「度」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 51 件
「度」を含む漢字が使われている故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。
故事・ことわざ・慣用句一覧
秋の空は七度半変わる(あきのそらはななたびはんかわる)
秋の空模様が非常に移ろいやすく、一日のうちで何度も変化すること。 転じて、人の心や物事の状態がめまぐるしく変わり、定まりにくいことのたとえ。
明後日紺屋に今度鍛冶屋(あさってこうやにこんどかじや)
「この日までに仕上げます」という約束が守られたためしがなく、言われた期日を真に受けると、きまって待ちぼうけを食う羽目に陥るのだ、ということ。その場しのぎの返事で先へ先へと延ばすさまを、からかってもいう。 昔の染め物屋や鍛冶屋は、注文を受けた品物が約束した日になってもできあがっていないことがよくあり、染め物屋は「あさってには」、鍛冶屋は「今晩には」と答えて客を待たせたところから。 「紺屋」は布を藍などで染める職人や店のことで、「こんや」の読み方もある。「鍛冶屋」は鉄を熱して打ちきたえ、刃物や農具などをこしらえる職人。 [[紺屋の明後日*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/3039.php]]と同じ意味で、染め物屋に鍛冶屋を並べ、調子よく続けた言い方。
危ない橋も一度は渡れ(あぶないはしもいちどはわたれ)
安全な方策ばかりとっていたのでは、成功することはできない。時には危険を冒してやってみるのも必要だということ。
伊勢へ七度、熊野へ三度(いせへななたび、くまのへみたび)
信仰心が深いことのたとえ。 伊勢神宮へ七度、熊野三山へ三度もお参りするほど信仰深いとの意から。 このあと続けて「愛宕(あたご)様へは月参り」ともいう。
一度あることは二度ある(いちどあることはにどある)
一度起きたことは、後でまた同じようなことが起こりやすいので注意せよということ。この後に続けて「二度あることは三度ある」ともいう。
一度死ねば二度死なぬ(いちどしねばにどしなぬ)
人間死ぬのは一度きりと、事に当たる時決死の覚悟を決めて自分自身に言い聞かせることば。
一度はままよ二度はよし(いちどはままよにどはよし)
悪事を行うとき、最初は良心がとがめながら、なるようになれという気で行うが、二度目からはなんとも思わなくなり平気でのめりこんでいくということ。
一度焼けた山は二度は焼けぬ(いちどやけたやまはにどはやけぬ)
一度災いに遭うと二度と同じ災いに遭うことはないと、災難に遭った人を慰めて言うことば。
一饋に十度立つ(いっきにとたびたつ)
国を治める人が、よい政治をしようとして、知恵のある人をすすんで迎え、その話に耳を傾けることにひたむきであるたとえ。自分の食事や身のまわりのことはあとにしてでも、人々のための務めに打ち込む姿を表すこともある。 「一饋」は一度の食事のことで、「饋」には食べ物をすすめるという意味がある。 中国の古い伝説の王朝である夏の禹王は、鐘や太鼓などを掛け並べておき、道理を教えに来た者は太鼓を、正しい行いを説きに来た者は鐘を鳴らすようにと告げて、四方から人が訪ねてくるのを待った。そのころの禹王は、一度ごはんを食べるあいだに十回も立ち上がって客に会い、髪を一度洗うあいだにも、洗いかけの髪を手に持ったまま三度も客の前に出た。この言葉は、そのありさまを記した『淮南子』氾論訓の一節にもとづく。 「一饋に十起」「一饋に十起す」ともいう。十度を七度にした「一饋に七度立つ」の形もある。同じ話にちなむ四字熟語として[[一饋十起*https://yoji.jitenon.jp/yojie/2093.html]]がある。すぐれた人を迎えることに力を尽くすという点で、[[三顧の礼*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/2404.php]]や四字熟語の[[握髪吐哺*https://yoji.jitenon.jp/yoji/254.html]]も近い。
韋編三度絶つ(いへんみたびたつ)
繰り返して書を読むこと。 「韋編」は、字を書いた木や竹の札を、なめし皮の紐(ひも)でとじた中国の昔の書物。 孔子は「易経」を愛読し繰り返し何度も読んだため、書物をとじている革紐が三度も切れたという故事から。 「[[韋編三絶*https://yoji.jitenon.jp/yojih/3680.html]]」ともいう。
浮き沈み七度(うきしずみななたび)
長い人生には良いときもあれば悪いときもあり、それを何度も繰り返すということ。
旨い事は二度考えよ(うまいことはにどかんがえよ)
うまい話には裏があったり危険が伴うことがあるので、すぐに飛びつかずにじっくり考えるのがよいという戒めの言葉。
縁なき衆生は度し難し(えんなきしゅじょうはどしがたし)
