「忠告」に関連する故事・ことわざ・慣用句 — 40 件
「忠告」に関連する故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。全40件を五十音順に掲載しています。
ことわざ一覧(五十音順)
ああ言えばこう言う(ああいえばこういう)
一つ諭せば一つ言い返し、いくら重ねても相手の言い分が尽きないさま。 言うだけ無駄だと、諭す側が根負けしてしまう状態をいう。
あったら口に風邪をひかす(あったらくちにかぜをひかす)
親切な気持ちで言ったことが無駄になるたとえ。「あったら」は「あたら」が転じた言葉で、残念なことにの意。
家を道端に作れば三年成らず(いえをみちばたにつくればさんねんならず)
他人の助言をいちいち聞いていると、何事もやり遂げることが出来ないというたとえ。 道に面した場所に家を建てようとすると、口出しをする人が多くてなかなか出来上がらないとの意から。
意見と餅はつくほど練れる(いけんともちはつくほどねれる)
餅は、つけばつくほど練れて粘りのあるおいしい餅になる。他人の意見も、つき従うようにすればするほど、よい結果が得られるということ。
馬の耳に風(うまのみみにかぜ)
馬の耳に風が吹きつけても馬は何も感じないことから、人の意見を聞き入れない、または聞き流すことのたとえ。
馬の耳に念仏(うまのみみにねんぶつ)
人の意見や忠告を上の空で聞き流すため、まったく効果のないことのたとえ。
縁なき衆生は度し難し(えんなきしゅじょうはどしがたし)
人の忠告を聞き入れようとしない者は、救いようがないということ。 「縁」は、ここでは仏縁の意。 「衆生」は、仏が慈悲を垂れる人間。 「度す」は、悟りを開かせること。 仏縁のない者は、たとえ仏でも救いようがないとの意から。
親の意見と茄子の花は千に一つも無駄はない(おやのいけんとなすびのはなはせんにひとつもむだはない)
咲いた花がひとつ残らず実を結ぶ作物と同じで、親が子に向ける言葉には外れがない。 空振りに終わる一言は出てこない。
親の意見と冷や酒は後で利く(おやのいけんとひやざけはあとできく)
言われたその場では耳を素通りしていくが、時を置いてから胸に落ちてくる。 冷や酒が遅れて回るのと同じ道筋をたどる。
釘を刺す(くぎをさす)
あとから知らぬ顔をされないよう、先に言い含めておく。 後戻りできない一言を相手に渡しておくこと。
苦言を呈する(くげんをていする)
相手が快く思わないと分かったうえで、直したほうがよい点をはっきり口に出すこと。 角が立つのを引き受けてまで告げるところに、その言葉の重みがある。
薬が効く(くすりがきく)
人に与えた忠告や注意の効果があらわれること。
薬の灸は身に熱く、毒な酒は甘い(くすりのきゅうはみにあつく、どくなさけはあまい)
ためを思う忠告ほど受け取るのがつらく、身を滅ぼす誘いほどすんなり受け入れられるということ。 効き目のある灸はやけどするほど熱いのに、体を壊す酒は口当たりがよいことにたとえた。
口が酸っぱくなる(くちがすっぱくなる)
くどいほど同じ注意を言い聞かせるようす。言いすぎて口の中が酸っぱくなる意から。
下種の逆恨み(げすのさかうらみ)
品性の卑しい人間は、人の親切な忠告も悪口と思い、逆に忠告してくれた人を恨むということ。
御意見五両、堪忍十両(ごいけんごりょう、かんにんじゅうりょう)
他人の意見をよく聞いて何事にも耐えることが大事だというたとえ。 人の忠告は五両の値打ちがあり、辛いことや怒りを耐え忍ぶことは十両の値打ちがあるということ。
折檻(せっかん)
厳しく意見すること。また、懲らしめのために体罰を加えること。 中国前漢の成帝が、臣下である朱雲による諫言に怒り、朝廷から引きずり出そうとしたとき、朱雲は欄檻にしがみついて抵抗したため、ついには欄檻が折れてしまった。 国のことを思い諫言を続けた朱雲の行動に、最後は成帝も怒りを収めたという故事から。
善に従うこと流るるが如し(ぜんにしたがうことながるるがごとし)
よいと見きわめたことには、堰を切った水が下へ向かうように、間を置かず寄っていく。
善を責むるは朋友の道なり(ぜんをせむるはほうゆうのみちなり)
善い行いをするように勧めるのが、友としての大切な務めだということ。「責むる」は、当然なすべき事を勧めるという意。
袖を引く(そでをひく)
他の人に気づかれないように誘ったり、注意を与えたりすること。
それ見たことか(それみたことか)
