「心」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 164 件
「心」を含む漢字が使われている故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。
故事・ことわざ・慣用句一覧
諦めは心の養生(あきらめはこころのようじょう)
失敗や不運をくよくよ考えるより、きっぱり諦めたほうが精神的に良いということ。
明日ありと思う心の仇桜(あすありとおもうこころのあだざくら)
今できることを明日に延ばしていると、その機会は二度と来ないかもしれないということ。思い立ったらすぐ行えという戒め。 また、人の命がいつまで続くか分からないことのたとえ。 咲きそろった桜も、その夜のうちに嵐が来れば残らないとの意から。 歌は「夜半に嵐の吹かぬものかは」と続く。親鸞が詠んだものと伝える。
頭剃るより心を剃れ(あたまそるよりこころをそれ)
外見より精神が大事だということ。 頭を剃って姿だけ僧になるより、まず心を清めよということ。
過つは人の性、許すは神の心(あやまつはひとのさが、ゆるすはかみのこころ)
人は誰でも過ちを犯すものなので、むやみに人を責めてはいけないということ。 「過ちは人の常、許すは神の業」ともいう。
怒り心頭に発する(いかりしんとうにはっする)
心の底から激しい怒りがわきあがること。 「心頭」は心の中の意。
生きた心地もしない(いきたここちもしない)
恐ろしさのあまり、生きているという感じがしないさま。
一心岩をも通す(いっしんいわをもとおす)
不可能と思われることでも、心を集中させて専念すれば成し遂げられるというたとえ。
鰯の頭も信心から(いわしのあたまもしんじんから)
どんなつまらないものでも、信じる心があれば尊く思われるということ。節分の夜、鰯の頭をひいらぎの枝に刺して門口に置くと鬼気を追い払うといわれてきたことから。
魚心あれば水心(うおごころあればみずごころ)
相手が好意を示せば、こちらもまた好意を持つ。 先方の出方次第で、こちらの態度が決まるということ。 もとは「魚、心あれば、水、心あり」で魚と心、水と心が一語化したものといわれる。 魚が水に好意を示せば、水もその魚に好意を持つであろうという意味から。 「水心あれば魚心」「網心あれば魚心」ともいう。
運用の妙は一心に存す(うんようのみょうはいっしんにそんす)
何事もその機能をうまく活用するためには、それを用いる人の心ひとつにかかるということ。
奢る者は心常に貧し(おごるものはこころつねにまずし)
贅沢な生活を好む者は、満足することを知らず、満たされずに常に不平不満の気持ちを持ち続け、その心は貧しいということ。
夫の心と川の瀬は一夜に変わる(おっとのこころとかわのせはいちやにかわる)
夫が妻に向ける愛情は、川の浅瀬が一晩で姿を変えるのと同じで、たちまち、がらりと変わりかねない。 「瀬」は川の浅いところのこと。水の流れの具合しだいで、その位置や形が動きやすい。 「夫」を「男」に替えて、「男の心と川の瀬は一夜に変わる」の形も昔から用いられる。秋の空の変わりやすさにたとえた[[男心と秋の空*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/1535.php]]と同じ趣旨の言葉。
男心と秋の空(おとこごころとあきのそら)
男の愛情は、秋の空模様のように変わりやすいということ。 「男心と秋の空は一夜に七度変わる」ともいう。
親思う心にまさる親心(おやおもうこころにまさるおやごころ)
子どもが親を思う気持ちよりも、親の子どもに対する愛情のほうがより深いというたとえ。「親思う心にまさる親心けふの音づれ何ときくらん」という吉田松陰の辞世の歌から。
親の心、子知らず(おやのこころ、こしらず)
子どもを思う親の深い愛情を知らず、子どもは勝手気ままなことをするということ。
女心と秋の空(おんなごころとあきのそら)
秋の空模様のように、女性の心が変わりやすいということ。
女の心は猫の目(おんなのこころはねこのめ)
女の心は気まぐれで変わりやすいことのたとえ。 女心は、猫の目が光によって形が変化するように変わりやすいとの意から。
会心の笑みをもらす(かいしんのえみをもらす)
思い描いた通りの結果となり、満足して喜びの表情をすること。
会心の作(かいしんのさく)
作った人が自分で見て、ねらったとおりに仕上がったと満ち足りている作品。 絵や文章、工作や料理など、手をかけて作り上げたものについて、作り手本人がその出来ばえに満足しているときに言う。 「会心」の語は、自分の望みのとおりに事が運んで、心から満ち足りることを言う。同じ「会心」を使う言葉に[[会心の笑みをもらす*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/6391.php]]がある。
顔で笑って心で泣く(かおでわらってこころでなく)
泣きたいほどつらくても顔では笑ってみせるということ。
核心に触れる(かくしんにふれる)
ものごとの最も重要なところに踏み込んで指摘すること。
核心を突く(かくしんをつく)
物事のもっとも重要な問題点をするどく指摘することのたとえ。
火事あとの火の用心(かじあとのひのようじん)
時機に遅れて役に立たないことのたとえ。 火事を出してしまってから火の用心をしても間に合わないとの意から。
形は生めども心は生まぬ(かたちはうめどもこころはうまぬ)
親と子は顔立ちや体つきこそよく似ていても、気立てや物の考え方、頭のはたらきは親とは別物で、子の性格までが親の写しになるとは言えない。 親が産んで子に渡せるのは目に見える体だけで、心までは渡せないというのが句の成り立ち。 漢字の書き方は「形は産めども心は産まぬ」もある。「[[子は産むも心は生まぬ*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/3118.php]]」「[[親は親、子は子*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/1960.php]]」も、この句と同じ向きのことを言う。
感心上手の行い下手(かんしんじょうずのおこないべた)
人の話には大いに膝を打つのに、いざ自分がとなると何ひとつ手をつけない。また、そういう性分の人。
歓心を買う(かんしんをかう)
相手に気に入られようとして機嫌をとること。 「歓心」は喜ぶ気持ち。
気心が知れる(きごころがしれる)
行き来を重ねて、相手の人柄も癖ものみこめていること。
帰心、矢の如し(きしん、やのごとし)
故郷や我が家に帰りたいと思う気持ちが募ること。
木にも萱にも心を置く(きにもかやにもこころをおく)
風で木がゆれたり萱がそよいだりしただけでも、敵がかくれていないかと身構えることから、ほんの小さな物ごとにもびくびくして、ちっとも落ち着けずにいる心のたとえ。 まわりの人や物ごとに、細かい点にまで気を配り、用心をおこたらないようすにも当てて使う。 「萱」は、すすきやすげなど、屋根をふく材料になる草を広く指す呼び名。「心を置く」は、気をゆるめずに用心すること。 「木にも草にも心を置く」とも言う。
気は心(きはこころ)
少ない量でも真心をこめているということ。贈り物をする時に使う言葉。
