「げん」を含む故事・ことわざ・慣用句(2ページ目) — 62 件
故事・ことわざ・慣用句一覧
鶺鴒原に在り、兄弟難を急にす(せきれいげんにあり、けいていなんをきゅうにす)
水辺を離れた鶺鴒が野で鳴き交わすように、危急のときに真っ先に駆けつけるのは兄弟である。 この後には、良き友があっても長く嘆息するばかりだと続く。
千軒あれば共過ぎ(せんげんあればともすぎ)
家が千軒もあれば、そこに住む人たちがそれぞれ商売をしたり互いに物の売り買いをしたりして、ともに生計を立てていくことができるということ。 「共過ぎ」は、人々が互いに助け合って生活していくこと。 「千軒あれば共暮らし」ともいう。
忠言、耳に逆らう(ちゅうげん、みみにさからう)
忠告の言葉は耳が痛く、素直に聞き入れられにくいということ。
中原に鹿を逐う(ちゅうげんにしかをおう)
地位や権力を得ようとして争うこと。 「鹿」は帝位の意。転じて、地位や権力のこと。 帝位を得ようとして争うとの意から。 「中原に鹿を逐う」「[[逐鹿*https://kokugo.jitenon.jp/word/p32413]]」ともいう。
弟子は師匠の半減(でしはししょうのはんげん)
いかに優れた弟子であっても、学力や技術は師匠の半分ぐらいのもので、師匠を超えることは難しいということ。
桃源郷(とうげんきょう)
俗世間を離れた平和な別天地のこと。 中国晋の時代、武陵の漁師が川を水源までさかのぼり、桃の花が咲き乱れる林に迷い込むと、秦の時代の戦乱を避けた人々が平和に暮らす理想郷があったという説話から。 「武陵桃源」「桃源」ともいう。
西風と夫婦喧嘩は夕限り(にしかぜとふうふげんかはゆうかぎり)
西風と夫婦喧嘩は夜になるとおさまるということ。
人間到る処、青山あり(にんげんいたるところ、せいざんあり)
生まれた土地に一生を縛りつける決まりはない。どこへ移ろうと終いの一処はあるのだから、思い切って外へ出るほうがよい。 幕末の僧、月性の詩の一節とされるが、村松文三の作を月性が壁に書き留めたものが誤り伝えられたという説もある。
人間一生二万日(にんげんいっしょうにまんにち)
一生を日で数え直せば二万ほどにしかならない。 それを多いと見るか少ないと見るかは、暮らし方ひとつで変わる。
人間は考える葦である(にんげんはかんがえるあしである)
弱い身でありながら、考える力を持つという一点で他に抜きん出た存在としての人間。 折れやすい一本の葦にたとえたうえで、思うという働きだけは宇宙にも引けを取らないとした言い方。
人間は万物の尺度である(にんげんはばんぶつのしゃくどである)
物事が何であるかを決める物差しは、それを受け取る一人一人の側にあり、だれにも共通する絶対の基準はないということ。 だれの目にも変わらぬ真理があるという考えを退け、感じ方の違いをそのまま認めた古代ギリシャの説による。 「人は万物の尺度なり」ともいう。
人間万事金の世の中(にんげんばんじかねのよのなか)
世の中は金の力がものをいい、金がすべてのものを支配しているということ。
人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)
人生における幸・不幸は予測が出来ないということ。 幸運から不幸に、不幸から幸運にいつ転じるかわからないので、一喜一憂する必要はないということ。 昔、中国北方の塞(とりで)付近に住んでいた老人が馬に逃げられたが、その馬が立派な馬を連れて帰って来た。老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ったが、そのおかげで兵役を免れたという故事から。 「人間万事塞翁が馬」ともいう。
人間僅か五十年(にんげんわずかごじゅうねん)
