「に」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 2209 件
故事・ことわざ・慣用句一覧
愛多ければ憎しみ至る(あいおおければにくしみいたる)
特別に可愛がられることが多ければ、それを妬み憎む者が必ずいるということ。
匕首に鍔(あいくちにつば)
釣りあわない物、ふさわしくない物のたとえ。「匕首」は鍔のない短刀のこと。「鍔」は刀の柄と刀身の間にあり拳を防御する金具。匕首に鍔をつけても不似合いなことから。
合言葉にする(あいことばにする)
仲間うちで、自分たちの目標や主張を表した言葉を決めて掲げる。
間に立つ(あいだにたつ)
当事者同士の間に入り、交渉や話し合いを仲介して、調整やとりまとめを行うこと。 「間に入る」ともいう。
相手にとって不足はない(あいてにとってふそくはない)
相手が相当な実力者で、自分と競い合うのに十分である。
愛は小出しにせよ(あいはこだしにせよ)
人を愛する時は、少しずつ長く続けるのがよいということ。
愛は憎しみの始めなり(あいはにくしみのはじめなり)
愛と憎しみは紙一重であり、一歩間違えると愛情は憎悪に変わることがある。愛情を抱く際には、節度やバランスを保つことが大切だということ。 「愛は憎しみの始めなり」ともいう。
仰いで天に愧じず(あおいでてんにはじず)
天を仰ぎ見ても恥ずかしくないほど、心も行いも何らやましいことがないこと。
青菜に塩(あおなにしお)
元気をなくしてうなだれている様子のたとえ。青菜に塩をかけると水分がなくなって萎れるということから。
青菜は男に見せな(あおなはおとこにみせな)
青菜は、茹でたり炒めたりすると量が大幅に減るが、料理を知らない男性にとっては、その変化が理解しにくい。 調理後の量を見て「あんなにたくさんあったのに、どこへ行ったのだ」と不審に思われることがある。 転じて、無用な誤解や疑惑を避けるために、疑われる可能性のある行動は最初から控えるべきだということ。
青二才(あおにさい)
若く、未熟な男子。また、そのような人を罵って言ったり、自身を謙遜して言う言葉。 「青」は未熟の意、「二才」は出世魚のボラの稚魚のことで、まだ若いボラとの意から。
青表紙を叩いた者にはかなわぬ(あおびょうしをたたいたものにはかなわぬ)
きちんと学問に励んだ者にはかなわないというたとえ。「青表紙」は青い表紙を多く用いた四書五経などの経書のこと。
赤子のうちは七国七里の者に似る(あかごのうちはななくにななさとのものににる)
赤ん坊ははっきりした特長がないので、似ていると思って見ればあちこちの誰にでも似て見えるということ。「七国七里」は諸所方々のこと。
赤子を裸にしたよう(あかごをはだかにしたよう)
無力で弱い者をさらに頼りなくしたようす。
赤の他人(あかのたにん)
全く無関係の他人。「赤」は名詞の上に付くことでそれを強調し、「全くの」「明らかな」「はっきりした」の意を表す。
明るみに出る(あかるみにでる)
隠されていたり知られていなかった物事が、多くの人々に知られる。世間に知られる。
おもに、知られると悪い物事について用いる。商いは本にあり(あきないはもとにあり)
商売の成功・失敗は、元手に左右されるということ。
秋茄子は嫁に食わすな(あきなすはよめにくわすな)
秋に収穫する茄子を嫁に食べさせてはいけないということ。 「おいしいのでもったいないという姑の嫁いびり」「種が少ないので子宝に恵まれない」「体が冷えてよくない」などの解釈がある。 「おいしいのでもったいないという姑の嫁いびり」の解釈が一般的。
秋の雨が降れば猫の顔が三尺になる(あきのあめがふればねこのかおがさんじゃくになる)
秋は晴れた日より雨の日の方が暖かいので、猫も顔を長くし喜ぶということ。
秋の鹿は笛に寄る(あきのしかはふえによる)
恋のために身を滅ぼすことのたとえ。また、弱みにつけこまれて危険な目に遭うことのたとえ。秋の発情期、雌鹿の鳴き声に似た笛に雄鹿がおびき寄せられて、人間に捕らえられることから。
呆れが礼に来る(あきれがれいにくる)
ひどく呆れることを誇張していうことば。 「呆れがお礼」ともいう。
商人と屏風は直ぐには立たぬ(あきんどとびょうぶはすぐにはたたぬ)
商いをする者は、自分の理を押し通していては続かない。 頭を下げ、身をたわめたところに、はじめて客がつく。 「屏風と商人は直ぐには立たぬ」「商人と屏風は曲がらねば立たぬ」ともいう。
商人に系図なし(あきんどにけいずなし)
商人には家柄など関係なく、商売の手腕や努力しだいで成功するということ。
悪事身に返る(あくじみにかえる)
自分の犯した悪事は、めぐりめぐって戻ってきて自分を苦しめる結果になるということ。 「悪事身にとまる」ともいう。
悪銭身に付かず(あくせんみにつかず)
不当な手段で得た金は大切にしないから、とかくつまらないことに使ってしまい残らないものだということ。
悪に強きは善にも強し(あくにつよきはぜんにもつよし)
大きな悪事を犯すような悪人ほど、ひとたび悔い改めれば人一倍立派な善人になるということ。 「悪に強ければ善にも強し」ともいう。
悪人あればこそ善人も顕れる(あくにんあればこそぜんにんもあらわれる)
悪人がいればこそ善人が目立つということ。
悪人には友多し(あくにんにはともおおし)
悪い人ほど口がうまく、利をちらつかせたりして人を引きつけるため、取り巻きや仲間が多いということ。
悪人の友を捨てて善人の敵を招け(あくにんのともをすててぜんにんのかたきをまねけ)
たとえ友人でも悪人ならば自分に害を及ぼすので縁を切り、たとえ敵でも善人ならば味方として迎え入れるべきだという教え。 「敵」は「てき」とも読む。
悪人は善人の仇(あくにんはぜんにんのかたき)
善人は本来だれも敵としないが、悪人だけは敵として許さないこと。 「仇」は「あだ」とも読む。
