「僧侶」に関連する故事・ことわざ・慣用句 — 41 件
「僧侶」に関連する故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。全41件を五十音順に掲載しています。
ことわざ一覧(五十音順)
頭剃るより心を剃れ(あたまそるよりこころをそれ)
外見より精神が大事だということ。 頭を剃って姿だけ僧になるより、まず心を清めよということ。
頭を丸める(あたまをまるめる)
髪の毛を剃って、丸坊主にする。転じて、出家すること。
医者が取るか坊主が取るか(いしゃがとるかぼうずがとるか)
生死の境にいるような重病人のこと。生きているうちは医者が金を取り、死んでしまえば僧侶が金を取るということから。また、所詮あの世に金は持っていけないと守銭奴を皮肉ることば。
衣鉢を継ぐ(いはつをつぐ)
学問・芸術などで、弟子が師から奥義を受け継ぐこと。 「衣鉢」は仏教語で僧侶が身にまとう袈裟と鉢のこと。転じて、その道の奥義の意。
狼に衣(おおかみにころも)
まるで僧衣をまとった狼のように、慈悲深い善人のようにみせかけて内面は恐ろしいことのたとえ。 「狼が衣を着たよう」ともいう。
髪を下ろす(かみをおろす)
頭髪を剃り落として僧や尼になること。 「頭を下ろす」ともいう。
機に因りて法を説け(きによりてほうをとけ)
仏の教えを説くときには、機会に応じた適切な方法で説法しなければならないということ。転じて、臨機応変に対応せよということ。
葷酒、山門に入るを許さず(くんしゅ、さんもんにいるをゆるさず)
葷酒は修行の妨げになるので、寺の中に持ち込むのを許さないということ。「葷酒」は、強い臭気のねぎやにらなどの野菜と酒。禅寺の山門の脇に立つ石碑に刻まれた言葉。
虚無僧に尺八(こむそうにしゃくはち)
そこにあるのが当たり前で、離してしまっては様にならない取り合わせのこと。 虚無僧は深編笠をかぶり、尺八を吹きながら諸国を歩いた。その尺八を取り上げてしまえば、もう虚無僧の姿ではない。
衣ばかりで和尚はできぬ(ころもばかりでおしょうはできぬ)
身なりをそれらしく整えたところで、備わっているべきものが無ければ、ただの形にすぎない。人を見かけだけで測ってはいけない、という戒めにも使う。 袈裟をまとえば和尚になれるわけではなく、その下に積んだ修行と信心があってはじめて僧は僧になる。
座禅組むより肥やし汲め(ざぜんくむよりこやしくめ)
座禅を組んで修行する暇があるなら、肥やしを汲んで農作業に精を出せということ。時間や労力を実業以外のことに使うことを戒める言葉。
しつこい坊主に檀那がない(しつこいぼうずにだんながない)
しつこいものは人に嫌われるというたとえ。「檀那」は、檀家のこと。財物の寄進をしつこく言う僧侶は嫌われるということから。
釈迦に宗旨なし(しゃかにしゅうしなし)
仏教の開祖である釈迦には、何宗何派という宗派があったわけではない。仏教の教えはすべて釈迦が発しているのだから、宗派の争いは無意味であるということ。
娑婆で見た弥次郎(しゃばでみたやじろう)
知っている人間に、知らないふりをすることのたとえ。 ある僧侶が佐渡で土中入定(生きたまま土の中に入り仏になること)すると見せかけて、こっそりと抜け出して越後に渡ったところ、知り合いの弥次郎という男に声をかけられてしまった。初めのうちは知らん顔をしていたが、しらを切り通せなくなり「げにもげにもよく思い合はすれば娑婆で見た弥次郎か」と言ったという笑い話に基づくとされる。 「弥次郎」は、「弥三郎」「弥十郎」などともいう。
沙弥から長老(しゃみからちょうろう)
下積みの段階をいくつも飛び越して、いきなり高い位に就くこと。 「沙弥」は髪を下ろして間もない見習いの僧、「長老」は寺を束ねる高位の僧。その間に横たわるいくつもの位を、ひととびに越えてしまうことをいう。
沙弥から長老にはなれぬ(しゃみからちょうろうにはなれぬ)
どんなことにも踏むべき段があり、それを飛ばして先へは行けないということ。 入門したばかりの沙弥が、いきなり寺を束ねる長老になれるわけがない、という言い方。一足飛びの出世をいう「沙弥から長老」を、そのまま打ち消した形である。
宗旨の争い釈迦の恥(しゅうしのあらそいしゃかのはじ)
どの宗派もたどっていけば同じ一人の教えに行き着くのだから、その門下どうしが優劣を言い争えば、恥をかくのは釈迦のほうだということ。 身内でいがみ合うことの愚かさを笑った言い方。
出家の念仏嫌い(しゅっけのねんぶつぎらい)
