「七」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 58 件
「七」を含む漢字が使われている故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。
故事・ことわざ・慣用句一覧
赤子のうちは七国七里の者に似る(あかごのうちはななくにななさとのものににる)
赤ん坊ははっきりした特長がないので、似ていると思って見ればあちこちの誰にでも似て見えるということ。「七国七里」は諸所方々のこと。
秋の空は七度半変わる(あきのそらはななたびはんかわる)
秋の空模様が非常に移ろいやすく、一日のうちで何度も変化すること。 転じて、人の心や物事の状態がめまぐるしく変わり、定まりにくいことのたとえ。
朝起きは七つの徳(あさおきはななつのとく)
人より先に起き出した者には、その分だけ拾えるものがある。 一度きりでは知れた額でも、積もれば侮れない。 「三文」は、数えるに足らない小銭のこと。 「朝起きは三文の徳」「早起きは三文の得」「朝起きは七つの徳」ともいう。
朝茶は七里帰っても飲め(あさちゃはしちりかえってものめ)
朝の茶は一日の災難よけなので、飲み忘れて旅立ちしたら、たとえ七里の道を戻ってでも飲むべきだということ。
伊勢へ七度、熊野へ三度(いせへななたび、くまのへみたび)
信仰心が深いことのたとえ。 伊勢神宮へ七度、熊野三山へ三度もお参りするほど信仰深いとの意から。 このあと続けて「愛宕(あたご)様へは月参り」ともいう。
一饋に七度立つ(いっきにななたびたつ)
国を治める人が、よい政治をしようとして、知恵のある人をすすんで迎え、その話に耳を傾けることにひたむきであるたとえ。自分の食事や身のまわりのことはあとにしてでも、人々のための務めに打ち込む姿を表すこともある。 「一饋」は一度の食事のことで、「饋」には食べ物をすすめるという意味がある。 中国の古い伝説の王朝である夏の禹王は、鐘や太鼓などを掛け並べておき、道理を教えに来た者は太鼓を、正しい行いを説きに来た者は鐘を鳴らすようにと告げて、四方から人が訪ねてくるのを待った。そのころの禹王は、一度ごはんを食べるあいだに十回も立ち上がって客に会い、髪を一度洗うあいだにも、洗いかけの髪を手に持ったまま三度も客の前に出た。この言葉は、そのありさまを記した『淮南子』氾論訓の一節にもとづく。 「一饋に十起」「一饋に十起す」ともいう。十度を七度にした「一饋に七度立つ」の形もある。同じ話にちなむ四字熟語として[[一饋十起*https://yoji.jitenon.jp/yojie/2093.html]]がある。すぐれた人を迎えることに力を尽くすという点で、[[三顧の礼*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/2404.php]]や四字熟語の[[握髪吐哺*https://yoji.jitenon.jp/yoji/254.html]]も近い。
一匹の鯨に七浦賑わう(いっぴきのくじらにななうらにぎわう)
大きな獲物が一つ手に入ると、とった本人だけでなく、まわりにいる大勢の人までがその恵みを受けて、暮らし向きがよくなる様子。大きなもうけは、広い範囲の人々をうるおすというたとえ。 昔の漁村では、鯨が一頭とれると、肉や油などの使い道が多いため、近くの村々までが活気づいたことからいう。「浦」は海に面した村、「七浦」は七つの浦、つまり数多くの村々をあらわす。 「鯨一匹捕れば七浦潤う」「鯨一つ捕れば七浦潤う」とも言い表す。「鯨一本捕れば七里浮かぶ」「鯨を突き当つれば七郷浮かぶ」も、中身はこの言葉とほぼ重なる。
猪も七代目には豕になる(いのししもしちだいめにはいのこになる)
いつまでも同じままに思えるものでも、長い年月を重ねるうちには、しだいに移り変わり、育ちもするというたとえ。 ここでの豕(いのこ)は、昔の言葉でイノシシのことで、豚をいうこともあった。人に飼われて暮らすイノシシも、子や孫へと代を重ねて七代目ともなれば豚に変わっていくだろう、と見てできた言葉。
色の白いは七難隠す(いろのしろいはしちなんかくす)
色が白ければ、顔かたちに多少の欠点があっても気にならないということ。
浮き沈み七度(うきしずみななたび)
長い人生には良いときもあれば悪いときもあり、それを何度も繰り返すということ。
浮世は衣装七分(うきよはいしょうしちぶ)
とかく世間では外見を重んじ、うわべで内容を判断しがちだということ。七分は十分の七のことで、衣装で七分がた評価が下される意から。
