「達人でも失敗する」に関連する故事・ことわざ・慣用句 — 18 件
「達人でも失敗する」に関連する故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。全18件を五十音順に掲載しています。
ことわざ一覧(五十音順)
鬼の目にも見残し(おにのめにもみのこし)
鬼のようにくまなく目を光らせている人でも、時には見落としや不注意があるというたとえ。
泳ぎ上手は川で死ぬ(およぎじょうずはかわでしぬ)
得手だと思っているものにこそ落とし穴があり、自信のある者ほど足をすくわれるということ。 泳ぎ慣れた者は深みも早瀬も恐れずに飛び込むため、かえって川で命を落とす。慣れが恐れを鈍らせることをいう。
河童の川流れ(かっぱのかわながれ)
どんな達人でも、たまには失敗することがあるということ。 泳ぎが得意なはずの河童でも、時には水に押し流されることがあるとの意から。
川立ちは川で果てる(かわだちはかわではてる)
人は得意なことほど油断して、かえって身を滅ぼすことがあるというたとえ。 「川立ち」は、川のほとりで生まれ育った泳ぎ上手な人のこと。 泳ぎの上手な者が、結局は川で命を落とすとの意から。
木登りは木で果てる(きのぼりはきではてる)
人は得意なことほど油断して、かえって身を滅ぼすことがあるというたとえ。 木登りが上手な者は、結局は木登りで死んでしまうとの意から。
孔子の倒れ(くじのたおれ)
学問の高さと足元のたしかさは別のもので、聖人と仰がれた人でもつまずいて転ぶことはある。中身の立派さは、うっかりを防いではくれない。 「孔子」を「くじ」と読むのは呉音による。
恋の山には孔子の倒れ(こいのやまにはくじのたおれ)
どんなにすぐれた人でも、色恋のこととなると思慮分別を失い、間違いを犯してしまうというたとえ。「孔子」は孔子(こうし)の呉音読み。
弘法にも筆の誤り(こうぼうにもふでのあやまり)
いかにすぐれた人物でも、時には失敗することがあるというたとえ。弘法大師のような書の名人でも、時には書き損じることもあるということから。
権者にも失念(ごんじゃにもしつねん)
仮の姿でこの世に現れた仏でさえ、うっかり取り落とすことがある。人の抜かりを咎めずにいう。 権者は、衆生を救うために人の形をとって現れた仏や菩薩。
猿も木から落ちる(さるもきからおちる)
その道の達人でも、たまには失敗することもあるということ。 木登りが得意な猿でも、ときには誤って落ちることもあるとの意から。
千里の馬も蹴躓く(せんりのうまもけつまずく)
名うての腕前を持つ者でも、ふとした拍子に足をとられる。 「千里の馬」は一日に千里を行くという名馬。その名馬さえ、道に転がる小石一つで体勢を崩すという。
千慮の一失(せんりょのいっしつ)
どんなに賢い人でも、多くの考えの中には一つくらい失敗もあるということ。また、十分に注意していても思わぬ失敗が起こるということ。 「千慮」は、いろいろと考えを巡らすこと。
念者の不念(ねんじゃのぶねん)
念を入れて慎重に物事を行う人でも、時には不注意なこともしてしまうということ。 「念者」は、念を入れて物事をする人のこと。「ねんしゃ」ともいう。
張りつめた弓はいつか弛む(はりつめたゆみはいつかゆるむ)
気を張り続けることは誰にもできないということ。 弓の弦もいつかはゆるむように、用心深い人にも隙のできるときがあり、そこに落とし穴がある。
ホーマーにさえ眠いところがある(ほーまーにさえねむいところがある)
どんなにすぐれた人でも、時には失敗することがあるというたとえ。 ホメロスのような大詩人でさえ、時には眠くなるような凡作を作ることがあるとの意から。 「ホーマー」はホメロスの英語名。
文殊も知恵のこぼれ(もんじゅもちえのこぼれ)
頭の働く人であっても、どこか一つは取りこぼしが出るということ。 「こぼれ」は、こぼれ落ちること。知恵の徳を一身に負う文殊菩薩ですら、こぼし落とすものがあるという言い方。
よく泳ぐ者は溺る(よくおよぐものはおぼる)
達者な者は、人が引き返す手前で止まらずになお先へ進む。危ない目に遭うのは、たいてい勝手を知り尽くした場でのことになる。
竜馬の躓き(りゅうめのつまずき)
どんなにすぐれた人でも、時には失敗することもあることのたとえ。 「竜馬」とは足の速い駿馬のこと。 駿馬も躓くことがあることから。
