「子」から始まる故事・ことわざ・慣用句 — 31 件
「子」から始まる漢字を含む故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。
故事・ことわざ・慣用句一覧
子馬の朝勇み(こうまのあさいさみ)
はじめに元気を出し過ぎて、最後まで続かないことのたとえ。 「駒」は、馬のこと。 馬は出発した朝は元気よく走るが、やがて疲れてしまい元気がなくなることから。 「駒の朝勇み」「小馬の朝駆け(朝勇み)」ともいう。
子三人、子宝(こさんにん、こだから)
子どもは三人ぐらいが理想的で、子宝というのにふさわしいということ。
子宝、脛が細る(こだから、すねがほそる)
親にとって子どもは宝であるが、育てるためには脛が細くなるような苦労をするということ。
子で子にならぬ時鳥(こでこにならぬほととぎす)
手をかけて育てても、血の通っていない子はどこかで実の親のほうへ戻っていく。 鶯の巣で孵された雛も、やはり時鳥として巣立っていく。
子供隠された鬼子母神のよう(こどもかくされたきしぼじんのよう)
いちばん大事にしていた人や物をなくし、悲しみに取り乱して落ち着きなく騒ぎ立てる様子。わが子の行方が分からずうろたえた鬼子母神のありさまを借りて、そのあわてぶりを言う。 鬼子母神は、よその家の子をさらって食べていた鬼の女神で、自分もたくさんの子を持つ母だった。仏教を開いた釈迦がその末っ子を鉢の下に隠すと、鬼子母神は七日のあいだ探し回っても見つけられず、ひどく嘆き悲しんだ。釈迦は「多くの子のうち一人を失っただけでこれほど苦しむのに、おまえは子が一人か数人しかいない親から子を奪ってきたのだ」と諭し、鬼子母神は二度と人の子を殺さないと誓ったので、釈迦は子を返したという。仏教の経典『雑宝蔵経』の話から。鬼子母神はのちに、子どもが無事に生まれ育つのを守る神として、人々に信仰されている。「鬼子母神」は「きしもじん」とも読み、[[恐れ入谷の鬼子母神*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/2617.php]]の言葉遊びにも出てくる。
子供川端、火の用心(こどもかわばた、ひのようじん)
子どもが川に落ちないように注意することと、火の用心をすることが大事だということ。
子供叱るな来た道だもの年寄り笑うな行く道だもの(こどもしかるなきたみちだものとしよりわらうなゆくみちだもの)
子どものいたずらなどは誰しも身に覚えがあるので叱るべきではないし、自分もいずれ年をとるので老人を笑いものにすべきではないということ。
子供好きに子なし(こどもずきにこなし)
子どもが好きな人には、子どもがない場合が多いということ。
子供の喧嘩に親が出る(こどものけんかにおやがでる)
子ども同士の喧嘩に親が口出しして、自分の子どもの味方をする愚かさを非難する言葉。また、大人気ないふるまいや余計な干渉をするたとえ。
子供の使い(こどものつかい)
要領を得ず、役に立たない使いのたとえ。
子供の根問い(こどものねどい)
子どもが何にでも疑問を持って、根掘り葉掘り問いただすこと。
子供は教え殺せ、馬は飼い殺せ(こどもはおしえころせ、うまはかいころせ)
子どもは徹底的に教育し、馬の調教も手加減するなということ。 「馬は飼い殺せ、子供は教え殺せ」ともいう。
子供は風の子(こどもはかぜのこ)
子どもは寒さをものともせず、冬でも風の中を元気に駆けまわる。「子供は風の子、大人は火の子」と続けて、火のそばを離れない大人と対にしていう。
子無しに子を呉れるな(こなしにこをくれるな)
わが子を育てたことのない相手に、子を養子として託してはいけないという戒め。 手をかけて育てた覚えがなければ、子に注ぐべき情の深さもわからないという見方から。
子に過ぎたる宝なし(こにすぎたるたからなし)
これに勝るものは無いと言い切れる持ち物は、親にとっては我が子しかない。ほかに何を積んでも、その位置は動かない。
子にすることを親にせよ(こにすることをおやにせよ)
子をいたわるときの心を、そのまま親へも向けよ。人の情は下へばかり流れて、上へはなかなか返ってこない。 血のつながらない親との間柄でよく使う。
子の心、親知らず(このこころ、おやしらず)
親はとかく、子どもの本当の心や考えを察知することは出来ないということ。
子はあるも嘆き、なきも嘆き(こはあるもなげき、なきもなげき)
子を授かれば授かったで案じごとが尽きず、授からなければ授からないでそのことを嘆く。 持つも持たぬも、親の胸から心配の種が絶えることはないものだ。
子は産むも心は生まぬ(こはうむもこころはうまぬ)
腹を痛めて生み落とせるのはからだまでで、その子がどんな心根に育つかまでは産んだ者の手が届かない。 親と似ても似つかぬ性分の子を持った者が、ため息まじりに言う言葉。
子は鎹(こはかすがい)
子どもは夫婦の縁をつなぎとめる鎹のような存在で、我が子への愛情から夫婦の仲がなごやかに保たれるということ。「鎹」は、材木をつなぎ止めるためのコの字型の鉄製の釘のこと。
子は三界の首枷(こはさんがいのくびかせ)
親は子どものことにとらわれて、終生自由を束縛されてしまうということ。「三界」は、過去・現在・未来の三世のこと。「首枷」は、罪人の首にはめて自由を束縛する刑具。子どもは三界にわたって親の自由を拘束する首枷のようなものだということ。
子ほど喜ばせにくいものはなく親ほど喜ばせやすいものはない(こほどよろこばせにくいものはなくおやほどよろこばせやすいものはない)
親の愛情を当然と思っている子どもを喜ばせるのは難しいが、親は子どものわずかな孝養でも大喜びするということ。
子養わんと欲すれども親待たず(こやしなわんとほっすれどもおやまたず)
子に親を養う力がついた頃には、その親はすでに亡い。孝行が間に合わなかった嘆きをいう。
子故の闇(こゆえのやみ)
わが子を思う情に引かれて、親が分別を失うこと。「人の親の心は闇にあらねども」と詠まれた歌から出た言い方。
子を思う夜の鶴(こをおもうよるのつる)
親が子を思う情の、きわめて深いさまをいう。 「雉」はきじのこと。 雉は野を焼かれたら危険を顧みずに巣にいる子どもを助けに戻り、鶴は霜の降る冷え込んだ晩には羽を広げてひなを包み込むとの意から。 単に「焼け野の雉」「夜の鶴」、また「夜鶴子を思う」「子を思う夜の鶴」ともいう。 「焼け野の雉」は、身を隠すところのない雉のことから、危険にさらされることのたとえとしてもいわれる。
子を知ること父に若くはなし(こをしることちちにしくはなし)
父親は子どもの長所や短所を誰よりもいちばんよく知っているということ。「若くはなし」は、及ぶものはないという意。
子を棄つる藪はあれど身を棄つる藪はなし(こをすつるやぶはあれどみをすつるやぶはなし)
困窮すると最愛のわが子でも棄てることができるが、自分の身だけは棄てることができないということ。
子を見ること親に如かず(こをみることおやにしかず)
子どもの長所や短所をいちばんよく知っているのは親であり、親に及ぶものはないということ。
子を持って知る親の恩(こをもってしるおやのおん)
わが子を育てる側に回ってはじめて、かつて自分が受けていたものの重さに気づくということ。 手のかかりようも掛かりの重さも、その立場に立たなければ見えてこない。
子細に及ばず(しさいにおよばず)
細かいことを言う必要はないということ。
