「ね」で終わる故事・ことわざ・慣用句 — 57 件
「ね」で終わる故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。
故事・ことわざ・慣用句一覧
商いは草の種(あきないはくさのたね)
食べていく手立ては、選り好みさえしなければそこらじゅうにある。 一つの道が閉じても、次の道は足元から見つかる。
商人の空値(あきんどのそらね)
商人が駆け引きしてつける値段は、信用しがたいということ。
商人の元値(あきんどのもとね)
商人は計算高いので、商人の言う元値は本当かどうかわからないということ。
ありそうでないのが金(ありそうでないのがかね)
人の内情は外見からではわからない。ありそうに見えても、意外にないのが金だということ。 借金ばかりあって使えるお金の無いさまを言い表した言葉に、「[[有るは借銭、無いは金*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/8749.php]]」がある。
有るは借銭、無いは金(あるはしゃくせん、ないはかね)
あるものといえば借金ばかりで、自由に使えるお金は少しも無いということ。毎日のお金のやりくりにほとほと困り果てた暮らしぶり。 「借銭(しゃくせん)」は、借金のこと。「有るは借金、無いは金」「あるは借金ないは金」ともいう。 「[[ありそうでないのが金*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/1720.php]]」や「[[火の車*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/4225.php]]」も、これと意味の近い言葉。
言えば世の常(いえばよのつね)
言葉にして言ってしまうと、どこにでもある平凡なことのように響いてしまい、本当のありさまを表しきれない、ということ。 美しさや悲しさなどの度合いがあまりに大きく、とても言葉では言い表せないときに使う。 昔の物語や随筆に出てくる言い回し。「世の常」は、世の中によくある並みのことの意。「言うも世の常」ともいう。 [[筆舌に尽くし難い*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/4153.php]]や[[名状しがたい*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/8393.php]]も、これと通じる意味をもつ。
生ける屍(いけるしかばね)
身体が生きているだけで、精神的には死んだも同然の人。
いつまでもあると思うな親と金(いつまでもあるとおもうなおやとかね)
独立と倹約を心がけよという戒めのことば。 親はいつまでも面倒見てくれるわけでもなく、金も使えばなくなることから。
田舎の学問より京の昼寝(いなかのがくもんよりきょうのひるね)
田舎で勉強するより、たとえ昼寝をしながらのんびり過ごしたとしても、都会に身を置いたほうがさまざまな人や物に接するため、多くのことを学ぶということ。
命あっての物種(いのちあってのものだね)
何事も命があるからこそできる。だから命に関わるような危険なことはなるべく避けたほうがいいということ。 「物種」は物の根源の意。
兎の昼寝(うさぎのひるね)
気をゆるめて注意をおこたったせいで、予想もしなかったしくじりをすること。 イソップの、兎と亀が競走をする話がもとになった言葉。足の速い兎は、のろい亀を見くびり、どうせ勝てると道の途中で昼寝をはじめたが、そのあいだも休まず歩きつづけた亀に先にゴールされて負けた。
臼から杵(うすからきね)
女性から男性に言い寄ることのたとえ。物事が逆であることのたとえ。 「臼」は女性、「杵」は男性をさす隠語。
臼と杵(うすときね)
男と女が仲よく結ばれて、しっくりと一つにまとまるたとえ。広くは、互いに縁でつながった二つのものが、離れずに組み合わさるようすにも使う。 臼と杵は、いつも組になって働く、切っても切れない間柄の道具である。そこで、くぼんだ臼を女に、それを打ち下ろす杵を男にたとえて言う。 なお、同じ道具の名を使う[[臼から杵*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/5203.php]]は、女のほうから男に言い寄ることを表すもので、こちらとは別の言葉である。
馬の骨(うまのほね)
