男女七歳にして席を同じゅうせずについて

言葉 | 男女七歳にして席を同じゅうせず |
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読み方 | だんじょしちさいにしてせきをおなじゅうせず |
意味 | 人は七歳にもなれば、男女の別を明らかにしてみだりに慣れ親しんではならないということ。男女は七歳になったら同じ敷物に座るべきではないという儒教の道徳から。 |
出典 | 『礼記』内則 |
使用されている漢字
「男」を含むことわざ
東男に京女(あずまおとこにきょうおんな)
男はたくましくて粋な江戸の男、女はしとやかで優しい京の女がいいということ。
一押し、二金、三男(いちおし、にかね、さんおとこ)
女性をくどくには、第一が押しの強さ、二番目が金の力、男ぶりのよさは三番目だということ。
一生添うとは男の習い(いっしょうそうとはおとこのならい)
一生君を愛して離さない、というのは男が女を口説くときの決まり文句であるということ。
色男、金と力はなかりけり(いろおとこ、かねとちからはなかりけり)
美男子は、経済力も腕力もないものだということ。美男子をからかった川柳。
大男総身に知恵が回りかね(おおおとこそうみにちえがまわりかね)
からだばかり大きくて愚かな男をあざけっていう言葉。
大男の殿(おおおとこのしんがり)
からだばかり大きいくせに、いつも人に後れを取る男をあざけっていう言葉。
「女」を含むことわざ
悪女の深情け(あくじょのふかなさけ)
器量の悪い女性ほど愛情や嫉妬心が強いということ。「悪女」は心の悪い女の意ではなく不器量な女のこと。
悪女は鏡を疎む(あくじょはかがみをうとむ)
器量の悪い女性が鏡に向かうのを嫌がるように、人間は自分の欠点に触れるのを嫌がるということ。「悪女」は不器量な女のこと。
朝雨と女の腕捲り(あさあめとおんなのうでまくり)
朝の雨はすぐにやむから、女の腕まくりと同様恐れるに足りないということ。「俄雨(にわかあめ)と女の腕捲り」ともいう。
東男に京女(あずまおとこにきょうおんな)
男はたくましくて粋な江戸の男、女はしとやかで優しい京の女がいいということ。
姉女房は身代の薬(あねにょうぼうはしんだいのくすり)
夫より年上の妻は家計のやりくりもうまく、夫に尽くすので、家庭が円満であるということ。
家に女房なきは火のない炉のごとし(いえににょうぼうなきはひのないろのごとし)
家に主婦がいないのは、炉の中に火がないのと同じで、大事なものが欠けていて寂しいということ。
「七」を含むことわざ
赤子のうちは七国七里の者に似る(あかごのうちはななくにななさとのものににる)
赤ん坊ははっきりした特長がないので、似てると思って見ればあちこちの誰にでも似て見えるということ。「七国七里」は諸所方々のこと。
朝起きは七つの徳(あさおきはななつのとく)
朝早く起きるとなにかしらいい事があるということ。「徳」は「得」と同じ。
朝茶は七里帰っても飲め(あさちゃはしちりかえってものめ)
朝の茶は一日の災難よけなので、飲み忘れて旅立ちしたら、たとえ七里の道を戻ってでも飲むべきだということ。
伊勢へ七度、熊野へ三度(いせへななたび、くまのへみたび)
信仰心が深いことのたとえ。伊勢神宮へ七度、熊野三山へ三度もお参りしたことがあるほど信仰深いという意から。このあと続けて「愛宕様へは月参り」ともいう。
色の白いは七難隠す(いろのしろいはしちなんかくす)
色が白ければ、顔かたちに多少の欠点があっても気にならないということ。
浮き沈み七度(うきしずみななたび)
長い人生には良いときもあれば悪いときもあり、それを何度も繰り返すということ。
「歳」を含むことわざ
歳寒の松柏(さいかんのしょうはく)
逆境で苦しい状況でも、信念や志を貫くことのたとえ。 「歳寒」は季節の冬。または逆境や苦難という意味。 松や柏などの常緑樹は寒い季節でも緑の葉をつけていることから。 「松柏の操」ともいう。