与えた注意や忠告を聞かずに失敗した相手に言う言葉。
忠言、耳に逆らう(ちゅうげん、みみにさからう)
忠告の言葉は耳が痛く、素直に聞き入れられにくいということ。
頂門の一針(ちょうもんのいっしん)
逃げ場のないところを一突きされるような、短くて効く忠告。 受けた側がその場で姿勢を正さずにいられない言葉をいう。
無いが意見の総仕舞(ないがいけんのそうじまい)
放蕩(ほうとう)や道楽(どうらく)は、金が尽きれば自然と収まるということ。 放蕩者は、どれだけ忠告しても金がある間は耳を貸さないが、金がなくなれば遊ぶこともできなくなり、忠告の必要もなくなることから。
茄子の花と親の意見は千に一つも無駄はない(なすびのはなとおやのいけんはせんにひとつもむだはない)
茄子は咲いた分だけ実がつく。 親が口にする戒めもそれと同じで、聞き流してよいものは一つも混じっていない。
螺子を巻く(ねじをまく)
気持ちが緩んだ時、注意したり励ましたりして気を引き締めなおすことのたとえ。
人の意見は四十まで(ひとのいけんはしじゅうまで)
40歳を過ぎた人間に意見をしても効果がないということ。また、それくらいの年齢になると、本人の考えを尊重すべきであるということ。
人を以て言を廃せず(ひとをもってげんをはいせず)
語り手の格が低いからといって、中身のある一言まで捨ててはならない。 「発言が立派だからといって人まで取り立てはしない」という半句と背中合わせに置かれている。
冷や酒と親の意見は後で利く(ひやざけとおやのいけんはあとできく)
若いうちに軽く受け流した言葉ほど、年を重ねてから重みを増してくる。 すぐには効かず、あとから効いてくるものの代表として冷や酒と並べた。
三度諌めて身退く(みたびいさめてみしりぞく)
繰り返し主君をいさめても聞き入れられない時は、潔く辞職するのが賢明だということ。
耳が痛い(みみがいたい)
他人の発言が、自らの弱点・欠点を指摘しているように聞こえて、聞いているのがつらく感じる様子。
耳に逆らう(みみにさからう)
人からの忠告などを受け入れることができず、不快な気持ちになること。 また、聞き手に不快感を与えること。
明珠兼乗も未だ一言に若かず(めいしゅけんじょうもいまだいちげんにしかず)
車を連ねて運ぶほどの宝玉を積み上げても、主君を思って差し出す一言の重みには届かないということ。 上に立つ者は、下の者の諫めをこそ何より重んじよという教え。 「兼乗」は幾台もの車を連ねること。 唐の名臣薛収が王に狩りを控えるよう書を奉ったとき、王がこの言葉をあげて喜び、黄金を与えたという故事から。
目を剝くより口を向けよ(めをむくよりくちをむけよ)
腹を立てて睨みつけるより、ことばで筋道を説くほうが人は動くということ。
薬石の言(やくせきのげん)
身のためを思って向けられる、ありがたい戒めの言葉。 「薬石」は、病を治す薬と、石で作った治療用の鍼のこと。効き目のある手当てと同じはたらきをする言葉、というところからいう。「薬石」だけで治療そのものを指すこともある。 唐の太宗は、政治の得失を説く上奏をたびたび差し出した臣下に、その言葉をこう呼んで謝し、返礼として薬石を贈ったという。
病を護りて医を忌む(やまいをまもりていをいむ)
自分に欠点や過ちがあっても、人の忠告を聞こうとしないことのたとえ。 病気があるのに医者にかかるのを嫌がるとの意から。
良薬は口に苦し(りょうやくはくちににがし)
体に効く薬ほど喉を通りにくい。人からの言葉も同じで、当人のためを思ったものほど、その場では受け取りにくい。
老婆心(ろうばしん)
必要をこえて世話を焼いたり、あれこれ気に病んだりすること。多くは、人に忠告するときの前置きに使われ、出過ぎた口であることをことわる言い方になる。 もとは禅の言葉で、年老いた女性が孫を思うように、師が弟子へ念入りに教え説くことをいった。それが転じて、行き届きすぎた親切のほうを指すようになった。「老婆心切」ともいう。
我が身の事は人に問え(わがみのことはひとにとえ)
自分の短所やしくじりは当人の目に入らないものだから、まわりに尋ねて直すのがよいということ。 わが事となると見立てが狂いやすいので、人の目を借りよという教え。
我を非として当たる者は吾が師なり(われをひとしてあたるものはわがしなり)
自分の欠点を注意してくれる人は、誰でも自分にとっての先生だということ。 「当たる」は「当う」とも書き、「むかう」とも読む。