どんな来歴の持ち主かも辿れず、役にも立たない者として人を呼ぶ蔑んだ言い方。 骨だけになった馬は良し悪しの見分けがつかず、使いようもないことによる。
大男総身に知恵が回りかね(おおおとこそうみにちえがまわりかね)
からだばかり大きくて愚かな男をあざけっていう言葉。
同じ穴の狐(おなじあなのきつね)
一見無関係のように見えて、実は同類・仲間であることのたとえ。 多くは悪事をはたらく仲間のことをいう。 「同じ穴」は「一つ穴」とも、「貉」は「狸」「狐」ともいう。
鴨の浮き寝(かものうきね)
胸がざわついて、ひとときも心が安らがないこと。 水面に浮かんだまま寝入る鴨の姿を、いかにも心細く頼りなげだと感じたところから。 古くから和歌に使われた言い回しで、「浮き寝」の「浮き」につらいという意味の「憂き」を重ね、悲しい思いを抱えて寝る夜の心を表すことが多い。 水に浮かぶ鴨を題材にした句では、ほかに「[[鴨の水搔き*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/2776.php]]」がある。
烏が鵜の真似(からすがうのまね)
自分の能力をわきまえず、人の真似をして失敗することのたとえ。 「鵜」は、水鳥の名。 水に潜って巧みに魚を捕る鵜の真似をして、烏が水に潜っても溺れるばかりであるとの意から。 「鵜の真似をする烏水に溺れる」「鵜の真似をする烏水を呑む」「烏が鵜の真似」ともいう。
唐へ投げ金(からへなげかね)
返ってくる見込みのうすいところへお金を出してしまい、結局はむだ金に終わるたとえ。あやしげなもうけ話につぎこむことにも、ただの浪費にもいう。 江戸時代のはじめ、鎖国になる前には、幕府の朱印状(海外へ渡るのを許す書きつけ)を受けた船が海外へ出て貿易をしており、商人はその船の商売に元手を貸し出した。船が無事に戻れば大きなもうけになったが、途中で沈んだり海賊に襲われたりすれば、出したお金は一文も返らなかった。これが言葉のおこりである。「唐」は中国のこと。 「唐への投げ金」ともいう。辞書によっては「唐へ投げ銀」と書き、「とうへなげがね」と読ませている。お金をむだに使う点では、[[死に金を使う*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/6562.php]]と通じる。
唐物商いは千里一跳ね(からものあきないはせんりひとはね)
舶来の品を扱う商いは、当たれば一度に途方もない儲けが転がり込むということ。 「唐物」は中国渡りの品、「千里一跳ね」はひと跳びで千里を行く意。
傷持つ脛(きずもつすね)
隠しておきたい悪事や過ちを抱え込んだ人が、それが明るみに出るのをいつも恐れ、心の休まる時がないさまを言うたとえ。 足にある傷で、人目にさらせない昔の悪事を表す。また、「傷持つ脛(すね)」とも言う。「傷持つ足の下り坂」と続けた形は、「下り坂」で成り行きの悪化を表し、やましさから普段も腰の引けている者が、立場があやうくなると、たちまち逃げ去るさまを言う。 意味の同じ形に[[脛に疵持つ*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/3436.php]]があり、びくびくして平気でいられない者を言う[[脛に疵持てば笹原走る*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/3437.php]]も近い。
木は木、金は金(きはき、かねはかね)
物事はきちんとけじめをつけるべきだということ。
苦は楽の種(くはらくのたね)
今の苦労は将来の幸福につながるということ。
水母の骨(くらげのほね)
まず出会うはずのないもの、めったに手に入らないもののたとえ。 水母を探しても骨は出てこない。
剣が峰(けんがみね)
相撲の土俵の円を作っている俵の表面の名称。
鯉の一跳ね(こいのひとはね)
諦めがいいこと。潔いこと。捕らえられた鯉は一度跳ねるだけで、あとはじたばたしないという意味から。
先立つ物は金(さきだつものはかね)
何をするのにも、まず必要な物は金だということ。
猿の人真似(さるのひとまね)
猿のようによく考えもしないで、人の真似をすることをあざけっていう言葉。
舌は禍の根(したはわざわいのね)
わざわいの根をたどっていけば、多くは自分の口から出た一言に行き着くということ。 舌はその根の生えている場所なのだから、うかつに動かすなという戒め。
癪の種(しゃくのたね)
怒りの原因となるもの。腹が立つ元。
