「ら」で終わる故事・ことわざ・慣用句 — 92 件
「ら」で終わる故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。
故事・ことわざ・慣用句一覧
足を空(あしをそら)
1.非常にあわてふためいて、足が地につかないほど急いで歩き回ること。また、その様子。 2.心が浮き立って気もそぞろになり、浮かれ歩くさま。 「足も空」ともいう。
明日ありと思う心の仇桜(あすありとおもうこころのあだざくら)
今できることを明日に延ばしていると、その機会は二度と来ないかもしれないということ。思い立ったらすぐ行えという戒め。 また、人の命がいつまで続くか分からないことのたとえ。 咲きそろった桜も、その夜のうちに嵐が来れば残らないとの意から。 歌は「夜半に嵐の吹かぬものかは」と続く。親鸞が詠んだものと伝える。
頭から(あたまから)
状況や事情などを考慮せず、一方的な態度をとるようす。
後から後から(あとからあとから)
物事が切れ目なく、一つ出てはまた一つと、続けざまに現れたり起こったりするありさま。
荒馬の轡は前から(あらうまのくつわはまえから)
むずかしい物事にぶつかったときは、おじけづいて逃げ腰にならず、まっすぐに立ち向かえということ。 「轡」は「くつわ」と読み、手綱をつなぐために馬にかませる金具のこと。気性のはげしい馬に轡をはめるとき、おそるおそる後ろへ回ると、けとばされてしまう。思い切って前から近づけば、むしろ危なくないということから。 似た言葉に「[[当たって砕けろ*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/1488.php]]」がある。
蟻が鯛なら芋虫ゃ鯨(ありがたいならいもむしゃくじら)
お礼の言葉の「有り難い」を、しゃれにしておどけて言う言い回し。 その音を「蟻(あり)が鯛(たい)」に置きかえて、蟻を鯛と呼ぶのなら、芋虫(いもむし)は鯨(くじら)と呼んでもよいはずだと、ふざけて付け足したもの。 あとに「蚯蚓(みみず)は鱧(はも)」「百足(むかで)ゃ汽車なら蠅(はい)が鳥」とつなげて言う場合もある。 音を借りた言葉遊びには、ほかに「[[恐れ入谷の鬼子母神*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/2617.php]]」などがある。
言う口の下から(いうくちのしたから)
言ったとたんに。言ったすぐあとから。 単に「口の下から」ともいう。
家柄より芋茎(いえがらよりいもがら)
良い家柄より、食べられる芋がらの方が値打ちがあるということ。「家柄」と「芋茎」の語呂合わせで、落ちぶれた名家をあざける言葉。
いざ鎌倉(いざかまくら)
重大事件が起こった場合をいう言葉。鎌倉時代、幕府に一大事が起こった時、諸国の武士が我先に馳せ参じたということから。
一双の玉臂千人の枕(いっそうのぎょくひせんにんのまくら)
美しい両腕が、入れかわり立ちかわり訪れる千人もの客の枕になることから、毎晩ちがう客の相手をする遊女の境遇を表す言葉。 「一双」は二つそろって一組のもの。「玉臂」の「玉」はほめる気持ちをそえる字で、美しいひじや腕のこと。遊女は、昔、遊郭などで客の相手をすることを仕事にしていた女性をいう。 「一双の玉手千人の枕」ともいう。中国の書物『円機活法』に見える句が起こりとされている。
一張羅(いっちょうら)
所有している衣服の中で最も質の良いもの。
命は宝の宝(いのちはたからのたから)
人の命は、この世にあるどんな宝と比べても、それを上回る尊さを持つということ。 「宝の宝」は、数ある宝のうちで最も値打ちが高いものを指し、命をその位置に置いた言い方である。 同じ考えを表す言葉に[[命に過ぎたる宝なし*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/5636.php]]や[[命あっての物種*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/1853.php]]がある。
命は法の宝(いのちはほうのたから)
生きているからこそ、尊い仏の教えに出会い、それを聞くこともかなうということ。 仏が説いた教え(仏法)を「法」と呼んでおり、生きているうちでなければ教えを聞けないことから、命を仏法のための宝と見ている。 命の尊さをいう言葉に[[命あっての物種*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/1853.php]]・[[命に過ぎたる宝なし*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/5636.php]]・[[命は宝の宝*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/8854.php]]がある。