もっとも大切なことが嫌いだったり、出来なかったりすることのたとえ。 僧となって仏道を修行する者が念仏を唱えるのが嫌いとの意から。
滑り道とお経は早い方がよい(すべりみちとおきょうははやいほうがよい)
滑りやすい道は人より先を歩く方が歩きやすく、退屈なお経は早く終わる方がありがたいということ。 「滑り道と観音経は早い方がよい」ともいう。
世帯仏法腹念仏(せたいぶっぽうはらねんぶつ)
ありがたい説法も念仏も、突き詰めれば日々の糧を得るための業だということ。 信心より先に暮らしがあるという、皮肉を込めた見方。
談義説法は出家の生計(だんぎせっぽうはしゅっけのせいけい)
ありがたい談義や説法も、結局は僧侶が生計を立てる手段でしかないということ。 「生計」は「身過ぎ」ともいう。
塵を出ず(ちりをいず)
濁った世の外へ身を移す。 髪を下ろして仏門に入ることをさす。 「塵」は、世の煩わしさをたとえた語。
寺から里へ(てらからさとへ)
物事があべこべなことのたとえ。筋違いなことのたとえ。「里」は、檀家の意。檀家から寺へ供物を届けるのが当たり前なのに、寺から檀家へ物を贈るのは逆であることから。
寺から出れば坊主(てらからでればぼうず)
そう思われても仕方がないことのたとえ。 寺から出てくる者は僧侶と思われても仕方がないとの意から。
寺の隣に鬼が棲む(てらのとなりにおにがすむ)
ありがたい場所のすぐ隣に、まるで正反対の者が住んでいる。 世の中は、そういう並び方をしているものだ。
尊い寺は門から見ゆる(とうといてらはもんからみゆる)
値打ちのあるところは、敷居をまたぐ前から気配が違う。 長く積んできたものは、いちばん外側にまず現れる。 「尊い寺は門から知れる」「尊い寺は門から」ともいう。
堂が歪んで経が読めぬ(どうがゆがんできょうがよめぬ)
自分の怠慢や落ち度を棚に上げ、失敗を責任転嫁することのたとえ。また、理屈ばかりこねて実行が伴わないことのたとえ。仏堂が歪んで座りにくいから上手に経が読めないと、僧が言い訳する意から。
似合わぬ僧の腕立て(にあわぬそうのうでたて)
その人に似合わないことをすることのたとえ。「腕立て」は腕力を誇ることで、僧侶が腕力をふるうのは不似合いであることから。
光を和らげ塵に同ず(ひかりをやわらげちりにどうず)
持っているものをことさら見せず、世の人と同じ高さに身を置いて付き合う。 救う側が形を落としてこの世に現れるという仏の説き方から出た言葉で、今は人の身の処し方にもいう。 「塵に同ず」とも。
布施ない経に袈裟を落とす(ふせないきょうにけさをおとす)
見返りの当てがない務めには、身なりを整える手間さえ惜しむ。 受け取る額に応じて、こちらの構え方も下がっていくという皮肉。
法あっての寺寺あっての法(ほうあってのてらてらあってのほう)
仏法があってこそ寺があり、寺があってこそ仏法も保たれるということ。持ちつ持たれつの関係にあることのたとえ。
法師の戦話(ほうしのいくさばなし)
不似合いなことのたとえ。
坊主捨て置け医者大事(ぼうずすておけいしゃだいじ)
急病の時は、急いで医者を呼ぶのが大事だということ。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い(ぼうずにくけりゃけさまでにくい)
ある相手を疎ましく思い始めると、その人の持ち物や身内まで嫌なものに見えてくる。当人と切り離せるはずのものにまで、悪感情が及んでいく。
坊主の花簪(ぼうずのはなかんざし)
その人には使いようのない品が手元にあること。持ち主の身の上と結びつかないものは、どれだけ立派でもただ余っているだけになる。
坊主の不信心(ぼうずのふしんじん)
他人には立派なことを言いながら、その人自身は実行が伴わないことのたとえ。 人に信仰を説く坊主が信仰心がないとの意から。
坊主丸儲け(ぼうずまるもうけ)
仕入れも道具も要らない仕事は、入ってきた分がそっくり手元に残る。汗をかかずに得をしている、と横から皮肉る言い方。
野狐禅(やこぜん)
まだ悟りに届いていないのに、もう届いたつもりでしたり顔をしている修行者。人を化かす野狐に見立てて、そう呼ぶ。 転じて、聞きかじりの知識で物事を分かった気になり、それを人に説いてみせる者をさす。 「生禅」ともいう。
世を捨てる(よをすてる)
出家すること。俗世間から離れて静かに暮らすこと。
世を背く(よをそむく)
出家する。また、死ぬ。
世を遁れる(よをのがれる)
俗世間を逃れて隠れ住むこと。また、出家すること。