先へ回せると思ううちに、持ち時間のほうが先に尽きる。 人に使える年月は、当人が見込むほど長くない。 幸若舞の一節が広く口にされて定着した言い方。 「人生僅か五十年」「人間五十年」ともいう。
佞言は忠に似たり(ねいげんはちゅうににたり)
調子を合わせるだけの言葉が、真心からの諫めのように響くということ。 耳に心地よい進言ほど疑ってかかれ、という戒め。
人の将に死なんとするその言や善し(ひとのまさにしなんとするそのげんやよし)
もはや取り繕う相手も先もない者の言葉には、飾りが残らない。 最期の一言だけは、聞くに値するものになる。
人を以て言を廃せず(ひとをもってげんをはいせず)
語り手の格が低いからといって、中身のある一言まで捨ててはならない。 「発言が立派だからといって人まで取り立てはしない」という半句と背中合わせに置かれている。
夫婦喧嘩は犬も食わない(ふうふげんかはいぬもくわない)
夫婦喧嘩は長続きせずにすぐに仲直りするものなので、他人が仲裁に入るものではないということ。 何でも食べる犬ですら食べない(気に止めない)との意から。
夫婦喧嘩は寝て直る(ふうふげんかはねてなおる)
夫婦喧嘩は、一緒に寝ればすぐ仲直りするものであるということ。
夫婦喧嘩は貧乏の種蒔き(ふうふげんかはびんぼうのたねまき)
いつも夫婦喧嘩をしている家庭は、だんだん貧乏になっていくという戒めのことば。
夫婦喧嘩もないから起こる(ふうふげんかもないからおこる)
金がなくて生活が苦しいと、しなくてもよい夫婦喧嘩も起こるということ。
方言は国の手形(ほうげんはくにのてがた)
言葉のなまりは通行手形のように、その人の生まれ育った場所を示すということ。 「訛りは国の手形」「方言は国の手形」ともいう。
向こう三軒両隣(むこうさんげんりょうどなり)
自分の家の向かい側にある三軒の家と、左右二軒の家。また、日常親しく付き合う近所の家。
明珠兼乗も未だ一言に若かず(めいしゅけんじょうもいまだいちげんにしかず)
車を連ねて運ぶほどの宝玉を積み上げても、主君を思って差し出す一言の重みには届かないということ。 上に立つ者は、下の者の諫めをこそ何より重んじよという教え。 「兼乗」は幾台もの車を連ねること。 唐の名臣薛収が王に狩りを控えるよう書を奉ったとき、王がこの言葉をあげて喜び、黄金を与えたという故事から。
薬石の言(やくせきのげん)
身のためを思って向けられる、ありがたい戒めの言葉。 「薬石」は、病を治す薬と、石で作った治療用の鍼のこと。効き目のある手当てと同じはたらきをする言葉、というところからいう。「薬石」だけで治療そのものを指すこともある。 唐の太宗は、政治の得失を説く上奏をたびたび差し出した臣下に、その言葉をこう呼んで謝し、返礼として薬石を贈ったという。
藪医者の玄関(やぶいしゃのげんかん)
腕の立たない医者にかぎって、患者の目が最初に触れる玄関ばかりを立派にこしらえる。 中身で信を得られない者は、まず外まわりの構えで取りつくろおうとするということ。
山師の玄関(やましのげんかん)
内容や実質がないのに見かけだけが立派なことのたとえ。「山師」は投機的な事業で大儲けをたくらむ人。その山師が人を信用させるために玄関を特に立派にすることから。
預言者郷里に容れられず(よげんしゃきょうりにいれられず)
優れた人物であっても、身近な人には認められず尊敬されにくいということ。 すぐれた預言者も、子どもの頃からよく知っている人たちにとっては、普通の人としか思えないため尊ばれないとの意から。
流言は知者に止まる(りゅうげんはちしゃにとどまる)
確かな根拠のない噂が広まっても、知恵のある人はそれを他人に話さないから、噂はそこで止まるということ。
燎原の火(りょうげんのひ)
激しい勢いで広がっていき、防ぎ止められないことのたとえ。「燎原」は野原を焼く意で、野原を焼く火は、すさまじい勢いで燃え広がり手がつけられないことから。