歳月、人を待たず(さいげつ、ひとをまたず)
時は人の都合などおかまいなしに刻々と過ぎ去っていく。だから時間を無駄にせず大事にせよということ。 「時は人を待たず」ともいう。
三歳の翁、百歳の童子(さんさいのおきな、ひゃくさいのどうじ)
子どもでも知恵も分別もある者もいれば、老人でも無知で愚かな者もいるということ。人の賢さは年齢に左右されないということ。「十歳の翁百歳の童」「八歳の翁百歳の童」ともいう。
歳寒くして松柏の凋むに後るるを知る(としさむくしてしょうはくのしぼむにおくるるをしる)
日計足らずして歳計余りあり(にっけいたらずしてさいけいあまりあり)
一見、利益が上がっていないように思えるが、長い目で見ると確実に利益があるということ。日々の計算では儲けがないように見えるが、一年を通じるとちゃんと利益があるという意から。
年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず(ねんねんさいさいはなあいにたり、さいさいねんねんひとおなじからず)
花は年ごとに変わることなく咲くが、人の境遇は年ごとに変化していく。 自然が変わらないのに対して、人の世ははかなく移りやすいことのたとえ。
「席」を含むことわざ
一席打つ(いっせきぶつ)
大勢の前で威勢よく演説をする。得意げに話をする。
一席設ける(いっせきもうける)
宴席を用意して人をもてなすこと。
孔席暖まらず、墨突黔まず(こうせきあたたまらず、ぼくとつくろまず)
道を説くために各地を飛びまわることのたとえ。孔子と墨子はあちこち遊説して回って家に落ち着くことがなく、孔子の席は暖まることがなく、墨子の家の煙突は黒くすすけることはなかったということから。
席暖まるに暇あらず(せきあたたまるにいとまあらず)
極めて忙しいことのたとえ。ゆっくり座っている暇がないほど忙しく、席が暖まる暇がないということから。
席を改める(せきをあらためる)
会議や宴会などを、改めて別の場所で行うこと。または、別の日時に行うこと。
席を外す(せきをはずす)
一時的にその場を離れること。
「同」を含むことわざ
畦から行くも田から行くも同じ(あぜからいくもたからいくもおなじ)
手段や方法が違っても、同じ結果になることのたとえ。畦道から行っても田から行っても、結局行き着く所は同じということから。
いとこ同士は鴨の味(いとこどうしはかものあじ)
いとこ同士の夫婦は、とても仲がよいということのたとえ。味がいい鴨肉のように、仲がいいという意から。
大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然(おおやといえばおやもどうぜん、たなこといえばこもどうぜん)
借家人にとって家主は親と同様の存在であり、家主にとって借家人は我が子同様の存在だということ。「店子」は、借家人の意。昔の大家と店子の関係をいった言葉。
落ちれば同じ谷川の水(おちればおなじたにがわのみず)
出発点は違っていても、行き着く先は同じだということ。また、人間も身分や貧富の差があっても、死ねば同じ土になるというたとえ。 雨・霰(あられ)・雪など形はさまざまであるが、地上に落ちてくれば同じ谷川を流れる水になるという意から。 「雨霰雪や氷と隔つらん落つれば同じ谷川の水」という和歌より。
同い年夫婦は火吹く力もない(おないどしみょうとはひふくちからもない)
同い年の夫婦は仲が良く、いつも笑ってばかりいるので、火吹き竹を吹いて火をおこすためのふくれっ面もできないということ。
同じ穴の貉(おなじあなのむじな)
一見無関係のように見えて、実は同類・仲間であることのたとえ。多くは悪事をもくろむ者のことをいう。「同じ穴の狐」「一つ穴の貉」「一つ穴の狐」ともいう。