っている物の中には、思いがけずよいものがあるということ。
男は辞儀に余れ(おとこはじぎにあまれ)
男は謙遜しすぎるくらいでちょうどよいということ。 「女は会釈に余れ」と続けても言う。 「辞儀」は遠慮の意。
かわいさ余って憎さが百倍(かわいさあまってにくさがひゃくばい)
かわいいと思う気持ちが強ければ強いほど、いったん憎いと思いはじめると憎み方が特別に激しくなるということ。
窮余の一策(きゅうよのいっさく)
追いつめられて困ったあげく、苦しまぎれに思いついた一つの方法のこと。「窮余」は、行き詰まった末という意。