芋頭でも頭は頭(いもがしらでもかしらはかしら)
規模の小さい集まりでも、その上に立つ者は頭であることに変わりはないということ。「芋頭」は里芋の親芋で、ちっぽけでも頭と呼ばれることから。
鰯の頭も信心から(いわしのあたまもしんじんから)
どんなつまらないものでも、信じる心があれば尊く思われるということ。節分の夜、鰯の頭をひいらぎの枝に刺して門口に置くと鬼気を追い払うといわれてきたことから。
陰徳は末代の宝(いんとくはまつだいのたから)
名を伏せたまま積んだ行いは、末長く家を支える財となる。 その徳は当人一代で尽きず、子や孫の代まで及んで身を助ける。 「陰徳」は、見返りを求めずに陰で施す情けをいう。
海魚腹から川魚背から(うみうおはらからかわうおせから)
海の魚は腹から、川の魚は背から裂くのがよいということ。
梅と桜(うめとさくら)
きれいなものや、ひときわ優れたものが、二つそろって並び立っていることをたとえる。 梅も桜も、昔から多くの人に愛されてきた春の花であり、その二つが同じところに咲きそろった華やかな眺めに重ねていう。 片方だけが目立つのではなく、両方ともが見事であるところに意味の中心がある。似た組み合わせの言葉の[[梅に鶯*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/2316.php]]は、二つのものの取り合わせがよく、互いに引き立て合うことに重きを置く点で、この言葉とは異なる。
噂は遠くから(うわさはとおくから)
噂は事情を知っている人間からではなく、外部から生じることが多いということ。
上の空(うわのそら)
ほかの物事に気持ちがそれていて、いま向き合うべきことへ注意が届いていないさま。 話を聞いても中身が頭に残らず、返事や手もとの作業までいいかげんになりがちな状態をさす。 体はその場にいても心が離れていることを表し、「上の空で聞く」のように用いる。 これとよく似た心の状態は、[[気もそぞろ*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/8119.php]]や[[気が散る*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/5802.php]]でも言い表せる。また、[[心ここに在らざれば視れども見えず*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/2479.php]]は、上の空のままでは見ているものさえ目に入らないと教える。
お家がらがら(おいえがらがら)
家柄のよさを自慢する者を嘲笑する言葉。 「がらがら」は中身のないことの形容で、家柄の柄(がら)とかけたもの。
お先真っ暗(おさきまっくら)
将来の見通しがまったく立たないこと。
男心と秋の空(おとこごころとあきのそら)
男の愛情は、秋の空模様のように変わりやすいということ。 「男心と秋の空は一夜に七度変わる」ともいう。
男は妻から(おとこはめから)
男が身を立てられるかどうかは、どのような妻を迎えるかで決まるということ。 「から」は事の起こる元をいい、家の内が定まってこそ外での働きも定まる、という見方に立った言葉。
女心と秋の空(おんなごころとあきのそら)
秋の空模様のように、女性の心が変わりやすいということ。
火事場の馬鹿力(かじばのばかぢから)
切迫した状況に置かれると、普段なら考えられないようなすごい力を発揮するということのたとえ。火事の時に、ふつうでは持ち上げることのできないような重い物を動かす力が出ることから。
鐘も撞木の当たり柄(かねもしゅもくのあたりがら)
こちらがどう向き合うかで、相手から返ってくるものも変わる。添い遂げる連れによっては、人の一生が明るくも暗くもなる。鐘の響きが、撞木の当たりどころ一つで澄みも濁りもすることになぞらえた。撞木は、先に横木を渡した鐘つきの棒。
神へも物は申しがら(かみへもものはもうしがら)
頼みごとは、まごころだけでなく持ちかけようしだいで届き方が変わるということ。 神に願をかけるときでさえ、申し述べようが物を言う。
可愛可愛は憎いの裏(かわいかわいはにくいのうら)
甘い言葉をかけていても、腹の底では疎んじていることがある。 また、情が過ぎれば、そのまま逆の側へ回ってしまう。
邯鄲の枕(かんたんのまくら)
人生の栄枯盛衰のはかなさのたとえ。 昔、中国の邯鄲(かんたん)で盧生という青年が、道士から枕を借りて眠った。夢の中で、出世して財力や権力を手に入れるという長い人生の経験をしたが、目覚めてみると炊きかけの粥がまだ煮えきらない短い時間であったという故事から。 「邯鄲の枕」「一炊の夢」「盧生の夢」「黄粱の夢」「黄粱の一炊」「黄粱一炊の夢」など多くの呼び方がある。