人の忠告を聞き入れようとしない者は、救いようがないということ。 「縁」は、ここでは仏縁の意。 「衆生」は、仏が慈悲を垂れる人間。 「度す」は、悟りを開かせること。 仏縁のない者は、たとえ仏でも救いようがないとの意から。
老いて二度児になる(おいてふたたびちごになる)
人は年を重ねると、物事をのみ込む力や判断する力、もの覚えなどが弱まって、まるで幼い子どもに返ったかのような言動が目につき始めること。 「稚児(ちご)」は、乳飲み子やまだ幼い子どものこと。年老いた人が、もう一度人生の始まりのころへ引き戻されたように見える、と言い表した句。 近い意味の句として、[[本卦還りの三つ子*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/4414.php]]や「七十の三つ子」「八十の三つ子」も挙げられる。
男心と秋の空は一夜に七度変わる(おとこごころとあきのそらはいちやにななたびかわる)
男の愛情は、秋の空模様のように変わりやすいということ。 「男心と秋の空は一夜に七度変わる」ともいう。
男は三年に一度笑う(おとこはさんねんにいちどわらう)
男は、むやみに笑顔を見せず、どっしりとした重みを保てという教え。笑うのは三年に一度で足りると大げさに言って、気安く笑うことをいましめている。 見出しを「男は三年に片頬」とする辞書もあり、三年に一度、片方のほおをわずかにゆるめるだけで十分だという、いっそう控えめな言い方になる。「男は三日に一ぺん笑えばよし」も、ほぼ同じ心構えを説く。
男は度胸、女は愛嬌(おとこはどきょう、おんなはあいきょう)
男にとって大切なものは、物事に動じない強い度胸で、女にとって大切なものは、にこやかでかわいらしい魅力だということ。「度胸」と「愛嬌」の「きょう」の語呂を合わせていった言葉。
己を以て人を度る(おのれをもってひとをはかる)
手元にある物差しは自分の分しかないので、人の中身までそれを当てて測ってしまう。 相手の器を、こちらの寸法で決めつけることになる。
お百度を踏む(おひゃくどをふむ)
願いが叶うよう、社寺の決まった場所を百回行き来して拝むこと。また、頼みを承知してもらおうと、相手のもとへ何度も足を運ぶこと。
烏は百度洗っても鷺にはならぬ(からすはひゃくどあらってもさぎにはならぬ)
黒い烏は、幾度水にさらしても白い鷺に化けはしない。 生まれついた質は、いくら繕ったところで別物にはならないということ。
靴を度りて足を削る(くつをはかりてあしをけずる)
物事を進める手順や、ものの順番がひっくり返っていて、やることがあべこべだというたとえ。 「度る」は、物の長さや大きさをはかること。靴は本来、はく人の足に合う寸法のものを選ぶはずなのに、先に靴のほうの寸法をはかっておき、その靴に収まるように自分の足を削り落とすという意から。 足を削り落として履物に合うようにするという言い表し方は、昔の中国の古典『淮南子(えなんじ)』の「説林訓(ぜいりんくん)」にも出てきて、四字熟語では[[削足適履*https://yoji.jitenon.jp/yojid/1726]]という。順番が逆さまの場合に使う句には、ほかに[[馬も買わずに鞍買う*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/1012.php]]がある。
今度と化け物には行き会った事がない(こんどとばけものにはいきあったことがない)
「今度はきっと」などという約束があてにならないことを皮肉った言葉。
三度の火事より一度の後家(さんどのかじよりいちどのごけ)
三度火事に遭うより、一度だけでも夫に先立たれるほうが精神的打撃が大きくて立ち直りにくいというたとえ。
三度の飯も強し柔らかし(さんどのめしもこわしやわらかし)
世の中のことは、なかなか自分の思う通りにはならないというたとえ。 毎日炊いている飯でさえ、固すぎたり柔らかすぎたりして思うようにはいかないのだから、世の中のことが思い通りにいかないのは当然だということから。
三度の飯より好き(さんどのめしよりすき)
他の何よりも好きであること。 一日三回の食事がどうでもいいと思うほどに好むということから。
三度目の正直(さんどめのしょうじき)
物事は一度目や二度目はだめでも、三度目はうまくいくということ。
三度目は定の目(さんどめはじょうのめ)
物事は一度目や二度目の結果は当てにならないが、三度目ともなれば確実だということ。「定の目」は、定まった賽の目のこと。
千日の行を一度に破る(せんにちのぎょうをいちどにやぶる)
長い間苦労して積み上げてきたものが、ほんの小さなしくじり一つで水の泡になるたとえ。 百日間も説いてきた説法も、お坊さんのおなら一つでありがたみが消えうせるとの意から。
忖度(そんたく)
他人の気持ちや考えをおしはかること。「忖」も「度」も推し量るという意。
態度が大きい(たいどがおおきい)
分を弁えない無礼な態度であること。横柄な態度であること。