兎も七日なぶれば嚙みつく(うさぎもなぬかなぶればかみつく)
おとなしい人でも、たびたび辱めを受けるとついには怒るというたとえ。おとなしい兎でも七日もいじめられればついには噛みつくとの意から。 「嚙」は「噛」とも書く。
男心と秋の空は一夜に七度変わる(おとこごころとあきのそらはいちやにななたびかわる)
男の愛情は、秋の空模様のように変わりやすいということ。 「男心と秋の空は一夜に七度変わる」ともいう。
男は敷居を跨げば七人の敵あり(おとこはしきいをまたげばしちにんのてきあり)
一歩でも家の外へ出れば、行く先々で立ちはだかる相手がいる。 世に出て働くとは、そういう相手を抱えて進むことでもある。
親の十七、子は知らぬ(おやのじゅうしち、こはしらぬ)
親は自分が未熟だった若い頃の失敗談などをしないから、子どもにはわからない。完全なふりをして子どもに意見する親を皮肉っていう言葉。
親の光は七光り(おやのひかりはななひかり)
当人の力量とは関わりなく、親の名前のほうが先に通る。世間の扱いもそこに引きずられて、実際より厚くなる。
金の光は七光(かねのひかりはななひかり)
金持ちの威光が広く及ぶようす。「七光り」は親などの威光で利益を受けること。
髪の長きは七難隠す(かみのながきはしちなんかくす)
女性の長い髪は、その人にほかの欠点がいくつもあろうと、覆い隠して目立たなくさせる、ということ。 昔は、長い髪が美人に欠かせない条件と見なされたのが由来。 「七難」はもと仏教の言葉で七つの災難をいうが、ここではいろいろな欠点の意味。 肌の色の白さについて同じ考え方を述べた言葉に[[色の白いは七難隠す*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/763.php]]がある。
木七竹八塀十郎(きしちたけはちへいじゅうろう)
木を切るには七月、竹を切るには八月、土塀を塗るのは十月が適しているということ。月はいずれも陰暦で、人名のように語呂をあわせて覚えやすくしたもの。 「木六竹八塀十郎」ともいい、その場合は木を切るのを陰暦六月とする。
狐七化け、狸は八化け(きつねななばけ、たぬきはやばけ)
狐は七つのものに化けることができるが、狸は八つのものに化けられる。狐よりも狸のほうが化けるのが上手だということ。 「狐の七化け狸の八化け」ともいう。
金の茶釜が七つもあるよう(きんのちゃがまがななつもあるよう)
実のない話を並べて金持ちぶることのたとえ。 湯をわかすだけの釜が金むくで七つもあるなどと、たわいのない言い立てをする意から。
四十過ぎての道楽と七つ下がって降る雨は止みそうで止まぬ(しじゅうすぎてのどうらくとななつさがってふるあめはやみそうでやまぬ)
中年になってから始めた道楽と、七つ下がりに降り出した雨は、なかなかやまないということ。「七つ下がり」は午後四時過ぎのこと。
七十五日は金の手洗い(しちじゅうごにちはかねのてあらい)
嫁や婿、養子に行った時は、しばらくの間は大事にされるということ。「金の手洗い」は、金属製の洗面器で来客などに使われたもの。
七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず(しちじゅうにしてこころのほっするところにしたがえどものりをこえず)
自分の心の思うままに行動しても、決して道徳から外れないということ。
七年の病に三年の艾を求む(しちねんのやまいにさんねんのもぐさをもとむ)
事態が差し迫って慌てても間に合わないので、日ごろの心がけが大事だということ。七年もの間病気に苦しんだあとで、三年乾かさないといけない上等の艾を求めるということから。
七歩の才(しちほのさい)
詩文を作る才能が非常にすぐれていること。また、詩作の早いこと。魏の曹植が、兄の文帝(曹丕)に七歩あゆむ間に詩を作れと命じられてただちに作ったという故事から。
姑の十七、見た者ない(しゅうとめのじゅうしち、みたものない)
姑は自分の若い頃のことを引き合いに出して嫁に小言を言うが、誰も姑の若い時を知らないので当てにはならないということ。
十七八は藪力(じゅうしちはちはやぶぢから)
男は十七、八歳の頃には、薮竹を引き抜くほどのばか力が出るということ。
人生七十、古来稀なり(じんせいしちじゅう、こらいまれなり)
七十歳まで生きる人は、昔から非常に少ないということ。このことから七十歳のことを「古稀(古希)」という。
葬礼九つ酒七つ(そうれいここのつさけななつ)
葬儀は昼の十二時頃、酒宴は午後四時頃に行うのが習わしだということ。
